古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:人種差別

 古村治彦です。
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※2024年10月29日に佐藤優先生との対談『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』(←この部分をクリックするとアマゾンのページに飛びます)が発売になります。予約受付中です。よろしくお願いいたします。  アメリカでも、西側先進諸国でも、移民をバックグラウンドにした人々に対する攻撃が増加している。ヨーロッパ諸国では、白人による非白人への攻撃が起きている。また、アメリカでも同様の事象が起きている。アメリカの場合はネイティヴアメリカンの人々以外は、全員が元を辿れば別の国や地域からやって来た人々であり、移民や移民の子孫同士で嫌い合って、攻撃をしているという滑稽なことになっている。

 このような状況に対して、人種差別は良くない、外国人を嫌うことは良くない、それぞれ悪いことだというのが社会の前提になっている。それは全くその通りだ。これに異論を挟むことはできないし、物理的な攻撃を加えることは誰にしても犯罪行為であって、きちんとした裁判を行い、判決を確定させた上で、刑を執行しなければならない。法の下に差別があってはならない。

 下記論稿は、ドイツ国内での移民や移民のバックグラウンドを持つ人々への物理的な攻撃を行った過激派に関する書籍の内容を紹介する内容となっている。ドイツでは2000年代から、反移民思想を掲げる「国家社会主義地下組織」が組織され、実際に物理的な攻撃を実施し、複数の人々が殺害されるということが起きた。ドイツ警察の対処が遅かったために、このような考えが広がり、それが「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭を許したということになっている。
 私は、このような人種差別や外国人排斥に反対する。しかし、同時に、このような考えを持つ人々が生まれながらにそのようになったとは思わない。こうした考えを持つ人々はドイツ東部に多いとされている。ドイツは1989年に統一を果たしたが、旧東ドイツの人々は体制の大変化に戸惑い、ついていけず、置いてけぼりにされた。西側の人々から蔑まれ、待遇の良い職にありつくこともできず、結局、外国人や移民と低報酬の仕事を争うことになった。結果として、彼らには不満が鬱積し、それの向く先が移民や移民のバックグラウンドを持つ人々ということになった。彼らとて、安定した生活ができていれば、そのような考えを持つことはなかっただろう。「衣食足りて礼節を知る」という言葉もあるが、「衣食」が満足いくものであれば、そのようなことはなかった。

 また、資本主義の行き過ぎによる、優勝劣敗があまりにもきつく効きすぎてしまったのも問題だ。資本側は労働者を安くでこき使いたい。そのためには、国内で安く使える人々の大きなグループ、層を作らねばならない。貧乏人の大きな集団を作らねばならない。国内に「発展途上国」「貧乏国」を作る必要がある。ドイツであれば、ドイツ東部がそうだ。そして、そうした人々の不満は移民や外国人、移民のバックグラウンドを持つ人々に向けさせる。そうして、人種差別や排外主義が台頭してくるのである。一部政治家たちは自分たちの票を獲得し、政治家としての生活を守るために、このような劣情を利用する。日本でも全く同じことが起きている。

 犯罪行為をした者たちをただ罰するだけでは犯罪を抑止することはできない。大きな視点で、構造的に見ていく必要がある。「人種差別は駄目」「排外主義は駄目」とお題目のように唱えるだけでは何の意味もない。それを解決するためには現状を把握し、分析しなければならない。

(貼り付けはじめ)

ドイツの極右の台頭は新しい現象ではない(Germany’s Far-Right Surge Isn’t New

-2000年代初頭にドイツが致命的な過激派に立ち向かうことができなかったことは、警告となるはずだ。

エミリー・シュルテイス筆

2024年6月1日
『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/06/15/germany-far-right-neo-nazi-terrorism-europe-nsu-murders-white-nationalism/

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ドイツのミュンヘンで国家社会主義地下組織の犠牲者たちの写真を掲げる抗議者たち(2018年7月11日)

2011年11月のある朝、ドイツ東部の都市アイゼナハの銀行に2人組の男が押し入り、銀行の窓口職員をピストルで殴り、約99000ドルを盗んだ。地元警察が男たちを近くの道路脇のキャンピングカーまで追跡した後、銃声が鳴り響き、車は炎上した。警察官は車内で2人の男の死体を発見した。1人がもう1人を撃ち、銃を自分に向けたのだった。その日のうちに、アイゼナハで起こったことを聞いた約100マイル離れた女性が、自分のアパートにガソリンをまいて火をつけ、逃走した。

ウーヴェ・ベンハルトとウーヴェ・ムンドロスという2人の男は、典型的な銀行強盗ではなかった。ベアテ・ツェーペという女性とともに、彼らはドイツから移民を排除し、この国の白人としてのアイデンティティを脅かすと思われる人物を排除しようとするネオナチ・テロリストのトリオを形成していた。そして警察の捜査は、一連の銀行強盗以上のものを発見した。ベーンハルトとムンドロスは、彼らが率いる地下テロ集団である「国家社会主義地下組織(the National Socialist UndergroundNSU)」の資金源として金を盗み、当局の目を逃れながらドイツ全土で連続殺人を計画、実行していた。

NSUに関する暴露が初めて明らかになったとき、ドイツを根底から揺るがしたが、この話は国外では比較的知られていない。ジャーナリストのジェイコブ・クシュナーの新著『目を背ける:殺人、爆弾テロ、そしてドイツから移民を排除しようとする極右キャンペーンの物語(A True Story of Murders, Bombings, and a Far-Right Campaign to Rid Germany of Immigrants)』は、その状況を変えようとしている。

クシュナーは次のように書いている。「人種差別的な過去を償ったと思いたがっていた国は、暴力的な偏見が現在のものであることを認めざるを得なくなる。アドルフ・ヒトラー率いるナチスがホロコーストでユダヤ人やその他の少数民族を死に追いやってから60年、ドイツの警察はバイアスに目がくらみ、周囲で繰り広げられている人種差別的暴力に気づくことができなかった。この事件は、ドイツ人に、テロリズムは必ずしもイスラム教徒や外国人によるものではないことを認めさせるだろう。多くの場合、テロリズムは自国の白人によるものだ。そして、他に類を見ない大移動の時代において、白人テロの標的はますます移民になっている」。

『目を背ける』は主に被害者の家族や、右翼過激派テロの根絶に積極的に努めた人々の視点を通して語られており、3部構成になっている。クシュナーはまず、1990年代後半にベーンハルト、ムンドロス、ズシャペがドイツ東部の都市イエナでどのように過激化したかを説明する。彼らだけで自分たちの意見を過激化させた訳ではない。ベルリンの壁崩壊後、ドイツに入国する亡命希望者の数が急増した。これらの新たな到着者たちは、少数の注目を集める暴動や難民住宅への攻撃を含む、抗議活動や暴力にしばしば遭遇した。当時イエナでは右翼過激派の活動が盛んであった。それは、一種の二重スパイ(double agent)であるティノ・ブラントによって率いられていた。ブラントはネオナチの活動を報告することになっていた政府の情報提供者を務めながら、極右イデオロギーを推進する自分のグループに資金を提供していた。

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ドイツ・ツヴィッカウのウーヴェ・ベンハルト、ウーヴェ・ムンドロス、ベアテ・ツェーペの住居だったアパートの焼け跡(2011年11月13日)

本書の第2部では、3人の過激派が13年間にわたり、ドイツ当局の目をかいくぐって、ドイツ全土で10人の移民を殺害する計画を立て、実行に移した経緯が描かれている。2011年に銀行強盗事件が起きてから、この殺人事件は解決に至った。クシュナーは、NSUが10年間も殺人を繰り返した責任の多くは当局ン位あると主張している。当局の捜査は、移民が麻薬や組織犯罪に関与しているという、ドイツのメディアに後押しされた有害な風説(tropes)に誘導されていた。

被害者家族の直接の証言は、警察官の被害者に対する思い込みがどれほど被害者を迷わせたかを力強く物語っている。たとえば、2006年にドルトムント市内のキオスクで父メフメト・クバシクを殺害されたガムゼ・クバシクは、メフメトの違法行為について母親とともに何時間も尋問されたと説明した。ガムゼ・クバシクは「もう聞いていられなかった。私たちはまるで犯罪者のようだった」と証言した。

捜査のいくつかの側面は馬鹿馬鹿しいものに近づいている。たとえば、2005年にベーンハルトとムンドロスがニュルンベルクのケバブスタンドでイスマイル・ヤサールを射殺した後、ドイツ警察はヤサールがスタンドで麻薬を密売していたという説を執拗に追及した。警察は自分たちの仮説を裏付けるために、スナック・バーを開いて、ケバブとソーダを秘密裏に売り、1年間と約3万6000ドルの税金を費やし、誰かがやって来て麻薬の購入について尋ねてくるのを待った。しかし、誰も来なかった。「なぜなら、ヤサールが麻薬売人ではなかった」とクシュナーは書いている。ヤサールの息子ケレムは、「もし父親が生粋のドイツ人だったら、彼の殺人はすぐに解決されただろうと感じずにはいられなかった」と述べている。

しかし、クシュナーはまた、ドイツ社会全体が第二次世界大戦後の反移民、白人ナショナリズムの範囲を認めることに満足してきたと主張する。クシュナーは次のように書いている。「白人ナショナリズムは決して消えてはいなかった。ホロコーストを引き起こしたのと似たような出来事、つまり、ポグロム(pogroms 訳者註:ユダヤ人大虐殺)、ユダヤ人経営の企業に対する攻撃、ユダヤ人の家屋からの追放が、いまや移民に対しても起こっている。特にドイツ東部では、1990年代にネオナチや右翼過激派が急増し、東部全域で暴力行為を行ったスキンヘッドを指して、その時期は 『野球のバットの時代(baseball bat years)』と呼ばれることもあるほどだった」。

この本の第3部では、NSU裁判について取り上げており、この裁判は2018年に 10件の殺人罪とトリオの共犯者数名に対するズシェペの有罪判決で最高潮に達した。この判決は、殺害された人々の家族に冷たい慰めだけをもたらした。「NSUは私の父を殺害した。しかし、捜査当局は父の名誉を傷つけた。警察は父を二度目に殺害した」とガムゼ・クバシクは語った。

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2015年12月9日、ミュンヘンで殺人罪の裁判を受けるツェーペ

ドイツがNSU事件から十分に教訓を学んだと誰も信じないように、クシュナーはそれを、ドイツの移民コミュニティのメンバーに対する憎悪と暴力のより最近の事例と結びつけている。NSU スキャンダルは、ドイツの公の場から完全に消え去った訳ではないが、裁判が終わった後は新聞の見出しから外れ、他の右翼過激派暴力事件をきっかけに言及されることが最も多くなった。2020年2月、ドイツ中部の都市ハーナウで右翼過激派が人種差別的な暴挙で2軒のシーシャバーをターゲットに移民のバックグラウンドを持つ9人を殺害した。2022年11月、54歳の男が政治家、ジャーナリスト、その他の公人らに脅迫文を送った罪で約6年の懲役刑を言い渡された。その中にはフランクフルトのトルコ出身弁護士で、数人のNSU犠牲者の遺族の代理人を務めたセダ・バサイ=ユルディスも含まれていた。脅迫状には「NSU 2.0」と署名されていた。

ドイツにおける白色テロリズム(white terrorism 訳者註:右派が左派を攻撃するテロ)撲滅の問題点の1つは、反移民感情が国政でも健在であることだ。ドイツの調査報道機関コレクティブは1月、右翼過激派が昨年末に秘密裏に会合し、ドイツ国民を含む数百万人の移民のバックグラウンドを持つ人々を国外追放する計画について話し合っていたことを明らかにする暴露報告を発表した。ベルリン郊外のポツダムでの会合に出席した者の中には、ドイツ議会で77議席を占め、当時全国での投票率が22%だった極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の幹部政治家も含まれていた。コレクティブ報告書とその発表以来、無関係なスキャンダルが相次ぎ、同党の支持率は現在16%に低下したが、最近のヨーロッパ議会選挙では2019年よりも5%ポイント近く良い成績を収めた。

移民のバックグラウンドを持つ人々の「再移住(remigration)」に関するこれらの過激派の計画は、誰がドイツに帰属し、誰が属さないのか、そして最終的には誰が決定するのかをめぐる戦線に光を当てている。多くの人にとって、これらはまた、ナチスの歴史をどのように処理してきたかを誇りに思っている国において、ドイツ当局が極右イデオロギーによってもたらされる脅威を過小評価していたことを思い出させるものでもあった。コレクティブの報告書はドイツ国民の間で広範な反発を引き起こし、数百万人が街頭に出て「二度と起こさない」と宣言した。

それでもAfDは、ベーンハルト、ムンドロス、ズシャペが育ったチューリンゲン州と、彼らが本拠地を置いていたザクセン州を含む、今秋のドイツ東部3州の選挙で勝利を収める見通しだ。AfDの政治家たちは引き続き、ドイツから移民を排除したいと考える人々の、議会における代弁者だ。「これらの新たなネオナチたちは、ドイツが過去の恐怖を思い出すことに執着しすぎていると信じる政党のレトリックに勇気づけられていると感じている」とクシュナーはAfDについて書いている。

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2013年56日、ミュンヘンでのNSU殺人裁判の初日、オーバーランデスゲリヒト・ミュンヘン裁判所の法廷入口の外で機動隊と格闘するデモ参加者たち。

『目を逸らす』はドイツ国内の物語だが、クシュナーは関連性を引き出して、反移民右翼過激派の暴力に立ち向かうことができていないことが、西側民主政治体制諸国全体の問題であることを例示している。具体例は無数にある。サウスカロライナ州チャールストンの教会での黒人信者たちの虐殺、ニュージーランドのクライストチャーチにある2つのモスクの礼拝者たちの虐殺、あるいはテキサス州エルパソのウォルマートでメキシコ系アメリカ人やその他の買い物客たちの虐殺などが挙げられる。NSUトリオの原動力となった核心的なイデオロギー、つまり白人至上主義(white supremacy)は国境を越えている。

このため、NSUの記事は、白色テロリズムという自国の問題に取り組むアメリカへの警告となっている。右翼過激派によるテロ攻撃は近年増加傾向にあり、名誉毀損防止連盟(Anti-Defamation LeagueADL)によると、主に白人至上主義者らによって行われたこのような攻撃により、2017年から2022年の間に、アメリカで58人が死亡した。「私たちが目を背け続ければ、ドイツの危機や大虐殺から逃れることはできないだろう」とクシュナーは結論付けている。

※エミリー・シュルテイス:ロサンゼルスを拠点とするジャーナリストで、ヨーロッパ諸国の選挙と極右勢力の台頭を取材している。ツイッターアカウント:@emilyrs

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 2021年5月29日に発売開始となった最新刊『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』(秀和システム)は絶賛発売中です。是非お読みください。

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悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

 2000年代にアメリカに留学していた時期、良く音楽を聴いていた。車の運転中には、ラジオをつけてFMの音楽番組を聞いていた。そこではその当時、アメリカで流行していた曲が流れていた。私はベタだと言われてしまうが、Maroon 5Coldplayが好きになった。

 そうした中で、グウェン・ステファニ(Gwen Stefani、1969年-、51歳)という女性シンガーを知った。日本のポップカルチャーに傾倒し、「原宿(Harajuku)」「かわいい(kawaii)」「ハローキティ(Hello Kitty)」といった私でもなじみがある言葉を使った歌や、日本のポッポカルチャー、女子高生文化などを取り入れたミュージックヴィデオを作成していた。当時、びっくりもしたが、日本のポップカルチャーを好きになるアメリカ人のアーティストという存在には違和感はなかった。その描き方にはかなり違和感があったが。

 最近、ステファニがある雑誌のインタヴューに応じ、その中で、「文化盗用(cultural appropriation)」や「アジア人蔑視のミストレルショー」といった批判を受けていたと述べ、自分は文の交換(trade)を行ったのだと反論していた。
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 ミストレルショーとは白人の俳優が顔を黒く塗ってアフリカ系の人々に成りすまして見下しながら演じるという演劇、ショーであり、これが19世紀のアメリカで流行した。背の低い白人はアジア系に扮して、「ミカド」などと称していたこともあったらしい。

 アジア系アメリカ人女性がステファニの歌唱やメイクについて、「現代のミストレルショーだ」と批判したこともあったらしい。

 このことで思い出されるのは、私が子供の頃に顔を黒く塗って、アメリカのジャズというのか、アメリカ風の歌を歌うグループが存在したことだ。この人たちはアフリカ系アメリカ人を蔑視する意図はなく、尊敬を込めて、「あの人たちのようになりたい」ということで、そのような扮装をしたのだろうと推測される。しかし、途中でそのような扮装を止めたので、抗議があったということだろう。私が子供の頃は抱っこちゃん人形というものもあった。現在に比べて、人種について日本では知識が広がっていなかったということなのだろう。

 文化には常に歴史が付きまとう。そうなると、どうしても反感や違和感が出てくる。どこで折り合いをつけるかだが、政治的な正しさ(political correctness)と野放図の間でうまくバランスを取っていくしかない。

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グウェン・ステファニは長年にわたる文化の盗用という批判に対して自己弁護を行う(Gwen Stefani defends herself against longtime cultural appropriation claims

サラ・ポラス筆

2021年5月27日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/blogs/in-the-know/in-the-know/555784-gwen-stefani-defends-herself-against-longtime-cultural

歌手のグウェン・ステファニは、『ペイパー・マガジン』誌との最新のインタヴューで、彼女はキャリアを通じて日本文化を盗用してきたという批判について語った。

ステファニは彼女の「ハラジュク・ガールズ(Harajuku Girls)」について、「私たちが私たちの様々な文化を買ったり、売ったり、交換したりしなかったら、現在の文化が持つ美しさは得られなかったと思うわ」と述べた。ハラジュク・ガールズは4名の日本人少女によるグループだ。ハラジュク・ガールズは、「ホーラバック・ガール(Hollaback Girl)」のヒットで知られるステファニのツアーに出演し、メディアにも一緒に出ている。

解散したバンド「ノーダウト」のヴォーカルだったステファニは自身のステージ上でのパフォーマンスの中で、ハラジュク・ガールズがどれほど彼女の意識を高めるかについて説明した。彼女のパフォーマンスは日本に大きな影響を受けているとステファニは述べた。

ステファニはペーパー誌に次のように語った。「私は少女たちのグループと一緒にツアーをしたいと考えていました。私はそうしたことをしたことがなかったので。そして少女たちは日本人が良いと思っていました。それがハラジュク・ガールズなんです。なぜならこうした少女たちが私は大好きだから。彼女たちは私の友達なんです。夢が実現するならば、私は原宿に行ってライブをして、歩き回りたいんです」。

2005年、コメディアンのマーガレット・チョウはステファニの考えを批判し、事務・クロウ法時代(Jim Crow era)のアメリカで流行したミンストレル・ショー(minstrel shows)と同じだと述べた。

チョウは自身のウェブサイトでハラジュク・ガールズについて次のように書いた。「そうしたものを私は好きになりたいし、素晴らしいものだと考えたいが、それができるとは思えない。私が言いたいのは、特定の人種に対するステレオタイプは時にかわいいもののように感じられるということだ。ミンストレル・ショーであることを指摘することで人々に嫌な思いをさせたいのではない」。

チョウは続けて、「私は、日本の女子中高生の制服は、顔を黒く塗ることと同じことだと考えている」と書いた。

ステファニは2016年にホワイトハウスでの公式晩餐会でライブを行った。ステファニは日本のスタイルを自身の音楽とファッションに取り入れてきた。音楽オーディション番組「ザ・ヴォイス」の審査員を務めたステファニはペーパー誌に対して、自分の決断について次のように自己弁護した。「私たちはお互いに学んでいます。お互いの文化を共有しています。お互いに高め合っています」。

ステファニは続けて「これらのルールが私たちをどんどん分断しているのが現状です」と述べた。

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アメリカ政治の秘密
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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 ジョージ・フロイド殺害事件に端を発する、人種差別に反対する抗議活動は過激化している。アメリカが南北に分かれて戦った内戦、南北戦争で南部諸州(Confederates)の将軍たちの銅像を引き倒すということを行っている。アメリカ南部を舞台にした映画『風と共に去りぬ』の配信ができない状態にもなっている。こうした動きはいくら何でもやり過ぎである。歴史を隠ぺいして見えなくすることにつながる。

 サンフランシスコでは北軍の指導者で後に大統領になったユリシーズ・S・グラントの銅像やアメリカ国歌の歌詞の基になる詩を書いたフランシス・スコット・キーの銅像が引き倒された。グラントは北軍の指導者であったが、南北戦争直前まで奴隷を所有していたり、アメリカが分裂しないのなら奴隷制度は継続しても良いと考えていたりということがあった。そのために過激な人々の攻撃対象となったようだ。

 エイブラハム・リンカーンはアメリカの首都ワシントンDCに大きな像が立っているほど、アメリカ史上偉大な大統領という評価になっている。私たちは、リンカーン大統領は奴隷制度を廃止した偉い人として習う。だから、ワシントンDCに大きな像があると思ってしまう。しかし、これは小室直樹博士が指摘していたことだが、リンカーン像があるのは、奴隷制度を廃止したからではない。アメリカが南北に分裂し、2つの国として固定化すること防いだ、つまり、アメリカの統一を回復したということがリンカーン最大の功績なのである。奴隷制度廃止は付けたりに過ぎない。公民権法が制定されたのはそれから約100年後の1964年だ。

 その時代その時代の先端の人々であっても、後の時代から見れば、「時代遅れ」である。当たり前だ。当時のことを現在の視点から批判することは許容されるが、断罪するということはやり過ぎだ。

 サンフランシスコの抗議加藤堂に参加した人々の中にはおそらくantifaの人々もいただろう。彼らからすれば、アメリカ国歌「星条旗」の詩を書いたフランシス・スコット・キーも罪深い人物ということになるのだろう。だったら器物損壊ではなく、徹底した批判をすればよい。批判は自由だ。しかし、フランシス・スコット・キーの銅像を引き倒すようでは、多くのアメリカ人からの支持も共感も得られない。それどころか、反感を招くだろう。そして、トランプ大統領に対する支持ということになるだろう。彼は「法と秩序(law and order)」という言葉を使っている。抗議活動の過激化はトランプ大統領の言葉に説得力を持たせている。トランプ大統領を当選させたくないという人々が抗議活動に参加しているだろうが、逆効果であることを理解すべきだ。

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抗議活動参加者たちは北軍将軍のユリシーズ・S・グラントと国歌の歌詞を書いたフランシス・スコット・キーの銅像を引き倒した(Protesters tear down statues of Union general Ulysses S. Grant, national anthem lyricist Francis Scott Key

マーティー・ジョンソン筆

2020年6月20日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/homenews/state-watch/503685-protesters-tear-down-statues-of-union-general-ulysses-s-grant-national

金曜日、サンフランシスコでの抗議活動参加者たちが、ゴールデンゲイト公園にあるグラント元大統領の像を引き倒した。グラントは南北戦争時代に北軍を率いた。

NBCベイエリアの報道によると、サンフランシスコ市警察は、午後8時におよそ400名の人々が集まり、銅像を引き倒したが、逮捕者は出なかったと発表した。

金曜日、同じ公園で別の銅像が引き倒された。

金曜日、ゴールデンゲイト公園で引き倒された別の銅像は、聖ジュニペロ・セラと「星条旗(The Star-Spangled Banner)」の歌詞を書いたフランシス・スコット・キーのものであった。

金曜日はジューンティーンス(Juneteenthe)だった。ジューンティーンスは、1965年6月19日にテキサス州で最後の奴隷が解放されたことを祝う国が指定している記念日である。その日は奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)が発表されてから約2年後のことだった。

グラントは、南北戦争において北部を勝利に導き、アメリカ国内で奴隷制度を終わらせることに貢献した人物の一人として幅広く評価されているが、歴史家の中には、グラントと奴隷制度についての複雑な関係を指摘している人々もいる。

アメリカ南北戦争博物館の演出・プログラムスペシャリストであるシーン・キーンは記事の中で次のように書いている。「グラントは南北戦争の直前の約1年間、ウィリアム・ジョーンズという名前の人物を所有していた。1859年、グラントは35歳のジョーンズを買い取ったか、譲渡されたかで所有していた。ジョーンズはグラントに仕えたが、グラントは開戦直前にジョーンズを解放した」。

キーンはまた、数十名の奴隷を所有していた家族と婚姻関係を結んだとも書いている。

南軍がサムター要塞への攻撃を行った後、グラントは奴隷制度廃止主義者である父親に対して手紙を書いた。その中で次のように書いている。「私の考えは、反乱軍を従わせるために、そしてアメリカ合衆国憲法が認める全ての諸権利を守るために、鞭をふるうことです。奴隷制度に対する戦争以外には反乱軍を膺懲できないのならば、奴隷制度の廃止は合法的に行われるべきです。奴隷制度の廃止によって共和国(アメリカ)の存在を継続させることに失敗するならば、奴隷制度は存続させるべきです」。

サンフランシスコでグラントの銅像が引き倒されたことについて、ツイッターで多く批判が寄せられた。

今週、全米各地で抗議活動参加者たちは数多くの南軍の兵士や将軍たちの銅像を引き倒した。金曜日の夜にはワシントンDCにあるアルバート・パイクの銅像が引き倒された。トランプ大統領は銅像の引き倒しに関与した人々は逮捕されねばならないと述べた。

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アメリカ政治の秘密
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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 ミネソタ州ミネアポリス市で警察官が丸腰の黒人男性ジョージ・フロイドを制圧する際に、膝を首に押し付け、そのまま数分間も圧(の)し掛かり、フロイドが死亡するという事件が起きた。フロイドは「息ができない(I can’t breathe)」と訴え、周囲の目撃者たちも助けるように求めていたが、白人警察官は制圧を続けた。事件に関わった警察官たちは殺人罪で訴追された。

 この事件を受けて全米各地で抗議運動が発生し、抗議活動が過激化し、破壊行為や暴力行為にまで及ぶ者たちが出てきた。また略奪や破壊も行われる事態ともなっている。警察も催涙ガスを発射したり、手荒い対応をしたりということで、対立は激化している。

アメリカにおける人種差別は根深い。私は子供の頃にアメリカは「人種のるつぼ(melting pod)」と習った。これは「アメリカという国に来れば、全ての人々が溶け合って、アメリカ人になる」という意味だったと思う。しかし、現在は「サラダボウル(salad bowl)」という言葉になっている。これは「それぞれの野菜がそのままで魅力を発揮しているように、人種などの違いがありながらも協調していく」という意味だ。しかし、これはあくまで理想論であり、現実はなかなかうまくいかない。

 アメリカでも都市部であれば、様々な人種の人々と触れ合う機会はある。しかし、アメリカでも地方や田舎に行けば、ほぼ白人しかいないという場所も沢山ある。そういうアメリカと都市部のアメリカでは意識や考え方に大きな違いがある。非白人であるために、日常生活で不公平な扱いを受けたり、教育や就業の機会が制限されたりということはまだまだ残っている。そうした状況下で何とか這い上がろうという気概を持てる人は少なくて、諦観が広がる。そうなると非白人共同体で負の連鎖、スパイラルが続くということになる。

 抗議活動はワシントンDCでも行われ、ホワイトハウスの周辺にも多くの人々が集まった。ドナルド・トランプ大統領は地下壕に退避したという報道もあった。そうした人々に対して警察は催涙ガスを発射して鎮圧を試みた。トランプ大統領がホワイトハウスから歩いていける距離にある教会に向かう様子をレポートしていたジャーナリストたちは、空中に浮遊する催涙ガスの残留物によってせき込んでいたということだ。

 こうした中で、トランプ大統領は暴動や略奪、破壊行為に対応するために、アメリカ軍を派遣すると述べた。州兵(national guards)は対外戦争に動員されることもあるが、主にアメリカ国内が活動の場だ。アメリカ軍は警察活動の支援には向かない。そのために、そのような活動は行わないことになっている。ただ、反乱法という法律があり、アメリカ大統領はこの法律が適用されれば、米軍をアメリカ国内に派遣することが可能となる。1992年のロサンゼルス暴動の際にこの法律が適用された。この時、ロサンゼルス北部の高級住宅街を守るために、暴動が始まったロサンゼルス南部(サウスセントラルと呼ばれた、全米でも屈指の治安の悪い地域)と北部の間にあるコリアタウンが犠牲にされたという説がある。略奪者や破壊者に対して、徴兵で軍隊経験のある韓国人移民の男性たちが銃を取って応戦する姿が見られた。白人を守るために、非白人同士が戦わされたという話になる。

 軍隊と警察は共に武器を独占的にかつ合法的に所持し使用することが認められているが、その目的は異なる。軍隊は「国家の独立を守る」が、警察は「市民の安全と財産を守る」、これらが目的だ。軍隊は市民の生命や財産を守ることが主目的ではない。たまたまそのような結果になることが多いが、結局は国家を守る、政府を守るのが仕事だ。トランプ大統領が軍隊の派遣に言及したことの意味は大きい。

 ホワイトハウスの目の前でも激しい抗議活動が行われ、トランプ大統領は一時地下壕に退避したという報道もなされた。単純に怖がったということもあるだろう。しかし、軍隊の派遣がなされるというのは、国家の独立や体制が脅かされる時だ。トランプ大統領は、今回の抗議活動やデモ、略奪や破壊活動が体制への挑戦だと捉えているのだろう。アメリカの「偉大さ」「例外主義(アメリカは他国とは違う)」「デモクラシーの主導者」「世界秩序の保護者」という輝かしい主張は、国内の大きな矛盾、経済格差や人種差別などを基礎にしつつ、それらを覆い隠している。経済格差や人種差別をある程度までゆっくり進めることはアメリカの主流派、白人も受け入れられることだろうがそれを急進的に進めることは「革命」として捉える。

2016年と2020年のアメリカ大統領選挙民主党予備選挙で善戦したバーニー・サンダース連邦上院議員(ヴァーモント州選出、無所属)は自身を革命家だと形容した。「民主社会主義者」にして「革命家」はアメリカでは多数派にはなれない。しかし、サンダースが述べていることは、日本やヨーロッパ諸国では何も過激なことではない。アメリカは自由主義、デモクラシー、資本主義を標榜し、世界をリードすると威張りながら、実際には内部に大きな矛盾を抱えている。その矛盾を解決しようという動きが出ると、それを「革命」と糾弾し、その動きを止めようとする。そうこうしているうちにうやむやで終わる。

 新型コロナウイルス感染拡大による社会的、経済的不安が広がる中、古典的とも言える白人警察官による無実のアフリカ系アメリカ人男性の殺害という事件が起きた。アメリカの抱える矛盾を解決しようという動きが出てきた。トランプ大統領はアメリカの抱える矛盾を象徴するような人物だ。彼が身の危険を感じ、軍隊を投入するとまで言及したことは

象徴的な発言である。衰退していくアメリカの叫び、とでも言えるだろう。

(貼り付けはじめ)

エスパーは命令変更後にワシントンDC周辺にいる米軍将兵の内数百名に帰還を命令(Esper orders hundreds of active-duty troops outside DC sent home day after reversal

エレン・ミッチェル筆

2020年6月4日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/defense/501232-esper-orders-hundreds-of-active-duty-troops-outside-dc-sent-home-day-after

マーク・エスパー国防長官は、ワシントンDCに入るために準備をしていた現役の米軍将兵数百名をそれぞれの駐屯基地に帰還させている。これは水曜日になされた帰還命令が同日に変更された後、また帰還命令が下された。

国防総省のある幹部は本誌に対して、国防総省は「首都地域に派遣されている現役部隊の一部を自分たちの駐屯基地に戻す決定を下した」ことを認めた。

この幹部は続けて、米軍上層部は「現在の変動の激しい状況を継続的に注視して」おり、首都地域にとどまっている現役部隊のメンバーたちの基地への帰還は「状況次第(conditions-based)」だと述べた。

多くの報道機関が報じているところでは、ノースカロライナ州フォート・ブラッグを基地とする第82空挺師団から派遣された将兵は首都地域に派遣されている1600名の米軍将兵の一部を構成している。この米軍将兵たちは、先週武器を持っていなかったアフリカ系アメリカ人ジョージ・フロイドがミネアポリス市警察に殺害された後に発生している市民暴動に対応のために首都地域に派遣されたが、実際には使用されていない。

エスパー長官が将兵の基地への帰還を命じて2日の内に2回の命令変更が行われた。水曜日午前、エスパー長官は派遣されている米軍に基地に帰還するように命令を出した。しかし、同日に行われたホワイトハウスでの会議後に命令を変更した。将兵に対して、更に24時間、「高次の警戒」を保つようにという命令が出された。

首都地域へ派遣された将兵の帰還と命令が更に変更になったのは、ホワイトハウスのメッセージとエスパー長官の発言が異なるものとなった後だ。水曜日、エスパー国務長官は記者団に対して、1807年に制定された反乱法の適用を支持しないと述べた。この法律を使えば、トランプ大統領は、抗議活動に対応するために、現役の米軍将兵を全米に派遣することが可能となる。

トランプ大統領は月曜日、州知事たちが「制圧」をせず、州兵を派遣しないのならば、抗議活動を鎮めるために軍隊を派遣すると警告を発した。しかし、水曜日に録画されたインタヴューの中で、トランプ大統領はこの主張を続けないという姿勢を示唆した。

トランプ大統領は、自身の首席報道官を務めたシーン・スパイサーとのニュースマックでのインタヴューの中で、「状況によるでしょう。州兵の派遣はやらなければいけないということではありません」と述べた。

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国防総省の長はトランプ大統領に反対し、反乱法の適用に反対する(Pentagon chief breaks with Trump, opposes invoking Insurrection Act

レベッカ・キール筆

2020年6月3日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/defense/500877-us-defense-chief-does-not-support-invoking-insurrection-act

マーク・エスパー国防長官は水曜日、トランプ大統領が、ジョージ・フロイドの死亡事件から発生している全米規模の抗議活動の中で、国内の法の強制(domestic law enforcement)を実行するために米軍を投入することができるようになる法律の適用を支持しないと発言している。

エスパー長官の発言はトランプ大統領の発言と対立するものだ。トランプ大統領は、各州の知事たちがデモ参加者たちを「制圧」しないならば、抗議活動を鎮めるために、現役の軍部隊(active-duty troops)を派遣すると警告を発した。

エスパー長官は水曜日の記者会見に置いて次のように発言した。「私は常に確信し、確信し続けているのですが、州兵はこのような状況下では実際の方の強制を支援するために、国内の自治体や役所を支援することに最も良いパフォーマンスを発揮する存在です」。

エスパー長官は続けて次のように述べた。「私は国防長官としてだけではなく、元兵士、そして元州兵として申し上げています。法の強制の役割に現役の軍部隊を使用するという選択肢は最終手段としてのみ、最も切迫した恐ろしい状況でだけで使用されるべきです。私たちは現在、そのような状況には立ち至っていません。私は反乱法(Insurrection Act)の適用を支持しません」。

フロイドがミネアポリス警察による拘禁行為の過程で殺害された先週から抗議活動は全国各地に拡大している。一人の警察官が8分間にわたりフロイドの首に膝を押し付け上からのしかかった。抗議活動参加者の一部は略奪行為の中、暴力行為を激化させている。

火曜日までに、28州の知事とワシントンDCの市長は、群衆のコントロールを支援させるために州兵の派遣を決定した。州兵総局の発表によると、火曜日の時点で2万400名の州兵が「市民暴動(civil unrest)」に対応しているということだ。

アメリカ軍は通常、アメリカの国土において法の強制を実行することは禁止されている。しかし、1807年に制定された反乱法ではこの禁止を乗りこえることができる。反乱法が最後に使用されたのは1992年のことで、ジョージ・HW・ブッシュ元大統領が、ロドニー・キング事件に端を発する暴動(Rodney King riots)を鎮めるために、カルフォルニア州知事の要請に基づいて適用を行った。

国防総省はいくつかの現役の陸軍部隊がワシントンDC地域に派遣され、必要と見なされればいつでも首都に入るために準備をしているということを認めた。エスパーの反乱法適用反対の発言は、国防総省が陸軍部隊の派遣を認めた後に行われた。

火曜日夜に国防総省首席報道官のジョナサン・ホフマンが発表した声明によると、ノースカロライナ州フォート・ブラッグからの歩兵1個大隊(infantry battalion、訳者註:1個大隊は300名から800名によって構成)、フォート・ブラッグからの憲兵旅団(brigade、訳者註:旅団は複数の大隊で構成)、ニューヨーク州フォート・ダラムからの憲兵1個大隊が「首都地区にある複数の基地にいるが、ワシントンDCには入っていない」ということだ。

ホフマン報道官は続けて次のように述べた。「合計で1600名の将兵は「高次の警戒の中にあるが、合衆国法典第10編の下にとどまっている。そして、修正や地方自治体の施策を支援することには参加していない」。

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催涙ガスが群衆に撃ち込まれる中、トランプ大統領が抗議運動参加者たちを鎮めるためにワシントンDCに軍隊を動員(Trump mobilizes military in DC to quell protests as tear gas fired into crowds

ブレット・サミュエルズ、モーガン・チャルファント筆

2020年6月1日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/homenews/administration/500576-trump-mobilizes-military-in-dc-to-quell-protests-as-tear-gas-fired

月曜日、トランプ大統領は、全米各地で起きている抗議運動を取り締まるために、「連邦政府の全ての資源、文民と軍隊」を動員するだろうと述べた。トランプ大統領は自分自身を「法と秩序の大統領」だと宣言した。この時、警察はホワイトハウスの外に集まった抗議する人々を攻撃的に解散させた。

トランプ大統領はワシントンDCに軍隊を派遣すると述べた。そして、全米各州の知事たちに州兵を派遣して道路を「占拠(dominate)」するように求めた。知事たちがそれを拒否するならば、アメリカの各都市に軍隊を派遣するだろうと述べた。

トランプ大統領は次のように述べた。「各市長と知事たちは、暴力が鎮静するまで、圧倒的な法の強制の存在を構築しなければならない。もし都市や州が住民たちの生命と財産を守るために必要な行動を取ることを拒絶するならば、私はアメリカ軍を派遣し、問題を即座に解決するだろう」。

州知事が要請することなしに、トランプ大統領が各州へ巡視のために米軍将兵を派遣する権限をトランプ大統領が持っているのかどうかは即座に明確にすることができなかった。国防総省のある幹部は、トランプ大統領は反乱法(Insurrection Act)を実行することはないと述べた。この法律は大統領にアメリカの国土に軍隊を派遣する力を与えている。この法律は1992年に最後に使用された。この時は、ロドニー・キング殴打事件で起訴された警察官たちに無罪評決が出された後に起きた暴動に対応するためだった。

トランプ大統領はまた、首都ワシントンDCにおいて、「暴動、略奪、破壊行為、暴行、財産の破壊を阻止するために、数千人単位の重武装した兵士たち、軍の将校、警察官を」派遣すると述べた。

トランプ大統領の発言は、ジョージ・フロイドの死亡事件の発生後にアメリカ国内で起きている分裂を促すことになった。トランプ大統領がローズガーデンで演説を行っているが、ホワイトハウスから道一つを挟んで位置するラファイエット公園に数百名の人々が集まり、4夜連続で抗議活動を行った。

トランプ大統領が演壇に立つ直前に大きな爆発音が数発聞こえた。平和的な抗議活動参加者たちに対して警察が催涙ガスを発射した。その前には、ウイリアム・バー司法長官がラファイエット公園への警察の配置について見直しを行った。

ワシントンDCの市長はワシントンDC全体への夜間外出禁止令(curfew)を出したが、午後7時から効力を発する予定だ。州兵は警察を支援するためにワシントンDCに集結している。ニューヨーク市やその他の都市部は無法な抗議活動を封じ込めるために同様の夜間外出禁止令を出している。

トランプ大統領は、ワシントンDCに夜間外出禁止令が出される場合、これは厳しく取り締まられることになるだろうと述べた。

武器を携帯していなかったアフリカ系アメリカ人のフロイドは、1週間前にミネアポリス市警察の拘禁によって殺害された。一人の白人警察官がフロイドの首に膝を押し付け、のしかかったのだ。その時の様子は周囲にいた目撃者たちによって映像として記録されていた。そして、インターネット上で拡散した。そして、アメリカ全土での大きな怒りを引き起こした。

ホワイトハウスのローズガーデンでのトランプ大統領の演説は、アメリカ全土が動揺している中で、トランプ大統領は正式な演説を行うべきか、そうではないかという議論がなされた後に、実施された。

しかし、トランプ大統領の準備された演説ではフロイドの死亡に関しては簡単に触れただけだった。そして、抗議活動を引き起こした警察の暴力については言及しなかった。その代わりに、トランプ大統領は無法なデモ参加者たちに対して、「法と秩序」が勝利するのだと述べた。

トランプ大統領は次のように述べた。「 私の政権はジョージの家族に正義がもたらされるように完全に責務を遂行します。ジョージの死を無駄にすることはありません。しかし、私たちは、平和的な抗議活動の参加者たちの正当な叫びが怒りに任せて動く群衆によってかき消されることを許しません」。

トランプ大統領は演説の中で、ここ数日で起きている警察に対する攻撃と商店などに対する破壊行為の具体例を挙げた。抗議活動参加者に対する警察の暴力行為や活動家たちの負傷や死亡事例についてトランプ大統領は言及しなかった。

トランプ大統領は、ホワイトハウスの近くにある、歴史の長い聖ジョセフ教会に対する放火に言及し、この放火や他の事件について、「国内におけるテロ」だと述べた。

トランプ大統領は次のように述べた。「私は皆さんを守るために戦います。私は皆さんのための、法と秩序(law and order)の大統領でありますし、平和的な抗議活動参加者の皆さんの仲間です。しかし、ここ数日、職業アナーキスト、暴力的な群衆、放火魔、犯罪者、暴動扇動者、アンティファ(antifa)、その他の人々がこの国を揺り動かしています」。

トランプ大統領は続けて「今回のテロを組織する人々に対しては、厳しい刑法上の罰を受け、刑務所に長期間入ることになる、ということを予め告知しておきます」と述べた。

トランプ大統領は演説終了直後、聖ジョセフ教会に徒歩で向かった。そして、政権幹部たちを従えて、板を打ち付けられた状態の建物を視察した。トランプ大統領は聖書を掲げ、写真を撮影させ、記者団に対しては、ホワイトハウスに向かう途中で、アメリカを「素晴らしく、そして安全な」国として保つと述べた。

抗議活動参加者たちを排除するために発射された催涙ガスの残留物が空気中に漂い、その中でジャーナリストたちはトランプ大統領の教会訪問を取材する中で、咳をしながらレポートしていた。

トランプ大統領は月曜日午前中の電話会議において、知事たちに対して道路を州兵で「占拠」する必要があると述べ、また各州の知事たちのデモに対する初期対応を「弱腰」だと非難した。トランプ大統領の言葉遣いは民主党所属の知事たちの一部からの批判を巻き起こした。こうした知事たちはトランプ大統領が緊張を更に申告させており、状況をさらに悪化させていると警告を発した。

イリノイ州知事JB・プリッツアー(民主党所属)はトランプ大統領との電話の中で、トランプ大統領の言葉遣いについて「大変な懸念を持っている」と述べた。プリッツアーは、ローズガーデンでのトランプ大統領の演説の後に、CNNに出演し、トランプ大統領は、トランプ大統領に熱を下げて欲しいと望んでいる人々からの忠告を聞きたがらないと述べた。

プリッツアーは次のように発言した。「大統領は法と秩序対自分たちの権利のために立ち上がっている人々という雰囲気を作り出したいだけなのでしょう。そして、彼はすぐに人々の諸権利を押さえつけてしまうでしょう」。

ローズガーデンでの大統領の演説は土曜日夜以来、初めてカメラの前で行われた発言である。土曜日の夜、フロリダ州ケープ・カナベラル空軍基地で行われたスペースXの歴史的な打ち上げについて大統領が演説を行ったが、その冒頭でフロイドの死亡と抗議活動について触れた。トランプ大統領はフロイドの殺害を「容易ならない悲劇(grave tragedy)」と呼び、一方で抗議活動の参加者たちが破壊活動を行っていると批判し、アンティファ(antifa)と「いくつもの急進的な左派グループ」による暴力的なデモを非難した。

全米各地でのデモは過去48時間の間に緊張感を高めている。警察は群衆に向かって催涙ガスやゴム弾を発射し、抗議運動の参加者たちの一部は略奪と破壊行為を行っている。

抗議活動は先週から週末にかけて、フロイドが殺害されたミネアポリスで発生し、全米各地に拡大している。こうした中で、トランプ大統領は抗議活動についてコメントを行った。トランプ大統領は初源の言葉遣いについて批判を受けている。共和党の一部からは大統領のツイートは問題解決に役立っていないとしている。

トランプは金曜日午前中、ミネアポリスの抗議運動参加者たちは「暴漢たち」だと述べ、「略奪(looting)が始まれば、射撃(shooting)も始まる」と警告を発した。この言葉は、公民権運動が盛んな時代に、アフリカ系アメリカ人居住地域に対する攻撃的な警察の施策について、白人のマイアミ市警察本部長が使ったものだ。トランプ大統領は先週、この言葉の起源について関知しないと主張した。

週末にホワイトハウス周辺で抗議活動が激化した後、ホワイトハウスにあまりに近づきすぎるならば、デモ参加者たちは「危険な犬たち」と「強力な武器」に直面することになるだろうとトランプ大統領は警告を発した。

(貼り付け終わり)

(終わり)

amerikaseijinohimitsu019
アメリカ政治の秘密
harvarddaigakunohimitsu001
ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 

 今回は戦闘的左派antifaに関する論稿の後半部をご紹介します。著者のベイナートはここで重要なことを書いています。それは、暴力肯定、戦闘的であることは、自分たちを反対者と同じ存在にしてしまうという批判です。私はこの指摘ができるベイナートを尊敬しています。

 

 戦闘的左派antifaは若者を中心にして勢力を拡大しています。人種差別主義者や白人優越主義者たちが集まっている場所に出て行って、その集会の開催を阻止し、そのためには暴力を使います。これに対して、人種差別主義者や白人優越主義者、そして、トランプ支持者たちは自分たちの権利が侵害されているという意識を持ち、さらに先鋭化し、激しい行動に出ます。そして、被害者意識から更なる暴力をふるい、殺人事件まで起こしています。私は、白人優越主義、人種差別主義、ネオナチには一片の理解も共感もありません。しかし、こうした考えを信奉する人々とトランプ大統領を支持し、投票した人々をいっしょくたに扱うことには反対です。

 

 暴力は何も生み出さない、というきれいごとを言うつもりはありません。しかし、自分の権利が侵害される、生命が脅かされるといった場合に緊急的に暴力をふるうことは仕方がありませんが、それも過剰であってはなりません。

 

 ベイナートの論稿によると、antifaの活動家たちは、「人種差別主義者や白人優越主義者が集まって考えを述べることは、ひいては少数派に対する暴力を生み出すから、それを事前に阻止しているのだ」と述べているそうすが、これはアメリカの予防的先制攻撃(preemptive attack)の論理と変わりません。私は彼らの暴力肯定は、こうした論理から認められるものではないと考えます。

 

 また、antifaの活動家たちは、「どのアメリカ人が集会を行うことが許され、誰には許されないのか」を決める権威を持っている、と主張しているそうですが、これは大変思い上がった考えであると言わざるを得ません。何が正しいのかを決めるのは自分(たち)だ、という考えを持ち、それが実行されたとき、どれほどの悲劇が起きてきたかは人類の歴史を見れば明らかです。

 

 こうして見てくると、「正しさ」を自分たちで決めて、そのうえで反省がない場合、大きな失敗が起きるという人類の歴史でみられる現象が、現代のアメリカでも起きていると言わざるを得ません。トランプ支持者の中に人種差別主義者や白人優越主義者が混ざっていることは間違いありません。しかし、「トランプ支持者たちは人種差別主義者で、白人優越主義者で、ファシストだ」などと言うことは間違っています。彼ら全員がそうではないからです。そこをいっしょくたにして暴力をふるう対象にする、という行為は左派の持つ、寛容性や多様性というプラスの面を大きく損なうものです。

 

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ポートランドはこうした状況を生み出すうえで最も重要な場所と言えるだろう。アメリカの太平洋岸北西部は長年にわたり、白人優越主義者たちを魅了した場所であった。白人優越主義者たちは複数の人種が共に生活する東部や南部からすると安息所のような場所だと考えた。1857年、オレゴン(当時は連邦直轄領)は、アフリカ系アメリカ人の居住を禁じた。1920年代まで、オレゴン州はクークラックスクラン(KKK)のメンバーが人口に占める割合が全米で最も高い州であった。

 

1988年、ポートランドのネオナチがエチオピアからの移民を野球のバットで殺害した。その直後、ポートランド州立大学の講師で『ファシストたちに抗して』の著者アレックス・リード・ロスは、「反ナチスのスキンヘッズたちが人種偏見に反対するスキンヘッズ(Skinheads Against Racial Prejudice)の支部を立ち上げた。その直後、ポートランドで反ファシスト行動(Anti-Fascist Action)グループが結成された」と書いている。

 

トランプ時代の現在、ポートランドは反ファシズム闘争の砦となっている。トランプ当選後、数日にわたって、覆面をした活動家たちはデモ行進をしながらショーウィンドウを破壊した。今年の4月初旬、antifaの活動家たちは、ワシントン州に属するヴァンクーバー(オレゴン州の都市ポートランドの都市圏を形成している)で行われた「トランプと自由のためのラリー」に対して発煙筒を投げ込んだ。地元紙はこの時の大乱闘について、ライヴ会場での観客同士の押し合いへし合い(モッシュピットと呼ばれる)のようであったと書いた。

 

反ファシズム活動家たちがポートランドの82番街でのパレードを中止するように圧力をかけてきたとき、トランプ支持者たちは「マーチ・フォ・フリー・スピーチ」デモで対応した。デモの参加者の中に、ジェレミー・クリスティアンがいた。クリスティアンは屈強な男性で犯罪歴があり、アメリカ国旗を振り回していた。クリスティアンは人種に関する罵詈雑言を喚き散らし、ナチス式の敬礼を繰り返した。それから数週間後の今年5月25日、クリスティアンだと思われる男性がantifaを「パンクファンの尻軽女たちの集まり」と呼んでいる映像が公開された。

 

翌日、クリスティアンは電車に乗り、「有色人種」が都市を破壊していると叫び始めた。彼はたまたま乗り合わせていた10代の少女2人に絡んだ。1人の少女はアフリカ系アメリカ人で、もう1人はイスラム教徒であることを示すヒジャブをかぶっていた。クリスティアンは2人に対して、「サウジアラビアに帰れ」「自殺して果てろ」と言い放った。少女たちは電車の後ろに逃げ、3名の男性がクリスティアンと少女たちの間に立った。1人が「どうぞ、この電車から降りてください」と言った。クリスティアンはこの3人をナイフで刺した。1人は電車の中で出血多量で亡くなった。もう1人は病院に運ばれた後に死亡宣告された。1人は何とか命を取り留めた。

 

このサイクルは続いた。クリスティアンの事件から9日後、トランプ支持者たちはポートランドで再びデモを開催した。このデモでは、バークリーで反ファシズム活動家を殴打したチャップマンも姿を現し、参加者たちの称賛を受けた。antifaの活動家たちは警察が介入し、スタンガンと催涙ガスを使って解散させるまで、デモに対してレンガを投げつけた。

 

ポートランドで失われたものは、マックス・ウェーバーが国家が機能するために不可欠なものと考えるものそのものである。それは正当な暴力の独占である。antifaの構成員のほとんどがアナーキストであるため、反ファシストの人々は白人優越主義者たちが集まることを政府が阻止することを望まない。彼らは、政府の無能さを声高に叫びながら、自分たちで阻止したいと望んでいる。他の左派グループの活動家たちからの支援を受けて、彼らは政府の邪魔をすることに一部成功している。デモ参加者たちは今年2月、市議会での会議に何度も乱入した。それは会議が非公開で行われていたからだ。2017年2月と3月、警察の暴力とポートランド市役所のダコタ・アクセス・パイプラインへの投資に抗議している活動家たちはテッド・ウィーラー市長を徹底的に追い回した。家まで付け回し、市長はホテルに避難した。パレードの主催者に送られてきたEメールには憎悪に満ちた言葉が書き連ねられていた。その中には「警察は私たちが道路を封鎖するのを阻止することはできない」という言葉もあった。

 

こうした動きをトランプ支持者たちは恐怖感を持って受け止めている。彼らはリベラル派の拠点では、彼らの言論の自由を守ることが拒絶されているのだという猜疑心を持っている。トランプ支持者であるジョーイ・ギブソンは6月4日のデモを組織した人物である。ギブソンは私の取材に対して、「私が最も不満に思っているのは、リベラル派の拠点となっている町の市長や町長たちが警察を出動させないことです。彼らは保守派の人々が集まって話すことを望まないのです」。デモの安全を守るために、ギブソンは極右の民兵組織「オース・キーパーズ」を招いた。今年6月末、マルトノマウ郡共和党代表ジェイムズ・バカルもまた安全のために民兵組織を使うだろう、それは、「デモ参加者はポートランドの町中は安全ではないと考えている」からだ、とバカルは述べた。

 

antifaの支持者たちは権威主義に反対しているantifaの活動家の多くは、中央集権化された国家という概念に反対している。しかし、立場の弱い少数派を守るという大義名分の下に、反ファシズム活動家たちは、どのアメリカ国民が公共の場で集まることができ、誰ができないかを決定する権威を持っていると自認している。彼らが持つという権威は民主的な基盤の上には立っていない。彼らが避難している政治家たちと違い、antifaに参加している男女は投票で追い出すことはできない。彼らは選挙の洗礼を受けていないし、そもそも彼らは自分たちの名前も明かしてはいないのだ。

 

antifaが自認する正当性は政府の正当性とは反比例の関係にある。トランプ時代において、antifa運動がこれまでにないほど勢いを増しているのはここに理由がある。ドナルド・トランプ大統領は、リベラルで民主的な規範を馬鹿にし、その消滅を望んでいる。こういう状況の中で、進歩主義者たちは選択することを迫られている。彼らはフェアプレイのルールを再確認し、トランプ大統領が行う心をむしばむような行為を制限しようとすることができる。そうした努力の多くは失敗してしまうだろう。もしくは、強い嫌悪感、恐怖感、道徳的な怒りの中で、人種差別主義者やトランプ支持者の政治的な諸権利を否定することもできる。ミドルベリー大学、バークリー、ポートランドにおいて、後者の方法が採用された。そして、特に若い人たちの間でそうした方法が拡大し続けている。

 

憎悪、恐怖、怒りは理解できる。しかし、一つ明確なことがある。ポートランドの町中で共和党員や支持者たちが安全に集まることを妨げる人々は、「自分たちはアメリカの右派の中で大きくなっている権威主義に強く反対しているのだ」と考えているのだろう。しかしながら、実際のところ、そうした人々は、その思いとは裏腹に、反対している相手である人種差別主義者、白人優越主義者、トランプ支持者といった人々に対しての同盟者、協力者となってしまっているのだ。

 

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(終わり)



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





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