古村治彦です。
「私たちは冷戦に勝利した、歴史の終わりだ」と浮かれたアメリカは現在、覇権国の地位の喪失を目前に控えて苦しんでいる。1990年代の多幸感(euphoria)は、2001年の911同時多発テロで打ち砕かれ、幸せは長くは続かなかった。21世紀のアメリカは、対テロ戦争の名目で、イラクとアフガニスタンに侵攻したが結果として泥沼に足を取られ、撤退を余儀なくなされた。中国をはじめとするグローバルサウスの台頭に直面し、世界構造の大転換を目前にして、高インフレと経済力の低下に苦しんでいる。「世界唯一の超大国(world’s sole superpower)」と威張っていられたのは短期間だった。
「勝利が必ずしも素晴らしい未来を保証するものではない」アメリカは第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦に勝利し超大国(世界覇権国)となった。しかし、勝利は同時に失敗や敗北の種をまくことにもなった。第一次世界大戦では連合国の復讐感情を抑えることができず、ドイツに懲罰的な講和条件を飲ませて、結果としてドイツは再び戦争を始めることになった。第二次世界大戦では日独伊の枢軸国を打ち倒すことはできたが、ソ連の東ヨーロッパ支配を許し、中国共産党の国共内戦の勝利と中国本土の支配を許す結果となった。冷戦の場合には、アメリカの傲慢さ(アメリカの理想を世界に押し付ける)によって、世界各国、特にグローバルサウス諸国の反感を買うことになった。
勝利の後に「傲慢さ(hubris)」が出てくるのは人類の共通した特徴である。それを抑えることは難しい。「勝った、勝った」の大合唱はどの時代でも聞こえた。しかし、その後に、大きく言えば敗北してきた、それが歴史の教訓である。ローマ帝国であろうが、モンゴル帝国であろうが、スペイン帝国であろうが、大英帝国であろうが、アメリカ帝国であろうが、この教訓から逃れることはできなかった。中国が次の世界覇権国になるだろうが、「傲慢さ」をコントロールできなければ、歴史上の他の帝国と同じ結末を迎えることになるだろう。この帝国の循環こそは歴史の教訓、法則であり、人類の歴史を動かしてきた力と言うこともできるだろう。
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国際政治において何を望むかについては注意深くあるべきだ(In
International Politics, Be Careful What You Wish for)
-ドイツ統一は、政治的に大きな問題を引き起こし始めている西側にとっての最新の勝利ということになる。
スティーヴン・M・ウォルト著
2024年9月4日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2024/09/04/germany-east-reunification-afd-elections-saxony-thuringia/
1988年に撮影され2019年11月9日に公開された写真。西ベルリンから東ベルリン、ベルリンの壁、ブランデンブルク門に向かって撮影された眺望
最近のドイツの各州選挙では、極右政党「ドイツのための選択肢(Alternative
for Germany、AfD)」がテューリンゲン州で最高の得票率を獲得し、ザクセン州では僅差の2位だった。新たに結成されたサーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(Sahra
Wagenknecht Alliance)はザクセン州で3位となり、その結果誕生する政権で中心的な役割を果たす姿勢を見せている。この結果から得られる教訓はたくさんあるが、ここでは1つだけ述べる。それは、「何を望むかについては注意深くあるべきだ(Be careful what you wish for)」ということである。極右の人気は、ある時点では圧倒的な勝利に見えても、その先には大きなトラブルの種をまくことになるということを、明確に思い起すことができる。
ドイツを例に取って考えてみよう。冷戦後に実現した平和的統一(peaceful reunification)は、西ドイツの社会民主主義モデルの正当性(vindication of the West German social democratic model)を証明するものであり、西ドイツ外交の特筆すべき成果であった。また、連邦政府が伝統的な首都ベルリンに戻ったことに象徴されるように、ドイツのナショナリズムにとって強力な勝利であり、ナチスの過去からの回復に成功した証でもあった。
しかし、後になって考えてみると、統一はドイツ国民が当時予想していたよりもさらに困難だったことが明らかになった。30年以上が経過したが、国の東半分と西半分の間の政治的な違いは依然として大きいままだ。ドイツの2つの半分が40年以上にわたり全く異なる政治制度によって統治されてきたことを考えると、これは驚くには値しない。東部の経済状況は西部に比べて遅れ続けており、東側に住む国民は他の地域よりもはるかに独裁的な衝動を示している。ネオナチ運動が東部でより肥沃な土壌を発見したのは偶然ではないが、これらの新たに台頭している政党は現在、統一後の目まぐるしい数カ月の間にほとんどの観察者が想像しなかった形で国全体の政治に影響を与えている。
(余談[side note]:ドイツの統一が予想以上に難しいことを理解していると考えているならば、もし朝鮮半島と韓国が再結合しようとしたらどうなるか、想像してみて欲しい)
それでは、ハンガリーの政治的軌跡について考えてみよう。1990年代当時、チェコ共和国、ハンガリー、ポーランドをNATO、ひいてはEUに加盟させることは、リベラルな理想の勝利であり、これらの新米の民主政治体制国家が後退しないようにする方法だと考えられていた。ロシアはこれに満足していなかったが、私のような拡大懐疑論者(enlargement skeptics)でさえ、プロセスがそこで終わっていれば、モスクワは拡大の第一波を受け入れただろうと信じている。しかし、ハンガリー(そしてそれよりも低いレヴェルでポーランド)は、リベラルの永久的勝利となる代わりに、いわゆる非リベラルな民主政体の申し子(poster child)となった。民主政治体制の形式(選挙など)は維持するが、実質(法の支配[rule of law]、寛容[tolerance]、自由で公正な政治競争[free and fair political competition]など)は維持しない統治モデルである。ハンガリーはNATOやEUを強くするどころか、両機関に執拗な棘を刺し、ドナルド・トランプのような独裁者になりそうな人たちにインスピレーションを与えている。1998年にNATOの拡大に賛成したとき、何人の米連邦上院議員がこのような結果を予想していただろうか?
イスラエルを例にして考えてみよう。数週間前に論じたように、1967年の六日間戦争(第三次中東戦争)におけるイスラエルの圧勝は、多くのイスラエル国民にとって奇跡的とも思える、紛れもない軍事的勝利だった。しかし、その勝利は、今やイスラエルの長期的な未来を脅かす危険の種をまいたとも言える。イスラエルの指導者たちが、この戦争で征服した土地を占領し、植民地化すると決めた時点で、イスラエルはもはやユダヤ人国家であると同時に真の民主政体国家でもあり得なくなった。数百万人のパレスチナ人を支配するアパルトヘイト(apartheid、人種隔離)制度を、そのような制度が必要とするあらゆる残虐性をもって構築するか、あるいは彼らに政治的権利を認めるかしなければならなかった。昨年の事例が示すように、このディレンマは時間の経過とともに悪化し続けている。
当然のことであるが、この現象は大きな戦争の後に繰り返されるテーマである。第一次世界大戦におけるドイツの敗北は、勝利した連合国にとって素晴らしい瞬間であったが、ヴェルサイユで結ばれた和平協定によって、再戦は避けられないまでも、その可能性は非常に高くなった。第二次世界大戦で枢軸国(the Axis)を阻止し、ドイツとイタリアのファシズムと日本の軍国主義を打倒したことは紛れもない功績だったが、この勝利はソ連が東ヨーロッパに共産主義を押し付けることを許し、中国で毛沢東が権力を握るのを助けた。そして、これらの出来事が40年にもわたる冷戦を生み出した。
冷戦が終結したとき、西側諸国民、とりわけアメリカ人は、共産主義の崩壊をあからさまな歓喜をもって迎え、その勝利が西側の核となる価値観の普遍的な魅力を示したと思い込み、ワシントンが現代世界で成功するための魔法の方程式を持っているという思い上がった信念にすぐに屈した。その結果、アメリカのイメージで世界を作り直そうとする誤った努力が、その欠点が明らかになった後も長く続いた。アフガニスタンでアフガニスタンのムジャヒディンがソ連を弱体化させるのを助けたことが、アルカイダの出現を促し、その後の911同時多発テロが最終的にアメリカをソヴィエト連邦を崩壊させたのと同じ泥沼にはめることになると、どれだけのアメリカ人が予見しただろうか。イラクにおける「任務完了(mission accomplished)」の瞬間や、リビアにおけるムアンマル・アル=カダフィの失脚についても同じことが言えるかもしれない。
勝利が時に失望への序曲(prelude to disappointment)になるとすると、敗北や挫折は、将来の指導者たちがそこから正しい教訓を学べば、明るい未来を告げることができるということになる。ドイツと日本のエリートたちは、第二次世界大戦の惨事から多くの正しい教訓を学び、その後の50年間、政治と外交政策へのまったく異なるアプローチから大きな恩恵を受けた。ヴェトナム戦争での敗北は、アメリカの指導者たちに「国家建設(nation-building)」という危険な誘惑(siren song)を避けることを教えた。悲しいことに、この教訓はジョージ・W・ブッシュと彼のネオコンサヴァティヴィズムを信奉するアドヴァイザーたちが権力を握る頃には忘れられていた。これらの事例やその他の事例は、国家が(そして人々が)時として成功からよりも失敗から有益な教訓を学ぶことを思い出させてくれる。しかし、必ずしもいつもそうという訳ではない。
なぜ偉大な勝利(great victories)は灰になるのだろうか? 古代ギリシャ人たちは傲慢(hubris)について警告した。それは、神々を怒らせ、英雄を悲劇的な結末(fatal
flaw)に導く過度のプライドの致命的な欠陥である。それは確かに問題の一部に過ぎない。大きな勝利を収めた人は、自分自身を過大評価し、幸運(または対戦相手の誤り)が成功に果たした役割を無視する傾向がある。偉大な勝利はまた、非常に破壊的なものでもある。偉大な勝利は、各種の社会的勢力を動かし、予期せぬ結果が蔓延し、勝者の未来がどう展開するかを予測したり、自分たちに有利になるように操作したりする能力を混乱させる。
この教訓は、各国が野心的な外交政策の目標を放棄すべきだ、大きな夢を見てはならない、あるいは事態が好転する稀で素晴らしい瞬間を祝うのを控えるべきだということを教えているのではない。後者を期待することは、人間の本性について私たちが知っていることの多くを否定することになる。また、人は挫折からより多くのことを学ぶことがあるため、成功よりも失敗のほうが好ましいと主張しているのでもない。本当の教訓は、たとえ特異な成果や幸運の兆しであっても、歴史が私たちの味方であり、幸せな未来が保証されているという証拠として解釈しないということだ。
優れた投資会社ならどの会社でも言うように、実績は将来のリターンを保証するものではない。国際問題においては、成功はしばしば将来のトラブルの前触れである。従って、勝利は束の間味わうべきであり、その後は避けられない厄介な結果に対処することに注意を向けなければならない。
※スティーヴン・M・ウォルト:『』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・ベルファー記念国際関係論教授。Xアカウント:@stephenwalt
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