古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:リチャード・ニクソン

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
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『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。

日本では高齢社会が深化し、社会保障費の増加により、現役世代の社会保障負担が増大し、社会保険制度に対する不満が高まっている。「世代間の助け合い」という聞こえの良いスローガンはあるにしても、現在の高齢者たちが現役時代に負担した割合と、現在の現役世代の負担率を考えるならば、現役世代の不満は理解できる。消費税が全て社会保障に使われるというおためごかしもあって、国民は増税や負担増に辟易している(野党第一党の立件民主党すらもその国民の不満にこたえていない)。

 アメリカでも同様の不満が起きている。イーロン・マスクは社会保障を「最大のネズミ講」と呼んで非難している。社会保障制度に対する不満が起きている。そうした中で、『フォーリン・ポリシー』誌に、アメリカの社会保障制度の歴史に関する論稿が掲載されたのでご紹介したい。アメリカの社会保障制度の歴史は1930年代に始まったもので、100年ほどの歴史を持っている。

制度の歴史を振り返ると、1935年にフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領のもとで始まった。それまでそのような制度は存在しなかった。社会保障は普遍的な給付を重視し、全ての労働者を対象にすることで多様な層の支持を得る仕組みである。しかし、制度の創設当初から南部民主党による黒人労働者や女性の排除があり、その後も特定のカテゴリーの労働者が除外される政治的な障害が続いてきた。

そして、制度開始からの政治的混乱を経て、1950年代には大幅な改善が図られ、保守的な選択肢としての老齢保険が支持を集めた。社会保障税は制度の財源として重要であり、労働者が支払うことで制度の安定が図られてきた。その後、制度は徐々に拡大し、1960年代には医療給付が追加され、民主、共和両党間で給付の増額を競う展開へと発展した。1972年以降、社会保障制度は増税を伴いながらも給付金の調整が行われ、その人気は根強いものである。

これに対し、共和党は制度削減の選択肢を模索したが常に反発に遭い、制度の存続が続いている。例えば、レーガン大統領の提案に民主党が反対したことで、制度が保護される結果となった。現在も社会保障は多くのアメリカ人の重要な収入源であり、87%が優先事項と考えている。特に65歳以上の高齢者にとっての依存度が高く、将来的にも6900万人が受給予定だ。

マスクの「政府効率化省」の案は、この制度に対して新たな脅威となる可能性があり、労働人口の減少や退職者の増加に如何に対処するかが重要な課題である。トランプ政権下での改革が高齢者に与える影響が懸念され、ルーズヴェルト時代の理念が再確認される必要がある。

 社会保障制度がセーフティネットであることはアメリカも日本も共通している。問題は負担と受益のバランスだ。2つがちょうどイーヴンであれば問題ではないが、世代間で、負担よりも受益が大きい、樹液よりも負担が大きいということの不公平が出ているのが現状だ。ここを解決することが制度を存続させ、セーフティネットとしての役割を果たさせるために重要ということになるだろう。「私たちは逃げ切って良かったわ」というような言葉が出てくるようでは、社会保障制度の未来はない。

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社会保障(ソーシャル・セキュリティ)は「ネズミ講」か?(Is Social Security a “Ponzi Scheme”?

-引退した全てのアメリカ人にとって、この恩恵(benefits)は非常に現実的なものだ。

ジュリアン・E・ゼリザー筆

2025年3月10日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/03/10/social-security-musk-ponzi-scheme-benefits/

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社会保障システムの紹介を行うポスター(1935年)

大統領のアドヴァイザーであるイーロン・マスクは最近、ジョー・ローガンのポッドキャストに出演し、社会保障制度(Social Security)は「史上最大のネズミ講(the biggest Ponzi scheme of all time)」だと主張した。実際、社会保障制度はアメリカの社会的セーフティネットの中で最も効果的かつ永続的な構成要素の一つである。社会保障制度は、高齢者の貧困問題(problem of poverty amongst the elderly)を緩和するために、他の何よりも大きな役割を果たしてきた。この制度は完璧とはとても言えないが、連邦議会は改革が必要な場合には、長期にわたってその構造を改善・強化し続けてきた。この制度は、赤(共和党優勢州)と青(民主党優勢州)の両方の州に住む家族の生活の中心であるため、国政における「第三のレール(third rail)」となっている。

最近まで、ドナルド・トランプ大統領はこの問題から距離を置くことを十分承知していた。おそらく、トランプ大統領を誕生させた多くの有権者を含め、ほとんどの有権者にとって、この制度の削減はほとんど魅力がないという事実を敏感に感じ取っているのだろう。

しかし、政府の労働力を鑿(のみ、chisel)ではなく大ハンマー(sledgehammer)で再編しようとする彼の取り組みと同様、マスクは結局、政権のエネルギーの多くを消耗する政治的泥沼に大統領を引きずり込むことになるかもしれない。今年90周年を迎える社会保障制度を脅かすことは、民主党を活気づけ、共和党を萎縮させるのに他のほとんど何にもまして効果的だろう。共和党は、社会保障制度を党にとって負ける問題と認識するだろう。

フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領と民主党が過半数を占める連邦議会は、ニューディール(New Deal)の最盛期である1935年に社会保障制度を創設した。アメリカは、ドイツ(1889年)やデンマーク(1891年)のようなヨーロッパ諸国が数十年前に導入したような、退職者のための連邦社会保険制度(federal social insurance programs for retirees)をまだ採用していなかった。1934年、フランシス・パーキンス労働長官を委員長とする経済保障委員会(the Committee on Economic Security)は、退職者に給与税を財源とする年金(pensions)を支給する連邦保険制度(federal insurance program)の創設を連邦議会に提案した。

重要なのは、この制度が普遍的(universal)なものであることで、ミーンズテスト(訳者註:社会保障制度の給付を申請する市民の資格を確認するための資力調査)によって受給者を決定するのではなく、対象となる仕事に従事する全ての労働者を含めることであった。この制度の創設者たちの信念は、歴史的に連邦政府のプログラムに対してアンビバレントな(二律背反的な)国民性において、ミーンズテストが受給者に汚名を着せるのに対し、普遍的給付は手当てとは見なされないというものだった。普遍的給付はまた、保険の傘の下にある全ての人が何かを受け取ることになるため、多くの異なる所得階層をプログラムの継続に投資できるという利点もあった。

加えて、老齢保険(Old-Age Insurance)と呼ばれるこの制度は、一部の改革派が求めていた連邦政府が負担する定額の月額年金に代わる、より保守的な選択肢とみなされていた。ルーズヴェルトは次のように述べた。「私たちは、人生の危険や変化に対して国民の100% を保険で守ることはできないが、失業や貧困に苦しむ老年期(poverty-ridden old age)に対して、平均的な市民とその家族をある程度保護する法律を制定しようと努めてきた」。

社会保障税(Social Security taxes)は、この法案の重要な部分であった。第一に、社会保障税は、一般的な税収に頼らない、財政的に保守的な給付金の支払い方法を提供するものであった。連邦議会は、労働者に増税する必要がないよう、長期的な年間コストを考慮することを余儀なくされた。当初、連邦議会は余剰資金の蓄積も計画していた。第二に、給与税(payroll taxes)は、労働者に制度に「お金を払っている(paying into)」という感覚を与えることで、制度に投資しているという感覚を与え、その結果、将来にわたって給付を受ける資格がある。「この税金があれば、政治家が私の社会保障制度を廃止することはできない」とルーズヴェルトは後に語っている。

しかし、すぐに問題に直面した。

多くの主要委員会を支配していた南部民主党(Southern Democrats 訳者註:アメリカ南部を地盤とする保守的な民主党員たち)は、黒人の雇用が多い2つの労働力層である農業労働者と家事労働者を制度から除外するよう主張した。アメリカ南部は、公民権介入への扉を容易に開く可能性のある連邦政策に、彼らを巻き込みたくなかった。また、連邦議員たちは単身賃金世帯のためのプログラムを構想していたため、女性も除外された。当時、こうした労働者は男性であると想定されていた。最後に、将来のための余剰金という概念は、このパッケージの最も疑わしい部分であった。実際には、余剰資金は国債に投資されることになった。(労働者がまだ大恐慌の影響と闘っていた時期に、短期的には使われない資金を集めることは好都合だった)

社会保障制度開始から最初の5年間、この制度は政治的に不安定な状況にあった。連邦議会は1939年に労働者の未亡人と扶養家族にまで適用範囲を拡大したが、老齢年金保険に対する政治的な支持は弱いままだった。多くの共和党員がルーズヴェルトの施策を攻撃した。1936年、共和党の大統領候補アルフ・ランドンは、この制度は巨大な官僚機構(a massive bureaucracy)を生み出す「残酷な詐欺(cruel hoax)」であり、「彼らが納める現金が現在の赤字と新たな浪費に使われる可能性は十分にある」と考えた。連邦議会の反対派は、1939年から給与税の増税を8回凍結し、一般歳入から給付金を賄うようロビー活動することで、この制度を覆そうとした。一般歳入から給付金を賄うと、政治的に価値のある特定給与税がなくなり、社会保障が他の全ての裁量的制度の変動に左右されることになる。

1950年、民主党のハリー・トルーマン大統領がホワイトハウスに入ると、彼の政党がこの制度を救った。連邦議会は老齢年金保険(Old Age Insurance)を増額し、税金を上げ、農業労働者から始めて徐々に対象となる仕事の種類を拡大した。連邦議会は剰余金を集めるという考えを放棄し、給付金が厳格な賦課方式(strict pay-as-you go basis)で支払われるようにした。今日の労働者たちが今日の退職者を賄うということになった。1954年、共和党のドワイト・アイゼンハワー大統領は弟に宛てた手紙の中で、「いかなる政党であれ、社会保障や失業保険を廃止し、労働法や農業プログラムを撤廃しようとするなら、我が国の政治史上、その政党の名前は二度と聞かれなくなるだろう」と警告した。国民一人ひとりの個人番号が記載された社会保障カードは誇りとなった。社会保障番号はもともと、政府が制度のために労働者の収入を記録できるようにするために作られたものだが、現在では最も一般的な身分証明書の1つとなった。

その後の数十年間、社会保障は着実に拡大した。1964年、共和党候補のバリー・ゴールドウォーターがプログラムを任意にすることを提案し、それによってその普遍的な構造を弱めると、リンドン・ジョンソン大統領はゴールドウォーターを非難した。ジョンソン大統領はゴールドウォーターの提案を、自分が急進的な保守主義者であることを示すもう一つの証拠として使った。1965年、連邦議会は医療給付(これも普遍的な給付として構築されたメディケア)を社会保障に加えた。これはジョンソンの立法上の最大の勝利の一つであった。1972年、ヴェトナム戦争の支出から生じたインフレにアメリカ人が苦しむ中、共和党と民主党は給付の増額を競った。両党間の競争は拡大の是非ではなく、どのように拡大するかについてになった。リチャード・ニクソン大統領と連邦議会の共和党所属の議員たちは、物価上昇時に生活費の自動調整(automatic cost-of-living adjustments)が行われるよう、インフレに対する給付のスライド制(index benefits to inflation)を推進した。連邦下院歳入委員会委員長で民主党のウィルバー・ミルズ議員は、給付金に対する裁量権の維持を目指し、連邦議会に増額を投票させるという昔ながらの方法を選んだ(これにより、控除も確実に受けられる)。最終的な社会保障改正案には、両党の提案が盛り込まれた。給付金はなんと20%も増加し、法案はプログラムを指数化した。

1972年以降、社会保障局や超党派委員会による保険数理予測(actuarial predictions)に基づいて、連邦議会が段階的に増税し、給付金を調整した事例が数多くある。たとえば、1983年の社会保障改正案では、給与税を増税し、生活費調整を延期して、近い将来までプログラムを支払い可能な状態にした。

社会保障給付を直接削減しようとする共和党の努力は決して成功していない。この制度は非常に人気がある。1981年にレーガンが財政不足に対処しようとしたとき、予算管理局(Office of Management and Budget)のデイヴィッド・ストックマン局長は早期退職者への給付を大幅に削減することを提案した。連邦下院民主党はこれに反発し、ティップ・オニール連邦下院議長は「これは制度破壊への第一歩だ(the first step to destroying the program)」と警告した。レーガンは手を引き、この制度がアメリカ政治の「第三のレール(third rail)」になったという見方が生まれた。2005年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、ジョン・ケリー連邦上院議員に勝利して再選を果たしたばかりであったため、社会保障制度を民営化し(privatize)、労働者が給与課税の一部を投資口座に投資できるようにすることで、退職時にその口座がどうなっているかというリスクを負うという大規模な計画を提案した。ナンシー・ペロシ連邦下院少数党(民主党)院内総務とハリー・リード上院少数党(民主党)院内総務は、大統領に大敗を喫した。

2008年には5000万人以上が社会保障給付を受けていた。2025年には、約6900万人のアメリカ人が約1兆6000億ドルの給付を受けることになる。この中には、65歳以上のアメリカ人10人のうちほぼ9人が含まれ、社会保障は収入の31%を占める。加えて、65歳以上の男性の39%、同年齢の女性の44%が、収入の少なくとも50%を社会保障から受け取っている。国立退職保障研究所によると、アメリカ人の87%が、社会保障は予算の優先事項であり続けるべきだと考えている。この数字には共和党員の86%も含まれている。

なぜ多くのアメリカ人が、この制度の創設者が予言したように、この制度に払い込んだというプライドを持ち、毎月の給付金を受け取るに値すると等しく信じているのかは、衝撃的なことではない。

これまでの第二次トランプ政権の実績を考えれば、マスクが本気で社会保障を政権の矢面に立たせようとしていないと信じる理由はない。実際、社会保障の効率化にとって現在最大の脅威は、マスクのいわゆる「政府効率化省(Department of Government Efficiency)」そのものであり、社会保障庁から数千人の雇用を削減する案を推進し、支払いシステムにアクセスできるようになったからだ。

確かに、この制度は退職者の増加や労働人口の減少に対処しなければならない。しかし、トランプとマスクの「焦土作戦的アプローチ(burn-down-the-house approach)」は高齢者にとって危険であり、1970年代から制度の不均衡を是正し続けてきた漸進的改革(賃金の課税上限額の引き上げや給与課税の引き上げなど)よりも悪い選択肢である。例えば、ブルッキングス研究所は、基本プログラムの完全性を維持しながら支払能力を達成する方法を示す1つの包括的な研究を提唱している。

これまでこの戦いから遠ざかっていたトランプだが、パートナーのマスクが、トランプでさえ逃げ出せないような事態に彼を引きずり込んでいることに気づくかもしれない。雇用不安と物価の上昇、そして年金支給額の伸び悩み(stagnant pension coverage)が深刻化している今、ルーズヴェルトの遺産はかつてないほど重要である。

※ジュリアン・E・ゼリザー:プリンストン大学歴史学・公共問題教授。最新刊に『コロンビア・グローバル・リポーツ』誌との共著となった『パートナーシップの防御』がある。Xアカウント:@julianzelizer

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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 アメリカと台湾の関係は微妙である。アメリカは米中国交正常化(1975年ニクソン訪中、1977年カーターによる米中共同宣言の内容の再確認、1978年に1979年1月に国交樹立を行うことに合意)以来、「一つの中国」政策を堅持している。これは、「中国本土と台湾は不可分の領土であり、台湾は中華人民共和国の一部であり、中華人民共和国が中国を代表する唯一の合法政府だ」とする中国政府の主張について、アメリカ政府が不可分と台湾が中国の一部であることを「認識する(acknowledge)」、合法政府であることを「承認する(recognize)」というものだ。これらの文言は曖昧である。

 台湾(中華民国)は1972年に国連から追放され、多くの国々が台湾を独立国として正式に承認していない。ここで問題は、1978年、米中国交正常化の前に、アメリカ連邦議会が「台湾関係法(Taiwan Relations ActTRA)」を制定した。これは、台湾の安全保障に関して、アメリカ大統領に米軍による行動という選択肢を認めるものであるが、「アメリカ軍が必ずアメリカ軍を守る」ということではない。これは「戦略的曖昧さ(strategic ambiguity)」と呼ばれている。しかし、一般的には台湾有事の際にはアメリカ軍が台湾を守ると受け止められている。

 ウクライナ戦争が勃発し、「次は台湾だ(中国が台湾を攻める)」という馬鹿げた主張が多くなされた。そして、その際に「アメリカは台湾を守るのか」という疑問が多くの人々の間に出てきた。ウクライナ戦争ではアメリカは莫大な資金と膨大な数の武器をウクライナに送った。しかし、決定的な攻撃力を持つ武器は送らず、兵員も送っていない。台湾も同様のことになるのではないかという主張が出ている。アメリカ軍が中国人民解放軍と直接戦闘ということになったら、どのような事態が起きるは分からない。エスカレーションを避けたいアメリカは台湾に兵員を送らないだろう。そうなれば台湾は領域の狭さを考えるとウクライナのような抵抗は厳しいだろう。
 そもそも中国が直近で台湾を攻めることはない。台湾が中国にとっての安全保障の脅威になっているということはない。熟柿作戦で柿が熟して落ちるまで待てばよい。そして、台湾の側から見れば、アメリカが頼りにならないとなれば、中国との軍事的な衝突は百害あって一利なしとなる。中国との戦争は馬鹿げたことだ。アメリカに物資だけもらって自分たちだけで戦うというのは自分たちだけが傷つくだけのことだ。軍事的な衝突を避けながら、自分たちが中国の実質的な影響圏、経済圏の中で存在感を保ちながら、繁栄を続けていくということが最善の途だ。

 台湾関係法の曖昧さは対中国という側面もあるが、台湾をアメリカに依存させるために必要である。しかし、ウクライナ戦争でこの曖昧さのメッキがはがれ、「どうせアメリカは頼りにならない。物資だけもらって戦って傷つくなんて愚の骨頂だ」という考えが台湾の人々の間で広がっているだろう。台湾内部で大陸との衝突を避けようとする国民党の任期が上がっているのもうなずける話だ。

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バイデンはウクライナが必要としているものを全て与えるべきだ-そして公式に台湾防衛に関与すべきだ(Biden should give Ukraine all it needs — and formally commit to defend Taiwan

ジョセフ・ボスコ筆

2022年11月29日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/opinion/international/3753576-biden-should-give-ukraine-all-it-needs-and-formally-commit-to-defend-taiwan/

もしアメリカがロシアの侵略に対する現在のウクライナ支援の形が、中国が台湾を攻撃した後のアメリカの役割のモデルになるとすれば、台湾の人々は大変な目に遭うことになるだろう。

2008年、NATOはジョージ・W・ブッシュ大統領の働きかけを受けて、加盟国26カ国による「グルジアとウクライナがNATOに加盟することに合意した」という内容のコミュニケを発表した。

1997年、ウクライナがソヴィエト連邦時代に保有していた核兵器を放棄する代わりに、アメリカ、イギリス、ロシアがウクライナの安全保障を具体的に保証したにもかかわらず、ウラジミール・プーティンはNATOの姿勢に対して「ロシアの安全保障を脅かすものだ」と強く反発した。

しかし、2008年にロシアがグルジアに侵攻した際、アメリカとNATO各国は何もしなかった。プーティンは、アメリカとNATOの黙認に勇気づけられ、「国家の再統一(national reunification)」と「領土の一体化(territorial integrity)」に向けた次の動きを計画した。

それが、2014年のウクライナ東部とクリミアへの侵攻である。オバマ政権はブッシュ政権のグルジアでの例に倣って、それを止めるためのことは何もしなかった。

アメリカの指導力がないために、NATOもプーティンの第二の侵略行為を受け入れ、必然的にプーティンは決定的な第三の行為を計画するようになった。バイデン政権の「厳しい(severe)」経済制裁の警告を無視して、ロシアがウクライナの国境沿いに侵攻軍を動員したのは、2022年2月のことだった。

ロシア軍がウクライナに侵入し、首都キエフに向かって前進した後、ワシントンとNATOの同盟諸国の政府関係者たちは、ヴォロディミール・ゼレンスキー政権の崩壊が近いと予想した。その場合、西側諸国の役割は、ウクライナの降伏とプーティン支配下での再建のための交渉を促進する、最小限の比較的リスクの少ないものとなるはずだった。ジョー・バイデン米大統領は、ウクライナが要求していないアメリカ軍の地上戦や、要求している飛行禁止区域の設定によってロシアに直接挑むことは、「第三次世界大戦になる可能性がある(would be World War III)」と述べている。

台湾には、ウクライナをロシアの侵略から守るのに失敗したのと同じレヴェルの西側の安全保障しかない。その代わりに、1979年に制定された台湾関係法Taiwan Relations ActTRA)がある。この法律では、「ボイコットや禁輸を含む平和的手段以外で台湾の将来を決定しようとするいかなる試みも、西太平洋地域の平和と安全に対する脅威であり、アメリカにとって重大な懸念であると考えられる」と定めている。

このような敵対行為(hostile action)に対応するため、台湾関係法は、アメリカが「台湾に防衛的性格の武器を提供し、武力または他の形態の強制(coercion)に対抗するアメリカの能力を維持しなければならない」と定めている。

法律成立以降の全てのアメリカ政権は、台湾に防衛的な武器を提供することで、台湾関係法の命令の最初の部分を遵守してきた。ドナルド・トランプ政権とバイデン政権は、中国のエスカレートする暴言とますます敵対的な行動に対応して、台湾の武器売却の量と質を大幅に引き上げさせた。

しかしながら、ワシントンが台湾に提供する兵器の「防衛的(defensive)」性格を強く打ち出していることから、北京は台湾の軍事力を理由に台湾に対する運動行動を抑止することはできないだろう。ここでも、ウクライナの経験は、台湾にとって心強いものではない。

プーティンが何度か予告した核兵器使用の可能性を含む、ロシアのエスカレーションに対するアメリカと西側諸国が恐怖を持ったことで、ウクライナの現在の防衛的立場からロシア領土を攻撃できる西側諸国の兵器の移転を抑制することに成功した。

同様に、アメリカの歴代政権は一貫して、中国の資産を脅かし、北京の紛争を抑止する可能性のある最新鋭戦闘機やディーゼル潜水艦などの兵器システムの台湾への売却を拒否してきた。

近年、アメリカの国防当局は、殺傷能力の高い兵器の提供を控えることを戦略的ドクトリンの領域にまで高めている。彼らは、いわゆる「ヤマアラシ戦略(porcupine strategy)」を推進しており、「多くの小さなもの(many small things)」、例えば地雷、海岸障害物、対水陸両用兵器などによって、台湾を中国軍が攻撃する際の「簡単に負けない」犠牲者(“indigestible” victim)にするというものである。

アメリカの台湾政策は、バイデンが、屈辱を感じたプーティンが大量破壊兵器を持ち出すことを恐れて、ウクライナにロシアを決定的に破るために必要な先進兵器システムを提供するのを阻むのと同じエスカレーションへの恐怖によって阻まれている。

しかし、アメリカが台湾の防衛能力だけでなく、中国の侵略を抑止する能力を制限するほど、台湾関係法が義務付けるアメリカ自身の「抵抗能力(capacity to resist)」を強化する必要性が高まる。

1979年以降、「アメリカは台湾を積極的に防衛する」と明確に宣言した政権はなく、台湾が自衛を試みることができる限定的な武器を送ったに過ぎない。これは戦略的曖昧さ政策(policy of strategic ambiguity)と呼ばれる。

クリントン政権は1995年、中国が台湾を攻撃した場合、アメリカは何をするか分からないと中国当局に伝え、「それは状況次第ということになる(it would depend on the circumstances)」と述べた。ジョージ・W・ブッシュ大統領は2001年に記者団に対し、アメリカは「必要なことは何でもする(whatever it took)」と述べ、中国がどうするかは分からなくても、私たちがどうするかは分かっていることを示唆した。トランプ大統領は、「中国は私が何をするかを知っている(China knows what I'm gonna do)」と威嚇するような発言を行った。つまり、今、ワシントンと北京の両方が、台湾防衛に対するアメリカの意図を把握していたが、アメリカと中国の両国民は、台湾をめぐる戦争の見通しについて、依然として暗中模索しているのである。バイデンは、アメリカが台湾防衛のために自国の戦闘部隊を派遣するということを、4回の機会をとらえて、より具体的な言葉で述べ、状況に新しい光を当てようとした。

しかし、ホワイトハウスと国務省のスポークスマンは、それぞれの大統領の発言について、アメリカの「一つの中国政策(one China policy)」と両岸の平和的解決(peaceful resolution)に変更がないことを「説明」し、台湾防衛に関する戦略の明確化から何度も逃れている。

国家安全保障問題担当大統領補佐官ジェイク・サリヴァンは最近、彼の上司であるバイデン大統領が「アメリカは台湾を軍事的に防衛する」と何度も発言したことについて問われ、「私たちの台湾関係法の関与は、アメリカが台湾防衛に必要な物品を提供することを確約する」ことだけだと確認した。

サリヴァンは、同じく台湾関係法で義務づけられている台湾防衛のための「能力(capacity)」を行使するとは言っていない。もう1つの未解決の問題は、台湾が自国を防衛するために必要な「物品(articles)」を誰が定義するのかということだ。つまり、定義するのは、台北かワシントンか、ということである。これは、ウクライナの安全保障上の要求について、ワシントンとキエフが対立しているのと同様である。

現在、ウクライナと台湾は、減少し続けているアメリカが備蓄している武器をめぐって争っている可能性があると報じられている。これは、「無制限(no limits)」の戦略パートナーであるロシアと中国にとって朗報であり、ワシントンの注意と資源を異なる方向に引き寄せようとして協調している。バイデンは、ウクライナが防衛に必要なものを全て手に入れられるようにする一方で、台湾を防衛するというアメリカの責務を正式に表明する理由が更に増えている。

※ジョセフ・ボスコ:国防長官中国国家担当部長(2005-2006年)、人道的援助・災害救援担当アジア太平洋部長(2009-2010年)を歴任。ウラジミール・プーティンのグルジア侵攻時に国防総省に勤務しており、アメリカの対応について国防総省の議論に参加した。ツイッターアカウント:@BoscoJosephA.
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 リチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャーが米中国交正常化を成功させたのは1972年のことだった。ニクソンは北京を訪問し、毛沢東と会談した。米中国交正常化の根回しを行ったのが国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたキッシンジャーだった。ニクソンとキッシンジャーは中ソの離間に成功し、それが冷戦の終結につながることになった。
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 1970年代から80年代、アメリカの敵は「日本」となった。日本の経済力が高まり、「ソ連と戦っていたら日本という敵が出てきた」ということになった。アメリカは「反共の防波堤(bulwark against Communism)」として日本を復興させたが、それが行きすぎだったということになる。属国である日本を抑え込むのは簡単なことだった。日本は今や衰退国家となりつつある。

 アメリカは「中国に資本主義の素晴らしさを教え、貿易で中国の製品を買ってやることで製造業を育てて国民全体が豊かになれば、アメリカのようになってくれるだろう」ということで、中国を育てた。結果は、アメリカを凌駕するほどの成長を遂げた。

 このことについて、「キッシンジャーが中国という妖怪を生み出した」という批判がなされている。「こんなに難敵になるのならば育てるようなことをしなければよかった」ということになる。キッシンジャーに対するこうした批判はここ10年ばかりずっと続いている。しかし、それは何とも悲しい話である。「引かれ者の小唄」という言葉がある。この言葉は江戸時代に死罪を申し渡された罪人が刑場まで引き立てられていく間、強がって小唄を唄っていたというところから、「負け惜しみを言う」という意味になる。キッシンジャーに対する批判は「引かれ者の小唄」である。

 アメリカの馬鹿げた理想主義(民主政治体制、資本主義、法の支配、人権思想などを世界に拡大する)は時に思わない結果を生み出す。「アメリカみたいな国になってくれる」という馬鹿げた考えに中国が付き合う必要はない。人間関係でも同じだが、「こうして欲しい、こうなって欲しいと思っていたのに」ということは親子であってもなかなか通じない。中国が豊かになればアメリカのようになる、という傲慢な考えがアメリカ自信を苦しめている。そして、米中国交正常化を成功させたキッシンジャーに対する批判となっている。

 世界覇権は交代している。アメリカがそういうことを言うならば、イギリスにしてもフランスにしても同じようなことを言いたくなるはずだ。アメリカから聞こえてくる引かれ者の小唄は世界覇権交代の軋みの音なのかもしれない。
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ニクソン財団、ヘンリー・キッシンジャーと中国:「大戦略の断絶」(The Nixon Foundation, Henry Kissinger and China: The ‘Grand Strategy disconnect’

ジョセフ・ボスコ筆

2022年11月22日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/opinion/international/3744873-the-nixon-foundation-henry-kissinger-and-china-the-grand-strategy-disconnect/

第37代アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンの業績を記念するために創設されたリチャード・ニクソン財団は最近、中国の歴史的なアメリカとの国交正常化50周年を祝った。

このプログラムは、「アメリカの地政学的課題に専心するための大戦略サミット」と題され、ニクソンの初代の国家安全保障問題担当大統領補佐官で2代目の国務長官ヘンリー・キッシンジャーの基調講演から始まった。司会は、キッシンジャーの後任として国家安全保障会議を主宰したロバート・オブライエンが務めた。

キッシンジャーは、ニクソンが大統領に就任したのは、ヴェトナム、中東、ソ連の問題に直面し、中国がアメリカとの関係から外れていた、アメリカの外交政策にとって慌ただしい時期であったと指摘した。

キッシンジャーは、ニクソンの戦略的ヴィジョンと戦術的柔軟性の組み合わせを大いに賞賛した。アメリカの外交政策に戦略的思考を導入することで、ニクソンはこれら全ての重要な問題を同時に進展させることができたのだ、とキッシンジャーは発言した。

キッシンジャーは、ニクソンが外交チームの主要メンバーに送ったメモを紹介した。メモには「それぞれの問題について、いわゆる利益だけを考えて処理するようなやり方は避けるように」と指示されていた。そうでなければ、「侵略者たち(aggressors)」は、アメリカの主要な関心事に集中するのを避けるために、政策担当者たちの気を散らすことを利用し、自分たちの目的に合うように平和的な話し合いから定期的な対決へと移行してしまうからだ。これは簡単な選択であるがよくないことだ。ニクソンは6年半の在任期間中、そのようなアプローチを採用していたとキッシンジャーは述べている。 アメリカの敵は、今日、この戦略を実践している。

キッシンジャーはニクソンの国家安全保障分野の最高責任者であった。従って、ニクソン大統領のアプローチの形成に重要な役割を果たしたのは明白だ。キッシンジャーは著書『中国について』の中で、この新しいアプローチについて「アメリカがリアリズムを発見した」と書いている。これはニクソンが国際関係におけるモラリスト(訳者註:道徳重視)として知られていた訳ではないが、リアリズムこそがアメリカ外交政策への貢献としては彼のトレードマークといえるものとなった。

しかしながら、キッシンジャーがニクソンの「顕著な業績(signal achievement)」と呼んだ対中国交回復については、少なくともキッシンジャーとの中国での共同作業以前は、ニクソン的対応そのものであった。共産中国(Communist China)に対してタカ派であったニクソンは、1967年の『フォーリン・アフェアーズ』誌に掲載した記事「ヴェトナム後のアジア(Asia After Viet Nam)」で新しい考えを示した。ニクソンは「中国は世界の問題であり、責任ある態度で対処しなければならない」と述べた。当時の言葉を借りれば、「赤い中国(Red China)がアジアにとっての急迫した脅威なった」ということになる。ニクソンは次のように書いている。「赤い中国は、アジアにとって最も差し迫った脅威となった。長い目で見れば、中国を永遠に国際社会の外に置き去りにして、そこで幻想を膨らませ、憎しみを抱き、近隣諸国を脅かしている余裕はない」。

キッシンジャーは、自身の著書やハーヴァード大学での講義は、ソ連と核兵器に焦点を当てたものばかりで、中国やアジア一般には全く関心を示していなかった。ボストン周辺の大学の教授や学生たちがヴェトナム戦争について議論していた時も、「自分の意見は表明しないことを望む」と述べていた。

キッシンジャーの側近として中国プロジェクトに参加したウィンストン・ロードは、祝賀のシンポジウムに出席したウィルソン・センターの聴衆たちに、ニクソンの目的の歴史的な偉大さを見た時に、その一員になる機会に無条件で飛びついたと語っている。ニクソンは、中国との予備交渉の主役をキッシンジャーに命じると、その進め方について指導を行った。その内容は「アメリカが何をするかという点で、あまり積極的であってはならない。私たちは台湾から手を引くことになるだろう。そして、私たちはそれを行うだろう。また、別のことをやるだろう」。

しかし、結局、ヘンリー・キッシンジャーとウィンストン・ロードの2人のリアリストは、ニクソンが毛沢東に会いに行く前に、米第7艦隊を台湾海峡から引き揚げ、台湾からアメリカ軍を撤退させるということをやってのけた。

キッシンジャーの講演の後、ニクソン財団の次の講演者はロバート・オブライエンだった。オブライエンはジャーナリストのヒュー・ヒューイットとのインタヴュー形式で講演を行った。オブライエンは、中国を「今、私たちが直面している国家安全保障上の最大の脅威」と呼び、中国共産党は、台湾が中国国民にとって民主政治の具体例であることから「台湾を破壊したいのだ」と述べた。

オブライエンは次のように述べた。「私たちが中国に接近するのは非常に困難なことだろう。中国の知的財産の盗難に目をつぶれば、製造業をアメリカから中国に移転させれば、彼らの人権侵害に目をつぶれば、新疆ウイグル自治区のウイグル弾圧であれチベット併合であれ香港の民主政治の消滅や台湾に対する脅迫であれ、それら全て許せば、中国は貿易を通じて私たちのお金で豊かになり、より自由でより民主的に、より私たちに近くなるという考え方が存在した。彼らはキッシンジャー博士を愛している。しかし、私たちがどうにかして中国に近づき、中国が私たちのようになるという考えは、無邪気すぎる希望(naive hope)であることが判明した。私たちは中国のために多くのことを行った。そして、それらはうまくいかなかった、そのことを私たちは認識する必要がある」。

ニクソン自身も、結局は自分の関与政策(engagement policy)の失敗を認識していた。それは、ロナルド・レーガン、ドナルド・トランプ、そして現在のジョー・バイデン以外の全ての後継者が踏襲し、育んできたものである。しかし、ニクソンが「私たちはフランケンシュタインを作ってしまったかもしれない」と悔やんだずっと後に、中国との関わりを自らの特別な任務として主張したのは、キャリアの後半に中国との関わりを持つようになったキッシンジャーであり、キッシンジャーは今日もそれを主張している。

台湾について言えば、キッシンジャーは一度も訪問したことがない。キッシンジャーは1972年、毛沢東が台湾を奪取するための攻撃を「100年」延期しても構わないと考えていることを冗談交じりに非難し、2007年には中国が「永遠に待つことはない」と台湾の人々に警告している。一方、ニクソンは台湾を何度も訪れ、1994年には台湾の目覚しい経済・政治的発展から、「中国と台湾は政治的に永久に分離される(China and Taiwan are permanently separated politically)」と書いている。

キッシンジャーは、2018年にウッドロー・ウィルソン・センター・フォー・インターナショナル・スカラーズのために、もう一つの50周年記念で「回顧展」を行ったとき、より深く考え直す機会を得たのである。

ニクソンが「赤い中国がアジアにおける最も差し迫った脅威となった」と警告してから半世紀以上経過した後、キッシンジャーは無意識のうちに、関与政策の死角を突く言葉を口にした。「世界の平和と繁栄は、中国とアメリカが協力する方法を見つけることができるかどうかにかかっている。これは現代の重要な問題である」。

しかし、キッシンジャーの発言で最も注目され、明らかになったのは、この禍根を残しかねない展開に対する彼の説明である。「私たちは、米中両国は、政策の遂行において例外的な性質を持っていると信じている。私たちは民主的立憲主義(democratic constitutionalism)の政治システムに基づいており、中国は少なくとも孔子までさかのぼる進化と何世紀にもわたる独自の実践に基づいている」。これは、キッシンジャーの著作でしばしば繰り返されるテーマである。

しかし、キッシンジャーはどっちつかず(どっちもどっち)態度によって、ニクソンが自ら作り出した真の怪物と称した中国共産党には全く触れていない。 キッシンジャーは、今日に至るまで、マルクス・レーニン主義を問題と認識しておらず、オブライエンが「大戦略の断絶(Grand Strategy disconnect)」と呼ぶに値する、洗練され博識ではあるが無邪気さを体現している。

※ジョセフ・ボスコ:2005年から2006年にかけて米国防長官付中国担当部長、2009年から2010年にかけて人道的支援・災害復旧担当アジア・太平洋地域部長を務めた。ウラジミール・プーティンがグルジアに侵攻した際には米国防総省に勤務し、アメリカの対応について米国防総省の議論に参加した。ツイッターアカウント:@BoscoJosephA.

(貼り付け終わり)
(終わり)感情に振り回されるのが人間ではあるが少し冷静になって戦争の終わり方について議論することが重要だ

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 古村治彦です。

 「なぜ中国がここまで強大になるまで気づかなかったのか」「なぜ中国を野放しにしてきたのか」ということがアメリカ国内で、特に反中国派からは声高に叫ばれている。そして、たいていの場合、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官が中国に融和的で、キッシンジャーの息のかかった人物が対中国政策を実行してきたために、このようなことになったのだ、という結論に達する。キッシンジャーが金を貰ってアメリカを中国に売り渡したという過激な主張にまで至ることになる。
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ヘンリー・キッシンジャーと習近平

 米中接近は1971年からだ。共和党のリチャード・ニクソン大統領が中国との国交回復を目指した。当時のアメリカはヴェトナム戦争の泥沼に足をとられ、何とかしようとしていた。そこで目を向けたのが中国だった。国際的に孤立していた中国を国際社会に引き込み、プレイヤーとして機能させるということが目的だった。ソ連やヴェトナムに影響を与えて、ヴェトナム戦争を何とかしようというものだった。
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リチャード・ニクソンとヘンリー・キッシンジャー
 そこで白羽の矢を立てたのがハーヴァード大学教授だったヘンリー・キッシンジャーだった。キッシンジャーは国務長官として中国との関係回復に尽力したのは周知のとおりだ。しかし、ニクソンとキッシンジャーは同床異夢というか、中国観に違いがあった。ニクソンは中国を変革させよう、西側に対する敵対を止めさせようという考えだった。キッシンジャーは中国の考えや国内体制を変えることなしに、利益をもたらすことで国際社会に参加させようという考えだった。
maozedongrichardkissinger001

毛沢東とリチャード・ニクソン
 下の記事はキッシンジャーに対して批判的なトーンである。従って、中国は伝統文化を忌避し反西側の危険な考えを変えることなしに国際社会に参加し、強大な国になってしまった、大変危険だということになる。キッシンジャーの考えが足りなかったということになる。
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ヘンリー・キッシンジャーと毛沢東(真ん中は周恩来)
 それではニクソンが考えていたように、アメリカが手を突っ込んで中国国内の体制を変える、考えを変える、ということをやっていたらどうだっただろうか。中国国内で大きな分裂と争いが起きていた可能性は高い。そのような不安定な中国がアメリカの利益となったかどうか、疑問だ。また、日本にとって不安定な中国は利益とはならなかっただろう。

 中国の言い分を聞き、なだめすかしながら、国際社会に順応させるということをキッシンジャーはやった。これは大変な手綱さばきであったと思う。中国の経済力をここまでにしたのは、アメリカが中国産品の輸入を拡大したからだ。自業自得ということになる。

(貼り付けはじめ)

キッシンジャーの歴史的な中国政策:回顧(Kissinger’s historic China policy: A retrospective

ジョセフ・ボスコ筆

2018年9月26日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/opinion/international/408507-kissingers-historic-china-policy-a-retrospective

ヘンリー・キッシンジャーは今でも人々を驚かせ続けている。95歳になるキッシンジャーはリチャード・ニクソン政権で国務長官を務めた。キッシンジャーは最近、ウィルソン・センター創立50周年を記念してインタヴューを受けた。

キッシンジャーの発言を読むと、彼が現代における最も偉大な戦略思想家の1人であると評価されている理由が分かる。1960年代にハーヴァード大学で講義をしていた時代から、博識さには畏怖の念さえ持たれていた。

キッシンジャーは発言の中で、1971年にキッシンジャーとニクソンが初めて言及して以来のアメリカの対中国政策の基盤と失敗について触れている。キッシンジャーが国家安全保障学の分野におけるリアリスト学派を代表する学者ではなかったならば、何も学ばず、何も忘れていないキッシンジャーの何も変化していない中国観について語ったことだろう。そうではなく、彼は中国について悪いことばかりを学び、それらについて決して忘れなかった訳ではない。

キッシンジャーの学術と政治のキャリアの前半分で、キッシンジャーはヨーロッパ、ソヴィエト連邦、冷戦期の核兵器の諸問題に注力していた。キッシンジャーは自身でも認めているように、中国について考えたことも発言したこともほとんどなかった。

ニクソン大統領が歴史的な米中和解というプロジェクトを推進するためにキッシンジャーを政権内に入れようとした際、キッシンジャーは中国については全くの白紙のような状態であった。キッシンジャーは、自分に師匠役の人物が必要であることが分かっていた。そこで、キッシンジャーは、一人の国務省の中国専門家に白羽の矢を立てた。その人物は後に駐中国アメリカ大使を務め、キッシンジャー・インスティチュートの社長を務めることになるスタプレトン・ロイだった。そして、ロイは今回、キッシンジャーにインタヴューを行っている。キッシンジャーは「ステイプは私にとって中国に関する教師だった。従って、私にとって中国との関係構築は同時に教育を受けて、経験を積み重ねるプロセスでもあった」と述べている。

しかしながら、キッシンジャーはインタヴューの冒頭で、中国についての学びのプロセスにおける誤りを明らかにした。キッシンジャーは次のように語った。「米中両国は両国ともに政策実行における例外的な性質を持っていると確信している。アメリカは民主的立憲主義という政治システムを基盤としている。中国は少なくとも孔子とそれ以降の独特な実践にまで遡ることができる発展を基盤としている」。

キッシンジャーが公の場で常に述べているのは、彼が現在の中国は統治に関する神聖な諸原理を持つ誇大な文明の具体化されたもので、現代的な共産党独裁の具現化ではないと考えているということだ。共産党独裁の創設者(訳者註:毛沢東)はキッシンジャーが中国の行動原理と仮定している文化をことごとく非難した。毛沢東は中国の歴史と中国の人々に対して文化大革命を実行した。

実際、インタヴューの中でロイとキッシンジャー2人ともに、現在の中華人民共和国の共産主義的な源流(訳者註:文化大革命)について全く語っていない。同時に、西側の政治的、経済的価値観と諸機構の破壊についても語っていない。毛沢東にとっては西側の政治的、経済的価値観や諸機構は中国の古代文化に次ぐ敵であった。

中国が「その幻想を育て、憎悪を掻き立て、近隣諸国に脅威を与える」ような国家であったならば、キッシンジャーはニクソンの共産中国観を共有することができただろう。ニクソンは中国を国際社会に組み入れることで中国の危険な心性を変化させようとした。後に、ニクソンは自分が行った「戦略的ギャンブル」はうまくいかなかった、いまだに敵意を持っている中国をより強力にしただけだったと後悔した。

キッシンジャーは、中国の世界における見え方をどのように変化させるかを考慮する代わりに、アメリカは中国を世界に順応させるためにできることがあると考えた。キッシンジャーはロイに対して、「私たちの希望は米中両国の価値観はより近くなるだろうと私は考えた」と述べた。

キッシンジャーはニクソンの持っていた懸念について多少の心配はしていたが、全面的には共有しなかった。中国政府が持つ邪悪な世界観の根本からの穏健化なしに、数十年もニクソンが持っていた懸念は続いたままだった。

「外交政策を実施する際に必要なことは、大変化を必要とする目的に反する短期的に実現可能な目的について考慮することだ。そして、中国人は数千年にわたって自分たちの問題を解決するために政策を実行してきた」。

キッシンジャーにとって、中国共産党の国内統治のアプローチの変化は、世界規模のリアルポリティック(現実政治)とは切り離され、従属するものである。キッシンジャーは次のように述べている。「私たちは責務を担っていると感じた。それは平和と安定を守ることである。中国の体制を転換させるような目的は全てを止めてしまうことになる」。

しかしながら、キッシンジャーは、米中両国が直面している「現在における重大な問題」に言及しているが、同時にこの問題について一般化をしている。

キッシンジャーは次のように述べている。「私たちは世界中にある全ての問題と世界中の国々の国内構造を解決することはできない。それでも国内に対しては、私たちはその方向に沿った目的を設定し、できるだけ目的を実現するように努力しなければならない」。

キッシンジャーにとって共産主義中国の残酷な暴政と悪意に満ちた反西洋イデオロギーを穏健化するよりもより優先順位が高いもの「全て」は何であろうか?経済発展によって政治改革が引き起こされることが予期されるか(ニクソンはそのように考えていた)という疑問をロイはキッシンジャーに問いかけたが、キッシンジャーはこの質問には直接答えなかった。キッシンジャーは初期に書いていたものとは違う発言を行った。

「私たちは中国を開国させた。それはロシア、ソ連についての計算という要素を加えるためだった。そして、ヴェトナム戦争とアメリカ国内の分断の時代にアメリカ国民に希望を与えることが目的だった。アメリカ政府はこれまで排除してきた要素(訳者註:中国)を含む世界平和を実現するという考えを持つようになった」。

「これらは2つの主要な目的だった。これらの2つの目的を達成できたが、それは中国側も同じ目的を持っていたからだ」とキッシンジャーは述べた。

ニクソン・イニシアティヴは、(A)ソヴィエトの攻撃から中国を守る、(B)台湾の孤立化をスタートさせる、(C)西洋諸国との貿易と投資を受け入れさせるために中国を開国させる、ことが特徴だとされていたが、これらは全て中国政府にとっても達成したい目的である。ニクソン・イニシアティヴによって、アメリカ政府は、(A)中国政府がアメリカ軍のヴェトナムからの秩序だった撤退を支援する、(B)中国政府の反米意識を減少させる、(C)可能であればソ連政府との緊張関係を緩和することを目的としていた。

キッシンジャーはニクソン・イニシアティヴによって実現したプラスの結果を高く評価している。中国は3つの目的を全て実現させ、アメリカ側は目的を何も実現させることができなかった。キッシンジャーの獲得した外交上の輝かしい業績(米中関係構築)ではなく、彼が実行した政策によって、「現在における重大な問題」が不可避的にもたらすことになった。

驚くべきことは、ニクソン以降のアメリカ大統領全員と毛沢東以来の中国の指導者全員に助言をしてきた人物が今でも米中関係に関わっているということだ。幸運なことは、トランプ大統領は自分自身のやり方を始めようとしている。トランプは元々ニクソンが考えていた中国のプラスの変化をもたらそうとしている。

※ジョセフ・ボスコは2005年から2006年にかけて国防総省中国部長、2009年から2010年にかけて国防総省人道援助・災害復興担当アジア・太平洋部長を務めた。ボスコは米韓研究所と台湾・アメリカ研究所の非常勤研究員、大西洋協会アジア太平洋プログラム非常勤研究員、戦略国際問題研究所東南アジアプログラム非常勤研究員を務めている。国際台湾研究所の顧問も務めている。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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中国は21世紀の覇者となるか?―世界最高の4頭脳による大激論

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