古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:帝国

 古村治彦です。

 第二次世界大戦から冷戦、ポスト冷戦期まで、アメリカは世界超大国として、国際社会で極めて大きな役割を果たした。日独伊の枢軸諸国との戦争においては、ヨーロッパと太平洋の二正面で日独を撃破し、同時に連合諸国側の兵器庫・工廠(工場)として、食料や武器の支援を行った。冷戦期は、自由主義陣営を率いて、ソ連と社会主義陣営と戦った。結果として、ソ連崩壊によって冷戦に勝利して、ポスト冷戦期は世界唯一の超大国として、安全保障や経済面で世界をリードしてきた。

 世界の歴史にはこれまで帝国(empire)と呼ばれる巨大な存在が出てきた。古くはローマ帝国、モンゴル帝国、大英帝国、そして、現在のアメリカもそれらに匹敵する存在である。世界帝国は世界から収奪することで富を築く。しかし、そのとみのしゅうだつのシステムを維持するためのコストのために衰退し、滅亡する。最も重荷になるのは軍事費だ。世界を支配するためにはどうしても巨大な軍隊を保有しなければならない。大英帝国はこの点で、巨大な陸軍ではなく強力な海軍を保有していたのではあるが。第二次世界大戦後のアメリカ軍は2つの大きな戦争と1つの小さな戦争を同時に戦えるだけの規模を維持してきたが、アメリカの国力低下はそれを許さない状況になっている。同盟諸国への責任の分担はそれを示唆している。

 アメリカが世界の支配者であることの恩恵は富裕層にしかないということを、アメリカの中流以下の一般国民が認識している。それなのに、実際に軍隊に行って死傷するのは自分たちということで、ますます怒りが高まっている。そのような怒りが、「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプ大統領を誕生させた。しかし、トランプ大統領は、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の洗脳に近い「誘導」によって、イラン攻撃を行い、目論見が外れ、イラン攻撃は失敗に終わってしまった。このことはアメリカ中心の国際社会の構造の大きな変化を私たちの明確に示している。ウクライナ戦争の停戦が進まないことも同様である。「アメリカの終わりの始まり」を迎えた今、アメリカの属国である日本も一緒に沈んでいくか、少しずつ自立していくかを選択しなければならない時期を迎えている。

(貼り付けはじめ)

イランにおけるアメリカの帝国主義的罠(America’s Imperial Trap in Iran

―トランプ大統領の中東地域復帰の決断はかつてイギリスを破滅に導いた戦略的愚行(strategic folly)を彷彿とさせる。

ファリード・ザカリア筆

2026年3月13日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2026/03/13/united-states-iran-war-middle-east-imperialism-british-empire/

約15年間、当時の3人の大統領を含む多くのアメリカの指導者たちは、アメリカが中東地域の社会構造改革に深く関与し過ぎていると考えていた。彼らは、より喫緊の課題はアメリカの産業基盤の再建と中国の台頭への対応だと考えていた。しかし今、アメリカは再び、大中東地域における社会構造改革のための戦争を戦っている。そしてイラク、アフガニスタン、リビアと同様に、この戦争も支持者たちが期待するような結果にはならないだろう。

なぜこのようなことが繰り返され続けているのか?

現状を理解するには、過去、つまり近代史においてアメリカに匹敵する世界的な影響力を持っていた唯一の国に目を向ける必要がある。20世紀初頭のイギリスは、世界唯一の超大国だった。1870年における大英帝国の世界総生産(GDP)に占める割合は約25%で、これは今日のアメリカとほぼ同じである。そしてロンドンは世界の金融の中心地だった。クリミア戦争期間中、イギリスはナポレオンのヨーロッパ大陸支配の試みとロシアの南東ヨーロッパへの勢力拡大の試みを阻止した。広大な帝国を統治し、今日のワシントンと同様に国際情勢(international life)の方向性を決定づけたのだ。

1880年代から1920年代にかけての数十年間、イギリスはアジアとアフリカ各地で不安定(instability)、悪質な政権(nasty regimes)、そして力の空白(power vacuums)といった問題への対応に追われた。スーダン、ソマリア、イラク、ヨルダンといった地域に軍隊を派遣し、コントロールを確保した。これらの任務は当時としてはどれも重要に見えたが、結果としてロンドンは世界の辺境地域(peripheral parts of the world)で次々と発生する局地的な危機に翻弄され、多大な犠牲を払うことになった。1920年のイラク反乱鎮圧には10万人を超えるイギリス軍とインド軍、そして数千万ポンドもの費用が要した。当時のイギリスの教育予算総額は、このイラクへの「遠征(excursion)」費用とほぼ同額だった。

イギリスの指導者たちはメソポタミアにおける戦略について熱心に議論を交わしたが、彼らが直面していた真の経済的、技術的な課題を根本的に見過ごしていた。イギリスが中東地域やアフリカの部族と戦っていた頃、大西洋を挟んだアメリカは、世界史上最も先進的な工業経済を静かに築き上げていた。第一次世界大戦後のヨーロッパでは、敗戦国ドイツが着実に産業と高度に機械化された軍事機構を再建した。混沌とした周辺地域に気を取られていたイギリスは、その中核において組織的に追い抜かれていった。時を経て、イギリスは世界の覇権国としての地位を失墜した。

今日のアメリカは、かつての帝国主義の誘惑に再び屈しつつある。中東における真の危機に対応し、その対応に政治的、軍事的、そして道徳的な論理を見出している。しかし、究極的に言えば、大戦略(grand strategy)とは限られた資源の優先順位をつけることである。アメリカは無限の政治資本、時間的余裕、軍事力、そして経済的回復力を持っている訳ではない。テヘランへの空爆、ペルシア湾上空で発射された対ドローン迎撃ミサイル、そして政権当局者がイランの政治的継承の微妙な点について議論する時間は、21世紀を特徴づける真の地殻変動的な課題からエネルギーを逸らすことを意味する。

アメリカにとって最も重要かつ不可欠な役割は、北京とモスクワの修正主義的な野望に対抗し、国際システムを安定させることである。中国は中東地域の泥沼に足を踏み入れるどころか、人工知能、量子コンピューティング、太陽光発電、風力発電、バッテリー、ロボットなどの、世界の勢力均衡を決定づける技術に容赦なく投資している。ロシアは、探知が困難で、撃退が極めて困難なハイブリッド型の政治・軍事戦争を通じて、ヨーロッパの安全保障を混乱させ、西側民主政体を弱体化させることに依然として固執している。モスクワと北京がアメリカの世界秩序の根幹を揺るがす一方で、ワシントンは再び中東地域の治安維持と、その一国の指導者の選出に、血と財産を費やそうとしている。

歴史は、大国が「小規模戦争(small wars)」の魅力に屈することが多いことを示唆している。それは、小規模戦争が、迅速で政治的、道徳的な勝利という幻想を与えてくれるからだ。残念ながら、こうした戦術的な成功は戦略的な利益につながることは稀であり、むしろ長期的な疲弊への第一歩となることが多い。

イランへの介入が成功したとしても、アメリカはイランの運命に深く関与せざるを得なくなるだろう。果たして、今後10年間、アメリカの時間とエネルギーを最も有効に投入すべき分野はイランなのだろうか? イギリスの役割から得られる教訓は明白だ。大国は通常、外国軍に征服されるから滅びるのではない。周辺地域に過剰に手を広げ、中核地域を軽視するからこそ滅びるのである(They fall because they overextend themselves on the periphery while neglecting the core)。

※ファリード・ザカリア:CNN番組「ファリード・ザカリアGPS」司会者、著述家。最新作に『革命の時代(Age of Revolutions)』がある。『ワシントン・ポスト』紙に週に一度コラムを掲載し、『フォーリン・ポリシー』誌に転載されている。Xアカウント:@FareedZakaria

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大英帝国がグアドループではなくカナダをどのようにして選んだか(How the British Empire Chose Canada Over Guadeloupe

-ロンドンはフランスとの戦争の戦利品を獲得したが、アメリカ合衆国を失った。

ダンカン・ウェルドン(イギリスのジャーナリスト・歴史家)筆

2026年2月6日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2026/02/06/british-empire-france-americas-history/

戦争は費用がかさむ事業だ。大同盟戦争(九年戦争、War of the Grand AllianceNine Years’ War)(1688~1697年)の終結までに、イングランドの国家債務は国民所得(national income)の約20%に達した。これは今日の基準からすれば低い数字だが、当時としては憂慮すべき高水準だった。しかし、住宅ローンやその他のローンを組んだ経験のある人なら誰でも知っているように、重要なのは借入の総額(the quantum of the borrowing)だけでなく、そのコストだ。

イングランド(そして1707年のスコットランド合同法以降はグレートブリテン)が支払いを滞納しないことを確約し、議会が必要に応じて税収を増額する能力を示したことで、課税金利は低下し始めた。1750年代の七年戦争(Seven Years’ War)の時期には、イギリス政府はわずか3%の金利で借入を行うことができた。理論上、国家債務(national debt)は「完済(pay off)」するという計画が常に存在した。

18世紀を通じて、財政部門の政府高官たちはしばしば、議会が例えば8%の借入を前提に課税を認めているものの、実際のコストはそれよりも低く、おそらく4%か、5%程度であり、その差額を元金の返済に充てることができると指摘した。1710年代後半、楽観的な当局者は22年以内に全額返済できると考えていた。しかし、この安心感を与える計算は、イギリスとフランスとの長きにわたる断続的な戦争という現実を無視していた。スペイン継承戦争(War of the Spanish Succession)とオーストリア継承戦争(War of the Austrian Succession)の末、七年戦争(1756~1763年)が始まる頃には、政府債務はGDPの約100%に達した。

しかし、イギリスに奉仕するコストは極めて抑えられるものだった。

多額の債務と高金利を抱え、さらなる借入を余儀なくされた国は、一般的に軍事力の低下を招く。しかしながら、18世紀のイギリスは、フランス革命の引き金となった債務よりも高額な債務を抱えていたかもしれない。しかし、制度的な信頼性に基づく低金利(the low interest rates, based on institutional credibility)が、当時のイギリスの債務を決定的に異なるものにしていた。

1750年代におけるイギリスの世界戦争への成功を支えたのは、まさにこの財政的枠組み(financial framework)だった。イギリスは最高クラスの海軍を維持し、財政的に逼迫しているヨーロッパ大陸の同盟諸国に補助金を支給することで、フランスと戦う軍隊を戦場に維持することが可能となった。

イギリスにとって、特に戦争後半においては、七年戦争は真に世界規模の紛争となった。ここで、「イギリス流の戦争術(“British way of warfare)」という、時に物議を醸す概念の起源を探ることは重要だ。九年戦争では、元はオランダ人であったイギリス王オラニエ公ウィリアムは、オランダ共和国が南のより大きな隣国に侵略される可能性を当然ながら懸念し、大陸で直接戦うためにフランドルに大規模なイギリス軍を維持していた。

1700年から1714年にかけて戦われたスペイン継承戦争でも、同様の大陸への関与が見られ、マールバラ公爵はヨーロッパで有名な勝利を収めた。しかし、これはイギリスで必ずしも好評だった訳ではない。海軍の存在を正当化するのは容易だった。それは、海軍は島国を侵略から守るだけでなく、成長するイギリスの権益と海外貿易の保護・拡大にも貢献したからだ。

この問題は、アン女王(ウィリアムとメアリーの後継者)が1714年に子供を残さずに亡くなったことでさらに分極化した。プロテスタントによる王位継承の必要性から、ハノーヴァー公ジョージ1世がイギリス国王に即位し、ドイツにおける元々の領地も維持した。ハノーヴァー朝の最初の数十年間、イギリス議会の議員の一部は、イギリス軍がヨーロッパ大陸におけるハノーヴァー家の権益に奉仕しているように見えることに抵抗感を抱いていた。 1756年から1761年まで内閣の一員であり、実質的にイギリスの戦時戦略の管理者であったウィリアム・ピット(父)に代表されるイギリスの戦争方法は、大規模な軍隊の必要性を軽視し、ヨーロッパにイギリス軍を派遣することに懐疑的であり、その代わりに同盟諸国への財政支援、強力な海軍の維持、敵国の植民地や海外領土の支配権の獲得の重要性を強調した。

この戦略の支持者たちは、イギリスの強み、すなわち海軍力の比較優位(a comparative advantage in naval power)と、同盟諸国を経済的に支援できる財政力(the financial strength to support allies economically)を生み出す海洋文化(a maritime culture)を活用できると主張した。結局のところ、フランスはイギリスよりもはるかに大きな国であり、陸軍に関しては常に優位に立っていた。こうした行動の副産物の一つは、海外のフランス植民地を掃討する機会をもたらした。

これはまさに1750年代のイギリスが辿った道である。ウィリアム・メイクピース・サッカレーの小説『バリー・リンドンの幸運』に描かれているように、小規模なイギリス軍はドイツで戦い、ミンデンの戦いで大きな称賛を得たが、イギリスの戦争活動の大半はヨーロッパ外に集中していた。インドとケベックでの勝利に加え、カリブ海に浮かぶフランス領の島々も占領され、戦争末期にはスペインに宣戦布告し、フィリピンとキューバを併合した。

しかし、これらの獲得物全てを永久に保持することが意図された訳ではなかった。18世紀の政治家たちは、和平交渉(peace talks)はギヴ・アンド・テイクを伴う交渉プロセスであることを認識していた。実際、当時の和平条約の特徴の一つは、しばしば通商条項を含んでいたことだ。勝者は植民地の一部を奪取するだけでなく、かつての敵国が支配する市場において、自国の輸出品に対する有利なアクセスを要求することもあった。

戦争終盤におけるイギリスの目標は、避けられない和平交渉に向けて十分な選択肢を持つために、可能な限り多くの土地を奪取することだった。しかし、スペインとの紛争においては、これは計画通りには進みなかった。18世紀の通信手段は限られていたため、マニラを攻撃したイギリス軍は、戦争の知らせがフィリピンに届く前に攻撃を開始し、その知らせがヨーロッパに届く頃には、既に条約は締結されていた。

しかし、フランスとの避けられない交渉が始まる前に、イギリスでも和平と引き換えにどの戦利品を保持し、どの戦利品を返還すべきかについて、多くの交渉が行われた。1760年から1763年にかけて、現代の私たちからすれば、かなり突飛に聞こえる激しい議論が繰り広げられた。イギリスはカナダを保持するべきか、それともグアドループを保持するべきか? ベンジャミン・フランクリンからカーライル司教に至るまで、様々な人物が書いたパンフレットがこの問いに意見を述べている。

この議論は、見た目ほど奇妙なものではなかった。

カナダは地理的にはるかに広大で人口もはるかに多かったものの、すぐに得られる経済的利益は少なかったように思われる。ビーバーの毛皮貿易は確かに魅力的だったが、グアドループは砂糖の島であり、砂糖は18世紀のヨーロッパで非常に需要の高い高価値商品だった。しかし、グアドループからすぐに得られる経済的利益は、カナダにとっての明確な安全保障上の理由と対比させる必要があった。イギリス自身の北アメリカ13植民地のすぐ北に位置するフランスの植民地を撤去すれば、イギリスの立場が安定するだけでなく、駐屯地運営費用が減って最終的には財政的な節約にもつながると期待された。

議論は時折、激しさを増した。終戦時に政府を率いたビュート伯爵は、『ノース・ブリトン』紙でビーバーの毛皮の魅力を理解していないと非難され、「もし人工的な暖かさを求めるほど親切な女性がいるなら、私たちにはそのための猫や犬がいる。・・・その上、実に愉快な荒々しさで」と皮肉られた。

最終的に、イギリスは砂糖の島がもたらす利益よりも、北アメリカ植民地の安全保障を優先した。しかし、パンフレット戦争において洞察力のある一部の評論家が認識していたように、これは長期的にははるかに逆の結果をもたらすことになる。近代カナダにおける大規模なフランス植民地の存在は、少なくとも、これらの植民地が安全保障をイギリスに頼る明確な理由となっていた。

1760年代のあるイギリス人植民者はこう記している。「畏敬の念を抱かせてくれる隣国が、必ずしも最悪の隣国とは限らない」。フランスの脅威がなくなったことで、植民者たちの動機は変化した。パリ条約以前は、大英帝国の一部であることは多少の負担を強いられたかもしれないが、同時にフランスからの保護という明確な利益も伴っていた。

パリ条約締結後も、イギリスが植民地に帝国統治の重荷を負わせようとしたため、コストは依然として残り、むしろ増加し始めた。しかし、その利益ははるかに疑わしいものだった。グアドループをカナダと交換したことは、結局のところ、イギリスにとって北アメリカを失ったことにつながったかもしれない。イギリスの制度は世界大戦に勝利することを可能にしたが、インセンティヴを理解していなかったため、その勝利は空虚なものとなった。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体 
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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 今年2026年7月4日、アメリカは建国250周年を迎える。1776年7月4日、フィラデルフィアで建国の父(Founding Fathers)と呼ばれる人々が独立宣言(the Declaration of Independence)に署名した日、現在の状況を想像していただろうかという疑問を自らに問うとき、彼らの思い通りの国家にはなっていないであろうと私は考えてしまう。この250年の間、アメリカは国力を増進し、やがて世界最大、もっとも豊かな国になっていったが、

それと同時に世界最強の国家として多くの戦争を戦ってきた。そして、今も戦っている。

少なくとも、1992年の大統領選挙以降、新大統領になる人々は、自分は戦争をしないで、平和の構築者になると訴えて当選してきたが、その約束はことごとく破られてきた。下記論稿の著者スティーヴン・M・ウォルトはアメリカについて戦争中毒(addicted to war)と指摘している。そして、戦争中毒になってしまった理由として次の5点を挙げている。番号を振って当該箇所を引用する。

(引用貼り付けはじめ)

(1)冷戦初期から進行し、対テロ戦争中にさらに拡大した、大統領権力の長期的な強化(the long-term consolidation of executive power)である。私たちは大統領に、戦争と平和に関する決定、外交の遂行、巨大な情報機関の活動、そして秘密工作能力に関して、途方もない裁量権(enormous latitude)を与えてきた。

(2)アメリカ大統領は戦争に踏み切る自由があるのは、国民に直接費用を負担させないことを学んだからだ。朝鮮戦争は、国民が直接増税して費用を賄った最後の戦争だった。それ以降、大統領は借金をして財政赤字をさらに膨らませ、将来の世代にそのツケを押し付けてきた。

(3)志願制軍隊は戦争の意思決定を容易にする側面もある。なぜなら、危険に身を投じる人々は皆、その可能性を承知の上で志願しており、無作為に徴兵された者よりも不満を漏らす可能性が低いからだ。

(4)軍産複合体(the military-industrial complex)を非難することはできる。ただし、ロッキード・マーティンやボーイングが誰かに戦争を働きかけたと言っている訳ではない。しかし、武器を売るビジネスをしている以上、不安を売るビジネスをしているのと同じなのだ。つまり、脅威が満ち溢れた世界(中には先制攻撃が必要な脅威もある)を描き、外交の価値を貶め、武力による解決策を過剰に推し進めるということだ。

(5)武力行使があまりにも容易になり、リスクがほとんどないように思えるようになったからだ。巡航ミサイル、ステルス機、精密誘導爆弾、ドローンのおかげで、アメリカ(およびその他数カ国)は地上部隊を派遣することなく、また直接的な報復を(少なくとも当初は)あまり心配することなく、大規模な空爆作戦を展開することが可能になった

(引用貼り付け終わり)

 アメリカは戦争をしやすい体制を作り上げてきたということが言える。それがアメリカを帝国に押し上げた。しかし、アメリカの最盛期はすでに過ぎ去った。その国力は低下し続け、世界支配は過重な負担になっている。アメリカは世界支配を止め、西半球に立てこもろうとしている。アメリカが世界支配を止め、帝国であることを止めるということは、戦争中毒からの脱却、回復を目指すということである。その過程は数十年単位ということになるだろうが、これからはそのリハビリ期間ということになる。

(貼り付けはじめ)

アメリカは今でもまだ戦争中毒だ(The United States Is Still Addicted to War

―なぜ歴代のアメリカ大統領全員が大規模な軍事作戦に巻き込まれるのか

スティーヴン・M・ウォルト筆

2026年3月2日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2026/03/02/trump-iran-war-united-states-addicted/

彼らが何を言おうと、戦争を避けることは不可能だ。1992年、ビル・クリントンは「問題は経済だ、馬鹿(it’s the economy, stupid)」と述べ、勢力政治(power politics)の時代は終わったと宣言して大統領選挙に勝利した。しかし、就任後、クリントンは複数の国へのミサイル攻撃を命じ、イラク上空に飛行禁止区域を設定し(時には爆撃も行った)、1999年にはセルビアに対する長期にわたる空爆作戦を展開した。

2000年、ジョージ・W・ブッシュはクリントンの過剰な外交政策を批判し、有権者に力強いが「謙虚な」(strong but “humble”)外交政策を約束してホワイトハウスを勝ち取った。その結果は皆さんがご存じの通りだ。8年後、バラク・オバマという若い連邦上院議員が大統領に就任したが、その大きな理由の一つは、彼が2003年のイラク侵攻に反対した数少ない民主党員の一人だったことだ。就任からわずか1年で、彼は何の功績もないにもかかわらずノーベル平和賞を受賞した。それは、人々が彼を真の平和構築者(peacemaker)だと信じたからに他ならない。オバマ大統領はいくつかの問題で努力を重ね、最終的にはイランの核開発計画を縮小する合意に達したが、同時にアフガニスタンへの無意味な「増派(surge)」を命じ、2011年にはリビア政権の転覆を支援し、様々な標的に対する標的攻撃やその他の暗殺をますます躊躇なく命じるようになった。2期目の任期が終わる頃には、アメリカは依然としてアフガニスタンで戦闘を続けており、勝利には全く近づいていなかった。

そして2016年、平凡な実業家でリアリティ番組スターのドナルド・トランプが大統領選挙に出馬し、「永久戦争(forever wars)」を公然と非難し、外交政策のエスタブリッシュメントを糾弾し、「アメリカ・ファースト(America First)」を掲げた。選挙での予想外の勝利の後、彼もまたアフガニスタンへの一時的な増派を発表し、対テロ戦争を全速力で継続させ、イラン高官のミサイル暗殺を命じ、軍事予算の着実な増加を主導した。トランプは最初の任期中に新たな戦争を始めなかったが、終結させた戦争もなかった。

ジョー・バイデンは、アメリカの無益なアフガニスタン侵攻作戦を中止することで戦争を終結させたが、前任者たちが無視してきた現実を認識したことで激しい非難を浴びた。バイデンは2022年のロシアによるウクライナ侵攻に対し、西側諸国の積極的な対応を主導したが、ウクライナを西側陣営に取り込もうとした彼の以前の努力が、戦争の可能性を高めたという事実を、多くの有機者が無視した。大統領就任後最初の2年間、パレスティナ問題を無視していたバイデンは、2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃に対するイスラエルのジェノサイド的報復に対し、数十億ドル相当の武器供与と外交的保護を提供した。

バイデンの失策(そして再選を目指す彼の頑固な姿勢)は、トランプの大統領復帰を後押しし、トランプは再び平和の大統領となり、アメリカ国民に数兆ドルの損失と数千人の命を奪ってきた絶え間ない介入主義(interventionism)を終わらせると誓った。しかし、過去との決別どころか、トランプ2.0はかつて嘲笑していた歴代大統領よりもさらに好戦的な人物であることが判明した。アメリカはトランプ政権復帰後最初の1年間で少なくとも7カ国を爆撃し、カリブ海と太平洋では麻薬密輸の疑いだけで船舶乗組員を次々と殺害している。ヴェネズエラの石油資源を掌握するため、指導者を拉致し(その一方で、ヴェネズエラは新たな独裁者の手に委ねられた)、そして今、1年足らずで2度目のイランへの戦争を開始した。昨年夏にはイランの核インフラが「壊滅した(obliterated)」と世界に宣言していたにもかかわらず、今や「差し迫った脅威(imminent threats)」を阻止するために爆撃せざるを得なかったと主張している。

一体何が起こっているのだろうか? 1992年以来、民主、共和両党の歴代大統領は平和構築者(peacemaker)となり、前任者の行き過ぎた行為や過ちを繰り返さないと誓って選挙に立候補してきたが、就任すると遠い異国で軍事行動を起こす衝動を抗することができなかった。私たちは再び自問自答しなければならない。アメリカは戦争中毒になっているのだろうか?

トランプ大統領の2期目までは、この傾向は、軍事力をグローバルな自由主義秩序を推進するための有効な手段とみなしていた超党派の外交政策における「ブロブ(Blob エスタブリッシュメント)」の傲慢な考え方によって説明できたかもしれない。しかし、この説明ではトランプ大統領の2期目の行動をうまく説明できない。トランプ大統領は依然として既成勢力(いわゆる「ディープステート(the deep state)」)を憎み、1期目の失敗を彼らのせいにし、国家安全保障機関を骨抜きにし、自分の意のままに動く忠実な部下を要職に任命した。今回の戦争は、もはや「ブロブ」のせいにはできない。

こうした政策を擁護する人々は、アメリカには他に類を見ない世界的な責任があり、大統領は就任当初は武力行使を減らすという理想主義的な考えを抱いていても、すぐに世界中でアメリカの力を行使する必要性を痛感させられると主張するかもしれない。しかし、この説明の問題点は、これほど頻繁に爆撃を繰り返しても根本的な政治問題が解決されることはほとんどなく、アメリカの安全保障も向上せず、ましてや攻撃を受けているほとんどの国にとって良いことではないということだ。学習能力の低いアメリカでさえ、今頃はもうこのことを理解しているはずだ。だからこそ、疑問は残る。真の平和賞(FIFAから授与された偽りの賞ではなく)を熱望する大統領の下でさえ、なぜワシントンはこうした行為を続けるのか?

明白な理由の一つは、冷戦初期から進行し、対テロ戦争中にさらに拡大した、大統領権力の長期的な強化(the long-term consolidation of executive power)である。私たちは大統領に、戦争と平和に関する決定、外交の遂行、巨大な情報機関の活動、そして秘密工作能力に関して、途方もない裁量権(enormous latitude)を与えてきた。そして、行政府が必要に応じて嘘をつきやすくするような、ある程度の秘密主義を容認してきた。民主、共和両党の大統領は、この行動の自由を喜んで受け入れ、その権限を縮小しようとする試みを歓迎することはほとんどなかった。行政権の強化(the consolidation of executive power)は、連邦議会によって助長され、促進されてきた。連邦議会は、武力行使の決定に対して、意味のある監督を行うことにますます消極的になっている。そのため、オバマ政権が(テロとの戦いとイラク侵攻を承認した時代遅れの決議に代わる)新たな武力行使承認を積極的に求めた際、連邦議会は議員たちが記録に残ることを望まなかったため、承認を拒否した。そして今、彼らはトランプ政権がイランに対する無益な戦争を始める前に、自分たちの許可を求めなかったと不満を述べている。

第二に、サラ・クレプスとロゼラ・ジエリンスキーが指摘しているように、アメリカ大統領は戦争に踏み切る自由があるのは、国民に直接費用を負担させないことを学んだからだ。朝鮮戦争は、国民が直接増税して費用を賄った最後の戦争だった。それ以降、大統領は借金をして財政赤字をさらに膨らませ、将来の世代にそのツケを押し付けてきた。その結果、少なくとも5兆ドルもの費用がかかったイラク戦争やアフガニスタン戦争のような長期にわたる高額な戦争でさえ、ほとんどのアメリカ国民は経済的な影響を感じていない。

志願制軍隊は戦争の意思決定を容易にする側面もある。なぜなら、危険に身を投じる人々は皆、その可能性を承知の上で志願しており、無作為に徴兵された者よりも不満を漏らす可能性が低いからだ。また、トランプ(とその子供たち)のようなエリート層が兵役を完全に免れることを可能にし、富裕層や政治的コネを持つ人々がこうした決定によって個人的に影響を受ける度合いを低下させ、職業軍人を、本来守るべき社会との繋がりが希薄な、いわば「分離した階級(a separate caste)」へと徐々に変貌させている。しかし、こうした度重なる武力行使の決定を軍のせいにしてはならない。この流れを操っているのは非軍人の民間人なのだ。

しかしながら、軍産複合体(the military-industrial complex)を非難することはできる。ただし、ロッキード・マーティンやボーイングが誰かに戦争を働きかけたと言っている訳ではない。しかし、武器を売るビジネスをしている以上、不安を売るビジネスをしているのと同じなのだ。つまり、脅威が満ち溢れた世界(中には先制攻撃が必要な脅威もある)を描き、外交の価値を貶め、武力による解決策を過剰に推し進めるということだ。防衛企業が多くの外交政策シンクタンクの有力な支援者となっているのは偶然ではない。これらのシンクタンクは、脅威は至る所に潜んでおり、アメリカは地球上のどこで発生しようとも軍事行動を取らざるを得ない可能性があり、国防予算の増額こそが当然の解決策であると、アメリカ国民を説得しようと努めている。こうした能力を一度手に入れてしまえば、それを行使したいという誘惑に抵抗するのは難しい。AIPACやイスラエル・ロビーの強硬派といった特殊利益団体も存在し、大統領を説得して戦争に同意させたり、立場の弱い連邦議会指導者に反対させないように説得したりすることに成功することもある。

アメリカ大統領が戦争に中毒になった最後の理由がある。それは、武力行使があまりにも容易になり、リスクがほとんどないように思えるようになったからだ。巡航ミサイル、ステルス機、精密誘導爆弾、ドローンのおかげで、アメリカ(およびその他数カ国)は地上部隊を派遣することなく、また直接的な報復を(少なくとも当初は)あまり心配することなく、大規模な空爆作戦を展開することが可能になった。イランはアメリカや同盟諸国に対して様々な方法で報復するかもしれないが、アメリカがイランに与えることができるような規模の損害をアメリカ本土に与えることは期待できない。したがって、厄介な外交上の課題に直面したとき、あるいは国民の目を国内の問題やスキャンダル(ジェフリー・エプスタイン事件など)から逸らす方法を探しているとき、軍事的選択肢に頼りたくなる誘惑は非常に大きい。あるいは、決してハト派ではなかったリチャード・ラッセル連邦上院議員が1960年代に述べたように、「どこへでも行き、何でもできるのであれば、私たちは常にどこかへ行き、何かをするだろう」と考える理由がある。

私は時々これを「大きな赤いボタン(big red button)」の問題だと考えている。まるでどの大統領も机の上に大きな赤いボタンを置いていて、外交上の問題が発生すると(あるいは気を紛らわせる必要があると)、側近たちが大統領執務室にやって来て問題を説明するかのようだ。彼らは、ボタンを押せば決意を示すことができ、大統領が行動を起こしていることを示せる、そして良い結果が生まれるかもしれないと指摘する。彼らが正直であれば、ボタンを押す絶対的な必要性はなく、そうすることで事態が悪化する可能性もあると認めるかもしれない。しかし、リスクは小さく、コストも許容範囲内であり、ボタンを押さなければ問題はほぼ確実に悪化し、大統領は優柔不断に見えるだろうと彼らは大統領に念を押す。そして、彼らは厳粛な口調でこう締めくくる。「あなたの選択です、大統領閣下(It’s your choice, Mr. President.)」。このような甘言に一貫して抵抗できるのは、近年の大統領のほとんどよりも優れた判断力を持つ指導者だけだろう。

明確に言えば、今回の暴力の嵐は、2003年のイラク侵攻以来、アメリカ軍による最も不必要な流血行為と言えるだろう。しかし、この出来事がアメリカの戦争中毒(America’s addiction to war)について物語っていることは、現アメリカ大統領について語っていることと同じくらい重要だ。

骨棘の話は徴兵を逃れるための口実だったのではないか? そうだとすれば、トランプ自身は志願兵制の原則には当てはまらないということになるのだろうか?

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。Blueskyアカウント:@stephenwalt.bsky.socialXアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体 
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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。
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※2024年10月29日に佐藤優先生との対談『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』(←この部分をクリックするとアマゾンのページに飛びます)が発売になります。予約受付中です。よろしくお願いいたします。

 「私たちは冷戦に勝利した、歴史の終わりだ」と浮かれたアメリカは現在、覇権国の地位の喪失を目前に控えて苦しんでいる。1990年代の多幸感(euphoria)は、2001年の911同時多発テロで打ち砕かれ、幸せは長くは続かなかった。21世紀のアメリカは、対テロ戦争の名目で、イラクとアフガニスタンに侵攻したが結果として泥沼に足を取られ、撤退を余儀なくなされた。中国をはじめとするグローバルサウスの台頭に直面し、世界構造の大転換を目前にして、高インフレと経済力の低下に苦しんでいる。「世界唯一の超大国(world’s sole superpower)」と威張っていられたのは短期間だった。

 「勝利が必ずしも素晴らしい未来を保証するものではない」アメリカは第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦に勝利し超大国(世界覇権国)となった。しかし、勝利は同時に失敗や敗北の種をまくことにもなった。第一次世界大戦では連合国の復讐感情を抑えることができず、ドイツに懲罰的な講和条件を飲ませて、結果としてドイツは再び戦争を始めることになった。第二次世界大戦では日独伊の枢軸国を打ち倒すことはできたが、ソ連の東ヨーロッパ支配を許し、中国共産党の国共内戦の勝利と中国本土の支配を許す結果となった。冷戦の場合には、アメリカの傲慢さ(アメリカの理想を世界に押し付ける)によって、世界各国、特にグローバルサウス諸国の反感を買うことになった。

 勝利の後に「傲慢さ(hubris)」が出てくるのは人類の共通した特徴である。それを抑えることは難しい。「勝った、勝った」の大合唱はどの時代でも聞こえた。しかし、その後に、大きく言えば敗北してきた、それが歴史の教訓である。ローマ帝国であろうが、モンゴル帝国であろうが、スペイン帝国であろうが、大英帝国であろうが、アメリカ帝国であろうが、この教訓から逃れることはできなかった。中国が次の世界覇権国になるだろうが、「傲慢さ」をコントロールできなければ、歴史上の他の帝国と同じ結末を迎えることになるだろう。この帝国の循環こそは歴史の教訓、法則であり、人類の歴史を動かしてきた力と言うこともできるだろう。

(貼り付けはじめ)

国際政治において何を望むかについては注意深くあるべきだ(In International Politics, Be Careful What You Wish for

-ドイツ統一は、政治的に大きな問題を引き起こし始めている西側にとっての最新の勝利ということになる。

スティーヴン・M・ウォルト著

2024年9月4日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/09/04/germany-east-reunification-afd-elections-saxony-thuringia/

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1988年に撮影され2019年11月9日に公開された写真。西ベルリンから東ベルリン、ベルリンの壁、ブランデンブルク門に向かって撮影された眺望

最近のドイツの各州選挙では、極右政党「ドイツのための選択肢(Alternative for GermanyAfD)」がテューリンゲン州で最高の得票率を獲得し、ザクセン州では僅差の2位だった。新たに結成されたサーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(Sahra Wagenknecht Alliance)はザクセン州で3位となり、その結果誕生する政権で中心的な役割を果たす姿勢を見せている。この結果から得られる教訓はたくさんあるが、ここでは1つだけ述べる。それは、「何を望むかについては注意深くあるべきだ(Be careful what you wish for)」ということである。極右の人気は、ある時点では圧倒的な勝利に見えても、その先には大きなトラブルの種をまくことになるということを、明確に思い起すことができる。
ドイツを例に取って考えてみよう。冷戦後に実現した平和的統一(peaceful reunification)は、西ドイツの社会民主主義モデルの正当性(vindication of the West German social democratic model)を証明するものであり、西ドイツ外交の特筆すべき成果であった。また、連邦政府が伝統的な首都ベルリンに戻ったことに象徴されるように、ドイツのナショナリズムにとって強力な勝利であり、ナチスの過去からの回復に成功した証でもあった。

しかし、後になって考えてみると、統一はドイツ国民が当時予想していたよりもさらに困難だったことが明らかになった。30年以上が経過したが、国の東半分と西半分の間の政治的な違いは依然として大きいままだ。ドイツの2つの半分が40年以上にわたり全く異なる政治制度によって統治されてきたことを考えると、これは驚くには値しない。東部の経済状況は西部に比べて遅れ続けており、東側に住む国民は他の地域よりもはるかに独裁的な衝動を示している。ネオナチ運動が東部でより肥沃な土壌を発見したのは偶然ではないが、これらの新たに台頭している政党は現在、統一後の目まぐるしい数カ月の間にほとんどの観察者が想像しなかった形で国全体の政治に影響を与えている。

(余談[side note]:ドイツの統一が予想以上に難しいことを理解していると考えているならば、もし朝鮮半島と韓国が再結合しようとしたらどうなるか、想像してみて欲しい)

それでは、ハンガリーの政治的軌跡について考えてみよう。1990年代当時、チェコ共和国、ハンガリー、ポーランドをNATO、ひいてはEUに加盟させることは、リベラルな理想の勝利であり、これらの新米の民主政治体制国家が後退しないようにする方法だと考えられていた。ロシアはこれに満足していなかったが、私のような拡大懐疑論者(enlargement skeptics)でさえ、プロセスがそこで終わっていれば、モスクワは拡大の第一波を受け入れただろうと信じている。しかし、ハンガリー(そしてそれよりも低いレヴェルでポーランド)は、リベラルの永久的勝利となる代わりに、いわゆる非リベラルな民主政体の申し子(poster child)となった。民主政治体制の形式(選挙など)は維持するが、実質(法の支配[rule of law]、寛容[tolerance]、自由で公正な政治競争[free and fair political competition]など)は維持しない統治モデルである。ハンガリーはNATOEUを強くするどころか、両機関に執拗な棘を刺し、ドナルド・トランプのような独裁者になりそうな人たちにインスピレーションを与えている。1998年にNATOの拡大に賛成したとき、何人の米連邦上院議員がこのような結果を予想していただろうか?

イスラエルを例にして考えてみよう。数週間前に論じたように、1967年の六日間戦争(第三次中東戦争)におけるイスラエルの圧勝は、多くのイスラエル国民にとって奇跡的とも思える、紛れもない軍事的勝利だった。しかし、その勝利は、今やイスラエルの長期的な未来を脅かす危険の種をまいたとも言える。イスラエルの指導者たちが、この戦争で征服した土地を占領し、植民地化すると決めた時点で、イスラエルはもはやユダヤ人国家であると同時に真の民主政体国家でもあり得なくなった。数百万人のパレスチナ人を支配するアパルトヘイト(apartheid、人種隔離)制度を、そのような制度が必要とするあらゆる残虐性をもって構築するか、あるいは彼らに政治的権利を認めるかしなければならなかった。昨年の事例が示すように、このディレンマは時間の経過とともに悪化し続けている。

当然のことであるが、この現象は大きな戦争の後に繰り返されるテーマである。第一次世界大戦におけるドイツの敗北は、勝利した連合国にとって素晴らしい瞬間であったが、ヴェルサイユで結ばれた和平協定によって、再戦は避けられないまでも、その可能性は非常に高くなった。第二次世界大戦で枢軸国(the Axis)を阻止し、ドイツとイタリアのファシズムと日本の軍国主義を打倒したことは紛れもない功績だったが、この勝利はソ連が東ヨーロッパに共産主義を押し付けることを許し、中国で毛沢東が権力を握るのを助けた。そして、これらの出来事が40年にもわたる冷戦を生み出した。

冷戦が終結したとき、西側諸国民、とりわけアメリカ人は、共産主義の崩壊をあからさまな歓喜をもって迎え、その勝利が西側の核となる価値観の普遍的な魅力を示したと思い込み、ワシントンが現代世界で成功するための魔法の方程式を持っているという思い上がった信念にすぐに屈した。その結果、アメリカのイメージで世界を作り直そうとする誤った努力が、その欠点が明らかになった後も長く続いた。アフガニスタンでアフガニスタンのムジャヒディンがソ連を弱体化させるのを助けたことが、アルカイダの出現を促し、その後の911同時多発テロが最終的にアメリカをソヴィエト連邦を崩壊させたのと同じ泥沼にはめることになると、どれだけのアメリカ人が予見しただろうか。イラクにおける「任務完了(mission accomplished)」の瞬間や、リビアにおけるムアンマル・アル=カダフィの失脚についても同じことが言えるかもしれない。

勝利が時に失望への序曲(prelude to disappointment)になるとすると、敗北や挫折は、将来の指導者たちがそこから正しい教訓を学べば、明るい未来を告げることができるということになる。ドイツと日本のエリートたちは、第二次世界大戦の惨事から多くの正しい教訓を学び、その後の50年間、政治と外交政策へのまったく異なるアプローチから大きな恩恵を受けた。ヴェトナム戦争での敗北は、アメリカの指導者たちに「国家建設(nation-building)」という危険な誘惑(siren song)を避けることを教えた。悲しいことに、この教訓はジョージ・W・ブッシュと彼のネオコンサヴァティヴィズムを信奉するアドヴァイザーたちが権力を握る頃には忘れられていた。これらの事例やその他の事例は、国家が(そして人々が)時として成功からよりも失敗から有益な教訓を学ぶことを思い出させてくれる。しかし、必ずしもいつもそうという訳ではない。

なぜ偉大な勝利(great victories)は灰になるのだろうか? 古代ギリシャ人たちは傲慢(hubris)について警告した。それは、神々を怒らせ、英雄を悲劇的な結末(fatal flaw)に導く過度のプライドの致命的な欠陥である。それは確かに問題の一部に過ぎない。大きな勝利を収めた人は、自分自身を過大評価し、幸運(または対戦相手の誤り)が成功に果たした役割を無視する傾向がある。偉大な勝利はまた、非常に破壊的なものでもある。偉大な勝利は、各種の社会的勢力を動かし、予期せぬ結果が蔓延し、勝者の未来がどう展開するかを予測したり、自分たちに有利になるように操作したりする能力を混乱させる。

この教訓は、各国が野心的な外交政策の目標を放棄すべきだ、大きな夢を見てはならない、あるいは事態が好転する稀で素晴らしい瞬間を祝うのを控えるべきだということを教えているのではない。後者を期待することは、人間の本性について私たちが知っていることの多くを否定することになる。また、人は挫折からより多くのことを学ぶことがあるため、成功よりも失敗のほうが好ましいと主張しているのでもない。本当の教訓は、たとえ特異な成果や幸運の兆しであっても、歴史が私たちの味方であり、幸せな未来が保証されているという証拠として解釈しないということだ。

優れた投資会社ならどの会社でも言うように、実績は将来のリターンを保証するものではない。国際問題においては、成功はしばしば将来のトラブルの前触れである。従って、勝利は束の間味わうべきであり、その後は避けられない厄介な結果に対処することに注意を向けなければならない。

※スティーヴン・M・ウォルト:『』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・ベルファー記念国際関係論教授。Xアカウント:@stephenwalt
(貼り付けはじめ)
(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

  


 今回は少し古い本になりますが、『エコノミック・ヒットマン』という本を皆様にご紹介します。ヒットマンというと、大変物騒な単語ですが、エコノミック・ヒットマンという言葉について、著者ジョン・パーキンスは次のように書いています。

(引用はじめ)

 

 エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐へと注ぎこむ。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。彼らは帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化が進む現代では、その存在は質量ともに驚くべき次元に到達している(1ページ)

(引用終わり)

 

エコノミック・ヒットマンとは、発展途上国に入り込み、そこで経済近代化計画を売り込みながら、実際には途上国から利益を搾り取るための存在で、経済アナリストやコンサルタントをしています。ヒットマンですが、彼らは実際の武器を振り回すわけではありません。彼らが使うのは経済統計や経済モデル、プレゼンの資料などです。

 

彼らはアメリカの大企業に雇われ、でっち上げの経済近代化計画を発展途上国に持掛け、それを導入させ、結果として、アメリカの大企業に大きな利権をもたらします。その国の人々が豊かになることには関心がありません(表向きは「皆さんのお為ですよ」と笑顔を振りまきますが)。

 

 エコノミック・ヒットマンの裏に気付く発展途上国のリーダーがやはり出てくるのですが、こうしたリーダーたちは、謎の死を遂げたり、政治的に失脚したりします。これを行うのが「ジャッカル」と呼ばれる人たちで、CIAの特殊工作員です。そして、このジャッカルでも手におえない場合は、アメリカ軍がその国を攻撃するということになります。パナマのマニュエル・ノリエガ将軍がその具体例です。

 

 著者のパーキンスはひょんなことからエコノミック・ヒットマンの道に入り、大成功を収めますが、自分のやっていることに疑問が生じ、30代には引退することになりますが、その後もコンサルタントや顧問という形でエコノミック・ヒットマンの世界に関わることになりました。

 

 彼の物語を荒唐無稽の話と切り捨てることも可能です。しかし、南米で1970年代に生まれた「従属理論(Dependency Theory)」や、イマニュエル・ウォーラスティンの「世界システム論(World Systems Theory)」は、こうした現実を説明するための理論です。「発展途上国はどうして発展途上国のままなのか、資源もあって、国民も決して怠惰という訳ではないのに」という疑問に対して、「それは先進諸国が発展党上告をそのままにして利権を貪りたいからだ」ということが答えになります。また、こうした発展途上国には、国内に先進諸国の利権に奉仕する人々が出てきます。こうした人々は「買弁(comprador)」と呼ばれます。こうしたことは、2012年5月に私が出しました『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所)でも詳しく説明しています。

 

 『エコノミック・ヒットマン』では、世界覇権国・世界帝国のアメリカと発展途上国の関係について上記の諸理論でも説明される事象の実際面が詳しく描かれています。それでは、アメリカと日本の関係はどうでしょうか。大きく言えば、「日本はアメリカの属国(client state)である」という点では、この本に出てくるパナマ、エクアドル、インドネシアなどと構造は変わりません。

 

 「日米関係だけは別だ。世界で最も緊密で平等な同盟関係だ」と考え、沖縄やアメリカ国債の問題などが見えない方々には、この本の話は荒唐無稽なおとぎ話ということになるでしょう。

 

(終わり)






 
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