古村治彦です。
ウクライナ戦争とイラン戦争、近年の大型戦争が示しているのは、防衛側が有利であるということだ。アメリカとロシアという国連安全保障理事会常任理事国にして核兵器保有国、軍事力で見れば世界有数の強国がウクライナとイランを攻撃し、短時間で屈服させることはできなかった。ウクライナもイランも多大な犠牲を払いながらも攻撃をはねのけ、戦力としては劣勢でありながらも、相手の急所を大型ではないが効果的な武器で攻撃し、強大なロシアとアメリカに影響を与えている。また、経済面でも世界的な波及効果を及ぼし、停戦に向けた圧力も生み出している。こうして見ると、下記論考でスティーヴン・M・ウォルトが述べているように、「防衛優位(Defense-Dominance)」ということになる。これからは、外国を攻めるだけの武力があり、実際に攻めても、その効果は限定的で、目的を達成することができないということになる。
戦車や戦闘機、大型空母を持ち、海外遠征能力を持ち、大規模攻撃を行っても、第一波攻撃で相手を屈服させることができず、相手から反撃を受けるともう駄目ということになる。トランプ大統領はヴェネズエラ攻撃を行い、ニコラス・マドゥロ大統領夫妻を逮捕したが、あれは特殊部隊による急襲であり、何よりもヴェネズエラ政府内部に協力者、スパイを配置するなど用意周到な作戦を練り、成功させたのだろう。これからは大規模な作戦ではなく、ターゲットを絞った攻撃の方が有効ではないかと思う。バラク・オバマ政権時代にオサマ・ビン・ラディンを捕捉し、殺害した出来事を思い出す。あの時もドローンが活躍した。
日本は第二次世界大戦で悲惨な敗北を経験し、専守防衛を国是(national
credo)として戦後世界に復帰した。その国是が崩れつつある。国民の思考力や判断力の低下傾向が続く中で、極右勢力が政権を握るまでになった。そして、軍事力増強が続く。仮想敵国となるのは中国や韓国、北朝鮮、ロシアということになる。大枠で言えば、日本国憲法には第九条で戦争放棄の規定があり、それがまだ効力を持っている。この改定を目指す高市早苗首相や小泉進次郎防衛相をはじめとする、統一経協会に汚染された自民党極右勢力がその試みに成功すれば、日本は戦争ができる国になる。しかし、これまで述べてきたように、戦争を引き起こすことは何の利益にもならない。日本が攻められるという主張もあるが、日本は武力侵攻をするほどの価値もない国家である。武力以外の要素で締上げれば済む国であり、何より、高市早苗という人物を首相にして、選挙に勝たせてしまうほどに思考力と判断力が欠如した国民の住む国である。勝手に自爆して滅んでしまう。怖いのは自爆する際に、破れかぶれで周りを巻き込むことだけだ。そこさえ気を付けて対処していれば済む。日本は本来の国是である、戦争放棄と国際協調に戻るべきである。しかし、もうすでにそれが不可能なところにいるのかもしれないと悲観的になってしまうところもある。
(貼り付けはじめ)
防衛優位の新たな世界へようこそ(Welcome to the New
Defense-Dominant World)
-軍事力の有効性が低下する中である古い国際関係論が再評価されている。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2026年9月1日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/09/01/defense-dominant-theory-international-relations-military-power-ukraine-iran-war/
プラハで行われたIIHF男子アイスホッケー世界選手権の準々決勝アメリカ対チェコ共和国戦で反応する米代表のゴールキーパーのチャーリー・リンドグレン(2024年5月23日)
ロシアによる無謀なウクライナ侵攻や、それと同様に愚かなアメリカとイランの対立は、私たちが「防衛優位(defense dominance)」の新しい世界、すなわち、大国や強国であっても領土を征服したり、はるかに弱小な国家から大きな譲歩を引き出したりすることが困難な世界に突入したことを示唆している。国連のアントニオ・グテーレス事務総長も同様の認識を抱いているようで、『フィナンシャル・タイムズ』紙に対し、「近年の出来事を見れば、超大国が様々な状況下で自らの意志や力、武力を行使して相手を従わせる能力は、著しく制限されている」と語っている。
その直接的な要因を特定するのは難しくない。高度なドローンや精密誘導ミサイルの開発に加え、監視・標的捕捉能力が向上したことで、大規模な部隊が遮蔽物のない開けた場所で活動することが困難になったからであり、そうした場所では、隠れた防衛側から標的にされやすいためだ(the development of sophisticated drones and accurate missiles, as
well as improved surveillance and targeting capabilities that have made it
harder for large units to operate in the open where they can be targeted by
hidden defenders)。同様に、巨額の費用を投じた戦力投射能力[power projection
capabilities](空母やステルス機など)も防衛側の攻撃に対して脆弱になりつつあり、安価で隠蔽が容易なドローンや弾道ミサイルを排除するのに苦慮している。断固たる意志を持つ敵の手に渡れば、こうした新たな能力によって、比較的弱小な相手であっても自国領土を強力に防衛したり、遠距離から相手に打撃を与えたりすることが容易になる。その結果、客観的に見てより強大な国が相手を降伏させることは、いっそう困難になるのである。
こうした状況は、敵に対してほぼ無傷で行動し、「共有地を支配すること(command
of commons)」で敵への戦力投射を可能にする優位性を享受することに慣れきったアメリカにとって、特に厄介な問題となり得る。確かに、こうした優位性があったからといって、北ヴェトナムやタリバンといった、断固たる意志を持つ現地の敵を打ち負かせた訳ではない。しかし、サダム・フセイン、ニコラス・マドゥロ、ムアマル・カダフィといった脆弱な独裁者を打倒したり、1983年のグレナダ侵攻や1991年のパナマ侵攻のような圧倒的な戦力差がある紛争に勝利したりすることは可能であった。
しかしながら、重要な問いは、近年の動向が、軍事力の有効性(すなわち、軍事力が成功の裡に活用できる目的)や国際政治のより広範な性質において、根本的な変化をもたらしているのかどうかという点にある。実は、この問いに直接関わる国際関係論の諸理論が存在する。それは議論の余地を含みつつも広範に展開されてきたもので、「攻撃防衛バランス(offense-defense balance)」という、単純でありながら捉えどころのない概念に基づいている。
ジョージ・クエスター、ロバート・ジャーヴィス、スティーヴン・ヴァン・エヴェラ、チャールズ・グレイザー、ハイム・カウフマンなどによって展開された「攻撃防衛理論(offense-defense theory)」は、征服の容易さや困難さが、国家の安全保障や国家間の関係性に甚大な影響を及ぼしうると論じている。簡潔に言えば、征服が容易であれば、定義上、全ての国家の安全は脅かされることになる。征服が容易であること、そして規模を拡大することが長期的な生存の可能性を高めるかもしれないという理由から、領土拡大を試みようとする国家が現れるだろう。その結果、帝国を築くことは容易でも、それを維持することは困難になる。また、防衛よりも攻撃の方が容易な状況では、他国が戦争を始めるのを待つことは合理的ではないため、先制戦争と予防戦争(preemptive and preventive wars)が頻発するようになる。さらに、他国を信頼したり、軍備を制限したり、あるいは何らかの譲歩を行ったりすることが、ライヴァル国につけ込まれる不利な状況を招きかねないと懸念されるため、軍拡競争(arms races)は激化し、相互不信も深まるだろう。加えて、攻撃が容易な状況では、多くの国家が攻撃的な軍事態勢や軍事ドクトリンを採用することになり、その結果、危機の安定性(crisis stability)が低下し、相手国に悪意があるという相互認識(mutual
perception)が強化されてしまう。ジャーヴィスが画期的な論文で強調したように、防衛よりも攻撃の方が容易な場合、「安全保障のディレンマ(the security dilemma)」は特に深刻なものとなる。
しかしながら、攻撃よりも防衛の方が容易な状況であれば、これら全ての影響は逆転する。小国であっても、より大きな大国を抑止したり打ち負かしたりすることが容易になり、広大な帝国を築き上げることは困難になる。期待される利益を得ることが難しいため、先制攻撃や予防戦争を行う合理性は低下する。国家間での信頼関係も築きやすくなり、軽率な譲歩や協力的な行動によって他国に対して脆弱な立場に置かれることを過度に心配する必要もなくなる。さらに、防衛が有利であり、かつ攻撃的な軍事態勢と自国領土の防衛のみを目的とした態勢とを区別できるのであれば、現状維持を望む国家は防衛的な軍事力やドクトリンを採用することができる。そうすることで、他国の安全を脅かすことなく、自国の安全を強化することが可能になる。安全保障のディレンマは緩和され、国際協力の維持はより容易になるだろう。
攻撃と防衛のバランスは何によって決まるのか? その提唱者たちによれば、このバランスは、機動力(mobility)、火力(firepower)、奇襲能力(the capacity of surprise)、地理、(geography)外交的効率性(diplomatic efficiency)、政治的結束力(political
cohesion)といった多くの要因の関数として決まる。例えば、山脈、河川、海洋といった地理的障壁は征服を困難にする一方、迅速な移動を可能にする技術は征服を容易にする。国民が結束し、強力な共通のアイデンティティを共有している国家を征服するのは困難だが、国民が分断されており、侵略者が「分割統治(divide-and-rule)」の手法を用いられる国を制圧するのは容易だ。近代ナショナリズムの発展と拡大は、遠隔地に帝国を築いたり維持したりするコストを高め、植民地時代の終焉を早める一因となった。また、攻撃の準備を容易に察知できる場合や、迅速な通信手段によって侵略者に対抗する均衡維持のための連合(a balancing coalition)が容易に形成できる場合も、征服は困難になる。そして、もし防衛が容易であり、かつ多くの指導者がそのことを理解していれば、そこには、恒久的な平和(perpetual peace)とは言えないまでも、より平穏な世界をもたらす条件が整うことになる。
要するに、攻撃防衛理論は、「新たな領土を征服すること」と「自国を防衛すること」のどちらが容易かという単一の概念を、世界政治の多くの側面を規定する「主要変数(a master variable)」として用いている。したがって、この理論が最初に提示された際に大きな注目を集め、私自身の研究を含め、この分野における初期の多くの研究に影響を与えたことは、決して驚くべきことではない。
しかし、野心的なあらゆるアイデアと同様に、攻撃防御理論もいくつかの重要な批判に直面した。懐疑的な論者たちは、この均衡を定義したり測定したりすることは決して単純ではないと主張した。彼らは、ほとんどの兵器は攻撃にも防御にも使用できるため、征服を目的とした戦力と純粋に防御を意図した戦力を区別することは困難であると強調した。さらに、攻撃と防御のバランスが「体系的特性(systemic property)」(すなわち、ほぼあらゆる状況に当てはまる性質)なのか、それとも個別の事例ごとに分析すべきものなのかも不明確だった。例えば、A国を征服するのは困難でも、B国を征服するのは極めて容易であるという状況があり得る。それは、両国の位置、地理的条件、政治的特性などが大きく異なるからだ。もしそうだとすれば、防衛が極めて容易な国家もあれば、極めて脆弱な国家も存在することになり、世界政治全体に関する一般的な結論を導き出すことはより困難になる。最後に、戦争の歴史は、国家が戦争の勃発後に何が起こるかをしばしば誤認することを示唆している。つまり、征服が容易かどうかを判断する唯一の確実な方法は、実際に戦争を始めてみて、その結果を見ることだということになる。
更に言えば、新たな兵器の発明や戦術の洗練に伴い、攻撃や防御の能力は急速に変化し得る。例えば第一次世界大戦後、軍の戦略立案者たちは、将来のヨーロッパにおける戦争もまた泥沼の膠着状態に陥ると想定していた。しかし、ドイツが「電撃戦(blitzkrieg)」を開発したことで、適切な状況下であれば迅速な征服が可能であることが示された。もし攻撃と防衛のバランスが急速かつ予測不能に変化し得るならば、安全保障のディレンマが完全に消滅することはなく、国家が真に安心できる状態も訪れないだろう。核兵器がもたらした「防衛優位」への劇的な転換でさえ、防空・ミサイル防衛システムや敵戦力無力化(counterforce、カウンターフォース)戦略、さらには核戦争を戦い抜いて勝利する方法の模索といった動きによって、すぐにその前提が揺るがされることになった。核の応酬による「受け入れがたい被害」の可能性を排除することはほぼ不可能かもしれないが、だからといって主要な核保有国がその目標の達成を断念する訳ではない。
こうした批判はあるものの、国家は現在、他国の領土を(大部分)征服したり、武力で相手を屈服させたりすることがますます困難になり、かつ許容できるコストでそれを行うのが難しくなるという状況に直面している。より賢明な世界であれば、こうした状況は、野心的な報復主義(revanchism)の縮小や外交への依存度の高まり、そして妥協や相互調整を通じた既存の紛争解決に向けたより真剣な取り組みへとつながるはずである。残念ながら、いくつかの理由から、そのような賢明さが発揮される可能性は低いと言わざるを得ない。
第一に、国家間の競争が終わることはなく、ライヴァル国は決定的な軍事行動を行う能力を回復し得る「魔法の弾丸(magic bullets)」を求め続けるだろう。この状況は、大国だけでなく、より小規模な国家にも当てはまる。例えば、現在の軍事技術の進展は、中国による侵攻の可能性に対抗する強力な手段を台湾にもたらすかもしれないが、北京の軍事戦略家たちが、台湾が開発中のドローン、地対地ミサイル、機雷、その他の兵器を克服する手段を見つけ出そうと躍起になっていることは間違いない。戦争が多大な犠牲を伴い、かつ賢明な選択ではない場合であっても勃発し得るという認識は、一部の国家に核兵器の保有を検討させることにつながるだろう。核兵器は、依然として攻撃を抑止するための最も確実な手段だからである(もちろん、核保有を阻止するための予防戦争を仕掛けられる前に、実際に核兵器を入手できるという前提ではあるが)。
第二に、直接的な軍事攻撃が費用対効果に見合わないとしても、強大国が弱小国を威圧しようとする動きは止まらないだろう。すでに様々な場面で見てきたように、強制の手段は他の領域へと移行していく。すなわち、相互依存関係の武器化(weaponized interdependence)、誰もが貧しくなるような貿易戦争(trade
wars that leave everyone poorer)、封鎖の試み(attempted
blockades)、さらには海域の名称変更(trying to rename bodies of water)といった手段である。こうした戦術はしばしば失敗に終わるものの、だからといって試みられなくなるということはない。
第三に、防衛面での優位性がなく、純粋に軍事的な障害がそれほど大きくない地域も依然として存在する。グリーンランドはその典型例だ。グリーンランドを占領することの戦略的・経済的根拠は微々たるものであり、アメリカにとっての政治的コストも甚大となるだろうが、イランとの戦争が実際にそうであったように、実行に移すのはそれほど困難ではないだろう。そして歴史は、騙されやすい、あるいは虚栄心の強い指導者たちが、敵は脆弱であり、武力行使は迅速かつ低コストで、莫大な利益をもたらすと説得する巧妙な報告者たちに、今後も弱みをつかれ続けるだろうと警告している。悲しいことだが、征服が客観的に困難であり、ほとんどの国家が他国に過度な脅威を与えることなく自国の安全を確保できる世界であっても、主要な指導者たちがそうは信じていない限り、それほど平和な世界にはならないかもしれない。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。彼は、現代世界を理解・展望する上で不可欠な主要概念を解説する5部構成のニューズレター・シリーズ『新しい地政学(The New Geopolitics)』著者。Blueskyアカウント:@stephenwalt.bsky.social Xアカウント:@stephenwalt
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