古村治彦です。
今回も海外メディアで紹介された安倍晋三元首相に関する記事をご紹介する。2つの記事は「安倍晋三元首相の業績を評価する」内容である。簡単に言えば、アベノミクスで日本経済を回復させた、日本を「普通の美しい国にする(アメリカの下で戦争ができる国にする)」という目標をある程度達成した、インド太平洋地域の安全保障の枠組みを作るために、インドを引き込むことに成功した、中国との関係は冷え込んだ(対立が激化した)、憲法改正に向かって精力的に動いていた、日本憲政史上最長の在任記録を達成した、自民党最大派閥の領袖としてキングメイカーとして力をふるうところだったなど、である。
ロシアとの関係(北方領土問題の解決を目指すもうまくいかず)、北朝鮮との関係(北朝鮮のミサイル開発は進み、日本人拉致問題は解決せず)のような「負の遺産」については書かれていない。これらの記事は言ってみれば「礼賛記事」である。
分析として興味深いのは、安倍元首相が頑固な「ナショナリスト」から「国際主義者(internationalist)」へと臆面もなく進化したことと書かれている点だ。ナショナリストというのはアメリカからすると嫌われる。ナショナリズムを突き詰めていくと反米に貼ってしまうからだ。安倍晋三元首相を中心とする「歴史修正主義(revisionism)」や「核武装論」はアメリカにとって受け入れられるものではない。そうしたところをバランスを取りながら、アメリカに利用されてきたのが安倍晋三元首相だったと私は考えている。アメリカにとっては、防衛予算を増やしたり、自衛隊を海外で「使いやすく」したりしてくれるという点では便利な人物であるが、歴史修正主義や核武装に関してはそんなことは許さないというところだっただろう。
安倍元首相の逝去で日本政治はこれから変化していくだろう。それだけの存在感があった。どのように変化していくかを注視していく。
(貼り付けはじめ)
安倍晋三元首相はいかにして日本を変えたか(How Shinzo Abe Changed
Japan)
-暗殺された元首相は複雑な遺産を置いていった。
トバイアス・ハリス筆
2022年7月8日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2022/07/08/shinzo-abe-assassinated-obituary-japan-legacy-abenomics/
安倍晋三元首相は、2007年9月にそのキャリアを終えるはずだった。2007年7月の参議院選挙で自民党を惨敗させ、首相就任からわずか1年で辞任を余儀なくされた安倍首相自身、かつて期待された政治生命が終わったという見方を広く共有していたようだ。
しかし、その5年後には自民党のトップに返り咲き、2012年12月に劇的な首相への返り咲きを果たす。そして2020年9月、7年8カ月という記録的な在任期間の後に首相の座から退いた後、自民党最大派閥のリーダーとして、また世界の中でも有名な政治家として、日本政府の方向性を左右する並外れた力を持つ、キャリアの第3幕が始まった。
こうして日本の権力の頂点に立った安倍首相は7月8日、参議院選挙を控えた自民党候補の応援演説中に、暗殺者が仕掛けたショットガンの2発の爆風に倒れ、その生涯を閉じた。
安倍首相は、政治家として名高いが毀誉褒貶の激しい一族の出身であり、このような高みに上り詰めたのも当然のことだった。しかし、安倍首相は決して権力そのものに興味があったのではない。1990年代に政界入りした彼は、祖父であり元首相の岸信介からの使命を受け継いだ。それは、日本の政治家たちの助けを受けながら、米国が世界舞台で力を発揮するために課した制約、とりわけ戦後憲法と「平和」条項による日本の軍事力制約を取り除くことだった。
1990年代初頭、冷戦の終結とバブルの崩壊により、独りよがりだった政治分野のエスタブリッシュメントたちは力を失い、安倍元首相をはじめとする若い保守派政治家たちが、「戦後レジームからの脱却(break] away from the postwar regime)」の好機ととらえ、第一次政権時にそれを押し出した。
新しい保守主義者たちは、日本の国家を根本から変えようとした。戦後、内閣の中でかろうじて「同輩中の首席(first among equals)」であった首相の権力を強化しようとした。また、政府の危機管理能力を強化するために、本格的な能力を持つ防衛省、首相直属の安全保障会議など、確固とした国家安全保障体制を構築しようとした。官僚や国会議員の権力を制限した。彼らは国益を犠牲にして自分たちの狭い利益を追求しようとしてきたからだ。そして、アメリカや他のパートナー諸国と一緒に戦うことのできる適切な軍隊を日本が持つことを妨げている制約を緩めようとした。
しかし、安倍元首相がこのプログラムに欠けていたもの、すなわち経済力を身につけたのは、2007年の首相退陣後、荒野に身を置いてからである。
2006年の首相就任後、安倍元首相は経済政策の知識と経験が乏しいことを認めた。他の民主政治体制国家の有権者たちと同様に、日本の有権者たちもまず経済問題に関心を持つことを考えると、これは致命的な欠点である。2009年の自民党の大敗後、野党に戻った安倍首相は、日本経済の停滞という問題を真剣に考えるようになった。
日銀が長引くデフレーションにもっと積極的に取り組むことを望む経済評論家たちと力を合わせ、「全く新しい次元(an entirely new dimension)」の金融刺激策、拡大する財政政策、ハイテク分野への生産シフトと日本の労働力減少を遅らせるための産業・労働・規制政策の数々を盛り込んだ、後にアベノミクスとして知られるようになるプログラムを作成した。
批判者たちの中には、安倍首相がアベノミクスを自らの政治的野心を隠すためのイチジクの葉(fig
leaf)として日和見的に利用していると批判する人たちもいるだろうが、事実、アベノミクスは日本の成長課題に取り組むための真剣で、持続的、かつ柔軟な試みであった。しかし、それは安倍首相が成熟した考えを持つようになったことを示すものである。安倍首相は、若手議員の頃は軍事力やアメリカによる日本占領の象徴的な遺産に固執していたが、2回目に首相になると、国力の基盤である経済力を無視できないことを学んだのであろう。より競争力の高い世界で日本の将来を確保するためには、日本経済は新たな成長基盤が必要であった。
アベノミクスのおかげもあり、安倍首相は、最初の首相に続いた短期間の首相の回転ドアを終わらせ、2回目の政権で選挙後に選挙に勝つことができた。アベノミクスは、少なくとも何年にもわたる停滞した賃金を逆転させた。企業の利益、税収、観光客の流れを押し上げ、過去最高を記録した。失業率を下げて過去最低を記録することもできた。
安倍元首相の忍耐力は、国家安全保障会議を設立し、首相官邸に官僚の人事決定を集中させ、日本国憲法を再解釈して日本の自衛隊が集団的自衛隊に従事することを許可するという長年の野心を追求することを可能にした。憲法を改正するために、深刻ではあるが最終的には失敗した入札を開始する。
また、日米関係を強化するだけでなく、インドやオーストラリアといった地域のパートナー(日米豪印戦略対話の基礎を築いた)や東南アジアの主要諸国との関係を深めるなど、野心的な外交政策を追求することができた。また、アメリカが環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Partnership 、TPP)から離脱した後、日本は地域および世界の経済統合を追求する上で指導的な役割を果たすことができた。
安倍元首相の数々の成功は新型コロナウイルス感染拡大によって弱められた。新型コロナウイルス感染拡大によって経済的利益が逆転させられ、日本の国家を強化し中央集権化する改革の限界を明らかにした。2020年8月に個人の健康上の理由で辞任したとき、彼は後継者に青写真を残したが、これまでのところ、国内外で力を行使することは、これを超えていない。
一方、安倍首相は、死ぬまで強力な政治力を発揮し、財政政策や防衛政策をめぐる今後の議論において中心的な役割を果たすことができる政治家としての資質も身につけていた。安倍首相の死は、岸田文雄首相たちが埋めるべき大きな空白を残した。
※トバイアス・ハリス:アメリカ進歩センターのアジア担当上級研究員。著書に『因襲打破主義者:安倍晋三と新しい日本』がある。ツイッターアカウント:@observingjapan
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安倍の遺産は彼を超えて生き続ける(Abe’s Legacy Will Outlive
Him)
-ワシントンは、日本をインド太平洋における真の安全保障上の同盟国にした人物を追悼している。
ジャック・デッチ、エイミー・マキノン筆
2022年7月8日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2022/07/08/shinzo-abe-assassination-japan-indo-pacific-security/
日本の安倍晋三元首相は金曜日、奈良市で自身の政党の選挙運動中に銃撃され、死亡した。戦後の平和主義から脱却し、日本の安全保障体制、特にインド太平洋地域において、日本とその同盟諸国が自己主張を強める中国に立ち向かうために結集する中で、日本で最も長く首相を務めた人物が、東京に不滅の影響を残しているのだ。
安倍首相は4期にわたって政権を担当し、1年生き延びるのがやっとの首相もいるような不安定な政治状況の中で、2度目の政権を約8年間務めた。中国の台頭に対してより厳しい姿勢とより強気の防衛費に向けて、寡黙な日本国民を説得し、日本の軍事力を強化するとともに、クアッド(Quad)として知られる日米豪印戦略対話(Quadrilateral Security
Dialogue)の見直しに向けたレトリックの土台を構築した。
ランド研究所で東アジアの安全保障問題を専門とする政治学者のジェフリー・ホーナングは、「安倍元首相は日本の外交政策と国際舞台での日本の役割を大きく前進させた。彼は、クアッドや自由で開かれたインド太平洋といったものを提唱した人物だ。彼は、崩壊しそうな時に提供される必要があったものに、構造的、概念的なアイデアを提供するのを助けた」。
日本は1990年代の「失われた10年(lost decade)」に埋没し、安倍元首相が登場するまでは、大局的な戦略的思考から遠ざかっていた。しかし、安倍元首相が「アベノミクス」と呼ばれる金融緩和政策と財政出動のカクテルで、かつて強力だった日本経済を超高速で(ワープスピード、warp speed)に戻そうとするにつれ、東京の戦略予測は変化しはじめた。
安倍元首相は、中国をあからさまに刺激することなく、非同盟のニューデリーを対話に誘い込むために、太平洋の安全保障についてインドを含めて拡大することに中心的役割を果たした。2007年、安倍首相は短い任期中に初めてインドを訪問し、インド洋と太平洋の間の「二つの海の合流点(confluence of the two seas)」についての構想を演説し、後にアメリカが採用した「自由で開かれたインド太平洋」の基礎となるヴィジョンを示した。また、2004年のインド洋大津波をきっかけに非公式に発足し、後に地域安全保障フォーラムとして再構築された「クアッド(Quad)」の立役者としても広く知られている。
オバマ政権時代に副大統領として安倍元首相と仕事をしたジョー・バイデン米大統領は、金曜日に声明を発表し、「安倍元首相は日米同盟と日米両国民の友情の擁護者であった。日本の首相として最も長く在職し、自由で開かれたインド太平洋という彼のヴィジョンは、今後も続くだろう」と述べた。
安倍元首相は、戦犯を含む第二次世界大戦の日本軍を祀る神社を参拝して批判を浴びた強固な日本のナショナリスト(nationalist)から、臆面もなく国際主義者(internationalist)へと進化した。アメリカの元政府高官や専門家たちは、安倍元首相の影響は太平洋を越えて波及していると考えている。安倍は、アメリカの権力の回廊でこの地域について語られる方法に、紛れもない影響を及ぼした。2017年、日本の政府関係者は安倍元首相の「自由で開かれたインド太平洋」構想をワシントン周辺で喧伝し、非同盟のインドを惹きつけようとした。このフレーズは、今やバイデン自身のトークポイントの主力となっている。そして米防総省は2018年、この地域の最高軍事司令部の名称を米太平洋軍から米インド太平洋軍に変更したが、これは安倍首相の影響力を証明するものである。
米インド太平洋軍司令官と駐韓アメリカ大使を務めたアメリカ海軍の四つ星提督(退役)ハリー・ハリスは次のように述べた。「国際的に日本が置かれている状況は、安倍元首相に一直線に戻ることができると思う。難しいことはないだろう。安倍元首相は日本と同盟にとって変革のリーダーだった。インド太平洋の両側で多くの人が彼を惜しんでいることだろう」。
戦後、アメリカ軍に占領された日本の憲法は、帝国日本の軍国主義への回帰を防ぐために平和主義を謳い文句にした。しかし、2015年には、自衛のための限定的な武力行使を容認する法案が国会で可決され、戦争の悲惨さを思い知る国民を前に、安倍首相は長年の目標であった戦争放棄の条文を削除することに失敗した。安倍首相は、国家安全保障会議の設置、2013年の日本初の国家安全保障戦略の採択、首相官邸での意思決定の一元化など、日本の安全保障機構を一新する一連の制度改革を推進することに成功した。
安倍元首相は第二次世界大戦の遺産を過去のものにしたいという願望を持っていたが、批判的な人々から、安倍元首相は歴史を修正し、戦時中に日本軍が行った残虐行為を軽視していると頻繁に非難された。そのプラグマティズムにもかかわらず、安倍首相は日本の最も重要な安全保障と貿易のパートナーの1つである韓国との関係をほぼ冷却化し、戦時中の韓国人奴隷労働者の利用をめぐって日本に8万9000ドルの賠償金を支払うよう求めた韓国の最高裁判決をめぐって、2018年に貿易戦争を開始した。
安倍首相が2度目の政権に復帰した2012年、前任の野田佳彦元首相が、中国が釣魚島と呼ぶ東シナ海の尖閣諸島の領有を主張し、激しく争う国有化を決めたことで、日本の中国との関係はどん底に陥っていた。安倍首相の在任期間中、関係は冷え込んだままだった。当時のバラク・オバマ大統領は、尖閣諸島での戦闘を含めて、アメリカの日本に対する安全保障上の関与を再確認した。
ブルッキングス研究所東アジア政策研究センター長のミレア・ソリスは、「アメリカがこの地域に完全に留まっていることを確認することが中心だった。安倍元首相は、中国が覇権を握るアジアでは日本は生きていけないと強く感じていた」と述べている。
それは、自由で開かれたインド太平洋を維持しようとする彼の努力と、インド、アメリカ、オーストラリアとのクアッドへの関与を裏打ちするものであった。多くの同盟国との関係を緊張させたトランプ政権の間、安倍首相はニューヨークへ飛び、就任前にトランプと会談するなど、魅力攻勢(charm offensive)を仕掛けた。
安倍首相は、アメリカの政策立案者の頭の中にあった太平洋とインド洋の結合、地域の同盟関係の拡大について努力し、国内では平和主義者の日本が、インドは形式的に軍事的に非同盟のままでインドを仲間に引き入れるという利益を得た。
ランド研究所の専門家であるホーナングは、「中国に反発していると口先だけで言うのではなく、実際に中国に反撃することができる。自由と透明性の原則を守るだけで良い。日本政府は決して言わないだろうが、中国の影響力を抑制し、中国に一度も言及することなく中国のやっていること全てに反撃しようとする戦略であり、実に巧妙であった」。
2020年の驚きの退陣後も、安倍首相は台湾を擁護する発言をし、2020年12月には中国が台湾に侵攻すれば「経済的自殺行為(economic suicide)」と警告するなど、日本政界で力を発揮していた。2022年4月の『ロサンゼルス・タイムズ』紙への寄稿では、台湾とウクライナの類似点を強調し、アメリカの戦略的曖昧さの立場が成り立たなくなったと主張した。安倍元首相は「今こそアメリカは、中国の侵略計画から台湾を守ることを明確にしなければならない」と書いている。
そして、安倍元首相は殺害される前、日本政治のキングメイカーとなるべくしてなった。専門家や政府高官たちは、安倍首相の影響力はまだ残っていると考えている。この10年余りの間に、日本はGDPの2%を防衛費として使うようになった。何十年もの間、その半分を使うのがやっとだった日本にとって、これは急な変化である。また、日本は軍事的により攻撃的な方向へと舵を切り続けている。安倍首相の後継者である岸田文雄首相は、敵対勢力に対する先制攻撃という、ほんの数年前までは考えられなかったことを言い出している。
ホーナングは次のように述べた。「安倍首相は、中国を問題視して危険信号(赤旗、red
flag)を掲げた最初の人物だ。防衛の問題だけではない。経済的な問題でもある。外交問題でもある。政府全体の問題なのだ。そういう意味で、安倍首相は実にユニークで、自衛隊のこれからのあり方を示してくれた」。
※ジャック・デッチ:『フォーリン・ポリシー』誌国防総省・国家安全保障担当記者。ツイッターアカウント: @JackDetsch
※エイミー・マキノン:国家安全保障・情報分野担当記者。ツイッターアカウント:@ak_mack
(貼り付け終わり)
(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。
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