古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:リアリズム

 古村治彦です。

 米中戦争についてはその危険性が高まっているということを主張する人々が多くいる。台湾有事、中国が台湾に軍事侵攻して、台湾を防衛するアメリカ、そして、日本と戦争状態になるという主張がある。中国は既に武力に訴えなくても、台湾を統一することができるようになっているということはアメリカでも言われている。台湾に対して武力を用いないとなれば、中国が他に武力を用いることは考えられない。また、中国がアメリカに代わって、世界覇権国になる可能性が高いが、アメリカの凋落を中国は熟した柿が落ちてくるのを待つ、熟柿作戦で十分だ。わざわざ木を揺さぶって、柿を無理やり落とすようなことは必要ない。アメリカが挑発しない限り、中国は戦争を起こさない。

 しかし、中国は習近平がこれまでのルールを変更して、3期目の国家主席を務めている。また、中国国内政治において重要な勢力である中国共産主義青年団派(Communist Youth League FactionCYLF、共青団派、団派)を最高指導部層から排除している。そして、「工航天系、jungonghangtianxi」と呼ばれる、国防・航空宇宙産業出身者たちが多数、中国共産党中央政治局に入っている。彼らは、軍事と最先端技術の知識を持つ人材である。そして、こうした人事は、中国の戦争に備えた体制、アメリカの不安定さから起きるかもしれない突発的な事態に備える体制を整えている。中国は戦争を起こす意図は持っていないが、怠りなく、戦争に備える態勢を整えている。

 アメリカとアメリカの同盟諸国(アジアでは日本ということになる)は、中国の膨張に備えて、中国を抑止できるようにしておかねばならない。抑止力の強化、中国の封じ込めこそが重要だという論である。しかし、これでは、アメリカ(と同盟諸国)、中国の双方が軍拡競争を行うということになる。軍備を増強して、安心感を得ても、相手は不安を感じ、軍備を更に増強する。これがずっと繰り返されていくという、「安全保障のディレンマ(security dilemma)」に陥ってしまう。国力が減退し続けているアメリカは中国との軍拡競争をすべきではない。そんなことをすれば、自分で死期を早めるようなものだ。また、アメリカは西側諸国を対中包囲網に引き入れようとしているが、西側先進諸国の国力も衰退しつつある。一方、非西側諸国は国力を増進させている。大きな流れで言えば、中国を封じ込めることはできないし、非西側諸国の国力の膨張を停めることはできない。

 短期的、中期的に見て、米中両国は「G2」体制を形成し、世界の平穏維持に努めるべきだ。そして、G2の枠組みを通じて対話を行い、無用な衝突を避ける、このことが何よりも重要だ。米中戦争という馬鹿げた幻想に乗せられて、衝突することこそは人類の大いなる不幸である。

(貼り付けはじめ)

中国はどれほど戦争の準備ができているのか?(How Primed for War Is China?

-紛争の危険信号が赤色で点滅している。

マイケル・バックリー、ハル・ブランズ筆

2024年2月4日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/02/04/china-war-military-taiwan-us-asia-xi-escalation-crisis/

中国が戦争を始める可能性はどのくらいあるか? これは今日の国際情勢において最も重要な問題かもしれない。中国が台湾や西太平洋の別の目標に対して軍事力を行使した場合、その結果はアメリカとの戦争、つまりこの地域とより広い世界の覇権(hegemony)をめぐって争う核武装した二人の巨人の間の戦いになる可能性がある。ウクライナと中東で続く戦争の最中に中国が攻撃すれば、世界はユーラシアの主要地域全体で連動する紛争に飲み込まれ、第二次世界大戦以来例のない世界規模の大火災となるだろう。

米中戦争についてどれだけ心配すべきだろうか?

最近のワシントンと中国の間のハイレヴェル外交の慌ただしさにもかかわらず、危険な兆候は確かに存在している。中国の習近平国家主席の下、中国政府はここ数十年で最大規模の軍事力増強の一環として、船舶、航空機、ミサイルを増強している。気まぐれな海外投資を呼び戻そうとする最近の取り組みにもかかわらず、中国は燃料と食料を備蓄し、制裁に対する経済の脆弱性(vulnerability)を減らそうとしている。これは紛争が近づくと取られるかもしれない措置である。習主席は、中国は「最悪かつ極端なシナリオ(worst-case and extreme scenarios)」に備え、「強風、荒れた海、さらには危険な嵐(high winds, choppy waters, and even dangerous storms)」に耐える準備をしておく必要があると述べた。これら全ては、中国政府がフィリピン、日本、インドを含む近隣諸国との関係でますます高圧的(時には暴力的)になり、台湾を攻撃し、封鎖し、場合によっては侵略する能力を定期的に宣伝している中で起こっている。

アメリカ政府高官の多くは、戦争の危険性が高まっていると考えている。ウィリアム・バーンズCIA長官は、習主席が2027年までに台湾を占領する能力を模索していると述べた。また、中国経済が苦戦する中、一部の観察者(伝えられるところによれば、アメリカ情報アナリストを含む)は、ピークに達した中国が中国からの注意をそらすために攻撃的になる兆候を探している。内部の問題を解決するか、まだ可能なうちに利益を固定するためだ。

他のアナリストたちは、中国の侵略のリスクは誇張されていると考えている。一部の学者は、アメリカが中国を刺激しなければ、この危険は管理できる可能性が高いと述べているが、これは中国が自国に有利に機能してきた現状をひっくり返すつもりはないという長年の主張の反映だ。中国は、1979年のヴェトナム侵攻以来、戦争を始めていないと指摘する人もいる。また、中国には陽動戦争(diversionary war)の歴史がないと主張して、経済減速やその他の国内問題に対応して中国が戦争を起こす可能性があるという見通しを否定する人もいる。これらの議論を結びつけているのは、中国の行為の基本的な継続性に対する信念である。つまり、40年以上悲惨な戦争を始めていない国が今も戦争を始める可能性は低いという考えである。

私たちは、この自信は危険なほど見当違いであると考えている。国の行動は、その戦略的伝統に劣らず、その国の状況によって深く形成されており、中国の状況は爆発的に変化している。政治学者や歴史家たちは、大国が多かれ少なかれ戦争する傾向にある様々な要因を特定している。このような4つの要因を考慮すると、かつては、平和的な隆盛を可能にしていた条件の多くが、現在では暴力的な衰退を促進している可能性があることが明らかになる。

第一に、中国が争っている領土問題やその他の問題は、かつてほど妥協や平和的解決(compromise or peaceful resolution)が受けにくくなり、外交政策がゼロサムゲームになっている。第二に、アジアの軍事バランスは変化しており、中国政府が戦争の結果について危険なほど楽観的になる可能性がある。第三に、中国の短期的な軍事的見通しが改善するにつれて、長期的な戦略的および経済的見通しは暗くなっており、この組み合わせが過去に修正主義諸大国(revisionist powers)を更に暴力的にすることがよくあった。第四に、習国家主席は中国を、特に悲惨な誤算と多大な費用がかかる戦争(disastrous miscalculations and costly wars)を招きやすい種類の個人崇拝的独裁政治体制(personalist dictatorship)に変えてしまった。

これは、中国が特定の週、月、または年に台湾を侵略すると言っているのではない。紛争の引き金は予期せぬ危機であることが多いため、紛争がいつ起こるかを正確に予測することは不可能だ。1914年にヨーロッパが戦争の準備を整えていたことは今では分かっているが、もしオーストリア大公フランツ・フェルディナンドを乗せた車の運転手が歴史上最も運命的な誤った道を歩まなければ、第一次世界大戦はおそらく起こらなかったであろう。戦争は地震に似ている。戦争がいつ起こるかを正確に知ることはできないが、リスクの程度の高低につながる要因を認識することはできる。現在、中国のリスク指標は赤く点滅している。

米中戦争の可能性は一見すると遠いように見えるかもしれない。中国政府は44年間大規模な戦争を行っておらず、中国軍は1988年に南沙諸島での小競り合いで中国のフリゲート艦がヴェトナム海軍の水兵64人を機銃掃射して以来、外国人を殺害していない。いわゆるアジアの平和、つまり、1979年以来、東アジアで国家間戦争が起こっていないことは、中国の平和の上に成り立っている。

戦争がないことは、侵略がないことを意味する訳ではない。中国政府は軍事力と準軍事力を利用して、南シナ海と東シナ海での権限を拡大してきた。近年、中国はインドとも血なまぐさい争いを繰り広げている。それにもかかわらず、アメリカがいくつかの戦争を戦った一方で、中国政府が大規模な戦争を回避してきたという事実により、中国政府当局者たちは、自国が世界的大国への道を独自に平和的に歩んでいる(peaceful path)と主張することができた。そして、戦争を心配する人々は、二世代にわたる平和によって記録的な成長を遂げた中国が、なぜこれほど劇的な方向転換をするのか説明するよう強いられる。

一見平和そうに見える新興大国が破綻するのはこれが初めてではない。1914年以前、ドイツは40年以上大規模な戦争をしていなかった。1920年代、日本は海軍の制限、アジアでの権力の共有、中国の領土一体性の尊重を誓約する条約に署名する際、多くの外国専門家たちを責任ある利害関係者のように見ていた。2000年代初頭、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領はNATOに加盟し、ロシアを西側に近づけることについて熟考した。それにもかかわらず、これらの国々がそれぞれ野蛮な征服戦争を開始したということは、状況は変化するという基本的な真実を強調している。同じ国でも、状況に応じて、異なる行動を取る可能性があり、場合によっては極端な行動する可能性がある

そのような状況の1つは、領土紛争に関係する。ほとんどの戦争は、地球のどの部分を誰が所有するかをめぐる争いだ。1945年以降に起こった国際紛争の約85%は、領土の主張を中心に展開している。領土には象徴的または戦略的な重要性があることが多いため、共有するのは困難だ。国家が地域を分割することに同意した場合でも、都市、石油埋蔵量(oil reserves)、聖地(holy sites)、水路、戦略上の高地などの最も貴重な部分をめぐって争いになることがよくある。更に言えば、領土を確保するには、フェンス、兵士、入植者(settlers)の形で物理的に存在する必要がある。したがって、国家が同じ縄張りを主張すると、頻繁に望ましくない接触が発生する。領土紛争は、一方の側が自国の主張が急速に侵食されることを懸念している場合、特にエスカレートする可能性が高い。神聖な土地が失われつつある、あるいは国が敵によって解体されるかもしれないという信念は、国境をより安全に保っている国であれば避けるであろう侵略を引き起こす可能性がある。

戦争の第二の原因は、軍事バランスの変化だ。戦争は様々な問題をめぐって行われるが、全ての根本的な原因は共通している。それは誤った楽観主義だ。こうした事態は、両方が目的を達成するために武力を行使できると信じている場合、言い換えれば、双方が勝てると考えている場合に起こる。もちろん、両方にとって、真に有利な戦争はほとんどない。つまり、少なくとも一方が、そして非常に多くの場合は両方が、敵の力を悲惨なほど過小評価していた。つまり、競争的または曖昧な軍事バランスが戦争を引き起こす。したがって、新しい技術の導入や弱い側による大規模な軍事増強など、特定のバランスを、競争力を高めたり曖昧にしたりすると、戦争のリスクが高まります。

第三に、諸大国は将来の衰退を恐れると好戦的になる。地政学的競争は強烈で容赦がないので、各国は相対的な富と力(wealth and power)を神経質に守っている。最も強力な国であっても、経済の停滞、戦略的包囲網、または自国の国際的地位を脅かし、敵の略奪に晒される、その他の長期にわたる傾向に悩まされると、暴力的な不安に陥る可能性がある。武装を強化しながらも不安は増大し、衰退の瀬戸際にある大国は、必要なあらゆる手段を使って不利な傾向を阻止しようと熱心に、あるいは必死になるだろう。ドイツ帝国、大日本帝国、そしてプーティン大統領のロシアにとって、それは最終的には戦争を意味した。

最後に、国家の行動はその政権によって形作られる。個人崇拝的な独裁国家は、多数の手に権力が握られている、民主政体国家や専制国家に比べて、戦争を起こす可能性が2倍以上高い。独裁者は紛争の代償に晒されることが少ないために、より多くの戦争を起こす。過去100年間で、戦争に負けた独裁者が権力の座から転落したのはわずか30%であったのに対し、戦争に負けた他のタイプの指導者は投票で排除されるか、その他の方法で政権の座から追放された。ほぼ100%排除される。独裁者が過激主義に傾くのは、親愛なる指導者の要求に全力で応えようとするおべっか使いたちに囲まれているからだ。独裁者はまた、血と土のナショナリズムが国内での圧制を正当化するのに役立つため、海外に現実の敵や想像上の敵を仕立て上げていく。そのため、限られた政府の指導者は通常、控えめに統治し、忘れ去られていくのに対し、ドイツのアドルフ・ヒトラー、イタリアのベニート・ムッソリーニ、ソ連のヨシフ・スターリン、中国の毛沢東、イラクのサダム・フセイン、ロシアのプーティンなどの独裁者は、しばしば歴史書に名前を残すようになっている。

これら4つの要因、つまり、確定していない国境、競争的な軍事バランス、否定的な予測、独裁政治は、中国の歴史的な武力行使を説明するのに役立ち、今日でも不気味な影響を及ぼしている。

中華人民共和国は戦いの中から誕生した。中国は一世紀にわたる外国帝国主義(foreign imperialism)に耐え、1937年の日本侵攻後、アジアで第二次世界大戦の矢面に立たされた。少なくとも1400万人の中国人が死亡した。その後、1945年から1949年にかけて、中国国共内戦は血なまぐさい最高潮に達し、共産主義者が権力を握るために戦う中で少なくとも200万人以上が殺害された。

こうした紛争のさなか、中国は極度の好戦国家(hyper-belligerent state)として台頭した。数十年にわたり、この国は世界で最も苦境に立たされた国の1つであり、5つの戦争を戦い、冷戦時代の米ソ両超大国(superpowers)の主敵となった。中国は戦争のあらゆる危険因子を示していたため、この暴力的な記録は驚くべきことではない。

第一に、中国は個人支配(one-man rule)の権化(apotheosis)である毛沢東によって率いられていた。毛沢東は日常的に同僚を粛清し、不可解で移り変わる論理的根拠に基づいて、しばしば夜中に寝ぼけながら一方的に決定を下した。彼はまた、人命に対する驚くべき軽視を示した。毛沢東が生きているうちに中国を超大国に変えるという無謀な計画である大躍進政策中に、およそ4500万人が飢えたり、殴られたり、射殺されたりした。この悲惨な作戦の背後に国民を結集させる必要もあり、毛沢東は1958年に台湾の国民党政府が保有する島々を砲撃して国際危機を煽動した。

毛沢東はサディスティックだったかもしれないが、これほど冷酷でない指導者であったら、これほど打ち砕かれた国家について、平和で統一された状態に保つのにより苦労したことだろう。内戦に勝利した後、中国共産党(Chinese Communist PartyCCP)は中央政府の権限を村ごとに再賦課し、少数民族、軍閥(warlords)、国民党支持者による抵抗勢力を苦労しながら、根絶しなければならなかった。更に悪いことに、日本とヨーロッパの諸帝国の崩壊により、中国の一部は、敵対的か不安定な、あるいはその両方の新たな国々に囲まれた状態になった。中国の国境の大部分はある程度争われていた。1960年代までに、ソ連との国境は世界で最も軍事化された地域となった。台湾はアメリカの支援を受けた、ライヴァルの中国国民党政府の拠点であり、本土の再征服を公然と計画していた。インドはチベット亡命政府(Tibetan government in exile)を受け入れ、広範囲の中国領土を自国領土と主張した。そして中国の中心地は、冷戦の2つのホットスポット、インドシナと朝鮮半島の間に挟まれていた。

中国は自らが常に引き裂かれる危険に晒されており、毛沢東が引き起こした経済的大惨事と政治的混乱によって、こうした歴史的トラウマはさらに強調された。しかし、北京は陸の隣国それぞれに対して常に実行可能な戦略を持っていた。なぜなら、中国の巨大な人口により、北京が「人民戦争(people’s war)」と呼ぶ、人海攻撃(human wave attacks)とゲリラ襲撃(guerrilla raids)を組み合わせた方法で敵国を飲み込むことができたからである。全体として、それは、領土紛争に巻き込まれ、無尽蔵に見える人的資源で武装した残忍な独裁政権という、可燃性の高い組み合わせ(combustible combination)となった。

このように中国は紛争から紛争へと戦い続け、特に脆弱だと感じたり、差し迫った立場の低下を恐れたりすると暴力を振るった。 1950年、中国は核報復(nuclear retaliation)の危険を冒して、北朝鮮奥深くまで進軍してきたアメリカ軍を攻撃した。1950年代後半、中国は台湾海峡の沖合の島々にある国民党の守備隊を砲撃し、更に2つの戦争を始めるところだった。1962年、中国が領有権を主張するヒマラヤ山脈にインド軍が前哨基地を建設した後、中国政府はインド軍を攻撃した。ヴェトナム戦争中、中国はアメリカ軍と戦うために数万人の軍隊を派遣した。1969年、ソ連軍の大幅な増強を受けて、北京はウスリー川沿いでソ連赤軍を待ち伏せ攻撃し、再び核戦争の危険を引き起こした。10年後、ヴェトナムがソ連軍の受け入れを開始し、中国政府の唯一の緊密なパートナーの一つであるカンボジアに侵攻した後、中国はヴェトナムを攻撃した。

その後、中国の銃はほとんど沈黙した。例外はあるが、最も顕著なのは1995年と1996年に中国が台湾付近にミサイルを発射した時だ。しかし一般的に言えば、1980年から2000年代半ばにかけて状況が劇的に変化したため、中国政府はそれほど苛烈で攻撃的ではなくなった。

まず中国最高指導部が軟化した。1976年に毛沢東が亡くなり、最終的に鄧小平が後任となったが、鄧小平は毛沢東によって粛清され、個人支配の危険性を理解していた。鄧小平の指導の下、最高級指導者たちの任期制限(term limits)が設けられた。全国人民代表大会と中国共産党中央委員会は、定期的に会合を開き始めた。専門化された官僚制(professionalized bureaucracy)が形成され始めた。これらの制度は完璧とは程遠いものだったが、毛沢東政権下では全く欠けていた権力に対するチェック機能(checks on power)を生み出した。

第二に、中国の地政学的立場が改善され、領土保全に対する脅威が減少した。1970年代にアメリカが中国に対して開放した後、台湾の敵対政府は外交上の承認とアメリカとの軍事同盟の大部分を失った。ソ連を追い詰めるため、アメリカは中国と準同盟(quasi-alliance)を結び、先端技術を中国企業に移転した。台湾、ソ連、インド、ヴェトナムは、アメリカの反応を引き起こす可能性なしに中国の領土を侵害することはもはや不可能となった。そして、1991年にソ連が崩壊すると、中国の陸上国境に対する主要な脅威はほぼ完全に消滅した。ロシアの支援がなければ、インド、ヴェトナム、そして中央アジアの新興諸国は中国の国境に対抗できる立場になかった。その代わりに、中国との関係正常化に動いた。

第三に、中国の将来に対する見方が明るいものとなった。アメリカや他の民主政体諸国との接近を経て、中国は世界経済への容易なアクセスと国連安全保障理事会の常任理事国の地位を獲得した。1970年代後半から2000年代初頭にかけて、その経済は驚異的なペースで成長した。各国は急成長する市場にアクセスするため、中国政府に好意を示した。イギリスは香港を返還した。ポルトガルはマカオを放棄した。アメリカは中国の世界貿易機関(WTO)への加盟を急いだ。中国経済が大混乱に陥り、世界の最も強力な国々が中国の台頭を歓迎している中、中国政府には日に日に良くなっているように見える現状をひっくり返す動機がほとんどなかった。

最後に、中国には征服の機会がほとんどなかった。経済的、外交的影響力が拡大していった一方で、中国軍は未だ係争中の領土、そのほとんどが海上にある領土を占領する能力が明らかに無かった。2000年代以前のみすぼらしい空軍と海軍では、中国の台湾侵攻は「百万人の水泳大会(million-man swim)」のようになり、日本の最先端の部隊との衝突は数時間でけりがついていたかもしれない。最も重要なことは、アメリカが海洋アジアにおける中国の侵略を鎮圧することが期待できることだった。湾岸戦争でアメリカ軍がイラク軍を壊滅させたのを見た中国指導者たちは、鄧小平の格言を受け入れて、「韜光養晦(とうこうようかい、to hide their light and bide their time)」、光を隠し、時を待つ傾向にあった。

今日の中国は隠れて入札することは終わった。その代わりに、第二次世界大戦後、どの国よりも速いペースで軍艦やミサイルを大量生産している。中国の航空機と軍艦は台湾とアメリカの目標への攻撃をシミュレートしている。アジアのシーレーンには中国軍の前哨基地が点在し、中国沿岸警備隊や漁船があふれており、中国政府が主張する海域から近隣諸国を図々しくも追い出している。一方、中国はロシアによるウクライナへの残虐行為を支援し、中印国境に軍隊を集結させている。

中国が戦闘的になった理由の1つは、それができるからだ。中国のインフレ調整後の軍事予算は、1990年から2020年の間に10倍に拡大した。現在、中国政府はアジアの他の全ての国を合わせた支出を上回っている。世界最大の弾道ミサイル戦力と海軍を擁する。2020年代の終わりまでに、中国の核兵器保有量はワシントンの核兵器に匹敵する可能性がある。台湾から500マイル以内にある唯一の基地である、沖縄のアメリカ軍基地を粉砕できる通常ミサイルでは、国防総省が中国の台湾攻撃に即座に対応できるか、ましてや打ち破ることができるかは、もはや明らかではない。歴史的に、アメリカは長引く戦争で敵国を上回る生産力を誇る製造力に頼ってきた。しかし、中国が世界の工場となった今、中国政府は、正しいかどうかにかかわらず、戦争が長引けば長引くほど軍事バランスは、更に中国側に有利に変化すると信じているかもしれない。

領土紛争(territorial disputes)が激化する中、中国も戦争への動機を強めている。第一に、台湾を統一する平和的手段は急速に失われつつある。1995年には、台湾人よりも自分たちはもっぱら中国人であると考える台湾国民の方が多く、独立よりも中国との統一に向かうことを好む人が多かった。現在、人口のほぼ3分の2が自分たちをもっぱら台湾人であると考えているのに対し、もっぱら中国人であると自認する人はわずか4%だ。台湾人の多くは、今のところ現状維持を支持しているが、人口の49%は、無期限の現状維持(27%)や統一(12%)よりも、最終的には独立することを望んでいる。一方、アメリカは台湾との関係を強化しており、ジョー・バイデン米大統領は、アメリカが中国の攻撃から台湾を守ると少なくとも4回宣言している。アメリカと台北が中国との潜在的な紛争に備えて軍事体制を見直している中、中国政府は最も切望する領土の運命について警戒を強めている。

南シナ海における中国の軍事的プレゼンスは大幅に拡大しているが、その外交的地位は損なわれつつある。2016年、ハーグの常設仲裁裁判所は、南シナ海に対する中国の広範な主張は無効であるとの判決を下した。訴訟を起こしたフィリピンは、2022年以来、自国の海洋権(maritime rights)を再主張し、アメリカが自国の領土を防衛するために、追加の軍事基地にアクセスすることを認めている。日本は、マニラと準同盟(quasi-alliance)を結んでいるほか、イギリス、フランス、ドイツを含む多くの国が中国政府の主張に反して、南シナ海に軍艦を派遣している。これに対抗して、中国は物理的に攻撃的になった。例えば昨年、中国沿岸警備隊の船はフィリピンの補給船を放水銃で爆破し、第二トーマス礁に駐留する軍関係者に食料を届けることを妨害した。

中国の軍事力が増大するにつれて、そのより大きな地政学的見通しは暗くなっている。中国経済は最近、アメリカに比べて停滞し、縮小している。生産性は低下し、負債は爆発的に増加している。中国政府がこの問題に関する統計の発表を一時停止した2023年半ばの時点で、若者の20%以上が失業しており、この数字はほぼ間違いなく問題の深刻さを過小評価している。裕福で教育を受けた大勢の中国人が金と子供たちを国外に送り出そうとしている。中国が世界史上最悪の高齢化危機に見舞われるにつれ、こうした問題は更に悪化するだろう。今後10年間で、中国は7000万人の労働年齢成人を失う一方で、1億3000万人の高齢者が増えることになる。

最後に、中国はますます敵対的な戦略環境に直面している。世界で最も裕福な国々は、経済と軍事の革新の生命線であるハイエンド半導体へのアクセスを遮断し、中国政府に対して、毎年新たな貿易と投資の制限を課している。 AUKUS、日米豪印戦略対話(Quadrilateral Security DialogueQUAD)、日米韓三カ国協定などの反中協定が急増している。中国の唯一の大国の同盟国であるロシアは、ウクライナで軍隊による破壊を引き起こし、多くのヨーロッパ諸国の世論を反中国にさせている。

もし中国がテクノクラートたちの委員会によって統治されていれば、外交的妥協と経済改革で、こうした圧力に対抗するかもしれない。しかし、中国は独裁者によって統治されており、その壮大な目的を達成するためには、中国国民の幸福を犠牲にする用意があることを既に示している。

2012年に権力の座に就いて以来、習近平は自らを終身主席(chairman for life)に任命し、自らの統治哲学を憲法に盛り込み、数千人の潜在的なライヴァルを粛清してきた。習近平は、中国の広大な領土主張に関して妥協のない立場をとっている。習は2018年、「祖先が残した領土を1インチたりとも失うことはできない」とジェームズ・マティス米国防長官に警告した。習は中国を超大国にすることの正当性を主張してきた。国営メディアは現在、毛沢東の下で中国は立ち上がったと宣言している。鄧小平の下で中国は豊かになった。そして習金平の下で中国は強大になるだろう。近年、習近平は内部演説で中国軍に戦争の準備をするよう指示し、中国国民に「極端なシナリオ(extreme scenarios)」に備えるよう指示した。

おそらく、このレトリックはただの暴言なのかもしれない。しかし、残忍なゼロコロナ封鎖、新疆の強制収容所、香港の自由の粉砕など、習近平の行動の多くは、本質的な冷酷さを示すものだ。中国が経験している他の変化と組み合わせると、これらの形態の内部侵略は、今後待ち構えているかもしれない、外部侵略について私たちを非常に緊張させるはずだ。

もちろん、国家が何も考えずに戦争か平和を選択するということはない。彼らはまた、世界のより大きな国家からヒントを得る。1930年代、連鎖的に起こる国際的な混乱は、既存の秩序を守る人々の士気をくじき、それを攻撃しようとする人々を勇気づけた。それでは、ヨーロッパにおける第二次世界大戦以来最大の戦争と、中東での拡大する紛争によって、中断された現在の混乱は、中国の選択をどのように形作る可能性があるのだろうか?

一つの見方は、ロシアのウクライナ戦争が、どれほど手厳しく裏目に出るかを示し、他の侵略戦争の可能性を低くするというものだ。バイデン政権高官たちや学識経験者の一部が支持するこの話では、中国はプーティン大統領の不正な土地強奪から厳粛な教訓を学んでいるということになる。中国政府は、献身的な防衛者に対する征服がいかに難しいか、独裁的な軍隊が戦闘でいかに劣悪なパフォーマンスを発揮するか、米諜報機関が略奪計画の探知にどれほど熟達しているか、そして民主世界が自由に基づいた秩序の規範に反抗する国をいかに厳しく罰することができるかを学んでいる。中国軍はロシア軍を弱体化させた腐敗の有無を厳しく調べており、その腐敗が思ったよりもずっと深刻であることが判明した。アメリカ政府当局者たちは、中国が最近の出来事を同様の観点から解釈していることを期待しているに違いない。

しかし、私たちはこの解釈を注意深く精査する必要がある。まず、中国がウクライナ戦争についてどう考えているかを知るのは非常に難しい。結局のところ、重要な教訓は、中国人民解放軍の上級大佐や北京のシンクタンク研究員によって発表されたものではない。重要な教訓は、世界に対する認識が個人崇拝政権のあらゆる通常の病理によって彩られている可能性がある、甘やかされた独裁者によって描かれている。習近平の公の発言からすると、今回の紛争が習近平の野心を和らげたり、中国の国家政治を根本的に穏健にしたりする証拠はほとんどない。習近平は、2023年3月にモスクワを訪問した際、プーティン大統領に対し、「現在、私たちがこの100年にしたことのないような変化が起きており、私たちはその変化を共に推進している」と語った。

加えて、習近平は、ウクライナと台湾を比較できるものとは考えていない可能性がある。プーティンが派遣したロシア軍がウクライナで苦戦したのは、ウクライナ戦争が、彼らが準備され、教化されてきた(indoctrinated)戦争ではなかったからでもある。中国は何十年にもわたって台湾をめぐる戦争の準備をしており、統一(unification)が「中華民族の偉大な復興(great rejuvenation of the Chinese nation)」の中心であると兵士たちに厳しく教えていることを考えると、台湾への侵攻は問題ではないだろう。さらに、社会全体で抵抗する能力において、台湾はウクライナより劣ると習近平が考えているとしても、それは彼だけのことではない。アメリカ政府の高官や専門家たちも同様の懸念を表明している。

あるいは、もしかしたら習近平は、アメリカは核武装した大国とはいかなる戦争もしないと結論づけているのかもしれない。なぜなら、アメリカがモスクワと正面から対峙しない理由をバイデンが説明する際に、同じことを言ったからである。おそらくバイデンは、西側諸国の制裁は実際にはそれほど懲罰的ではないと考えているのだろう。戦争が始まって2年が経ち、ロシアはウクライナ領土の20%を支配し、石油やその他の輸出品は新たな市場を開拓し、工場は兵器を大量生産しており、経済は崩壊の危機に瀕していない。そして、おそらくバイデンは、ロシアがウクライナの反撃を切り抜ける一方で、アメリカの政治家たちがキエフに更なる資金と武器を送るかどうかで争っている最近の戦争の軌跡を、独裁国家は民主的な敵よりも強さと回復力を発揮できるという証拠だと考えているのだろう。

明確にしておきたい。習近平が実際に何を考えているのかは分からない。しかし、中国の戦争への動機を強める可能性のある、あまり安心できない別の教訓ではなく、まさにアメリカ人が彼に学ばせたい教訓を彼が学んでいると考えるのは危険である。

中国は最終的に、2025年、2027年、2029年、あるいはこれからも、台湾、あるいはインド、日本、フィリピン、あるいは他の国を攻撃するかもしれない。北京がいつ武力を行使するか、あるいは行使するかどうかを確実に予測することはできない。しかし、戦争になりやすい国なのか、なりにくい国なのか、中国の内的特徴や外的条件によって、暴発するリスクが高いのか、低いのかを評価することはできる。今日、歴史家や政治学者たちが戦争の原因について知っていることの多くは、中国が暴力を振るう素地があることを示唆している。

残念なことに、ワシントンは北京をこの危険な道へと突き進ませているいくつかの要因に影響を与えることはできない。アメリカは中国の人口危機を解決することも、構造的な経済問題を解決することも、習近平のワンマン支配を止めることもできない。例えば、北京の高度技術へのアクセスを緩和したり、インド太平洋でより強力な連合を構築する努力を放棄したりすることで、中国の将来に対する否定的な期待を変えることはできるかもしれないが、そうすることはワシントンの立場を致命的に弱めるかもしれない。アメリカは、競争に勝ち抜くと同時に、深刻な衝突を避けなければならない。その中で、アジアでの戦争がどのような結果をもたらすかについての、中国の楽観論を抑え、北京が屈辱的な敗北を避けるために戦わなければならないと結論付けるのを防ぐことを目指すべきである。

戦争の結果についての中国の楽観論を否定するための要件は、たとえ簡単に満たされるものではないとしても、非常に単純である。その中には、対艦ミサイル、機雷、移動式防空システム、その他の安価だが致死的な能力を持つ武器が満載の台湾も含まれる。無人機、潜水艦、ステルス航空機、そして膨大な量の長距離攻撃能力を使用して、西太平洋に決定的な火力をもたらすことができるアメリカ軍もそうした要因の1つとなる。そして、アメリカ軍に地域内のより多くの基地へのアクセスを許可し、更に多くの国を中国政府との戦いに参加させる恐れのある同盟諸国やパートナーとの協定。中国経済を制裁で打撃し、海洋貿易を阻止できる世界規模の国々の連合。そして経済的、財政的優位性が最終的に決定的であることが判明するまで、民主政体諸国が戦いを継続できる、活性化された産業基盤といったものもある。ワシントンとその友人たちは、既にこれらのあらゆる取り組みを推進している。しかし、彼らは、急速に成熟する中国の軍事的脅威を上回るために必要なスピード、リソース、緊急性を持ってはいない。

2つ目の課題には、抑止力(deterrence)と安心感(reassurance)を組み合わせることが含まれる。これは、習近平の目から見ると、不作為が中国を解体(dismemberment)と屈辱(humiliation)に導く可能性がある程度を制限することだ。中国政府高官たちは、アメリカの政策と台湾の政治が台湾を独立やその他の形での永続的な分離(permanent separation)への道に導いていることを心から懸念しているが、その傾向の主な原因が自国の行動にあることを認識していない。したがって、アメリカは台湾に関して慎重に対処しなければならない。

アメリカ政府は、2022年8月のナンシー・ペロシ連邦下院議長(当時)の台湾訪問のような、台湾の防衛強化には何の役にも立たず、中国の不安と怒りを大いに煽る派手な見せ物は避けるべきだ。アメリカは、とりわけマイク・ポンペオ前米国務長官が提案した「一つの中国」政策(“One China” policy)を捨てて台湾を正式に承認する(formally recognizing Taiwan)という考えを拒否すべきだ。台湾の指導者たちによる独立推進の宣言や行動については反対すべきだ。言い換えるならば、アメリカは台湾を防衛するための信頼できる能力を行使すると同時に、米中どちらの側も一方的に現状を変更すること(unilaterally changing the status quo)を阻止することを目指すという信頼できる誓約を提示しなければならない。

このアプローチには多くの矛盾があるので、その実施は非常に困難だ。アメリカとの同盟関係の強化は、中国の軍事的楽観主義(military optimism)を低下させる可能性があるが、同時に戦争の予感(sense of foreboding)を強める可能性がある。抑止力を強化するために必要な緊急性は、特に中国政策が米大統領選挙戦に巻き込まれる中で、両岸外交(cross-strait diplomacy)に必要な慎重さと一致させるのは難しいかもしれない。強力だが問題を抱えた中国は悪い方向へ進んでいる。戦争への突入を防ぐには、アメリカとその友好諸国が結集できるあらゆる力と節度(strength and sobriety)が必要となる。

※マイケル・バックリー:タフツ大学政治学准教授、アメリカン・エンタープライズ研究所非常勤上級研究員。

※ハル・ブランズ:ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院(SAIS)ヘンリー・A・キッシンジャー記念世界問題担当優等教授、アメリカン・エンタープライズ研究所上級研究員。ツイッターアカウント:@HalBrands

(貼り付け終わり)

(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)が刊行されました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 外交政策について語る際に、よく引き合いに出されるのが、「ミュンヘンの教訓(lessons of Munich)」だ。これは、1938年に、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統、イタリアのベニート・ムッソリーニ総統が会談を持ち、ドイツの東方への拡大要求を受けて、チェコスロヴァキアのズデーデン地方をドイツに割譲するという合意を行った。チェコスロヴァキアの意向は全く無視された。チェンバレンは戦争を避けた英雄としてイギリスで歓迎されたが、結果としては、ドイツはポーランドに侵攻することで、平和は破綻し、英仏はドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦となった。「独裁者の言うことを真に受けて、譲歩することで宥めようとしても失敗する」という「宥和(appeasement)」の失敗、として、ミュンヘン会談は「ミュンヘンの教訓」と呼ばれている。

 「宥和」という言葉は外交政策分野では評判が悪い。それは、「独裁者に譲歩しても、つけあがらせるだけで、何の得もない」のだから、「独裁者とは交渉しない、叩き潰すのみだ」ということになるからだ。しかし、下の記事にあるように、「宥和」は有効な外交手段になり得る。「ミュンヘンの教訓」で、後任首相のウィンストン・チャーチルに比べて評判の悪いチェンバレンの意図や計画を考えると、ミュンヘン会談での譲歩は間違っていなかったという評価になる(結果は良くなかったかもしれないが)。

 そして、「宥和の過小評価」は、アメリカ式の「独裁者とは交渉取引などしない、叩き潰すのみ」という介入主義的外交政策を正当化する際に使われる。しかし、アメリカは、自分たちに大きな被害が出そうだと考える相手とは事を構えない。自分たちの被害がほとんど出ないだろうと考える相手には威丈高に対応する。しかし、それが失敗に終わることがある。アフガニスタンやイラクに関しては失敗だった。そして、ウクライナ戦争に関しても、計算間違い、認識間違い、誤解を山ほどしてしまい、現状のようになっている。

 「独裁者が攻撃的だ(他国を侵略する)」ということも、詳しく調べてみれば、ほとんど当てはまらない。ヒトラー(ヨーロッパや北アフリカ)やムッソリーニ(エチオピア)といった少数の例を過度に単純化して、一般化してしまうのは危険なことだ。そして、「だから、宥和してはいけない、交渉取引をしてはいけない」となるのは、外交政策を制限してしまい、結局、武力による排除しかなくなる。それでは、アメリカがロシアや北朝鮮を攻撃するだろうか。彼らにはそこまでのチキンゲームをやる度胸があるだろうか。核兵器を積んだミサイルがアメリカ領内に飛んでくる危険性が少しでもある場合、アメリカは攻撃できない。

 交渉取引をして、独裁者とも共存すると書けば、非常に悪いことのように思われるが、それが外交であり、国際関係であり、リアリズムということになる。そして、リアリズムを貫くためには、単純な一般化ではなく、歴史をはじめとする知識を積み重ねての判断が必要となる。

(貼り付けはじめ)

宥和は過小評価されているAppeasement Is Underrated

-ネヴィル・チェンバレンのナチスとの取引を引き合いに出して外交を否定するのは、故意に歴史を無視している。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2024年4月29日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/04/29/appeasement-is-underrated/

私は検閲には反対だが、政治家や評論家たちがネヴィル・チェンバレンやいわゆる「ミュンヘンの教訓(lessons of Munich)」を引き合いに出して、自分たちの提言を擁護するのを止めれば、ここアメリカでの外交政策論争は劇的に改善するだろう。この歴史的エピソードが、今日アメリカが何かをすべき理由を説明していると言われるたびに、私はいらない商品を売りつけられたのではないかと疑いたくなる。

私が何について話しているか、読者の皆さんはお分かりだろうと思う。今から約86年前、当時のイギリス首相ネヴィル・チェンバレンがミュンヘンでナチス・ドイツの代表と会談したのは、ドイツにスデーテンラント(当時のチェコスロヴァキアの一部で、ドイツ系民族の割合が多い)を獲得させれば、アドルフ・ヒトラーの修正主義的野心が満たされ、「我々の時代の平和(peace for our time)」が保証されると考えたからだと思われる。

しかし実際にはそうならなかった。ヒトラーはチェコスロヴァキアの残りを占領し、1939年9月にはポーランドに侵攻した。その結果、第二次世界大戦が勃発し、数百万人が悲惨な死を遂げた。それ以来、政治家や評論家たちは、ミュンヘンでヒトラーを阻止できなかったことを、おそらく世界史上最も教訓的なエピソード、二度と繰り返してはならない国家運営の誤りとして扱ってきた。

これらの人々にとって、いわゆる教訓とは、独裁者は不変の攻撃性を持っており、決して彼らを宥めようとしてはならないということである。それどころか、彼らの目的には断固として抵抗しなければならず、現状を変えようとするいかなる試みも断固として阻止し、必要であれば完膚なきまでに打ち負かさなければならない。ハリー・トルーマン元米大統領は、朝鮮戦争へのアメリカの参戦を正当化するためにミュンヘンを持ち出し、アンソニー・イーデン英首相(当時)は1956年のスエズ危機の際にエジプト攻撃を決断した。ミュンヘンの教訓は今日でも大いに流行している。今年2月、大西洋評議会のフレデリック・ケンペ会長は、ウクライナに関する議論に「宥和の悪臭(stench of appeasement)」が漂っていると書いた。そしてつい先週、米連邦下院外交委員会のマイケル・マコール委員長は、ウクライナに対する最新の支援策の採決を控えた同僚たちに次のように促した。「皆さん、自分に次のように問いかけて欲しい。私はチェンバレンか、それともウィンストン・チャーチルか?」

はっきりさせておきたい。もし私が米連邦議員だったら(これは確かに恐ろしい考えであるが)、私は、窮地に陥っているウクライナ人にさらなる援助を提供することを支持するだろう。しかし、それは、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領が、ナチス・ドイツと同じようにヨーロッパ全土で戦争を仕掛けることに熱中している、もう一人のヒトラーであると私が考えているからではない。1938年にミュンヘンで起こったことは、今日私たちが直面している問題とはほとんど無関係であり、それを持ち出すことは、情報を与えるというよりも誤解を招く可能性が高い。これはバンパーステッカーに書いてある「シリアス・アナリシス(Serious Analysis)」のようなことだ。

第一に、ミュンヘンの教訓を引き合いに出す人は、1938年に実際に何が起こったのかをほとんど理解していない。その後の神話とは対照的に、チェンバレンはヒトラーについて世間知らずではなかったし、ナチス・ドイツがもたらす危険性にも気づいていない訳ではなかった。とりわけ、チェンバレンは1930年代後半のイギリスの再軍備の取り組みを支持した。しかし、彼はイギリスが戦争の準備ができているとは考えておらず、ミュンヘンでの合意は英国の再軍備を進めるための時間稼ぎの方法であると考えていた。ミュンヘンで合意された内容が、ヒトラーを満足させ、ヨーロッパの平和を確保することを望んでいたが、それがうまくいかなかった場合、最終的に戦争が起こったときにイギリス(とフランス)はより有利な立場で戦うことになるだろう、とチェンバレンは考えていた。

チェンバレンの考えは正しかった。1940年の春までに、イギリスとフランスはドイツよりも多くの兵力を準備しており、低地地方の戦いでの彼らの急速かつ予想外の敗北は、戦車、兵員、戦闘機の不足のせいではなく、戦略と諜報の失敗によるものだった。

更に言えば、1938年により強硬な姿勢を取ったとしても、ヒトラーの戦争開始を阻止できなかったであろう。ヒトラー自身も、ミュンヘンでの成果に深く失望していたことが分かっている。ヒトラーは、開戦理由(casus belli)を手に入れることを望んでいたが、チェコスロヴァキアを軍事的に粉砕するという、彼が熱望していた機会は、チェンバレンの外交によって否定された。ヒトラーが攻撃を命令していれば、侵略に反対したドイツ軍将校たちは、彼を追放できたかもしれないが、たとえ試みられたとしてもそのような陰謀が成功するという保証はない。不愉快な真実は、ヒトラーは遅かれ早かれ戦端を開こうと考えていて、1938年の結果が異なっていても、第二次世界大戦は防げなかったであろうということだ。

第二に、ミュンヘンの教訓への永続的な執着は、1つの個別の出来事に重きを置きすぎており、大国間で生じた妥協や合意を本質的に無関係なものとして扱っている。歴史を利用するこれほど愚かな方法を想像するのは困難だ。このことはつまり、あるエピソードを普遍的に有効なものとして扱い、別の物語を伝える出来事を注意深く無視することである。中華料理店でたまたまおいしくない食事を食べたとしても、全ての中華料理店はまずいと結論付け、二度と中華料理店などでは食事をしないと決意するのは愚かなことだと分かるだろう。しかし、指導者や評論家たちは、あたかもミュンヘンの教訓だけが歴史から得られるものであるかのように、ミュンヘンでの出来事をこのように利用している。

より具体的に言えば、ミュンヘンの教訓について、繰り返し激しく議論することは、大国がライヴァル国と相互に利益をもたらす協定を結ぶことで、戦争をせずに自らの安全を確保した、全ての機会を都合よく切り捨てることになる。私たちは、適応の成功例を見逃しがちだ。なぜなら、結果が目立ったものでなくても、人生は続いていき、私たちの注意を引く大きな戦争が起こらないからだ。しかし、この種の「非出来事(nonevents)」は、国家が意見の相違を解決できずに戦争に突入したというより、劇的な状況と同じくらい有益である可能性がある。

宥和の成功例を探している? 中立宣言(declaration of neutrality)と引き換えにソ連軍を同国から撤去させた、1955年のオーストリア国家条約はどうだろうか? あるいは、軍備競争を安定させ、核戦争の可能性を低くするのに役立った、アメリカとソ連の間で交渉された、各種の軍備管理条約(arms control treaties)について考えてみよう。ジョン・F・ケネディ米大統領は、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフがキューバに設置しようとしていた核搭載ミサイルについて、フルシチョフがそれらを撤去する代わりに、トルコに配備していたジュピター・ミサイルを撤去することに同意することで、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフを宥めた。リチャード・ニクソン米大統領とヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官(当時)は、中国の最高指導者の毛沢東が、冷酷な独裁者であり、数百万の人々の氏に責任があったにもかかわらず、毛沢東率いる中国との「一つの中国」政策(“One China” policy)に合意した際に、同様のことを行った。これは冷戦におけるアメリカの立場を改善する動きだった。何百万もの人々の死の原因となった。

そして、歴史家のポール・ケネディがかなり前に主張したように、大英帝国がこれほど長く存できた理由の1つは、潜在的な挑戦者に対して限定的な譲歩をする、つまり、彼らを宥めようとする指導者たちの意欲があったことで、それによって、直面する敵の数が減ったからだ。帝国の領土を複数の敵から同時に防衛しようとする負担を軽減した。1938年に焦点を当てるのを止めて、より広範囲に目を向けると、時代を超越していると思われるミュンヘンの教訓は、はるかに説得力がなくなるように思われる。

第三に、ミュンヘンの教訓が独裁者への対処法を教えてくれているという主張には、注目すべき矛盾が含まれている。第二次世界大戦の犠牲とホロコーストの恐怖を考えると、当然のことながら、私たちはヒトラーを歴史上最も邪悪な人物の1人と見なすようになった。良いニューズは、ヒトラーほど堕落して、無謀な指導者は珍しいということだ。もしそうだとすれば、そして、ヒトラーの誇大妄想(megalomania)、人種差別(racism)、リスクを冒す自殺願望(suicidal willingness)の組み合わせが、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の主な原因であるとすれば、ミュンヘン会談は広範囲に影響を与える非常に代表的な出来事としてではなく、次のように見られるべきである。この非常に珍しい出来事は、大国間のほとんどの相互作用についてはほとんど何も語っていない。私たちは独裁者全てをヒトラーであるかのように扱うのではなく、彼のような指導者が稀であることに感謝し、今日私たちが直面している指導者に賢明に対処することに焦点を当てるべきだ。

全ての独裁者が同様に野心的で、攻撃的で、リスクを受け入れ、危険であると考える理由はほとんどない。確かに、フランスのナポレオン・ボナパルト、イタリアのベニート・ムッソリーニ、そして大日本帝国の軍事指導者たちなど、世界舞台(world stage)で大問題を起こした独裁者も数人いるが、他の著名な独裁者は、民主政治体制の指導者たちほど、武力行使をする傾向はなかった。

ミュンヘンの想定される教訓は、何が国家をそのように行動させるのかについての単純化した見方にも基づいている。この政策を発動する人々は、独裁者たちは常に他国と戦争を始める機会を狙っており、独裁者たちを阻む唯一のものは他国(特にアメリカ)が独裁者たちに立ち向かう意欲だけであると想定している。しかし、ほとんどの指導者にとって、軍事力で現状維持(status quo)に挑戦するという決定は、脅威、能力、機会、流れ、国内の支持、軍事的選択肢などのより複雑な評価から生じており、指導者たちの計算では、他国がそれに反対する可能性はその計算の一項目にすぎない。

ミュンヘンの明白な教訓は、独裁者を決して宥めるべきではないということだが、バイデン政権は、2021年後半にプーティンを宥める努力をせず、代わりに様々な抑止力の脅しを行い、プーティンは本格的なウクライナ侵攻を強行した。同様に、アメリカは、1941年に日本を宥めなかった。日本への圧力を徐々に強め続け、日本からの要求を再検討することを拒否した。ミュンヘンの教訓は忠実に守られましたが、その結果は真珠湾攻撃となった。

ミュンヘンの教訓への執着はコストがかからない訳ではない。アメリカが嫌う全ての独裁者をヒトラーの生まれ変わりであるかのように扱うことは、アメリカの利益を促進し、戦争のリスクを軽減する可能性のある、堅実な妥協を追求することをより困難にする。例えば、イラン・イスラム共和国をナチス・ドイツのシーア派版とみなすことは、イランの核開発計画を後退させた協定を弱体化させ、最終的には破壊することに貢献し、イランは今日、核兵器保有に大きく近づいている。そのアプローチはアメリカや中東地域の同盟諸国の安全を高めたのだろうか?

同様に、プーティンをヒトラーの生まれ変わりだと考え、イギリスのチャーチル首相(チェンバレンの後任)のように行動すべきだと主張することは、ウクライナの更なる破壊を避け、アメリカが他の優先事項に集中できるような外交的解決策を得ることを難しくする。ミュンヘン会談のアナロジー(類推、analogy)は、外交的なギブ・アンド・テイクのいかなる形も侵略への誘いのように思わせることで、アメリカ政府の高官たちが持つ選択肢を、要求を出すか、脅しをかけるか、武器を送るか、自ら戦闘に参加するかに限定している。しかし、このように手段の選択肢を限定する理由は何だろうか?

宥和は常に良い考えであるだろうか? もちろんそうではない。指導者たちは、力の均衡(バランス・オブ・パウア)が相手に有利に大きく変わるような譲歩をすることには特に注意すべきである。相手に有利になるような譲歩をすれば、相手は将来的に譲歩を要求しやすい立場に立つことになるからである。この種のいわゆる宥和は、他に選択肢がない限り避けるべきだ。実際、1950年に次のように指摘したのはチャーチルだった。チャーチルは次のように述べた。「宥和それ自体は、状況によって、良い考えとも、悪い考えともなり得る。弱さと恐怖からの宥和(appeasement from weakness and fear)は、同様に無駄であり致命的だ。力からの宥和(appeasement from strength)は寛大かつ高貴であり、世界平和への最も確実かつ唯一の道かもしれない。」

アメリカの多大な強みと有利な立地を考慮すると、アメリカの外交政策当局者たちは一般に「寛大で高貴な(magnanimous and noble)」道を模索し、慎重に検討された交渉と相互調整のプロセスを通じて、価値観や興味が自分のものと相反する敵対者との相違を解決しようとするべきである。

外交政策コミュニティが「ミュンヘンの教訓」に対する特有の執着を捨てれば、このアプローチはずっと容易になるだろう。早ければ早いほど良いと私は言っておきたい。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

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 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生の書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。


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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 今回は、トランプ政権で高官を務めた人物による「保守派の諸原則とは」という内容の論稿をご紹介する。

アメリカの保守派は、保守的な外交政策を支える諸原則として、自由の優位性(primacy of liberty)、国家主権(national sovereignty)、軍事力(military power)、そして国際情勢の本質的な競争性に対する現実的な認識(realistic appreciation for the inherently competitive nature of the international landscape)を重視している。これらの原則は、政策選択に影響を与え、アメリカの外交政策に修正を促すことができる。保守派は、自由、主権、競争、力の4つの原則を基盤とするリアリズム戦略を採用しており、これによってアメリカの力を維持し、国家の利益を守ることを目指している。共和党内には、大まかに言えば、介入主義的なネオコン派とリアリズム派がいる。ドナルド・トランプ大統領のアイソレイショニズム(Isolationism、アメリカ国内問題解決優先主義)はリアリズムの系統になるだろう。「外国で起きている問題は、外国が解決すべきで、アメリカにはアメリカ国内の問題がたくさん存在するのでそれらを解決することだ」という考えになる。外国にわざわざ出かけて、戦争を仕掛けて、既存の政権を倒して、新しい政権を樹立するなどということをしなくてよいという考えだ。「体制転換(regime change)を外交政策の柱にしたことで、アメリカは酷い目に遭った(アフガニスタンとイラクで)」ということになる。

保守派は、アメリカの外交政策において、地域のアクターたちと協力し、安定圏の拡大や国際秩序の維持に努めるべきだと考えている。同盟諸国やパートナー諸国との協力、地域のバランスの維持、そして地域の主体の積極的な参加が重要であると強調している。アメリカの保守派は、アメリカの利益と価値観を守るために、地域に特化した政策を展開し、同盟諸国との協力関係を重視している。

 こうしたリアリズム的な原則であれば、同盟諸国とアメリカとの関係もうまくいく。しかし、実際には、介入主義的な、ネオコン派や人道的介入主義派が実権を握っている状況が続き、アメリカの外交政策はうまく行っていないのが現状だ。現在のバイデン政権も結局は、「ヒラリークリントン政権」と言わざるを得ず、外交政策はうまく行っていない。それが、アメリカの衰退を促進させている。
(貼り付けはじめ)
21世紀のための保守的なアメリカの国家統治術(Conservative U.S. Statecraft for the 21st Century

-共和党内には多種多様な人たちがいてそれぞれに政策面で不同意のところもあるだろうが、共和党の持つ原理原則は、分断されつつある世界を、アメリカが主導していくのに役立つだろう。

ナディア・シャドロウ
2022年11月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/11/07/us-republicans-conservative-foreign-policy-principles/

アメリカの保守派は喜ぶべきだ。彼らは、現在の政策課題に適用すれば、アメリカが困難で複雑な国際状況を乗り切ることを可能にする、一連の信念と前提を保持している。保守的な外交政策を支える諸原則、自由の優位性(primacy of liberty)、国家主権(national sovereignty)、軍事力(military power)、そして国際情勢の本質的な競争性に対する現実的な認識(realistic appreciation for the inherently competitive nature of the international landscapeは、各種の政策選択に影響を及ぼす。

分裂し、競合する政治システムによって緊張を深める世界に直面した時、アメリカの保守派はアメリカの外交政策に必要な修正を促し、アメリカを将来に向けて強い立場に置くことができる。全ての政策選択が上記の原則から完璧に導き出されるわけではないが、政策立案者たちは困難な選択をするための指針として、これらの原則を用いるべきだ。世界を現実的に見ることは、政策立案者たちが歯の浮くような美辞麗句と厳しい現実のギャップを縮めるのに役立つ。これらの間のギャップこそが重要な問題なのだ。思考が現実から切り離されると、冷笑が生まれ、成果を上げる可能性が低くなり、民主政治体制への信頼が低下する。アメリカの保守派は、246年もの歴史を持つ、アメリカで実施されてきた実験に根本的な信頼を寄せているが、その理想主義は、アメリカは常に不完全であるという現実的な理解によって抑えられている。完璧主義(perfectionism)は夢想家(dreamers)や暴君(tyrants)たちが担当すべき仕事だ。

当然のことだが、保守派全員が一致した考えを持つことはない。歴史家のラッセル・カークが述べたように「お手本・モデルになる保守主義者(model conservative)」は存在しないが、「市民的社会秩序を見る(looking at the civil social order)」という点では、明らかに保守的なやり方がある。これは外交政策の領域にも及んでおり、保守主義の諸原則は、挑戦と機会を評価し、自由へと進む選択をするための枠組みを提供する。

保守的な外交政策には4つの原則がある。

第一に、自由への信念が保守的な外交政策の中核にある。それは、権力が持つ、人々の生活に介入する本性に対して必要な懐疑を提供し、無制限で説明責任を果たさない政府を是正するものだからだ。従って、国内においては、保守派は地域レヴェルから始まる解決策を好む。国際政治においては、国際規模の解決策や超国家的な解決策とは対照的に、国家的・地域的な解決策に偏ることになる。これは補完性の原則(principle of subsidiarity)ということになる。この原則は、小さな組織でできることを大きな組織で行うべきではないというものだ。自由の重要な側面は経済的自由である。アメリカの保守派は、経済的自由を拡大する方向に進まなかった国は繁栄しなかったことを知っている。

第二に、国家主権の尊重は、自由を維持し、安定した国際秩序を維持するための中心的な役割を果たす。第二次世界大戦後、自由主義的な国際秩序の基盤を形成した主要な制度は全て、国家主権が侵害できないものであり、平和と繁栄に不可欠なものであることを認めている。国際連合の設立憲章には、国家の主権平等(sovereign equality)が書かれている。アメリカの保守派は、個々の国家が依然として主体性(agency)と秩序(order)を提供する最良の方法であると信じている。国家主権のない民主政治体制(democracy without national sovereignty)は存在不可能である。

第三に、国際情勢は競争的であり、今後もそうであろうという理解は、保守的なリアリストたちにとって基本的な前提となる。2017年のアメリカの国家安全保障戦略が指摘したように、「歴史における中心的な連続性は力の争いである(central continuity in history is the contest for power)」ということになる。多くの外交政策の専門家たち、特にリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)は、この前提に反発している。歴史家のドナルド・ケーガンは「現代世界の多くの人々にとって、パワーという言葉には不快な響きがある(To many in the modern world, the word power has an unpleasant ring,)」と書いている。しかし現実には、各種の政治的、もしくは経済的なシステムは依然として競争しており、各国が国民生活をどのように秩序づけるかについても見解が分かれている。

第四に、強力なアメリカ軍は、これらの競合するシステムに打ち勝ち、アメリカの利益を守り、力を誇示するために必要である。それは、アメリカが戦争を好んでしたいからではなく、平和を維持するために強力な軍隊が必要だからである。軍事力はまた、他の形の影響力や国家統治(statecraft)に必要な基盤にもなる。

これら4つの原則(自由、主権、競争、力)は、保守的なリアリズム戦略の土台となっている。このような戦略の全体的な目標は、アメリカ国民が自国の経済的・政治的利益を守り、不安定と支配を求める人々を牽制し、平和を維持できるように、アメリカの力を維持することである。

現在、世界は政治的、経済的、軍事的、技術的に分断されつつある(fragmenting)。アメリカの保守派がこうした変化の力に対処するのに有利なのは、彼らの前提や原則が、世界が実際に機能する方法によりよく合致しているからである。保守派は、世界的な政治的収束(global political convergence)が避けられない、もしくは、可能であるなどとは考えていない。いわゆる「一極集中の瞬間(Unipolar Moment)」の陶酔の中で、アメリカの指導者たちは自由主義的民主政治体制の勝利に酔いしれ、そもそもアメリカを成功に導いた原則の多くを放棄した。これらの原則はアメリカの保守的伝統の一部であり、戦略的考え方の基礎である。

もちろん、戦略は自国から始まるものであり、アメリカ国民の安全と幸福が優先されなければならない。しかし、これはアメリカの保守派が、「アメリカ要塞主義的な考え方(Fortress America)」を採用すべきだという意味ではない。ロシアのウクライナ侵攻、エネルギー価格の高騰、広範なサプライチェインの混乱が示すように、アメリカは世界と関わりを持たなければならない。なぜなら、アメリカ国民が地政学的な出来事や世界中で起きているその他の事柄から個人的に影響を受けるという単純な理由があるからだ。

中国のような権威主義国家(authoritarian state)は、アメリカの利益を損わせようとして積極的に活動している。アメリカはもはやかつてのような圧倒的な力を享受していないが、その強みは依然として大きい。この力を賢く使えば、アメリカの利益に有利な形で地政学的展開に影響を与えることができる。

保守的な国家安全保障戦略とは、外交、経済、軍事、技術の4つの面での国家戦略に沿って政策内容を構築するために、今までに概説した諸原則を具体化したものである。

(1)保守的な外交統治術は、世界中の政治的協調(political alignments)を促進するために行われるべきだ。これは軍事力を使って主導することや、アメリカの価値観を押し付けることを意味しない。つまり、その地域のアクターたちと協力することであり、そのアクターたちがこのような協調の基盤を作るのである。アメリカの友人や同盟諸国が多ければ多いほどよい。これは安定圏(sphere of stability)の拡大に貢献し、ライヴァルたちが利用できる資源や選択肢を減少させ、アメリカのパワーを維持するのに役立つ国際秩序を維持することになる。

保守的なアイソレイショニストたち(isolationists)の中には、アメリカの海外関与を、民主政体を促進する永遠の戦争(forever wars)と反射的に同一視する人たちもいる。この考え方は、アメリカの既定の立場は自国の価値観を他国に押し付けることであり、世界中の何百万もの人々が、より良い生活を望んでいるという事実を無視している。

アメリカの戦略的利益を損なわない限り、アメリカが自由と繁栄(freedom and prosperity)を求める人々に支援を提供しない理由はない。自由を求める草の根運動への支援(support for grassroots movements)は、文化侵略(cultural aggression)でも軍国主義(militarism)でもない。同時に、アメリカの戦略的利益のために、アメリカ人が望むほど自由を支持しない政権との一時的な協力が必要となる場合も多くなるだろう。

主権は、特にグローバルな多国間機関による侵害から守る価値がある。アメリカの保守派が健全な懐疑を持って国際機関に臨むのは当然である。多くの国際機関は、移民問題から気候変動問題、新型コロナウイルスに至るまで、重要な地球規模の問題に対処してきた実績は明らかにまちまちである。アメリカは、共通の課題に対処するために、志を同じくする国々と行動を共にすべきだが、選挙で選ばれた政府が適切な権限を持つべきものを、説明責任のない組織(unaccountable organizations)に委ねるべきでない。

アメリカとその同盟諸国やパートナー諸国に有利な地域における力の均衡(balance of power)は、アメリカの利益と価値観に有利な国際的なバランスを維持するための構成要素である。脱グローバリズム(deglobalization)の新時代においては、グローバルで画一的な政策ではなく、地域に特化した政策がアメリカの成功に不可欠である。

インド太平洋、欧州、中東における地域のバランスを維持するためには、同盟諸国やパートナー諸国との協力、そして彼らの積極的な参加が必要である。ロナルド・レーガン大統領以来、どの大統領も一貫して同盟諸国に更なる努力を求めてきた。アメリカの保守派は、同盟諸国やパートナー諸国が自国の防衛に資源を割く必要があることを明確にし、現地の主体も投資する場合にのみ軍事力の展開を提唱すべきである。台湾、日本、ドイツなどの同盟諸国は、自国の防衛への関与を高める必要がある。重要なのは、地域のアクターたちの決意だ。

アメリカの保守派は多国籍組織の恩恵を受けずに、問題をより迅速に解決する連合の構築に集中できる。とりわけ、二酸化炭素排出など多くの問題の解決は地方や地域レヴェルで始めなければならないからだ。

(2)保守的な経済国家戦略・経済安全保障(economic statecraft)は、アメリカの優位性を拡大し、敵対国に力を与えることを避け、志を同じくする国々に繁栄の圏を築くべきである。アメリカが技術革新(innovation)の最前線での地位を維持するには、国内の自由市場システムを維持するだけでなく、アメリカの優位性を高めるための国際経済政策を構築する必要がある。

重要なことは、アメリカ政府が国家安全保障にとって重要な分野における強力で革新的な国内製造基盤を確保する必要がある。アメリカ企業が過去30年間に行ってきたように、効率を最大化するための執拗なオフショアリング(offshoring)は、今日のアメリカが半導体などの主要な製造部門で企業と労働力を欠いていることを意味する。これを是正するには、アメリカの理工系学生の数を拡大し、技能を持つ移民を促進し、研究開発に適切なリソースを提供するという取り組みが必要だ。アメリカ政府はまた、敵対者がアメリカの技術革新の恩恵を受けることを阻止すべきだ。アメリカのテクノロジー企業は、人工知能やその他の機能を開発するために中国の研究センターを支援すべきではない。

アメリカの保守派は、友好国間だけでなく、敵国との間でも、貿易協定における真の互恵性(genuine reciprocity)を主張すべきだ。修正主義勢力は自由世界の経済へのアクセスを厳しく規制されるべきだ。制裁対象の中国企業と中国政府の軍事・諜報機関に関係する企業は西側の株式市場や債券市場から締め出されるべきだ。アメリカの投資家たちは、たとえ第三国の市場を通じてであっても、自国の敵対者に資金を提供すべきではない。また、中国などのライヴァル国への危険な依存を避けるためにサプライチェインを再構築すべきであるということについては、政治的立場を超えたコンセンサスがある。多様化(diversification)により回復力(resilience)が向上する。全世界が台湾に集中しているマイクロチップ工場に依存すべきではない。

アメリカの保守派の中には、効率性を損なうだけでなく利益団体によるレントシーキング(ただ乗り)にもつながる産業政策(industrial policy)への一線越えに警告を発する人たちもいる。こうした議論は今に始まったことではない。1980年代、レーガン政権はアメリカの半導体産業を日本との競争から守るために介入した。レーガンが市場と国家安全保障のバランスを取る必要性を認識したのは正しかった。

理想的なのは、権力を集中させることなく、触媒(catalyzed)となって有利な条件を設定する連邦政府である。バランスを取るのは難しいが、産業政策に対する保守的なアプローチは、以下の原則に導かれるかもしれない。

第一に、国内で競争力のある効率的な市場を可能にする必要がある。アメリカは、インフラ、新しい鉱山、産業施設をより迅速に推進できるように規制を削減する必要がある。複雑なプロジェクトを開始して完了するには、10年以上かかる場合がある。

第二に、政府機関は主要セクター、特に半導体のような複雑なセクターについて、より良いデータと情報を必要としている。最近では、アメリカ政府よりも優れた経済データを持つヘッジファンドが存在する。

第三に、アメリカの保守派は国家レヴェルのアプローチを重視すべきだ。連邦政府は戦略的に重点を置くことができるが、新しい施設が建設され、インセンティヴが与えられるのは州および地方レヴェルだ。第四に、経済効率よりも国家安全保障への配慮が優先されなければならない。アメリカの政策立案者たちは、たとえ関税や国内調達規制、その他の市場介入が必要な場合でも、軍事的および経済的安全保障にとって重要な分野を特定し、国内能力を維持または構築する必要がある。競争の場は平等ではない。

海外では、アメリカは国際市場へのアメリカ人​​の参加の自由を拡大する政策を追求すべきだ。この目的を達成するために、アメリカの保守派はアメリカとその同盟諸国およびパートナー諸国を含む繁栄圏(sphere of prosperity)の成長を促進する必要がある。

冷戦後、アメリカの政策立案者たちは、世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)に代表されるようなグローバルな経済開放を推し進めた。中国やロシアのような修正主義的大国(revisionist powers)の台頭により、このアプローチは、産業化が進んだ民主政体諸国(industrial democracies)を中心とした自由主義諸国間の経済的関与のための排他的な領域を発展させることに道を譲らなければならなくなった。それ以外の国々は、加盟資格を満たす価値観や制度を採用するよう奨励されるだろう。

保守的なアプローチは、より現実的な気候政策を策定する機会も提供するが、その現在のヴァージョンは、繁栄を危険に晒し、国内外のエネルギー危機を引き起こし、ひいては経済をより弱体化させることになる。アメリカは国内の気候変動に関する課題を発展途上国に押し付けるべきではない。保守的なリアリストたちは、ナイジェリアのエミ・オシンバジョ副大統領からヒントを得るべきである。オシンバジョ副大統領は、エネルギー転換は「多次元(multidimensional)」であり、「様々な経済の異なる現実を考慮(into account the different realities of various economies)」する必要があると説明した。アメリカの保守派は、地方や地域のアプローチに基づいて、現実的な時間枠で炭素排出量を削減することができ、経済の繁栄と成長と一致させる、気候変動課題を推進する有利な立場にある。

(3)保守的な軍事国家運営は、強力な軍隊を支持するという長く健全な伝統に基づいている。そのためには、予測可能な国防予算と、地域の力の均衡を維持するために必要な活動や能力が必要となる。これには、紛争を抑止するのに十分な規模と能力を備えた海外前方プレゼンス(forward presence abroad)を維持することも含まれる。これらの広範な目標は、軍事力が第一の手段であることを意味するのではなく、軍事力は平和を維持し、アメリカの影響力と国家統治の他の形態を支えるために必要な基盤であるという理解を示すものだ。

インフレ率が急上昇する中、予測可能な防衛予算は特に重要だ。2023年の約4%の増加はインフレ率を下回っており、実質的には大幅な予算削減となる。これは言い換えれば、準備の低下と装備調達の余地の減少を意味するが、これは政権が2回連続の予算サイクルにわたって無視してきたことである。

アメリカの保守派の一部、およびリベラル派は、国内政策への支出と国防への支出はトレードオフの関係にあると主張する。これは論点のすり替え(strawman)だ。世界におけるアメリカの役割の縮小と、例えば学校、医療、インフラの改善との間には何の相関関係(correlation)もない。国内制度の弱点は、一般的にお金の問題ではない。アメリカの保守派は、こうした問題の原因が、政策選択の誤り、規制の停滞、技術革新を阻害しリスクテイクにペナルティを課す官僚機構にあることを知っている。アメリカは外部からの脅威を抑止し、国民の生活の質を向上させることができる。

保守的な政策立案者たちは、必要なときには批判者となり、毎年国防授権法に忍び込む多くの無関係な項目ではなく、実際の防衛ニーズに焦点を当てるよう国防省に圧力をかけるべきだ。ホワイトハウスの気候変動に関する優先事項は、再生可能エネルギーで活動するためのユートピア的な計画を軍に開発させることを含め、軍の優先事項から遠ざかり、装備品の調達や訓練のようなミッション重視なプログラムにおいてトレードオフを余儀なくされる。軍の役割は、気候変動と戦うことではなく、敵を抑止し打ち負かすことである。

アメリカの保守派はまた、非政治的で、党派的な文化戦争(partisan culture wars)から切り離され、国家とアメリカ合衆国憲法に奉仕したい男女の採用に重点を置いて活動する軍隊を支持しなければならない。

自由企業に重点を置く保守派は、軍に必要な技術革新を提供する任務を負った防衛企業と国防総省の絶え間なく硬化した関係に関しても結果を要求しなければならない。

地域の均衡を維持しようとするアメリカの戦略の中心的な要素は、アメリカ軍の前方展開である(forward deployment of the U.S. military)。有能な前方展開部隊は、必要であれば迅速に行動し、信頼できる抑止力(credible deterrence)を維持する能力をアメリカに提供する。いったんアメリカ軍が撤退した戦域に再び進駐することは、はるかに困難であり、場合によっては不可能である。重要な戦闘力を移動させるための兵站には数カ月を要し、世界中のアメリカ軍が直面している反アクセス・領域拒否(anti-access/area denial)の課題は、いったん危機が進行すると戦域に再突入することがますます難しくなることを意味する。

保守派の間で最も激しい議論のいくつかは、アメリカの海外プレゼンスに関するものである。ある陣営は、アイソレイショニスト、あるいはより流行の言葉では自制派(restrainers)と呼ばれ、縮小を求める。このグループの代表は、アメリカ軍の前方プレゼンスは、「地の果てまで(to the ends of the earth)」進歩的な価値観を押し付けようとする、アメリカの「企み(contriving)」を象徴していると主張してきた。彼らの論理的根拠は、アメリカは世界で拡張しすぎており、アメリカの海外プレゼンスは、「文化的傲慢(cultural arrogance)」の一形態であるというものだ。

このような国際関係の見方には深い欠陥がある。世界各地で起きている出来事は、単にアメリカに対する反応ではない。グローバルに拡大し、アメリカに取って代わろうとする中国の決意は、ワシントンに対する反応ではなく、北京自身の戦略的目標の追求である。イランの地域的な願望は、そのアヤトラが目指す救世主的な目的から直接生じている。ロシアは、ウクライナのような主権国家の存在を否定する新帝国主義プロジェクトを進めている。これは架空のアメリカの過剰な拡張に対する反応ではなく、ロシアとその帝国エリートに対する特殊な自己概念に起因する。

更に言えば、前方展開への反対は、そのような展開の基本的な軍事的目的、すなわち紛争を抑止することを軽視している。抑止は戦争を防ぐための主要な手段であり、「ジャスト・イン・タイム(just in time)」の軍事力では抑止は不可能である。

(4)保守的なテクノロジー国家戦略は、テクノロジーが21世紀の戦略的競争の鍵を握っているという認識に基づいている。テクノロジーは将来の社会、経済、軍事を形成する。米国は、人工知能、量子コンピューター、半導体、バイオテクノロジー、自律システム、新エネルギー技術(核融合など)、宇宙という重要な領域など、中国との競争に不可欠な分野で競争上の優位性を保持しなければならない。

アメリカの保守派は規制緩和を推進し、許認可を合理化し、科学技術教育を改善し、技能を持つ移民を促進し、研究への投資を増やす必要がある。これにより、自由市場と無制限の起業家精神という、アメリカの最大の競争上の優位性が解き放たれることになる。出発点は、これらの分野の改革と進歩を妨げているものを特定し、ゼロから始めることを避けることです。

技術的優位性を維持または獲得するには、革新的で将来を見据えた生態系(エコシステム)だけでなく、ルールを守らないライヴァルによる侵害からアメリカ企業を防御する防御策も必要となる。これには、半導体業界だけでなく、全ての米国企業や研究機関が中国軍の武装を支援する団体と取引することを禁止する取り組みも含まれる。最近のある報告書では、人民解放軍に人工知能技術を供給している中国企業273社のうち、米商務省の取引制限リスト(entity list、エンティティリスト)に載っているのはわずか8%であることが明らかになった。同様に重要なことは、アメリカの保守派はその影響力を利用してアメリカのテクノロジー企業と関わり、中国への継続的な投資のリスクを評価すべきである。

保守的な思想は、変化に対する懐疑や秩序への偏見が連想されがちだ。もしそうだとしたら、保守派は困ってしまうだろう。彼らは世界の変化を主体的に形作るのではなく、その変化に反応するだろう。しかし、変化への抵抗は保守主義に対する誤解である。イギリス啓蒙時代の偉大な保守思想家エドモンド・バークは、「保全(conservation)と是正(correction)の2つの原則(two principles of conservation and correction)」のバランスを取ることの重要性を重んじた。バークの考えでは、「何らかの変化の手段を持たない国家は、その保全の手段を持たない」ということになる。

経済的な秩序から政治的な領域まで、世界秩序が分断されていることは、前途がますます不透明になっていることを意味する。アメリカの保守派は、アメリカ国民が自国の象徴である最高のものを維持し、アメリカの核心的な国益を増進する可能性が最も高い方法で出来事を形作るのを助けることができる政策を開発する能力を持っている。

30年以上前、サミュエル・ハンティントンは、「衰退主義(declinism)は、信じなければ無効になる理論である」と書いた。言い換えるならば、アメリカは真剣に問題に向き合う必要がある。保守派は世界の仕組みを理解し、アメリカ建国の原則に根本的な信頼を寄せているため、そうするのに適した立場にある。それは、私たちが直面する乱気流を乗り切るための良い立場なのである。

※ナディア・シャドロウ:ハドソン研究所上級研究員、トランプ政権下で国家安全保障問題担当大統領次席補佐官を務めた。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。是非手に取ってお読みください。

 アメリカの外交政策思想には大きく2つの流れがある。それがリアリズム(Realism)と介入主義(Interventionism)だ。アメリカの二大政党である民主党、共和党にそれぞれ、リアリズムを信奉するグループが存在する。介入主義は、民主党では、人道的介入主義(Humanitarian Interventionism)を信奉する人道的介入主義派となり、共和党ではネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)を信奉するネオコン派となる。ネオコン派は、ジョージ・W・ブッシュ(子)大統領時代に日本でも知られるようになった。
 介入主義とは、外国に積極的に介入して、外国の体制を全く別のものに転換しようというものだ。ネオコン派の考えは、「アメリカの価値観である、自由主義や人権、民主政治体制(デモクラシー)、資本主義を世界に広めて、世界中の国々を民主体制の自由主義的資本主義国ばかりにすれば、世界は平和になる」というものだ。そのために、アメリカは自身の卓越した力を利用しなければならないし、これに反対する勢力は打ち破るということになる。民主党の人道的介入主義派は、「世界の非民主的な国々では、マイノリティの女性や少数民族、政敵少数者たちが迫害され、命の危険に晒されている。そうした人々を助けるために、アメリカは人道的に外国に介入しなければならない」というものだ。結果として、ネオコン派と同じく、非民主的な国の体制転換(regime change)がなされねばならないということになる。

 リアリズムは、アメリカの力には限界があり、アメリカの力で世界の全ての国を民主体制の国家にすることはできない。ある国の問題はそこの国の国民の解決すべき問題である(災害などの人道支援は行うのは当然だが)。そして、アメリカの重大な国益が侵害されそうな場合を除いて、外国に対して積極的に介入すべきではない、ということになる。下の論文でスティーヴン・M・ウォルトが「抑制(restraint)」と書いているのはまさにこれである。これらのことについては最初の著作『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)に詳しく書いているので是非お読みいただきたい。

 アメリカはこれまで介入主義的な外交政策を実施し、その多くが失敗してきた。結果として、「アメリカ国内問題解決を優先していこう」という公約を掲げた、ドナルド・トランプが大統領に当選した。こうした考えを「アイソレイショニズム(Isolationism)」という。アメリカは超大国であることに疲れ、超大国であり続けるための国力を失っている。そのために、これからは「抑制的」、つまり、リアリズム外交に転換していくことになる。そして、次の世界覇権国は中国である。中国は、覇権交代の歴史を研究し、覇権国は永続的な存在ではなく、いつか、ボロボロになってその座から滑り落ちていくということを分かっているだろう。しかし、中国が覇権国にならねば世界は治まらないということになる。そうした時代の転換点に差し掛かっている。

(貼り付けはじめ)

抑制的なアメリカ外交政策に転換するのに遅すぎることはない(It’s Not Too Late for Restrained U.S. Foreign Policy

-アメリカのグローバル・リーダーシップの復活を求める声が大きくなっている。しかし、それはこれまでと同様に、大きな間違いである。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2024年3月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/03/14/united-states-realism-restraint-great-power-strategy/

冷戦期間中、アメリカがより控えめな、あるいは抑制的な外交政策を採用するように求める提案は、外交政策エスタブリッシュメント内部で大きな支持を集めることはなかった。確かに、ハンス・モーゲンソー、ジョージ・ケナン、ケネス・ウォルツ、ウォルター・リップマンなどの著名なリアリストたち(Realists)は、アメリカの外交政策における最悪の行き過ぎを厳しく批判していた。連邦政府を縮小しようとしてきたリバータリアンたちもまた、アメリカの海外関与を減少させようとしたが、ソヴィエト共産主義を打ち負かしたいという超党派の願望から、そうした提案は外交政策の外交政策に関する言説の片隅にとどまった。抑制(restraint)や縮小(retrenchment)を求める声は、その後の「一極集中の時代(unipolar moment)」においても同様に歓迎されなかった。アメリカのエリートたちは、歴史の潮流が自分たちの方に流れていると信じ、アメリカの比類ないパワーの慈悲深い腕の下で、全世界を平和で豊かな自由主義秩序(peaceful and prosperous liberal order)に導こうとしたのである。

しかし、この傲慢さが増大した時期がもたらした失敗が積み重なるにつれ、より現実的で賢明な外交政策を求める声が無視できないほどに大きくなった。2014年にマサチューセッツ工科大学(MIT)教授バリー・ポーゼンが『抑制:アメリカの大戦略にとっての新たな基盤(Restraint: A New Foundation for U.S. Grand Strategy)』を出版した。この著作は、他の学者(私自身を含む)による関連著作とともに、重要なマイルストーンとなった。2016年のドナルド・トランプの当選も現実的な外交政策を求める声の高まりに貢献した。トランプの大統領としての行動は、抑制派の提言とはかけ離れたものであったが、アメリカの外交政策を形成する中心的な正統派の多くに対する彼の修辞的な攻撃と、外交政策エスタブリッシュメントに対する明らかな軽蔑は、これらの問題についてよりオープンな議論を行うための空間を作り出した。2019年に「クインシー国家戦略研究所」が創設され、クインシー研究所、「ディフェンス・プライオリティズ」、スティムソンセンターのアメリカ大戦略研究プログラム、カーネギー財団のアメリカ政治研究プログラムでの関連イニシアティヴも、抑制を目指す動きが勢いを増していることを示す追加的な兆候であった。(完全情報公開:私はクインシー研究所の設立以来、非常勤研究員を務めており、昨年から理事会のメンバーに加わった)。

抑制を目指す動きが軌道に乗りつつあることを示す兆候の1つに、アメリカのグローバル・リーダーシップに対する拡大的な考え方や、ほころびつつある自由主義秩序を守りたいという願望に固執する批判者たちからの攻撃があった。こうした攻撃は通常、抑制派が提言していることを誤って伝え、しばしば彼らを「アイソレイショニスト(isolationists)」と誤って描いていた。こうした批評の中には自分たちの立場を有利にしようと誘導的なものもあった。それは、抑制派が提唱する考え方が大きな支持を集め、やがてはアメリカの対外アプローチに大きな変化をもたらすのではないかと、主流派が懸念し始めていることを示唆していた。

それは昔のことで、今は今である。イラク戦争やアフガニスタン戦争の後で、抑制という考え方は否定できない魅力を持っていたが、現在では大国間の対立が最重要課題となっている。中国のパワーは経済的苦境にもかかわらずなお拡大を続けており、アジアの現状を変えたいという欲望は衰えていない。ロシアはウクライナに侵攻し、現在ウクライナを支配している。中国、ロシア、イラン、北朝鮮、その他数カ国による協力体制が強化され、ヨーロッパの防衛力再構築に向けた取り組みは、多くの人が期待していたよりもゆっくりと進んでいる。ガザでは残忍な殺戮が進行中であり、戦争が拡大するリスクは依然として受け入れがたいほどに高い。スーダン、リビア、エチオピア、その他のアフリカ諸国では、内戦とジハード運動が人々の生活を破壊し続けている。1990年代の傲慢さは消え去ったかもしれないが、大国間の紛争は考えられないという信念も同時に消え去った。

これらの状況全てを踏まえても、リアリズムと抑制に基づく外交政策には意味があるのだろうか? アメリカ人は今こそ、深く掘り下げ、再びグローバル・リーダーシップの外套を手に取り、「地政学的ハードランディング」を回避するために奔走すべき時なのだろうか? 抑制の時期は過ぎ去ったのか?

その答えは「ノー」だ。

まずは抑制を目指す動きが何を望んでいるのかを明確にすることから始めよう。何よりも抑制派は、アメリカの極めて重要な利益が関与しない、不必要な「選択の戦争(wars of choice)」を戦うことに反対している。彼らは平和主義者でもアイソレイショニストでもない。彼らは強力な国防を信じている。そして彼らは、状況によってはアメリカが海外で武力行使を厭うことがないようにすべきだと認識している。抑制派は、アメリカは世界から撤退する代わりに、他国で貿易や投資を行うべきであり、他国にも同様の行動を奨励し、排外主義(xenophobia)に駆られて壁を築くのではなく移民を管理された形で受け入れるべきだと考えている。実際、抑制派はアメリカが今よりも積極的かつ効果的に外国に関与すべきであり、外交を第一に考え、武力行使をワシントンの最初の衝動(first impulse)ではなく最後の手段(last resort)とするべきだと考えている。それは何故か? なぜなら、抑制派は軍事力の限界を理解しているからだ。軍事力は場合によっては必要かもしれないが、それは常に多くの予期せぬ結果を生み出す粗雑な手段である。また、重要な利益が関与せず、成功を定義するのが難しい場合、戦争に対する国民の支持を維持することは困難である。特に抑制派は、体制転換(regime change)や軍事占領(military occupation)を行って、自由主義的な価値観を広めようとすることに反対している。なぜなら、そのような取り組みは通常、代償として、深刻な事態の泥沼化(quagmires)や破綻国家(failed states)の出現を招くのが通常からである。

現実的に考えると、抑制派のほとんどは、アメリカは中東から軍事的に手を引き、その地域の全ての国々と通常の関係を持つべきだと考えている。彼らは、NATOの同盟諸国が自国の防衛により大きな責任を負うよう、ワシントンが奨励すべきだと考えている。しかし、共和党のJD・ヴァンス連邦上院議員のようなトランプ大統領気取りとは異なり、抑制派の多くは、外交的解決に向けた献身的かつ柔軟な努力と組み合わせたウクライナへの援助継続を支持している。中国に対する最善の対応策については、抑制派にも賛否両論があり、より強力な封じ込め(containment)の努力を支持する者もいれば、緊張を緩和し、互恵的な妥協点を追求する必要性を強調する者もいる。しかし、アメリカは依然として海外に過剰に関与しており、根本的な政治問題を解決できない軍事的解決策に過度に依存しがちであるという点ではこれらの人々の意見は一致している。

この見解は、10年以上前と同様に、今日でも当てはまる。思い出してみて欲しい。アメリカが現在取り組んでいる問題の多くは、以前の抑制派の警告に耳を傾けていれば、完全に回避できたかもしれないものばかりだ。アメリカが開放的なNATO拡大を強く推し進め、ウクライナを西側の軌道に乗せ、最終的にはNATOに加盟させなければ、ロシアによる2014年のクリミア併合と2022年2月の不法侵攻はおそらく起こらなかっただろう。実際、バイデン政権がロシアの攻撃に先立つ数カ月間にもっと柔軟性を示していれば、2022年春にトルコとイスラエルの調停努力(mediation efforts)をもっと支持していれば、あるいはその秋にウクライナが優勢だった時期に停戦を推進していれば、ロシアとウクライナはまったく戦争をしていなかったかもしれないし、ウクライナがこれほどの損害を被る前に戦争は終結していたかもしれない。もちろん、確かなことを知ることは不可能だが、アメリカ政府関係者たちは、ウクライナが現在負けている戦争を回避するためにできたかもしれないことを全てやった訳ではないことは明らかだ。

中東での出来事も同様の教訓を与えてくれる。ドナルド・トランプ政権もジョー・バイデン政権も、イスラエルとアラブ近隣諸国との関係を正常化しようとすることに重点を置きながら、右傾化するイスラエル政府から圧力を受けつつあったパレスチナを完全に無視した。抑制派が警告したように、この近視眼的なアプローチは暴発の引き金となり、2023年10月7日の悲劇的な結果を招いたのは間違いない。

ガザにおけるイスラエルの猛攻撃によって、3万人以上のパレスチナ人が殺害され、ガザにある建物の50%から60%を破壊または損害を与え、イスラエルの世界的イメージを(アメリカとともに)大きく損なわせる結果となった。イスラエルは大規模な軍事的優位性を持ち、それを全面的に行使しているが、力だけでは、パレスチナとの対立を継続させている政治的な相違を解決することはできない。ハマスが軍事行動で壊滅することはないだろうし、イスラエルのユダヤ人とパレスチナのアラブ人の正当な願望を受け入れ、両者が安全な生活を送れるようにするにはどうすればいいのかという根本的な問題は、解決されないままである。同じことが、紅海の海運に対するフーシ派による攻撃を、爆弾を落としたりミサイルを撃ったりして止めようとするアメリカの努力にも言える。ガザ地区での停戦を実毛するために影響力を行使するということよりもまずは爆弾を落とすということを英米は選択した。これらの例は、複雑な政治問題は何かを爆破すれば解決できると考える反射的な傾向を示している。このような傾向に対して、抑制派は長年にわたり反対してきている。

抑制派はまた、アメリカのパワーは相当に大きいものデルが、無尽蔵ではないことも認識している。大国間競争(great-power competition)の時代には、明確な優先順位を設定し、主目的が互いに矛盾しないようにすることがこれまで以上に重要である。今日、アメリカはウクライナでロシアを打ち負かすウクライナを支援し、人的被害が出ているが、ハマス一掃を目指すイスラエルの努力を支援し、世界トップクラスの半導体技術やその他のデジタル技術を開発しようとする中国の努力を永久に無力化しようとしている。これは抑制されたアジェンダとは言い難く、その矛盾は自明であると同時に自滅的である。ユーラシアの二大国(中国とロシア)を互いに翻弄する代わりに、私たちは数十年かけて彼らに協力する理由を与えてきた。ロシアを孤立させ、グローバル・サウス(Global South)における中国の影響力を制限する代わりに、イスラエルのガザでの作戦を支援したことで、「ルールに基づく秩序(rule-based order)」の偽善が浮き彫りになり、中国に安っぽいプロパガンダの勝利をもたらした。ジョー・バイデン米大統領が包括的共同行動計画に再参加しなかったことは、イランに核開発を再開させ、さまざまな地域の代理人への支援を強化させ、更にはウクライナにおけるロシアの取り組みを積極的に軍事支援させたという点で、誤ったアジェンダに含まれることになるだろう。

最後に、抑制の擁護者たちは、過剰な軍事的関与と「永遠の戦争(forever wars)」がアメリカ本国を衰弱させる効果を持つことについて長い間警告してきた。過度に野心的な外交政策への支持を維持するため、アメリカの指導者たちは、志願兵だけで構成される軍隊に頼るようになり、それによって有権者の大半をその決定の結果から隔離するようになった。アメリカ陸軍士官学校附属現代戦争研究所によれば、その理由の1つは、アメリカ人が「一世代の軍人が、際限のない戦争に何度も何度も派兵されるのを目の当たりにしたから」だという。アメリカの歴代大統領たちは、増税の代わりに借金をしたり、脅威を膨らませたり、アメリカ国民に何をしているのか一部隠したりすることで、こうした活動のコストを隠してきた。しかし、こうした秘密の活動の一部がやがて明らかになると、公的機関への信頼はさらに損なわれている。建国の父たちが理解していたように、常に戦争状態にある共和国は、その共和国としての性格を危険に晒すことになる。今日のアメリカの民主政治体制が脆弱な状態にあるのは、非現実的でうまくいっていない外交政策が一因であり、それを是正しようと抑制派は努力している。

いかなる外交政策ドクトリンも完璧ではない。抑制という考え方も例外ではなく、その擁護者たちは、新たな情報の出現や新たな出来事の発生に応じて、自らの立場を見直す姿勢を持ち続けるべきである。しかし、今のところ、抑制を支持する意見は、特にワシントン中枢でいまだに支配的な代替案と比較すれば、大いに説得力を持っている。そして、現在の状況をもたらした政策をさらに推進することは、まったく意味をなさないし、効果もないのである。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。世界政治について詳しく分析しました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 櫻井よしこが自身のSNSで「祖国のために戦えますか」という、戦争を煽るような発言を行い、それに対して、「最前線に出ない人間が戦争を賛美するな」「お前がまず戦争に行け」という反応が出ている。ここしばらく日本はおかしな方向に進められてきたが、実際に戦争の可能性があるとなれば、実際に最前線に連れていかれる人たちを中心に批判が出るようになっているのだろう。これは良い兆候だ。

 戦争賛美者こそは真の平和ボケだ。今の日本に生きている人たちの圧倒的大多数は、戦争について知識を得ることはあっても、実際に経験していない。1945年の敗戦からもうすぐで80年が経過しようとしているが、その時に20歳だった人も100歳になる。日本は超高齢社会であり、100歳以上の高齢者も多いとは言っても、実際の戦場を知っている人はかなり少ないと言ってよい。

そうした中で、戦争を経験しておらず、戦争の悲惨さも知らず、頭でっかちの知識だけで、戦争を賛美している者たちこそが、「戦争を知らない子供たち」だ。平和の中で生まれ育ち、生きてきて、老齢を迎えて、自分は安全な場所にいて(戦争には行かないことが確実だと分かっていて)戦争を賛美する姿は老醜と言う他はない。平和のおかげを受けながら、戦争を賛美する姿は平和ボケだ。本当に戦場を知っている者、国家指導者として重い決断をする者、国家の利益について本当に考えているものは戦争を賛美しない。

 「祖国のための戦争に行けますか?」とは、より正確に書くならば、「少数の指導者が影響力を持つ財界や利益団体などの影響を受けて開戦を決めた、虚構として祖国のためと宣伝をして、それに考えが足りない人間から連れていかれる、“祖国のための戦争”にあなたは行けますか?」ということだ。

 前置きが長くなったが、このブログでよくご紹介しているハーヴァード大学教授スティーヴン・M・ウォルトの論稿を今回もご紹介する。ウォルトは国際関係論という学問分野の中のリアリズムという学派に属している。リアリズムは日本語に訳せば現実主義となるが、今回、ウォルトは、平和の実現という、戦争扇動者たちからすれば「夢想的」「ユートピア的」なテーマについて書いている。ここで大事なことは、人間は完璧ではない、人間は果然無欠ではない、人間は間違うということを肝に銘じておくことだ。これは国家指導者から一般国民まで共有すべきだ。

 戦争はいったん始まってしまえば、開戦した時の意図とは全く違う方向に進むことがほとんどであるし、人間が状況をコントロールすることはできない。何よりも自分たちが勝つと思って初めて負けることがどんなに悲惨かは歴史が証明している。戦争ということを簡単に決断すべきではないし、言葉を弄して、戦争を賛美し、煽動することは間違っている。戦争について正確に知り、自分たちが知りたいことだけを知るとか、捻じ曲げてそれを知識とするとかといった行為を戒め、自分たちは安全な場所にいながら、他人に戦争に行くことを促し、強制するというような人物を国家指導者の地位に就けないこと、そうした言説に対しては徹底的な批判をして対抗していくこと、これが極めて重要である。
 日本を中国にぶつけようと表や裏で暗躍している人物や勢力はいくらもいる。私たちは常に警戒し、そのようなことが起きないように努力しなければならない。そのためには、まず知識を増やし、自分の頭で考えることである。

(貼り付けはじめ)

恒久的な平和実現のための実践的なガイド(A Practical Guide to Perpetual Peace

-よりユートピア的な世界秩序に向けて、現実的な(そしてリアリスト的な)一歩を以下に踏み出すか

スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年12月19日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/12/19/realist-guide-world-peace/

世界の多くの国では、年末の休暇時期を迎え、より良い世界のヴィジョンの実現に思いをはせる人たちも多いことだろう。あちらこちらの教会で平和を賛美する讃美歌が歌われ、説教壇からは敬虔な感情がこもった言葉が響き渡り、宗教的指導者も世俗的指導者も同様に未来への希望を表明して新年を迎えるだろう。しかし、ガザでの残忍な殺戮、ウクライナでの容赦ない破壊、スーダンの無意味な内戦、その他世界中で進行中の血で血を洗うような出来事を思えば、そのような暖かな感情など空虚にしか思えない。言うまでもなく、各国が他の人間を殺すより効率的・効果的な方法を見つけるために、莫大な資源を費やし続けている。

私たちは平和の実現について一体何かできるのだろうか? 数週間前、私は宇宙開発に関する興味深いセミナーに出席した。セミナーの講演者は、人類を宇宙の軌道に乗せ、月に送り、そしていつの日か火星に送ることは、人類を鼓舞するために新しく困難な挑戦を必要とするため、やる価値があるかもしれないと述べた。

彼のコメントを聞いて、私は考えさせられた。無人の宇宙探査(unmanned space exploration)は、軌道や月に人を送り込むよりも理にかなっていると私は信じている。もしそうなら、同じように奇跡的なことでも、もう少し身近なことを目標にしたらどうだろうか。火星に人類を移住させる代わりに、地球を平和にするのはどうだろう?

私は、このユートピア的なヴィジョンを阻む全ての障害を認識している。中央権力のない世界(world with no central authority)では、国家は安全保障を心配し、自国を守るための手段を講じる。そのための努力はしばしば他国を脅かし、時には暴力につながる。不確実性(uncertainty)、無知(ignorance)、さまざまな形の認知バイアス(cognitive bias)が、回避できたはずの、そして回避すべきであったはずの戦争へと国々を導く。指導者の中には、自らの権力を維持するため、あるいは歴史に名前を残すために戦争を始める人もいる。長年の不満を抱える国々は、それを覆そうと武力を行使することもあり、様々な種類の利益団体が影響力を高めたり、自国の利益を水増ししたり、あるいは自国の特別な大義を推進したりするために戦争を推進することもある。社会を統治するための唯一の真の方法を発見したと確信しているイデオローグは、自分たちの信念を他の人に押し付けるために野心的な十字軍(crusades)を進軍させることもある。

何千年もの間続く戦争は、解決策を模索すると当時に、謙虚さ(humility)を求めている。戦争の惨劇を終わらせる魔法の杖はないが、多少なりともより平和な世界を築くためのささやかなアイデアのいくつかをこれから紹介しよう。

第一に、世界の指導者たち(そして一般国民たち)は、リアリズムの教訓をより真剣に受け止め、戦争を永遠に終わらせる鍵を見つけたと主張するイデオロギーに対して、より懐疑的な目を向けることから始めることだ。マルクス主義者たちは、資本主義(capitalism)を打倒すれば戦争の誘因がなくなり、平穏な社会主義の楽園が訪れると考えた。リベラル派は、民主政治体制(democracy)を広めることで同じ奇跡が起きると考えている。たとえ民主政体を輸出する方法が分からずに、最初に「戦争を終わらせるためのいくつかの戦争(“wars to end war)」をしなければならないとしてもそれが重要だと考えている。リバータリアンは国家を縮小することを望み、ファシストは国家を崇拝するように言い、アナーキストは国家を完全に破壊することを望んでいる。宗教を信仰している人たちの中には、誰もが正しい神を崇拝すれば平和が訪れると考える者もいるし、無神論者の中には、どんな神であっても崇拝するのを止めればもっと平和な世界が訪れると主張する者もいる。これらの提案はいずれも、政治的信条(political beliefs)を受け入れたがらない他者に押し付ける必要があるため、問題を改善するどころか悪化させるのが一般的だ。

対照的に、リアリズムは謙虚さを奨励する。リアリズムは、人間の誤謬性[間違いやすさ]human fallibility)、チェックされていない権力の危険性(the dangers of unchecked power)、理性の限界(the limits of reason)、そして強い者や特権を持った者が容易に傲慢(arrogant)になり、自信過剰(overconfident)になることを明らかにしている。リアリズムは、政治生活を悩ませる避けられない不確実性と、人間の存在の避けられない部分である悲劇的な要素を認識している。政治上のリアリズムは、白か黒かで決まることはほとんどないが、通常は多くの灰色の色合いを含む世界、つまり意図しない結果が蔓延し、今日の成功が明日の問題の種を植え付ける世界を描き出す。

このような理由から、リアリストのほとんどは、国家が戦争に踏み切るのは、自国の生存、もしくは死活的利益が危機に瀕している場合という、切迫した必要性のある場合に限られるべきであると考えている。少なくともここ数十年間、リアリズムと制限(restraint)に基づく外交政策が実行されていれば、ほぼ間違いなく平和がより広まっていただろう。

リアリズムはまた、人類が共通して持つ人道的思いやり(our common humanity)に訴えても世界は平和に近づかないと示唆している。人間は社会的な動物(social animals)であり、集団に分かれ、異質と見なされる者を警戒する傾向が深く根付いている。いざとなれば、たいていの社会集団は自分たちの利益を優先し、たとえそれが他者を傷つけるものであったとしても、自分たちの利益を優先する。草の根平和運動やその他の反戦活動も十分ではない。民主政体国家であっても、戦争の決定は一握りのトップによってなされるからだ。このような理由から、指導者たちとその支持者たちに、戦争に踏み切れば自分たちの地位がより安全になる訳でも、自国がより安全で豊かになる訳でもないことを納得させることでしか、平和を促すことはできない。

つまり、よりリアリズム的な平和へのアプローチとは、バランス・オブ・パワー(balance-of-power)を重視することである。つまり、アナーキー(anarchy、中央政府がない状態)である国際社会においては、国家は、他国が強くなりすぎると必ず心配し、自国の安全を守るために均衡(balance)を保とうとする。このため、他国を犠牲にしてまで自国の力を強化しようとする執拗な努力は、通常、自滅的(self-defeating)となる。なぜなら、他国は最終的に力を合わせて強大な国家を牽制し、その野心を封じ込めるからである。

この原則の副次的な意味は、大国の重要な利益、とりわけ自国の領土付近を脅かすことは、厳しい反応を引き起こすに違いないということである。このような傾向を理解する指導者が増えれば、永続的に有利な立場を得ようとする無分別な試みは少なくなるだろう。さらに、鋭い共感能力(keen sense of empathy)、すなわち、必ずしも賛成しなくても、相手の立場に立って物事を見る能力を身につけた指導者であれば、誤ってレッドラインを越えてしまうことも少なくなり、全ての当事者がより良い状態を保てるような解決策を見出す能力も高まり、愚かな選択による戦争につまずくことも少なくなるだろう。

第二に、ほとんどの政治指導者は、一般市民の愛国の誇り(sense of national pride)に訴えることで権力を獲得し、維持しているが、他国にも同様の力が存在することをしばしば忘れている。ロシアのウラジーミル・プーティン大統領は、ウクライナのナショナリズムの力を軽視したために過ちを犯し、最終的な結果がどうであれ、予想以上に犠牲の多い戦争に身を投じることになった。ナショナリズムの力はまた、なぜ強大な国が他国を爆撃して永久に服従させることができないのか、なぜ脆弱な国家が制裁や他の形態の強制に抵抗するのか、たとえそうすることが非常に高くつくとしても、その理由も説明する。世界政治のこの側面をもっと多くの指導者が理解していれば、他国を強制したり、弱体化させたり、破壊したりするための実のない努力は少なくなっていただろう。

第三に、戦争を考えている指導者は、いったん戦闘が始まれば、もはや自分たちの運命をコントロールすることはできないということを思い起こすべきだ。戦争を始めると、複雑で予測不可能な要素が膨大に発生するため、ほとんどの戦争は、開戦者の予想以上に長引き、多くの犠牲を出すことになる。イギリスのウィンストン・チャーチル首相は平和主義者(pacifist)とは言い難かったが、世界政治のこの永続的な特徴を把握していた。チャーチルは自伝『わが半生』の中で「戦争熱(war fever)に屈する政治家は、ひとたびその合図が下されれば、もはや政策の主人ではなく、予測不可能で制御不能な出来事の奴隷であることを理解しなければならない」と書いている。ジョージ・W・ブッシュは大統領在任中、執務室にチャーチルの胸像を飾っていた。しかし、彼がその小さな知恵の核である本を読んだとはとても思えない。もし読んでいたら、2003年にイラク侵攻する前に、もっと真剣に考えていたかもしれない。

そして、チャーチルの話題が出たついでに続けると、チャーチルの浩瀚な第二次世界大戦史の巻頭言には次のように書かれている。「戦争においては解決が必要だ。敗北においては反抗が必要だ。勝利においては寛大さが必要だ。平和においては善意が必要だ」。これは悪くないカテキズム(catechism、訳者註:キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説)であり、私は最後の2つのフレーズに注意を向けて欲しいと考える。勝者が一方的に平和を押し付けることは、特にかつての対戦相手が敗戦から立ち直る可能性が高い場合、後々より多くの問題を引き起こすことになる。アメリカは第二次世界大戦後、博愛の精神(sense of philanthropy)からドイツと日本の再建を支援した訳ではないが、一部の政府関係者が提唱したカルタゴになされたような和平(Carthaginian peace)を押し付けた訳でもない。第一次世界大戦を終結させた懲罰的な(punitive)ヴェルサイユ条約との対比は、これ以上ないほど際立っている。同様に、ロシアを敗戦国のように扱い、その正当な懸念にその後何年も注意を払わなかったことは、多くの先見の明のある専門家が繰り返し警告したように、米露関係を悪化させ、今日の問題への道を開くきっかけとなった。

第四に、戦争は常にコストがかかり予測不可能であるため、賢明な指導者は大きな賭けに出る前に、あらゆる選択肢を尽くす。ロシアのウクライナ侵攻を食い止める外交的駆け引きがあったかどうか、あるいは2022年3月に進められていた和平調停活動が戦争を迅速に終結させ、ウクライナを分割や甚大な破壊から救えたかどうかは、誰にもわからない。しかし現在、西側の指導者たち、とりわけ西側のトップたちが、代替策を必要なほど徹底的に追求しなかったことを示す証拠が増えつつある。そのような努力は失敗に終わったかもしれないが、戦争を未然に防ぐ、あるいは戦争の芽を摘むためのより真剣な努力は、起きてしまった戦争よりも望ましいものであっただろう。

最後に、平和を促進するための努力は、平和をより普及させ、強固なものにするために何をするつもりなのかを説明するよう、指導者を目指す人々に求めれば、さらに進むかもしれない。国家の指導者を目指す人たちは通常、国をどのように強くしていくのかについて多くを語るが、私たちが彼らに問うべき本当の質問は、同胞をどのように安全にしていくのかということだ。真剣に考えて欲しい、大統領や首相になろうとする人は誰でも、戦争の可能性を減らし、平和をより強固なものにするために何をしようとしているのかを説明するべきではないだろうか? もし彼らが、問題はみんなのせいであり、トラブルメーカーを滅ぼして初めて平和が実現すると答えるなら、その人は本当に平和に関心のない人だと分かるだろう。もし彼らが単純化された決まり文句(「強さによる平和(peace through strength)」「ミュンヘンを思い出せ(remember Munich)」など)しか口にできないのであれば、世界政治が実際にどのように機能しているのかについて、より洗練された理解を持つ候補者を別に探すべきだ。もし平和の重要性が彼らの頭に浮かんだことがなく、何も語ることがないのであれば、取材記者はその理由を尋ねるべきだ。また、戦争は歓迎すべき、偉大で輝かしい活動だと言ったり、潜在的な敵は張り子の虎(paper tiger)で倒すのは簡単だと主張したりする候補者がいたら、食料庫(pantry)に非常用の食料を備蓄するか、近くの防空壕(bomb shelter)に向かうことだ。

これまで明らかにしてきたように、戦争という問題に簡単な解決策はない。しかし、もし人類が本当に新たな挑戦を必要としているのであれば、戦争の発生可能性(likelihood)と破壊(destructiveness)を減らすための持続的だが現実的な努力は、数人の勇敢な人間を遠い宇宙に送り込むよりも、はるかに人類に利益をもたらすだろう。そして、その手始めとして、戦争を始めることが望ましい結果を生むことはほとんどなく、しばしば予期せぬ非常に厄介な事態を招くことを、指導者たちに常に思い起こさせることが必要だ。

おそらくこの教訓は、2024年には昨年よりも良い結果をもたらすだろう。私はハードルを低く設定した。指導者たちがこのハードルをクリアすることを皆で祈ろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

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