古村治彦です。
第二次世界大戦でアメリカは、現在の国連安全保障理事会常任理事国(米英仏中露)で連合国(Allied Powers)を形成し勝利を収めた。その後の冷戦(the Cold War)もソ連を倒して勝利を収めた。しかし、個別的な戦争では良い結果を収めていない。朝鮮戦争は引き分け、ヴェトナム戦争は敗北(撤退)、湾岸戦争は多国籍軍を率いて勝利を収めたが、アフガニスタン戦争やイラク戦争は泥沼の果てに撤退、現在のイラン戦争はイランの反撃(ホルムズ海峡封鎖やドローン攻撃)によって不利な状況に置かれている。アメリカ軍は世界最強であることは誰もが認めているところだ。そのアメリカ軍が戦闘(battle)では勝利を収めることができるが、アメリカとして戦争(war)で勝利を収めることができなのはどうしてか?
アメリカの国益と戦争の目的がうまく合致していなかった場合に戦争に負けている。簡単に言えば、そこまで必死にならない、必死になれない戦争の場合には勝利を収めることができない。相手は必死だ。そして、各戦闘で負けても、戦争を引き延ばし、アメリカ側に多大の犠牲を強いることで、アメリカ国内に厭戦ムードを生み出し、アメリカが撤退に追い込まれるように仕向けるということになる。アメリカの国益という言葉は非常に曖昧で、使う人の考えが大きく反映される。国益ということを考えると、国家の安全と存続が最低限の内容になると考えられるが、アメリカは地理的に非常に恵まれている。敵対している国家と隣接しておらず、また、大西洋と太平洋に囲まれているのも大きい。国家の安全と存続を守りやすい。
しかし、超大国ということで、世界の平和にも責任があるという主張が出てくると、途端に事態が難しくなる。また、世界を平和に保つために、民主政治体制を拡散することを使命と考える一部エリートたちのために、積極的な海外介入が行われることで、かえって恨みや反感を買うということも起き、それが安全を脅かすということにもなっている。
問題は、失敗する戦争が繰り返されることだ。どうして、戦闘で勝てても、戦争に勝てないのかということをアメリカのエリートたちが真剣に反省することが何よりも重要だ。
(貼り付けはじめ)
なぜアメリカは戦争に負け続けるのか(Why the United States
Keeps Losing Wars)
-ワシントンは誤った目的のために誤った戦争を戦ってきた長い歴史がある。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2026年8月5日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/08/05/iran-trump-lost-wars-us-military-history-strategy-geopolitics/
ジョージ・W・ブッシュ米大統領が空母エイブラハム・リンカーン艦上でイラクにおける主要な戦闘作戦の終了を宣言した(2003年5月1日)
この記事を読んでいるあなたがアメリカ人であれば、戦争に負け続けることにうんざりしているかもしれない。私自身もそうだ。「なぜこんなことが繰り返されるのか?」と自問することもあるだろう。これは興味深くも、同時に落胆させられる謎だ。アメリカは何十年にもわたって世界最強の国であり続け、その軍事予算や純粋な軍事力は他国の追随を許さないものだが、近年の戦績は敗北続きだからだ。これには、ドナルド・トランプ政権が掲げた目標を何一つ達成できていないばかりか、イランを戦略的により有利な立場に立たせて終わる可能性が高い、現在のイランとの戦争も含まれる。
敗北した戦争のリストを見てみよう。朝鮮戦争は引き分けでした(これについては後述する)。ヴェトナム戦争は明白な敗北であり、2003年のイラク戦争やアフガニスタンでの「終わりのない戦争(forever war)」も同様だ。1999年のコソヴォ紛争も、決して勝利とは言えない。セルビアは、戦闘開始前に提示された条件よりも有利な条件で終戦を迎えたからだ。1983年の小さな島国グレナダへの侵攻(圧倒的な戦力差があり、戦争と呼ぶのもはばかられるような事案だ)を含めない限り、この数十年間でアメリカが収めた唯一の明白な勝利は、1991年の湾岸戦争だけだ。もちろん、アメリカと同盟諸国が冷戦に「勝利(win)」したことは承知している。しかし、それは例外と言えるでしょう。なぜなら、冷戦はソビエト連邦との直接的な武力衝突を伴わない「戦争(war)」だったからだ。
なぜアメリカはこれほどうまくいかないのか? 資金不足が原因でないことは明らかだ。アメリカの国防予算は巨額であり、連邦議会も求められればいつでも追加予算を承認してきたからだ。火力不足でもない。アメリカは、自国の領土から遠く離れた場所であっても、標的を破壊することにかけては依然として驚異的な能力を発揮するからだ。ドナルド・トランプ大統領とピート・ヘグセス国防長官が、イランとの愚かな戦争で高性能ミサイルの備蓄を浪費してしまったため、その能力は現在いくぶん低下しているかもしれない。しかし、勝利を収められない理由を説明する要因としては不十分だ。アメリカ軍の勇気が足りない訳でもない。アメリカ軍は、しばしば英雄的な行動をもって、自らを危険に晒すことを厭わない姿勢を持ち続けている。そして、あの「負ける」戦争担当長官(secretary of (losing a) war)がどう考えていようとも、アメリカ軍に十分なテストステロンが欠けているからなどでは決してない。
実際のところ、アメリカが戦争に負け続けている真の理由は、戦略的かつ構造的なところにある。アメリカはこれまで、自国のささやかな国益と、外国の社会をアメリカ流に作り変えるといった極めて野心的な目標とを組み合わせた「選択の戦争(war of choice)」を遂行してきた。その結果、敵対勢力はワシントンよりもはるかに強い決意で臨むことになる。彼らにとっては、自らの存続や、少なくとも独立と自律(independence and autonomy)の維持がかかっているからだ。一方、アメリカの場合は、望ましい目標ではあるものの、究極的には「死活的に重要」とまでは言えない目的のために戦っていることがほとんどだ。こうした状況下では、アメリカ以上に敵対勢力の方が、進んで犠牲を払う覚悟を持つのは当然のことと言える。非対称な紛争(asymmetric conflicts)の多くあるいは全てに見られるように、弱者が勝利するのは、戦場での決定的な勝利によってではなく、負けずに、強大国が泥沼(a quagmire)の状況に兵士や資金を投入し続けることの無意味さに気づくのを待つことによってだ。
この単純な構図は、近年の戦争の全てについて多くのことを物語っている。朝鮮半島において、アメリカは重要な国益を守ろうとしていた。もし共産主義勢力が朝鮮半島で完全な勝利を収めれば、アジアにおける冷戦の情勢に重大な影響が及ぶ恐れがあったからだ。しかし中国は、アメリカによる朝鮮半島統一の動きを自国の存亡に関わる脅威と見なし、その事態を阻止するために、最終的に少なくとも20万人の兵士(実際にはそれ以上だった可能性が高い)を犠牲にした。3年に及ぶ激しい戦闘の末、結果は実質的に引き分けに終わった。
ヴェトナムにおいてアメリカが直面したのは、ヴェトナム共産主義運動の激しいナショナリズムだった。それは、かつてフランスの植民地支配を打ち破り、決して根絶やしにできないことが証明されていた勢力だ。アメリカの指導者たちは、共産主義の勝利を阻止することが死活的に重要であると国民に説得することに、一時は成功した(主に「ドミノ倒し(falling dominos)」や「失われた信用(lost credibility)」といった誇張された恐怖を煽った)。しかし最終的には、終わりの見えない戦争に対して国民の反発が高まり、アメリカ軍の撤退を余儀なくさせ、ハノイの最終的な勝利への道を開くことになった。
イラクやアフガニスタンでの悲惨な結末も、同様の経緯をたどったものだった。サダム・フセインは絶えず問題を起こす人物だったが、2003年の時点ではすでに封じ込められており、兵器開発計画も雲散霧消し、911テロ攻撃への関与も皆無だった。したがって、中東地域を親米民主政治体制国家の海に変えようと夢見ていたアメリカのネオコンたちが何と言おうと、フセインを打倒することはアメリカの死活的な国益にはかなっていなかった。サダム・フセインの排除は容易だったが(これは彼が実際には大した脅威ではなかったことを明らかにした)、占領軍はすぐに強力な反乱勢力(a powerful insurgency)に直面することになった。この勢力は外国による支配に反対し、イランやシリアの支援を受けていた。両国とも、ワシントンの次の標的になることだけは避けたかったからだ。こうして、野心的に開始された選択の戦争は、多大な犠牲を伴う大失敗に終わった。似た話は他にもあったのではないか?
アフガニスタンにおいても、無知、理想主義、そして戦略的重要性の低さが相まって、アメリカの戦争努力は最終的に破綻した。ワシントンがオサマ・ビン・ラディンとその庇護者であるタリバンを追撃したことには正当な理由があったが、アフガニスタンを西側式の民主政体国家に変えようと居座り続けたことが、「帝国の墓場(graveyard of empires)」という悪名にふさわしい社会からの激しい抵抗を招いた。結局のところ、反乱勢力にとっては「アメリカを追い出すこと」の方が、アメリカ側にとっての「反乱勢力を打ち負かすこと」(そもそもそれが可能だったとしても)よりも重要だった。そして最終的に、トランプ大統領(当時)とそれに続くジョー・バイデン大統領が、長らく無意味なものとなっていた紛争に終止符を打った。
ワシントンの芳しくない実績の中で、1991年の湾岸戦争は明白な例外と言える。厳密に言えば、この戦争も「選択の戦争(war of choice)」だった。アメリカ自身の安全保障に対する差し迫った脅威に直面することなく、イラクによるクウェート占有を容認することも可能だったからだ。しかし、イラクがクウェートとその石油収入を支配し続ければ、湾岸地域の勢力均衡(the balance of power)が懸念すべき形で変化する恐れがあった。また、ジョージ・H・W・ブッシュ政権は、こうした無抵抗のまま行われる侵略を成功させてしまえば、危険な前例を作りかねないと懸念していた。しかし極めて重要なのは、このケースではアメリカの目標がアメリカの国益と完全に合致していたという点だ。アメリカと同盟諸国はイラクをクウェートから排除し、イラクの軍事力を壊滅させ、さらに国連による徹底的な査察を課して兵器開発計画を解体させた。しかし、ブッシュは賢明にも「バグダッドへ進軍(go to Baghdad)」して政権を打倒する道を選ばなかった。そうすることは国連安全保障理事会による承認の範囲を超えるものであり、また、分断され反感を抱く社会を占領・統治することをアメリカに強いることになったからだ。アメリカの目的は国益と合致しており、ブッシュが戦争を迅速に終結させたことから、この戦争は極めて大きな成功を収めたものと正当に評価されている。
しかし、超大国が自国の利益と目標を整合させることは容易ではない。アメリカは圧倒的な力を持ち、客観的に見ても安全が保障されているため、国家の存亡に関わるような極めて重大な利益が脅かされる事態や、第二次世界大戦時にアメリカ国民が払ったような多大な犠牲を正当化できる事態は、そう多くは生じないからだ。同時に、アメリカの力と技術的優位性は、あらゆる場所への介入を容易にし、政策立案者たちに「紛争には容易に勝利できる」と思い込ませる要因にもなっている。まとめると、問題はアメリカが戦争に弱いということではない。問題は、アメリカが往々にして「間違った目的のために間違った戦争(fighting the wrong wars for the wrong objectives)」を行っていることにある。そうした行動は、アメリカの判断に対する同盟諸国の信頼を損ない、中国のような真のライヴァルとの競争をより困難にしている。
「終わりのない戦争」への反対を掲げ、自らを「平和の候補者(peace
candidate)」と称した大統領の下でさえ、なぜこうした事態が繰り返されるのか? 理由は数多くがあるが、その1つとして、アメリカの外交政策エリート層が、自らの責任を認めたり過去の過ちから学んだりすることに依然として躊躇していることが挙げられる。この問題を如実に物語っているのが、ロバート・ケーガンが『レスポンシブル・ステイトクラフト』誌のインタヴューで語った内容だ。ケーガンは、トランプがイランとの戦争に踏み切ろうとした動きを公然と批判した点では評価されるべきだが、一貫してアメリカの外交政策における強硬姿勢を支持しており、2003年のイラク戦争を公に強く主張した人物の一人でもあった。イラク戦争が過ちだったかどうかを問われた際、彼は次のように答えた。「それが過ちだったと認めることに、どんな意味があるのか分からない。死者が生き返ることもないのだから」。さらに彼は、自身の最大の心残りは、あの戦争によって、彼が好むような「介入主義的な外交政策(interventionist foreign policy)」に対する国民の支持が低下してしまったことだと付け加えた。
外交政策に関わる人々の間で、現時点ではMAGA支持層の多くを含め)、過ちを認め責任を取ることへの消極的な姿勢が蔓延している限り、アメリカ人は失望を味わうことに慣れざるを得ないだろう。
訂正(2026年8月10日):本記事の以前のヴァージョンには写真のキャプションに不正確な日時が含まれていた。写真は2023年ではなく、2003年に撮影された。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ウォルトは現代世界を読み解くために不可欠な主要概念を解説する5つのパートを持つニューズレター・マスタークラス『新しい地政学(The New Geopolitics)』の著者。Blueskyアカウント:@stephenwalt.bsky.social、Xアカウント:@stephenwalt
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『世界は「宗教戦争」に突入した 「神に選ばれた」支配者の使命と論理』

シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』














