古村治彦です。
サッカーワールドカップは佳境に入ってきた。決勝トーナメントを勝ち上がるティームはどこも実力者揃いでどこが優勝してもおかしくないという状態で、サッカーファンの人たちは毎日楽しんでいると思う。ほとんど興味がない私でもダイジェストや結果を見て、驚いたり、「勝つだけのことはあるな」と納得したりという毎日である。近々、書籍を発刊する予定で、その加筆修正も行っているが。
北中米大会ということで、開催国はカナダ、アメリカ、メキシコであったが、これらの国々の代表ティームは残念ながらすでに敗退している。アメリカはベスト8進出をかけて、ベルギーと対戦したが、その際に、前の試合でレッドカードを出されて退場処分となった選手の処遇で大きな批判を浴びることになった。この選手はベルギー戦には出場できないはずであったが、ドナルド・トランプ大統領がFIFA(国際サッカー連盟)のジャンニ・インファンティーノ会長(トランプとは旧知の仲)に電話をかけ、処分について再考を求めた。当該選手は処分が保留となり、ベルギー戦も出場可能となり、先発出場した。これが政治介入や恣意的な処分変更ということで、多くの批判を浴びた。開催国の政治指導者が自国のティームに有利になるように働きかけた(少なくとも外形的には)ということになる。ほかの国の政治家はこのようなことをしないだろうが(独裁者などは別にして)、相手はトランプ大統領である。これくらいのことはするだろう。
スポーツは政治の道具として使われてきた。古くは古代ローマ時代の剣闘士は庶民の不満を発散させるための格好の見世物であっただろうし、中世の騎士たちの槍試合もそのようなものだっただろう。近代ではオリンピックが始まり、スポーツのグローバル化、商業化が進み、金銭も絡むが、同時に、「国威発揚」「国同士の対決」ということに利用されてきた。冷戦下では共産主義ブロックは体制とイデオロギーの優位性をアピールするためにスポーツを利用した。アスリートたちにはドーピングまで施され、国際大会での優秀な成績獲得が求められた。
スポーツが政治とビジネスの道具として使われるというのは避けられないことだ。私たちはそれを消費して楽しんでいる。スポーツで国際親善ができるのかと言われると、人類はそれが可能なほどに成熟しているだろうかと疑いたくなる。それでもない、スポーツ好きとしてはスポーツの可能性を信じてみたいという気もする。
スポーツからみる東アジア史: 分断と連帯の二〇世紀
(貼り付けはじめ)
スポーツ外交は今なお可能なのか?(Is Sports Diplomacy Still
Possible?)
-今年のワールドカップにはハード・パワーの影響が大いに及んでいる。
J・アレックス・ターキニオ筆
2026年7月2日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/07/02/sports-diplomacy-politics-world-cup-sportswashing-immigration-war/
シアトルのシアトル・スタジアムで行われた年FIFAワールドカップ2026のグループGの試合(エジプト対イラン戦)で「戦争、政治、サッカー」と書かれたTシャツを着たファン(6月26日)
今年ののどかな春の一日、国連の庭園に外交官たちが集まり、サッカーボールを蹴り合った。FIFA男子ワールドカップの開催を控え、また「国連世界サッカーデー」を記念して、彼らは非公式のサッカー大会を企画し、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、ラテンアメリカを代表するティームが対戦した。
スーツとネクタイを脱ぎ、ショートパンツとユニフォーム姿になった多くの外交官が、協力関係を促進するスポーツの可能性を称賛した。「スポーツで紛争や戦争が解決する訳ではないが、スポーツ外交は非常に重要だ」と、国連でのこの大会に合わせてビールとブラートヴルスト(ソーセージ)のパーティーを主催したドイツの国連大使リクレフ・ボイティンは語った。「スポーツは人々の心を開き、人々を団結させる」。
6月には、国連がビジネスリーダーや学者を招き、スポーツ外交に関する本格的な会議を開催した。そして今、ワールドカップが盛り上がりを見せる中、外交官たちは国連本部の代表者用ラウンジに集まり、アメリカ代表部が提供したスクリーンで試合を観戦している。
スポーツ外交(sports diplomacy)は今、大きな注目を集めている。現代の文脈では、1970年代の米中関係の緊張緩和のきっかけとなった「ピンポン外交(ping-pong diplomacy)」の後継的な動きと見なされることもあるが、その概念自体は古代オリンピックの時代にまで遡るほど古いものだ。スポーツ外交は通常、「ソフト・パワー(soft power)」の一形態と見なされている。この用語は、ジョセフ・S・ナイ・ジュニアが外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌で提唱したもので、説得を通じて他者に影響を与える能力を指す。
愛知県の愛知県体育館で開催された第31回世界卓球選手権の期間中に中国選手団のバスから降りたアメリカ代表のグレン・コーワン(右)が中国の荘則棟と握手を交わした(1971年4月4日)
現代のスポーツ外交は、国連の庭園で行われる個人的な外交から、試合の合間に行われる非公開の首脳会談に至るまで多岐にわたる。その一例として、6月13日にロサンゼルスで行われたアメリカ対パラグアイのワールドカップの試合の際、アメリカのマルコ・ルビオ国務長官とパラグアイのサンティアゴ・ペニャ大統領が会談したことが挙げられる。
しかしながら、そうした注目の的となる一方で、カナダ、メキシコ、アメリカが共同開催するこの夏のワールドカップは、「ソフト・パワー」の限界を露呈させた。依然として「ハード・パワー(hard power)」が現場の状況に影響を与えている。ドナルド・トランプ政権による選手、関係者、ファンへの入国ヴィザ発給の厳格な制限であれ、あるいはサッカーの国際統括団体であるFIFA(国際サッカー連盟)による直接的なパブリック・ディプロマシー(対外広報外交、public
diplomacy)の試みであれ、その構図は変わらない。
国際スポーツ界における「中立(neutrality)」という建前は、以前から崩れつつある。第二次世界大戦後最多となる武力紛争の激化を受け、表現の自由への制限、ボイコット、出場禁止措置などが場当たり的に行われるようになったためだ。軍事力や権威主義といったハード・パワーが台頭する中、スポーツ外交は行き詰まりに直面しているのではないかと問うのはもっともなことだ。
ニューヨークの国連本部で行われた「世界サッカーデー」の記念イヴェントの一環としてミニサッカーのトーナメントに参加する国連常駐代表たち(5月19日)
各国は、ワールドカップやオリンピック、あるいは毎年恒例のユーロヴィジョン・ソング・コンテストといったイヴェントの開催に時間と資源を投じる。それは、そうしたイヴェントが自国の評価を高めると信じているからだ。それだけに、ワールドカップに対するドナルド・トランプ米大統領の、一見すると矛盾したような態度は理解しがたいものがある。トランプ大統領は7月19日にニュージャージーで行われる決勝戦でトロフィーを授与する予定だと報じられているが、これまでのところ、アメリカ代表ティームの試合には一度も姿を見せていない。
その一方で、アメリカ対パラグアイの初戦は、アメリカで放送されたサッカーの試合として史上最多の視聴者数を記録し、平均2750万人が視聴した。かつてNFLのクォーターバックであり、後に連邦下院議員も務めたジャック・ケンプは、「アメリカンフットボールは民主的資本主義だが、サッカーはヨーロッパの社会主義的なスポーツだ(football is democratic capitalism, whereas soccer is a European
socialist sport)」という名言(あるいは冗談)を1980年代に残した。しかし、今日の多くのアメリカ人は、この見解には同意しないかもしれない。
一方で、2026年ワールドカップは史上最も国際色豊かな大会となる。出場国数は32から48へと拡大し、多くのティームがディアスポラの選手で構成されている。その一方で、移民に対する反発の高まり―特にアメリカにおいて顕著だが、アメリカに限ったことではない―により、今大会は最も排他的な大会の1つともなっている。
皮肉なことに、1930年代の全体主義体制の方がこうした点では寛容だった。「スポーツウォッシング(sportswashing)」という言葉が生まれる何十年も前、ファシスト政権下のイタリアが1934年のワールドカップを主催した際、ベニート・ムッソリーニは手厚い歓迎の姿勢を示した。ナチス・ドイツもまた、高まりつつあったボイコット運動を回避する狙いもあって、1936年のベルリン五輪では黒人やユダヤ人の外国人選手の出場を容認し、アメリカの短距離走選手ジェシー・オーウェンスの歴史的快挙への道を開いた。
それから1世紀近くが経った今、ワールドカップのために渡航する多くの人々が、空港での執拗な尋問を受けたり、アメリカへの入国を拒否されたりしている。ソマリア人として初めてワールドカップの審判を務めるはずだったオマール・アルタンは、マイアミの空港で入国を拒否され、引き返すことになった。イラク代表ティームのカメラマンであるタラル・サラーはシカゴで入国を拒否され、ストライカーのアイメン・フセインも7時間近くにわたって尋問のために拘束されたと報じられている。
ソマリアのモガディシュにて。アメリカから帰国した国際審判員オマール・アブドゥルカディル・アルタンを連帯サッカーの試合を前に旗や横断幕を掲げて出迎える支持者たち(6月10日)
アメリカ独立250周年の祝賀期間中にワールドカップを開催することは、国家の姿を世界にアピールする絶好の機会となり得る。しかし一部のファンにとって、この大会の記憶として強く残るのは、アメリカの「ハード・パワー」、すなわち厳格な入国管理体制の行使という側面だろう。
その一方で、FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長は、前回の男子ワールドカップで掲げられた「サッカーは世界を一つにする(Football Unites the World)」というスローガンを頻繁に唱えている。インファンティーノ会長は、トランプ大統領への「FIFA平和賞」初授与が多くの嘲笑を招いたことを承知の上で、アメリカに入国制限の緩和を促すための必要なジェスチャーだと考えていたのかもしれない。もしそれが狙いだったとすれば、結果はまちまちだったと言える。アメリカは、特定の国からの渡航者に対し課していた1万5000ドルの保証金について、ティーム関係者や親しい関係者、特定のチケット保有者に対しては免除措置をとった。しかし、それでもなお多くのファンが入国を拒否された。
インファンティーノ会長は、自らを一種の政治家のような存在として演出することにも努めてきた。4月にカナダのヴァンクーバーで開かれたFIFAの年次総会では、イスラエルとパレスティナのサッカー関係者の和解を演出しようと試みた。彼は写真撮影の好機を狙っていたのかもしれないし、実際、この場を利用して再選を目指す意向を表明してもいる。しかし、パレスティナ側のサッカー協会トップがイスラエル・サッカー協会副会長との握手を拒否したことで、気まずいやり取りが生じる結果となった。その光景は、この対立がいかに根深く、解決が困難なものであるかを浮き彫りにするだけだった。
同様の例として、2018年の平昌冬季五輪の直前、南北朝鮮の当局者たちが非武装地帯(demilitarized
zone、DMZ)で会合を開き、南北合同ティームの結成計画を策定したことが挙げられる。その結果、韓国の女子アイスホッケー代表ティームは23名の選手からなる代表ティームに北朝鮮の選手12名を直前で加えるということが決定された。合同ティームは全5試合に敗れ、韓国の若者たちは、これを政治的なパフォーマンスだと感じ、裏切られたような思いを抱いた。
こうした出来事は、現代世界におけるスポーツ外交、ひいては「ソフト・パワー」そのものの無力さを示唆しているように思える。とは言いながら、伝統的な外交であっても、こうした世代を超えて続く対立を解決できてはいないのだ。
韓国・江陵市のクァンドン・ホッケー・センターで行われた平昌2018冬季オリンピックのアイスホッケー女子予選で統一コリア代表のイ・ジンユ選手が日本に敗れた後、悔しさを露わにしている(2018年2月14日)
国家機関もスポーツリーグも、スポーツは非政治的であるべきだという陳腐な主張を繰り返す。しかし、国際大会はその性質上、極めて政治的な舞台だ。ロシアは特に、ウクライナとの戦争に起因する競技制限に関して、この主張を繰り返し唱えている。そして、ある程度は、その制限を緩和することに成功している。
オリンピックとテニスのグランドスラム大会では、ロシア人選手は依然として中立旗の下で出場することが認められている。国際チェス連盟は、2022年のチェス・オリンピアードからロシアとベラルーシの代表ティームを除外した。両国の選手は今もチェス連盟の旗の下で個人戦に出場している。ロシアはユーロヴィジョン・ソング・コンテストへの出場も禁止されている。(そのため、今年は複数の国がイスラエルの出場禁止を求め、ボイコットにつながったため、主催者は窮地に立たされた。)
ロシアは4年前のウクライナ侵攻後、ワールドカップへの出場を完全に禁止されたが、これは複数のヨーロッパ諸国が、ロシアの出場を認めれば2022年のカタール大会をボイコットするという脅しに似た要求をした後のことだった。
モスクワがスポーツは非政治的であるべきだと主張すると、批判者たちはロシアのウラジーミル・プーティン大統領が古代オリンピックに由来するオリンピック休戦協定を破り、2014年のソチ冬季オリンピックに向けた軍事力増強を利用してクリミアを併合したことを指摘する。同様に、ロシアは2008年の北京夏季オリンピック開会式中にグルジアに侵攻し、同じく北京で開催された2022年冬季オリンピック後にはウクライナへの本格的な侵攻を開始した。
スポーツ団体もまた、一貫して自らを「スポーツの中立性」の守護者と位置づけている。統括団体は、大会開催の有利な条件やスポンサー契約を確保し、より幅広い層のファンを獲得するためには、政治的とみなされる言動を制限することが必要だと考えているのかもしれない。しかし、「何が政治的なシンボルにあたるか」を定義すること自体が、すでに政治的な行為だ。
ウクライナのスケルトン選手ウラディスラフ・ヘラスケビッチは、ロシアによるウクライナ侵攻で命を落としたウクライナの選手やコーチの画像が描かれたヘルメットの着用を拒否されたため、今年の冬季オリンピックで失格処分となった。また、2022年のFIFAワールドカップでは、欧州の7ティームのキャプテンがLGBTQコミュニティへの支持を示す「One Love(ワン・ラブ)」の腕章を着用する計画を立てていた。これに対しFIFAは、その腕章を着用した選手には即座にイエローカードを提示すると通告した。
イタリアのヴェネト州にあるコルティーナ・スライディング・センターにて、2026年冬季五輪の男子スケルトン練習に臨むウクライナのウラディスラフ・ヘラスケビッチ選手(2026年2月9日)
アメリカがワールドカップ開催の数カ月前にイランに対して攻撃を行ったことは、1930年の第1回大会以来、前例のない出来事となった。開催国が予選を通過した国を承認しないという事例は、過去にも稀にあった。例えば、冷戦時代に最も政治的緊張が高まった事例の1つとして、西ドイツで開催されたグループステージの試合で、東ドイツが西ドイツを破ったことが挙げられます(なお、西ドイツはその後、優勝を果たした)。
しかし、この夏にアメリカでイランが競技を行うことによる外交上の複雑さは、それらとは次元の異なるものだった。政治的象徴をめぐる議論は、アメリカで行われたイランの試合の期間中に明確に表れた。FIFAは、国外在住のイラン人の間でイスラム共和国体制への抵抗の象徴となっている「革命前の国旗」を観客が掲げることを禁止すると発表したが、この禁止令の運用は緩やかだったようだ。
一方で、イラン代表ティームがメキシコのティフアナに到着した際、選手たちが「168」という数字の入ったバッジを胸につけていたことについて、FIFAはこれを政治的な意思表示とは見なさなかった。この「168」という数字は、2月28日にアメリカの攻撃によってイランの女子小学校で犠牲となった奨学生と教師の数を指すものだった。スタジアムから遠く離れた場所での出来事ではあったが、この一件は、「政治色を排除した国際スポーツイヴェント」とは何なのか、そもそもそのようなものが可能なのか、という問いを投げかけることになった。
この夏、ワールドカップにおけるイラン代表ティームの短くも奇妙な旅路は、世界の人々に強い印象を残した。グループステージで敗退する前、イラン代表はアメリカ当局から試合前後の滞在時間を制限され、一部のスタッフへの入国ヴィザ発給も拒否されたため、拠点をメキシコへ移さざるを得なくなった。これは、スポーツ外交という「ソフト・パワー」が、軍事攻撃やヴィザ発給拒否といった「ハード・パワー」と衝突した一例と言える。
しかし、トランプ政権のこうした対応は、ある意味で「ブーメラン効果(boomerang
effect)」をもたらした。イラン代表はメキシコで英雄のような歓迎を受けたほか、試合ごとに十分な休息をとれずに移動しなければならないという競技上の不利な状況を強調することで同情を集め、結果としてイラン政権への批判をかわすことにもつながった。
当然ことだが、アスリートは本来、政治家ではない。スポーツ外交が予測不可能であり、時に見る者を熱狂させるのは、それが容易に筋書き通りにはいかないからだ。実際、1936年のベルリン・オリンピックにおける決定的な瞬間は、ジェシー・オーウェンスが4つ目の金メダルを受け取るために表彰台に立った時だった。彼は一言も発することなく、ナチス党の世界観に異議を唱えた。
悪意ある主体に悪用されれば、スポーツ外交は拙劣なもの、あるいはそれ以上に有害なものになりかねない。しかし一方で、異文化間の理解や称賛を生み出す力も秘めている。コンゴ民主共和国の代表ティームが到着時に着用していた大胆なヒョウ柄の特注スーツに向けられた熱狂や、ノルウェーのファンによる「ヴァイキング・ロウ(Viking Row)」のパフォーマンスが北アメリカの街頭にまで広がった様子を見ればそれは明らかだろう。
従って、ソフト・パワーがハード・パワーによる強圧的な力に対して最近大きな突破口を開けていないからといって、スポーツ外交を「別のリーグ(二の次)」に追いやるべき時ではないと言えるかもしれない。
※J・アレックス・ターキニオ:ニューヨークの国連を拠点とする特派員、ポッドキャスト「ザ・デレゲイツ・ラウンジ(The Delegates Lounge)」ホスト。ジャーマン・マーシャル・ファンドのジャーナリズム・フェロー、プロ・ジャーナリスト協会(SPJ)の全米会長を務めた。Xアカウント:@alextarquinio
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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』














