古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:日本国憲法

 古村治彦です。

 

 今回は、『内奏―天皇と政治の近現代』を皆様にご紹介したいと思います。新書にしては、こなれていなくて少し読みにくい本ですが、内容は大変充実しており、日本の近現代史に興味がある人にとっては、「そう、そこを知りたかったんだよ」という、かゆいところに手が届く本です。この本の中身を中心にお話を進めたいと思います。

 


 昭和10年代から敗戦までの歴史に関する本を読むと、重大な事件や決定の際に、政府の責任者(総理大臣や各国務大臣)、軍の責任者(陸軍の参謀総長や海軍の軍令部総長
[長く軍令部長])が天皇に報告するシーンが出てきます。この時に、天皇から厳しく追及され、脂汗を流す、頭を上げられないということがありました。一方、近衛文麿は、天皇から椅子を勧められ、それに足を組みながら座り、政治について語ったという話もあります。

 

 明治憲法(大日本帝国憲法)においては、天皇は主権者として、天皇大権と呼ばれる、国を統治し、軍を統帥する権限を持っていました。そして、この権限の行使の際には、国を統治する場合には、各国務大臣の輔弼(ほひつ)、軍の統帥の場合には、参謀総長と軍令部総長の輔翼(ほよく)を必要としました。

 

 天皇に何かを申し上げることを「奏」と言い、これに関する言葉は、上奏、奏上、密奏、内奏やそのほか様々な言葉があります。明治憲法下、国務大臣や参謀総長、軍令部総長がそれぞれの職務に関して決定を行い、それを天皇に報告し、天皇がそれを認める(裁可する)という流れの中で、天皇に報告することを「上奏」ということで統一され、制度化されたのは、1907年の「公式令」が制定されてからだということです。

 

 この上奏に関しては、天皇は「ご下問」という、質問で内容を確認したり、婉曲的、間接的にですが、「内容を再検討してみたら」「反対だ」という意思を伝えたり出来ました。戦争直前、このご下問対策に陸軍、海軍は頭を悩ませたということです。

 

有名な話では、日米開戦直前、参謀総長の杉山元が「日米開戦になった場合に、どれくらいで作戦を完遂するのか」という昭和天皇のご下問に対して、「太平洋は3か月で作戦を終了する見込みです」と答えました。そうすると昭和天皇は、「お前は陸軍大臣だったとき、支那は、2ヶ月程度で片付くと言ったが、支那事変は現在も終わっていないでないか」と厳しく問い詰められました。杉山が「支那は奥地が開けており、予定通り作戦がいかなかったのであります」と苦し紛れに答え、昭和天皇は「支那の奥地が広いというなら太平洋はもっと広い。いかなる成算があって3ヵ月と申すのか」と厳しく叱責し、杉山は汗をかきながら、頭を下げているしかなかったというものがあります。昭和天皇は厳しいご下問で、矛盾や過度の楽観を厳しく突く人物であったそうです。

 

 この上奏については、戦前から戦中にかけてさまざまなドラマが展開されました。内閣が倒れたこともありました。張作霖爆殺について、当時の田中儀一首相が天皇に「奏聞(報告)」することになっていました。これは「上奏(報告し、裁可を受ける)」とは異なる点に注意が必要です。この時、宮中では、最初に田中首相が示した陸軍の厳罰方針と異なる場合(軽い処分)には、認めない内容の「お言葉」を出して良いのかを研究し、その内容のお言葉を田中首相に与えることになりました。

 

 田中首相が「奏聞」のために参内し、昭和天皇に拝謁し、張作霖爆殺事件処理について行政処分で済ませることを報告すると、昭和天皇は以前の報告と内容が違うとして、報告を打ち切らせました。田中首相には「事件処理があまりに杜撰だ」という昭和天皇の意思が伝えられ、田中首相は内閣総辞職を決意しました。この時、昭和天皇は、これが田中首相の「上奏」だと考えており、「合理的な理由もなく、正式な(裁可を必要とする)上奏で前回と違うことを言うとは何事か」として、会見を打ち切ったとのことです。一方、田中首相にしてみれば、非公式の(裁可を必要としない)奏聞のつもりであったのですが、天皇に叱責されたことで内閣不信任だと考えて総辞職となりました。

 

 どうもこの上奏やら奏聞、内奏、奏上と言った言葉がはっきりした定義が共有されて使用されていなかったために、戦前から戦中にかけて、誤解や混乱を招くこともあったようです。

 

 1945年8月15日に昭和天皇の玉音放送が流れ、9月2日に東京湾の戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書に調印が行われました。ここから1947年に日本国憲法が制定されるまで、昭和天皇は積極的に政治に関与します。この時はまだ明治憲法下ですから、憲法違反ということではありません。著者の後藤致人氏は、この時期は「天皇親政的色彩」が強い時期であったと述べています。

 

 19475月3日年に、大日本帝国憲法が日本国憲法に改正された形で施行となり、上奏という制度はなくなりました。しかし、昭和天皇は、内奏という形で、国務大臣などが報告に来ることは残すように要望しました。この内奏と同時に行われるご下問やお言葉については法的な根拠が曖昧で、天皇の政治関与(天皇執政)と考えられますが、「天皇の国情への理解を深める」ためのもので国事行為には当たらないということになっています。

 

 しかし、1947年7月には当時の外相・芦田均(首相は社会党の片山哲)が宮中からの要請を受けて外交問題についての内奏を行いました(芦田は日本国憲法制定に深くかかわったので、この内奏が天皇政治関与にあたるのではないかという疑念を持っていました)。この時、米ソ関係の悪化を受けて、「日本の外交は日米関係を基調とすべき」とする「お言葉」があったと芦田は日記で書いています。また、1947年9月には、沖縄メッセージ(米軍による沖縄の長期占領と日本の主権確認を求めるメッセージ)をアメリカ側に送りました。こうした天皇の姿は、日本国憲法下の象徴天皇の姿からは外れたものと言えます。

 

 片山内閣の後に成立した芦田内閣では、「①天皇不執政の徹底のために閣僚による内奏の廃止、②戦前・戦後の宮中の違いをはっきりさせるため、宮内府長官・侍従長という宮中首脳の同時交代による人事刷新、③道義的責任として天皇大意を求める」と言う方針を打ち出しました。これに対して、昭和天皇は抵抗しました。芦田内閣が短命であったために、これらの方針が徹底されることはありませんでした。

 

 次の吉田茂内閣(第二次)では芦田内閣の方針は破棄されました。吉田内閣の次の鳩山一郎内閣では、閣僚による内奏が復活しました。岸信介内閣では、都道府県知事の内奏が行われるようになりました。一方で、岸信介は天皇軽視の態度もみられ、宮中側には不満が残りました。たとえば、都道府県の知事の内奏では、天皇の日程を変更させると言ったことが起こりました。また、鳩山一郎の大勲位授与に関して、岸が内奏を行わないで、単なる伝奏で済ませようとしたことに関しては、昭和天皇が不満を漏らしたとそうです。

 

 岸とは対照的に、昭和天皇(そして当時の皇太子・現在の今上天皇)と良好な関係を築いたのは、岸の弟の佐藤栄作でした。昭和天皇と佐藤栄作の関係は「君臣情義」と呼ぶべきものでした。佐藤栄作は様々なことを天皇に内奏し、天皇もそれを熱心に聞き、お言葉もあったということです。佐藤栄作は沖縄の施政権の返還を実現しますが、これがなった時に思い浮かんだのは、自分が昭和天皇にこれを内奏する姿でした。やはり親しみを持ってよく顔を出す人に親近感を持つのは人間の情として自然なことなのでしょう。

 

 田中角栄内閣の時に、閣僚(増原恵吉防衛庁長官)が内奏の中身と天皇のお言葉をマスコミに話してしまう、内奏漏洩事件が起きました。第二次吉田内閣以降、内奏の中身を他に漏らしてはいけないということが不文律になっていました。内奏を終えた増原長官は、つい内容を漏洩してしまいました。その結果、内奏は政治的なものではないことが改めて確認されました。

 

 1980年代以降になると、政治家たちの昭和天皇に対する畏怖の念が低下していきました。日本国憲法化の象徴天皇ということが政治家たちの意識の中に浸透していった時代と言えます。1989年に昭和天皇が崩御し、今上天皇が即位しました。今上店で特徴的なことは、日本国憲法を強く意識していることです。折に触れて、日本国憲法や第二次世界大戦・太平洋戦争についての発言を行っています。これは昭和天皇には見られなかったことです。


 今上天皇になっても内装は続けられています。今上天皇は日本国憲法下で即位した初めての天皇で、昭和天皇のように、天皇大権があった明治憲法下の天皇の職務を体験していません。そういう意味では、新しい形の象徴天皇としての姿を模索し、それを実行していると言えます。

 

 この本『内奏』では、天皇の政治関与ということがテーマとなっています。明治憲法下では、天皇の政治関与が制度として組み込まれていたのですから当然行われていました。日本国憲法下では、象徴天皇と天皇不執政の原則から、政治関与は公的にはなくなりました。しかし、昭和天皇は、内装を残すことで、政治とのかかわりは保ち続けました。占領下では天皇不執政の原則を越えての発言もあったようです。

 

 その後、日本国憲法が定着していく中で、政治家側の温度や態度で、天皇との距離感の違いが出てきました。そして、現在では、とても「ドライな」関係になっているようです。この天皇と政治の距離感はある意味で絶妙なものであると言えるでしょう。天皇と皇室の存在を国民の多くが認めている現在、この距離感が大きく変わることはないでしょう。

 

この文章は2016年7月11日に書いたものです。書評ですし、内容から考えて、そんなに急がなくてもよいかなと思っていました。

 

 しかし、2016年7月13日夜に、NHKが今上天皇の生前退位の移行について報道し、共同通信や他のメディアも後追いの形で報道しました。

 

『内奏』のテーマは天皇の政治関与ですから、一気にこの本のテーマがホットな話題になりました。

 

 今回のケースでは、「天皇の地位から退きたい」という今上天皇の意向があるということが報道されました。

 

 現在の日本国憲法では天皇の地位と国事行為については規定がありますが、皇位の継承については、皇室典範によると書かれています。

 

 皇室典範には、天皇の生前退位に関する規定がありません。皇室典範は明治時代に制定され、昭和24年に改正された法律ですが、最後に天皇の生前退位があったのは1817年ですから、明治時代に皇室典範を作った時も、生前退位を想定されていなかったということになります。

 

 また、皇族の規定としては、皇太后(崩御した前天皇の皇后)はありますが、退位した天皇(おそらく大上天皇、上皇)については書かれていません。

 

 ですから、今のままでは天皇は即位すれば、崩御するまで天皇でいなければならないということになります。病気などで公務が出来ない場合には、摂政をおくことが出来ます。昭和天皇も父大正天皇の健康状態が悪くなって、摂政宮となりました。

 

 今上天皇が健康や年齢を理由に「退位したい」と考えて、ごく親しい人たちに話をするのは、人間として当然のことですが、それが表向きになると、途端に政治とからんでしまいます。

 

 私は今回、この報道を聞いて、「国事行為に天皇が自身の地位について話をするということがないが、これは逸脱行為、政治関与になる可能性はないのだろうか?」と、『内奏』を読んだばかりでしたので、考えてしまいました。

 

 もちろん、内奏で国務大臣や三権の長などに会う際に、政治的な意見を言い、それが影響するということになると、明らかな政治関与ですが、この場合にはそれに当たりません。しかし、国民的な議論というか、関心を集めるという点では、どの政治家も無視することはできないものです。

 

 その点では、政治関与とは言えないが、政治に大きな影響を与えるものとなったと言うことはできます。

 更に言うと、天皇には政治利用という側面もあります。つまり、天皇の意向だということで自分の主張や意見を押し通すということです。現在ではそのようなことは制度上はできませんし、政治利用を防ぐためにも内奏の中身を外に漏らすことはできません。しかし、今回の天皇退位の意向が、単に周囲に対して、「体もきついし、公務で間違うこともあるから、公務を皇太子に引き継いでもらうためにも、引退したい」と私的に述べたことが、外に漏れることで、大きな影響を与えることは明らかですから、問題は、誰が主体となってこのリークが行われたのかということを知ることが重要です。

 今上天皇が改憲の動きを阻止するために自ら意見のリークを認めた、ということも考えられますし、改憲派が日本国憲法擁護派の今上天皇を退位させようとした、もしくは皇室典範改正(現在のままでは皇太子が存在しなくなりますし、女性天皇の是非も問題になります)から改憲(天皇に関する条項の変更)へとつなげて、国民を国民投票や改憲に慣れさせるということも考えられます。


 天皇は日本では政治的な権威を失いましたが(君臨すれども統治せずの立憲君主制)、それでもやはり大きな存在なのだということを再認識した、という方は多いと思います。

(終わり)



 


(終わり)







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 古村治彦です。

 

 昨日、今上天皇が生前退位の意向を持っている、とNHKが報じました。このニュースは驚きを持って迎えられました。

 

 今回の報道をアメリカとイギリスの新聞はどのように報じているかを皆様にご紹介します。まぁフィナンシャル・タイムズの親会社は日本の日本経済新聞ではあるのですが。

 

 ニューヨーク・タイムズはかなり踏み込んだ内容になっています。参院選3日後であること、皇太子も含めて安倍首相に批判的であるといった内容が書かれています。

 

 ワシントン・タイムズはAP通信の記事を掲載していますが、皇后と一緒に皇室の伝統を変えてきたということを書いています。

 

 フィナンシャル・タイムズは病気はあっても、歴史の傷を癒そうとしていると書いています。

 

 それではお読みください。

 

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●『ニューヨーク・タイムズ』紙

 

Emperor Akihito of Japan Plans to Abdicate Throne, Broadcaster Says

By MOTOKO RICH JULY 13, 2016

http://www.nytimes.com/2016/07/14/world/asia/emperor-akihito-abdicate.html?ref=asia&_r=0

 

「テレビ放送によると、日本の明仁天皇が譲位の計画を持っている」

 

・日本の公共放送NHKによると、82歳になる明仁天皇(1989年即位、父は太平洋戦争も天皇であった昭和天皇)が側近たちに対して、息子の皇太子徳仁(56歳)に天皇の地位を譲る意向であることが明らかになった。生前の譲位は1817年以来のことだ。

 

・天皇の役割は現在は全体として儀式に限られている。第二次世界大戦終了まで、日本の人々は天皇を半神だと考えていた。また日本軍の最高司令官でもあった。日本降伏後、日本を占領したアメリカは、昭和天皇から全ての政治的権威を取り去った。現在でも多くの日本人が天皇に敬意を抱いている。

 

NHKによると、明仁天皇は2003年に前立腺がんの治療を受け、2012年には心臓の手術を受けた。正式な退位の意向の発表は近いうちに行われる予定だ。

 

・明仁天皇は自身の天皇の地位の継承に関して、ドラマが起きないようにしようとしている可能性がある。父昭和天皇は亡くなるまでの数年間、健康を害していた。ワシントンにある外交評議会日本研究担当状況研究員のシーラ・A・スミスは「天皇は継承をより簡素に、より事務的にしたいと望んでいるように見える」と述べた。

 

NHKの報道の後、日本の左派傾向にある新聞の朝日新聞は宮内庁次長が、譲位の報道について、「天皇はそのような意図を持っていない」と否定した。

 

・安倍晋三首相率いる自由民主党とパートナーが議会選挙で勝利を収めた3日後に、今回の報道がなされた。選挙の結果、彼らは参議院で3分の2を占めた。これは憲法の見直しに必要な数である。安倍首相は長年にわたり、戦争を放棄するとする日本国憲法の条項を覆したいという野心を持っている。

 

・天皇は公式的には一切政治的権威を持っていない。しかし、皇太子は安倍首相の目標に対抗するかのような行動を取っている。皇太子は1947年にアメリカの占領軍が起草した平和憲法について繰り返し発言を行っている。2015年の55回目の誕生日を前に、皇太子は、日本国憲法を賞賛し、「平和の大切さを心に留めておきたい」と述べた。

 

天皇が譲位するについては、国会が皇室典範の改正をする必要が出てくるであろう。現在の皇室典範では、天皇の崩御の後に次の天皇の即位が行われると規定されている。

 

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●『ワシントン・ポスト』紙

 

Japan’s Emperor Akihito, 82, reportedly considering retiring

By Associated Press July 13 at 11:40 AM

https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/report-japans-emperor-akihito-82-considering-retiring/2016/07/13/bd97d23e-48e6-11e6-8dac-0c6e4accc5b1_story.html

 

「日本の明仁天皇(82歳)が退位を考えているという報道」

 

・日本の明仁天皇が、年齢を重ねることで公務を減らすよりも、数年のうちに退位して、天皇の地位を譲る意向を示した、と日本の公共放送が伝えた。

 

・82歳になる明仁天皇はここ数年、自身の好例について言及し、儀式で些細な間違いをしてしまうことを認めている。宮内庁は公務の削減し、皇太子に任せるように提案してきていた。

 

NHKは匿名の宮内庁の取材源からの話として、明仁天皇は宮中の職員たちに対して、天皇としての責任を大きく減らしたり、摂政を置いたりしてまで地位に留まりたくないと述べたと報じている。共同通信も政府関係者の話として、同様の報道を行っている。

 

・水曜日の深夜、宮内庁次長は報道を否定し、日本国憲法では天皇の政治関与は禁止されているので、天皇はコメントしないと述べた。

 

NHKは、明仁天皇は退位の可能性についてここ数年考えており、彼の2人の息子も父の考えを受け入れていると報じた。

 

・明仁天皇は1989年1月に亡くなった父昭和天皇から天皇の地位を受け継いだ。2003年には前立腺がん手術、2012年には心臓手術を受け、いずれも回復した。

 

・近現代の日本の歴史において生前の譲位は行われなかったことであり、明仁天皇はまた皇室の伝統を破ることになった。

 

・明仁天皇は、天皇として初めて、一般人出身の皇后と結婚した。また、皇后は皇室の歴史で初めて、皇后は3人の子供を、乳母を使わずに育てた。

 

・明仁天皇は2013年には、死後は火葬にして遺骨を歴代の天皇よりも小さい霊廟に収めること、そして皇后の遺骨も傍らに安置することを選択し、国全体を驚かせた。この計画は過去400年間の皇室の埋葬の習慣を破るものとなる。

 

・明仁天皇は高齢にもかかわらず、忙しいスケジュールを付けている。儀式に出席し、外国からの訪問者に挨拶をし、海外や日本国内を訪問している。巨大な地震の後は住民たちを慰撫するために被災地を訪問する。

 

・明仁天皇はこれまで、第二次世界大戦の傷を癒そうとしてきた。即位からすぐに中国を訪問し、またその後も主要な戦地を訪問している。昨年には、西太平洋の国パラオを訪問し、今年初めには、日本の戦時中の侵略の被害国フィリピンを訪問した。

 

・56歳になる皇太子徳仁は皇位継承第一位に位置している。皇太子妃雅子は元外交官で、現在は、ストレスが原因となる精神の不調からの回復途上にある。

 

・皇室典範は存命中の皇位継承についてのルールを定めていない。退位後の天皇の地位についても書かれていない。共同通信は匿名の政府関係者の話として、生前の皇位継承には皇室典範の改正が必要になると伝えている。

 

・最後に存命中の天皇の譲位が行われたのは200年前のことだ。

 

・伝統的な数え方では、明仁天皇は125代目の天皇となる。紀元前660年に神武天皇が初代の天皇となってから125代目と言われている。歴史学的な記録では、天皇の始まりは少なくとも紀元後5世紀まで遡れる。最も古い継承されてきた王家ということになる。

 

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●「フィナンシャル・タイムズ」紙

 

July 13, 2016 2:00 pm

Japan’s public broadcaster says Emperor Akihito ready to abdicate

Robin Harding in Tokyo

http://www.ft.com/cms/s/0/0ac18e98-48e6-11e6-b387-64ab0a67014c.html#axzz4EKBs9swl

 

「日本の公共放送、明仁天皇が退位の準備と報道」

 

・水曜日、明仁天皇は天皇の地位から退きたいと考えている、と日本の公共放送NHKが報じた。生前譲位は近現代の日本で前例のないことだ。

 

・生前譲位は「ここ数年」のことであるが、実現すれば200年ぶりとなる。これは、天皇の長男である56歳の皇太子が菊の玉座を引き継ぐことを意味する。

 

・ここ数年、82歳になる明仁天皇は病気がちであった。彼の退位は日本にショックを与えることになるだろう。日本では、天皇は日本国家の安定と継続性のシンボルだ。

 

・宮内庁はコメントを出していない。しかし、NHKはよく宮中からの準公式の情報を報じ、このような国にとって重大な問題について一か八かの報道はしない。

 

NHKの報道によると、天皇は高齢を理由にして公務を減らすことや代理を立てることに消極的だということだ。天皇は国家の象徴のような憲法上の義務を完全に履行できる人間が天皇の役割を果たすべきだと考えているとのことだ。

 

・日本では天皇の退位に対しての準備はできていない。法律を改正する必要がある。

 

・平均寿命が延びていることは、元首たちも高齢になっていくことを意味する。これが退位の理由となる。2013年、オランダのベアトリクス女王は息子に王位を譲った。同じ年、法皇ベネディクト一六世も退位した。

 

・明仁天皇は一九八九年に皇位を継承した。宮内庁が発表している系譜によると、明仁天皇は125代目で、初代は紀元前660年まで遡る。

 

・歴史上、天皇は退位を迫られることも多かったが、最後に生前退位が行われたのは1817年だ。この当時、日本の実権を握っていたのは徳川将軍であった。

 

・明仁天皇は健康問題を抱えている。2002年には前立腺がんと診断された。昨年には心臓病も見つかった。今年2月にはインフルエンザに罹患した。

 

・しかし、今年になって天皇は皇后を伴って、フィリピンを公式訪問し、全ての戦争で亡くなった人々を慰霊した。

 

・憲法で厳しい制約下に置かれているが、明仁天皇は日本の歴史に存在する傷を癒そうとしてきた。昨年は第二次世界終結70周年にあたり、「深い悲しみ」を表明した。

 

・昨年の誕生日の記者会見で、天皇は公務が負担になっていることをほのめかした。「私は誕生日を迎えて82歳となります。年齢を感じるようになりました。儀式ではいくつか間違いをするようになりました」と述べた。昨年のいくつかの機会で、天皇は間違いをしたことを認め、スケジュールの調整をしなければならないとほのめかした。「私は全ての機会において最善を尽くしてそのようなことがないように努めるつもりです」と述べた。

 

・天皇は歴史を正しく記憶することの大切さを発言した。この話題に関しては、皇室と日本の右翼歴史修正主義者とでは考えが対立している。理論上では彼らは天皇を崇め奉るのだが、この点では意見が異なる。

 

・「年を経るごとに、戦争を経験したことがない日本人がどんどん増えていきますが、前の大戦の知識を持ち、戦争についての考えを深めることが日本の将来にとって大変重要であると考えます」と天皇は述べた。

 

・皇太子には一人娘がいるが、現在の男性のみが皇位継承できるとする法律の下では、天皇の地位を継承できない。従って、現在では、皇位継承権第2位は、明仁天皇の次男の息子である悠仁皇子となる。

 

(終わり)





 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


⑦最後に

 

 自民党の憲法改正草案には、微妙なしかも目に見えにくい仕掛けがいくつもしてあって、素人には見抜けない落とし穴がいくつもあります。憲法草案作りに参加した自民党の政治家たちの多くが高級官僚出身者たちです。官僚たちのずるい言葉遣いを「霞が関文学」と揶揄しますが、自民党の憲法草案はまさに霞が関文学の傑作です。こうした落とし穴に嵌らないために、プロによる解説や批判を読むことは大変に重要なことです。

 

自民党の改憲草案に対しての批判は、つまるところ、立憲主義についての無理解と人権擁護の後退・義務の強化にあると思います。立憲主義と人権擁護は憲法にとって普遍的な要素です。少なくとも世界の先進諸国と呼ばれる国々の憲法はこれらを根本要素にしています。自民党の改憲草案はそれらが欠如している、もしくは稀薄であるという点で、世界の普遍性を無視した憲法草案と言うことができます。

 

 安倍晋三首相や麻生太郎財務相(元首相)は「自由の弧」「価値観外交」という言葉を使います。同じ価値観を持つ国々で連携しましょうということですが、本当のところは中国包囲網をやりましょうという意味です。しかし、国の形(Constitution)を決めるのに、こうした復古調、世界の普遍的な要素を否定する日本に対して、世界の先進諸国が「同じ価値観を持っている仲間だ」と考えてくれるものでしょうか。私はそうは思いません。国の根幹が違うのに、仲間だと思ってもらえる訳がありません。

 

 自民党が提出している改憲草案は包括的なものですが、一番の狙いは現在の日本国憲法第9条を変更して、自衛隊の海外派兵を容易にし、その派兵先で戦闘行為ができるようにするというものだと私は考えます。憲法9条が落とすべき本丸で、他の復古調の部分はできたらやる、出来ることを期待していないという程度のものではないかと思います。これは、アメリカによる日米軍事力共同運用(自衛隊の米軍下請化)だけはどうしても進めたいということだと思います(アメリカとしてはその副作用で安倍政権みたいなのができて少し困っていると思いますが)。

 

 アメリカは現在、財政は厳しいですし、一番の金食い虫であるアメリカ軍を削減従っています。しかし、世界の覇権を逃したくはないし、台頭している中国にはアメリカ国債を買っては貰っているが、できたら台頭を抑えたい、少なくとも邪魔したいと思っています。そこにあるのが日本です。日本が自衛隊を米軍と一緒に動かせるようになれば、中国に対しての立派な「かませ犬」になります。アメリカは自国の軍事力の一部を日本に肩代わりさせることができます。そうした流れの中の改憲というのは正しいことでしょうか。私はそう思いません。今の憲法を変える緊急の必要性はないと考えます。

 

 日本国憲法には足りない部分はあるでしょう。それら改正すべきところを改正するのではなく、9条に的を絞った改憲というのは国民の多くが望まないものです。いくら危機を叫んでみても、国民もそこまで馬鹿ではありません。しかし、完璧でもありませんから、やはり冷静になってしっかりと自分の頭で考えるようになることが重要だと思います。ポイントをつかみ知識を得れば、それだけで自分たちのことを最終的に守ることになります。そして、どれだけ面倒くさくてもやはり考え続けること、疑い続けること(師である副島隆彦先生は常に疑うことを基本にし、弟子たちにもそのことを教えています)だと思います。

 

 憲法は英語でconstitutionと言います。このconstitutionという言葉には、日本語で「構造、構成」の意味があります。憲法は法律の中でも最高の「私たちが生きる国の形」を定めたものです。それが現実に合わなくなっているので変えることはあるでしょう。日本国憲法には憲法改正に関する条文があります。ですが、あまりに安易に変えることはできないようになっています。自民党はそれを変更し、9条を変更しようとしています。今の憲法下でベストを尽くすことなく、あらゆる手段を用いて、「衆議院と参議院の総議員数の3分の2の賛成を得て発議し、国民投票を行う」ということを行おうとしません。これまでもしてきませんでした。そして、憲法を変える要件だけを変えようとしています。

 

 繰り返しになりますが、憲法を変えた方が良い、憲法を変えない方が良いと色々な意見があります。私の周りでも自分の意見を述べる人はいます。それぞれ自分なりに考えた意見だと思います。ですが不誠実なやり方で憲法を変えるということは、改憲を主張する人々も望んではいないでしょう。なぜなら、そのような不誠実なやり方で変えられた憲法には正当性など存在しないのですから。
 

  

(参考文献)

 

小林節著『「憲法」改正と改悪 憲法が機能していない日本は危ない』(時事通信社、2012年)

伊藤真著『憲法問題 なぜいま改憲なのか』(PHP新書、2013年)

伊藤真著『憲法は誰のもの? 自民党改憲案の憲章』(岩波ブックレット、2013年)

小林節著『白熱講義! 日本国憲法改正』(ベスト新書、2013年)

小林節、伊藤真著『自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!』(合同出版、2013年)

舛添要一著『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書、2014年)

 

(終わり)




 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12

 

古村治彦です。

 

 4月末から5月初めにかけて大型連休(ゴールデンウィーク)がありました。5月末に刊行される『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著、古村治彦訳、ビジネス社、2014年)の仕事が一段落し、かねて関心を持っていた憲法問題、改憲について自分なりに勉強しようと思い(憲法記念日もありましたので)、以下に挙げた参考文献を読みました。憲法の授業は大学学部時代に受講したのですが、中身は全く覚えていません。熱心な学生でもなく、何とかお情けで単位を貰えたくらいでしたので、大学時代の先生はきちんと教えて下さったと思いますが、改めて勉強することにしました。「若い時にきちんと勉強しておけばよかったな」という後悔もありますが、年齢を重ねたことで理解力は増しただろう(記憶力は減退したのは確実ですが)、ということを頼りに勉強しました。

 

 私が選んだ文献は筆者が偏っていると思われるかもしれません。ですから、私の理解は一面的な、「偏った」ものかもしれませんが、しかし、個人の考えは不可避的に「偏る」ものであり、全く同じということもないのですから、それは自然であり、当然であると考えます。前置きが長くなりましたが、私が納得し、納得したことを基にして考えたことを以下に書いていきます。

 

 自民党の憲法改正草案というものが2012年に発表されています。私が読んだ本の著者たちはこの自民党の憲法改正草案を叩き台にして

 

①立憲主義(Constitutionalism

 

 どの本の筆者もまず掲げているのがこの「立憲主義」という言葉です。この言葉について、それぞれの筆者が分かりやすく言い換えていますが、立憲主義とは「人々の人権を最大限擁護し、国家が暴走しないように憲法で国家を縛る」ということです。憲法擁護遵守義務が公務員にのみ課せられているのはこのためです。憲法は国民が国家に与える縛りということです。国家が国民を縛るものではありません。他の法律は国民を縛るものです(国民の代表である政治家が主権者である国民を縛る法律を作ります)。ですから、憲法に国民が果たすべき義務というのは少ないのも当然です。現在の日本国憲法では、「納税、勤労、教育を子女に受けさせる」の3つが国民の義務となっています。ただ、人権に関しては、濫用しないように、「公共の福祉に反しないように」という条文があります。

 

②義務と権利

 

 「近頃の日本人は過度の個人主義と行き過ぎた権利意識のためにダメになっている。それが社会に反映されている」という主張があります。自民党の憲法改正草案作りにもそうした考えが反映されているようです。「権利と義務は表裏一体だから、責任感を持て」という主張をする人々もいます。そして、自民党の改憲草案には国民の義務規定がたくさん入っています。しかし、小林節教授も伊藤真氏もこの点について、「それは違う」と指摘しています。ある個人が権利と義務を一体として持たない場合はいくらでもあるということ、そして、憲法は国を縛ること、国に義務を課すことが目的で作られたものであり、国民に義務を課すためのものではないと指摘しています。この点は良く議論されるところですが、両氏の指摘は大変に説得力がありました。

 

③愛国心のような心情、信条の問題

 

 自民党は2005年にも憲法改正案を出しているのだそうです。この時は「愛国心」を持つことを義務化するような条文もあったそうですが、小林節教授、伊藤真氏は「心」の問題に憲法が踏む込むべきではないとしています。国民が国を愛する心を持つのは強制ではなく、自発的であるべきで、政治家はそのために努力をしなければならないのに、憲法に書いて強制するという愚挙を行うのは大きな間違いだと両氏は指摘しています。また、どうしても愛国心を持てない人々が少数派になってしまう場合もあります。そうなると、憲法を基にしてそうした人々を弾圧することも可能となります。人権尊重を重要な要素とする憲法が人々を弾圧する道具になってしまうのはおかしなことです。また、そのような危険性は低いとなっても、そうした可能性はできるだけ排除しておくことが必要ではないかと思います。

 

④「公益及び公の秩序」という言葉

 

 自民党の改憲草案には「公益及び公の秩序」という言葉が多く出てきます。伊藤真氏はこの点を警告的に指摘しています。これに反する表現の自由も結社の自由も認められないということになります。ここで出てくる「公」という言葉がなかなか曲者です。英語ではpublicがその意味になると思いますが、私はこれを「人々の」と訳したいと思います。しかし、自民党的な使い方では、state-centeredgovernment-orientedになるのではないかと思います。国家や政府の利益、それらにとって好ましい秩序ということになるのではないかと危惧します。

 

⑤自衛権

 

 自民党の改憲草案には、自衛権が明記されています。そして、自民党の説明では、「自衛権という言葉には、個別的自衛権と集団的自衛権が両方含まれており、それは自明のことである」としています。ここまでは分かりますが、自民党は、「集団的自衛権を日本は持っているのだから、それに制限をつけて行使することは何も問題はない」という姿勢です。国民の1人として、「自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権が含まれていて、それらは全く別のもので、集団的自衛権は行使しないという今の立場を維持すべきだ」と私は考えます。その理由については、このブログで自衛権について考えたことを書きましたので、そちらを参照していただければと思います。

 

⑥その他に興味深かったこと

 

伊藤真氏は、自民党の憲法改正草案の中で、「個人」という言葉ではなく、「人」という言葉を使っている点を指摘しています。これはそれぞれ全く違う、同じ人はこの世に2人といない個人を大切にするという考えから、人という一括りの言葉にすることで、個性や個人の人権を軽視するための言葉遣いではないかと伊藤氏は指摘しています。「そんなの考え過ぎじゃないの」と言う方もおられると思いますが、それならば、自民党は、個人の人権を尊重する立場を明確にし、「個人」という言葉を使えば済むだけの話です。こうして、微妙な言葉遣いの中に色々と落とし穴を仕掛けているのが、自民党の改憲草案だなという印象を持ちました。そして、少し考え過ぎるくらいに慎重にそして批判的に見ていかねば、そうした落とし穴に嵌ってしまうのだろうなと感じました。

 

また、伊藤氏は、住民投票について、レファレンダムとプレシビットとの違いを指摘しています。レファレンダムとは、憲法改正や国の重要な政策を対象とした国民投票のことを指し、プレビシットとは、執権者に対する信任を問う、国民投票のことを指します。フランスではドゴール大統領時代にプレシビットがあったそうです。ドゴール大統領が政策を提案し、それについての国民投票が行われたそうなのですが、実質的にはドゴール台帳量を支持するかどうかが争点になったのだそうです。このプレシビットになってしまうと、

 

日本国憲法は「硬性憲法(改正のための要件が厳しい)」で改正しにくいという主張があります。自民党もこの点を強調し、「国民の意思が反映されにくい、だから発議要件を3分の2から過半数にするべきだ」と主張しています。私も「衆議院、参議院で国会議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票というのは確かにハードルが高いよな」と思ってきました。しかし、こうした主張はただの誇張に過ぎません。小林節教授も伊藤真氏も指摘していますが、他の先進諸国の場合、憲法改正の要件が日本よりも厳しい国がいくつもありますが、それらの国々では憲法改正が行われています。小林、伊藤両氏は、「憲法とは基本的に硬性であること、そして、日本の場合、国民が憲法改正の必要性を感じることがなかったので憲法改正が行われなかったのだ」と指摘しています。私には、両氏の主張には、目から鱗が落ちるような感じを覚え、説得力があると感じました。

(つづく)





 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





 古村治彦です。

 今回は、拙い考えですがという前置きを置いて、国の自衛権について考えてみました。私は学部の時は社会史、大学院の時は政治思想や政治学を専攻しましたが、法律の専門教育を受けていません。しかし、日本国民である以上、自衛権について考えてみなければならないと考えました。

 国家に当然備わっている「自然権」として自衛権は存在するという表現がよく見られますが、自然権は個人に使われる表現ではないかと思いますが、そこの点はそのままにして進めていきたいと思います。 

 日本は憲法9条で国際紛争を解決する手段として戦争を放棄し、そのための戦力を持たないと決めています(平和主義)。ですから、領土争いのような問題が起きた時、戦争をすることはできません。戦争をして問題を解決することはできません。日本の防衛(自衛権)は、国境(線)を軍隊で踏み越えて来られたら押し返す、国境線まで相手を追い返すということです。そして、国境線から踏み出すことはできません。そのまま国境線を踏み越えて、他国に侵攻することはできません。

 日本は島国であるために、海で国境を接していますが、海は公海と領海(経済的排他水域もその中には含まれると思いますが)に分かれています。他国の領海に侵入することはできないのは当然として、公海上で戦闘行為をすることは可能なのかどうか、ここは考えや学説が分かれるところではないかと思います。私は、「領土、領空、領海を踏み越えて武力行使をすることは憲法違反」だと考えますので、公海上での武力行使は行うべきではないと考えます。従って、集団的自衛権の名の下にアメリカと共同で他国を攻撃することはできないし、してはならないと考えます。 

 一方、わが日本が安全保障条約を結んでいる同盟国アメリカの防衛、自衛権は、「脅威だと感じたら、国境線を踏み越えられる、踏み越えられない関係なく、他国にまで攻め入ってその国の政府や政治体制を改造する」というものです。国境を踏み越えてきた敵対勢力を追い払うだけでなく、その殲滅までを含めています。このアメリカのパターンの最たる例が太平洋戦争における日本です。また、2001年9月11日の同時多発テロ事件以降の対応でも、同じ事です。アフガニスタンとイラクはアメリカの自衛に加えて、アメリカのおせっかいである「民主国家建設」も行われました。

 現在、多くの議論がなされている集団的自衛権について考えます。アメリカが「危機に感じた、攻撃された、助けてください」となれば、日本はアメリカの防衛に「付き合わねばならない」ということになります。

 古来、侵略的意図を国防、民族の自尊、解放などの美名に隠して行われた戦争は数知れません。私が好きな山本夏彦翁は、「春秋に義戦なし」という言葉を紹介しています。戦前の日本について考えてみれば、日清、日露、第一次世界大戦、ロシア出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争は全て、日本側から見れば、「正義の戦争」「やむにやまれず」「自衛」の戦争でした。しかし、戦争は常に正義が衝突するものです。

 アメリカの自衛権に「付き合う」ことになると、他国への侵攻を覚悟せねばなりません。今までのアメリカの自衛権行使のパターンを見れば、外敵を自国の領土から追い出す以上のことをやっています。そして、これからもそうするでしょう。「侵攻」と言えばまだ聞こえは良いですが、相手側から見れば「侵略」です。どちらもinvasionということになります。日本は今までのところ、戦闘行為には関与せず、後方支援や戦後の民生支援ですから、そこまで恨みを買ってと思いますが、もしアメリカ軍と一緒になって、「自衛」の名の下に「侵攻(=侵略)」したらどうでしょう。これはアメリカと同じくらいの恨みを買います。アメリカは常にテロに怯えねばならない国となりました。日本もまたそうなる可能性があると私は思います。

 他国へ侵攻することは、卑近な例で考えると、警察官が個人の家や建物に入ってくることと同じです。これは大変なことです。私たちにひきつけて考えてみると、裁判所の発行した令状がなければ入ってくることはできません。しかし、国家以上の統治機関がない国際社会においては、令状を発行する裁判所は存在しません。だからと言って、入り放題では国際社会は崩壊してしまいます。今のところ、国際連合安全保障理事会のお墨付き(決議)がある場合は、他国への侵攻は許容されます。しかし、アメリカはそうしたものはお構いなしです。そうなると、日本が集団的自衛権なるものを行使するとなると、アメリカにお付き合いするのですから、令状もなしに他国に侵攻するということに加担することになります。これは明らかに日本国憲法違反になると私は考えます。

 「外国が攻めてきたらどうするのか」という主張があります。具体的には北朝鮮や中国が攻めてきたら、という話です。確かに可能性(possiblity)で言えば、それはゼロではありません。しかし、それは「ウガンダが攻めてくる」とか「アメリカが攻めてくる」という話とあまり変わりません。蓋然性(probability)で言えば、高い、低いの話となりますので、アフリカ大陸にあるウガンダや同盟国であるアメリカが日本を攻める蓋然性と、近隣にあり、関係も良くない北朝鮮や中国が日本に攻め込んでくる蓋然性は違いますし、後者の方が蓋然性が高いと言わざるを得ません。しかし、その蓋然性もまたかなり低いと言わざるを得ません。

 中国や北朝鮮が日本を攻めて何が得られるのでしょうか。戦争は何か目的があってなされるものです。この両国が日本に攻め込む、もしくはミサイルを撃ち込むことで一体どんな利益が得られるのでしょうか。まず国際社会からは経済制裁以上の制裁を科されることは間違いありません。それだけで北朝鮮などは体制が崩壊してしまうでしょう。この両国に近い諸国も何もしていない日本を攻撃したとなれば、強い非難をすることになります。中国は世界との交易で経済成長を行っているのに、それができなくなることで、経済成長は止まり、中国共産党の正統性は失われ体制が崩壊してしまいます。そのような危険性が高いのに日本を攻める必要はありません。

 尖閣諸島、竹島、北方四島の国境地帯をめぐる問題でそれぞれ、中国、韓国、ロシアに対する脅威を言い立てる、危機を煽り立てる言論が多くなされます。私は、現在の状況を確定させ、そこから後退しないという姿勢を示すことが重要だと考えます。そして、こういった書き方は不快に思われる方々が多くおられると思いますが、経済的コストも加味して、どこまで相手に求めることができて、こちらも譲ることができるのかということを考えるべきです。日本は暴力(軍事力)を使って国際問題を解決しないと日本国憲法で宣言している国です。 そうした姿勢を貫きながら、多くの要素を加味して、話をするという姿勢を示し続けること、更に現状から後退しないという姿勢を示し続けることが重要であると考えます。

 危機を煽るというのは戦前もありました。ロシアが攻めてくる、ロシアに備えるために朝鮮半島を満州をそして中国北部を手に入れなければならない、もしくは、南進をしなければならない、と軍部は危機を煽り立て、自分たちが煽った危機に自分たちが酔ってしまい、守るべき国民を大量に死なせて戦争は終わりました。今の自衛隊の幹部はどうか分かりませんが、一部の自衛隊幹部出身の政治家や評論家たちの言動を見ていると、そういう要素が完全に消え去ってはいない、連綿として残っているということが分かります。そうした要素の復活を許さないためにも改憲も解釈改憲も必要ないと考えます。

 日本は日本国憲法で戦争をすることはできないのですから、こちらから手を出すことはできません(こちらから手を出したいと思っている方々は多くいるみたいですが)。国連のPKO活動(2003年から2009年までの自衛隊のイラク派遣は除きます)で外国に自衛隊を派遣できますが、戦闘行為は行いません。これは大きな事であるし、この線をこれからも堅持すべきだと私は考えます。

 勇ましい言論、愛国心を煽る言論、日本の特殊性をことさらに称揚する言論が日本を席巻しています。それに呼応するかのように、様々な内容の嫌中、嫌韓本が山積みになっています。そうした状況下で、自衛権について冷静に議論をして決定できるとは思いません。現在の自民党は、不要不急の解釈改憲にご執心ですが、国民生活の改善と安定に同じように熱心に取り組んでいるでしょうか。私にはそう思えません。彼らには国民生活が第一であるという政治の根本要素への理解が全くありません。そこに日本の不幸があると思います。

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