古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:政治学

 古村治彦です。

 今回はハーヴァード大学教授スティーヴン・M・ウォルトによる大学院進学を考えている方への助言が詰まった内容の論考をご紹介する。特に社会科学系の大学院進学をお考えの方には大変有益な内容になっている。大学院進学を考えていない方にはあまり興味を持てない内容であろうが、是非お読みいただきたい。

 重要なことは、「大学名が有名かどうか」ではなく、「自分に合っているかどうか」ということであり、更には「入学後には興味関心が変化することは往々にしてある」ということである。

 今回はいつもとは毛色の違う話をお読みいただければと思う。

(貼り付けはじめ)

国際関係論(IR)の大学院について知っておくべきことの全て(Everything You Always Wanted to Know About IR Grad School)

-長年教鞭をとる教授から志望者への率直な助言

スティーヴン・M・ウォルト筆

2026年8月25日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2026/08/25/ir-graduate-school-apply-phd-ma/

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北京の清華大学で行われた卒業式での学生たち(2007年7月18日)

あなたは国際関係論を学ぶために大学院へ進学しようと考えているか? もしそうなら、このコラムはあなたのために書かれたものだ。ここでは、(1)この進路をどう検討すべきか、そして、(2)志望校に合格する可能性を最大限に高めるにはどうすればよいか、という点について、私なりの最善の助言をまとめたいと思う。

まず、いくつか注意をしておきたい。これはあくまで私個人の意見であり、教員や実際に一緒に仕事をした雇用主など、他の人からは異なる(そして、もしかするとより有益な)助言が得られるかもしれない。以下に述べる内容は、主にアメリカやカナダの大学院教育に当てはまるものだ。これらは私が最もよく知っている学術環境だ。そのため、私の助言の一部は、他国の大学院プログラムには当てはまらない可能性がある。さらに、私の専門分野は政治学と公共政策に限られている。したがって、j法科大学院、生化学、コンピュータサイエンスなどに関心がある場合、私のコメントはあまり役に立たないだろう。また、学術機関やそれに関連する労働市場は急速に変化しており、私が長年かけて得た知見の価値も低下しているかもしれないという点に留意して欲しい。「買い手よ、用心せよ(Caveat emptor、Let the buyer beware)」。

そうは言っても、もしあなたが私の研究室を訪ねてきて、助言を求めたとしたら、次のように言うだろう

●結局のところ、あなたは大学院に進学すべきだろうか?

最も重要な問いは、そもそも大学院に進学することが良い考えかどうか、そして関連して、どのような学位を取得したいかということだ。もし国際情勢に関心があり、法科大学院やビジネススクールには進みたくない場合、選択肢は「公共政策や国際関係論の修士号」か「博士号(Ph.D.)」のいずれかに絞られる。どちらがあなたに適しているだろうか?

学術的なキャリアに関心がないのであれば、修士号を取得するのがおそらく最善の道だろう。修士課程の期間は約2年です(学生ローンの負担が少なく、労働市場から離れる期間も短くて済む)。また、分析能力や専門職としてのスキル、そして特定の分野に関する専門知識を高めることができる。修士課程は人脈を広げる絶好の機会でもあり、多くのプログラムではインターンシップが推奨・支援されている。インターンシップは、キャリアの次の段階へ進むための足掛かりとなるだろう。一部の学生にとっては、修士課程を修了することで、より深い研究への意欲が湧き、やはり博士号こそが自分にとって本当に必要なものだと確信するきっかけになることもある。

博士号の取得を目指すとなると、話は全く別物となる。本格的な研究者としてのキャリアを築くにはほぼ必須と言えるし、シンクタンクや政府機関、あるいは民間企業で働くことになったとしても、博士号は知識や資格、そして就職の可能性を広げてくれるだろう。しかし、博士号の取得は長く険しい道のりであり、少なくとも5年はかかると覚悟しなければならない。さらに悪いことに、学術界の雇用情勢は不安定で、学位を取得した後に良い仕事が待っているという保証もない。もし「これが本当に自分のやりたいことだ」という確信が持てないのなら、迷いがなくなるまで待つことをお勧めしたい。明確な目的意識と強い決意を持ってこの道に進まなければ、博士課程の学生なら誰もが経験するであろう浮き沈みや、自分自身への疑念を乗り越えるのは難しいかもしれない。

何よりも、幼稚園の頃から優秀な学生で、学校という環境に居心地の良さを感じていて、学部を卒業する時に他にやりたいことが見つからなかったから、という理由だけで博士課程に進むのは止めておくべきだ。一見すると、それが最も安易で抵抗の少ない道のように思えるかもしれないが、断言しておく。決してそんなことはない。博士号の取得は、学部時代の経験とは根本的に異なる。それは単なる知識の「消費者(consumer)」ではなく、新しい知識の「創造者(a creator)」になることを意味するからだ。そして、実際にやってみるまでは、自分がその適性を持っているかどうかなど、誰にも分からないものなのだ。

一言注意しておきたい。私は博士号の取得を目指すことを思いとどまらせようとしている訳ではない。特に、本格的な知的探求を愛し、教えることに喜びを感じ、それ以外の道を想像できないという人にとっては素晴らしい選択肢だろう。ただ、心から「これだ」と確信できない限りは、止めておくべきだということだ。

●大学院は何を探しているのか?

近年、入学希望者の選考はますます困難になっている。第一に、成績のインフレ(訳者註:成績評価が甘くなり良い成績を取る人が増えている)が進んだことで、本当に傑出した学部生と、優秀ではあるものの最高レヴェルではない学生とを見分けるのが難しくなっている。第二に、ChatGPTやClaudeといったAIツールの登場により、志望理由書や提出を求められることのあるライティング・サンプル(writing samples)を通じて応募者の文章力を評価することが難しくなっている。卒業論文や勤務先での業務として作成された研究論文をどう評価すべきかさえ、明確にはなっていない。応募者がそのプロジェクトを完了するにあたり、どの程度AIに頼ったのかを知る術がないからだ。

こうした理由から、大学院はテストのスコア(GREなど)に加え、履修した科目や推薦状の内容を非常に重視する。修士課程の多くや博士課程のほぼ全てにおいて、何らかの形での量的分析(quantitative)に関するトレーニングが求められるため、選考委員会は、応募者に十分な数学的スキルがあることを示す明確な証拠を確認したいと考える。しかし、GREの量的セクションで満点(800点)を取るような数学の天才である必要はない。しかし、高校卒業以来数学の授業を一度も受けておらず、かつ学業をこなせるかという懸念を払拭できるような高いGREスコアも持っていないとなれば、合格への道のりは厳しいものとなるだろう。

推薦状については、推薦者があなた自身やあなたの能力を深く理解していることが伝わる内容であればあるほど、高く評価される。著名人や高名な学者に推薦状を依頼したくなるかもしれないが、あなたやあなたの仕事をよく知る人物による、具体的かつ個人的な内容の推薦状の方が、VIPによる中身の薄い定型文(数段落程度のもの)よりもはるかに重みがある。もちろん、著名な人物の下で直接働き、その人が熱意のこもった推薦状を書いてくれるのであれば、ぜひ依頼すべきだ。ただし、選考委員に対して、あなたを採用すべき説得力のある具体的な理由を提示できる推薦者を、少なくとも数名は確保しておくことが重要だ。

判断基準は、志望するプログラムの種類によって異なる。例えば、公共政策の修士課程の場合、選考委員会は、あなたが単なる気まぐれではなく、公共奉仕や公共政策全般に対して心から関心を抱いているという具体的な証拠を求める。リーダーシップ能力や、他者と協力して働く能力を示す実績もプラスに働く。政治学や経済学といった関連分野を専攻していたり​​、NGOを立ち上げたり、被災地で救援活動を行ったりしている必要はないが、学生の政治団体で積極的に活動したり、政治家やシンクタンクでインターンを経験したり、あるいは関連する政策分野で数年間働いたりした経験があれば、大きな強みとなる。理学士号を持つ人物であっても環境政策を扱うNGOでの勤務経験を持つ化学専攻の志願者は、地元の議員の下で働いた経験のある政治学専攻の志願者と同様に、魅力的な候補者となり得る。重要なのは、政策課題や外交政策の何らかの側面に対して心から関心を抱いていることを示すことにあるからだ。さらに、修士課程の多くは、数年間の実務経験を持つ志願者を好む傾向がある。その理由は、年長者の方が自身の進みたい方向性をより明確に把握していることが多く、また、彼らが公共の事柄を真剣に重視していると確信しやすいためだ。

あなたが考えることとは反対かもしれないが、あなたの政治的見解は合否にほとんど関係ない。データセンターに放火して有罪判決を受けたとか、KKKの支部を率いていたといった経歴があれば合格の可能性は極めて低いだろうが、支持政党や一般的な政治的スタンスが問題になることはまずない。実際、リベラルな傾向で知られる大学は保守的な学生の獲得に関心を強めているし、逆に保守的な傾向の強いプログラムはリベラルな学生を呼び込もうとしている。

博士課程に関しては、選考委員会は知的探究心、創造性、そして研究能力の証拠を求めている。志願者は学部時代に卒業論文を書いただろうか? その論文は賞を受賞し、指導教官がその優れた点を説明する推薦状を書いてくれるだろうか? NGOやシンクタンクでの勤務経験がある場合、その仕事には研究業務や共同執筆が含まれていただろうか? それによって何らかの出版物(論文など)が生まれただろうか? 難問について深く考えることを好み、かつそれに長けていることを示す証拠を多く提示できればできるほど、合格の可能性は高まる。

●「すべきこと」と「すべきでないこと」

第一に、事前のリサーチを徹底的に行おう。大学によって修士課程や博士課程には多くの共通点があるが、それぞれ独自の要件も設けている。出願前にはそれらを慎重に確認すべきだ。どのようなコースが開講されているか、あるいは必修とされているか。修了生はどのような職に就いているか。博士課程であれば、教員や学生がどのような研究を行っており、それは自分自身が取り組みたい研究内容と合致しているか。本格的な博士課程は、学生を大きく変容させるものだ。もし、ある学科が輩出する「完成形」を自分が望まないのであれば、別の大学を検討すべきだ。

第二に、自分が重点的に取り組みたいと考えているテーマに関心を持つ教員が在籍しているプログラムを選ぼう。最も権威や学術的評価が高いと思われる大学に進学したくなる気持ちは理解できるし、それなりの理由もある。しかし、そこに進学しても自分の関心事を研究しにくいのであれば、良い選択とは言えない。特定の専門分野(例:国際安全保障、環境政治、人権など)に関心があるなら、その分野を専門とする教員が充実している大学に出願すべきだ。自分の関心とプログラムの重点分野を一致させることは、合格の可能性を高めることにもつながる。学科の教員陣の専門性と合致しない学生を受け入れることに対し、選考委員会が慎重になるのは当然だからだ。ただし、後述するように、合格の可能性を高めるために自分の関心を偽るようなことは避けるべきだ。もし合格できたとしても、結局は自分に合わないプログラムに入ることになってしまうからだ。

ここで、いくつか注意点を挙げておく。ある教授の研究を長年高く評価しており、その教授の下で学ぶことを強く望んでいる場合でも、入学後にその教授が退職したり、別の大学へ移籍したりする可能性があることを認識しておく必要がある。また、遠くからその学問的業績を称賛していたとしても、実際に知的相性が良いとは限らないし、その人が自分にとって最良の指導者になるとも限らない。迷った場合は、特定の個人ではなく、プログラム全体として最も優れたものを選ぶべきだ。また、大学院での研究においてどのようなテーマに重点を置くつもりか尋ねられることもあるだろうが、授業や研究を進めるうちに考えが変わり、最終的には全く異なるテーマに取り組むことになるかもしれない。私自身、志望校にはナショナリズムを研究の柱にすると伝え(実際そのつもりだった)、そのテーマの講義を1つ受講しはしたものの(ちなみに素晴らしい講義だった)、結局は全く別のテーマで論文を執筆することになった。優れた博士課程というものは、学生に新たな考察の対象や物事の捉え方を数多く提示することで、必然的にこうした知的な方向転換を促すものなのだ。

第三に、特に博士課程への進学を目指す場合は、複数の大学に出願する必要がある。リソースが減少するにつれ、大学院の選抜は厳しさを増しており、たとえ極めて優秀な志願者であっても、多くの大学に合格できるという保証はない。例えば、私は6つの博士課程プログラムに出願し、そのうち4つに合格した(皮肉なことに、最終的には不合格だった2つの大学の両方で教鞭をとることになった)。もっとも、それは随分前の話だ。今なら、おそらく8校か10校に出願するだろう。

第四に、合格通知を受け取ったら、真剣に進学を検討している大学を実際に訪問してみるべきだ。現地では、できるだけ多くの大学院生と話し、彼らの経験について聞いてみて欲しい。教員から聞くどんな話よりも、彼らの生の声の方が、実情を如実に物語っているからだ。私の場合、合格した大学のうち2校については、大学院生との会話を通じて深刻な疑問を抱いたため、進学を見送ることにした。最終的にカリフォルニア大学バークレー校を選んだ大きな理由は、訪問時に出会った大学院生たちがプログラムに対して心から熱意を持っており、かつ、私が目指すような学者像へと着実に歩んでいるように見えたからだ。

第五に、前述の通り、自分を偽って選考委員会を欺こうとしないで欲しい。例えば、特定の専門分野やトピックに興味がないにもかかわらず、それが志望校の強みであることを知っているからといって、選考を行う教員に気に入られようと興味があるふりをするのは止めよう。自分に向いていないのにアーカイヴ調査や事例研究に深い関心があるように装ったり、ゲーム理論や高度な計量経済学を使うつもりが全くないのに、それらに興味があるふりをしたりしてはいけない。目指すべきは、自分の希望するキャリアに向けて準備ができるプログラムを見つけることだ。出願時に自分を偽ると、結局は自分に合わない学科に入り、不幸な結果を招く可能性が高まるだけだ。

最後に、個々の教員に直接連絡を取ることは、合格の可能性を高めるどころか、むしろ下げてしまう可能性があることを認識しておいて欲しい。毎年、世界中の学生から、ハーヴァード大学に来て私の指導の下で学びたいというメールが何通も届く。中には、履歴書やライティング・サンプルを添付してくる学生さえいる。そうした問い合わせをいただけるのは光栄なことだが、個々の教員が入学の可否を決定する訳ではないし、一度も会ったことのない志願者のためにわざわざ口利きをするようなこともまずない。こうした問い合わせを受けると(それがスパムやボットによるものではないと仮定すれば)、その学生は出願の仕組みを理解しておらず、ケネディスクールのウェブサイトで出願手続きについて調べることさえしていないのではないか、と感じてしまっている。

例外として、教員が志望者と事前に知り合い、その人物をよく理解した上で、入学審査委員会に推薦のメッセージを送ろうと考えるようなケースも稀にある。しかし、そのような場合であっても、最終的な決定を下すのはあくまで委員会であり、個々の教員ではない。結論を言えば、すでに入学が許可され、進学先を検討している段階でない限り、個々の教員に連絡を取ることは、あなたにとっても(そして相手にとっても)時間の無駄になる可能性が高いだろう。

この助言が、大学院進学を検討している方々の参考になれば幸いだ。出願締め切りまではまだ数カ月あるが、今年度の選考に参加したいのであれば、早めに準備を始めることを強くお勧めする。GREの受験日程を確保するには時間がかかるし、推薦状についても、余裕を持って依頼するほうが質の高いものを書いてもらえるからだ。世の中には、優秀で十分な訓練を受けた人材が数多く求められている。大学院での研究に関心をお持ちの皆さんが、希望通りの、そしてご自身の能力にふさわしい機会を手にできることを願っている。幸運を祈る!

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。彼は、現代世界を理解・展望する上で不可欠な主要概念を解説する5部構成のニューズレター・シリーズ『新しい地政学(The New Geopolitics)』著者。Blueskyアカウント:@stephenwalt.bsky.social Xアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)


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 古村治彦です。

 アメリカには、プリンストン大学公共・国際問題大学院、ハーヴァード大学ケネディ・スクール、タフツ大学フレッチャー法律・外交大学院といった、将来、政府に入って仕事をすることを目指す学生向けの政策大学院(Policy Schools)と呼ばれる大学院がある。これらのアイヴィー・リーグなどの一流有名大学の政策大学院を出た人々が米国務省や米国防総省に入って仕事をすることになる。こうした政策大学院の教育の特徴は、学術研究に重点を置くのではなく、学術研究で得られた成果を実際に応用する、現実的、実践的なプログラムである。

 実践的なプログラムにはもちろん、日本でも流行っているインターンシップも入っているが、多くの場合に行われるのは、ケーススタディ(Case Study、事例研究)である。国内政治や国際政治で起きた出来事について、その当時の政府関係者たちがどのように対処したか、どのようにうまく対処したか、どのように失敗したか、ということを分析的に、かつ批判的に学んでいく。どうしてそのような方策を選んだのか、ということも学び、それに理論を応用するということも行う。理論と実践の2つの方面から学んでいくことになる。

 下記の記事で、スティーヴン・ウォルト教授は、自分たちが教えていることは時代遅れになっておいて、学生たちが卒業後に政府機関などで働く際に役に立たないことが多いのではないか、という疑問を持っていると書いている。これは正直な書き方である。自分のやっていることに対する懐疑を持つということはなかなかできることではない。

 2020年代、世界は大きく変動している。新型コロナウイルス感染拡大騒動とウクライナ戦争は大変動の兆候である。更に、ウクライナ戦争で明らかになった、「西側諸国(the West)」対「それ以外の国々(the Rest)」の分断ということも起きている。小さな事件であれば、これまでの学術成果で分析も可能だろうが、問題は、もっと大きな、より俯瞰的な視点が必要な大変化、大変動が起きているということだ。それに、これまでの国際関係論や政治学の学術研究の成果が追い付いていないというのが、それらに携わる専門家たちの偽らざる考えなのだろう。ウォルトがそれをはっきりと書いたところに意味がある。考えてみると、学問の世界は西洋中心主義(Ethnocentrism)で進んできており、学術研究の対象は西洋諸国であり続けた。そこで見られたパターンや循環などとは違うことが起きつつある。

学術界から飛び出して、より一般的なところから考えてみたい。人々の間には、世界的な大変動の兆候を感じ、不安感が広がっている。自分たちがこれまで生活してきた世界の秩序や構造が変化すると、自分たちの生活はどうなるのかという不安を持つようになる。はっきりと書けば、西洋諸国の人々は自分たちに有利だった世界の終焉が近づいていることに怯えている。一方で、それ以外の国々の人々は、元気で、これからもっと生活を良くするぞ、世界は自分たちのものになるぞ、という気合が入っている。世界は大きな転換点を迎えている。

(貼り付けはじめ)

核政策大学院はまだ意味を持っているのか?(Do Policy Schools Still Have a Point?)

-世界規模の激動の時代に公共政策学の教授として長いキャリアを積んだある学者の回想。スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年9月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/09/08/do-policy-schools-still-have-a-point/

数週間前に授業が始まったが、年度が始まるにあたり、私は奇妙なことを考えた。私はキャリアのほとんどをいくつかの公共政策大学院(schools of public policy)で教えてきた(最初はプリンストン大学でキャリアをスタートさせ、その後、現在はここハーヴァード大学で教えている)。これらの大学は、学生を公共部門(public sector)に就職させるために存在するが、卒業生の多くはキャリアのある時点で他の仕事に就くことになる。私は、同僚や私が、加速度的に変化する時代の中で、関連性が急速に薄れていくような知識やスキルを教えている可能性はないのだろうか、と考えた。明日の分からない新世界で価値が高まるかもしれない別の能力を、学生たちが身につけるのを助ける機会を、私たちは見逃していないだろうか? 従来の公共政策教育学へのアプローチを見直すべきか、少なくとも深刻な調整を加えるべきか? 過去に何度か「カリキュラム改革(curriculum reforms)」を経験してきた私は、私たちの取り組みが十分に進んでいるのか疑問に思った。

少し背景を見てみよう。公共政策大学院は、数十年前から高等教育の成長産業(growth industry)となっている。こうしたプログラムの起源は第二次世界大戦前にまで遡ることができるが、元々の数は少なかった。近年は人気が高まり、多くの大学にプログラムが設置されるようになっている。プリンストン大学公共・国際問題大学院、ハーヴァード大学ケネディ・スクール、タフツ大学フレッチャー法律・外交大学院、シラキュース大学マックスウェル市民・公共問題大学院、フランス国立行政学院、その他数校は何十年も前から存在するが、シカゴ大学ハリス公共政策大学院、オックスフォード大学ブラヴァトニク行政大学院、ベルリンのヘルティー・スクール、テキサスA&M大学ブッシュ政府・公共サービス大学院、その他多くの大学院は最近創設されたものだ。

これらの学校にはそれぞれ独自の特徴を持つが、同時にいくつかの類似点も存在する。それらのほとんどは、公共政策の効果的な実施に必要と思われる特定の基本的な分析スキル、通常の経済学、統計、政治分析、倫理、リーダーシップトレーニング、管理の組み合わせを伝えようとしている。また、特定の政策分野(国家安全保障政策、地方自治体、人権、財政、環境など)に関する実質的な専門知識を学生に習得する機会も与え、同時にチームビルディング、ライティング、スピーキングのスキルを鍛え、どのように政策を推進するかを研究する。また自身の専攻分野が様々な政治制度で作られていることも学ぶ。

地域によって違いはあるものの、これらのプログラムはすべて、公的部門や政治の世界で指導者になるべき人々が、自分たちが活動している世界を理解し、現在および将来の公共問題に対する効果的な解決策を考案するのに役立つ学術的知識があることを前提としている。そしてその前提には、過去の人類の経験から導き出された知識は、今後も正確であり続け、これから起こるであろう新たな問題に対しても適切であり続けるという、更なる確信が暗黙のうちに含まれている。言い換えるならば、このようなプログラムを構築する教授陣は、通常、人間の行動に関する永続的な法則「enduring laws of human behavior」(「需要と供給(supply and demand)」、「力の均衡(the balance of power)」、「集合財理論(collective goods theory)」など)を発見したと考えている。また、指導者が複雑な問題に取り組まなければならなかった過去の事例を学生たちに示すことで、生徒の将来のキャリアに役立つ教訓になると考えている。これらのツールを学び、これらのケースを吸収すれば、どんなことにも対応できるようになる、ということである。

そう思いがちだが、どうだろうかと疑問を持っている。もし私たちが、今日の知識が役に立たなくなったり、適切でなくなったりするような形で変容しつつある世界に足を踏み入れているとしたらどうだろうか?

正直なところ、このようなことを考えている(疑問を持っている)自分に私自身が驚いた。私は一般的に、最新の新展開(原子爆弾、多国籍企業、ビッグテック、イスラム過激派、グローバリゼーション、人権革命など)が政治や社会の本質を変容させ、過去の経験を陳腐化させるという主張には懐疑的だ。結局のところ、政治的リアリズム(political realism)は、人間の本質の不変の特徴(unchanging features of human nature)と歴史的経験の連続性(continuities of historical experience)を強調する。リアリストにとって、政治生活の最も重要な特徴(権力闘争、戦争、同盟、国家の興亡、誤った認識など)は、それを最小化しようとする私たちの努力にもかかわらず、時空を超えて繰り返され続けるのである。言っておくが、私はこれらの不朽の名言のほとんどは、少なくともしばらくの間は有用であり続けると考えている。

しかし、私たちの目の前で起きていることについて考えてみよう。

第一に、気候変動が急速に加速していることを示す証拠は、私たちの周囲に溢れている。化石燃料(fossil fuels)やその他の温室効果ガス(greenhouse gases)の燃焼を遅らせ、最終的には元に戻そうとする努力は、期待外れに終わっている。地球の平均気温が上昇するという最悪のケースを予測すると、その可能性はますます高くなり、この事態は政治、移住、食糧生産、水不足、生物多様性、洪水や干ばつなどの自然災害の頻度や強度に深刻な影響を及ぼしそうだ。人類はこれまでも地球の気候変動に適応してきたが、ごく近い将来、これほど急速かつ広範囲に適応を迫られることはなかった。

第二に、更に強力になっていく人工知能の発達は、人間の様々な活動を混乱させ、既存の政治制度に多くの不愉快な問題を提起している。このような能力がどこまで拡大するのか、私には見当もつかないが、現段階では誰にも分からない。しかし、全てではないにせよ、人間の生き方を良くも悪くも変えてしまう可能性は非常に大きく、その変化のスピードは、産業革命(Industrial Revolution)がそれに比べればむしろ退屈なものに思えるかもしれない。

第三に、過去数十年にわたって見てきたように、スマートフォンの出現とソーシャルメディアの普及は政治の世界を一変させ、既存の政治制度に新たな予期せぬ負担を強いている。この有害な新テクノロジーのミックスに、人工知能(AI)の登場とディープフェイクの可能性などが加わると、民主的説明責任(democratic accountability)と国民間のコンセンサス(public consensus)という慣れ親しんだ概念が足場を失い始める。私は、既存の政治システムはいずれこれらのテクノロジーを抑制し、真実と虚偽を区別する私たちの集団的能力を維持する方法を見つけるだろうと考える傾向があるが、私はそれに私の年金資金を賭けない。

最後に、現在進行中の生物学、健康、長寿研究における目覚ましい革命を忘れてはならない。この傾向は、新しいAIツールによって加速される可能性が高い。老化や病気のメカニズムが解明され、それを遅らせたり、逆行させたり、あるいは対抗したりする方法が考案され始めると、現在よりもはるかに長生きする人類が何人か、もしかしたら何百万人も出てくるかもしれない。遺伝子編集やその他の技術は、将来の世代をカスタマイズする可能性を生み出し、あらゆる種類の不快な道徳的・政治的問題を引き起こすだろう。人類は過去にも様々な方法で惑星の生物学を改変してきたが、意図的にそれを行う能力は急速に高まっている。

このような傾向(およびその他の傾向)を全て合わせると、非線形的な変化(nonlinear changes)の可能性が出てくる。そして、その最終的な影響を、確信を持って予測することは不可能だ。そして、これらの重大な進展は全て、急速に、同時に起こっている。それは、現実の世界における「同時に至るところで全て(Everything Everywhere All at Once)」のように見え始めている。もしそうだとすれば、今日の公共政策を学ぶ学生たちは、数年後に彼らが直面するであろう問題には不向きなツールキットを身に付けていることになるかもしれない。

私が言っていることをまとめよう。AIやその他の技術開発が、多かれ少なかれ絶え間なく、しかしこれまでに見たことのない規模で、遠大な市場破壊を引き起こす世界に向かっているとしたらどうだろう? いくつかの新しいダイエット薬(例えば、オゼンピック)がダイエット業界全体に何をもたらしているかを見てみたら分かる。気候の変化によって、ジェット機での移動が法外に高価になったり、環境的に持続不可能になったり、あるいは大気の乱気流の増大によって危険すぎるものになったりしたらどうだろう? 現在何千万人もの人々が住んでいる地球の広大な地域が、居住不可能になったらどうだろう? 宇宙ゴミの連鎖的な衝突、悪意あるハッカー、敵対国の意図的な行動によって、世界的な通信を担う衛星が破壊される日への備えはできているだろうか? デジタル化以前の時代にどのように物事を進めていたか、覚えているだろうか? そして、これら全ての進展がもたらす政治的影響が、慣れ親しんだ統治様式、長年にわたる同盟関係、経済依存のパターン、そして過去75年以上にわたって世界政治をほぼ決定してきた制度的特徴を破壊するとしたらどうだろうか?

私が言いたいのは、急速に相互接続が進む世界では、私たちが当たり前だと思ってきた(そして自信を持って学生たちに教えてきた)慣れ親しんだ真実、原則、慣行のいくつかは、それほど役に立たないかもしれないということだ。このような状況下で重要になるのは、適応する能力、古い考えを捨てる能力、健全な科学と蛇の油を見分ける能力、そして公共のニーズを満たす新しい方法を考案する能力である。過去にどのように物事が動いたかを生徒に教え、それ以前の時代に由来する時代を超えた真理を植え付けることは、それほど役に立たないかもしれない。

私は、現在のカリキュラムを投げ捨て、ミクロ経済学、民主政治体制理論、公会計、計量経済学、外交政策、応用倫理学、歴史学など、今日の公共政策カリキュラムの構成要素を教えるのを止めようと提案しているのだろうか? そうではない。しかし、私たちがこれまで知っていた世界とは根本的に異なる世界、しかも彼らが考えているよりも早く訪れるであろう世界に対して、子どもたちが準備できるよう、より多くの時間と労力を割くべきである。

私は小さな提案を3つ提示したい。

第一に、いささか逆説的ではあるが、激変の見通しは基本理論(basic theories)の重要性を浮き上がらせる。過去の経験から導き出された経験的パターン(例えば、「民主政体国家は互いに争わない(democracies don’t fight each other)」など)は、その法則が発見された政治的・社会的条件がもはや存在しないのであれば、ほとんど意味をなさないかもしれない。根本的に新しい状況を理解するためには、何が起こりそうかを予見し、異なる政策選択の結果を予測するのに役立つ因果関係の説明[causal explanations](すなわち理論)に頼らざるを得なくなる。単純化された仮説検証や単純な歴史的類推から導かれる知識は、何が何を引き起こしているのかを伝え、様々な行動の影響を理解するのに役立つ厳密で洗練された理論に比べると、あまり役に立たないだろう。「応用歴史学(applied history)」を教えるためのより洗練された努力も、過去の出来事が適切に解釈されなければ失敗に終わるだろう。過去は決して私たちに直接語りかけることはない。全ての歴史的解釈は、ある意味で、私たちがこれらの出来事に持ち込む理論や枠組みに依存している。私たちは、過去のある瞬間に何が起こったかを知るだけでなく、なぜそのようなことが起こったのか、現在も同様の因果関係が働いているのかどうかを理解する必要がある。因果関係の説明を提示するには理論が必要である(Providing a causal explanation requires theory)。

同時に、既存の理論のいくつかを修正する(あるいは放棄する)必要があるだろうし、新しい理論を発明する必要があるかもしれない。私たちは何らかの理論に依存することから逃れることはできないが、特定の世界観に厳格かつ無批判に固執することは、自分の本能(instincts)だけで行動しようとするのと同じくらい危険なことである。そのため、公共政策大学院では、学生に現在よりも幅広い理論的アプローチに触れさせ、それらについて批判的に考え、長所とともにその限界を見極める方法を教えるべきである。

急速に変化する世界に向けて学生を準備させるためには、一般的な理論が誤った政策選択につながった歴史的事例や、全く新しい状況に対処するために新たな理論を考案しなければならなかった事例を教えるべきである。1930年代におけるケインズ経済学の発展や、冷戦期における抑止理論(deterrence theory)の洗練は、この点で有益な例となるだろう。また、政策立案者がもはや通用しないアイデアや政策に固執したために失敗したケースを探し、他の指導者が即興的に革新し、迅速に成功したケースと対比させるべきだ。

最後に、私たち(というより私自身)は、学生たちが当然と思いがちな基準や労働条件の枠にとらわれず、適応し、即興的に行動することを求めるような演習や課題を考案することで、より創造的になるべきである。例えば、学生をいくつかのティームに分け、全員に共通の課題を与える。ノートパソコン、タブレット、スマートフォン、グーグル検索などはもちろん、大学図書館のオンラインカードカタログさえも使えない。現代のエリート大学の学生が、手動のタイプライターとペンと鉛筆と紙しか頼るものがなかったら、どうやって仕事をするだろうか? そのような訓練は、その場その場に適応して問題を解決する能力の重要性を浮き彫りにするだろう。

あるいは、学生たちに、もっともらしいが根本的に異なる世界を想像し、その主な特徴は何か、その新しい状況にどう対処すべきかを考えさせることもできる。NATOが解体し、国連が崩壊したら、アメリカ、ロシア、ドイツ、エストニア、中国、サウジアラビアなどはどのように対応するだろうか、あるいはどう対応すべきだろうか? 科学界が完全に立場を逆転させ、今日の気候変動は完全に自然なものであり、人間の活動はほとんど影響を与えていないと結論づけたとしたら、彼らはどのような政策選択を勧めるだろうか?(はっきり言っておくが、これが現実的な可能性だと言っているのではない) 学生たちの考えを変えるためではなく、自分の信念に対する健全な懐疑心や、一見説得力があるように見える議論を評価する能力を高めるために思考力を高めることが必要だ。

読者の皆さんにはお分かりだと思うが、私はまだこれらの問題について考え中であり、私の提案は暫定的なものである。しかし、私はこれらの問題について考え続けるつもりだ。私の同僚たち(そして私の学生たち)がそれらについてどのような意見を述べるのかに興味を抱いている。公共政策大学院が人気を博しているのにはいくつかの理由がある。しかし、だからと言って、私たちが学生たちに提供しているものを改善できないということではない。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 政治学(Political Science、PoliSci)の一分野として国際関係論(International Relations、IR)がある。国際関係論は1つの大きな学問分野として捉えられることもある。国際関係論には、3つの大きな学派(Schools)が存在する。(1)リアリズム(Realism)、(2)リベラリズム(Liberalism)、(3)コンストラクティヴィズム(Constructivism)である。これらの中でもまた細分化されていくのであるが、大きく3つあるということが分かればそれで十分だ。これらの学派の諸理論を使ってウクライナ戦争とそれを含む世界の現状を分析するとどのようなことになるかということを以下の論稿で紹介している。

 リアリズムは国家のパワー(力)と力の均衡を重視する。力の均衡が保たれていることで平和が維持される。冷戦期は米ソ二大超大国が世界秩序を形成する二極化世界だったがソ連崩壊後はアメリカ一国による世界秩序維持の一極化された世界であった。その中で、中国が経済的、軍事的に力を伸ばし、アメリカに挑戦する形になっている。世界覇権国の交代が平和裏に行われたことはなく、また、一極化から多極化へと進むと世界は不安定になり(考慮しなければならない相手国の数が増え、意図を誤解・曲解する危険性が高まる)、大国間の戦争の可能性が高まるということになる。

 リアリズムは「各国家は国益のために協力し合う」という楽観的な見方をする。そして、国際機関の役割や経済的な相互依存を重視する。「争うよりも協力し合うことで国益追求ができる」という考え方だ。しかし、国際機関は国益がぶつかり合う場所となり、経済的相互依存が平和的な関係をもたらすということもない(米中関係を考えてみれば分かる)。現在の世界は西側諸国(民主的な国々)の集まり対それ以外の国々の集まり(非民主的な国々)の断絶が深刻になっている世界であり、協力は大変に難しい状況だ。

 構成主義(Constructivism、コンストラクティヴィズム)の学者たちは、新しい考え(new ideas)、規範(norms)、アイデンティティー(identities)などの価値観を重視する学派だ。価値観の面でも世界では断絶が起きている。ソ連崩壊によって冷戦は終了し、西側が勝利した、西側の価値観である自由主義、人権、民主政治体制が勝利した、これこそが「歴史の終わり」だということになった。しかし、中国の台頭もあり、西側的な価値観に対する懐疑と批判が出てきている。それによって両者の対立は深まるばかりということになっている。

 西側諸国とそれ以外の世界の対立が激化すればそれは戦争につながるという悲観的な予測が成り立つほどに、現在の世界は不安定化し、対立は深まっている。短期的に見れば、アメリカがウクライナ戦争に大規模な支援を行っている現状で、中国と事を構えるということは考えにくい。また、中国も現在の経済力、軍事力でアメリカを圧倒することはできないので、これから10年単位で整備していかねばならない。しかし、中期的、長期的に見れば、直接対決、大国間戦争という可能性も捨てきれない。世界の大きな転換の期間がスタートしたと言いうことが言えるだろう。

(貼り付けはじめ)

国際関係論の理論は大国間の争いが起きる可能性を示している(International Relations Theory Suggests Great-Power War Is Coming)

-国際関係論の教科書を紐解くと、アメリカ、ロシア、そして中国は衝突するコースに乗っていることになる。

マシュー・コーニグ筆

2022年8月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/08/27/international-relations-theory-suggests-great-power-war-is-coming/?tpcc=recirc_latest062921

今週、世界中の何千人もの大学生が、初めて国際関係論の講義の入門編を受け始めることになる。教授たちが近年の世界の変化に敏感であれば、国際関係論の主要な諸理論が大国間の争いの到来を警告していることを教えることになるだろう。

何十年もの間、国際関係論の理論は、大国は協力的な関係を保ち、武力衝突を起こさずにその相違を解決することができるという、楽観的な根拠を与えてきた。

国際関係論の現実主義(Realism)の諸理論はパワーに焦点(power)を当て、何十年もの間、冷戦(Cold War)時代の二極世界(bipolar world)と冷戦後のアメリカが支配する一極世界(unipolar world)は、誤算(miscalculation)による戦争が起こりにくい比較的単純なシステムであると主張してきた。また、核兵器は紛争のコスト(cost of conflict)を引き上げるので、大国間の戦争は考えられないと主張した。

一方、国際関係論のリベラリズム(Liberalism)の理論家たちは、制度(institutions)、相互依存(interdependence)、民主政治体制(democracy)という3つの原因変数(causal variables)が協力(cooperation)を促進し、紛争を緩和すると主張した。第二次世界大戦後に設立され、冷戦終結後も拡張され依存している国際機関や協定(国連、世界貿易機関、核不拡散条約など)は、大国が平和的に対立を解決するための場を提供している。

更に言えば、経済のグローバライゼイションによって、武力紛争はあまりにもコストがかかりすぎるようになった。ビジネスがうまくいき、皆が豊かになっているのに、なぜ喧嘩をするのか? 最後に、この理論によれば、民主政治体制国同士が争う可能性が低く、協力する可能性が高い。過去70年間に世界中で起きた民主化(democratization)の大きな波が、地球をより平和な場所にしたのである。

同時に、構成主義(Constructivism、コンストラクティヴィズム)の学者たちは、新しい考え(new ideas)、規範(norms)、アイデンティティー(identities)が、国際政治をよりポジティブな方向に変えてきたと説明した。かつて、海賊、奴隷、拷問、侵略戦争は当たり前のように行われていた。しかし、この間、人権規範の強化や大量破壊兵器(weapons of mass destruction)の使用に対するタブーにより、国際紛争に対するガードレールが設置された。

しかし、残念なことに、これら平和をもたらす力はほとんど全て、私たちの目の前で崩壊しつつあるように見える。国際関係論の諸理論によれば、国際政治の主要な駆動力(major driving forces)は、米中露の新冷戦が平和的である可能性が低いことを示唆している。

まず、パワーポリティクスから始めよう。私たちは、より多極化した世界(more multipolar world)に入りつつある。確かに、ほとんど全ての客観的な尺度によれば、アメリカは依然として世界を主導する超大国であるが、中国は軍事力と経済力において第2位の地位を占めるまでに強力に台頭してきた。ヨーロッパは経済的、規制的な存在である。より攻撃的なロシアは、地球上で最大の核兵器備蓄を維持している。インド、インドネシア、南アフリカ、ブラジルなどの発展途上の主要諸国は、非同盟路線(nonaligned path)を選択している。

リアリズムの学者たちは、多極化体制は不安定であり、大きな誤算による戦争が起こりやすいと主張する。第一次世界大戦はその典型的な例である。

多極化体制が不安定なのは、各国が複数の潜在的敵対勢力(multiple potential adversaries)に気を配らなければならないからだ。実際、現在、米国防総省は、ヨーロッパにおいてはロシア、インド太平洋においては中国との同時衝突の可能性に頭を悩ませている。更に言えば、ジョー・バイデン米大統領は、イランの核開発問題に対処するための最後の手段として、軍事力行使の可能性を残していると述べている。アメリカによる3正面戦争もあり得ない話ではない。

誤算による戦争は、ある国家が敵国を過小評価した時に起こることが多い。国家は敵国のパワーや戦う決意を疑い、敵国を試す。敵国がハッタリで、そうした挑戦が報われることもある。しかし、敵国が自国の利益を守ろうとするのであれば、大きな戦争に発展する可能性がある。ロシアのウラジミール・プーティン大統領は、ウクライナに侵攻する際、戦争は簡単だと誤った判断をしたのだろう。リアリズムの学者の中には、以前からロシアのウクライナ侵攻を警告していた人もいるし、ウクライナ戦争がNATOの国境を越えて波及し、米露の直接対決に発展する可能性もまだ残っている。

加えて、中国の習近平国家主席が台湾をめぐって誤算を犯す危険もある。台湾を防衛するかどうかで混乱するワシントンの「戦略的曖昧さ(strategic ambiguity)」政策は、不安定さに拍車をかけるだけだ。バイデンは台湾を守ると言ったが、彼が率いるホワイトハウス自体がそれに反論した。多くの指導者たちが混乱しており、その中にはおそらく習近平も含まれている。習近平は、台湾への攻撃から逃れられると勘違いし、それを阻止するためにアメリカが暴力的に介入してくるかもしれない。

更に、イランの核開発問題で何人もの米大統領が何の根拠も裏付けもなく、「あらゆる選択肢がある(all options on the table)」と脅したことで、テヘランはアメリカの反応なしに核開発に踏み切れると思い込んでしまうかもしれない。もしイランがバイデンの決意を疑い、そして誤解すれば、戦争に発展する可能性がある。

また、リアリストの学者たちは力の均衡(balance of power、バランス・オブ・パワー)の変化にも注目し、中国の台頭とアメリカの相対的な衰退について懸念を持っている。権力移行理論(power transition theory)によると、支配的な大国(dominant great power)が没落し、新興の挑戦者(ascendant challenger)が台頭するとしばしば戦争に発展する。専門家の中には、米国と中国がこの「トゥキディデスの罠 (Thucydides Trap)」に陥っているのではないかと心配する人もいる。

彼らの機能不全の独裁体制により、北京やモスクワがすぐに米国から世界のリーダーシップを奪う可能性は低いが、歴史的な記録を詳しく見てみると、挑戦者は拡大する野心が妨げられた時に侵略戦争(wars of aggression)を開始することがある。第一次世界大戦中のドイツや第二次世界大戦中の日本のように、ロシアはその衰退を逆転させようとしている可能性があり、中国も弱く、そして危険である可能性がある。

核抑止力(nuclear deterrence)はまだ機能しているという意見もあるだろうが、軍事技術は変化している。人工知能(artificial intelligence)、量子コンピュータと通信(quantum computing and communications)、積層造形技術(additive manufacturing)、ロボット工学(robotics)、極超音速ミサイル(hypersonic missiles)、指向性エネルギー(directed energy)などの新技術が、世界経済、社会、戦場を一変させると予想され、世界は「第4次産業革命(Fourth Industrial Revolution)」を体験している。

多くの防衛専門家は、私たちは軍事における新たな革命の前夜にいると考えている。これらの新技術は、第二次世界大戦前夜の戦車や航空機のように、攻勢に転じた軍隊に有利に働き、戦争の可能性を高める可能性がある。少なくとも、これらの新兵器システムは力の均衡の評価を混乱させ、上記のような誤算のリスクを高める可能性がある。

例えば、中国は、極超音速ミサイル、人工知能の特定の応用、量子コンピューティングなど、こうした技術のいくつかでリードしている。こうした優位性、あるいは北京ではこうした優位性が存在するかもしれないという誤った認識が、中国を台湾に侵攻させる可能性がある。

一般に楽観的な理論(optimistic theory)であるリベラリズムでさえも、悲観主義(pessimism)になる理由がある。確かに、国際関係論のリベラル派の人々は制度、経済的相互依存(economic interdependence)、民主政治体制がリベラルな世界秩序の中での協力を促進したことは事実である。アメリカと北米、ヨーロッパ、東アジアの各地域の民主的同盟諸国は、かつてないほど結束を強めている。しかし、これらの同じ要因が、自由主義的世界秩序(liberal world order)と非自由主義的世界秩序(illiberal world order)の間の断層において、ますます対立を引き起こしている。

新たな冷戦の中で、複数の国際機関は新たな競争の場となっただけのことだ。ロシアと中国がこれらの機関に入り込み、本来の目的から反している。2月にロシア軍がウクライナに侵攻した際、ロシアが国連安全保障理事会(United Nations Security Council)の議長を務めたことを誰が忘れることができるだろうか? 同様に、中国は世界保健機関(World Health Organization、WHO)での影響力を利用して、新型コロナウイルスの出所に関する効果的な調査を妨害した。独裁者たちは、自分たちの深刻な人権侵害が精査されないように、国連人権理事会(U.N. Human Rights Council)の議席を争っている。国際機関は協力を促進する代わりに、ますます紛争を悪化させている。

また、リベラル派の学者たちは、経済的な相互依存が紛争を緩和すると主張する。しかし、この理論には常に「鶏と卵の問題(chicken-and-egg problem)」がある。貿易が良好な関係を促進するのか、それとも良好な関係が貿易を促進するのか?私たちは、その答えをリアルタイムで見ている。

自由世界は、モスクワと北京にいる敵対的な存在に経済的に依存しすぎていることを認識し、できる限り早くその関係を断ち切ろうとしている。欧米諸国の各企業は一夜にしてロシアから撤退した。アメリカ、ヨーロッパ、日本の新しい法律や規制は、中国への貿易と投資を制限している。ウォール街が、中国人民解放軍と協力してアメリカ人殺害を目的とした兵器を開発している中国のテクノロジー企業に投資するのは、単に非合理的なことでしかない。

しかし、中国は自由な世界からも切り離されつつある。習近平は、中国のハイテク企業がウォール街に上場することを禁止しているが、これは西側の諸大国と独自情報を共有したくないからだ。自由主義国と非自由主義国の間の経済的相互依存は、紛争に対するバラスト(ballast 訳者註:船のバランスを取る装置)として機能してきたが、今や侵食されつつある。

民主平和理論(democratic peace theory)は、民主政治体制国家は他の民主国家と協力するとしている。しかし、バイデンが説明するように、今日の国際システムの中心的な断層は、「民主政治体制と独裁政治体制の戦い(the battle between democracy and autocracy)」である。

確かに、アメリカはサウジアラビアのような非民主的国家と友好的な関係を保っている。しかし、世界秩序は、アメリカとNATO、日本、韓国、オーストラリアなどの現状維持志向(status quo-oriented)の民主的同盟諸国と、中国、ロシア、イランなどの修正主義的独裁国家(revisionist autocracies)との間でますます分裂しているのである。ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア、大日本帝国に対する自由世界の対立の響きを探知するために聴診器(stethoscope)を必要とすることはない。

最後に、グローバルな規範の平和的効果に関するコンストラクティヴィズムの主張には、これらの規範が本当に普遍的なものかどうかという疑問が常につきまとう。中国が新疆ウイグル自治区で大量虐殺を行い、ロシアが血も凍るような核の脅威を示し、ウクライナで捕虜を去勢する中で、私たちは今、ぞっとするような答えを手に入れたのである。

更に言えば、コンストラクティヴィズムの学者たちは、国際政治における民主政治体制対独裁政治体制の対立が、単に統治(governance)の問題ではなく、生き方(way of life)の問題であることに注目するかもしれない。習近平やプーティンの演説や著作は、独裁体制の優位性や民主政治体制の欠点について、しばしばイデオロギー的な主張を展開している。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは、民主的な政府と独裁的な政府のどちらが国民のためにより良い成果を上げられるかという20世紀型の争いに戻っており、この争いにより危険なイデオロギー的要素が加わっている。

幸いなことに、良いニューズもある。国際政治を最もよく理解するには、いくつかの理論の組み合わせの中に見出すことができるかもしれない。人類の多くは自由主義的な国際秩序を好み、この秩序はアメリカとその民主的同盟諸国の現実主義的な軍事力によってのみ可能である。更に、2500年にわたる理論と歴史が示唆するのは、こうしたハードパワーによる競争では民主政治体制国家が勝利し、独裁国家は最終的に悲惨な結末を迎える傾向があるということだ。

残念ながら、歴史を正義の方向に向ける明確な瞬間は、しばしば大国間の戦争(major-power wars)の後にしか訪れない。

今日の新入生たちが卒業式で、「第三次世界大戦が始まった時、自分はどこにいたか」などと回想していないことを願おう。しかし、国際関係論の理論には、そのような未来の出現を懸念する理由を多く示している。

※マシュー・コーニグ:大西洋協議会スコウクロフト記念戦略・安全保障研究センター副部長、ジョージタウン大学政治学部、エドマンド・A・ウォルシュ記念外交関係学部教授。最新刊に『大国間競争の復活:古代世界から中国とアメリカまでの民主政治体制対独裁性体制』がある。ツイッターアカウント:@matthewkroenig

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