古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:人道的介入主義派

 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 アメリカの有名なシンクタンクである、アメリカ・エンタープライズ研究所から「台湾とコントロールするための中国の3つの方途(China’s Three Roads to Controlling Taiwan)」という報告書が出たのは2023年3月13日だった。
下記アドレスから見ることができる。
https://www.aei.org/research-products/report/chinas-three-roads-to-controlling-taiwan/

 そして、今年5月に『ザ・ヒル』誌にその内容の概略が、報告書の著者であるダン・ブルーメンソールとフレッド・ケーガンによって論稿として発表された。ブルーメンソールは中国専門家として知られ、国務省に勤務した経験を持つ。フレッド・ケーガンは、アメリカのネオコン派の「名家」ケーガン一族に属しており、兄はロバート・ケーガン、義姉は、ヴィクトリア・ヌーランド前国務次官、妻は戦争研究所(Institute for the Study of War)の所長を務めるキンバリー・ケーガンである。フレッドは、2007年のイラクへのアメリカ軍増派作戦(「大波」計画[Surge Plan])の立案者として知られる。アメリカを戦争の泥沼に引き入れた一族の一員だ。

 この報告書の内容は、「中国は武力侵攻などしなくても台湾統一を実現できるということに今気づいた。アメリカは非武力的な方法にも注意をしなくてはいけない」というものだ。

 私は拙著『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』や『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』、このブログで、散々、「中国は台湾に侵攻しなくても統一できるし、現状は既にぴったりとくっついていて、両岸関係は緊密だ」と書いてきた。中国が武力で台湾に侵攻することなど書いてきた。「台湾有事だ」「ウクライナの次は台湾だ」「日本はアメリカと一緒になって台湾防衛のために中国と戦う」といったお勇ましい言論は、為にする言論であって、日本にとって害悪だ。

 私が不思議に思っているのは、昨年に発表した報告書の内容を今年になって論説にまとめて発表したことだ。どうしてこんなことをするのだろうかと考えて、私なりの答えにたどり着いた。それは、彼らの飯の種を何とか確保するということだ。現在のアメリカh、ウクライナ戦争とイスラエル・ハマス紛争の2つに注目が集まり、お金を出す出さないでお重めしてきた。しかし、共和党系のネオコン派や民主党系の人道的介入主義派の主敵は、中国である。ウクライナ戦争もパレスティナ紛争も先行きが見えない現状では、中国のために割くエネルギーは残っていない。それでは、この人たちは困るのだ。

 だから、バイデンが中国製の電気自動車に100%の関税をかけると発表した時期に、「中国も大変なんだよ」というアピールをするということだ。何とも迷惑な話である。

 中国はアメリカの衰退という大きな政界史的転換期の動乱を乗り越えようとしている。しかし、それが過ぎて安定期に入り、世界覇権国になっていく時期には、少しずつ、自由化や民主化を行っていくだろう。それはしかしまだ10年単位で先の話である。そして、台湾をゆっくりと中国に近づけさせていきながら、中国国内の制度も変更していき、台湾の人々が統一を選べるようにしていくだろう。そこにアメリカが付け入るスキはないし、アメリカが介入して良い問題でもない。もっとも、その頃にはアメリカは力を失っているだろう。

(貼り付けはじめ)

台湾統一を実現するために中国は侵攻する必要はない(China doesn’t need to invade to achieve Taiwanese unification

ダン・ブルーメンソール、フレッド・ケーガン筆

2024年5月13日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/opinion/international/4657439-china-doesnt-need-to-invade-to-achieve-taiwanese-unification/

アメリカは第二次世界大戦後、最も厳しい国際安全保障環境に直面している。

戦争が続いており、中東においても拡大する恐れがあるにもかかわらず、ウクライナ戦争は激化している。一方、中華人民共和国は近隣諸国への嫌がらせと威嚇を続けており、アメリカ政府は台湾に対する中国の攻撃の脅威をより強く認識している。

台湾の安全保障への関心が高まるのは歓迎されることだが、現在の言論は、中国による台湾侵攻の脅威に焦点を当てすぎている。北京には、台湾に対する現在進行中のハイブリッド戦争作戦(hybrid warfare campaign)をエスカレートさせるなど、侵攻という手段を取らずに統一を強制する他の選択肢がまだある。アメリカの政策は、そのような戦略を抑止したり打ち負かしたりするようには設計されていない。

中国は、主に次の3つの理由により、台湾侵攻よりも限定的な運動行動(limited kinetic action)を伴う政治的・経済的戦争を中心とした、私たちが「戦争に至らない強制作戦(short of war coercion campaign)」と呼ぶ作戦を追求する可能性が高い。

第一に、戦争ではない手段で台湾を併合すれば、中国の他の大戦略目標(Chinese grand strategic objectives)にダメージを与える可能性を大幅に抑えることができる。中華人民共和国の長期的な戦略目標は、包括的な国力を構築し続け、世界を主導する超大国になることだ。そして、国際政治秩序を決定的に再編成し、自らをその中心に据えることを目指している。中国の国家最高指導者の習近平は、台湾を大陸と統一することがこの大戦略の重要な要素であると考えていることは明らかだが、本格的な、そしておそらく、世界規模の戦争を始めることで、中国の地政学的支配への歩みを危険に晒すことを嫌っているのかもしれない。

第二に、政治戦(political warfare)と限定的な運動行動を中心とした、戦争に至らない戦略が成功する可能性がある。台湾の直近の選挙では、国内の政治的分裂が浮き彫りになり、アメリカの支持に対する懐疑的な見方が高まった。このような感情は、台湾が国際的に孤立しているという事実によって更に強化されている。台湾の地位は国際問題において特異なもの(sui generis)であり、世界の諸大国に承認されていない、完全に機能する国民国家(nation-state)である。このことは、台湾の見捨てられてしまうという、理解できる恐怖を中国が操る隙を生み出す。

第三に、戦争に至らない戦略は、中国の戦略的思考とこれまでの行動と一致している。中国の戦闘コンセプトの中には、伝統的な運動論的武力の行使を超える手段を用いて戦争を戦うことの有用性に言及しているものが数多くある。これらのコンセプトは、南シナ海や東シナ海、台湾海峡における中国の「グレーゾーン作戦(gray zone operations)」において定期的に採用されてきた。一般的な成功例からすると、中国は台湾併合作戦において、これらの手段の採用を強化する可能性が高い。

私たちの新しい報告書は、北京が現実的にそのような戦略を達成できることを示している。中国の戦略立案者たちの考え方を採用することで、私たちは、中国が侵略や明白な軍事封鎖(overt military blockade)を行うことなく台湾に対する政治的支配を確立できるような、実現の高い戦争に至らない強制作戦を考案した。

私たちがモデルとした作戦は、台湾の新総統の就任からその一期目までの4年間にわたって実施された。この期間中、中国は米台関係を破壊し、台湾政府の統治能力を低下させ、台湾の抵抗意志(Taiwanese will to resist)とアメリカの台湾支援の意欲を著しく損なうだろう。

私たちは、4年間にわたる絶え間ない中国の空軍および海軍の侵攻、準封鎖(quasi-blockade)、政治戦と工作(political warfare and manipulation)、台湾の重要インフラに対する大規模なサイバーおよび物理的破壊行為(extensive cyber and physical sabotage of Taiwan’s critical infrastructure)、および沖合の島々への致命的な武力が、台湾政府内で「認知的過負荷(cognitive overload)」を引き起こし、台湾国民全体が混乱を感じるようになっている。

このような作戦の過程で、アメリカは中国の情報戦(information warfare)に晒され、特に中国との新たな経済協定の後、台湾は戦争をする「価値がない(not “worth”)」と確信するようになるだろう。アメリカの対応を麻痺させる中国の能力に懐疑的な人々は、2015年以来、ウクライナをめぐるNATOとの決裂につながりかけたロシアの対アメリカ政治戦争に注目していない。特に、中国による苦痛を与える作戦が、アメリカが準備している侵攻の兆候や警告を何ら引き起こさないのであれば、アメリカは中国の強制的な作戦には参加しない可能性が高い。

私たちが想定している作戦では、台湾が混乱に陥り、最強の同盟国から見捨てられたように見えるということになる。中国は「和平(peace)」を申し出る機会を捉え、北京が指示するガイドラインに従って協力する代わりに、強制的な作戦を停止し、ある程度の自治を保証することを約束する。

そして、台湾政府は中国の一部になることを望んでいないにもかかわらず、最終的には中国の望む統一につながるであろう計画に同意することで、国民の苦しみを終わらせることを選択する。

私たちの報告書に概説されているシナリオは、私たちが必然的に起こると考えていることの評価を表している訳ではない。むしろ、戦争による強制という短時間のシナリオが現実的であり、非常に危険であることを示そうとしている。

このような戦略を阻止するために、アメリカ、台湾、そして地域の同盟諸国が取るべき手段はいくつかある。これらの政府は、国際法の下での台湾の主権的権利(Taiwan’s sovereign rights)を明確に示すことから始めなければならない。そうすることで、封鎖や船舶検査体制(shipping inspections regimes)を「内政問題(internal matters)」として正当化する中国の法律戦作戦(lawfare campaigns)に対抗することができる。

台湾とアメリカの両政府は、台湾の対干渉・対破壊工作の法的権限と能力(Taiwan’s counter-influence and anti-subversion legal authorities and capabilities)を向上させるためにも協力すべきである。この協力は、台湾が封鎖や封鎖に類似した経済活動に耐えられるようにするための、より広範な取り組みにも及ぶべきである。

最後に、アメリカ主導の連合は、中国の軍事的威嚇努力を阻止するために政治的、経済的コストを課すべきである。例えば、現在の台湾海峡での中国の空軍侵攻に対する回答は、台湾と国際社会との間の民間航空協力の拡大と、地域の防空体制への台湾の統合の両方であるべきである。

中国政府は、進行中の「グレーゾーン(gray zone)」作戦を強化するなど、台湾の支配を成功させるための多くの方法を持っている。中国は、台湾社会に多大な苦痛を与え、アメリカの介入(U.S. intervention)を阻止するための、戦争強制以外の組織的な作戦において、主に台湾の国際的孤立(Taiwan’s international isolation)と同盟関係の欠如(lack of alliance relations)といった台湾の脆弱性(Taiwanese vulnerabilities)を利用しようとする可能性がある。

中国が威圧的な取り組みを強化しそうな手段に焦点を当てることで、アメリカはそれを克服することができる。

※ダン・ブルーメンソール:アメリカ・エンタープライズ研究所上級研究員。
※フレッド・ケーガン:アメリカ・エンタープライズ研究所クリティカル・スレッツ・プロジェクト部門部長。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生の書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。


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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 今回は、トランプ政権で高官を務めた人物による「保守派の諸原則とは」という内容の論稿をご紹介する。

アメリカの保守派は、保守的な外交政策を支える諸原則として、自由の優位性(primacy of liberty)、国家主権(national sovereignty)、軍事力(military power)、そして国際情勢の本質的な競争性に対する現実的な認識(realistic appreciation for the inherently competitive nature of the international landscape)を重視している。これらの原則は、政策選択に影響を与え、アメリカの外交政策に修正を促すことができる。保守派は、自由、主権、競争、力の4つの原則を基盤とするリアリズム戦略を採用しており、これによってアメリカの力を維持し、国家の利益を守ることを目指している。共和党内には、大まかに言えば、介入主義的なネオコン派とリアリズム派がいる。ドナルド・トランプ大統領のアイソレイショニズム(Isolationism、アメリカ国内問題解決優先主義)はリアリズムの系統になるだろう。「外国で起きている問題は、外国が解決すべきで、アメリカにはアメリカ国内の問題がたくさん存在するのでそれらを解決することだ」という考えになる。外国にわざわざ出かけて、戦争を仕掛けて、既存の政権を倒して、新しい政権を樹立するなどということをしなくてよいという考えだ。「体制転換(regime change)を外交政策の柱にしたことで、アメリカは酷い目に遭った(アフガニスタンとイラクで)」ということになる。

保守派は、アメリカの外交政策において、地域のアクターたちと協力し、安定圏の拡大や国際秩序の維持に努めるべきだと考えている。同盟諸国やパートナー諸国との協力、地域のバランスの維持、そして地域の主体の積極的な参加が重要であると強調している。アメリカの保守派は、アメリカの利益と価値観を守るために、地域に特化した政策を展開し、同盟諸国との協力関係を重視している。

 こうしたリアリズム的な原則であれば、同盟諸国とアメリカとの関係もうまくいく。しかし、実際には、介入主義的な、ネオコン派や人道的介入主義派が実権を握っている状況が続き、アメリカの外交政策はうまく行っていないのが現状だ。現在のバイデン政権も結局は、「ヒラリークリントン政権」と言わざるを得ず、外交政策はうまく行っていない。それが、アメリカの衰退を促進させている。
(貼り付けはじめ)
21世紀のための保守的なアメリカの国家統治術(Conservative U.S. Statecraft for the 21st Century

-共和党内には多種多様な人たちがいてそれぞれに政策面で不同意のところもあるだろうが、共和党の持つ原理原則は、分断されつつある世界を、アメリカが主導していくのに役立つだろう。

ナディア・シャドロウ
2022年11月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/11/07/us-republicans-conservative-foreign-policy-principles/

アメリカの保守派は喜ぶべきだ。彼らは、現在の政策課題に適用すれば、アメリカが困難で複雑な国際状況を乗り切ることを可能にする、一連の信念と前提を保持している。保守的な外交政策を支える諸原則、自由の優位性(primacy of liberty)、国家主権(national sovereignty)、軍事力(military power)、そして国際情勢の本質的な競争性に対する現実的な認識(realistic appreciation for the inherently competitive nature of the international landscapeは、各種の政策選択に影響を及ぼす。

分裂し、競合する政治システムによって緊張を深める世界に直面した時、アメリカの保守派はアメリカの外交政策に必要な修正を促し、アメリカを将来に向けて強い立場に置くことができる。全ての政策選択が上記の原則から完璧に導き出されるわけではないが、政策立案者たちは困難な選択をするための指針として、これらの原則を用いるべきだ。世界を現実的に見ることは、政策立案者たちが歯の浮くような美辞麗句と厳しい現実のギャップを縮めるのに役立つ。これらの間のギャップこそが重要な問題なのだ。思考が現実から切り離されると、冷笑が生まれ、成果を上げる可能性が低くなり、民主政治体制への信頼が低下する。アメリカの保守派は、246年もの歴史を持つ、アメリカで実施されてきた実験に根本的な信頼を寄せているが、その理想主義は、アメリカは常に不完全であるという現実的な理解によって抑えられている。完璧主義(perfectionism)は夢想家(dreamers)や暴君(tyrants)たちが担当すべき仕事だ。

当然のことだが、保守派全員が一致した考えを持つことはない。歴史家のラッセル・カークが述べたように「お手本・モデルになる保守主義者(model conservative)」は存在しないが、「市民的社会秩序を見る(looking at the civil social order)」という点では、明らかに保守的なやり方がある。これは外交政策の領域にも及んでおり、保守主義の諸原則は、挑戦と機会を評価し、自由へと進む選択をするための枠組みを提供する。

保守的な外交政策には4つの原則がある。

第一に、自由への信念が保守的な外交政策の中核にある。それは、権力が持つ、人々の生活に介入する本性に対して必要な懐疑を提供し、無制限で説明責任を果たさない政府を是正するものだからだ。従って、国内においては、保守派は地域レヴェルから始まる解決策を好む。国際政治においては、国際規模の解決策や超国家的な解決策とは対照的に、国家的・地域的な解決策に偏ることになる。これは補完性の原則(principle of subsidiarity)ということになる。この原則は、小さな組織でできることを大きな組織で行うべきではないというものだ。自由の重要な側面は経済的自由である。アメリカの保守派は、経済的自由を拡大する方向に進まなかった国は繁栄しなかったことを知っている。

第二に、国家主権の尊重は、自由を維持し、安定した国際秩序を維持するための中心的な役割を果たす。第二次世界大戦後、自由主義的な国際秩序の基盤を形成した主要な制度は全て、国家主権が侵害できないものであり、平和と繁栄に不可欠なものであることを認めている。国際連合の設立憲章には、国家の主権平等(sovereign equality)が書かれている。アメリカの保守派は、個々の国家が依然として主体性(agency)と秩序(order)を提供する最良の方法であると信じている。国家主権のない民主政治体制(democracy without national sovereignty)は存在不可能である。

第三に、国際情勢は競争的であり、今後もそうであろうという理解は、保守的なリアリストたちにとって基本的な前提となる。2017年のアメリカの国家安全保障戦略が指摘したように、「歴史における中心的な連続性は力の争いである(central continuity in history is the contest for power)」ということになる。多くの外交政策の専門家たち、特にリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)は、この前提に反発している。歴史家のドナルド・ケーガンは「現代世界の多くの人々にとって、パワーという言葉には不快な響きがある(To many in the modern world, the word power has an unpleasant ring,)」と書いている。しかし現実には、各種の政治的、もしくは経済的なシステムは依然として競争しており、各国が国民生活をどのように秩序づけるかについても見解が分かれている。

第四に、強力なアメリカ軍は、これらの競合するシステムに打ち勝ち、アメリカの利益を守り、力を誇示するために必要である。それは、アメリカが戦争を好んでしたいからではなく、平和を維持するために強力な軍隊が必要だからである。軍事力はまた、他の形の影響力や国家統治(statecraft)に必要な基盤にもなる。

これら4つの原則(自由、主権、競争、力)は、保守的なリアリズム戦略の土台となっている。このような戦略の全体的な目標は、アメリカ国民が自国の経済的・政治的利益を守り、不安定と支配を求める人々を牽制し、平和を維持できるように、アメリカの力を維持することである。

現在、世界は政治的、経済的、軍事的、技術的に分断されつつある(fragmenting)。アメリカの保守派がこうした変化の力に対処するのに有利なのは、彼らの前提や原則が、世界が実際に機能する方法によりよく合致しているからである。保守派は、世界的な政治的収束(global political convergence)が避けられない、もしくは、可能であるなどとは考えていない。いわゆる「一極集中の瞬間(Unipolar Moment)」の陶酔の中で、アメリカの指導者たちは自由主義的民主政治体制の勝利に酔いしれ、そもそもアメリカを成功に導いた原則の多くを放棄した。これらの原則はアメリカの保守的伝統の一部であり、戦略的考え方の基礎である。

もちろん、戦略は自国から始まるものであり、アメリカ国民の安全と幸福が優先されなければならない。しかし、これはアメリカの保守派が、「アメリカ要塞主義的な考え方(Fortress America)」を採用すべきだという意味ではない。ロシアのウクライナ侵攻、エネルギー価格の高騰、広範なサプライチェインの混乱が示すように、アメリカは世界と関わりを持たなければならない。なぜなら、アメリカ国民が地政学的な出来事や世界中で起きているその他の事柄から個人的に影響を受けるという単純な理由があるからだ。

中国のような権威主義国家(authoritarian state)は、アメリカの利益を損わせようとして積極的に活動している。アメリカはもはやかつてのような圧倒的な力を享受していないが、その強みは依然として大きい。この力を賢く使えば、アメリカの利益に有利な形で地政学的展開に影響を与えることができる。

保守的な国家安全保障戦略とは、外交、経済、軍事、技術の4つの面での国家戦略に沿って政策内容を構築するために、今までに概説した諸原則を具体化したものである。

(1)保守的な外交統治術は、世界中の政治的協調(political alignments)を促進するために行われるべきだ。これは軍事力を使って主導することや、アメリカの価値観を押し付けることを意味しない。つまり、その地域のアクターたちと協力することであり、そのアクターたちがこのような協調の基盤を作るのである。アメリカの友人や同盟諸国が多ければ多いほどよい。これは安定圏(sphere of stability)の拡大に貢献し、ライヴァルたちが利用できる資源や選択肢を減少させ、アメリカのパワーを維持するのに役立つ国際秩序を維持することになる。

保守的なアイソレイショニストたち(isolationists)の中には、アメリカの海外関与を、民主政体を促進する永遠の戦争(forever wars)と反射的に同一視する人たちもいる。この考え方は、アメリカの既定の立場は自国の価値観を他国に押し付けることであり、世界中の何百万もの人々が、より良い生活を望んでいるという事実を無視している。

アメリカの戦略的利益を損なわない限り、アメリカが自由と繁栄(freedom and prosperity)を求める人々に支援を提供しない理由はない。自由を求める草の根運動への支援(support for grassroots movements)は、文化侵略(cultural aggression)でも軍国主義(militarism)でもない。同時に、アメリカの戦略的利益のために、アメリカ人が望むほど自由を支持しない政権との一時的な協力が必要となる場合も多くなるだろう。

主権は、特にグローバルな多国間機関による侵害から守る価値がある。アメリカの保守派が健全な懐疑を持って国際機関に臨むのは当然である。多くの国際機関は、移民問題から気候変動問題、新型コロナウイルスに至るまで、重要な地球規模の問題に対処してきた実績は明らかにまちまちである。アメリカは、共通の課題に対処するために、志を同じくする国々と行動を共にすべきだが、選挙で選ばれた政府が適切な権限を持つべきものを、説明責任のない組織(unaccountable organizations)に委ねるべきでない。

アメリカとその同盟諸国やパートナー諸国に有利な地域における力の均衡(balance of power)は、アメリカの利益と価値観に有利な国際的なバランスを維持するための構成要素である。脱グローバリズム(deglobalization)の新時代においては、グローバルで画一的な政策ではなく、地域に特化した政策がアメリカの成功に不可欠である。

インド太平洋、欧州、中東における地域のバランスを維持するためには、同盟諸国やパートナー諸国との協力、そして彼らの積極的な参加が必要である。ロナルド・レーガン大統領以来、どの大統領も一貫して同盟諸国に更なる努力を求めてきた。アメリカの保守派は、同盟諸国やパートナー諸国が自国の防衛に資源を割く必要があることを明確にし、現地の主体も投資する場合にのみ軍事力の展開を提唱すべきである。台湾、日本、ドイツなどの同盟諸国は、自国の防衛への関与を高める必要がある。重要なのは、地域のアクターたちの決意だ。

アメリカの保守派は多国籍組織の恩恵を受けずに、問題をより迅速に解決する連合の構築に集中できる。とりわけ、二酸化炭素排出など多くの問題の解決は地方や地域レヴェルで始めなければならないからだ。

(2)保守的な経済国家戦略・経済安全保障(economic statecraft)は、アメリカの優位性を拡大し、敵対国に力を与えることを避け、志を同じくする国々に繁栄の圏を築くべきである。アメリカが技術革新(innovation)の最前線での地位を維持するには、国内の自由市場システムを維持するだけでなく、アメリカの優位性を高めるための国際経済政策を構築する必要がある。

重要なことは、アメリカ政府が国家安全保障にとって重要な分野における強力で革新的な国内製造基盤を確保する必要がある。アメリカ企業が過去30年間に行ってきたように、効率を最大化するための執拗なオフショアリング(offshoring)は、今日のアメリカが半導体などの主要な製造部門で企業と労働力を欠いていることを意味する。これを是正するには、アメリカの理工系学生の数を拡大し、技能を持つ移民を促進し、研究開発に適切なリソースを提供するという取り組みが必要だ。アメリカ政府はまた、敵対者がアメリカの技術革新の恩恵を受けることを阻止すべきだ。アメリカのテクノロジー企業は、人工知能やその他の機能を開発するために中国の研究センターを支援すべきではない。

アメリカの保守派は、友好国間だけでなく、敵国との間でも、貿易協定における真の互恵性(genuine reciprocity)を主張すべきだ。修正主義勢力は自由世界の経済へのアクセスを厳しく規制されるべきだ。制裁対象の中国企業と中国政府の軍事・諜報機関に関係する企業は西側の株式市場や債券市場から締め出されるべきだ。アメリカの投資家たちは、たとえ第三国の市場を通じてであっても、自国の敵対者に資金を提供すべきではない。また、中国などのライヴァル国への危険な依存を避けるためにサプライチェインを再構築すべきであるということについては、政治的立場を超えたコンセンサスがある。多様化(diversification)により回復力(resilience)が向上する。全世界が台湾に集中しているマイクロチップ工場に依存すべきではない。

アメリカの保守派の中には、効率性を損なうだけでなく利益団体によるレントシーキング(ただ乗り)にもつながる産業政策(industrial policy)への一線越えに警告を発する人たちもいる。こうした議論は今に始まったことではない。1980年代、レーガン政権はアメリカの半導体産業を日本との競争から守るために介入した。レーガンが市場と国家安全保障のバランスを取る必要性を認識したのは正しかった。

理想的なのは、権力を集中させることなく、触媒(catalyzed)となって有利な条件を設定する連邦政府である。バランスを取るのは難しいが、産業政策に対する保守的なアプローチは、以下の原則に導かれるかもしれない。

第一に、国内で競争力のある効率的な市場を可能にする必要がある。アメリカは、インフラ、新しい鉱山、産業施設をより迅速に推進できるように規制を削減する必要がある。複雑なプロジェクトを開始して完了するには、10年以上かかる場合がある。

第二に、政府機関は主要セクター、特に半導体のような複雑なセクターについて、より良いデータと情報を必要としている。最近では、アメリカ政府よりも優れた経済データを持つヘッジファンドが存在する。

第三に、アメリカの保守派は国家レヴェルのアプローチを重視すべきだ。連邦政府は戦略的に重点を置くことができるが、新しい施設が建設され、インセンティヴが与えられるのは州および地方レヴェルだ。第四に、経済効率よりも国家安全保障への配慮が優先されなければならない。アメリカの政策立案者たちは、たとえ関税や国内調達規制、その他の市場介入が必要な場合でも、軍事的および経済的安全保障にとって重要な分野を特定し、国内能力を維持または構築する必要がある。競争の場は平等ではない。

海外では、アメリカは国際市場へのアメリカ人​​の参加の自由を拡大する政策を追求すべきだ。この目的を達成するために、アメリカの保守派はアメリカとその同盟諸国およびパートナー諸国を含む繁栄圏(sphere of prosperity)の成長を促進する必要がある。

冷戦後、アメリカの政策立案者たちは、世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)に代表されるようなグローバルな経済開放を推し進めた。中国やロシアのような修正主義的大国(revisionist powers)の台頭により、このアプローチは、産業化が進んだ民主政体諸国(industrial democracies)を中心とした自由主義諸国間の経済的関与のための排他的な領域を発展させることに道を譲らなければならなくなった。それ以外の国々は、加盟資格を満たす価値観や制度を採用するよう奨励されるだろう。

保守的なアプローチは、より現実的な気候政策を策定する機会も提供するが、その現在のヴァージョンは、繁栄を危険に晒し、国内外のエネルギー危機を引き起こし、ひいては経済をより弱体化させることになる。アメリカは国内の気候変動に関する課題を発展途上国に押し付けるべきではない。保守的なリアリストたちは、ナイジェリアのエミ・オシンバジョ副大統領からヒントを得るべきである。オシンバジョ副大統領は、エネルギー転換は「多次元(multidimensional)」であり、「様々な経済の異なる現実を考慮(into account the different realities of various economies)」する必要があると説明した。アメリカの保守派は、地方や地域のアプローチに基づいて、現実的な時間枠で炭素排出量を削減することができ、経済の繁栄と成長と一致させる、気候変動課題を推進する有利な立場にある。

(3)保守的な軍事国家運営は、強力な軍隊を支持するという長く健全な伝統に基づいている。そのためには、予測可能な国防予算と、地域の力の均衡を維持するために必要な活動や能力が必要となる。これには、紛争を抑止するのに十分な規模と能力を備えた海外前方プレゼンス(forward presence abroad)を維持することも含まれる。これらの広範な目標は、軍事力が第一の手段であることを意味するのではなく、軍事力は平和を維持し、アメリカの影響力と国家統治の他の形態を支えるために必要な基盤であるという理解を示すものだ。

インフレ率が急上昇する中、予測可能な防衛予算は特に重要だ。2023年の約4%の増加はインフレ率を下回っており、実質的には大幅な予算削減となる。これは言い換えれば、準備の低下と装備調達の余地の減少を意味するが、これは政権が2回連続の予算サイクルにわたって無視してきたことである。

アメリカの保守派の一部、およびリベラル派は、国内政策への支出と国防への支出はトレードオフの関係にあると主張する。これは論点のすり替え(strawman)だ。世界におけるアメリカの役割の縮小と、例えば学校、医療、インフラの改善との間には何の相関関係(correlation)もない。国内制度の弱点は、一般的にお金の問題ではない。アメリカの保守派は、こうした問題の原因が、政策選択の誤り、規制の停滞、技術革新を阻害しリスクテイクにペナルティを課す官僚機構にあることを知っている。アメリカは外部からの脅威を抑止し、国民の生活の質を向上させることができる。

保守的な政策立案者たちは、必要なときには批判者となり、毎年国防授権法に忍び込む多くの無関係な項目ではなく、実際の防衛ニーズに焦点を当てるよう国防省に圧力をかけるべきだ。ホワイトハウスの気候変動に関する優先事項は、再生可能エネルギーで活動するためのユートピア的な計画を軍に開発させることを含め、軍の優先事項から遠ざかり、装備品の調達や訓練のようなミッション重視なプログラムにおいてトレードオフを余儀なくされる。軍の役割は、気候変動と戦うことではなく、敵を抑止し打ち負かすことである。

アメリカの保守派はまた、非政治的で、党派的な文化戦争(partisan culture wars)から切り離され、国家とアメリカ合衆国憲法に奉仕したい男女の採用に重点を置いて活動する軍隊を支持しなければならない。

自由企業に重点を置く保守派は、軍に必要な技術革新を提供する任務を負った防衛企業と国防総省の絶え間なく硬化した関係に関しても結果を要求しなければならない。

地域の均衡を維持しようとするアメリカの戦略の中心的な要素は、アメリカ軍の前方展開である(forward deployment of the U.S. military)。有能な前方展開部隊は、必要であれば迅速に行動し、信頼できる抑止力(credible deterrence)を維持する能力をアメリカに提供する。いったんアメリカ軍が撤退した戦域に再び進駐することは、はるかに困難であり、場合によっては不可能である。重要な戦闘力を移動させるための兵站には数カ月を要し、世界中のアメリカ軍が直面している反アクセス・領域拒否(anti-access/area denial)の課題は、いったん危機が進行すると戦域に再突入することがますます難しくなることを意味する。

保守派の間で最も激しい議論のいくつかは、アメリカの海外プレゼンスに関するものである。ある陣営は、アイソレイショニスト、あるいはより流行の言葉では自制派(restrainers)と呼ばれ、縮小を求める。このグループの代表は、アメリカ軍の前方プレゼンスは、「地の果てまで(to the ends of the earth)」進歩的な価値観を押し付けようとする、アメリカの「企み(contriving)」を象徴していると主張してきた。彼らの論理的根拠は、アメリカは世界で拡張しすぎており、アメリカの海外プレゼンスは、「文化的傲慢(cultural arrogance)」の一形態であるというものだ。

このような国際関係の見方には深い欠陥がある。世界各地で起きている出来事は、単にアメリカに対する反応ではない。グローバルに拡大し、アメリカに取って代わろうとする中国の決意は、ワシントンに対する反応ではなく、北京自身の戦略的目標の追求である。イランの地域的な願望は、そのアヤトラが目指す救世主的な目的から直接生じている。ロシアは、ウクライナのような主権国家の存在を否定する新帝国主義プロジェクトを進めている。これは架空のアメリカの過剰な拡張に対する反応ではなく、ロシアとその帝国エリートに対する特殊な自己概念に起因する。

更に言えば、前方展開への反対は、そのような展開の基本的な軍事的目的、すなわち紛争を抑止することを軽視している。抑止は戦争を防ぐための主要な手段であり、「ジャスト・イン・タイム(just in time)」の軍事力では抑止は不可能である。

(4)保守的なテクノロジー国家戦略は、テクノロジーが21世紀の戦略的競争の鍵を握っているという認識に基づいている。テクノロジーは将来の社会、経済、軍事を形成する。米国は、人工知能、量子コンピューター、半導体、バイオテクノロジー、自律システム、新エネルギー技術(核融合など)、宇宙という重要な領域など、中国との競争に不可欠な分野で競争上の優位性を保持しなければならない。

アメリカの保守派は規制緩和を推進し、許認可を合理化し、科学技術教育を改善し、技能を持つ移民を促進し、研究への投資を増やす必要がある。これにより、自由市場と無制限の起業家精神という、アメリカの最大の競争上の優位性が解き放たれることになる。出発点は、これらの分野の改革と進歩を妨げているものを特定し、ゼロから始めることを避けることです。

技術的優位性を維持または獲得するには、革新的で将来を見据えた生態系(エコシステム)だけでなく、ルールを守らないライヴァルによる侵害からアメリカ企業を防御する防御策も必要となる。これには、半導体業界だけでなく、全ての米国企業や研究機関が中国軍の武装を支援する団体と取引することを禁止する取り組みも含まれる。最近のある報告書では、人民解放軍に人工知能技術を供給している中国企業273社のうち、米商務省の取引制限リスト(entity list、エンティティリスト)に載っているのはわずか8%であることが明らかになった。同様に重要なことは、アメリカの保守派はその影響力を利用してアメリカのテクノロジー企業と関わり、中国への継続的な投資のリスクを評価すべきである。

保守的な思想は、変化に対する懐疑や秩序への偏見が連想されがちだ。もしそうだとしたら、保守派は困ってしまうだろう。彼らは世界の変化を主体的に形作るのではなく、その変化に反応するだろう。しかし、変化への抵抗は保守主義に対する誤解である。イギリス啓蒙時代の偉大な保守思想家エドモンド・バークは、「保全(conservation)と是正(correction)の2つの原則(two principles of conservation and correction)」のバランスを取ることの重要性を重んじた。バークの考えでは、「何らかの変化の手段を持たない国家は、その保全の手段を持たない」ということになる。

経済的な秩序から政治的な領域まで、世界秩序が分断されていることは、前途がますます不透明になっていることを意味する。アメリカの保守派は、アメリカ国民が自国の象徴である最高のものを維持し、アメリカの核心的な国益を増進する可能性が最も高い方法で出来事を形作るのを助けることができる政策を開発する能力を持っている。

30年以上前、サミュエル・ハンティントンは、「衰退主義(declinism)は、信じなければ無効になる理論である」と書いた。言い換えるならば、アメリカは真剣に問題に向き合う必要がある。保守派は世界の仕組みを理解し、アメリカ建国の原則に根本的な信頼を寄せているため、そうするのに適した立場にある。それは、私たちが直面する乱気流を乗り切るための良い立場なのである。

※ナディア・シャドロウ:ハドソン研究所上級研究員、トランプ政権下で国家安全保障問題担当大統領次席補佐官を務めた。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 ヘンリー・キッシンジャーは100歳となった。キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官、米国務長官を務めてから半世紀ほどが経つ。この50年ほどはコンサルタントというか、ネットワーカーとして活躍し、世界各国の最高首脳たちに具体的な指針を与えている。現在も移動は車椅子であるが、世界各地を飛び回っている。最近では日本を訪問し、岸田文雄首相とも会談している。
henrykissinger101

 「キッシンジャーなんてまだ生きているの?」「過去の人でしょ?」「もうそんなに影響力なんてないでしょ」ということを言う人は多い。そして、下の論稿の著者であるスティーヴン・M・ウォルトも「どうしてそんなに評価されるのだろうか」という疑問を持っているようだ。ウォルトに言わせれば、キッシンジャーのキャリアには、学者、政府高官、コンサルタントの3つの場面があるが、学者としての業績(新しい考えや理論の提示)は中途半端で終わり、国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官としての業績は確かにあるが、失敗もある。政府を離れてからのコンサルタント(キッシンジャー・アソシエイツ創設)からの方が50年ほどと最も長いキャリアであるが、政策提言など敗退したことはない、という評価になる。

 キッシンジャーの業績は「裏側(behind the scene)」でこそ発揮される。だから、表に出てくる内容だけで判断するのは、正確な判断ではない。彼の一挙一投足が報道されることはないが、漏れ伝わる動きは世界政治の勘所を抑えている。肝心な場所(ツボ、経絡)に適宜鍼を打つ鍼灸医のようなものだ。東洋医学のように、じんわりと効果が出てくる。それが現在の世界の状況だ。米中関係、米露関係が危険をはらみつつも、最終的な手切れまで進まないのはキッシンジャーの手当てがあるからだ。彼の米国内、海外に張り巡らせた人脈のおかげだ。

 キッシンジャーの抱える弱点は、彼の同程度の力を持つ後任者がいないことだ。キッシンジャーも人間であり、いつかは亡くなる。彼亡き後に誰がキッシンジャーと同じ役割を果たせるだろうか。管見ながら、私には彼の後任となり得る人物は思いつかない。そうなれば、大きく言えば、リアリズム側の力が弱まり、ネオコン(共和党)と人道的介入主義派(民主党)の力が大きくなる。目の上のたんこぶがいなくなり、これら2つの勢力が伸長することで、世界は大規模戦争の危機に直面する。その準備は進められている。NATOのアジアへの伸長はその一例だ。

 キッシンジャーをただの学者やコンサルタントと侮るのは間違いだ。また、「キッシンジャーは日本が嫌いなんでしょ」と訳知り顔に言うのも浅薄な態度である。キッシンジャーはそのような低次元の存在ではない。そもそも日本など世界から相手にされていないのだ。老人ばかりになって、金がなくなっていく日本にどれだけの価値があるのか。せいぜい中国の沿岸にべたっと張り付く空母、基地といったところだ。国際ゲームのプレイヤーではなく、コマ程度の存在だ。そういう認識を持って世界を眺めて、初めてキッシンジャーの凄さが少し分かるようになる。

(貼り付けはじめ)

ヘンリー・キッシンジャーの評判の不思議に関する問題を解決(Solving the Mystery of Henry Kissinger’s Reputation

-元米国務長官は天才だ、しかしそれは読者の皆さん方が考えるような形ではない。

スティーヴン・M・ウォルト筆
2023年6月9日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/06/09/henry-kissinger-birthday-reputation-foreign-policy/

ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官に関して、この1ヵ月間、ニューヨーク経済クラブやニューヨーク公共図書館でのプライヴェートイヴェントなど、何度も100歳の誕生日のお祝いが開かれ、多くのVIPが出席している。この光景は、キッシンジャー独自のステータスを雄弁に物語るものだ。外交官のディーン・アチソン、ジョージ・ケナン、ジョージ・シュルツはもちろん、生きている間にこれほどの扱いを受けた政治家はほとんどいない。歴代大統領もそうだ。

キッシンジャーについて考える際、誰でも認めることであるが、彼は驚くべき人生を歩んできた。ナチス・ドイツからの難民でありながら、やがてアメリカで権力の頂点に立ち、70年近くもアメリカの外交政策に大きな影響を与え続けてきた。1世紀の時を経て、キッシンジャーはアメリカが生んだ最も偉大な戦略的思想家であると称賛されるようになった。彼の名前は、外交問題評議会や議会図書館のフェローシップ、いくつかの大学の寄付講座や研究センター、そして彼の名を冠したコンサルティング会社にも刻まれている。101歳を迎えてなお、これほどまでに世間の注目を集める人物は他にいない。

しかし、キッシンジャーの素晴らしい人生の中心には、難問がある。 キッシンジャーは、現在、独特の深みと知恵と洞察力を備えた外交政策思想家として常に賞賛されているが、その長いキャリアは、彼の崇拝者たちが考えているほど印象的なものではないように見える。キッシンジャーが恐るべき知性と卓越した業績を持つ人物であることは、彼の最も厳しい批判者たちでさえ認めるところであるが、問題は、1世紀を経て得た評価が十分に正当化されるかどうかである。

これが「キッシンジャーの難問(Kissinger conundrum)」である。なぜ、キッシンジャーは畏敬の念を持たれ、彼自身が世界情勢を掌握し、他の誰よりも優れているかのように扱われるのだろうか?

この謎を理解するためには、キッシンジャーの職業上のキャリアを3つのセクションに分けることが有効である。第1段階は、ハーヴァード大学で1954年から1969年まで教鞭を執った研究者としてのキャリアである。第2段階は、リチャード・ニクソン大統領(当時)の国家安全保障問題担当大統領特別補佐官、ニクソンとニクソンの後継者ジェラルド・フォードの国務長官と国家安全保障問題担当大統領補佐官として、政府で活躍したキャリアである。第3段階は、著者、評論家、有識者としてのキャリアであり、その多くは、政府を離れた後に設立したコンサルティング会社キッシンジャー・アソシエイツの代表として行われたものである。

キッシンジャーは、ハーヴァード大学の学者として、数冊の本と多くの論文を発表し、ネルソン・ロックフェラーや外交問題評議会(CFR)との長いつきあいを開始した。いくつかの著書は広く注目されたが、結局、この時期の彼の学問への貢献は大きなものではなかった。彼の初期の著作はどれも古典という評価に値するものではなく、今日、学者たちに広く読まれ、議論されているものもほとんどない。ハンス・モーゲンソーやケネス・ウォルツのようなリアリストの著作は、国際関係の学術的研究に今なお長い影響を与えているが、キッシンジャーの学術的著作(最初の主著『回復された世界平和(A World Restored)』を含む)は、そうではない。キッシンジャーは核兵器についても多くの著作を残したが(1957年にベストセラーとなった『核兵器と外交政策(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』を含む)、グレン・スナイダー、バーナード・ブロディ、アルバート・ウオルシュテッター、トーマス・シェリングの著作は、キッシンジャーの著作よりも核戦略の進化にはるかに大きな影響を与えた。キッシンジャーが後に出版した『選択の必要性(The Necessity for Choice)』(1961年)は評判が良くなく、ナイオール・ファーガソンのようにキッシンジャーに同情的な伝記作家でさえ、NATOに関する後の本『二国間の歪んだ関係――大西洋同盟の諸問題(The Troubled Partnership)』(1965年)は急いで書いたもので、すぐに時代遅れになったと認めている。

確かに、キッシンジャーが学問の世界に力を注いでいれば、もっと大きな影響を与えることができたかもしれない。キッシンジャーは、ウィーン会議でのヨーロッパ秩序の再構築を考察した『回復された世界平和』から続く、世界秩序に関する三部作を書くつもりであったことが現在分かっている。しかし、キッシンジャーは現実の政策課題に取り組むようになり、三部作の完成には至らなかった。そして、アメリカのヴェトナム政策を深く掘り下げるなど、こうした活動が、やがて1968年の政権発足につながった。しかし、事実は変わらない。 学者としてだけ見れば、キッシンジャーは学術界の神殿の一員ではない。

キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として残した記録は、常に論争の的となっている。中国への開放(国交回復)、ソ連との重要な軍備管理協定の交渉、繰り返されるアラブ・イスラエル紛争への対応など、注目すべき業績もある。しかし、これらの成果は、ヴェトナム戦争への支持と、戦争に勝てないという認識にもかかわらず、その長期化に直接関与したこととのバランスを取る必要がある。ニクソンとキッシンジャーはまた、戦争をカンボジアに拡大することを選択し、知らず知らずのうちにクメール・ルージュの大量虐殺支配への扉を開いてしまった。キッシンジャーがチリで起こしたピノチェトの軍事クーデターを支援したことや、1971年のインド・パキスタン戦争への対応についても、厳しい評価を下す価値がある。

これらの出来事(およびその他多くの出来事)をどのように評価するかについては、合理的な人々の間で意見が分かれるところであろう。しかし、キッシンジャーの政治家としての功績が、ディーン・アチソン(第51代国務長官)やジョージ・シュルツ(第60代国務長官)、あるいはハワード・ベイカー(第61代国務長官)の功績をはるかに凌ぐものであると評価することは難しい。これは、キッシンジャーの業績を否定するものではない。就任後の行動が彼を卓越した政治家という評価を得させるものではないことを認めているに過ぎない。

ここからは第3段階についてだ。キッシンジャーは、企業や政府、そして一般市民に対して戦略的な助言を提供するというキャリアで長い経験を持ち、重厚な書籍や新聞コラム、その他様々な形で、めまぐるしい活動をしてきた。キッシンジャーの長いキャリアを振り返って、その実績はどうだろうか?

悪くはないが、あなたが思っているほどでもない。まず、キッシンジャーは政府を去ってから多くの本を出版しているが、3冊の回顧録(邦題は『キッシンジャー秘録1-5』。『ホワイトハウス時代』『激動の時代』『再生の時代』)を除けば、どれも画期的なものではなく、学問への貢献度が特に高いものではない。最も野心的な『外交』(1995年)と『世界秩序』(2014年)は、それぞれのテーマについて長大かつ博識に考察しているが、いずれも斬新な理論的見方や挑発的で新しい歴史解釈は示していない。これに対して、キッシンジャーの回顧録は、アメリカの上級政治家が書いた個人的な記述としては最高のものであり、重要な業績であると私は考えている。アチソンの『アチソン回顧録』(『天地創造[Present at the Creation]』)だけが、それに近い。他の回顧録と同様、著者が在任中に行ったことを強力に擁護しているため、懐疑的な目で読まなければならない。しかし、世界最強の国の外交官であり戦略家である著者が、膨大な不確実性の中で、矛盾する圧力と優先順位をリアルタイムで調整しながら、どのような仕事をしていたかを、間近で見ることができるのである。また、巧みな人物描写と力強いドラマ性に満ちた、魅力的な作品となっている。

キッシンジャーの他の活動についてはどうだろうか? マット・ダスが最近指摘したように、キッシンジャーは、政府機関での勤務を、政府機関から退任後に有利なキャリアに転換させる技術を、発明し、確かに完成させたのである。 キッシンジャー・アソシエイツは、コーエン・グループ、オルブライト・ストーンブリッジ・グループ、ライス、ハドレー、ゲイツ&マニュエル、ウエストエグゼック・アドバイザーズなど、元政府高官の名前、見識、コネを多種多様な(通常は正体不明の)クライアントに提供する会社の家内工業(cottage industry)の手本となったのである。ジョージ・マーシャルのような公僕が、公の奉仕(および他者の犠牲)から利益を得ることは不適切だと考え、自分のキャリアを現金化するための儲け話を断ったが、そんな時代はとっくに終わっており、キッシンジャーはその倫理観を損なうようなことを誰よりもした。特に、これらの元高官が外交政策に関する公的な議論に積極的に参加し続け、場合によっては再び政府に戻る場合、利益相反の可能性は明らかである。問題は、彼らの公的な立場が、私的な収入を強化する(あるいは少なくとも保護する)ことを意図していたかどうかを知ることができないことである。

更に言えば、キッシンジャーは、彼が政府の職から退任して以来、私たちが直面している最大の戦略的問題のいくつかについて、ひどく間違っていた。例えば、彼はNATOの拡大を早くから支持していたが、この決定は、他のオブザーヴァーが、ヨーロッパの永続的な平和ではなく、ロシアとの直接的な衝突をもたらすと正しく予見したものである。また、キッシンジャーは2003年のイラク侵攻を支持したが、これはアメリカ史上最大の戦略的失敗の1つであることは間違いなく、2015年のイランとの核合意には反対した。そして、キッシンジャーは、関与政策によって中国の台頭を助けると、強力なライヴァルの出現を早めることになることを予見できなかった。この盲点が、2011年に出版された『中国――キッシンジャー回想録』が、明らかに両極端な結論に達した理由の一因かもしれない。

キッシンジャーが全てにおいて間違っていたと言っているのではない。現代の出来事を分析するのは難しいことであり、全てを正しく理解する人はいない。私が言いたいのは、評論家としての彼の実績は、日常的に世界情勢を論じる他の人々よりも明らかに優れている訳ではないのに、なぜ多くの人々が彼をアメリカの偉大な戦略家として称賛するのかが理解しがたい、ということだ。

従って、謎は次のようになる。誇大宣伝を無視すると、キッシンジャーは生産的で有名であり続けてきたが、最終的にはそれほど影響力のある学者ではなかった。実際の成功と憂慮すべき失敗の両方を経験した政策立案者である。そして、現代の政策問題のアナリストでもあるが、その実績は他の人よりも際立ったものではない。それでは、彼が今日享受している高い評判についてどのように説明されるだろうか?

その答えの一つは、もちろん、彼が長寿であることだ。もしキッシンジャーが70歳代後半、あるいは80歳代半ばでこの世を去っていたら、その死は多くの人々の注目を集め、アメリカ外交史における彼の地位は揺るぎないものになっただろう。しかし、現在のような象徴的な地位は得られなかっただろう。最後の1人ということは、批評家やライヴァルがほとんどいなくなり、時間の経過によって過去の罪の記憶が曖昧になり、信奉者たちが彼の評判を高める時間が長くなることを意味する。

100点満点の答えには、この説明は間違いなく役に立つが、謎に答えるには、それ以上のことが必要となる。

私は本当の理由は極めて単純だと考えている。キッシンジャーほど、影響力と名声を獲得し、維持するために、これまで、そしてこれからも、より長く努力した人はいないだろう。私はこれまで、驚くほど意欲的で野心的な人物を数多く知っているし、他の人物についてもたくさん本を読んできた。キッシンジャーはそのどれにも当てはまらない。キッシンジャーに関する多くの伝記を何気なく読んだだけでも、その野心が桁外れであること、集中力が抜群で仕事の邪魔をするような趣味がないこと、そしておそらく現代世界がこれまでに見たことのないような偉大なネットワーカーであったことが分かる。彼は、自分の役に立つかもしれない人との間にある橋を焼き切ることはしなかったし、明らかにコンセンサスから外れた立場を取ることもなく、新しい人脈を築く機会を逃すこともなく、侮辱を忘れることもなく、十分にやったと結論づけることもなかった。分かりやすく言えば、キッシンジャーは、他の誰よりも働き、魅力的で、巧みで、人々を出し抜いてきたのだ。そして、何よりも驚くべきことに、彼は今なおその歩みを止めない。

キッシンジャーはまた、影響力が自己強化されることも理解していた。あなたが十分に有名であれば、他の人々は、批判的であるよりも、支持的であり、融和的である方が、より多くの利益を得られると結論付けるだろう。キッシンジャーを追いかけることは、ジャーナリストや大学教授など、広い視野を持たない人であれば、まったく問題ないかもしれないが、外交政策の中枢で大成したいのであれば、賢い戦略とはいえない。彼は既に多くの友人やコネクションを持っていた。彼が大きくなればなるほど、野心的な政策担当者は彼の知恵を疑うよりも、彼の寵愛を求めることを選ぶだろう。

このような大きな野望は計画を狂わせることもあるだろうし、少し怖い気もするが、賞賛に値するものもある。そして、巨大な野望を持つ人々全員がキッシンジャーのようにやれる訳ではない。しかし、キッシンジャーが今受けている賞賛を額面通りに受け取る、もしくは判断に迷った瞬間に目を向けないということをしてはいけない。彼が死ぬなどと言うことは考え難いことだが、完全に無謬であるとは言い難い。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

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 古村治彦です。

 ジョー・バイデン政権になってから、アメリカ外交はうまくいっていない。アフガニスタンからの撤退がうまくいかず、大きな混乱を引き起こした。その後は、ウクライナ戦争が起きたが、ウクライナ戦争ではロシアに対する経済制裁を主導して、早期にロシアを経済的に屈服させて、あわよくばロシアの現体制を崩壊させようという「捕らぬ狸の皮算用」が見事に失敗した。ウクライナ戦争が長期化する中で、アメリカはウクライナの勝利の可能性はないと分析しているが、戦争を止めることができないでいる。至極当たり前のことだが、ロシアはアメリカの言うことを聞かない。ウクライナとロシアの間を仲介できるのは、中国だけだ。

 更に言えば、中東地域に関しては、中国が得点を挙げた。中国の仲介で、長年の敵同士であったサウジアラビアとイランが国交正常化を行うと発表した。これで中東地域で核兵器を持つ3カ国である、イラン、イスラエル、サウジアラビアのバランスが崩れた。サウジアラビアとイスラエルはアメリカの同盟国としての関係を持っていた。イスラエルとサウジアラビアは共にイランを敵としていた。その関係のバランスが崩れた。イスラエルは孤立することになる。サウジアラビアが西側陣営から離れつつあるというのは、アメリカにとっての大きな痛手となる。産油量を増やして石油価格を下げて欲しいというアメリカの懇願をサウジアラビアは無視した。

 バイデン政権は「デモクラシー」「人権」といった価値観を押し出した外交を展開している。そして、対中強硬姿勢を取っている。これでは転換期の国際政治を渡っていくことはできない。民主政体フェスなるイヴェントにお金を出して、アントニー・ブリンケン米国務長官が出席しているようでは、現実的な外交はできない。「清濁併せ吞む」ということができなければ、新興の「西洋以外の国々(the Rest)」とやり合うことはできない。

 考えてみれば、現在のアメリカ外交を牛耳っているのが、共和党系のネオコン派と民主党系の人道的介入主義派である以上、どうしようもない。リアリストたちが入らねば現状は変わりようがない。国務省の上級幹部たちが入れ替わるためには、バイデンが選挙で落ちて、大統領でなくなるか、バイデンが考えを変えて、自発的に1期目と2期目で人員を入れ替えるかしかない。バイデンとバイデン政権の最高幹部たちはどんな手段を使ってでも今度の大統領選挙に勝利するだろう。なぜならば、そうしないと自分たちの犯罪が明らかにされて逮捕されてしまうからだ。彼らは一蓮托生の犯罪でつながった人々だ。バイデン政権が2期目の4年間も続くということになれば、世界の不幸もまだまだ続くということだ。その間に、ネオコン派や人道的介入主義派が暴発して、最後のひと勝負、大博打をかけるかもしれない。それが核兵器を使用する戦争であったり、米中露での戦争になったりする可能性もある。現状だって既に第3次世界大戦に入っていると言っても過言ではない。悲観的な妄想で済めばそれはそれで良いことだが、それくらいに悲観的になっておく必要がある。

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バイデンの国務省にはリセットが必要だ(Biden’s State Department Needs a Reset

-政権の外交は、時間を無駄にする民主政治体制についての議論を除けば、うまくいっていない。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年4月1日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/04/01/biden-blinken-state-department-democracy-summit/

アメリカの外交機関、特に国務省(Department of State)がリソース不足に陥っていることは、広く認められている真実だ。この真実は、国務省または米国国際開発庁(United States Agency for International DevelopmentUSAID)の予算を、国防総省または各種情報諜報機関に割り当てられた予算と比較すると特に明らかになる。アメリカの壮大な世界的野望を考慮に入れると、それは更に明白になる。大統領の時間、そしてアントニー・ブリンケン国務長官などの閣僚の時間は、全ての中で最も希少なリソースであることも自明のことだ。

これが事実なら、なぜジョー・バイデン政権は第2回民主政体サミット(Summit for Democracy)に時間を割いたのだろうか? バイデン大統領やブリンケン国務長官ら最高幹部たちが、このトークフェスに費やした時間だけではない。このようなイヴェントを開催することで、他の問題に対処するために使えたかもしれない何百時間ものスタッフの時間が浪費されてしまったのだ。

私がこの問題を提起したのは、外交をアメリカ外交政策の中心に据えると宣言して発足したバイデン政権であるが、その最初の2年余りを振り返ると、外交的成果がほとんどないからだ。プラス面で言えば、アメリカの同盟諸国は、ドナルド・トランプ前大統領やマイク・ポンペオ前国務長官よりもバイデンやブリンケンに親しみを感じており、政権の初期の失態(2021年のAUKUS潜水艦取引でフランスを不必要に無視したことなど)を快く許してくれていることが挙げられる。しかし、そうした外交関係者からの印象が改善されたことを除けば、バイデン政権の外交記録は印象に残るほどの成果を挙げていない。

問題の一部は、バイデンとバイデン政権が受け入れている「民主政治体制対独裁政治体制(democracy vs. autocracy)」という枠組みにある。私は誰よりも民主政治体制が好きだし、一部の人よりもずっと好きだ。しかし、この二項対立(dichotomy)は、アメリカの外交に解決よりも多くの問題を引き起こす。アメリカは、世界の民主政体国家よりも数が多く、大国間の対立が激化すればするほどその価値が高まる独裁的な政府と、より効果的に協力することができないのである。「アメリカは偽善者だ」という非難に晒され、ワシントンの民主的な同盟諸国もあまりやる気を起こさないように見える。その一例を示す。ヨーロッパの指導者たちは、独裁的な中国との経済的利益を守るために北京に足を運び続けているが、これは民主政治体制対独裁政治体制という図式とは大きく矛盾する行動である。同様に、ほぼ民主的なインドのナレンドラ・モディ首相は、ロシアのウラジミール・プーティン大統領の国家安全保障補佐官の1人と会談したばかりだ。

一方、バイデン政権の他の課題は未解決のままだ。バイデンは、前任者が愚かにも放置したイランとの核取引に再び参加すると言って就任した。しかし、バイデンは逡巡し、延期した。結果として、イランの立場は強まり、新たな核取引の実現は不可能であることが明らかになった。その結果はどうか? イランはこれまで以上に核兵器開発能力の獲得に近づいている。そして、バイデン政権も世界も必要としない中東における戦争発生のリスクを高めている。

更に悪いことに、バイデンとブリンケンは、中東の複数の同盟諸国から繰り返し屈辱を味わっている。エジプト政府は、アメリカが提起している人権問題を日常的に無視する一方で、アメリカの経済援助を懐に入れ続けている。バイデンは、反体制派ジャーナリストのジャマル・カショギを殺害したサウジのムハンマド・ビン・サルマン王太子を失脚させるという選挙公約を覆した。「世界中が目撃した」サウジアラビアとの手打ちをもってしても、サウジにエネルギー価格の緩和に協力させることも、ウクライナ侵攻後のモスクワに圧力をかけるよう説得することもできなかった。さらに不吉なことに、サウジアラビアは中国の習近平国家主席に近づき続けている。今週、サウジアラムコは中国と2つの新しい石油関連投資案(製油所建設を含む)を発表したし、最近のサウジアラビアとイランの緊張緩和(デタント)を仲介したのはアメリカではなく中国だった。中国やサウジアラビアが自国の利益のために行動することを責めるつもりはないが、これらのことをアメリカ外交の勝利と見なすことは難しい。

バイデンとブリンケンには、現在のアメリカとイスラエルとの関係の危機に直接の責任はない。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の「司法改革」案がその最大の原因だが、イスラエルに対する彼らの軟弱な態度が、ネタニヤフ首相に「このままでいい」と思わせた可能性がある。バイデンとブリンケンは、最初からイスラエルに愛想を尽かしていた。アメリカ大使館をエルサレムに移転するというトランプ大統領の決定を覆さず、パレスチナ人のための領事館を再開するという再三の約束も果たさず、ヨルダン川西岸を植民地化しようとするイスラエルの継続的な取り組みに「懸念」を表明するいつもの軽い表現しかしなかった。バイデンとブリンケンは、イスラエルがますます懸念を高める行動からアメリカを遠ざけようとしている。そして、その代わりにアメリカのイスラエルに対する「鉄壁の(ironclad)」関与(コミットメント)に関するいつもの決まり文句を繰り返し、二国共存解決という神話上の生き物(mythical creature)を信じ続けていることを表明し続けた。ネタニヤフ首相が、アメリカからの支持を危うくすることなく、イスラエルの民主政治体制に対する論争的な攻撃を進めることができると考えたとしても不思議ではない。今週初め、バイデンがようやく穏やかな批判を口にしたとき、ネタニヤフ首相はすぐに、イスラエルは自分自身で決断を下すと答えた。これこそ、無条件の支持で得られる外交的影響力ということだ。

一方、アメリカは世界の平和の担い手(global peacemaker)としての役割を放棄しつつあるようだ。かつて軍備管理(arms control)を最優先し、エジプト・イスラエル和平条約、ベルファスト協定(Good Friday Agreement)、バルカン戦争の終結を仲介したアメリカは、現在のところ、紛争を終わらせることに関心がなく、たとえ最終的に死や破壊が増え、エスカレートするリスクが続くとしても、自分たちに有利な側を勝たせることに関心がある。クインシー・インスティテュートのトリタ・パルシが先週指摘したように、「アメリカは誠実な平和主義の美徳を諦めてしまったようだ。今日、我が国の指導者たちは、永続的な平和を確立するためというよりも、紛争において『わが方』の立場を有利にするために調停を行っている」と述べている。

アメリカ外交は、中国への対応にも失敗している。2021年にブリンケンが表明した政権の対中政策は、アメリカが「競争的であるべき時は競争的に、協力的であるべき時は協力的に、敵対的でなければならない時は敵対的になる(will be competitive when it should be, collaborative when it can be, and adversarial when it must be)」というものだ。しかし、1番目と3番目の項目が中心となって、共通点を見つけ、ますます激しくなる安全保障上のライヴァル関係を管理する努力は、ほとんど行われていないのが現状だ。もちろん、その責任の一端は北京にあるのだが、この重要な米中二国間関係をどのように管理し、改善していくかについて、創造的な考えを示す兆候はほとんど見られない。

しかし、悪いニュースばかりではない。日本やオーストラリアなど、既存のアジアのパートナーとの関係強化に向けたアメリカの努力は、中国の思慮の浅い主張にも助けられ、うまくいっている。しかし、先端チップの輸出規制やアメリカのデジタル産業への助成を通じて中国を弱体化させようとするバイデン政権の幅広い取り組みは、これらの同じパートナーに大きなコストを課すとともに、近隣での将来の衝突に対するアジアの懸念を高めている。また、バイデン・ティームは、インド太平洋地域で経済的影響力を強める中国への効果的な対抗策を打ち出すことができなかった。トランプ大統領が2017年にTPP(環太平洋経済連携協定)を破棄するという思慮の浅い決断を下したのはバイデンの責任ではないが、その代わりに昨年ようやく打ち出した「インド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Economic Framework)」は、アジアの大部分から小粒だと広く正しく思われている。

バイデン政権の初期の外交的成功の1つは、ジャネット・イエレン財務長官が、多国籍企業に対するグローバルな最低税額を設定するための多国間協定を交渉したことだった。これにより、多国籍企業が低税率のオフショア・ロケーションで利益を申告して税金を回避するのを防いだ。イエレン長官の功績は称賛に値するが、この法案は現在のところ、米連邦議会で瀕死の状態にあり、施行されない可能性がある。そして、バイデン政権のより成功した国内のイニシアティヴ、特にインフレ削減法は、これらの措置がアメリカの国内産業を、自国ではなく同盟諸国の費用で促進していると見なす、アメリカの同盟諸国との間で深刻な摩擦を引き起こした。

「ちょっと待て」という読者の皆さんからの声が聞こえてきそうだ。モスクワの行動を非難する偏った国連総会での投票は言うに及ばず、ロシアの違法なウクライナ侵攻に対する欧米諸国の対応をまとめる上で、アメリカ外交が果たした重要な役割はどうだろうか? それは、アメリカが復活し、外交官たちが完璧に仕事をこなしていることの証明ではないのか?

その答えは「イエスであり、ノーだ」となる。一方では、バイデンと彼のティームは、侵略に対する欧米諸国の協調的な対応を主導してきた。これは必ずしも容易なことではない。しかし、戦争が終わるまではこうした努力を終えることはできないし、この努力の最終結果は不確実だ。ロシアがドンバスの一部または全部を支配し、ウクライナの人口が減少し、大きな被害を受けたまま戦争が長引いたとしても、外交政策上の大きな成果には見えないというのが残酷な現実である。そうならないことを願うのは当然だが、その可能性を否定することはできない。

悲しいことに、バイデン政権は、少なくとも部分的には自作自演(own making)の問題に見事に対処している。ウクライナ戦争の根源はバイデンの大統領就任より前にあったのだが、バイデンもブリンケンも戦争がすぐに起こるとは考えなかった。彼らは、ロシアがウクライナの動向を現実的な脅威と見なしていることを認識せず、戦争を回避するためにできる限りのことをした訳でもない。アメリカ政府関係者(過去と現在の両方)は、アメリカや欧米諸国の政策がこの悲劇を引き起こした、またそのための役割も果たしたということを徹底的に否定してきた。しかし、イギリスの歴史家ジェフリー・ロバーツが『ジャーナル・オブ・ミリタリー・アンド・ストラティジック・スタディーズ』誌で最近述べたように、証拠を冷静に見てみると、そうではないことが分かる。以前にも述べたに、「プーティンは戦争に直接の責任があるが、西側諸国は非難されるべきでないということもない」のだ。

アメリカとヨーロッパの同盟諸国が、ロシアの安全保障上の懸念にもっと真剣に、創造的に対処しようとし、「ウクライナはいつかNATOに加盟する」という頑なな主張を止めていれば、戦争を回避できたかどうか、確実にそうだったとは言えない。私は、ロシアが予防戦争(preemptive war)を始めたこと(国際法上違法な行為)やそのやり方について、非難を免れると主張するつもりはない。しかし、この戦争が世界に及ぼす影響、とりわけウクライナに及ぼす影響を考えると、アメリカがこの戦争を阻止するためにあらゆる手段を講じなかったことは、これまで以上に批判されてしかるべきだろう。

しかし、アメリカの外交官たちの不甲斐なさは、彼らの責任ばかりではないだろう。アメリカの世界的な野望は非常に大きいため、多くの問題は十分な注意を払うことができず、ましてやトップに立つ人々の時間、エネルギー、関与を引き出すことはできないだろう。そして、ワシントンの目標が大きく広がれば広がるほど、それらの間のトレードオフを調整し、明確で一貫した優先順位を維持することは難しくなる。これは、私たちが外交政策の抑制を主張し続ける理由の一つである。アメリカの外交政策は、重要なことをより少なく、よりよく行うことで、より成功するのである。

それでは民主政治体制サミットの話に戻ろう。たとえ出席基準に一貫性がなく、問題のある民主政体諸国(フランス、イスラエル、ブラジル、インド、アメリカなど)が民主政治体制の美徳を讃えるために集まるという特異な構図を見逃したとしても、この努力から何が得られるかは明らかではない。第1回目のサミットでは、20年近く続いている民主政体の下降傾向を覆すことはできなかった。それでは、第2回目のサミットで何を達成できるのだろうか? 1944年のブレトンウッズ会議、1991年のマドリッド会議、2015年のパリ気候会議がそうであったように、有力者が一堂に会することは、何か即効性があり、具体的に実行できることがあれば意味がある。同様に、バラク・オバマ政権が開催した4回の核サミットでは、政権が当初掲げた目標の全てに到達したわけではないにせよ、世界中の核物質の管理を改善し、既存の核物質の備蓄を削減するための様々な合意など、具体的な成果が得られたと言える。

私の知る限り、民主政体サミットはそのようなささやかな成果にすら遠く及ばないだろう。民主政治体制の未来は、話し合いの場を増やすことで救われるものではない。世界の民主政体諸国が、国内外の市民のためにより良い結果を出せるかどうかにかかっている。成功には多くの努力が必要であり、最も裕福な民主政体国家であっても、時間や資源が無限にあるわけではないのだ。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 アメリカの外交を大きく色分けすれば、「介入」と「抑制」となる。介入とは、諸外国が問題を抱えていると判断し、その解決のためにアメリカ政府が干渉をすることである。共和党のネオコン派、民主党の人道的介入主義派が「介入」を推進する勢力である、抑制とは、外国の問題に干渉することを控えることであり、民主、共和両党のリアリズムを信奉する勢力(リアリスト)がその代表的勢力である。バラク・オバマ政権第一期目に関しては少し複雑で、オバマ大統領自身は「ジョージ・HW・ブッシュ(父)大統領の外交姿勢が理想だ」と述べていた。ブッシュ(父)政権の外交政策の舵取りをしたのは、ジェイムズ・ベイカー国務長官であり、彼はリアリストであった。しかし、オバマ政権一期目の国務長官になったのはヒラリー・クリントンだった。「アラブの春」の発生と失敗については拙著『』で書いている。

 アメリカは世界に自分たちのモデルを押し付けるだけの立派なことを国内でしているのか、というのが下記論稿のスティーヴン・M・ウォルトの疑問である。新型コロナウイルス感染拡大に対して、アメリカはうまく対処できなかった。「それはドナルド・トランプ大統領だったからだ」という主張もあるようだが、誰が大統領でも結果はそう変わらなかっただろうというのがウォルトの見解である。

 「自国民にマスクをつけてもらうこともできない政府の言うことを、外国の人々が聞く訳がない」というのがウォルトの主張だ。だから、アメリカが「社会工学的(社会的外科手術的)」に体制転換や国家建設を押し付けてもうまくいくものではないということになる。

 理想主義で物事を推し進める場合、急進的に物事を行い、無理をしてしまって、結局、現実世界を壊してしまうということが起きる。非西洋諸国に、「西洋的価値観が普遍的だ」と言って、何でも押し付けて伝統社会を壊してしまうと、その国が変調をきたしたということはよくあることだ。変化を促すにしても少しずつ、進み具合を見ながら慎重にやっていくという漸進主義こそが成功への近道だ。

 アメリカが体制転換を押し付ける前に、自分たちの体制自体を顧みて、変更すべきは変更するということが出来るようならばまだ希望がある。しかし、それは難しいことだろう。アメリカこそが地上で最高の国という傲慢こそがアメリカの特徴であるから、それが亡くなってしまったらアメリカは存在しえない。しかし、生き残るために変化することが出来なければ結局滅んでいくだけのことだ。We must change to remain the sameという言葉もある。

(貼り付けはじめ)

新型コロナウイルス感染拡大によって体制転換は永久に不可能になるはずだ(The Pandemic Should Kill Regime Change Forever

-もしアメリカが自国のウイルスを止められないなら、他国を支配しよう試み理由はないだろう。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年7月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/07/08/the-pandemic-should-kill-regime-change-forever-coronavirus-iraq-afghanistan-libya/

数週間前に、私は次のようにツイートした。「ウイルス感染拡大を止めるために自国の市民にマスクをつけてもらえるように説得することができない国が外国の政府を転覆させ、内情をよく理解していない社会全体を作り直そうとするなんてできないことだ」。このツイートに対して、私の通常のツイートに比べて、より多くのリツイートがされ、「ライク」がつけられた。通常の修正、支持、皮肉な返信もあった。私のツイートの論理はかなり明確だ。

しかし、外交政策上の厄介な問題に対して、体制転換(regime change)がすぐに解決策になると考えている著名な人々や組織がまだ存在するため、この議論をもう少し詳しく解いてみる価値がある。

まず、国づくり(nation-building)の側面から見てみよう。「永遠の戦争(forever wars)」が長引くにつれ、皆さん方も何か考えたかもしれないが、過去25年間で、外国から押し付けられた体制転換はなぜうまくいかないのか、かなりのことが明らかになった。まず、外国政府を倒すと、それまで存在していた政治制度(これが介入の目標である)が必然的に損なわれるか破壊される。つまり、旧体制(old regime)がなくなった後に秩序を維持するための有効な現地の能力が存在しない。専制君主とその直属の部下を排除し、下級官僚はそのまま残すという限定的な作戦でさえ、権威と後援の系統を解きほぐし、その国を不確実な領域へと突き落とすことになる。

また、体制転換はその定義として、勝者と敗者を生み出すものであり、後者(通常は旧体制下で特権的地位にあった人々)は、その地位の低下に不満を持つ可能性が高い。彼らは権力と富を失うことに抵抗し、かつての地位を取り戻そうと武器を手にする可能性が高い。民族的、宗教的、宗派的、あるいはその他の重大な分裂が存在する社会では、名声、欲望、野心の組み合わせによって、別々のグループが地位と権力を求めて争うようになる。外国勢力や国際テロ組織は、既存の制度の崩壊とその結果もたらされるであろう混乱に乗じて、様々な形で素早く干渉してくる。

これに対し、最初に介入した国はその国を占領し、新政府が樹立されるまでの間、自国の軍隊を使って秩序を保たなければならなくなる可能性が高い。しかし残念なことに、外国軍の大規模な駐留は、現地の反感を買い、より暴力的な抵抗を助長する。また、このような事態は介入国からある程度離れた国で起こることが多く、高度な輸送システムがない場合もあるため、占領軍に食料や物資を供給し続けるには莫大な費用がかかる。

現地の習慣や価値観を知らない(ましてや、現地語を話せる職員が一定数存在しない)国家建設者は、重要なポストにふさわしい指導者を選ぶことも、現地住民の目にかなうような新しい制度を設計することもできないだろう。経済発展のために現地の制度やインフラを整備しようとすれば、必然的に汚職(corruption)を助長し、予期せぬ大きな結果を生むことになる。

まとめると次のようになる。体制転換と国家建設は、たとえ最良の状況にあっても、非常に複雑な社会工学的行為(act of social engineering)である。要するに、介入する権力者は、背景が異なる何百万人もの人々に、政治や社会に関する核となる信念や規範を変えさせ、根本的な行動を変えさせようとすることになる。外国による体制転換を成功させるためには、大規模でありながら繊細で、知識を蓄え訓練を積んだ人々によって行われる取り組みが必要である。また、費用と時間がかかるため、自国での継続的な政治的支援も必要であろう。そして、運も必要だ。

言うまでもなく、これらの特徴は、アメリカの最近の不運な出来事には全て欠けていた。対反乱作戦理論(counterinsurgency theory)や「心をつかむ(winning hearts and minds)」ことに注目が集まっていたにもかかわらず、アメリカの取り組みは依然として圧倒的に物理作戦(kinetic operations)と「ハードパワー(hard power)」に依存していた。アメリカ国内では、右派の支持者たちやシンクタンクが、アメリカはこのまま行けば成功すると主張し続けた。しかし、政府関係者たちにすれば、決して成功の確信があった訳ではなく、国民に疑念を抱かせないようにし、問題を先送りしてきた(kicked the can down the road)ことを、私たちは現在知っている。

体制転換や国家建設に関するアメリカの不幸な記録は決して特別なものではない。ナショナリズムが世界中に広がって以来、どの大国も帝国(公式、非公式を問わず)を運営したり、遠い外国の地方政治の行方に口を出したりするのが上手にできなくなった。繰り返すが、問題はこのようなことは、裕福な大国にとってさえ、本当に、本当に困難なことである。

ここで、新型コロナウイルスの課題について考えてみよう。特に、人前でマスクを着用させるという一見平凡な課題を考えてみよう。マスクは重量が15キロもある訳ではなく、装着しても痛くなく、位置情報やその他の個人情報を政府やジョージ・ソロス、グーグルに送信することもなく、お金もかからないということを念頭において欲しい。

この場合、アメリカ政府は外国の人々の行動を変えようとしているのではなく、自国の領土で、アメリカが最もよく知っている人々、つまり国民とともに行動している。感染拡大対策には困難な要素も存在するが、基本的な目標は非常に単純で、よく理解されている。感染拡大を食い止めるには、住民の感染率を下げる必要がある。そのためには、人々が社会的距離(social distancing)を取り、マスクを着用し、その他の危険な行動を避けるようにしなければならない。また、ホットスポットを特定し、健康な人から感染者を隔離するための検査と追跡プロセスを確立し、老人ホームなどでは特別な予防措置をとることが有効だ。また、これまで見てきたように、距離を置くことができず、感染の危険性が高い経済や社会の一部を遮断することも必要だ。

これらの対策の中には、広範囲に及び、短・中期的に重大な影響を及ぼすものもあるが、いずれもアメリカ憲法を書き換え、州間の国境を引き直し、政府のあらゆる部門から何千人もの政府関係者を排除し、社会における宗教の役割や女性の地位を再構築し、アメリカ社会の基本的政治価値や社会価値を放棄する必要は全く無いのである。実際、対応が成功すればするほど、感染拡大による長期的な政治的、社会的影響は少なくなる可能性が高い。

私たちは何故そのように知ることができるのか? 外国の介入による体制転換や国家建設とは異なり(誰がやっても成功することはほとんどないが)、多くの国々が新型コロナウイルスへの対応で素晴らしい成果を上げているからだ。ニュージーランドのような比較的小さな国だけでなく、韓国、日本、ベトナム、ドイツ、ギリシャ、その他多くの国々について私は今考えている。

これらの国々に比べれば、ドナルド・トランプ米大統領の責任は重い。「奇跡のように(like a miracle)」ウイルスが消滅すると思い込んでいたために、アメリカの対応は少なくとも1カ月遅れ、ウイルスの拡散を許してしまった。それ以来、政権の混乱した一貫性のない対応、特にトランプ大統領自身がマスクを着用することを拒否し、国をまとめるために叱咤激励することを拒否したことが、事態を限りなく悪化させている。

しかしながら、大統領が違っても、アメリカの対応は必要なものにはほど遠かったかもしれない。右派の評論家や政治家たちは、当初からこの危険を軽視していたが、『ニューヨーク・タイムズ』紙のブレット・スティーヴンス記者のように、トランプ大統領への忠誠心からそうしていた訳ではない。共和党の科学や政治的に不都合な専門家集団に対する敵意は、トランプや新型コロナウイルスに始まったことではなく、むしろそれは共和党のブランドの決定的な部分になっている。彼らは大気物理学者やその他の科学者が気候変動について語るのを聞こうとはしないし、アメリカのイメージ通りにイラクやアフガニスタンを作り変えようとする前に、それを理解する必要があるとは考えなかった。また、新型コロナウイルス感染拡大に対応できる強固な公衆衛生機関を創設して資金を提供しようともせず、外交を国の第一衝動とし、武力行使を最後の手段とする外交政策へのアプローチを採用しようともしない。

アメリカの右派は知識の代わりに、自由をその決定的なテーマとして祭り上げ(もちろん、あなたが女性で中絶を望んでいる場合を除く)、政府の権限のほとんどの要素を本質的に疑わしいものと見なすよう信奉者に奨励している。ニュート・ギングリッチ元連邦下院議長、フォックス・ニューズのロジャー・アイルズ元CEO、ミッチ・マコーネル連邦上院議員をはじめとする多くの人々は、個人の行動が時に他の人々に影響を与えることを国民に思い出させ、例えばアメリカにはスピード違反の禁止法があることを強調する代わりに、主に文化戦争(culture wars)を起こし、彼らの意見と異なる人を悪魔化すること(demonizing)によって、できるだけ多くの不信と分裂を生み出すことを政治の基盤にしてきた。

驚きだ。このような感情は、マスクを着用したり社会的に距離を置いたりすることを要求するルールを、他の人々を危険にさらす憲法上の権利の侵害とみなす、怒れる人々全てを鼓舞しているのである。トランプ大統領がそうであったように(はっきり言えば、彼のこの緊急事態への対処は大失敗だった)、フランクリン・D・ルーズヴェルトやロナルド・レーガンのような優れたコミュニケーターでさえ、この国の分極化(polarization)とそれが育み反映する汚れた情報環境の度合いを考えれば、問題を抱えることになったことだろう。

新型コロナウイルス感染拡大対策は最善の状況においても簡単なことではないが、イラク、アフガニスタン、リビアなど、アメリカ主導の政権交代が行われた国々で安定した民主政治体制を実現することに比べれば、この中心的な仕事ははるかに容易である。だから、自国民にマスクをつけさせることができない国が、外国の人々に自分の命令に従って社会全体を作り直させることができると考え始めてはいけないのである。

もう一つ、このコラムを読んで、もしアメリカがアメリカ人にマスクを付けさせ、新型コロナウイルスを打ち負かす方法を見つけ出すことができれば、自信を持って体制転換ビジネスに戻ることができると結論付けるとしたらそれは的外れだ。体制転換と新型コロナウイルス対策の2つの課題は実際には同じではない。自国の公衆衛生を向上させるという完全に実現可能な目標を達成することができるとしても、アメリカが海外での国家建設というほとんど不可能な課題に取り組むことが可能になる訳ではない。それでも、亜米利加の新型コロナウイルス感染拡大対策の失敗には、時宜を得た警告が含まれている。もしアメリカ政府が、国内では大規模だが比較的簡単な公共政策、たとえば、マスクを着用すべき時に十分な数の人々が着用するように仕向けることができないなら、自国とはまったく異なる社会ではるかに野心的なことを行おうとするのは愚かなことであろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授

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