古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:教育勅語

 古村治彦です。

 

 今回は『エコノミスト』誌に掲載された日本の右傾化に関する記事をご紹介します。今年2月の森友学園・瑞穂の國記念小學院を巡るスキャンダルから、教育勅語の学校現場への導入の擁護までを今回の記事では網羅しています。

 

 特徴的なことは、日本会議など歴史修正主義者や超国家主義者たちは今上天皇を尊崇しているが、彼らの尊崇に対して、今上天皇は期待に反した行動をしているという点を指摘しています。今上天皇は太平洋戦争の激戦地を訪問し、慰霊を行ってきました。また、歴史修正主義に反対している作家の半藤一利氏を招いて話をしているということも注目されます。記事では、「今上天皇の行動は、彼らへの叱責となっている」と書かれています。

 

 もっと言うと、歴史修正主義者や超国家主義者、右翼の中には、今上天皇はリベラルすぎると考えている人が多くいると聞きます。今上天皇の行動への批判を隠さない人々もいます。しかし、彼らが考えるような天皇中心制国家へ日本が回帰するということはないでしょう。

 

 今上天皇は国際協調主義を昭和天皇から引き継ぎ、それに加えて、池田隼人内閣みたいですが、寛容と忍耐、低姿勢を受け入れていると思います。それは、外国との摩擦は日本の国益にはならない、政治から超然としている立場の天皇として、政治の動きとは一種のバランスを取らねばならないと考えているのだろうと思われます。その点で、今上天皇はリアリストなのだろうと私は考えます。

 

(貼りつけはじめ)

 

菩提樹:日本の超国家主義者たちの天皇に対する献身は報いられない(Banyan  Japanese ultranationalists’ devotion to the emperor is unrequited

 

旗を振りまわす過激主義者たちにとっての小さくない問題

 

2017年4月12日

『エコノミスト』誌

東京発

http://www.economist.com/news/asia/21720613-bit-problem-flag-waving-extremists-japanese-ultranationalists-devotion-emperor?frsc=dg%7Ce

 

教育勅語(Imperial Rescript on Education)は明治天皇の名において1890年10月に出された。教育勅語は315字の華麗な文字で書かれている。教育勅語では臣民たちに対して、忠誠心と孝行心を涵養し、最終的には皇室の存続のために生命を捧げる準備をするように求めている。教育勅語の認証を受けた謄本は全ての学校に設置された皇室を祀る小さな神社に納められた。子供たちは教育勅語を暗唱しなければならなかった。教育勅語は「国体」の概念の基本となる文書であった。国体とは、神聖不可侵の天皇と臣民との間の国家を形成するための神秘的な紐帯を示す概念だ。従って、教育勅語は日本人が天皇の名で出された命令を実行することを教え込まれる教化の道筋の起点となった。また、この道筋は軍国主義、総力戦、そして最終的に完膚なきまでの敗戦へとつながった。国体という言葉は、現在のドイツにおける「レーベンスラウム(生存圏)」と同じくらい、不協和音を生み出す言葉になっているのは間違いないところだ。教育勅語は、敗戦から3年後の1948年に国会によって失効させられた。

 

安倍晋三内閣は4月初めに教育勅語の学校での利用を容認したことで何をしようとしたのだろうか?菅義偉官房長官は、控えめに、日本政府は教育勅語を児童教育の「唯一の基盤」とすべきだと提案しないと述べ、教育勅語容認を批判する人々は厳格すぎるという印象を与えた。また、菅官房長官は政府が教室で教育勅語を使うように促すことはないとなだめるように述べた。教育勅語の取り扱いは教師たちの判断次第であるが、日本国憲法に反する取扱いはしてはならないと菅官房長官は述べた。

 

超国家主義の学校法人で幼稚園を経営する森友学園を巡る騒動が起きた後に、教育勅語の容認という動きが出た。いくつかの映像には、幼稚園児たちが今上天皇と皇后の写真に最敬礼をしている姿、軍歌を歌っている姿、中国、韓国、ロシアと争いがある領土を守って欲しいと大人たち訴える姿、反中国、反韓国のスローガンを叫ぶ姿が残っている。日本では、森友学園のこうした教育がスキャンダルとなった。それは、安倍昭恵首相夫人が森友学園に関与していたからだ。昭恵夫人は森友学園が建設中だった小学校の名誉校長になることに同意していた。昭恵夫人は2月末に名誉校長を辞任した。2月になって、森友学園が地方政府からかなり値引きされた値段で土地を取得したということが発覚した後に彼女は辞任した。このスキャンダルは継続して調査されている。

 

歴史家の半藤一利氏は1930年代前半に生まれた。彼は今でも教育勅語を暗唱することができる。彼は、「教育勅語には良い部分もありますよ。誰が親孝行、兄弟仲良く、友人と親しくするといったことに反対しますか?」と語る。しかし、教育勅語には、「良き臣民は天皇のために死ぬ覚悟をしなければならない」とも書かれている。これは、アメリカによる占領下の1947年に制定された自由主義的な憲法と真っ向から対立する。日本国憲法は天皇の神聖を否定し、国家のシンボルであるとだけ述べている。主権は国民にあるとされた。半藤氏は教育勅語の復活に動きながら天皇が政治的権力を持つように戻すということを述べない人々を軽蔑している。

 

日本の右翼と超国家主義者たちは呉越同舟である。東京中心部の街頭で、ごろつきのような人々が旗をふりまわし、軍歌を大音量でかけながら走る「サウンドトラック」を、汗をかきながら運転している。東京の靖国神社は、日本の戦争での戦死者たちを祀っている。靖国神社では、空想に浸っている人々は特攻隊のパイロットたちの制服を着てふんぞり返って歩き回っている。色々な場所で、自分の考えに凝り固まった独学の「歴史家たち」は、日本に対する誤解と嘘を全てが真実ではないことを「証明している」紙がつまっているみすぼらしい穴の中に閉じこもっている。歴史修正主義者たちはぐらついたセットが置かれているケーブルテレビのスタジオの中で怒鳴り散らしている。

 

彼らに共通しているのは、天皇のこれまで途切れたことのない家系に対する尊崇である。しかし、天皇は太陽の女神の子孫であると信じるには柔軟な思考が必要である。超国家主義者たちが歴史修正主義に陥りやすい理由はここにあるのかもしれない。彼らは、第二次世界大戦中の日本が民間人の大量虐殺や女性に売春を強要したというような犯罪を起こしたことを否定している。

 

こうした動きの中には機会主義者もいるが、多くの人々はその通りだと確信している。半藤氏は次のように語る。「日本に住む私たちは、起きてはならないことは、実際にも起きなかったのだと考えてしまう習慣があります」。2人の過激な歴史修正主義者が安倍内閣に入る。防衛大臣の稲田朋美と総務大臣の高市早苗だ。歴史修正主義者の団体である日本会議は、平和憲法の書き換えと天皇がより中心的な役割を回復することに邁進している。日本会議は38000人の会費を払う会員を擁している。会員の中には安倍内閣の閣僚になっている人物たちもおり、安倍内閣の4分の3は日本会議の会員だ。

 

歴史修正主義者と超国家主義者に共通しているもう1つの特徴は、戦争に対する罪悪感と戦時中の近隣諸国に対する侵略への謝罪が現在の日本を去勢しているという信念を持っているという点だ。日本会議会長の田久保忠衛は、学校における「道徳教育」の推進と教科書における先の戦争に関する輝かしい解釈を掲載することの目標は、国家の強制的な斉唱にさえ反対する左翼教師たちによる70年に渡る「洗脳」の「振り子を矯正する」ことにあると述べている。

 

超国家主義者たちは目標をある程度達成している。菅官房長官自身は過激主義者ではない。菅官房長官による教育勅語の用語はご機嫌取りのようだものだ。しかし、超国家主義者たちは深刻な問題に直面している。彼らが尊崇している83歳になる今上天皇は、父親の昭和天皇が容認し、消極的だが促進した戦争の悲劇を反省してきた。今上天皇は天皇としての時間の多くを戦場となった場所の訪問と日本側だけでなく、全ての戦没者の慰霊に費やしてきた。

 

菊の花の紋章はうめき声をあげている。

 

今上天皇の行動はナショナリストたちへの叱責となっている。日本会議の指導者たちは、今上天皇が半藤氏を招いて会話をしていることを知り、慌てふためいている。彼らに今上天皇と親しく会話をする機会を与えられたことはない。現在、天皇は日本国民に対して退位を許してくれるように求めている。その理由として高齢のために責務を果たすことが困難になっていることを挙げている。この天皇の行為もまたナショナリストたちを刺激している。それは、退位が2000年にも及ぶ不可侵の伝統を壊してしまうことになると考えられるからだ。日本の著名なリベラル派の知識人船橋洋一は次のように語る。「今上天皇は大変に人気があり、尊敬を集めています。今上天皇に勝てる人はいないのです」。超国家主義者たちは自分たちが無敵ではないということを心の底では分かっている。

 

(貼りつけ終わり)

 

(終わり)





アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22




 
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 古村治彦です。

 

 このブログでも書きましたが、「教育勅語は現在の教育現場に出てきてはいけない文書」だと私は主張しています。それは私の勝手な考えではなく、国権の最高機関である国会が、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」として、教育勅語には何の効力も効果もないということを決議しているからです。日本国憲法が最高法規であり、それに反する法律は日本には存在できません。そして、参議院の決議は、教育現場に関する指導的な法律である教育基本法(日本国憲法に反しない)に反するという理由で教育勅語は失効しているのだと述べています。

 

 今年2月から問題になっている森友学園に対する国有地の格安払下げ、瑞穂の國記念小學院開校認可に関する疑惑の中で、森友学園の教育方針にも注目が集まりました。森友学園が運営する塚本幼稚園では約15年前から教育勅語を園児たちに暗唱させるという教育を行ってきました。教育現場に教育勅語がふさわしいのかどうかについて、松野文科相は、「教育勅語を教育の源泉として扱うことは適切でない」と国会で答えていました。

 

 しかし、今週になって、しれっと次のように語るようになりました。下に貼り付けた記事をまずはお読みください。

 

(貼りつけはじめ)

 

●「教育勅語巡り、松野文科相「教材、配慮あれば問題ない」」

 

水沢健一

朝日新聞

20173141406

http://www.asahi.com/articles/ASK3G3DYFK3GUTIL00L.html

 

 松野博一文部科学相は14日、戦前・戦中の教育勅語について、憲法や教育基本法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」との見解を示した。配慮が適切かどうかの判断は「(都道府県などの)所轄庁が判断するものだ」とした。

 

 教育勅語は、明治天皇が1890年に教育の根本理念として授けた「教え」。両親への孝行など一般的な道徳を表す項目がある一方、国民は「臣民」とされ、国家の一大事には「皇室国家」のために尽くすと書かれている。

 

 松野文科相は14日の記者会見で、教育勅語が「日本国憲法と教育基本法の制定によって法制上の効力を喪失した」としたうえで、「憲法や教育基本法に反しないように配慮して授業に活用することは一義的にはその学校の教育方針、教育内容に関するものであり、教師に一定の裁量が認められるのは当然」と述べた。(水沢健一)

 

(貼りつけ終わり)

 

 松野文科相は、「憲法や教育基本法に反しないように配慮して」授業に活用することは学校の教育方針に関するもので、教師が決めることだとしています。松野文科相は、法律違反、憲法違反の危険を学校の先生方、特に公立学校の先生方(公務員)に冒させようとしています。また、教育基本法に則りながら運営されるべき学校現場に法律違反の危険を冒させようとしています。

 

 日本史の授業で1890年に教育勅語が制定された、という事実を教えることは問題ないでしょう。また、大学などで教育勅語を研究対象とすることは当然の行為でしょう。しかし、教育勅語を道徳の授業で使うことは教育基本法違反になる可能性があります。そんな危険を冒さなくても、親子や兄弟姉妹、友人や皆が互いを傷つけあわずに仲良くというようなことは別の教材でも十分に教えることは可能です。また、そのような道徳は個人的な良心の問題であって、天皇の言葉だからと身につけることではありません。

 

今回の発言で松野大臣が念頭に置いているのは、森友学園が開校しようとしていた瑞穂の國記念小學院(認可申請取り下げ)のことだと思いますが、この学校のウェブサイトには「道徳(教育勅語)」としてありました。認可申請が取り下げられたので、この学校での道徳の授業は行われませんが、もし道徳として教育勅語が教えられていたら問題になっていたと考えます。ですから、教育勅語についてはっきりと否定ができないと述べることができない松野文科相は問題です。松野博一文科省は、日本会議国会議員懇談会の一員です。ですから、教育勅語についてはっきりと否定できないのだと思いますが、教育勅語について擁護したければ少なくとも文科相を辞任されてからなさるべきでしょう。いや、公務員の憲法遵守義務違反にも該当するかもしれませんから、国会議員も辞めて、擁護活動をなさるべきかもしれません。

 

 「教育勅語には良いことがたくさん書いてある」という主張があります。そのように考えることは構いませんし、教育勅語を復活、つまり教育基本法に代わる日本の脅威の指導原理にしようと訴えることは自由です。しかし、そのためには日本国憲法を全面的に改正しなければなりません。教育勅語の内容と日本国憲法の理念は合わないものだと衆参両院の決議は述べています。そして、日本国憲法に反する法律や勅語は存在できませんし、天皇をはじめ全ての公務員には憲法遵守義務があります。ですから、日本国憲法を全面的に改定、もしくは破棄して大日本帝国憲法を復活させねばなりません。そうなると、主権者は天皇ということになります。現在は国民主権ですが、天皇主権ということになります。教育勅語の中で徳目が続いて最後に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という一節をどう訳すかが問題です。試訳では、「ひとたび天皇が主権者の大日本帝国にとって重大なことが起きたら、勇ましく奉公し、これまで栄え続けてきた天皇家のますますの発展に貢献せよ」ということになります。この一節は、やはり天皇大権が前提になっていると考えますから、この一節が入っている教育勅語は日本国憲法下の日本では復活できません。また、曲がりなりにも国民主権と基本的人権の尊重、民主政治体制が前進してきた日本が後進してしまうことも許されません。

 戦前の日本ではしかしながら、「天皇主権説」と「天皇機関説」が併存していました。顕教と密教という言葉で表現されていましたが、表向きは天皇が大権を統べるとなっていましたが、裏では主権は国家に属すると考えられてきました。天皇機関説によって議会は重要な役割を果たすことが出来ました。しかし、1935年から天皇機関説排撃が始まり、天皇を絶対視する勢力が軍部と結託し、亡国の道を進みました。ですから、大日本帝国憲法を復活させることは、いつ天皇絶対勢力が出現し、民主的な制度を窒息死させるか分からない危険なものですから、大日本帝国憲法の復活もまた歴史の進歩に反するものと言えます。 

 

 私個人の見解では、「教育勅語」をアホダラ経のように暗唱させたところで効果は薄いと考えています。戦前には「陸海軍軍に賜る勅諭」、通称「軍人勅諭」というものがありました。これは、旧日本帝国陸海軍の上は元帥から下は二等兵、新兵までに与えられた天皇からの「お諭しの言葉」です。陸軍は全員がこれを暗唱することが義務とされ、海軍ではその精神を理解しておくことが必要とされました。昔の陸軍士官学校の様子を収めた映像では、毎朝生徒たちは故郷に向かって遥拝し、その時に軍人勅諭を大声で暗唱していました。軍人勅諭の中身は軍人の心構えとして必要な内容が書かれていましたが、特に「政治にかかわってはいけない」と書かれていました。終戦の時の鈴木貫太郎首相は海軍大将でしたが、首相に推挙された際に、「私は明治大帝から軍人は政治にかかわるなというお教えを受けたので、できない」といったんは断ったところ、侍従長として仕え、大きな信任を受けていた昭和天皇から「頼むから」と言われて、ようやく引き受けました。一方、陸軍は中堅将校たちが政治に関心を持ってしまったがために満州建国や中国侵略を行ってしまいました。勅諭という「ありがたい」言葉をただの言葉にしてしまったのです。言葉をただ唱えているだけでは意味がないと思うのです。

 

 教育勅語が素晴らしいと考えることは自由ですが、それを「復活」させる、つまり教育の指導理念とすることは今のままではできませんし、私はそのような復活には強く反対します。それにつながるような動きにも強く反対します。

 

(終わり)









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 古村治彦です。

 

 今回の森友学園・瑞穂の國記念小學院(安倍晋三記念小学校)を巡るスキャンダルで出てくるのが、森友学園が経営している塚本幼稚園での園児による教育勅語の暗唱です。戦前の日本では、教育勅語は教育の指導原理となっていましたが、あのように皆で暗唱するものではなく、「紀元節(211日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(113日)および11日(元日、四方節)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校で儀式が行われ、全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げ、その写しは御真影(天皇・皇后の写真)とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われた」(wikipediaから)というものだったようです。校長先生が奉読するものを静かに聞くものだったようです。先生が天皇の代りになって、「朕」という天皇の自称の言葉から始まる言葉を読むものです。生徒が「朕」と言うことはおかしなことです。だって生徒はどう逆立ちしても天皇ではありませんから。

 

 有名な勅語に「陸海軍軍人に賜りたる勅諭」というものがあります。これは戦前の軍人に対して、「このような軍人であれ」という指針を示したものです。勅諭ですから、「天皇が教え諭すもの」です。陸軍士官学校では、後半の5条を毎朝、生徒たちが暗唱していました。海軍士官学校では記憶・暗唱されませんでした。海軍は「直後のご精神さえ分かっていればよい」ということだったそうです。塚本幼稚園の籠池泰典園長は、この陸軍士官学校のまねをしたかったのだろうと思いますが、自分たちの勝手なイメージで、実際にありもしない戦前の姿を生み出してしまっています。

 

 この教育勅語ですが、1890年に制定されたもので、主導したのは長州閥の山県有朋です。実際に起草したのは井上毅です。この教育勅語に関しては、最後の元老となった西園寺公望が文部大臣時代に、「国際協調主義」「国際社会における日本人の位置と役割」といった部分が欠落しているという理由で、第二教育勅語の制定を考え、その原案まで作っていましたが、日の目を見ることはありませんでした。1930年代から40年代にかけての日本の歴史を振り返る時、西園寺の危惧が悲しいことに現実化してしまったということが言えます。亡国の歴史が全て教育勅語に起因するということはありません。しかし、戦前教育の指導原理として国際的な感覚を涵養できなったという点では、問題があったと思います。

 

 連日、報道されていますが、森友学園・塚本幼稚園に関するスキャンダルでは、塚本幼稚園の教育内容にも焦点があてられています。教育勅語の暗唱の様子も放映されています。教育勅語はそもそも、日本国憲法下の日本において、教育の現場にあってはならない、存在してはいけないものです。

 

 以下は衆議院予算委員会で行われた質疑の様子を伝えるものです。

 

(貼りつけはじめ)

 

●「「教育勅語」教育は不適切 森友学園の幼稚園教育内容宮本議員追及に文科相 衆院予算委分科会」

 

しんぶん赤旗 2017224

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-02-24/2017022415_01_1.html

 

 不透明な国有地売却が問題になっている大阪市内の学校法人「森友学園」(籠池泰典理事長)が、幼稚園児に教育勅語を暗唱させるなどしている教育内容の問題点が23日、衆院予算委員会分科会で追及されました。日本共産党の宮本岳志議員は、文部科学省に指導を求めました。

 

 森友学園は、同市淀川区で運営している塚本幼稚園で毎朝、教育勅語を暗唱させていることで知られます。

 

 籠池理事長は本紙の取材に、同学園が今年4月から開校しようとしている私立小学校でも「教育勅語を朗誦(ろうしょう)する」と明言しています。同校の名誉校長は、安倍晋三首相夫人の昭恵氏です。

 

 同校の認可を審議している大阪府私立学校審議会では、学園の教育方針やカリキュラムについて「思想教育のような部分がある」「違和感を覚える」と懸念の声があがっています。

 

 宮本氏は、文部科学省が以前から「教育勅語そのものを教材として使うということは考えられない」という立場をとってきたことをあげて「いまもその立場に変わりはないか」とただしました。

 

 文科省の藤原誠初等中等教育局長は「変わっていない」と答えました。

 

 宮本氏は、教育勅語の暗唱は文科省が一貫して否定してきたものであり「これを小学校で教えるのは不適切だ」とただしました。

 

 松野博一文科相は「この教育方針が認可も受けていない小学校でどう扱われるかは仮定の問題だ」としながら「教育勅語を教育の源泉として扱うことは適切でない」と答えました。

 

 宮本氏は、塚本幼稚園では「しつけ」と称して「子どもがおもらししたら、そのままカバンに入れて持ち帰らせる」など児童虐待につながりかねない問題もあることをあげ、「不適切なものがあればただちにただすべきだ」と求めました。

 

 教育勅語 戦前の教育の基本原理を示すものとして1890年に明治天皇の言葉として出されました。親孝行や兄弟仲良くなど当たり前に思える徳目を並べていますが、それらをすべて天皇への命がけの忠義に結び付け、「重大事態があれば天皇のために命を投げ出せ」と徹底して教え込んだのが特徴で、軍国主義教育の主柱となりました。敗戦後、憲法、教育基本法の理念に反するとして1948年、国会の決議で公式に否定されました。

 

(貼りつけ終わり)

 

 この記事には、「敗戦後、憲法、教育基本法の理念に反するとして1948年、国会の決議で公式に否定されました」とあります。これはどういうことでしょうか。

 

教育勅語は1890年に制定されたということは、これまでこのブログでもご紹介した海外の新聞記事にでも出ています。それではいつまで効力があったかというと、実質的には敗戦の年にアメリカ軍が進駐してくるくらいまでですが、その効力がないことが正式に決まったのは1948年6月19日です。同時にその他の詔勅(陸海軍軍人に賜りたる勅諭など)も一括して無効とされました。

 

この日に、国会の衆議院、参議院それぞれで決議案が可決されました。衆議院は、「教育勅語等排除に関する決議」、参議院は、「教育勅語等の失効確認に関する決議」となっています。それぞれに決議を貼り付けます。

 

(貼り付けはじめ)

 

教育勅語等排除に関する決議 昭和23年年6月19日 衆議院本会議

 

民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは敎育基本法に則り、敎育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている敎育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の敎育に関する諸詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。

 

思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。

 

右決議する。

 

=====

 

教育勅語等の失効確認に関する決議 昭和23年6月19日 参議院本会議

 

 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている。

 

 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失っている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。

 

 われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。

 

 右決議する。

 

(貼り付け終わり)

 

 衆議院の排除決議では、「これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する」と述べています。

 

 教育勅語には、主権在君、神話的国体観に基づいているので、基本的人権を損ない、国際的信義の点から疑問が残るので、憲法第98条に従って、排除すると述べています。憲法98条には、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と書かれています。

 

 日本国憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律や詔勅は存在できませんし、効力を持ちません。教育勅語は主権在君、神話的国体観に基づいているので、日本国憲法に反するので効力はないとしています。

 

 参議院の失効確認決議では、「さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている」と述べています。

 

 こちらでは、日本国憲法の人類普遍の原理に基づいた教育基本法ができたので、教育勅語はその効力はないと述べています。日本国憲法に基づいて教育基本法が出来、それがこれからの指導原理となるので、教育勅語はその効力を失ったとしています。

 

 それぞれ理屈は異なりますが、教育勅語は日本国憲法に合ってないということを述べています。ですから、この教育勅語は日本国憲法が制定されて以降、公的な場所には出てきてはいけない存在なのです。もちろん、学問研究や個人の思想や信条のために、それを保持して読むことは良いでしょう。しかし、日本国憲法の人類普遍の原理に基づいている教育基本法が現在の教育関係の指導原理的な法律となっている以上、日本国憲法に反する存在である教育勅語を教育の場に持ち込むのは法律違反です。ですから、森友学園が行っていることも法律違反の可能性が高いのです。

 

 森友学園が認可申請中の「瑞穂の國記念小學院」のウェブサイトの「学習目標」(http://www.mizuhonokuni.ed.jp/curriculum/objective/)のページには、はっきり、「道徳(教育勅語)」と書かれています。この学校が認可されれば、教育勅語を教えることになります。これは日本国憲法に基づいて定められた教育基本法に反する行為ですが、この小学校に認可を与えた大阪府の公務員、知事の責任となるでしょう。

 

 更に言えば、国会での審議中、共産党の小池晃参議院議員の質疑中に、「(教育勅語は)いいじゃないか」というヤジが閣僚席や委員席から叫ばれました。私はこのヤジを飛ばした大臣、国会議員、もしかしたら政府委員(キャリア官僚)たちは狭義の意味で憲法遵守義務違反だと考えます。

 

 公務員には憲法遵守義務があります。日本国憲法に反する行為はできません。これは日本国憲法第99条に定められています。

 

憲法99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と書かれています。国務大臣や国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負っています。

 

 国会議員が、しかも国権の最高機関である(日本国憲法第41条)国会の場で委員会に出席しているなかで、堂々と教育勅語を賞賛する発言を行うのは明らかに憲法違反です。国会の内部で堂々と憲法違反をする国会議員には辞めてもらうしかありません。国会議員を辞めてもらって好きなだけ教育勅語礼賛の言葉を叫び続ければよいのです。

 教育勅語復活ということを公約に掲げて選挙を行うことは良いとしましょう。政党は公的な存在ですが、公務員でありません。政党が公約として教育勅語復活(しかしこれには日本国憲法の廃棄も一緒に主張されねばなりません)を 掲げることは良いでしょう。それで当選した国会議員が国会審議などで主張するのもよいでしょう。ですから、上で狭義と書きました。しかし、これにはどうしても日本国憲法の廃棄、全文からの全ての書き直しが必要となってきますから、まずは改憲、しかも全面的な改憲をしなければなりません。

 

 安倍晋三首相やお仲間たちが改憲を進めようとしています。今回のスキャンダルで、彼らの進める改憲のイメージが私たちにはっきり見える形になりました。塚本幼稚園の様子こそは、安倍氏らが実現したい「美しい日本」であり、改憲後の姿となります。ここまで日本は追い詰められてきました。ここで押し戻さねばなりません。

 

(終わり)









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