古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
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下記論稿の著者であるスティーヴン・M・ウォルトは2020年の大統領選挙ではジョー・バイデン、2024年の選挙ではカマラ・ハリスに投票した。トランプ支持ではない。そうした人物(しかも、国際関係論の大物学者である)から見た、ジョー・バイデン政権の外交はどうだったかということは興味をそそる話題である。論稿の中で、ウォルトはバイデン政権の外交は、「成功ではなかった」という評価をしている。

 バイデン政権の外交は、エスタブリッシュメントの意向に沿った外交となり、よく言えば、国際協調主義、悪く言えば、事なかれ主義となった。バイデン政権下における、世界の重要な出来事・事件は、やはり、ロシアによるウクライナ侵攻・ウクライナ戦争だ。ウォルトも指摘している通り、ウクライナ戦争は、アメリカと西側諸国によるロシアへの挑発が原因で、NATOの拡大とウクライナへの軍事に偏った支援(火遊び)をロシアが安全保障上の脅威に感じ、最終的に侵攻を誘発した。

バイデン政権は、戦争を短期間で終結させるための努力をせず、重要な武器、具体的には制空権を確保するための戦闘機をウクライナに供給しなかった。もっとも、アメリカがウクライナに戦闘機を供給していたら、ロシアの対アメリカ、対ヨーロッパへの出方は厳しいものとなっていただろうことは容易に推測できる。戦争がウクライナを超えてヨーロッパに拡大し、アメリカが米軍派遣にまで追い込まれ、戦争は泥沼化するということになった可能性もある。そうなれば、アメリカは大きく傷つき、中国の世界覇権国化を早めることになっただろう。結局、バイデン政権はウクライナ戦争に対処する意図も能力も持たずに、事なかれ主義で時間を経過させるだけで、ウクライナとロシアの国民の被害を拡大し、アメリカ国民の税金を無駄に注ぎ込むだけになってしまった。

 

ウクライナ戦争に次いで、世界的な出来事・事件となったのは、イスラエルとハマス間の戦争だ。イスラエルのガザ地区への攻撃になって、民間人に多数の死者が出て、地区が大きく破壊されることで、国際的な批判を招いた。バイデン政権がそうした批判に応えることなく、イスラエル支持を貫き、攻撃を継続させた。結果として、アメリカは人道を叫びながら、イスラエルには好き勝手させている、という「二枚舌」だという批判がなされ、アメリカに対する信頼を損なうことになった。

バイデン政権のウクライナや中東での政策は、アメリカの国際的地位やルールに対する信頼性に打撃となった。バイデン政権の外交は「成功ではなかった」ということになる。しかし、これは、バイデン政権だけの責任ではない。そもそも、アメリカの国力が落ちたこと、アメリカ国内政治の混乱、アメリカ国民の自分たちの生活に対する不満と不安と言ったことも要因として挙げられる。アメリカが世界の覇権国・超大国として行動することができなくなっている。これをバイデン政権だけで何とかしようとしてできるということではない。大きな構造転換に即した大きな変化が必要であり、アメリカ国民はそのためにトランプを大統領に選んだということになる。

(貼り付けはじめ)

ジョー・バイデンの外交政策最終報告書(Joe Biden’s Final Foreign-Policy Report Card

-退任するアメリカ大統領の国際的な功績を容赦なく検証する。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2025年1月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/01/14/joe-biden-final-foreign-policy-report-card-ukraine-israel-gaza-afghanistan/

私は2020年にジョー・バイデン米大統領に投票した。そして、ここの読者の皆さんもご存知の通り、昨年11月には、バイデン政権の外交政策への対応に懸念を抱きながらも、カマラ・ハリス副大統領を支持した。バイデンが国際舞台での最後の退任を迎えるにあたり、彼と彼のティームはどれほどの成果を上げたのだろうか? 当然のことながら、バイデンの最後の外交政策演説では、素晴らしい成果を挙げたと述べられていた。しかし、私の評価は大きく異なる。

最も大まかに言えば、バイデン政権は、かつてのアメリカの穏健な国際的リーダーシップの時代へと時計の針を戻そうとした。「アメリカ・ファースト」ではなく、アメリカは、台頭する独裁政治(autocracy)の波に対抗するため、他の仲間の民主政体諸国と連携し、いわゆる自由世界のリーダーを自称する、役割を再開しようとした。

大西洋を越えた友好関係(trans-Atlantic amity)は回復され、アジアにおける同盟関係は強化され、アメリカは人権といった自由主義的価値観を外交政策の「中心(center)」に据えるだろう。ワシントンは主要な国際機関を支援し、気候変動を阻止するための取り組みを主導し、イランの核開発計画の撤回に成功した合意に復帰し、中国やロシアといった大国によるライヴァルを封じ込めるために多くの同盟諸国を動員するだろう。軍事費の増額(increased military spending)と技術優位性を維持する(preserve technological supremacy)ための積極的な措置は、アメリカの優位性(U.S. primacy)を将来にわたって長期化させるだろう。

確かに、バイデンは、冷戦終結から2017年に当時のドナルド・トランプ大統領がホワイトハウスに就任するまでアメリカの外交政策を導いてきた「自由主義的な覇権(liberal hegemony)」の青写真を完全に受け入れた訳ではない。それどころか、バイデンはトランプのグローバライゼーションからの撤退を継続した。トランプの関税をそのまま維持し、輸出規制やその他の経済制裁を更に積極的に行使し、製造業の雇用を復活させる(これは実現しなかった)とともに、半導体、人工知能、その他の先端技術におけるアメリカの支配(U.S. dominance)を確保するために国家産業政策(national industrial policies)を採用した。

しかし、全体として見ると、バイデンのアプローチは、数十年にわたってアメリカの外交政策を導いてきた主流派エリートのコンセンサスにすんなりと収まっていた。それは、同じ世界観を共有する経験豊富なティームによって運営され、進歩主義派や外交政策のリアリストたちは脇に追いやられていた。

彼らはどれほどうまくやったか? 公平を期すために言えば、実績には確かにいくつかの重要な成功が含まれている。

2021年のバイデンの就任を、ヨーロッパにおけるアメリカの同盟諸国の多くは明らかに安堵感を持って迎えた。バイデンとアントニー・ブリンケン国務長官は共に筋金入りの大西洋主義者(die-hard Atlanticists)であり、彼らは迅速に行動して、アメリカがヨーロッパの同盟諸国の安全保障に引き続き確固たる関与を維持することをヨーロッパの同盟国に保証した。

もちろん、ヨーロッパの好意的な反応は驚くべきことではなかった。アメリカを事実上の第一対応国(first responder 訳者註:現場に第一に到着して対応する人)とすることは、ヨーロッパにとって非常に有利な取引だからだ。この立場は2つの点で成果を上げた。1つは、2022年にロシアがウクライナに侵攻した際に、政権が迅速な対応を調整するのに役立ったこと(下記参照)。もう1つは、インフレ抑制法やCHIPS・科学技術法といった保護主義的な側面、そして中国に対する様々な輸出規制を、これらの措置に伴うコストを承知の上で、一部の主要同盟国に受け入れるよう説得できたことだ。

バイデン政権はまた、中国の台頭に対抗するための幅広い取り組みの一環として、アジアにおけるアメリカのパートナーシップを強化したことでも評価に値する。これらの措置には、フィリピンの基地へのアクセス拡大、キャンプ・デイヴィッドでの韓国と日本の首脳の接遇(新たな三国間安全保障協定の締結につながった)、そしてオーストラリア、イギリス、アメリカ間のAUKUSイニシアティヴを通じたオーストラリアとの安全保障関係の強化などが含まれる。

バイデン政権は、いくつかの主要技術分野における中国の進出を阻止するためのアメリカの取り組みも改善したが、この取り組みの長期的な影響は依然として不透明である。また、米中関係は依然として激しい競争状態にあるものの、あからさまな対立に発展することはなく、政権は米中関係の大幅な悪化を招くことなくこれらの目標を達成したとも言える。

確かに、バイデン政権の取り組みは、中国の不利な人口動態と経済の失策(これらは北京に緊張を抑制する十分な理由を与えた)と、中国の修正主義(Chinese revisionism)に対する地域的な懸念に後押しされた。バイデン政権はアジアに向けて有意義な経済戦略を実行できなかったことで非難されるかもしれないが、国内で超党派が保護主義(protectionism)に傾倒していたことを考えると、戦略を策定するのは困難な道のりだっただろう。

最後に、バイデンは、アフガニスタンにおけるアメリカの無益な戦争を終わらせるという、勇気ある、そして私の考えでは正しい決断をしたにもかかわらず、不当に批判された。アフガニスタン政府は、アメリカが撤退を選べばいつ崩壊するか分からない、いわば砂上の楼閣(a house of cards)のような存在だったため、撤退は悲惨な結果に終わる運命にあった。更に言えば、駐留期間が長引いたとしても、結果は大きく変わらなかっただろう。

バイデンは短期的には政治的な代償を払ったが、彼の決断は2024年までにほぼ忘れ去られ、先の選挙ではほとんど影響を与えられなかった。アメリカが撤退して以来、アフガニスタンで起きた出来事を喜ぶべき人は誰もいないが、アメリカは自らの行動を全く理解しておらず、決して勝利するつもりはなかったことはますます明らかになっている。この事実を認識し、それに基づいて行動する勇気を持ったバイデンには、十分な評価を与えるべきだ。

残念ながら、これらの成果は、より深刻ないくつかの失敗と比較検討されなければならない。

最初の失敗はウクライナ戦争である。バイデン政権はウクライナへの支援とロシアに課したコストをことごとく誇示したがるが、この主張を支持する人々は、ウクライナが払った莫大な代償と、この戦争がヨーロッパ諸国に与えた損害を無視しがちである。

ここで重要なのは、この戦争が突如としてどこからともなく現れたのではなく、ワシントン自身の行動が生み出した問題であることを認識することである。もちろん、ロシアは違法な戦争を開始したことに全責任を負っているが、バイデンとそのティームに非難の余地がない訳ではない。特に、彼らは自らの政策がこの戦争を不可避なものにしていることに気づかなかった。具体的には、彼らはNATOの無制限拡大(open-ended NATO enlargement)と、ウクライナを西側諸国との緊密な安全保障パートナーシップに、そして最終的にはNATOに加盟させることに固執し続けた。

ウラジーミル・プーティン大統領だけでないロシアの指導者たちが、この事態の進展を存亡の危機と捉え、武力行使による排除も辞さない姿勢を明確に示していたにもかかわらず、彼らはこの危険な行動方針を固守した。戦争の脅威が迫る中、政権は外交的解決を模索し衝突を回避するための努力を中途半端なものにとどめた。

戦争が勃発すると、バイデン政権は可能な限り速やかに戦争を終結させようとしなかったという過ちを犯した。バイデン政権はロシア軍がどうしようもなく無能であり、「前例のない(unprecedented)」制裁を課せばロシア経済が破綻し、プーティン大統領に方針転換を迫られると確信していたが、これは後に過度に楽観的な想定であったことが判明した。

こうした誤った判断の結果、政権は戦争終結に向けた初期の取り組みをほとんど支援せず、むしろ頓挫させてしまった可能性さえある。また、2022年秋にウクライナ情勢の見通しが一時的に改善した際にも(マーク・ミリー統合参謀本部議長が助言したように)、停戦の見通しを探ることもなかったし、ロシアの防衛網の正面に大規模な攻勢をかけることは失敗する運命にあるとウクライナの指導者に伝えることもなかった。

残念ながら、この戦争はウクライナとその西側諸国にとって重大な敗北に終わる可能性が高い。アメリカとNATOの当局者たちは同盟の結束はかつてないほど強固だと主張しているが、彼らの楽観的なレトリックは、この戦争がヨーロッパの安全保障と政治に及ぼした甚大な損害を無視している。この紛争は、ほとんどのヨーロッパ諸国政府(その多くは今や手に負えない財政的圧力に直面している)に多大な経済的負担を強い、エネルギーコストの上昇はヨーロッパの競争力を更に低下させ、右翼過激派の復活を助長し、ヨーロッパ内部の分裂を深刻化させた。また、中国との均衡を保つために投入できたはずの関心と資源を逸らした。

確かに、ロシアも莫大な犠牲を払ったが、モスクワが北京とより緊密に結びつき、西側諸国を弱体化させる、更なる機会を模索することは、アメリカやヨーロッパにとって決して利益にならない。この戦争が起こらなかった方が、ヨーロッパ、アメリカ、そして特にウクライナにとってはるかに良い状況になっていただろう。そして、戦争の可能性を高めた政策に対して、バイデン政権は大きな責任を負っている。

二つ目の災難は、言うまでもなく中東情勢だ。あらゆる大統領の夢がここで潰えてしまうかのようだ。バイデンの最大の失策は、選挙公約を放棄し、トランプから引き継いだ誤った政策を継続したことだった。彼はイラン核合意に復帰すると公約していたにもかかわらず、復帰しなかった。その結果、テヘランは爆弾級に近いレヴェルの核濃縮(nuclear enrichment)を再開し、強硬派の影響力を強化した。

また、政権はトランプと同様にパレスティナ人の将来に関する問題を無視し、サウジアラビアとイスラエルの関係正常化に向けた努力に注力したが、その試みは失敗に終わった。このアプローチは、パレスティナ人が永久に疎外されるのではないかという恐怖を強め、ハマスの指導者たちが2023年10月7日にイスラエルに対する残虐な攻撃を開始するきっかけとなった。

バイデン政権の状況判断の誤りは、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官が、ハマスの攻撃のわずか8日前に、この地域は「ここ20年で最も静かだ(quieter than it had been in two decades)」と宣言したことで、痛ましいほど露呈した。

それ以来、バイデンと彼のティームは、イスラエルが最低限の自制を求める要請を無視し、少なくとも4万6000人、おそらくははるかに多くのパレスティナ人を殺害した容赦ない無差別軍事作戦を遂行したにもかかわらず、あらゆる場面でイスラエルを支持してきた。この猛攻撃はガザ地区の大部分を居住不能にし、全ての大学とほぼ全ての病院を破壊し、数百人のジャーナリストを殺害し、200万人以上の民間人に甚大な苦しみと永続的なトラウマを与えた。

イスラエルが10月7日以降に対応したことが正当であったことを否定する良識ある人はいないが、イスラエルの報復キャンペーンは戦略的、道徳的な理由から弁解の余地のないものであった。とりわけ、この容赦ない暴力の行使は、ハマスを壊滅させ、残りの人質を解放するという公約を達成することができなかった。そして、バイデン政権は、それを可能にした爆弾投下と外交的保護を提供したのだ。

少し立ち止まって、これが何を意味するのか考えてみて欲しい。アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国際司法裁判所(ICJ)、国際刑事裁判所(ICC)、複数の独立救援機関、そしてジェノサイドに関する著名な専門家たちは皆、イスラエルが重大な戦争犯罪を行い、「おそらく(plausibly)」アメリカの全面的な支援を受けてジェノサイドを行っていると結論付けている。国連事務総長のアントニオ・グテーレスは、ガザ地区の状況を「道徳的な暴挙(moral outrage)」と称した。虐殺の様子を捉えた動画はソーシャルメディアで容易に見ることができる。

これらの自称「ルールに基づく秩序(rules-based order)」の擁護者たちは、イスラエルを遮断し、その不均衡な対応を非難するどころか、停戦と残りの人質の解放を求める国連安全保障理事会の決議を複数回拒否し、ICJICCへの攻撃を開始した。また、ヨルダン川西岸の占領下で暮らすパレスティナ人に対する暴力の増大を阻止するための真剣な努力も行っていない。これらの行動は、複数の政府高官が抗議の辞任に追い込まれ、国務省をはじめとする関係機関の士気を著しく低下させたとみられる。

22025年1月13日に国務省で行った退任演説で、バイデンはこれらの政策が功を奏したと示唆したようだ。ハマスとヒズボラは大幅に弱体化し、シリアのバシャール・アル=アサド大統領は失脚し、イランは深刻な打撃を受け、イランの核インフラを破壊するための空爆作戦を実施するリスクは減少した。この観点からすれば、これらの目的は手段を正当化すると言えるだろう。

この弁明は道徳的に空虚(vacuous)であり、戦略的にも近視眼的(shortsighted)だ。イスラエルとサウジアラビアの関係正常化は先送りされ、ジハード主義的なテロリズムの新たな波が目前に迫っているかもしれない。ハマスとヒズボラは弱体化したものの壊滅した訳ではない。イエメンのフーシ派は依然として抵抗を続けている。パレスティナ人が自らの国家、あるいは「大イスラエル(greater Israel)」における政治的権利を求める願望は消えることはないだろう。イランの指導者たちは、ムアンマル・アル=カダフィとアサドに降りかかった運命を回避するには、核兵器開発こそが最善の方法だと結論付ける可能性が高い。もしそうすれば、中東は再び不必要な戦争に見舞われ、原油価格は上昇し、アメリカは莫大な損失を伴う破綻に巻き込まれることになるだろう。たとえ消えることのない道徳的汚点を無視したとしても、これらの展開はどれもアメリカの利益にはならない。

バイデン政権によるイスラエル・ハマス戦争への対応は、差し迫った戦略的必要性によって強いられたのではないことを忘れてはならない。それは意識的な政治的選択だった。政府は存亡の危機に直面した際に、時に道徳的原則を妥協することがあるのは誰もが認めるところだが、ガザ地区の状況はアメリカにとってほとんど、あるいは全く危険をもたらすものではなかった。ワシントンはイスラエルによるジェノサイドへの支持を拒否しても、自国の安全や繁栄を少しでも危険に晒すことなく、行動できたはずだ。

バイデンとブリンケンがそうしなかったのは、選挙の年にイスラエル・ロビー(Israel lobby)の政治的影響力を恐れたか、イスラエルは通常のルールから除外される特別なケースだと考えていたからだろう。こうした露骨な二重基準(double standard)は、既存の秩序の正当性を必然的に損ない、アメリカの衰退しつつある道徳的権威(moral authority)を浪費した。今後、中国の外交官たちが他国に対し、西側諸国の人権観は偽善的な戯言だと説得しようとする時、イスラエルとハマスとの戦争はまさにその好例となるだろう。バイデンは、アメリカは「模範を示す力によって(by the power of our example)」主導するとよく言うが、今回の場合、他国が拒否することを願うべき模範を示したことになる。

バイデンは自称シオニストだが、ネタニヤフ首相の行動を無条件に支持したことはイスラエルにとっても良いことではなかった。イスラエルの首相と元国防大臣は、現在、国際刑事裁判所(the International Criminal Court)から逮捕状が出されている。これはプーティンと共通の問題であり、その汚点は消えることはないだろう。イスラエルのメシアニック過激派(Messianic extremists)は懲らしめられるどころか、むしろ強化され、世俗派と宗教派のイスラエル人の間の溝を深め、ヨルダン川西岸併合への圧力を強めている。

イスラエルがこの目標を推し進めれば、第二次世界大戦後の領土獲得を禁じる規範は更に弱まり、他の指導者たちは自らが切望する土地を奪取するよう促されるだろう。また、このような措置はヨルダン川西岸地区とイスラエル本土との区別を消し去り、イスラエルがアパルトヘイト国家であるか否かをめぐる議論に終止符を打つことになるだろう。これは容易に新たな民族浄化(ethnic cleansing)につながり、ヨルダンなどの近隣諸国に恐ろしい人道的被害と危険な影響を及ぼす可能性がある。私には、これらがイスラエルの利益となるとは到底考えられない。

最後に、ウクライナと中東における戦争(バイデン政権の政策が一因となって引き起こされた戦争)は、膨大な時間と関心を費やし、長期的に見てより重要な問題に十分な重みを与えることを困難にした。将来のパンデミックへの備えは停滞し、気候変動対策の進展は必要な水準を大きく下回った。そして、政権が信頼できる移民政策を打ち出せなかったことは、昨年11月にハリスに大きな痛手を与えた。

アフリカは重要性が増しているにもかかわらず、非常に軽視されてきた。過去4年間で、ブリンケンはイスラエル(人口1000万人弱)を16回、ウクライナ(人口3560万人)を7回訪問したが、人口約15億人のアフリカ大陸を訪問したのはわずか4回だった。

バイデン政権発足時の最重要目標は、「ルールに基づく秩序(rules-based order)」を強化し、独裁政治(autocracy)に対する民主政治体制(democracy)の優位性を示すことだった。しかし、バイデンとブリンケン国務長官は、都合の良い場合には躊躇なくルールを破り、ルールの執行を試みていた複数の機関(世界貿易機関、国際司法裁判所、国際刑事裁判所など)を積極的に弱体化させた。

他国はもはや、このような行動をトランプのような異端者(a rouge outlier)のせいにすることはできない。彼らは、これをアメリカの対外姿勢の本質的な要素として正しく認識するだろう。一方、バイデン政権が大々的に宣伝した「民主政治体制サミット(democracy summits)」にもかかわらず、世界中で民主政治体制は後退し続けており、強固な民主政治体制への関与が紙一重の人物が来週ホワイトハウスに復帰することになる。

ここに悲しい皮肉がある。確かにいくつかの成果はあったものの、バイデンのウクライナと中東情勢への対応の誤りは、彼が強化したいと述べていた「ルールに基づく秩序(rules-based order)」に甚大な、そしておそらくは致命的なダメージを与えた。バイデンとそのティームは、いくつかの重要な国際規範を一貫して遵守しなかったことで、次期政権(第2次トランプ政権)がそれらを完全に放棄することを容易にし、多くの国々が喜んでそれに追随するだろう。

こうなる必要はなかったが、ジョー・バイデンの外交政策の遺産は、ルールに縛られなくなり、繁栄が失われ、そして非常に、より危険な世界となるだろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。Bluesky@stephenwalt.bsky.socialXアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)
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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

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 ウクライナ戦争は現在も継続中であるが、大きな展開は見られない。そうした中で、トランプ政権が発足して、サウジアラビアで、アメリカとロシアによる停戦に向けた交渉が行われている。その場にウクライナはいない。私がこれまでの著作で書いてきているように、残念なことであるが(悲しいことであるが)、ウクライナはその交渉には参加できない。

ウクライナ戦争はアメリカがウクライナに代理で行わせた戦争であり、当初の目論見通りに進まず(ロシアが早期に手を上げると思っていた)、完全に失敗した中で、トランプ政権になって、停戦に向けた動きが始まっている。ウクライナは米露間で決まった条件を飲むしかない(多少の変更はできるだろうが)。そして、それを飲まないということになれば、ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領は、アメリカによって失脚させられるだろう。気の毒なのはウクライナ国民であり、ロシア国民だ。早く戦争が止まれば助かった命は多くあっただろう。アメリカと西側諸国の「火遊び(NATOの東方拡大)」によって、貧乏くじを引かされたのはウクライナ国民だ。

 停戦の条件はどうなるか分からないが、現状のままということになる可能性が高い。そうなれば、ウクライナは東部4州が独立するということになり、国土を失うということになる。ウクライナと西側諸国が「勝利」で終わるということはないだろう。そうなれば、「誰のせいで、誰の責任で、このような失敗をしてしまったのか、どうして戦争が起きてしまったのか」という話は当然出てくるだろう。

 下記論稿にあるように、責任の所在について色々と考えが出てくるだろうが、そもそも論で、西側諸国全体に責任を期する考えは大っぴらに出てくることはないだろう。アメリカとヨーロッパ諸国が、実際にウクライナを支援する意図はないが、ロシアを刺激し、ロシアに手を出させて戦争を起こさせて、打撃を与えるというような、稚拙な考えで、ウクライナの軍事部門だけを支援した結果が現在である。しかし、そのようなことを言えば、アメリカとヨーロッパ諸国のエスタブリッシュメントに責任が及んでしまうので、そのようなことは言えない。だから、もっと小さな、枝葉末節なことを言って、煙に巻いてしまおうということになるだろう。武器を与える与えないというのは、ウクライナ戦争において重要な要素ではある。しかし、それよりも重要な論点がある。

 アメリカをはじめとする西側諸国(the West)の失敗と減退をウクライナ戦争は象徴している。そして、日本に住む私たちが得るべき教訓は、西側諸国の火遊びに巻き込まれず、決して戦争を起こさないということだ。

(貼り付けはじめ)

「ウクライナを失ったのは誰か?」についてのユーザーガイド(A User’s Guide to ‘Who Lost Ukraine?’

-長期にわたる議論にどのように備えるか。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2025年1月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/01/08/users-guide-to-who-lost-ukraine/

ロシアのウクライナ戦争がどのように、そして、いつ終結するのか、正確なところは誰にも分からないが、その結末はキエフとその西側諸国の支持者にとって失望となる可能性が高い。そうなれば、次の局面では誰が責任を負ったのかをめぐる激しい論争が繰り広げられるだろう。参加者の中には、悲劇的な出来事から真摯に学びたいという思いから行動する者もいれば、責任を回避したり、他者に責任を転嫁したり、政治的な利益を得ようとしたりする人もいるだろう。これはよくある現象だ。ジョン・F・ケネディの有名な言葉がある。「勝利には100人の父親がおり、敗北は孤児だ(Victory has 100 fathers, and defeat is an orphan[訳者註:勝利の際にはたくさんの人が自分のおかげだと名乗り出るが、敗北の際には自分が原因だと名乗り出る人はいない]」。

この思想戦(this war of ideas)が勃発するのを待つ必要はない。なぜなら、いくつかの対立する立場は既に存在しており、他の立場は容易に予測できるからだ。ここで、それらの詳細な評価を示すつもりはない。このコラムは、戦争がなぜ起こったのか、そしてなぜ私たちの大多数が期待したようには進まなかったのかという、対立する説明をまとめた便利なチェックリストに過ぎない。

論点1:ウクライナが核兵器を放棄したのは間違いだった。一部の専門家によると、最初の大きな誤りは、ウクライナに旧ソ連から継承した核兵器を、実効性のない安全保障上の保証と引き換えに放棄させたことだ。もしキエフが独自の核兵器を保有していれば、ロシアの軍事介入を心配することなく、自らが望む経済協定や地政学的連携を自由に追求できたはずだというのがこの論点の趣旨だ。この論点は、最近ビル・クリントン元米大統領によっても引用されているが、ロシアは2014年にクリミアを占領したり、2022年に核兵器を保有するウクライナの残りの地域に侵攻したりする勇気はなかっただろう、なぜならそのようなことをするリスクが大きすぎるからだという主張である。この論点には技術的な反論(つまり、ウクライナが核兵器を保有していたとしても、使用できたかどうかは明らかではない)もあるが、それでもなお、検討に値する反事実的仮定(a counterfactual worth pondering)である。

論点2:ウクライナのNATO加盟招請は、戦略上極めて重大な失策だった。1990年代、洗練された戦略思想家たちが、NATOの拡大は最終的にロシアとの深刻な問題につながると警告したが、彼らの助言は無視された。こうした専門家の一人であるイェール大学の歴史家ジョン・ルイス・ギャディスは1998年に次のように述べている。「国務省は、NATOの新規加盟国が誰になるかを決めるまでの間、モスクワとの関係は正常に進展すると保証している。おそらく次は豚でも空を飛べるぞとでも言おうとするだろう(Perhaps it will next try to tell us that pigs can fly)」。ブッシュ政権が2008年のブカレスト首脳会議でジョージアとウクライナのNATO加盟を提案した際、アメリカ政府内からの警告は強まったが、加盟への機運を断ち切ることはできなかった。ロシアの抗議活動と安全保障上の懸念は軽々しく無視され、キエフと西側諸国間の安全保障上の結びつきが着実に強まったことで、最終的にロシアのウラジーミル・プーティン大統領は2022年に違法な戦争を開始するに至った。

この見解によれば、要するに、拡大論者がロシアの懸念の深さを理解せず、モスクワの反応を予測できなかったためにウクライナが侵略されたということになる。この主張は、ウクライナの最も熱烈な支持者にとっては忌まわしいものだ。彼らは、プーティン大統領はNATOが何をしようと遅かれ早かれ攻撃してきたであろう、なだめることのできない侵略者だから戦争が起きたのだと主張する。しかし、戦争が起きた理由に関するこの説明は論理的に一貫しており、それを裏付ける十分な証拠もある。こう言ってもロシアの行動を少しも正当化するものではないが、西側諸国の指導者たちはNATOの東方拡大(expanding NATO eastward)を始めた時点で、モスクワが何か酷いことをする可能性を考慮すべきだったことを示唆している。彼らはおそらく自らの行動が戦争の可能性を高めたことを認めることはないだろうが、他国を支援しようとする西側諸国の善意の努力が裏目に出るのはこれが初めてではないだろう。

論点3:NATOの拡大速度が遅すぎた。この論点は論点2の裏返しである。真の誤りはNATO拡大の決定や、後にウクライナに加盟行動計画の策定を要請したことではなく、キエフをより早く加盟させ、自衛手段を提供できなかったことだと主張する。この論点は、キエフが北大西洋条約第5条の保護と西側諸国の直接的な軍事支援の見込みを享受していれば、モスクワは軍事行動を取らなかっただろうと想定している。少なくとも、NATOは2014年にロシアがクリミアを占領した後、ウクライナの軍事力拡大をより迅速に支援すべきだった。そうすれば、将来のロシアの侵攻を抑止または撃退する上で、ウクライナはより有利な立場に立つことができたはずだ。この見方では、NATOの優柔不断さ(そして、バラク・オバマ政権がウクライナへの実質的な軍事支援に消極的だったこと)が、キエフを最悪の立場に追い込んだ。モスクワはキエフの西側への傾きを存亡の危機と見なしていたが、ウクライナはロシアの予防戦争(a Russian preventive war.)に対する十分な防御手段を欠いていたのだ。

論点4:西側諸国は2021年に真剣な交渉に失敗した。ウクライナが西側諸国(the West)への接近を着実に続ける中で、危機は2021年に頂点に達した。ロシアは3月と4月にウクライナ国境に軍事力を動員した。アメリカとウクライナは9月に新たな安全保障協力協定(a new agreement for security cooperation)に署名し、ロシアは軍備を強化し、12月にはモスクワがヨーロッパ安全保障秩序(the European security order)の抜本的な改革を求める2つの条約案を発表した。これらの条約案は真剣な提案ではなく、戦争の口実と広く見なされ、アメリカとNATOはロシアの要求を拒否し、控えめな軍備管理案を提示したにとどまった。その結果、米露両国はウクライナの地政学的連携について真剣な交渉を行うことはなかった。ロシアの要求全体が受け入れられなかった可能性もあるが、この見解は、アメリカとNATOはそれらを「受け入れるか、拒否するか」の最後通牒(a take-it-or-leave-it ultimatum)ではなく、最初の試みと捉えるべきだったと主張する。もしワシントン(そしてブリュッセル)がモスクワの要求の一部(全てではないが)についてもっと妥協する姿勢を持っていたら、この戦争は避けられ、ウクライナは多くの苦しみから逃れることができただろうか?

論点5:ウクライナとロシアは共に戦争を早期に終結させなかったために敗北した。後知恵(hindsight)で言えば、ウクライナとロシアは共に、戦争開始直後に終結していればより良い結果になっていただろう。この論点の1つは、2022年4月にイスタンブールでウクライナとロシアの両国は合意に近づいたものの、西側諸国が提案された条件に反対したため、最終的にウクライナは合意から離脱したというものだ。もう1つの論点は、2023年まで米統合参謀本部議長を務めたマーク・ミリー退役大将の主張と関連付けられることもある。それは、ハリコフとヘルソンにおけるウクライナの攻勢がロシアを一時的に不利な状況に追い込んだ後、ウクライナとその支援諸国は2022年秋に停戦を推進すべきだったというものだ。戦争を早期に終結させようとする努力が成功したかどうかは分からないが、戦闘が終結し、特に条件がキエフにとって不利なものであれば、これらの論点は再び注目を集めるだろう。モスクワがその侵略行為に対して支払った莫大な代償を考えれば、2022年初頭に交渉によって合意に達していた方がモスクワにとってもずっと良かったかもしれない。

論点6:ウクライナは背後から刺された。当然のことながら、ウクライナ国民と西側諸国の最も熱烈な支持者たちは、キエフへの支援が不十分で、そのスピードも遅く、支援内容にも制限が多すぎると長年不満を訴えてきた。もしキエフがロシアの凍結資産(Russia’s frozen assets)に加えて、エイブラムス戦車、F―16、パトリオット、ATACMS、ストームシャドウ、砲弾などをもっと多く受け取り、これらの兵器を自由に使用することができていたなら、ロシアは今頃決定的に敗北し、ウクライナは失った領土を全て取り戻していただろう。この見解は、西側諸国の強硬派(hard-liners)を今回の惨事の責任から見事に免責するものだ。問題は彼らの助言が間違っていたのではなく、十分な熱意を持ってそれに従わなかったことにあると示唆しているからだ。結果として、今後、様々な方面から、いわば、陰謀(dolchstoss、ドルクストス)の復活とも言える批判が聞かれることが予想される。

論点7:それはキエフの失敗だ。ウクライナ人がロシアの手によって耐え忍んできた苦しみを考えると、結果を自らの戦略的ミスのせいにするのは無神経であり、残酷ですらある。とはいえ、戦後、何が間違っていたのかを評価する試みには、2023年夏のウクライナ軍の不運な(ill-fated)攻勢(西側諸国の評論家の多くが不可解にも成功すると確信していた)と、戦術的には成功していたものの戦略的には疑問視されていた、2024年夏のクルスク侵攻が間違いなく含まれるだろう。ウクライナ軍は英雄的に戦い、印象的な戦術的創意工夫(impressive tactical inventiveness)を見せたが、戦後の批評家たちは、内部腐敗による戦力の消耗、防衛体制の構築に十分な努力を払わなかったこと、そしてキエフが若い世代を戦闘に動員する意欲、あるいは能力がなかったことに焦点を当てるだろう。

論点8:これは現実政治(realpolitik)だ。プーティン大統領をはじめとするロシア人は、この戦争をアメリカ主導によるロシアの弱体化維持のための執拗な努力の一環と見ているが、西側諸国の中には、ウクライナはロシアを長期にわたる莫大な費用を伴う戦争に巻き込むための単なる犠牲の駒に過ぎないと考える人もいるのではないかと思う。これはまさにマキャベリズム的な見方で、NATOの拡大とウクライナ加盟はモスクワを激怒させ、最終的には軍事的対応を引き起こすことを西側諸国のエリート層(特にアメリカ人)が理解していたことを示唆している。もし戦争がウクライナを越えて拡大せず、西側諸国の軍隊が介入しなければ、はるかに裕福な西側諸国はウクライナを長期間戦闘に引き留め、ロシアを徐々に疲弊させていくことができるだろう。同様の戦略は1980年代のアフガニスタンでソ連に対して効果を発揮しており、ロシアが最近シリアとモルドヴァで後退していることは、それが効果を上げていることを示唆している。私自身、この説明には大きな疑問を抱いているが、時が経てばアーカイブから何が明らかになるのか興味がある。

論点9:他の全てが失敗したらトランプのせいにする。ジョー・バイデン米大統領はある意味で幸運だった。アフガニスタンの終盤とは異なり、ウクライナの決着は他の誰かの監視下で起こるだろう。結果がウクライナに不利になれば、批評家たちは責任の一部を次期大統領のドナルド・トランプに押し付けるだろう。トランプは自分が弱いと思われ、結果の責任を負わされることを恐れ、これまで示唆してきた以上の支援をウクライナに与えるかもしれないが、バイデンほどの言論的、物質的な支援は行わないだろう。もしウクライナがロシア占領下の4州とクリミアを永久に失うか、新たな凍結紛争(frozen conflict)に巻き込まれることがあれば、トランプの政敵は喜んで彼に責任を負わせるだろう。

ウクライナで何がうまくいったのか、何がうまくいかなかったのかを健全かつ公平に議論すれば、正しい教訓を学び、将来に向けてより良い行動を選択できるだろう。しかし、過去の失敗から正しい教訓を学べる保証はない。このコラムの常連の読者の皆さんは、私がこれらの様々な議論の中でどれが最も説得力があると考えているか既にご存知だろうが、ここでの私の目的は誰かを責め立てることではない。今は、このコラムを切り取って、非難の矛先が向けられ、激しい論争が始まるのを待ちたい。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ブルースカイ・アカウント:@stephenwalt.bsky.socialXアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)
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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
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 日本でも一部の極端な主張する右派の人々が核武装論を振りかざしている。その馬鹿さ加減は救いようがないが、ある意味では、彼らは「平和ボケ」の「幸せな」人々である。実際に核兵器を持ち、自国の国民を危険に晒すことになるかしれないということを死ぬほどの苦しみで悩み、考え抜く、超大国の最高指導者や最高指導層の苦しみに思いが至らない、なんとも単純で、幸せな頭の構造をしていて、何よりも想像力と思考力が圧倒的に欠如している。私はここまで書きたくはないのだが、書かざるを得ないほどの惨状を呈している。

 下に掲載した論稿を読めば、核兵器は使用できない平気であり、核戦争を戦ってはいけない戦争であることがよく分かる。「核戦争は決して戦ってはいけない」という言葉を残したのは、タカ派で知られるロナルド・レーガン大統領だ。ソ連を悪の帝国として、冷戦に勝つために、軍拡競争で仕掛けた、レーガン大統領でさえも、核戦争は勝利できない、相手を殺すために、自分を殺すことになる、自分を殺さねば相手を殺せないということがよく分かっていた。

 ウクライナ戦争は既に3年以上が経過ししている。この間に、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領は核兵器使用を示唆する、脅迫的な言動を行った。それに対して、アメリカのジョー・バイデン政権は抑制的な態度を取った。ウクライナを使って「火遊び」をしていたアメリカにしても、核兵器使用、核戦争だけは絶対に避けねばならないということはコンセンサスとして持っていた。それで、ウクライナに戦闘機支援などを行わらず、しかし、多額の軍事援助を行うという最悪の選択を行い、戦争が長引き、ウクライナの人々と国土が大きく傷つくことになった。

 ドナルド・トランプ政権はウクライナ戦争の停戦に向かって動いている。考えてみれば、ロシア側はバイデン政権下では停戦のための交渉に乗ってこなかった。トランプになって、大きく動き始めた。これだけでもトランプ政権発足の意義は大きい。このように書く人は日本では多くないだろうが。

 核兵器が登場し、日本の広島と長崎で実際に使用されて以降、核兵器が自国への攻撃や戦争を抑止する効果を持たず、自国の国民を危険に晒す「無用の長物」となっている。日本は核武装等するべきではない。全く意味を持たない。日本が核武装をする、正確にはアメリカによって核兵器を持たされる時には、中国との直接衝突、日本への核攻撃をさせたいという意図がある時だ。アメリカに中国からの核攻撃を受けないために、弾よけにするためだ。中国に対する核攻撃は日本がやったことで、日本が被害を受けるという形にしたいとアメリカが考えれば、日本に核兵器を持たせることになるだろう。だから、私たちは何があっても、核兵器を持ってはいけない。日本が核兵器を持てば、日本の存亡の危機が高まる。用心して慎重に動かねばならない。

(貼り付けはじめ)

プーティンが終末をもたらすという脅威(Putin’s Doomsday Threat

-ウクライナでキューバ・ミサイル危機の再発を防ぐにはどうすべきか

グレアム・アリソン筆

2022年4月5日

『フォーリン・アフェアーズ』誌

https://www.foreignaffairs.com/articles/ukraine/2022-04-05/putins-doomsday-threat

ロシアのウクライナ侵攻が頓挫し、その勢力が東部の戦場に軸足を移したことで、戦争は新たな、より暗く、より危険な局面を迎えつつある。マリウポリはその未来を予見させる。ロシアの都市グロズヌイを「解放する(liberate)」ために爆撃して瓦礫と化し、シリアの独裁者バシャール・アル=アサドとともにアレッポを破壊したウラジーミル・プーティンは、大量破壊に対して道徳的な遠慮がないことは確かだ。更に、ウクライナでの戦争は今や紛れもなくプーティンの戦争であり、ロシアの指導者プーティンは、自分の政権や命さえ危険に晒すことなく負ける訳にはいかないことを知っている。そのため、戦闘が続く中で、彼が不名誉な撤退(an ignominious retreat)をするか、暴力のレヴェルをエスカレートさせるかの選択を迫られた場合、私たちは最悪の事態に備える必要がある。極端な話、その事態には核兵器も含まれるかもしれない。

ロシア軍が罪のない一般市民を凄惨な方法で殺害しているという証拠が増加していくにつれて、アメリカとヨーロッパの同盟諸国は、戦争を拡大させる危険性のある方法で介入するよう、高まる圧力に直面している。ジョー・バイデン米大統領は、世界的な連合(a global coalition)を動員し、世界がかつて経験したことのないほど包括的で痛みを伴う制裁措置をロシアに科している。バイデン大統領は、プーティンとその支持者たちを事実上追放し、西側世界の多くで彼らを「社会的に排除された人々(pariahs)」にした。アメリカはNATO加盟の同盟諸国と一緒に、勇気をもって自由のために戦っているウクライナ人に大量の武器を供給している。しかし、多くのアメリカ人は、地球上で最も強力な国家の国民として、バイデン政権にこれ以上何ができるのかと問いかけていることだろう。既に識者や政治家たちの間では、ウクライナの上空に飛行禁止区域を設定したり、ポーランドのMiG29をキエフに譲渡したりするようバイデンに求める声が上がっている。

しかしながら、これらの要求が考慮していないのは、冷戦の中心的な教訓である。核保有超大国の軍隊(military forces of nuclear superpowers)が、互いに相手を数百、数千人殺したり、殺す可能性のある選択肢を真剣に検討したりする熱い戦争(a hot war)に巻き込まれた場合、そこから核戦争がもたらす究極の世界的大惨事(the ultimate global catastrophe of nuclear war)に至るまでのエスカレーションは驚くほど短い可能性がある。教科書的な事例は、1962年のキューバ・ミサイル危機である。

アメリカの偵察機が、ソヴィエト連邦が核弾頭ミサイルをキューバに密かに持ち込もうとしているのを捕捉したとき、ジョン・F・ケネディ米大統領は即座に、この行動は許されないと判断した。彼は、ディーン・ラスク国務長官が「目をそらさずににらみ合う(eyeball-to-eyeball)」と評したソ連のニキータ・フルシチョフ首相と対決した。これは米海軍による、キューバの海上封鎖(a naval blockade of Cuba)から始まり、ミサイル基地への空爆という脅迫の最後通牒(an ultimatum threatening air strikes on the missile sites)で終わった。歴史家たちは、これが歴史上最も危険な瞬間であったことに同意している。 13日間の終わりに近づいた静かなひととき、ジョン・F・ケネディは弟のボビー(ロバート)・ケネディに個人的に、この対立が核戦争に終わる可能性は「3分の1」だと考えていると打ち明けた。その後数十年間に歴史家が発見したものは、その可能性を少しでも高めるものではなかった。もし戦争が起こっていたら、1億人のアメリカ人とそれ以上のロシア人の死を意味していたかもしれない。

この危機で学んだ教訓は、それ以降の数十年間、核兵器に関する国家運営(nuclear statecraft)に活かされてきた。60年もの間、同じような対立がなかったため、核戦争が起こるということは、専門家たちの多くにとってほとんど考えられないことであった。幸いなことに、バイデンと政権の主要メンバーたちはよく分かっている。プーティンの挑戦に対応するための戦略を分析検討する中で、ロシアの国家安全保障戦略には、相手が核兵器を使用していない、あるいは使用すると脅していない場合でも、特定の状況下では核兵器を使用することが含まれていることをバイデン政権の主要メンバーたちは知っている。彼らは、ロシア軍がドクトリンとして「エスカレートからデスカレートへ(escalate to deescalate)」と呼ぶ、ロシアとその同盟諸国に対する大規模な通常の脅威に対抗するために戦術核兵器を使用することを予見したドクトリンを実践しているロシアの軍事演習を調査研究している。

従って、専門家のほとんどがプーティンの「あなた方の歴史上経験したことのない結末(consequences you have never experienced in your history)」という暗い脅しや、ロシアの核戦力を「特別戦闘準備態勢(special combat readiness)」に置くことを単なる妨害行為と見なしているのに対し、バイデンのティームはそうではない。例えば、プーティンが通常戦場で自軍が大敗を喫したと判断した場合、ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領を降伏させるために、ウクライナの小都市の1つに戦術核兵器(低収量の爆弾だが、それでも壊滅的な結果をもたらす)を使用する可能性は否定できない。もしアメリカがこれにある種の対応をすれば、キューバをめぐる対立以上に危険な核のチキンゲーム(chicken game)が展開されることになる。

●対立が如何にして核戦争にまで深刻化するか(How Confrontations Go Nuclear

1962年の力学はどのようにして核戦争にまで結びつくものとなったのだろうか? この危機を分析したアナリストたちは、アメリカの都市を焼却することになった可能性のある、もっともらしい道筋(plausible paths)を10以上挙げている。最速の1つは、当時ケネディでさえ知らなかった事実から始まる。ケネディと側近たちにとって核心的な問題は、ソ連がアメリカ大陸を攻撃できる中・超中距離核ミサイル(medium- and intermediate-range nuclear missiles)をキューバに設置するのを阻止することだった。しかし彼らは、ソ連が既に100発以上の戦術核兵器をキューバに配備していることを知らなかった。更に言えば、そこに配備された4万人のソ連軍は、攻撃された場合にそれらの兵器を使用する技術的能力と認可の両方を持っていた。

例えば、あの致命的な危機の12日目に、フルシチョフがケネディの最後の解決策の提案をきっぱりと拒否したと想像してみて欲しい。ケネディは、ソ連がミサイルを撤退すればアメリカはキューバに決して侵攻しないと誓うという取引を提案し、それにフルシチョフが拒否すれば24から48時間以内にキューバを攻撃するとの非公式の最後通牒(a private ultimatum)を与えていた。ケネディは否定的な反応を予想して、その時点で、キューバ島のミサイルを全て破壊する爆撃作戦を承認していた。また、この直後に侵攻し、攻撃を逃れた兵器を確実に除去することになっていた。しかし、アメリカ軍が島に上陸してソ連軍と交戦したとき、アメリカ軍司令官たちは存在を知らなかった戦術核兵器の標的になっていた可能性が高い。これらの兵器は、彼らを島に輸送したアメリカの船を沈没させただろうし、おそらく侵略者が来たフロリダの港にも打撃を与えただろう。

その時点で、フルシチョフは、アメリカ本土に弾頭を運ぶ能力を持つソ連の20基のICBMに燃料を補給し、発射準備を整えるよう命じていただろう。ケネディは、その時、とんでもないディレンマに直面していただろう。ソ連の核兵器に対する先制攻撃を命じることもできただろう。その攻撃では、ソ連は数千万人のアメリカ人を殺害するのに十分な核兵器をまだ残している可能性が高い。あるいは、ソ連の完全な核兵器による攻撃に対してアメリカが脆弱な状態になり、1億人以上のアメリカ人の死を招く可能性があると知りながら、攻撃しないこともできただろう。

幸いなことに、ロシアのウクライナに対する戦争がいかに恐ろしいものになったとしても、核爆弾でアメリカの都市が破壊されるという結末を迎えるリスクは、ジョン・F・ケネディ(JFK)が3分の1には遠く及ばない。実際、私の判断では、100分の1未満であり、おそらく1000分の1に近いだろう。プーティンのウクライナ侵攻が1962年のミサイル危機の続編になっていない主な理由は2つある。第一に、プーティンは、NATO加盟諸国の領土への侵入や攻撃などのレッドラインを超えることを避けるなど、アメリカの重要な国益を脅かさないよう細心の注意を払っている。第二に、バイデンは最初から、ウクライナで起きていることがより大きな戦争の引き金になることを許さないと決意していたからだ。

●先制的な抑制(Preemptive Restraint

プーティンの挑戦に対するバイデンの対応は、アメリカの国益に関する揺るぎない戦略的明確さ(unblinking strategic clarity about American national interests)を示している。彼は、ウクライナの力学が、もし誤った対応をすれば核戦争につながるという真のリスクを理解している。また、アメリカはウクライナに重大な利益を持っていないことも知っている。ウクライナはNATO加盟国ではなく、したがって、ウクライナに対する攻撃をアメリカに対する攻撃であるかのように防御するというワシントンからの第5条の保証はない。よって、バイデンがウクライナをめぐってロシアとの戦争に突入することは、アメリカの外交政策における最悪の、そしておそらく最後の大きな誤りとなる可能性がある。

それを防ぐための決定的な努力として、ロシア軍がウクライナを包囲する中、バイデンはアメリカ軍をウクライナでの戦闘に派遣することは「選択肢にない(not on the table)」と明言した。12月8日の記者会見で、彼は「アメリカがロシアに対抗するためにアメリカ一国で武力を行使するという考えは、今のところあり得ない(The idea that the United States is going to unilaterally use force to confront Russia [to prevent it from] invading Ukraine is not in the cards right now)」と宣言した。それ以降、バイデン陣営は繰り返しその点を強調してきた。プーティンの犯罪がいかに悲痛なものであろうと、ウクライナを守るためにアメリカ軍を派遣することはロシアとの戦争を意味する(No matter how heart-rending Putin’s crimes, sending U.S. troops to defend Ukrainians would mean war with Russia)。その戦争は核戦争へとエスカレートする可能性があり、ウクライナだけでなく、ヨーロッパ、ロシア、アメリカの国民も犠牲者となるだろう。要するに、バイデンが述べたように、アメリカは「ウクライナで第三次世界大戦を戦うつもりはない(the United States “will not fight the third world war in Ukraine”)」のだ。

連邦議会におけるバイデンの批判者たちは、現在、彼の慎重さがプーティンの侵攻を招いたと主張している。共和党のトム・コットン連邦上院議員は、「バイデンの弱腰な宥和政策(weak-kneed appeasement)がプーティンを刺激した」と発言している。アメリカにジョージ・W・ブッシュのような強い大統領がいたら、侵攻は決して起こらなかっただろうとコットンと彼の同調者たちは主張する。反事実は複雑だ(Counterfactuals are complicated)。しかし、この場合、少し歴史を応用すれば大いに役立つ。

2008年のプーティンによるグルジア侵攻について考えてみよう。ブッシュ大統領の当時、グルジアの展開はロシアの侵攻前のウクライナの展開と概ね似ていた。当時、ロシアの支援を受けた分離主義者たち(Russian-backed separatists)と対峙するグルジアの取り組みは、プーティンにとって容認できない脅威とみなされていた。その年のNATOサミットでブッシュ政権はグルジアとウクライナをNATOに急遽加盟させようとしたが失敗した後、勇気づけられたグルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は、離脱した南オセチア州を厳しく取り締まった。プーティン大統領がロシア軍にグルジア侵攻を命令してこれに応じたとき、彼はブッシュ大統領がアメリカ軍を戦争に派遣する用意があることに疑いを持っていなかったことは確かだ。何しろ、彼はブッシュ大統領が2003年にイラク侵攻に13万人の兵士を派遣し、さらにアフガニスタンに数万人の兵士を派遣するのを見ていた。こうした証拠は、ブッシュ大統領の強気な態度(Bush’s bravado)がプーティン大統領を抑止するどころか、主にサアカシュヴィリ大統領の無謀さ(Saakashvili’s recklessness)を助長し、それが今度はプーティン大統領の侵攻の口実となったことを示唆している。

ロシアの侵略者がグルジアの首都に近づくと、ブッシュ政権は更なる選択に直面した。予想通り、政権の一部のメンバー、特にディック・チェイニー副大統領の補佐官たちは、ロシアによるグルジア占領を阻止するためにアメリカ軍を派遣するよう求めた。大統領が議長を務めた国家安全保障会議の特別会議(a special National Security Council meeting)で、国家安全保障問題担当大統領補佐官のスティーヴン・ハドリーは、「グルジアをめぐってロシアと戦争する用意はあるか」という質問を直接投げかけた。大統領は会議の参加者全員に、各自の答えを出すよう求めた。ハドリーは後に「私は、軍事的対応の可能性について、全員にカードを見せてほしかった」と述べた。そうしなければ、後に、グルジアのために戦う用意はあると主張したものの却下されるかもしれないと分かっていたからだ。テーブルを囲んで議論すると、チェイニー、コンドリーザ・ライス国務長官、ボブ・ゲイツ国防長官を含め、誰も賛成票を投じる意向を持っていなかった。アメリカはグルジアの援助に向かうことはなく、戦争は2週間以内に終わった。

●多くの大統領が示す1つの前例(A Precedent with Many Presidents

示唆に富むこととして、バイデン政権とブッシュ政権が採った選択は、同様のディレンマに直面した他の全ての米政権が採った選択と一致している。1948年にソ連がベルリンへの高速道路を封鎖したとき、ハリー・トルーマン大統領はアメリカ軍に戦わせるという軍司令官の提案を拒否した。ドワイト・アイゼンハワー大統領は、1956年のハンガリー動乱(1956 Hungarian uprising)を防衛するために米軍を派遣しないことを選んだが、これは1968年の「プラハの春(1968 Prague Spring)」の際、リンドン・ジョンソン大統領がチェコスロバキアで繰り返した決断である。ケネディはベルリンの壁を建設するソ連軍を攻撃することを拒否した。そして1984年、ソ連領空に誤って侵入した民間旅客機をソ連が撃墜し、現職連邦下院議員を含む52人のアメリカ人が死亡したときも、ロナルド・レーガン大統領は同様にエスカレートを拒否した。どのケースでも、国家の存亡に関わるような重大な国益が明確でなければ、そのリスクを冒す覚悟はなかった。

前任者たちと同様に、バイデン大統領、マーク・ミルリー統合参謀本部議長、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官、そして政権の他の人々は、キューバ・ミサイル危機で起こったことについて読んだだけでなく、核の危険を身をもって体験できるように設計された模擬戦争ゲーム(simulated war games)にも参加していた。彼らは、ジョン・F・ケネディ大統領とテーブルを囲み、自分たちの家族を殺すかもしれない核攻撃を引き起こす可能性があることを知っている選択について議論した人々の役を演じた。「単一統合作戦計画(Single Integrated Operational PlanSIOP)」とは、1960年代初頭に考案されたアメリカの核戦争に関する一般的な計画で、アメリカの核兵器が必要となった場合の発射手順や標的の選択肢を示したものだ。バイデンと彼の上級顧問たちは、アメリカの戦略核戦力はロシアを地図上から消し去ることができるが、そのような対立の最後にはアメリカも消滅してしまうという事実を把握している。こうして彼らは、ロナルド・レーガンが有名な短い言葉で捉えた深遠な真実を理解している。「核戦争に勝つことはできないし、決して戦ってはならない(“A nuclear war cannot be won and must never be fought”)」。

 

 

レーガンの2つの命題は、暗唱するのは簡単だが、戦略的思考に組み込むのは難しい。アメリカが世界最強の軍隊を持ち、ロシアを墓場にできるほどの核戦力を有しているにもかかわらず、レーガンの最初の指摘は、その戦争の終わりにはロシアもアメリカを完全に破壊していたであろうことを思い起こさせる。誰もそれを勝利とは呼べない。この状態は、冷戦時代の戦略家たちによって相互確証破壊(mutually assured destructionMAD)と呼ばれ、強力な核兵器を持つ敵同士の総力戦(all-out war)は核兵器による狂気の沙汰ということになった。テクノロジーは事実上、アメリカとロシアを切っても切れない双子のような関係にした。どちらか一方が他方を殺すことはできても、同時に自分が殺されることなしに殺すことはできない。

レーガンの警告の後半部分は更に理解しにくい。核戦争は「決して戦ってはならない(must never be fought)」ということだ。プーティンのロシアが今日どれほど邪悪で危険であろうとも、アメリカは戦争をせずにロシアを倒す方法を見つけなければならない。冷戦中、ソ連との戦争を避けるということは、そうでなければ全く受け入れられないであろう、ソ連と戦うためのアメリカの取り組みに対する制約を受け入れることを意味した。これには、ソ連が東ヨーロッパの捕虜となった国々を占領し続けることを誰もが目にできる限り続ける一方で、アメリカはそれらの共産主義政権への支持を弱めるためにできる限りのことをすることや、誤算や事故(miscalculations or accidents)による戦争につながるリスクを高める可能性のある特定の兵器システム(例えば中距離核戦力)を配備しないことで米ソ両国が合意する妥協点に達することなどが含まれていた。

特に今日のワシントンの熱気の中では、レーガンが中距離核戦力全廃条約に署名した際、『ワシントン・ポスト』紙のコラムニストだったジョージ・ウィルが「道徳的な軍縮を加速させているだけで、実際の軍縮はその後に続く(accelerating moral disarmament—actual disarmament will follow)」と非難したことを思い出すと役に立つかもしれない。当時の指導的保守派知識人ウィリアム・バックリーは、レーガンのINF合意を「自殺協定(suicide pact)」と呼んだ。そのような批判について、レーガンは次のように書いている。「私のより急進的な保守派の支持者の中には、私がロシアとの交渉で我が国の将来の安全保障を犠牲にしようとしていると抗議する者もいた。私は彼らに、自分たちが不利になるような協定には署名しないと保証したが、それでも彼らから多くの非難を受けた。彼らの多くは、核戦争は『避けられない(inevitable)』ので、それに備えなければならないと考えていたと私は確信していた」。

●他の手段による戦争(War by Other Means

キューバ・ミサイル危機から得た数多くの教訓の中で、バイデン政権にとって今後数週間のうちに特に重要となりそうなものがある。キューバ・ミサイル危機のわずか数カ月後、ジョン・F・ケネディ大統領が最も重要な外交演説で述べたように、「何よりも、核保有国は、自国の重要な利益を守りつつ、敵国に屈辱的な撤退か核戦争かの選択を迫るような対立を回避しなければならない(Above all, while defending our own vital interests, nuclear powers must avert those confrontations which bring an adversary to a choice of either a humiliating retreat or a nuclear war)」。もしプーティンがこの2つの選択肢しか選べないとしたら、前者を選ぶ保証はない。バイデンはプーティンにそのような選択を迫ることを慎重に避けてきたが、事態は今、ロシアの指導者プーティンがそのような岐路に立たされたと見なしうる方向に向かっている。現地での戦争の事実が、この戦争に負けるか、戦術核攻撃でウクライナ人と世界に衝撃を与える以外に選択肢を残さないのであれば、彼が後者を選択することに賭けるのは愚かなことだ。

これを防ぐために、バイデンと彼のティームは、事態が急速に行き詰まりに向かっているのを受けてJFKがしたことを見直すべきだ。アメリカによる海上封鎖は、ソ連がキューバにミサイルを持ち込むのを阻止することには成功したものの、ソ連が既にキューバで対米ミサイル発射の準備をしているのを阻止することはできなかった。こうして危機の最後の土曜日、ケネディのアドバイザーたちは、攻撃するか、キューバのソ連ミサイル基地を既成事実として受け入れるか、2つの選択肢しかないと彼に告げた。ケネディはその両方を拒否した。代わりに、彼は次の3つの要素から成る想像力豊かな代替案を考案した。それらは、ソ連がミサイルを撤去すればキューバを侵略しないと約束する公式な取引、フルシチョフがその申し出を受け入れなければ24時間から48時間以内にキューバを攻撃すると脅す非公式な最後通牒、そして危機が解決した後の6カ月以内にトルコからアメリカのミサイルを撤去することを約束する秘密の魅力的な追加要素(sweetener)である。

ウクライナでプーティンに同様の出口(off-ramp)を設けるために必要となる複雑な多層的交渉と外交では、アメリカと同盟諸国は、1962年のケネディとその助言者たち以上の想像力を必要とするだろう。しかし、バイデンと彼のティームがこの難題に立ち向かうとき、彼らはJFKの最も素晴らしい時間にインスピレーションを見出すことができるだろう。

※グレアム・アリソン:ハーヴァード大学ケネディ記念行政大学院ダグラス・ディロン記念政治学教授。著書に『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ(Destined for War: Can America and China Escape Thucydides’s Trap?)』がある。

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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
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『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。

  国際秩序(international order)は変化しつつある。覇権国アメリカによる一極支配は衰退しつつある。それに伴って世界は新しい秩序作りに向かうことになる。それは、これまでの西洋近代支配600年の終焉を意味する。非西洋世界の勃興により、これまでの規範も変改していく。西洋的な価値観が普遍的な価値観であるという世界は終わっていく。そうした状況の中で、以下の論稿は非常に重要な内容である。簡単に言えば、フランシス・フクヤマの唱えた「歴史の終わり(End of History)」対サミュエル・ハンティントンの唱えた「文明間の衝突(Clash of Civilizations)」ということだ。冷戦に西洋が勝利して、晴雨用的な価値観が世界の普遍的な価値観になるというフクヤマの考えは、今や、結局、諸文明間の争いが続くとしたハンティントンの考えに取って代わられつつある。

 以下の論稿を要約すると次の通りになる。私たちは現在、重要な国際関係の再編成の瞬間に直面している。これまでのリベラルな国際秩序の終焉を迎えている。過去の変曲点(変化する時点)では、旧秩序が徐々に崩壊し、成功する新しい秩序は長い間考案されてきていた。例えば、1919年には戦争の違法化や諸国家による議会設立(国際連盟)が検討され、1945年には国際連盟の改編(国際連合)が計画されていた。1990年代の冷戦終結後における新たな覇権は、国際社会の国境は武力で変更できないことや、国家主権の原則、自由で公正な貿易の重要性、多国間機関による紛争解決といった基盤に依存していた。これらは主にアメリカが擁護していた規範の柱だった。

近年、特にロシアと中国からのこの規範に対する挑戦を受けている。特に、アメリカがこれらの原則を拒否していることが、問題の核心となる。新たに誕生しようとしている国際秩序の性質は、ゼロサムの交流主義や強者・弱者の権力政治、アイデンティティ政治の力強い主張を特徴としていると考えられる。この特徴は、「ベルリンの壁」崩壊後の国際競争とは異なり、より平等な競争環境を形成する。冷戦終結時、フクヤマの「歴史の終わり」とハンティントンの「文明の衝突」の論争は非常に注目を集め、特に後者は批判的な評価を受けた。

フクヤマは、冷戦の終結を自由主義的民主主義の普及と見なしたのに対し、ハンティントンは文明間の紛争が続くと予測した。冷戦後の国際秩序はフクヤマの規範的枠組みの下で機能していたが、最近ではその原則が挑戦を受けている。特にロシアのクリミア併合は、リベラルな国際秩序の明確な否定と見做される。

2014年を境に、新興勢力が自国の価値観を持ち込むようになり、フクヤマの理想が崩れつつあることが明白になっている。これまでの楽観的なリベラル国際主義は失われつつあり、様々な国で文明間の衝突の現象が顕著になっている。新しい国際秩序では、力強い自己主張を行う者に運命が向かい、冷酷さが報われる状況が続くだろう。つまり、ハンティントンの予見が現実になり、変化が進行する中で、私たちはますます不安定な国際関係の中で生きることになる。

 私たちは頭の中を大きく変化させなければならない。これまでの常識が通じない世界が出現しようとしている。このような時代を目撃できるということは、この時代に生まれて、生きて、幸運だったということになるだろう。

(貼り付けはじめ)

サミュエル・ハンティントンが復讐する(Samuel Huntington Is Getting His Revenge

-世界的な「文明の衝突」という考えは間違っていなかった。ただ時期尚早だっただけだ。

ニルス・ジルマン筆

2025年2月21日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/02/21/samuel-huntington-fukuyama-clash-of-civilizations/?tpcc=recirc062921

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サミュエル・ハンティントン(2002年)

私たちは今、1989年、1945年、あるいは1919年に匹敵するほど重大な、世代を超えた国際関係の再編成の瞬間に立っている。これらの過去のエピソードと同様、1990年代に形成されたリベラルな国際秩序(liberal international order)が終焉を迎える瞬間は、希望と恐怖(hope and fear)が同じ程度に交錯する瞬間である。このような重要な局面では、有能な実行者(competent operators)よりもむしろカリスマ的な日和見主義者(charismatic opportunists)が輝くものである。

これまでの変曲点(inflection points)では、旧秩序はゆっくりと破綻し、その後に一気に崩壊した(collapsing all at once)。それぞれの時代に生きた人々にとってはこれらの大変化は必ずしも明確ではなかったが、振り返ってみると、それぞれのケースで成功する新しい秩序は、長い間構想されていたことが分かる。例えば、1919年には、戦争の違法化(outlawing of war)と諸国家による議会設立(establishment of a parliament of nations)が何十年も前から検討されていた。1918年には、ウッドロー・ウィルソン米大統領が国家の資格要件の基礎(basis of qualification for a state)として「民族自決(national self-determination)」を提案していた(ただし白人主導の国家に限られた[(albeit only for white-led nations])。1945年には、国際連盟(League of Nations)を改革し、実効力のある安全保障理事会(effective security council)を設置するという構想が1942年から計画が出ていた。しかし、大戦末期の核兵器の出現によって計算は変更され、冷戦(Cold War)が生み出された。そして、1989年以前には、東西・南北の権力闘争(East/West and North/South power struggles)に代わる普遍的な「リベラル(liberal)」あるいは「ルールに基づく(rule- based)」国際秩序の構想が、1970年代にはすでに提案されていた。

1990年代に出現した冷戦後の新たな覇権(hegemony)は、いくつかの規範の柱に基づいていた。すなわち、(a) 国際社会における国境(international borders)は力で書き換えられないこと(この戦後規範を守ることが、1991年の湾岸戦争(Gulf War)の表向きの開戦理由であった)、(b) 甚だしい人権侵害が行われていない限り、国家主権の原則は依然として適用されること(この例外は、最終的には「保護する責任(the responsibility to protect)」という名目で正式に規定される)、(c) 自由で公正な貿易は全ての当事者に利益をもたらすため、世界的な経済・金融統合(global economic and financial integration)は全ての国が受け入れるべきであること、(d) 国家間の紛争は多国間機関における法的交渉を通じて解決されること、1995年の関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and TradeGATT)から世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)への格上げは、この原則を制度的に具体化した象徴的な例である。

確かに、これらの柱のどれもが反対のない状態進んだ訳ではない。覇権はコンセンサス(consensus)と同じではない。過去15年間、それぞれの柱は、特にウラジミール・プーティンのロシアと習近平の中国によって、ますます直接的な形で挑戦されてきた。決定的だったのは、1990年代と2000年代にこれらの原則の最大の擁護者であると主張したアメリカが、現在ではその全てを拒否していることだ。ネイサン・ガーデルズが数週間前に主張したように、再任されたドナルド・トランプが主導して、アメリカは今や世界有数の修正主義国家(revisionist state)であり、この主張は最近ハワード・フレンチによって繰り返された。

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アテネを訪問するフランシス・フクヤマ(2017年1月27日)

旧秩序が死につつある中、今日の国際関係を悩ませている中心的な問題は、誕生しようと苦闘している新秩序(new order)の性質である。この新秩序に最終的にどのようなラヴェルが付けられるにせよ、その定義的な特徴には、国際経済におけるゼロサム交流主義(zero-sum transactionalism)、「強者はできることをし、弱者は我慢しなければならないことをする」というトゥキュディデス流の権力政治(Thucydidean power politics)、そして「文明国家(civilizational states)」を中心としたアイデンティティ政治の力強い主張が含まれるだろう。これらの特徴は、チャールズ・クラウトハマーが「一極化の瞬間(unipolar moment)」とよく表現した「ベルリンの壁」崩壊後の国際競争の場よりもはるかに平等な国際競争の場で形作られるだろう。このベルリンの壁崩壊は、かつてフランスの外務大臣を務めたユベール・ヴェドリーヌの言葉を借りれば、アメリカが唯一の「極超大国(hyperpower)」として登場した時期であった。

この最後の大きな再編の際、国際関係における最も顕著な論争は、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり(End of History)」(予言的にベルリンの壁崩壊のわずか数ヶ月前に発表された)と、その4年後に出版されたサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突(Clash of Civilizations)」との間で行われた。フクヤマ自身も、「歴史の終わり」は「世界の経験的状況に関する発言ではなく、自由主義的民主政治体制の政治制度の正当性または妥当性に関する規範的な議論である(not a statement about the empirical condition of the world, but a normative argument concerning the justice or adequacy of liberal democratic political institutions)」と認めていた。しかし、当時のリベラル派は、フクヤマの規範的なヴィジョン(normative vision)は支持に値すると感じていた。そして世紀の変わり目までに、リベラル派はボリス・エリツィンのロシアと江沢民の中国の改革をじっと見つめ、フクヤマが論点だけでなく文体でも議論に勝ったと確信することができた。

ハンティントンは合意しなかった。フクヤマ同様、『フォーリン・ポリシー』誌の共同創刊者であるハンティントンは、共産主義の東側(the communist East)と民主政治体制の西側(the democratic West)、豊かなグローバルノース(the rich global north)と貧しいグローバルサウス(the poor global south)の間の冷戦の分裂は「もはや意味をなさない(no longer relevant)」と主張した。しかし、自由主義的国際主義者(liberal internationalist)のフクヤマが、冷戦の終結は、選挙民主政治体制と管理された資本主義(フクヤマが「人類の統治の最終形態(the final form of human government)」と呼んだもの)の一般原則に沿っている国々の間での永続的な平和の前兆であると予想したのに対し、リアリスト(realist)のハンティントンは、全く異なる軸に沿ってではあるが、継続的な紛争が特徴的な世界(a world marked by continued conflict)を予見した。

ハンティントンにとって、重要な地政学的アクターたち(critical geopolitical actors)は、英国の歴史家アーノルド・J・トインビーが1934年から1961年にかけて12巻で出版した『歴史の研究(A Study of History)』で定義した用語で理解される「文明(civilizations)」となった。ハンティントンにとって、文明間の「断層線(fault lines)」(不吉な地殻変動の比喩に注目[notice the ominously tectonic metaphor])は、冷戦後の秩序の断裂点(sites of rupture)となるだろう。

文明のアイデンティティは今後ますます重要になり、世界は7つか、8つの主要な文明の相互作用(interactions)によって大きく形作られるだろう。これには西洋、儒教、日本、イスラム、ヒンズー、スラブ正教、ラテンアメリカ、そしておそらくアフリカの文明が含まれる。将来最も重要な紛争は、これらの文明を互いに隔てる文化的断層線(cultural fault lines)に沿って起こるだろう。

ハンティントンの新秩序のヴィジョンは明らかにフクヤマのものより暗いものだった。両者のヴィジョンは曖昧ではあったが。フクヤマは、永続的な平和の代償(the price of perpetual peace)はテクノクラートの退屈さであり、イデオロギー闘争の「大胆さ、勇気、想像力、理想主義」は単なる「経済的計算、技術的問題の果てしない解決、環境問題、洗練された消費者の要求の満足」に取って代わられるだろうと論じて、有名な論稿を締めくくった。フクヤマにとって、これからの「退屈の世紀(centuries of boredom)」は、政治的栄光の機会を失った世界で社会的認知を求める人々にとって実存的危機(existential crisis)を生み出すだろう。

対照的に、ハンティントンは、不公平な文化的差異(invidious cultural distinctions)に基づく集団アイデンティティ(group identities)は永続的であり、冷戦の普遍化イデオロギー(the universalizing ideologies of the Cold War)が衰退するにつれて、より明白になるだけだと主張した。ハンティントンは、オリジナルの論文の議論を拡張した1996年の著書で、「中核国家(core states)」が自らの文明の「勢力圏(spheres of influence)」内で支配を強めるという曖昧な均衡(equivocal equilibrium)を予見した。一方では、「文明の衝突は世界平和に対する最大の脅威(clashes of civilizations are the greatest threat to world peace)」であり、避けられない文化の違いを強調することが終わりのない敵意(never-ending hostility)の基盤を形成する。(ハンティントンはまた、文明の衝突[the clash of civilizations]によって定義される世界秩序において、移民に対する敵意(hostility to immigrants)が国内政治の決定的な特徴となることを予見した)

一方、新秩序にいる全員が「異質な」文明(“alien” civilizations)に自らの文化体系を押し付けようとする愚かさを認識している限り、「文明に基づく国際秩序は世界大戦に対する最も確実な防御策である(an international order based on civilizations is the surest safeguard against world war)」。諸文明間の文化的敵意(Cultural hostility between civilizations)は避けられないかもしれないが、幸運にも「衝突(clash)」は暴力的な衝突ではなく、単に騒々しい破裂音で終わるかもしれない。

フクヤマと比較すると、ハンティントンの論稿とそれに続く著作は、どちらかといえば、より多くの注目を集めた。その多くはより批判的な調子で書かれていた。歴史家や人類学者は文明というカテゴリーの一貫性のなさを批判した(ハンティントン自身も文明は流動的であると認めていた)。一方、国際関係学者たちは、当時の最も激しい紛争の多く(スンニ派とシーア派のイスラム教徒間の残忍な戦争やアフリカ全土での戦争など)は、文明間(between them)ではなく、文明内(within civilizations)で起こっていたと指摘した。コスモポリタン、グローバリスト、リベラルたちは、この本が政治的力学の分析をしているというよりも、むしろそのあからさまな非道徳主義(amoralism)を嫌っていた。

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左:ルワンダの元軍司令官アナトール・ンセンギユンバが、ルワンダ国際戦犯法廷が大量虐殺の罪で判決を下すのを待つため法廷に座っている(2008年12月18日)。

右:ボスニアの大量虐殺の犠牲者の親族たちが、国連判事がボスニアのセルビア人元司令官ラトコ・ムラディッチに終身刑を宣告した、スレブレニツァ近郊の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷からの生中継中に反応している(2017年11月22日)。

冷戦終結後の最初の数十年間、国際秩序(international order)は主にフクヤマの述べた規範的枠組み(normative frame)の範囲内で機能していた。1990年代半ばから2010年代半ばにかけて、世界のほとんどの国の政治指導者たちは、嫌々ながらも「リベラルな国際」ルール(“liberal international” rules)に従って行動した。ヨーロッパは、ヨーロッパ連合の行政機構への統合を推進した。貿易紛争はWTOに持ち込まれ、その裁定は概ね尊重された。戦争犯罪者たちの追及は不平等だったが、逮捕されると、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(1993年設立)、ルワンダ国際刑事裁判所(1994年設立)、国際刑事裁判所(2002年設立)など、公式の国際法廷に引きずり出された。

アメリカが戦争を決意したとき、1990年代のバルカン半島、2003年のイラク、2011年のリビアのように、国連やNATOなどのいくつかの国際機関の法的承認(legal approbation of some international entity)を求めた(ただし、反対票で戦争を阻止することはできない)。実際、ジョージ・W・ブッシュは、世界的な対テロ戦争とイラクの政権交代はハンティントン流ではなくフクヤマ流に遂行されていると何度も主張した。ブッシュは、「男女の共通の権利とニーズに関して言えば、文明の衝突などは存在しない」と強く主張した。ブッシュは次のように述べた。「自由の必要条件は、アフリカ、ラテンアメリカ、そしてイスラム世界全体に完全に当てはまる。イスラム諸国の人々は、あらゆる国の国民と同じ自由と機会を望み、それ等を持つに値する。そして、彼らの政府は彼らの希望に耳を傾けるべきだ」。

冷戦後の和解の結果として、最大の地政学的敗者となり、当然のことながら最も強力な反対をする大国であるロシアでさえ、新秩序への敬意を示し、切り離した隣国(1992年以降はトランスニストリアをモルドバから、2008年以降はアブハジアと南オセチアをグルジアから)の様々な部分の併合を事実上(法律上ではなく)試みた。これらの事例はいずれも、悪徳が美徳に捧げる賛辞(the tribute that vice pays to virtue)だったかもしれないが、それでも賛辞であることに変わりはない。

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ロシア国会が、クリミア半島はウクライナの一部であるという国際社会の主張を無視してクリミア併合に投票した後、クリミア半島のセバストポリ市の中心部でロシア国旗を振る男性(2014年3月21日)。

フクヤマ的(つまりヘーゲル的)な言い方をすれば、全ての時代はその後継者の種を含んでいる。2010年代の初めには、ポスト歴史的な規範構造に亀裂が入り始めていた。20年前にハンティントンが述べていたような、文明論的観点から自国を認識する新興勢力が、国際秩序を支える普遍的価値観に公然と異を唱え始めたのである。1990年代には、シンガポールやマレーシアのような小国の指導者たちが(西欧の価値観とは異なる)「アジアの価値観(Asian values)」という考えを推進していたが、2014年までには、プーティンも習近平もロシアと中国を、西欧民主政治体制国家の価値観とは異なる(そして彼らの視点からは、西欧民主政体国家の価値観よりも優れた)明確な価値観を持つ「文明(civilizations)」と公然と表現するようになっていた。

10年後の今となっては、2014年はリベラルな国際秩序の腐敗が壊疽し始めた、極めて重要な年であったと考えられる。その年のロシアによるクリミア半島の事実上の併合(Russia’s de jure annexation of the Crimean peninsula)は、リベラルな国際秩序の重要な柱の1つである「国境は武力で書き換えてはならない(borders are not to be rewritten by force.)」という明確な断絶であり、顔面からの拒絶であった。プーティンは、クリミアは常に「ロシア世界(the Russian world)」の一部であったと主張し、明白に「文明的」根拠(explicitly “civilizational” grounds)に基づいて自らの動きを正当化した。同様に、2014年にナレンドラ・モディとBJP(インド人民党)が多元主義的なインド国民会議を追い落としたのは、ヒンドゥー教のイデオロギーに基づくもので、インドをヒンドゥー教に基づく文明国家として提示した(数億人のヒンドゥー教徒以外のインド人のことは念頭にない)。そして、習近平は、中国の自由化に関する戦略的な曖昧さに関心を示さず、イデオロギー的な直接対決にますます関心を寄せるトップリーダーとして登場し、フクヤマのユートピア的ヴィジョンの終焉を告げた。2020年代半ばには、民主化の「第三の波」(democratization’s “third wave”)は、未来の繁栄(the flourish of the future)というよりも、偽旗(a false flag)のように見えた。

この観点からすると、過去25年間はハンティントン流の予測(Huntingtonian prediction)が長期間にわたり孵化(long incubation)していた期間ということになる。ハンティントンが冷戦後の新たな秩序の輪郭について間違っていたというよりは、彼の直感が早すぎたということが今では明らかになっている。彼は、その秩序の中に潜む反律法主義的要素(antinomian element)を的確に捉え、次の秩序、つまり過去10年間に本格的に出現してきた秩序の基礎として出現する瞬間を待ち望んでいた。

1990年代後半のリベラルな国際主義の楽観主義(liberal internationalist optimism)の頂点から見ると、現在の状況は「ハンティントンの復讐(the revenge of Huntington)」と捉えるのが最善である。自由主義的民主政治体制とテクノクラート的に管理されるグローバル資本主義(global capitalism)を支持する普遍的な合意(universal consensus)という夢は死に、モスクワや北京からデリーやイスタンブール、そしてもちろん今やワシントンDCに至るまで、文明の衝突者たちがほぼあらゆる場所で台頭している。この新しい秩序の中で、運命は礼儀正しく秩序ある者よりも、大胆で自己主張の強い者に向けられる (しかし、好まれるとは限らない)。歴史後期の官僚主義的ルールの無菌的な退屈に苦しむ代わりに、私たちは歯と爪が赤く染まった国際システムの血なまぐさい興奮を楽しむことになる。冷酷さは報われ、無力さは利用される。ハンティントンは墓場で微笑んでいることだろう。

※ニルス・ジルマン:歴史家で、ベルグルーエン研究所の執行副会長兼最高執行責任者。

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 古村治彦です。

 2025年2月28日、ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領がホワイトハウスを訪問し、ドナルド・トランプ大統領と会談を持った。そして、記者たちがいる前で、JD・ヴァンス副大統領も入って、口論となった。その様子は日本でも報道された。その口論の内容について、一部(後半部)をご紹介する。

 この口論の内容を見て、私は、「ゼレンスキーという人物はシンプルに頭が悪い人だ」と感じた。トランプと会談を持つとなれば、このようなことになる可能性が高いことは誰でも分かることだ。それでも、うまく対処するために準備をすることが重要なのに(石破茂首相は訪米前の週末に事前準備勉強会を開いていた)、そのような準備の跡が見られない。ウクライナをどのように導くか、戦争をどのように終わらせるかということについて、側近たちも含めて策もなく略もないということのようだ。側近たちのレヴェルもまたゼレンスキーのレヴェルを示している。つまり、頭が悪いのである。

 更に問題は、アメリカ側を「脅した」ことだ。「ゼレンスキーがアメリカは『将来それ(外国から攻められる恐怖)を感じるかもしれない』と示唆するとトランプが激怒」という項目がある。これは、ゼレンスキーが「アメリカは攻められる危険がないから、私たちの感じていることは分からない。しかし、将来は感じることになるだろう」という趣旨の発言を行い、トランプが激怒したということである。これは、「アメリカはいつまでも世界一の超大国ではいられない。すぐに弱体化して、私たちと同じ苦しみを味わうぞ」ということである。ゼレンスキーのこの見立ては説得力がある。しかしながら、それを、メディアを前にして言うべきではなかった。アメリカ国民も聞いているのである。アメリカからのお金と武器がなければ、ウクライナは戦争継続ができないのである。ゼレンスキーはアメリカからの支援継続を獲得するのが最重要の目的である。しかし、この目的達成を危険に晒すようなことをしてしまうというのは頭が悪い人物であり、このようなリーダーを持ってしまったのはウクライナにとっての最大の不幸である。日本も他山の石として注意しなければならない。

(貼り付けはじめ)

彼らが発言したこと:米大統領執務室でのトランプ、ゼレンスキー、そしてヴァンスの熱を帯びたやり取り(What they said: Trump, Zelenskyy and Vance’s heated argument in the Oval Office

アドリアナ・ゴメス・リコン筆

2025年3月1日

AP通信

https://apnews.com/article/trump-zelenskyy-vance-transcript-oval-office-80685f5727628c64065da81525f8f0cf

フロリダ州フォートローダーデール(AP)発。ドナルド・トランプ大統領とJD・ヴァンス副大統領は金曜日、ウクライナ戦争に関してウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領を非難した。ゼレンスキーがロシアのウラジーミル・プーティンとの外交問題についてヴァンス大統領に異議を唱えた後、感謝の意を示していないと非難した。

米大統領執務室での口論は世界的に放送された。ゼレンスキーの残りのホワイトハウス訪問はキャンセルされ、2022年のロシアの侵攻に対するウクライナの防衛において、アメリカがこれからどの程度支援するのか疑問が起きる事態になった。

以下は、このやりとりの重要な瞬間の文字起こしである。

■ゼレンスキーがヴァンスに対して、ロシアと外交について挑戦(Zelenskyy challenges Vance on Russia and diplomacy

・ヴァンス:「4年間にわたり、アメリカ合衆国、私たちは記者会見に立ち、ウラジーミル・プーティンについて強い調子で話す(talk tough)大統領を有してきた。そして、プーティンはウクライナに侵攻し、ウクライナの大きな部分を破壊した。平和の道筋(path to peace)と繁栄への道筋(path to prosperity)は、おそらく、外交への関与ということになる。私たちはジョーバイデンの考える道筋を試した。胸を張り、大統領の言葉が大統領の行動よりも重要であるかのように装った。アメリカを良い国にする(What makes America a good country)のは、アメリカが外交に関与することだ。それがトランプ大統領のやっていることだ」。

・ゼレンスキー:「あなたに質問しても良いか?」。

・ヴァンス:「もちろん、どうぞ」。

・ゼレンスキー:「それでは。彼(プーティン)はウクライナの大きな部分、東部とクリミア半島を占領した。彼は2014年に占領した。そして、それから長い期間、占領した。私はバイデン政権下での話だけをしているのではない。その時期は、(バラク・)オバマ大統領、トランプ大統領の時代だった。そして、バイデン大統領の時代になり、今はトランプ大統領だ。そして神のご加護のもと、トランプ大統領が彼を止めるだろう。しかし、2014年の間は誰も彼を止めなかった。彼はただ占領し、奪った。人を殺した。お分かりの通りに・・・」。

・トランプ:「2015年?」

・ゼレンスキー:「2014年」。

・トランプ:「おや、2014年? 私はいなかった」。

・ヴァンス:「それは正しい」。

・ゼレンスキー:「そう。しかし、2014年から2022年まで、接触線で人が死んでいる状況は変わらない。誰も彼を止められなかった。私たちが彼と会話をしたことはご存知だろう。そして私たちは彼と、私、あなた、大統領、2019年に私は彼と協定に署名した。私は彼、(フランスのエマニュエル・)マクロン大統領、(ドイツのアンゲラ・)メルケル前首相と署名した。私たちは停戦(ceasefire)に署名した。停戦だ。しかしその後、彼は停戦を破り、同胞を殺し、捕虜交換も行わなかった。私たちは捕虜交換に署名した。でも、彼はそれをしなかった JD、あなたの言う外交とは何か? どういう意味なのか?」。

・ヴァンス:「私は、あなたの国の破壊を終わらせる外交について話している。大統領、失礼ながら、あなたが米大統領執務室に入ってきて、アメリカのメディアの前でこの問題を訴えようとするのは失礼だ(disrespectful)と思う。今、あなた方は人員の問題(manpower problems)を理由に徴兵(conscripts)をして、人々を前線に押し出している。あなたは、この争いを終わらせようと努力している大統領に感謝すべきだ」。

・ゼレンスキー:「あなたはウクライナに来たことはあるか? 私たちにはどんな問題があるとおっしゃりたいのか?」。

ヴァンス:「貴国を訪問したことがある」。

ゼレンスキー:「一度だけ」。

・ヴァンス:「私は実際に様々なニューズを見て、何が起きているのか知っている。大統領、人々をプロパガンダツアー(propaganda tour)に連れて行く。軍隊に人々を参加させることに問題があったことにあなたは反対か?」

・ゼレンスキー:「私たちは複数の問題を抱えている」。

・ヴァンス:「そして、アメリカ大統領の執務室にやってきて、自国の破壊を防ごうとしている政権を攻撃することが敬意を表する行動だと考えるのか?」。

・ゼレンスキー:「多くの疑問がある。最初から始めよう」。

・ヴァンス:「もちろん」。

■ゼレンスキーがアメリカは「将来それ(外国から攻められる恐怖)を感じるかもしれない」と示唆するとトランプが激怒(Trump erupts when Zelenskyy suggests the U.S. might ‘feel it in the future’

・ゼレンスキー:「第一に、戦争中は誰もが問題を抱えている。しかし、あなた方には素敵な海があり、今は感じていない。しかし、あなた方は将来それ(外国から攻められる恐怖)を感じるだろう。神のご加護がありますよういに」。

・トランプ:「あなたは知らない。あなたは知らない。私たちがこれから何を感じるかなんて言わないように。私たちは問題を解決しようとしている。私たちが何を感じようとしているかなんて言うな」。

・ゼレンスキー 「あなたに対して言っているのではない。私はこれらの疑問に答えている」。

・トランプ:「あなたはそれを指示する立場にないからだ」

・ヴァンス:「それはまさにあなたがやっていることだ」。

・トランプ:「あなたは私たちが何を感じるかを決める立場にはない。私たちはとてもいい気分だ」。

・ゼレンスキー:「影響されていると感じるだろう」。

・トランプ:「私たちはとても良い、とても強いと感じるだろう」。

・ゼレンスキー:「私はあなた方に断言する。影響されていると感じるだろう」。

・トランプ:「あなたは今いい位置にいない。あなたは非常に悪い立場にいることに甘んじている」。

・ゼレンスキー:「戦争が始まってすぐの段階から・・・」。

・トランプ 「あなたは良い立場にいない。あなたは今カードを持っていない。我々と一緒なら、カードを持ち始めることができる」。

・ゼレンスキー:「私はカード遊びをしているのではない。大統領。私は非常に真剣だ」。

・トランプ:「あなたはカード遊びをしているではないか。あなたは数百万の人々の命を使ってギャンブル遊びをしている。あなたは第三次世界大戦を引き起こすようなギャンブル遊びをしている」。

・ゼレンスキー:「あなたは何を言っているのか? 何を言いたいのか?」。

・トランプ:「あなたは第三次世界大戦に賭けている。そして、あなたがやっていることは、多くの人々が言うべきことをはるかに超えてあなたを支援してきたこの国という国に対して、非常に失礼なことだ」

・ヴァンス:「一度でも感謝を述べたことがあるか?」

・ゼレンスキー:「多くの機会で。本日も」。

・ヴァンス:「ノー。今回の会談の全体を通して言っていない。あなたは昨年10月にペンシルヴァニア州に行き、私たちのライヴァルの候補者のために選挙活動を行った」。

・ゼレンスキー:「いいえ、していない」。

・ヴァンス:「アメリカ合衆国と、あなたの国を救おうとしている大統領に感謝の言葉を述べるように」。

・ゼレンスキー:「どうかもう止めて欲しい。あなたは戦争について、何か声を荒げたら・・・」。

・トランプ:「彼は声を荒げてなどいない。大声で話していない。あなたの国が大きな困難、問題の中にあるのだ」。

・ゼレンスキー:「答えても・・・」。

・トランプ:「いやいや、あなたは既に多く話している。あなたの国が大きな困難、問題の中にある」。

・ゼレンスキー:「分かっている」。

・トランプ:「あなたは勝てない。あなたはこの戦争に勝てない。私たちのおかげで、あなたは無事に切り抜けられる可能性が大いにある」。

・ゼレンスキー:「大統領、私たちは国に留まり、強くあり続ける。戦争が始まった当初から、私たちは孤独だった。そして、私たちは感謝している。私はありがとうと感謝を述べた」。

■トランプはゼレンスキーに対して停戦を受け入れるように求める(Trump demands Zelenskyy accept a ceasefire

・トランプ:「もしあなた方が私たちの供与した軍事装備を持っていなかったら、この戦争は2週間で終わったことであろう」。

・ゼレンスキー:「3日間だ。私はプーティンからその言葉を聞いた。3日間だ」。

・トランプ:「それよりも短かったかもしれない。このようなビジネスをするのは非常に難しいことだ」。

・ヴァンス:「ただありがとうと述べるべきだろう」。

・ゼレンスキー:「私はこれまで多くの機会で述べてきた。ありがとうとアメリカ国民に対して述べてきた」。

・ヴァンス:「意見の相違があることを受け入れ、自分が間違っているときにアメリカのメディアを使って争うのではなく、その意見の相違を訴訟について徹底的に話そうではないか。私たちは、あなたが間違っていることを知っている」。

・トランプ:「しかし、アメリカ国民が、今何が起きているのかを知るのは良いことだと私は思う。とても重要なことだと思う。だからこそ私はこうした話を長い間続けてきた。あなたは感謝しなければならない」。

・ゼレンスキー:「私は深く感謝している」。

・トランプ:「あなた方はカードを持っていない。あなた方はそこに埋もれている。人々は死んでいる。兵士は不足している。停戦はとてもよいことだ。そしてあなた方は私たちに『停戦は望んでいない。停戦は望んでいない。私は進みたい。そしてこれを望んでいる』と言う。よろしいか、もし今すぐ停戦が実現できるなら、そうするべきだ。そうすれば銃弾が飛び交うのを止め、兵士が殺されるのを止められる」。

・ゼレンスキー:「もちろん、私たちは戦争を止めたいと望んでいる。しかし、私があなたに申し上げたように、保証(guarantees)が必要だ」。

・トランプ:「あなたは停戦を望まないと言うのか? 私は停戦を望む。なぜなら、合意(agreement)よりも早く停戦が実現するからだ」

・ゼレンスキー:「停戦について国民に聞いてみては、彼らがどう考えるか」。

・トランプ:「それは私との話ではない。それはバイデンという男との話だ。彼は賢い人間ではない」。

・ゼレンスキー:「彼はあなた方の大統領だった。あなた方の大統領だった」。

・トランプ:「失礼だが、それはオバマ大統領があなた方にシーツを渡し、私がジャヴェリンを渡した時の話だ。私は戦車を全部破壊するためのジャヴェリンを渡した。オバマ大統領はあなた方にシーツを渡しました。実際、オバマ大統領はシーツを渡し、トランプ大統領はジャヴェリンを渡したと発表されている。あなた方はもっと感謝しなければならない。なぜなら、あなた方にはカードがないからだ。私たちがいればカードを持つことができるが、私たちがいなければ、あなた方にはカードがないということになる」。

■トランプはプーティンが自分を尊敬している、それは第一次政権についての捜査のためだと発言(Trump says Putin respects him due to the investigations of his first term

・ヴァンス(記者たちからの質問を再開):「彼女はロシアが停戦を破ったらどうすると質問している」。

・トランプ:「もし何かあったらどうする? 今あなたの頭の上に爆弾が落ちたらどうする? いいだろう、もし彼らがそれを破ったら? 分からない、彼らはバイデンとの約束は破った、なぜなら彼らはバイデンを尊敬していなかったからだ。彼らはオバマを尊敬していなかった。彼らは私を尊敬している。言っておくが、プーティンは私と一緒に大変な目に遭った。彼は偽りの魔女狩り(phony witch hunt)を経験した。・・・私が言えるのはこれだけだ。彼はオバマやブッシュとの取引(deals)を破ったかもしれないし、バイデンとの取引を破ったかもしれない。彼はそうしたかもしれない。おそらくそうした。何が起こったのかは分からないが、彼は私との取引を破らなかった。彼は取引をして合意を取り付けたいのだ。あなた(ゼレンスキー)が取引できるかどうかは分からない」。

「問題は、私があなた(ゼレンスキーに向かって)にタフガイ(tough guy)になる力を与えたことだ。アメリカなしではあなたはタフガイにはなれないと思う。あなたの国民は非常に勇敢だ。しかし、あなたは取引をするか、私たちは出て行くかだ(But you’re either going to make a deal or we’re out)。そして、もし私たちが出て行ったら、君たちは戦うことになる(And if we’re out, you’ll fight it out)。いい結果にはならないと思うが、君たちは戦うことになる。だが、君たちはカードを持っていない(But you don’t have the cards.)。私たちがその契約に署名すれば、君たちはずっと有利な立場になるが、君たちは感謝の気持ちをまったく示さない( But once we sign that deal, you’re in a much better position, but you’re not acting at all thankful)。それはいいことではない。正直に言うと、いいことではない。

「よし、もう十分見たと思う。どう思う? これは素晴らしいテレビ番組になるだろう。そう言わせてもらう」。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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