古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:日本政治

 古村治彦です。

今回は日本政治について取り上げたいと思う。現在のところ、岸田文雄首相の人気は高くない。物価高に対する対応や軍事費増強のための増税のために国民の間で不満が高まっている。
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岸田文雄とジョー・バイデン
 岸田首相は親族の男性のほとんどが東京大学出身、自身も東大の合格者数で全国トップクラスに君臨する東京の名門私立開成高校の出身であるが、東大の入試に失敗して、二浪という形で早稲田大学法学部に入学、卒業している。早大時代には東大入試に不合格となった学生たちと集まってやけ酒を飲んでいたこともあったそうだ。早大には東大入試不合格組からどうしても早稲田に行きたくてギリギリで入学した早大偏愛組まで幅広くいるが、二浪してまで東大を目指しながら失敗してしまって、嫌々ながら仕方なく早稲田に入った、岸田首相のような人に対して、早大偏愛組は冷淡である。「あんまり早稲田出身とは言って欲しくない」という複雑な感情がある。

 しかし、昨年12月、早稲田大学の大隈講堂の裏、昔の大隈重信邸の庭である大隈庭園の一部にある古民家・完之荘(かんしそう)に岸田首相、森喜朗元首相、そして、青木幹雄元自民党幹事長が集まって会談が持たれた。完之荘は卒業生であれば予約をして使うことができる。食事も可能だ。この面々であれば、都内の一流の料理屋(料亭)やホテル、更に言えば昨今話題の首相公邸で会合を持つことができる。それをわざわざ完之荘という、早大卒業生でもあまり存在を知らない場所で会合を持つというのは、象徴的な行為である。それは「早稲田部族(俺もお前も早稲田じゃないかという仲間)」としての話があったということである。
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完之荘
 今年亡くなった青木幹雄は、自分の早大、政治家時代の後輩である小渕恵三元首相の娘である小渕優子に派閥(平成研究会)を引き継がせたい(日本初の女性首相にしたい)、現在派閥領袖の茂木敏充自民党幹事長は首相にしたくない、早く派閥を引き継がせたいと願っていた。そのために、健康状態が万全ではない中で、大隈講堂の裏にある完之荘に出向いた。早大雄弁会時代の後輩である森喜朗も参加して、青木の悲願を後押しすることを約束した。森の影響力が強いうちに、小渕優子の派閥継承までは進めるということになるだろう。「雄弁会の先輩である青木さんの頼みだし、後輩の小渕君の娘さんのことだから」という何とも浪花節的な話ではある。しかし、このような義理人情で日本政治の人事は動いてきた。このプリンシプルに合わない行動しかできない人物はトップに立てない。威張るばかりで、パワハラ体質でもある茂木にはこのようなことはできない。岸田にしてみれば、一応は「早稲田族」でもある訳で、ここで浪花節的な早大雄弁会人脈に恩を売っておくというのは悪いことではない。

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 岸田首相の派閥である宏池会は保守本流として伝統を誇ってきたが、2000年の加藤の乱でガタガタにされ、分裂した。現在は谷垣グループの有隣会、麻生派の志公会、宏池会となっている。宏池会系の悲願は宏池会系の派閥の再合同だ。これによって自民党内において大きな勢力となる。岸田首相としては自身の手でこの大宏池会構想の実現を成し遂げたい。そうすることで日本政界において大きな影響力を保持できる。そこで邪魔になってくるのが、麻生太郎だ。麻生太郎は吉田茂の孫ということを前面に押し出して、宏池会の正統な後継者は自分だということで、威張り腐りながら、いまだに政界にとどまっている。麻生としては自分が大宏池会を実現して、中途半端に終わった首相在任(野党転落となった)の屈辱を雪ぎたいというところだろう。麻生太郎は野中広務に大変嫌われた。平成研究会としては相容れない人物ということになる。平成研究会としては、岸田首相の派閥である宏池会を支援するということになる。田中・大平の蜜月時代以来の協力関係ということになる。そうした中で調整役・仲介役となるのは鈴木俊一財務相となるだろう。鈴木俊一は、故鈴木善幸元首相の息子だ。鈴木善幸は東大出身・キャリア官僚出身者が多い池田派と後継の大平派(お公家様集団と呼ばれた)にあって、党人派として調整役にあたっていた。息子の俊一もまた調整役に適任の人物だ。鈴木俊一は早稲田出身であり、妹(鈴木善幸の娘)は麻生太郎と結婚しているので麻生の義理の兄ということになる。

 岸田首相は「開成高校族」でもある。岸田首相は開成高校出身者として初めての首相となった。多くの東大合格者を出し、それに比例して中央官僚のキャリア官僚、政治家たちを生み出してきたが、岸田首相が初めての開成高校出身の首相というのは驚きである。開成高校出身者のキャリア官僚と政治家で構成される同窓会組織もあり、その組織が岸田首相をバックアップしているということは良く知られている。開成出身者にしてみれば、「早稲田程度にしか行けなかった勉強のできなかった人」扱いであろうが、東大法学部を出た、中央官庁のキャリア官僚になって出世コースに乗ったと言ったところで、首相の座を掴むためには、勉強の出来や頭脳明晰さだけではどうしようもない部分が大きい。
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岸田首相を中心にして、開成出身の中央官庁のキャリア官僚たちはまとまって支えているということになるだろう。財務省としては、岸田首相がアメリカから「厳命」されている防衛費倍増をかなえながら、増税の幅を小さくしたい(大増税に賛成なのは防衛費増額を望む国会議員たちだ)ということで苦心しているようだ。増税の時期もまだはっきりとは決まっていない。腹芸で出来るだけ遅らせて、その間に世界の政治情勢、経済情勢の変化を待って対応しようという感じになっている。

岸田首相は2つの部族にうまくはまっている。政治力を持つ早稲田族と、中央官庁、霞が関で大きな影響力を持つ開成高校族だ。こうした2つの勢力をうまく使いながら、中央政界でうまくやっていく、誰とも衝突しないという戦略で生き延びていくと思われる。。

(貼り付けはじめ)

●「「ご遺族の意向を押し切って参列」 茂木幹事長が青木幹雄元官房長官のお別れ会に姿を見せた理由」

7/20() 5:56配信

デイリー新潮

https://news.yahoo.co.jp/articles/f0f8753c79027d48866a4795a4120807efb52887

https://news.yahoo.co.jp/articles/f0f8753c79027d48866a4795a4120807efb52887?page=2

 山陰地方が記録的な大雨に見舞われた今月9日。島根県出雲市で、6月に死去した参議院のドンこと青木幹雄元官房長官のお別れ会が行われた。

「政界引退後も、平成研究会(茂木派)の実質的なオーナーとして歴代政権に影響力を及ぼした。悪天候の中、式典には300人もの参列者が集まりました」

 とは、さる自民党関係者。

「青木さんのご遺族は、事前に“改めて東京でも開催します”と周知し、国会議員には声を掛けませんでした。例外的に招かれたのは、細田博之衆院議長ら中国地方選出議員のほか、小渕優子元経産相くらい。派閥会長の茂木敏充幹事長も招待は見送られていたんです」

 青木氏は平成10年に発足した小渕恵三内閣で官房長官に就任。が、小渕総理は在職中に病に倒れて優子氏がその後を継いだ。その縁で青木氏は、彼女に「実の娘のように目をかけてきた」(地元関係者)ことで知られる。もう一人の招待者である細田氏は、同じ島根県選出の盟友だ。

●“茂木敏充の名義の花なら受け取るな”

 先の自民党関係者が言う。

「青木さんは生前、茂木さんを“我(が)が強すぎる”などと蛇蝎(だかつ)のごとく嫌ってきた。二人の確執は最後まで解消されず、青木さんは“茂木敏充の名義の花なら受け取るな。受け取るなら平成研の名義にしてもらえ”と言い残したとも。供花の名義にまでこだわるのは細やかな配慮で有名だった青木さんらしいですが、“そこまで嫌っていたのか”と、改めて対立の根深さが浮き彫りになりました」

 9日の朝、それでも茂木氏は出雲市に向かった。

 政治部デスクが解説する。

「茂木にとり、この日は南米と欧州に向かう外遊の出発日。彼が強行軍にもかかわらず出向いたのは、青木の“最後の一撃”の影響を気に病んだからでしょう」

 青木氏が自身の死後も続けた“茂木切り”に、茂木氏は危機感を募らせた。

「この日、小渕は弔辞を任されていました。個人名での供花すら断られていた茂木は、弔辞を読む小渕の姿が派閥の世代交代を内外に印象付けることを恐れたはず。だから彼は、あくまで遠慮を求めたご遺族の意向を押し切って、強引に顔を見せたとみられています」

●後がない茂木氏は…

 折悪く、岸田文雄総理は今秋と目される内閣改造と党役員人事で、茂木幹事長の交代を検討しているとされる。

「最大の理由は東京都における公明党との選挙協力を巡るトラブルです。交代となれば、派閥における茂木の影響力低下は避けられませんが、一方で小渕の求心力は一気に高まりますね」

 政治ジャーナリストの青山和弘氏はこんな見方だ。

「茂木氏は65歳の岸田総理より2歳年上で、年齢的にも次の総裁選が最初で最後の挑戦になる。衆院33人、参院21人からなる派閥の結束や小渕氏の台頭を考えれば大雨の中、外遊の出発日に出雲まで出向いたという事実は今後、大きな意味を持つ可能性がある。派閥の中堅幹部は無理して行かなくても……”と鼻白んでいましたが、後がない茂木氏に行かないとの選択肢はなかったのでしょう」

 恩讐の彼方に仄見えてしまう老獪な打算――。

「週刊新潮」2023720日号 掲載

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●「岸田政権は5月までもつ? 「第1次安倍政権と似てきた」の声」

村上新太郎

2022年12月14日

『アエラ』

https://dot.asahi.com/wa/2022121300069.html?page=1

https://dot.asahi.com/wa/2022121300069.html?page=2

https://dot.asahi.com/wa/2022121300069.html?page=3

 秋の臨時国会が1210日、閉幕した。焦点だった旧統一教会問題をめぐる救済新法は成立したものの、世論の評価はいまいち。相次ぐ閣僚スキャンダルも来年に持ち越されそうな情勢だ。満身創痍の岸田文雄政権、いつまでもつのか──!?

*  *  *

「総理大臣は実に孤独なものです……ちょっとつらいときもあります」

 岸田文雄首相は1121日夜、母校・早稲田大学の大隈庭園内にある「完之荘」で森喜朗元首相や自民党の青木幹雄元参院議員会長らと会食し、こう心情を吐露してみせたという。森、青木両氏とも早大雄弁会出身の実力者。今後の政権運営などについて意見交換したと思われる。大物たちに悩みを打ち明けた岸田首相の真意は何だったのか。政府関係者はこう語る。

「岸田首相は、財務省出身で最側近の木原誠二官房副長官や、官邸官僚たちの進言をほぼ言いなりで聞いて政権運営をしてきた。それに対し、自民党サイドからは『事前に一切説明がない』と猛反発を食らい、政府・与党の連携欠落が明らかになった。問題閣僚の更迭判断の遅れや身体検査のずさんさなども影響し、官邸が機能不全に陥った」

「政高党低」と言われた時代から一転、いまや官邸は党を抑えられなくなっているという。物価高騰対策の補正予算案では、萩生田光一政調会長に押し込まれ、当初政府が想定していた25兆円規模から4兆円超の上積みを余儀なくされた。注目された2023年度から5年間の防衛費についても、財務省は当初30兆円台前半を主張していたが、増額を求める防衛族をバックにした防衛省に押し切られ、総額約43兆円の大盤振る舞いに。岸田首相は1兆円強の増税を表明せざるを得なくなった。

 閣僚の辞任ドミノも止まらない。岸田派の葉梨康弘前法相、寺田稔前総務相に続き、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い接点が明らかになった秋葉賢也復興相も危うい状態だ。「岸田首相は非主流派の菅義偉前首相や二階俊博元幹事長と面会したり、麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長と3人で何度も会ったりするようになった。ある程度、党側に軸足を移さないといけないと思ったようだ」(自民党関係者)

■新閣僚にも醜聞 野党の鼻息荒く

 だが、肝心の支持率は低下する一方だ。共同通信社が112627日に実施した世論調査によると、岸田内閣の支持率は10月末の前回調査から4.5ポイント減の33.1%で、過去最低を更新。不支持は51.6%で初めて5割を超えた。

 中でも、旧統一教会問題を巡る被害者救済新法について、マインドコントロール(洗脳)された人の寄付の取り消し規定が必要との回答が75.8%に上ったことは重要だ。新法に洗脳下の寄付規制を明記しない政府方針は、世論とズレていることになる。「この数字に官邸は焦ったが、『洗脳下』は定義付けが難しい。そこで、寄付を勧誘する際、十分に配慮する規定を修正法案に盛り込むなど、内閣提出法案としては異例の、野党案を取り入れた法案となった」(与党国対関係者)という。

 岸田政権の現状について、政治ジャーナリストの野上忠興氏は「閣僚が次々とドミノ辞任した第1次安倍政権と酷似している。こういう展開になると、内閣自体がもう長くない」と断言する一方で、こうも語る。

「岸田首相は案外しぶといから、支持率が30%あれば来年5月の広島サミットまではもつのではないか。状況的には20%台前半に落ちていてもおかしくないが、日本人はお人よしだから信任してしまう。ただ、岸田首相には危機感がない。自分の長男を首相秘書官にして、後ろがついていくはずがない。今、ほとんどの霞が関幹部の心は岸田首相から離れている」

 政権の危機はまだ続く。寺田氏の後任に据えた松本剛明総務相は就任早々、資金管理団体が会場収容人数を超えるパーティー券を販売し、政治資金規正法違反の疑いがあると「しんぶん赤旗」にスクープされてしまった。

 松本氏は旧民主党から自民党に転じた転向組で、麻生派(志公会)所属。「適材適所」(岸田首相)と言うものの、あからさまな麻生人事だ。だが、旧民主の流れをくむ立憲民主党にとって松本氏はいわば裏切り者。立民にとっては“制裁”を加える絶好の機会とあって、批判の手は緩めないだろう。立民幹部は「元々、プライドが高く、自民党内でも浮いた存在と聞く。徹底的に追及し辞任に追い込む」と鼻息は荒い。

岸田首相からすれば、松本氏や秋葉氏を更迭しようにも、これ以上、首を切ると政権がもたない恐れもある。そこで浮上していたのが年明け以降の内閣改造。人心一新し、立て直しを図るのが狙いだ。ただ、11月下旬ごろから「改造は視野に入れているが慎重に見極めようという意見が出てきた。問題大臣の交代だけで収める可能性も十分ある」(自民党幹部)という。

 自民党役員人事も合わせて行うとみられていたが、国会運営をめぐり立憲民主党の安住淳国対委員長にやられっぱなしの、高木毅国対委員長も所属する安倍派の要請で交代させない芽も出てきた。

 そもそも内閣改造しても支持率が上がるとは思えないが、来年5月の広島サミットで議長国として存在感を発揮して支持率を上げ、余勢を駆って解散に持ち込むというのが首相の基本戦略だろう。

 最大の救いは「ポスト岸田」の有力候補が不在で、野党の支持率も非常に低い点だ。支持率がジリ貧でも、どこかの段階で解散の引きがねを引き、反転攻勢に出ることを狙っているのは間違いない。

「残念なのは、かつては三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘各氏)、安竹宮(安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一各氏)など自民党はベンチの中に予備軍がいっぱいいたのに、今はいないこと。国民の側は誰も『あの人がいいね』という発想ではなく、『あの人でいいや』という見方をする。政治の劣化ぶりもこれ極まれりだ」(野上氏)

「冗談に聞こえるかも」と前置きしたうえで、前出の政府関係者は語る。

「官邸内部ではサッカー日本代表が格上のドイツ、スペインに勝ち、メディアがサッカー一色になり政治ニュースが霞むと喜んでいた。しかし、クロアチアにPK戦で負けて、これで平時に戻ったとがっくりする職員が多いといいます」

 このままでは何も成し遂げないまま、“オウンゴール”で試合終了だ。(本誌・村上新太郎)

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 安倍晋三元首相が銃撃によって暗殺され1か月ほどが経過した。日本憲政史上において最長の首相在任期間を記録し、国政選挙にも勝ち続けた安倍元首相と安倍元首相がリーダーだった日本の右派だったが、一気に退潮に瀕している。安倍元首相が率いた安倍派は後継者が育っておらず、集団指導体制となった。自民党の派閥の歴史を見てもらうと分かるが、安倍派はこれまで代替わりの度に分裂ということが頻繁に起きた。最近は起きていなかったが、一時的には集団指導体制で収まると思うが、やがて誰かリーダーを選ぶとなった場合には内紛が起きる可能性がある。また、安倍派は岸(信介)系と福田(赳夫)系の流れがあり、それらが争うということもある。現在の安部派のプリンスは福田達夫自民党総務会長であるが、福田を早く総裁候補に育てたい勢力とそれを阻止したい勢力で争うことになるだろう。

 現在の岸田政権のキーパーソンとなるのが松野博一官房長官と木原誠二官房副長官だ。この2人についての紹介記事を下に掲載する。松野官房長官は安倍派所属であるが、系統としては福田系と言える人物である。首相を狙うタイプではなく、キングメイカーを目指す寝業師のタイプのようだ。岸田文雄首相率いる宏池会とも関係が良いようだ。

 木原誠二官房副長官は財務官僚出身でイギリスでの経験がある。2009年の選挙で落選してしまったがその後は順調に当選を重ねている。木原は岸田の側近であり、首相を目指す姿勢を隠そうとしない。官僚系でおとなしい人物が多く、お公家様集団というのが特徴されてきた宏池会系では珍しい感じである。

 今回の安部元首相暗殺で日本の右派がこんなにもろくも崩れてしまうのかということが私にとっては驚きだった。それは安倍元首相が統一教会に恨みを持つ人間に殺されたという「舞台設定」が大きく影響している。暗殺事件後、暗殺事件自体への興味関心と言うよりも、統一教会自体そして、政界と統一教会との腐れ縁的な関係へと関心が集まり、自民党に対しては批判的な目が向けられている。統一教会との関係が突破口になって、日本の政界の浄化と右派の暴走への歯止めが効くようになるということを多くの国民が期待している。

 2022年は世界規模、日本国内両方で政治史における大きな転換点となった年だったということが後々言われるようになるかもしれない。それほど大きな変化が起きつつある。

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安倍元首相後の日本:脅威の下での政治的安定性?(Japan after Abe: Political stability under threat?

-指導者不在の保守派、経済的課題、岸田首相の先行きの不安など、様々な問題が立ちはだかる。

ナオヤ・ヨシノ筆

2022年7月13日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Spotlight/The-Big-Story/Japan-after-Abe-Political-stability-under-threat

東京発。7月8日、安倍晋三元首相は奈良市内で、参議院選挙を翌日に控えた選挙活動を行っていた。安倍首相らしい名演技だった。安倍首相は見物人に手を振りながら、自民党候補の応援演説をした。

演説の途中で2発の爆音がして、安倍は倒れ、暗殺者の手製の銃で致命傷を負った。

生前の安倍首相は、おそらく21世紀の日本がこれまでに見た中で最も手ごわい政治家であった。在任日数が3188日と日本史上最長の首相であり、リフレ政策「アベノミクス」から不運な2020年東京五輪の開催準備まで数々の業績を残した。

しかし、銃犯罪の少ない日本では、安倍元首相の暗殺による死は彼の遺志を汚すほど大きな出来事であった。この事件は平和主義の日本だけでなく、新型コロナウイルスの大流行やロシアのウクライナ侵攻など世界的に不安定な時期に世界中に波紋を広げた。

安倍元首相は祖父が首相、父が外相という名門一家出身の政治家であり、階級社会の頂点に立つ人物であった。

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安倍晋三(左)と1982年から1986年まで外相を務めた父安倍晋太郎。1987年撮影。

安倍元首相殺害の容疑者である山上徹也(41歳)は元工場労働者で、恨みのために安倍を銃撃したと主張している。統一教会(Unification Church)として知られる、世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)という宗教組織と安倍元首相が関係を持っている確信していた。山上容疑者の母親は巨額の資金を教団に寄付し、結果として破産してしまった。統一教会は月曜日、山上の母親は現在も信者であると認めたが、安倍元首相との関係を否定した。

山上容疑者が単独で行動し、政治的な意図で襲撃をしたのではなかったということは、暗殺事件の捜査によって示唆されている。国家的指導者が血を流して倒れている姿は、日本の政治史における困難な時代を思い起こさせる。1930年代、日本では犬養毅首相や他の政治家たちに対する一連の襲撃事件が起きた。この暴力は民主政治体制を溶解させ、最終的には戦争につながる軍国主義を生み出した。
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78日、奈良の集会で演説する安倍晋三の写真。安倍を射殺した山上徹也容疑者はポロシャツにカーゴパンツ姿で右から2番目。 

安倍首相の死後時間を置かずに行われた参議院選挙は、岸田文雄首相が率いる与党自民党の勝利に終わった。ポスト安倍の時代、岸田には、日本の言論の自由と民主政治体制が暴力によって抑圧されないようにする責任がこれまで以上に重くのしかかることになる。

●変革的な人物(A transformative figure

安倍元首相の遺体は、土曜日に東京都の富ヶ谷にある自宅に帰った。火曜日には、岸田首相を含む安倍元首相の家族と親しい友人のみが参列する、ほぼ非公開の葬儀が執り行われた。

それでも、葬儀会場の東京の増上寺の前には、大勢の弔問客が詰めかけた。安倍元首相の遺体は黒い霊柩車で運ばれ、その中で未亡人の昭恵氏が頭を下げているのが見えた。寺院内に設けられた慰霊塔には一般市民が花を供えながら祈りを捧げた。

安倍元首相と食事をした人なら誰でも、安倍元首相の会話への情熱と人脈の広さを感じることができただろう。安倍元首相は、大勢が集まる席では、テーブルからテーブルへ移動し、参加者一人ひとりに声をかけていた。
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安倍元首相の葬儀を終え、増上寺から遺体を乗せた霊柩車が出発するのを見守る大勢の弔問客。

安倍首相の暗殺は世界的なニューズとなり、死去当日に発表されたジョー・バイデン米大統領、アンソニー・アルバネーゼ豪首相、ナランドラ・モディ印首相による共同声明では、安倍首相を「日本における変革的な指導者(a transformative leader for Japan)」と呼んだ。ロシアのウラジミール・プーティン大統領から安倍元首相の家族へのメッセージでは「壮大な人物(a magnificent person)」「卓越した政治家(outstanding statesman)」と表現されていた。

元駐日米国大使のジョン・ルースは「自分の国を越えていくリーダーはほんの一握りだと思う。そして、安倍元首相は自分の国を超え世界の指導者になった一人だった」と本紙に語った。

安倍元首相の世界的な影響力は政権の長さによってもたらされた。日本政治では、長期政権を維持するリーダーは稀である。過去30年間、多くの首相は2年未満しか政権を維持できなかった。安倍元首相が海外で注目されたのは、ウラジミール・プーティンやドナルド・トランプ前米大統領など、気難しい人物とも、その気配りを重視する人柄によって信頼関係を築くことができたからでもある。

しかし、2013年に日本の第二次世界大戦の戦死者を祀っている東京の靖国神社を参拝したことで、海外での評価は少し低下した。この参拝は中国や韓国からの反発を招き、東京のアメリカ大使館からも批判された。

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2013年12月、安倍首相は二度目の首相に就任して早々、第二次世界大戦の戦犯を祀る靖国神社を参拝し物議を醸した。

日本を戦後の平和主義から脱却させるという安倍元首相の意図も物議を醸した。彼は防衛費を引き上げ、2015年に日本の軍隊が「集団的自衛権(collective defense)」の責任を負うことを可能にする画期的な安全保障関連法案を可決することによって、この国をアメリカとより対等な立場に置くことを目指した。

前東アジア・太平洋担当国務次官補で現在はアジア・ソサエティ政策研究所の国際安全保障・外交担当副所長を務めるダニエル・ラッセルは「安倍首相の下で、日本は純粋な内向き志向から、安全保障の提供と地域における強制や軍事行動の防止を目的としたアメリカとのパートナーシップに移行した」と述べた。

●アベノミクス:素晴らしいバランス(Abenomics: A fine balance

2006年に始まった安倍首相の1回目の首相在任期間は約1年という短い期間だった。52歳という日本の戦後最年少の首相として選出されたが、2007年の参議院選挙での大敗と健康不安を理由に、1年も経たないうちに辞任した。

しかし、2012年12月に2度目に就任した安倍首相は、自民党を率いて衆議院と参議院の選挙で6連勝を達成した。慢性的なデフレ脱却を目指したアベノミクス政策により、日経平均株価は3年で2倍の上昇し、失業率もほぼ半減した。

しかし、国会で対立する国会議員たちに罵声を浴びせるなど、従来の日本政治における合意形成のスタイルとは一線を画す不寛容な風潮が批判された。

安倍元首相自身の政治的特徴は保守主義とプラグマティズムの絶妙なバランスであった。アベノミクスはそのプラグマティズムを支えるものであり、その効果は選挙での成功に表れている。

アベノミクスが日本経済に最も貢献したのは雇用の創出だ。2012年から2020年までの2度目の首相在任中に、日本の雇用者数は430万人、つまり7%増加し、失業率は4.3%から2.2%へと低下した。
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1995年以降、日本の生産年齢人口は減少し、移民も厳しく制限されているため、安倍首相が慢性的な労働力不足と製造業の雇用喪失に対処するために利用できるのは、女性と高齢者だけであった。

より多くの女性を労働力にするために、安倍首相は2013年に「ウーマノミクス(womenomics)」を打ち出した。その目的は、女性の育児サーヴィスへのアクセスを向上させ、女性社員により多くの責任あるポジションを与えることで、女性の就労を奨励することであった。

女性の雇用は安倍政権下で飛躍的に改善された。430万人の新規雇用のうち300万人が女性であった。経済協力開発機構(Organization for Economic Cooperation and Development OECD)によると、2012年から2021年の間に、日本の女性の労働参加率は63%から73%に上昇した。これは世界平均の65%を上回った。

しかし、アベノミクスの下で創出された雇用の半分以上は、比較的低賃金で不安定な非正規雇用(relatively low-paying, insecure, nonregular ones)であった。賃金は上昇したが、わずかであり、生活費の上昇と増税が賃金を大きく上回った。

アベノミクスはまた、日本の所得格差が着実に拡大していることを覆すことにもほとんど失敗した。アベノミクスの焦点は常に、まず企業の財布を潤し、それを労働者たちに分配してもらうことであった。しかし、企業は利益を確保し、巨額の資金を蓄えることを選択した。

その結果、日本の貧困率はほとんど動かず、2007年の16.0%に対し、2018年は15.7%となり、2018年のOECD平均の11.2%よりも悪くなっている。
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テンプル大学日本校のマイケル・クーセック准教授(アジア研究)は「安倍政権下では、賃金が上昇するという希望があった。それは、通貨を切り下げることで、企業の利益が上がり、人々の給料が上がり、消費意欲に火がつくという良いサイクルの一部となるはずだった」と語った。しかし、それは実現しなかった。

日本の男女間賃金格差も先進国の中で最も高い水準にとどまっており、政府のデータによると、2020年の女性の平均賃金は男性より約26%低い水準にある。世界経済フォーラムによると、日本はまだ男女平等の面で146カ国中116位にとどまっている

現在の世界的な物価の高騰は、多くの人々にアベノミクスの再評価を促している。アベノミクスは非伝統的金融緩和を前提にしており、日米の金利差、円安を加速させた。現在では、アベノミクスは負担の大きいレガシーであるという見方もある。また、構造改革など保守派が好む政策も、安倍首相退陣後は目立たなくなったように見える。

安倍元首相が執拗な赤字財政、中央銀行による大量の国債購入、民間投資を喚起するための構造改革を行ったにもかかわらず、消費を期待したほどには増加させることができなかった。現在、日本はデフレに陥ってはいないが、新型コロナウイルス感染拡大やロシア・ウクライナ戦争で世界中が高インフレに陥る中、消費者物価の上昇は2%をやっと超える程度である。

今度は岸田が「新しい資本主義(new capitalism)」を掲げて経済を動かす番だ。7月11日の選挙勝利演説で、彼はアベノミクスのレガシーを基に、科学と技術革新への民間と公共の投資を増加させ、「持続可能で包括的な経済を創造する(create a sustainable and inclusive economy)」と宣言した。

●自民党をまとめる(Unifying the LDP

アベノミクスのレガシーもさることながら、安倍元首相が日本の政治に与えた最大の影響は自民党内で果たした重要な役割である。父である安倍晋太郎元外相の秘書として働きながら、自民党の派閥力学の重要性を学び、日本の首相であれば当然、党内最大派閥の意見に左右されることを常に心得ていたのだ。

2020年9月に持病のため首相を辞任してから1年足らずで、安倍元首相は自民党の党内最大派閥「清和政策研究会」の代表に就任し、政治のあり方と政策の両面から発言し続けることになった。

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安倍晋三元首相に黙祷をささげる岸田文雄首相(中央)。710日、東京・永田町の自民党本部。

2021年10月、不人気だった菅義偉首相の辞任に伴い、自民党が党首選に臨んだ際、安倍元首相は自分の好みを明らかにした。

長年、安倍元首相を支え、多くの信条を共有してきたタカ派の女性議員である高市早苗を安倍元首相が推薦した。高市はどの派閥にも属さないが、安倍元首相の狙いは、自身がそれまで率いてきた党内外の保守派を彼女の下にまとめることだった。

安倍元首相の後押しを受けた高市早苗は、国民に広く支持されていたもう一人の党首候補だった河野太郎を追い抜き、自民党現職議員の中で2位の得票率となったが、自民党第4派閥を率いる岸田現首相に敗北を喫した。

しかし、党政調会長に就任した高市が、安倍の後釜として保守のリーダーの座に就くことは困難となった。結局、安倍元首相は自民党の第一線に自分が必要であることを自覚し、特に防衛費問題で発言力を強めた。安倍元首相が前面に出るようになると、保守派における高市の影響力は弱まった。

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2021年12月、東京都内で開かれたパーティーに出席した安倍晋三と高市早苗(右端)。安倍元首相は昨年の自民党党首選で高市を支援したが岸田文雄に敗れた。

安倍元首相が高市を後継者として推すには常に限界があった。安倍元首相の派閥には萩生田光一経済産業相など有力な議員がおり、派閥に属さない高市早苗を持ち上げることは簡単にはできなかった。結果として安倍元首相は事実上の保守のリーダーであり続けた。

しかし、安倍元首相がいなくなった現在、保守派を束ねるリーダーは存在しない。高市早苗は失速した。安倍派内にも安倍元首相の後継者が見当たらない中、同じようなカリスマ的リーダーが現れるかどうかは不透明だ。

テンプル大学のクーセック准教授は「自民党の最重要派閥において、後継者不在の状態になっている。岸田氏の上に立ちはだかる派閥は今やリーダー不在だ」と指摘する。そして、「それは自民党の政治体制を変えることになる」と述べた。

●岸田首相にとってのポスト安倍時代の諸課題(Post-Abe challenges for Kishida

安倍首相の影響力は大きく、首相の座から退いた後も、国会においてなくてはならない存在であり続けた。

岸田首相の人事は安倍元首相とその一派を引き留めるためのものと考える人々が多かった。岸田は安倍の盟友である高市や安倍の弟である岸信夫に党内や閣僚のポストを提供した。安倍元首相を無視できない岸田首相はこのような手当をするしかなかったと見られている。

安倍元首相がいなければ、岸田首相はより自由に政権運営を行うことができる。クーセックは日本経済新聞の取材に対し、安倍元首相がいなくなったことで、「岸田の肩から大きな重しが取れた。安倍元首相と問題を起こすような統一された派閥がいない。だから、岸田が動けるスペースが増えることになった」と述べた。

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7月9日、前日の参院選の選挙運動中に安倍首相が射殺された現場で祈りを捧げる弔問客。

しかし、安倍元首相を失ったことで、岸田には注目すべき政治的負債が生じる。自民党内だけでなく、社会を二分するような政策を進めるための「口実(excuse)」として、党内に大きな影響力を持った安倍首相を利用できなくなるのである。その最たるものが憲法改正である。

新型コロナウイルスやロシアのウクライナ侵攻など世界は大きく変化している。サイバー空間など非通常的な分野での攻撃に対し、日本国憲法や既存の法体系では対応しきれないと懸念する声も少なくない。憲法9条は武力行使を放棄し、軍事力は「決して保持しない」としている。

安倍元首相は憲法9条を改正し、日本の安全保障を強化したいという思想的欲求を明らかにした。2015年、安倍は新しい総合安全保障法を国会に押し通し、日本に「集団的自衛権(the right to collective self-defense)」を認めることになった。

シドニー大学アメリカ研究センターCEOで、アメリカ国家安全保障会議でアジア上級部長を務めたマイケル・グリーンは本紙の取材に対して、「総合安保法制は日本の防衛庁(現在の防衛省)と自衛隊が誕生した1954年以降、最も野心的な法律となった」と述べている。

グリーンは、安保法制の主な動機は、憲法に関するイデオロギーというよりも、安倍元首相の強い戦略的論理にあると主張している。グリーンは「中国勢力の台頭と中国の強権と侵略の拡大を見て、安倍元首相は日本が日米同盟を強化し、抑止力を強化する必要があると結論づけた」と語った。

岸田は政権に就いてからの9カ月間、日本の安全保障を強化する必要性について安倍元首相と同じ考えであることを明らかにし、現実主義外交を推し進め、日本の防衛費を倍増させると公約した。

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岸田文雄首相は7月10日、東京の自民党本部で自民党候補者の名前の上にバラの紙を置き、参議院選挙での勝利を示す。同党を含む連立与党は改選議席の半数以上を確保した。

しかし、戦後の平和主義を掲げる日本では、憲法改正は争点になる。もし安倍元首相が生きていれば、岸田首相は9条改正を強く主張した安倍元首相を利用し、寄り添うことができたことだろう。安倍元首相が生きていれば、憲法改正に反対する人たちからの批判に直面した際に、岸田首相は安倍元首相を盾にして身を隠すことができたはずだ。

その選択肢がなくなったことで岸田内閣への批判はあらゆるところからやってくる。野党からの不満に加え、安倍元首相が鈍化させたはずの保守派からの不満にも、岸田首相はこれまで以上に直面する可能性がある。

安倍元首相を失ったことで、「右翼はチャンピオンを失った」とクーセックは言う。これが岸田氏に有利に働くかどうかはまだ分からない。

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安倍晋三の砂上の楼閣:死去により最大派閥が宙に浮く(Abe's house of cards: Death leaves largest party faction in limbo

-日本で最も強力な政治集団が集団指導に移行する可能性

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安倍晋三前首相の死去により支配的な派閥は後継者探しに奔走している。

ガク・シマダ筆

2022年7月14日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Shinzo-Abe/Abe-s-house-of-cards-Death-leaves-largest-party-faction-in-limbo

東京発。安倍晋三元首相が暗殺されて1週間近く経つが、彼が率いた支配的な派閥はまだ後継者候補を決められないでいる。

自民党の最大派閥である清和会は結束を維持するために奔走している。しかし、安倍元首相が殺害されたことで後継者を選び育てる時間がほとんどなく不安定な状態に陥っている。

清和会は自民党の衆参議員93名を擁し、軍事費の拡大や日本国憲法の平和条項の改定を求める声も多い。最長の総理大臣を輩出したこのグループは党内で大きな影響力を持つ。

清和会幹部たちは月曜日、東京のホテルで次のステップを議論したが、連帯を維持するという曖昧な誓約を行うことができただけだった。

安倍元首相は2017年、父の安倍晋太郎が数十年前に派閥を率いていた時のような仕組みを模して、派閥の中核的リーダーを4名にする案を浮上させた。明確なリーダーがいないことを考えると、派閥はこの選択肢を選ぶ可能性がある。

現在、下村博文、塩谷立の両元文科相が会長代理を務めている。下村博文、塩谷立の2人は、安倍元首相の私邸で弔問客と会うなど、試練の中で安倍首相一家を支えてきた。

萩生田光一経済産業相や松野博一官房長官も後継者争いの候補と目されている。安倍派幹事長を務める西村康稔も自民党参議院幹事長の世耕弘成氏と並んで候補に挙がっている。

そして、政界の名家出身の新星である福田達夫(55歳)もある。昨年の自民党総裁選では、福田は、派閥推薦の候補者を自動的に応援するのではなく、当選回数の少ない若手議員たちを集めて首相候補の公開投票を呼びかけた。

総裁選挙期間中、安倍元首相は保守派の火付け役である高市早苗(現自民党政調会長)に肩入れしていた。高市は現在、自民党の派閥に属していないが、かつては安倍元首相の派閥に属していた。

元防衛相で現在は安倍派の幹事長を務める稲田朋美氏も後継者候補として名前が挙がっている。

安倍派のある幹部は「座長代理を2人にする案や7人体制にする案も出ている」と述べている。

岸田文雄首相は8月から9月にかけて内閣と自民党幹部の改造を行う予定だ。このスケジュールであれば岸田は安倍派の新体制がどうなるかを見極める時間ができる。

安倍派のメンバーが誰も重要ポストに就かなければ、派閥の影響力が低下する可能性がある。

下村博文は月曜日のテレビ番組で「岸田内閣が自民党の保守派を軽視すれば、自民党は弱体化する」と警告を発した。

自民党の最大派閥であることにはそれなりの注意点がある。内紛は簡単に分裂につながり、後継者争いが起爆剤になることもある。

「最も危険な時期は派閥規模が100人に近づいた時だ」と元首相で清和会の会長を務めたこともある森喜朗は5月の政治資金集めイヴェントで警告を発した。森は「半分の人数を味方につければ、他の派閥より大きくなれるという幻想を抱き始める人もいる」と述べている。

首相を務めた田中角栄や竹下登など過去の名だたる派閥は、解散時には100人以上の会員を抱えていた。清和会は1991年の安倍晋太郎の死去に伴う内部抗争で分裂した。

複数のリーダーを置くことは前例がないこともない。2007年から2009年にかけて、清和会は3人の議員による集団指導体制を維持した。

しかし、自民党が政権から転落した2009年の政治状況と、現在の派閥の影響力には天と地ほどの差がある。集団指導体制が円滑に機能する保証はない。

派閥の役割は低下したが、派閥は依然として政治任用を獲得し、議員の資金調達に貢献している。安倍元首相は岸田に対して、内閣における安倍派のメンバーを4人から5人に増やすよう要請していたようだ。

安倍元首相は亡くなるまで、他の追随を許さないリーダーであった。批評家たちは、安倍元首相が若手に仕事を任せることに消極的なため、派閥が次世代のリーダーを育てることが難しくなっていると指摘する。その結果、派閥を統率するリーダー不在の状態に陥っている。

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日本政治の内幕

無名の松野博一が岸田総理の右腕になるまで(How unknown Hirokazu Matsuno became PM Kishida's right-hand man

-映画監督志望だった議員が今や日本の官僚を率いている。

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松野博一官房長官は、文部科学大臣としての唯一の政府トップの経験があり、自らを「右派でも左派でもない中立主義者(neither a rightist nor leftist, but a neutralist)」と表現している。

ミキ・オクヤマ筆

2021年12月29日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Inside-Japanese-politics/How-unknown-Hirokazu-Matsuno-became-PM-Kishida-s-right-hand-man

東京発。日本の岸田文雄首相が松野一博 (59歳) を官房長官に指名した時、そのニューズは政治評論家たちを驚かせ、「松野とは何者か」という疑問が急に起きた。

官僚統制の責任者である官房長官に指名されたのは、安倍晋三元首相が推す萩生田光一でも与党自民党の岸田派に属する小野寺五典元防衛相でもなかった。いずれも有力候補と目されていた。

松野は10月4日の岸田内閣発足後の記者会見で、政府広報のトップに任命された理由について問われ、「自分の能力で選ばれたとは思っていない」と答えた。

松野は自民党議員の中で最も教育政策に詳しい一人であり、安倍内閣での文部科学大臣のポストが唯一の大臣経験であった。「首相に迷惑をかけないようにしたい」と、安倍首相の後任首相となり、安倍政権の官房長官として並々ならぬ辣腕を振るった菅義偉とは明らかに異なる姿勢を見せた。

彼は自らを陣笠政治家(jingasa politician)と呼んでいる。陣笠とは、リーダーのために勢力を拡大しようと努力する派閥のメンバー政治家である。陣笠とは、戦国時代(1467-1568年)に、上級武士の「手足(hands and feet)」となって戦った兵士がかぶっていた兜(helmets)に由来する言葉である。

松野は千葉県木更津市に生まれた。カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドール(Palme d'Or)を2度受賞した今村昌平監督をはじめ、多くの映画人を輩出した東京の早稲田大学に入学し、映画監督になることを目指した。

しかし、早稲田大学を卒業した当時、映画界は大不況で、松野は就職が決まらず、日本の大手日用品メーカーであるライオンの広告宣伝部に就職した。「2時間の映画と30秒のCMの違いはありますが、同じ映像の仕事なので、とりあえず大丈夫だろうと思っていました」と当時を振り返っている。

松野はライオンでCMの企画、キャッチコピーの作成、CM撮影の準備などを行った。本社の商品企画課やテレビ局との交渉を通じて実社会について知ることができた。

松野がサラリーマン時代に身につけた原理こそは合理性だ。「私は、右翼でも左翼でもなく、中立主義者です。イデオロギーで人を判断しない」と語っている。

テレビCMで成功した松野はライオンから大学院への進学を勧められた。松下政経塾は、パナソニックの創業者である松下幸之助が、日本の将来を担うリーダーを育てようと設立した私立の教育機関で、多くの政治家たちを輩出することで知られている。

松野は自分のコンセプトによってCMを通じて人々の生活を少しでも変えることができたら面白いのだから、もっと大きなコンセプトで、政治を通して社会を良くする提案をしたらもっと面白いのではないかと考えるようになった。そこで、1995年に自民党千葉県支部の選挙候補者公募に応募した。

松野が日本の政界、国会議事堂や首相官邸がある東京都千代田区から永田町と呼ばれる、で注目を集め始めたのは、衆議院初当選から17年後の2017年、細田博之が率いた自民党派閥のトップをいつか務めると予想される4名の議員の1名として安倍元首相が指名してからだ。

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松野博一官房長官(左)は「総理に迷惑をかけないようにしたい」と述べ、安倍首相の後任として官房長官として並々ならぬ辣腕を振るった菅義偉とは明らかに異なる姿勢を示した。

安倍首相は下村博文(67歳)や稲田朋美(62歳)など、首相側近とされる派閥のメンバーと松野博一を同列に扱ったのである。安倍元首相が主宰する派閥の会合での発言に、永田町では「どうして松野なのか」という声がよく聞かれた。岸田氏が松野氏を官房長官に選んだことも同じ反応だった。

人気や出世に嫉妬する政治家たちが多い永田町では同僚から疑われないことが出世のポイントとなる。衆議院議員465名全員が総理大臣を目指すのが原則の中、松野は人知れずリーダーに向かう出世の階段を上っていた。

岸田もまた既に松野に注目していた。岸田派で20年以上にわたって岸田を首相にするために幹事長を務めた故望月義夫が松野との橋渡し役だった。

岸田が2017年に自民党政調会長に就任する時、松野を副会長に抜擢した。岸田は松野たち細田派、現在の安倍派のメンバーたちと親しくなり、時折、会食するようになった。

松野の出世の背景には派閥内での位置づけもある。派閥のルーツは安倍首相の祖父である岸信介元首相だが、結成したのは福田赳夫元首相である。そのため、安倍首相に近いメンバーと、細田のような自民党のベテラン議員を中心とした福田関係のメンバーに分かれている。この2つのグループはそれぞれ異なる政策ラインに属している。

松野は福田グループに属しながら、バランス感覚に優れ、派閥をまとめる幹事長に抜擢され、事実上、派閥をまとめる役割を担った。これは首相時代に派閥から離れた安倍首相が派閥復帰を進める上で無視できない、派閥内での一定の影響力を松野が持つことになった。

2021年9月の自民党総裁選では松野は岸田を支持した。安倍元首相は高市早苗(60歳)に派閥全体の支持を求めたが、細田ら多くのベテラン派閥議員は岸田側についた。安倍元首相は岸田に萩生田の官房長官就任を要請したが新総理の岸田は松野を選んだ。

松野は自民党内で急速に出世し岸田内閣の運営を任されることになった。

官房長官の松野博一は1日に2回記者会見を行う。その準備のために事務局のアシスタントが作成した概要書について地名の読み方など、記者からの質問に答える際に参考になることを質問するだけということも多い。

政界でと同じように官僚とも距離を置いている。「私の仕事は各省庁が働きやすい環境を作ること」と言い切っている。官房長官時代、菅元首相が個人的な権力を振りかざして官僚を恐れさせていたのとは対照的だ。

しかしながら、松野は2021年12月1日に開かれた政府のコロナウイルス対策本部で、新型コロナウイルスのオミクロン変異株の対応をめぐって国土交通省の職員に珍しく怒りをあらわにした。

11月末、国土交通省は国際航空各社に対し、日本に到着する全便の新規予約受付を一時的に停止するよう要請していた。この規制は日本人の帰国にも影響するもので、松野の認識より先に導入された。

松野は「正確に報告せよ! 多くの帰国者たちが影響を受けるんだぞ!」と関係者に怒鳴った。

安倍元首相は首相時代、菅官房長官(当時)を「武蔵坊弁慶」(主君の源義経を守るために自らを犠牲にしたことで知られる12世紀の武僧)と表現した。菅は官房長官として、安倍が不正な学校用地取引に関与したとされる森友学園のような個人的なスキャンダルでさえ、記者団の質問から安倍をかばった。

松野は岸田と安倍の両方に人脈があるという永田町では珍しい存在だ。その立場を生かし、官房長官としてどう動くのか、注目される。

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日本政治の内幕

木原誠二:日本の岸田文雄首相の裏にいる政策のグル(Seiji Kihara: The policy guru behind Japan Prime Minister Kishida

-マーガレット・サッチャーに触発されたが、岸田首相の子飼いは菅義偉からも手掛かりを得ている。

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木原誠二官房副長官は、元エリート官僚で政策に詳しいだけでは総理大臣になれないことをこれまでの自民党総裁選で学んだという。

リョー・ネモト(日経スタッフライター)

2022年1月15日

『アジア・ニッケイ』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Inside-Japanese-politics/Seiji-Kihara-The-policy-guru-behind-Japan-Prime-Minister-Kishida

東京発。衆議院議員選挙の5日前の2021年10月26日、岸田文雄首相は東京郊外の東村山にいた。岸田首相は最も子飼いの人物である木原誠二の応援に来ていた。「木原さんが選挙に当選できるようにお助けてください。私は誰よりも木原さんを信頼しています」。岸田は傍らにいる官房副長官を褒めながら、有権者に支持を呼びかけた。

岸田首相は、51歳のエリート官僚から弁護士に転身した木原を、自分の政治的成功に「不可欠な存在(indispensable)」と考えている。岸田の外相時代、木原は外務政務次官として岸田を支えた。岸田が自民党政調会長の時は、木原氏が政務調査会副会長兼事務局長としてついていた。

木原は銀行マンの家系出身である。父親は当時の東京銀行に勤務し、祖父と曾祖父も銀行員であった。弟の正博は、旧日本興業銀行に入り、最近みずほフィナンシャルグループの次期社長に就任した。「レールから外れたのは自分だけだった」と木原は語っている。

東京の名門私立である武蔵高等学校・中学校で、木原はテニスに打ち込んでいた。その後、東京大学でもテニスクラブのキャプテンを務めた。日本で最も名門大学である東大で指導者を経験したことによって、厳しく生き馬の目を抜く世界である日本政治の中枢である永田町で生き残るための基本的な法則を学んだ。それは、「一番苦労して、一番努力すること(being the hardest worker and making the most effort)」である。

彼は大学卒業後に大蔵省に勤務し始めた。これは1990年代前半に学生時代を過ごした木原たちのような名門大学出身者の間で人気の高いキャリアであった。しかし、1979年から1990年までイギリス首相を務めたマーガレット・サッチャーに触発され、そして実際に促されたことで、木原は政治のキャリアを追い求めることを決心した。

1999年、財務省は木原を2年間の期限でイギリス財務省に派遣した。英国滞在中、木原は日本とイギリスの官僚制度の違いについて研究しようとした。彼の研究の一環として、サッチャーにインタヴューする機会を得た。

インタヴューで、「鉄の女(Iron Lady)」サッチャーは木原に政治の世界に入るように促した。サッチャーは自身が女性でありながらも、熾烈な政治の世界に飛び込んでいったことを回想して木原に話した。彼女の言葉によって木原は奮い立った。

帰国後、木原は「政治家と官僚の関係が日本とイギリスでどのように違うか」という本を書いた。それが、大蔵官僚出身の宮沢喜一元首相の目に留まった。木原は、現在は岸田が率いている、宮沢が会長をしていた自民党の派閥「宏池会」に招かれた。同派閥の古賀誠元会長の呼びかけに応じ、木原は2005年の衆院選に出馬し、当選を果たした。

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木原誠二(右)9月に岸田文雄の政策設計者となった。岸田を首相にするための選挙戦の指揮を執った。

しかし、2009年、木原は再選に失敗し、政治家としてのキャリアは大きく後退した。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちると無名になるとよく言われる(It is often said that while a monkey is still a monkey even if it falls from a tree, a politician becomes a nobody if he fails to be elected)」と木原は言い、選挙の重要性を強調する意味で日本の政治家の間でよく言われる格言を繰り返した。

「猿も木から落ちる」ということわざは、「ホメロスは時々うなずく」と同じような意味である。ギリシャの大作家ホメロスは叙事詩で知られるが、その詩は連続性に欠けることで知られる。

この時、木原に問われていたのは、いかにして足踏みを続けるかであった。「議員にならなくても、誰かにならなきゃいけないと思ったんです」と、選挙での敗北を振り返る。そして、ビジネスの世界に身を投じ、企業のヘッドハンティングを行うようになった。

2012年に衆議院議員に返り咲くまで、木原は企業のトップと、商品開発や海外進出の課題を話し合う日々を送った。そして、朝晩と土日は政治活動に専念していた。古賀の助言もあって、会議や集まりには必ず最後まで出席することにしていた。こうして、縁もゆかりもなかった選挙区に、確かな足場を築き上げたのである。

誠二における弱点を克服した木原は、議員に返り咲いた後に自民党の派閥に復帰し、岸田を将来総理大臣にするために奔走することになる。

昨年9月の自民党総裁選では、岸田が掲げた綱領の中心人物となり、介護職員の賃上げを検討する新組織などの重要な政策提言の指揮を執った。また、成長と分配の好循環を目指す「新しい資本主義」政策を打ち出した。木原は、岸田の与党内調整役でもあり、岸田氏の首相就任の行方を占う重要な役割を担っている。

先月、岸田外相を説得して、主要な景気刺激策である18歳以下の子供一人につき10万円(880ドル)の支給を見直させたのは木原だった。その半分が商品券の形で支給されることになっていた。しかし、多くの地方自治体が100%現金支給を要求し始めると、木原は首相にその要求に従うよう進言した。数日後の国会で、岸田は「自治体が決めるなら、全額現金支給でもいい」と言い出した。

木原は、オミクロンの世界展開が始まると同時に、「岸田は自民党総裁選の公約である『最悪の事態に備える』を実行する時が来た」と首相にショートメッセージを送った。その直後、岸田は外国人の新規入国を原則禁止することを決定した。

木原は「私の責任は、自民党総裁選中の岸田の政策提言が政府によって実現されるように見届けることだ」と述べた。

宮沢以前、自民党の公明党は池田勇人、大平正芳という大蔵省官僚出身の総理大臣を2人輩出している。しかし、岸田誕生の前に行われた2回の自民党総裁選で、木原は「政策通の元エリート官僚では総裁にはなれない」ことを思い知らされた。

2020年9月、自民党総裁選で岸田が菅義偉に惨敗した直後、木原は安倍晋三元首相の側近で現在は経済産業相の萩生田光一に激励された。萩生田は、「岸田先生は何度も電話をかけてきてくれたが、あなたは一度も電話をかけてこなかった」と言った。萩生田は、木原が岸田を首相にするための根回しを十分にしなかったことを暗に示していたのである。

2021年8月25日、当時の菅首相が自民党総裁選に再出馬するとの観測が広まった時、木原は岸田に出馬を止めた。「勝てる見込みがない時は、たとえ周囲から迫られても出てはいけない」と木原は言った。しかし、岸田はこの選挙を自分の政治家人生の勝負どころだと考え、忠告に従わなかった。

翌日、岸田が出馬を表明した時、木原は自分には将来総理になるために必要な執念が足りないのではないかと考えざるを得なかった。

そして、2020年9月、菅義偉が71歳で総理大臣になった時、木原は自分の政治的野望はどうだろうかと考えた。菅総理は、「21年かけて頑張れば、自分にもチャンスがある」ことを教えてくれたと木原は語っている。

菅義偉と木原誠二には共通点がある。どちらも自民党の重要政治家とは見なされておらず、政治的な血統もなく、代表を務める衆議院の選挙区とのつながりも希薄だ。

岸田は木原に、自民党内の権力闘争が起きたら、自分を支えてくれるように頼んでいる。木原は最近、自分がもっと強い政治家になるためにはどうしたらいいかをよく考えている。「菅さんは安倍政権に忠誠を誓い支え続けたことで、トップに登り詰めた。当分は岸田首相の補佐として良い仕事をすることに専念したほうがいいのかもしれない」と語っている。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。



 私は最近、昭和史にも関心を持ち、それに関する本を読むようになりました。その中で、清沢冽の『暗黒日記』『清沢冽評論集』(ともに岩波文庫)を手にし、読む機会を得ました。これら2冊の本は本当に素晴らしい示唆を与えてくれました。



 清沢冽は1890年に長野県で生まれ、小学校を卒業後、内村鑑三の弟子、井口喜源治が開いていた「研成義塾」で学びました。そして、1906年に渡米し、苦学しながらタコマ・ハイスクール、ウィットウォース・カレッジで学びました。


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1918年に帰国し、中外商業新報社(現在の日本経済新聞社)、朝日新聞社に勤務した。1929年には朝日新聞を辞し、外交評論家として独立しました。その後は数多くの著作を著し、外務省の顧問なども務めました。1945年5月、肺炎をこじらせ55歳で急死してしまいました。彼の戦時中の日記は『暗黒日記』として出版されました。



 『清沢冽評論集』の編者山本義彦は、清沢冽の思想の特長を「(1)「心的態度」としての自由主義、中庸主義、(2)教育の国家統制に反対し、画一主義の排除と多元主義の擁護、(3)国際平和の実現をめざす外交論、(4)軍部の神がかり的、猪突猛進的で非科学的な戦争指導への否定、これに追従する思想家、ジャーナリストへの厳しい批判」としてまとめています。




 私は、清沢冽が1929年に発表した「甘粕と大杉の対話」に注目したいと思います。この文章を発表したことで、清沢冽は朝日新聞を追われ、外交評論家として独立しました。この文章は、獄中にいる甘粕正彦の許へ幽霊となった大杉栄が現れて対話を行うというものです。この二人のやり取りは清沢の創造の産物です。



 この対話の中で、私に最もなるほど、その通りだと思わせた一節をここで引用したいと思います。これは大杉の台詞です。



「今の俺は世界の思想を別けるに、右と左に区別しないで右と左を一緒にした極端派(エキストリーミスト)と、これに対する自由派(リベラル)とにする。そしてこの極端派の中には君ら軍人だの警官だのと一緒に生前の大杉やいわゆる戦闘的主義者とを編入する。この事実の特長は、持って生れた争闘性乃至は争闘を主とした教育の影響から、自分が闘うと同時に、他人をも闘わしたい点にある」



 私は、この「極端派(エキストリーミスト、Extremist)対自由派(リベラル、Liberal)」

という分類に触れて、自分の抱えていたもやもやをある程度晴らすことができたと感じました。私は、リベラルという言葉の定義の難しさもあって、今でもリベラルとは何かということを考えています。答えが出るかはわかりません。



 しかし、攻撃的な右と左対そうではない勢力という分け方にはある程度納得ができます。そして、右と左が極端派として一緒になり、リベラルと対峙するという構図を清沢は私に与えてくれました。



 私は、この構図は日本政治を理解する上で非常に重要だと思います。現在の状況に完全に当てはまるものではなくても、大きな示唆を与えてくれるものだと思います。



 現在の政治状況は、自民党が大きな勢力を持ち、公明党と共に与党となっています。野党側には元気がなく、共産党がある程度の活力を保っている状況です。日本維新の会やみんなの党は、安倍晋三首相が「責任野党」と呼んだように、自民党に大変強力的な姿勢を示しています。ここにリベラルな野党はいません。



これは2012年の衆議院銀選挙でリベラル政党が軒並み壊滅してしまったからです。この「リベラルの殲滅」を仕組んだのは、マイケル・グリーンであることは間違いのないところです。



 最近の選挙で安定して議席を確保し、微増させているのは共産党です。自民党に対する批判票を吸収する形で党勢を少しずつですが拡大させています。しかし、共産党が過半数を握って政権を掌握するということはないでしょう。



 ここで奇妙な「呉越同舟」「共存共栄」関係が生まれます。自民党がどんどん大きくなる。それによって、格差は拡大し、人々の生活は苦しくなります。すると、批判票が共産党に流れる。そして、自共の間には奇妙な相互依存関係ができます。自民党にしてみれば、批判票が共産党に流れることで、強力なリベラル野党の出現を防いでくれることになります。



 そして、ここで面白いことになるのですが、自共は共にリベラルの出現を阻止しようとして奇妙なランデブーを行うのです。その好例が今回の東京都知事選挙(2014年2勝ち9日投票)です。



 安倍晋三首相には国内に強力な反対勢力を持たないという状態になりました。私の考えでは、日本国内で安倍氏に少し動揺を与えられる反対勢力として、アメリカ大使館にいるキャロライン・ケネディ米駐日大使がいて、そのリベラル・カトリック人脈から、今回、細川護煕氏が突然、東京都知事選挙に出馬してきたと考えています。



 今話題の都知事選について考えてみます。舛添要一氏、田母神俊雄氏、宇都宮健児氏、細川護煕氏が有力な候補者となっています。自民党と公明党は舛添氏、日本維新の会の石原慎太郎系と自民党の一部は田母神氏、共産党は宇都宮氏、民主党は細川氏をそれぞれ支援しています。



 私は最初、宇都宮氏と細川氏が一本化してどちらかがどちらかの支援に回るくらいのことをしなければ、舛添氏が楽々と当選してしまうことになると考えていました。そうなるのなら、当選の可能性が高い細川氏が統一戦線の候補者となるべきだと考えました。しかし、細川氏も宇都宮氏も一本化の考えはないと言明されましたから、一本化がないのは残念だがしょうがないと考えあした。



 宇都宮氏陣営は、細川氏の出馬に関して文書をPDFファイル形式で発表していたり、細川氏の出馬が遅かったことを捉えて「後出しじゃんけんだ」という全く持って的外れな批判をしたり、と一番当選の可能性が高い舛添氏ではなく、細川氏を攻撃してきました。



 私は、主敵は誰なのか、自民党政権に大きなショックを与えるのは、舛添氏の落選ではないのかと考え、どうして宇都宮氏陣営は舛添氏に対して同じほどの熱心さで対峙しないのかと不思議で仕方がありませんでした。



 しかし、私は清沢の「極端派と自由派」という分け方を知り、合点がいきました。この都知事選でも「自共の共存共栄のためのリベラル潰し」が行われているのです。宇都宮氏個人は当選に向けて必死で選挙活動を展開されているでしょう、粘り強さが身上の方で、それこそ命がけの活動をなさっていると思います。しかし、彼の支援者や共産党はどうでしょう。



 自分たちの商売敵になりそうなリベラルの代表である細川氏を攻撃し、自共の安定した相互依存関係をこれからも維持していこうという戦略を取っているように見えます。自民党や安倍氏の圧政が続けば続くほど、彼らにとっては安定した支持や支援を得られるということで、これは「合理的な選択(ラショナル・チョイス)」と言えるでしょう。



 自民党にしてみれば、自分たちが動かなくても、宇都宮氏陣営が細川氏陣営を攻撃し、票を奪ってくれるのですからこんなに楽なことはありません。



 二正面作戦を強いられて、細川氏は苦戦するでしょう。そして、舛添氏が当選してしまうでしょう。そうなれば、自民党の圧政はしばらく続くことになります。これは国民の利益にかなうこととはとても言えません。



 「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉があります。マルクスが『資本論』の中で使った言葉です。私はこの文章を書きながら、この言葉を思い出しました。



(終わり)







 


 

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古村治彦
PHP研究所
2014-01-21




 古村治彦です。



 今回は、2012年12月28日に旧版の「古村治彦の酔生夢死日記」に掲載した文章を再掲します。



 最近、インターネットで未来の党、嘉田由紀子滋賀県知事、飯田哲也氏、そして田中秀征氏といった言葉を目にしたので、「自分も何か書いていたな」と思い、見返してみたところ、この文章を見つけました。


 そして、政治運動、選挙運動とは攪乱要員、傭員、要因との闘いであるということを最近、改めて認識しております。都知事選挙で選挙運動を行っている細川護煕候補の陣営では選挙対策本部から、責任者であった馬渡氏、ネット担当であった上杉氏、共に鳩山邦夫代議士の元秘書という経歴を持つ人たちですが、彼らが退いたということはまさにこのことを示しています。

 今でも説得力があるのかどうか、皆様にご判断いただければ幸いです。



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 2012年12月26日、国会では安倍晋三自民党総裁が総理大臣に指名されました。そして、安倍内閣が発足しました。この同じ時期、日本未来の党は、党内不和から分裂の道を選びました。本日、日本未来の党の党首(だった)嘉田由紀子滋賀県知事と、小沢一郎代議士が滋賀県大津市で共同記者会見を行うということです。



(記事貼り付けはじめ)



●「嘉田氏ら「名」を、小沢氏「実」取る…未来分裂」



読売新聞電子版 2012年12月28日



 日本未来の党は27日、党名を「生活の党」に変え、代表を嘉田由紀子滋賀県知事から森裕子参院議員へと変更することを総務相に届け出た。



 「生活の党」は小沢一郎衆院議員ら旧「国民の生活が第一」(現在は国会議員15人)のメンバーで構成される見通しで、嘉田氏と嘉田氏に近い阿部知子衆院議員らは離党することになり、分裂が決まった。嘉田氏らは政治団体として党名を引き継ぐ方向だが、結党1か月にして国会から未来の党の名は消えた。



 小沢氏と嘉田氏は28日に大津市内で共同記者会見を行い、党分裂の経緯などを正式に説明する。



 当初は小沢氏らが離党するとの観測もあったが、離党して新党を結成した場合に受け取れる政党交付金は、未来の党が受け取る予定だった約8億6500万円(現時点での勢力による試算)と比べ、大幅な減額となる。小沢氏に近い議員が「衆院選の選挙資金の多くは、旧『国民の生活が第一』が負担した」などと語る一方、嘉田氏側は、日本未来の党という党名の存続にこだわり、党の「割れ方」を巡る騒動を「カネ目当てと思われたくない」と周辺に語っていた。これが、嘉田氏らが「名」を取り、政党交付金という「実」を小沢氏らが取る格好の決着になったものとみられている。(201212280529 読売新聞)



(貼り付け終わり)



 日本未来の党は名前を「生活の党」にし、党首を嘉田由紀子知事から森裕子参議院議員に変更することになりました。離党するのは、嘉田由紀子知事と阿部知子衆議院議員で、党名は嘉田知事と阿部代議士が引き継ぐということになりました。新しい「日本未来の党」は、政党要件を満たさない、政治団体ということになります。



 2012年11月27日、嘉田由紀子滋賀県知事が新党「日本未来の党」結成を発表し、翌日の11月28日に選管に届け出を行い、日本政治の世界に「日本未来の党」が出現しました。小沢一郎氏が代表をしていた「国民の生活が第一」がすぐに合流を発表しました。また、新党を結成していた亀井静香氏たちも合流し、選挙前に衆議院議員61名、参議院議員8名の政党が誕生しました。私は、この日本未来の党結成時、「どうしてこの時期に、嘉田滋賀県知事が新党を結成し、それに小沢氏たちが合流するのか」という疑問を持ち、「違和感」を持ちました。そして、そのことをブログでも書きました。



 12月16日に実施された総選挙で、日本未来の党は大敗を喫し、所属衆議院議員は9名という結果になりました。その後、党内で人事をめぐり、嘉田代表と所属国会議員たちとの間で対立が起こり、昨日、日本未来の党から嘉田知事と阿部議員が離党ということになりました。



 思えば、2009年の民主党(と連立相手である社会民主党と国民新党)による政権交代は約3年で変質し、民主党は第二自民党と化し、そして、今回、自民党が総選挙で大勝利を収めることになりました。そこには、有権者の深い失望がありました。そして、強い怒りがありました。



 民主党の変質から、小沢一郎氏と小沢氏を支持する議員の離党、国民の生活が第一の結党、日本未来の党への合流、そして分裂という一連の「ここは決起せよ」「勝負を挑め」という決戦主義、突撃主義がありました。その裏側に「決起に参加せぬ卑怯者、臆病者」という罵倒がありました。また、今回の日本未来の党の分裂に関しては、嘉田知事や小沢代議士、森裕子参院議員に対して、罵詈雑言が投げつけられました。



 こうした一連の動き、日本人の短気さを示していると思います。「早く理想の状態に辿り着きたい」「早く結果を出してほしい」という焦燥が人々を駆り立て、怒りの感情を湧き起こさせ、罵詈雑言を吐いている、このように感じます。



 映画『硫黄島からの手紙』の中で、徹底抗戦で1日でも長く島を死守するという意図を持つ栗林忠道中将に対し、その他の多くの将官が決戦主義を主張し、自決、総攻撃、玉砕の道を選んでいきます。これは日本人の潔さを示すエピソードでありますが、同時に日本人の短気さも示しています。



 また、「日本にとっては自民党がいちばん良いのさ」「何をやっても変わらない」「日本国民は馬鹿ばかりだからな」という諦観と蔑みの感情も、今回噴出しました。自民党を支持している人々からも、それ以外を支持している人たちからもそのような声が聞かれました。これもまた、日本人の短気さ(=一度うまくいかなかったら「潔く」諦める)を示していると思います。



 民主党の変質から未来の党の分裂までの間、大変な罵詈雑言が聞かれました。その対象は、嘉田知事であったり、小沢議員であったり、森議員であったりと様々ですが、どうも見ていると、罵倒している人たちが一番罵倒したいのは、その人たち自身であるように思います。「信じた自分が馬鹿だった」「裏切られた」という気持ちの噴出であると私は見ています。それもこの3年ほどで「理想が実現されなかった」「結果が出なかった」ことに対する焦燥と失望が原因であると考えます。



 この日本人の短気さについては、山本七平がイザヤ・ペンダサンという名前で書いたベストセラー『日本人とユダヤ人』の中でも指摘されていることです。日本人毎年「キャンペーン型稲作農業」で鍛えられ、締切から逆算して行動するという訓練を受けてきたが、遊牧民たちはまた違う時間の流れで生きた、というのが山本七平の書いていることです。そして、日本人は「待つ」ということが苦手で、待つとなるとイライラして待つということになるのだと山本七平は書いています。



 私たちが陥っているのは、まさにこのような状態なのではないかと私は考えます。日本人特有の短気さゆえに、民主党による政権交代から以降の出来事に大きく失望し、怒り、諦めるというようなことになっているのではないかと思います。



 しかし、このような怒りや諦観をいつまでも引きずる訳にはいきません。私は、アメリカ生まれのユダヤ人政治学者マイケル・ウォルツァーの『正義の領分』(山口晃訳、而立書房、1999年)に所収されている「我が身を振り返って―私の特定主義―」という文章を思い出します。



 ウォルツァーはこの文章の中で、ユダヤ人のものの考え方を書いています。その中で、次のような文を書いています。



 「『指おり数え』『終わりを強行する』人々は、繰り返し私たちの人民に災厄をもたらしてきた。それゆえに、数えることと強行することの両方に対してラビの政治があるのである」



 「政治的解放、社会建設、国民形成、立法といった仕事、これらはすべて永続するものである。文字通り継続し、終わることなく更新される」



 「私たちは、最後の詩を書くことを期待すべきではないように、最後の法を制定したり、最後の国家を建設することを期待すべきではない」



 ユダヤ人に対しては、毀誉褒貶様々ありますが、歴史を見れば、自分たちの国家建設のために千年単位かけ、その間にユダ人内部でも激しい対立があったり、迫害にあったりと様々な出来事が起きています。しかし、ユダヤ人は民族として生き延びてきました。迫害や失敗の後に自暴自棄になることなく、また同じことを繰り返していったということが、ウォルツァーの言葉から読み取れます。また、考えや意見の多様性を大事にしていること、これもまた重要なのだろうと思います。このことについては今回は触れません。



 私たちは「決戦主義「突撃主義」で短兵急に結果を求めるのではなく、同じことを繰り返していく、それで良いのだ、と思うことから始めるべきではないかと思います。そこには華々しさはなく、長距離走のように苦しいことばかりがあると思います。しかし、それでも繰り返しをただ繰り返していく。うまくいかなかったら、また最初からやっていく、ということを「気長」にやっていくしかないのではないかと思います。



(終わり)





(終わり)
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 古村治彦です。



 2014年1月21日に私の2冊目の単著である『ハーヴァード大学の秘密』(PHP研究所)が発売になりました。全国の書店にも配本が済んだくらいではないかと思います。



 この本は、4つのテーマ、「ハーヴァード大学の日本人人脈」、「ハーヴァード大学を含む日本からの留学の実態」、「ハーヴァード大学の知的パワーを象徴する学者」、「ハーヴァード大学で教えられていること」を取り扱っています。「ハーヴァード大学」をキーワードにして、様々なテーマを取り扱っています。



 様々な関心をお持ちの幅広い読者の皆さんのお役に立つテーマを取り上げ、そしてあまり関心をお持ちではない分野のことも知識として吸収していただける本であると確信しております。



 是非お求めいただき、お読みいただきたく存じます。よろしくお願い申し上げます。

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 副島隆彦による推薦文



 本書『ハーヴァード大学の秘密』は、私の弟子である古村治彦君の二冊目の単著である。



 古村君の前作『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、二〇一二年五月)は、有難いことに大きな評判をいただいた。古村君はこの『アメリカ政治の秘密』で、ヒラリー・クリントン(Hillary Rodham Clinton)前国務長官を支える三人の女性たちについて書いた。このうち、スーザン・ライス(Susan Rice)が国家安全保障問題担当大統領補佐官、サマンサ・パワー(Samantha Power)が米国連大使というアメリカの外交を担う要職に就いた。このことは古村君のアメリカ研究の確かさを示している。『アメリカ政治の秘密』は、現在のアメリカ政治、日米関係に関心を持つ人々にとって必読の書となった。未読の方は是非お読みください。



 古村君は、前作を発表してから、この『ハーヴァード大学の秘密』の準備に取り掛かったのだが、書き上げるまでに苦労していたようだ。私はその様子を見ていたので、今回、出版まで漕ぎつけたことを大いに喜んでいる。古村君には、益々の研鑽を期待している。



 今回、古村君が取り上げたテーマは、世界一の名門大学として知られるハーヴァード大学だ。私は、二〇一一年あたりから、古村君に「ハーヴァードの政治学の全体像を書いてみてはどうか」と提案した。彼がアメリカ留学経験で学んだ合理的選択論(Rational Choice Theory)について書いてもらいたいと思った。私自身が、何よりもこの理論を知りたかった。



 古村君がアメリカに留学していた二〇〇三年頃、アメリカの全ての大学の政治学(Political Science)研究や分析で共通の土台として使われている方法論(methodology)について、彼に根掘り葉掘り話を聞いたことがある。このメソドロジーをすぐに日本語で「方法論」と訳すから困ったことなのだ。メソドロジーは、そんな甘い「学問方法論」のことではない。いろいろの近代諸学問(サイエンス)の共通の基礎、土台を作っているものなのである。だから以後は、メソドロジーは「学問土台学」と訳すべきだ。文科系の諸学問の土台となる学問なのである。私の先生である碩学・小室直樹は自分をメソドロジストと称した。



 メソドロジーがしっかりしていない学問分野は欧米では大事にされない。そして、アメリカの名門ハーヴァード大学は、この大学のお家柄というか、その真髄である「合理的選択論」という方法論、ではなかった学問土台学を持っている。この学派が今のアメリカ政治学の分野で支配的な(dominant)であることを私なりに理解した。このハーヴァード大学の秘密と言うべき合理的選択論とは何か。この本の冒頭に、著者でもないのに推薦者が出しゃばってズバリと書く。それは、「合理的選択とは、政治家(権力者、支配者)にとって最大の目的は選挙に当選し続けることである。権力者(支配者)だったら自分が権力を維持し続けるということだ。そのためなら何でもする。どんなことでもする。それが合理的選択だ」ということだ。彼らはここまであけすけに言う。私は大いに驚いた。



 私は、古村君から合理的選択論についての話を聞く少し前の二〇〇一年に、「合理(ratio、ラチオ、レイシオ)」という言葉について研究し発表した。そしてその奥義をすっかり読み破った。ラチオ(合理)とは、元々が「割合、分け前」という意味で、「取り分、利益の分配」という意味の言葉だ。だから、自分の利益になるように「合理的(rational)」に「行動を選択(choice)せよ」ということである。自分が勝つ(得をする、生き延びる)ように賢く行動せよ、ということだ。



 このラチオを人類の長い歴史でよくよく分かっていたのがユダヤ人(ユダヤ民族)である。ユダヤ思想(Judaism)の中心に、このラチオがある。ラチオの思想こそは、ユダヤ人の生き方そのものであり、それがユダヤ思想(そのままユダヤ教でもある)の中心なのである。そして、このラチオが資本主義を生み出し、人類の近代(modern)も生み出した。ハーヴァード大学はユニテリアン系のプロテスタント修道院として創立されたのだが、その背景に強力な利益の法則を持つ。



 この合理的選択論については、本書の第8章で古村君が詳しく紹介している。是非お読みください。この合理的選択論という政治思想を大きく理解することが今の私たち日本人に極めて重要だ。そしてこの合理的選択論が、まさしくハーヴァード大学に世界中から集まってくる頭の良い学生たちに教えられていることを知ることもまた重要だ。



 本書には、合理的選択論以外にも、幅広い内容が収められている。前半では、ハーヴァード大学出身者たちのネットワークについて書かれている。三木谷浩史氏を中心とするハーヴァード大学出身者のネットワークを、古村君は「クリムゾン・クラブ(Crimson Club)」と名付け、その人脈を丁寧に追っている。

 後半部では、ハーヴァード大学の知的パワーを代表する政治学者の故サミュエル・ハンチントンとジョセフ・ナイについて詳しく、かつ分かりやすく紹介している。また、日本でもマイケル・サンデル教授の名で有名になった共同体優先主義(Communitarianism)と合理的選択論について詳しく紹介している。



 この一冊で、ハーヴァード大学の政治学部でどういうことが教えられ、どんな人材が育てられているのかを理解することができる。そしてハーヴァード大学が持つ、これまで私たちに明らかにされてこなかった部分を知ることができる。本書『ハーヴァード大学の秘密』を是非買って読んでください。



 二〇一三年十二月

副島隆彦 





 あとがき



 前作『アメリカ政治の秘密』を二〇一二年五月に出版していただいた後、師である副島隆彦先生から、「君はアメリカで政治学の勉強をしてきたのだし、次はハーヴァード大学の政治学の全体像について書いてみてはどうか」という提案があった。この提案を受けて、私は、本書『ハーヴァード大学の秘密――日本人が知らない世界一の名門の裏側』の準備に取り掛かった。構想を練り、準備するのに予想以上の長い時間がかかってしまった。本として出版できるのかという不安を持ちながらの執筆であったが、このように出版していただけることになり、ホッとしている。

 本書『ハーヴァード大学の秘密』は、「ハーヴァード大学」をキーワードにして、幅広いテーマを取り上げている。副島先生の提案通りに政治学の全体像を描くことは、私の力不足でできなかったが、ハーヴァード大学で教えられている政治学、ハーヴァード大学の政治学を代表する学者、留学全般に関することを網羅することはできた。読者の皆様に、それぞれの興味関心と重なる部分からお読みいただけたらと思う。



 そして、第1部では、ハーヴァード大学出身の日本人人脈を取り上げた。ハーヴァード大学をキーワードにして、張り巡らされた人脈の地下茎を掘り起こす作業を行った。私は、これを“属国日本の政界のたけのこ掘り”と呼んでいる。このたけのこ掘り作業を通じて、ハーヴァード大学から送り出された人材たちは、現在に至るまで日本の中枢を形成し、日本を動かしてきたことを発見した。正直なことを言えば、ハーヴァード大学出身者たちを中心にして人脈がここまで広く形成されていたことは、私にとって大きな驚きであった。私はこれからもたけのこ掘りの作業を続けていく。



 ハーヴァード大学は、「合理性(rationality)」の総本山と言うべき存在である。政治学部では、政治学の分野で主流となっている理論である合理的選択論(Rational Choice Theory)が教えられている。副島先生が推薦文の中で書いているように、合理性とは、一言で言ってしまえば、「自分が得をする、生き延びる」ために行動するということである。この合理性(ラチオともいう)はユダヤ思想(ユダヤ教)の中心となり、そこから資本主義(Capitalism)と近代(modern)が生まれた、ということである。合理性を身につけることこそが、資本主義社会で成功するためには必要なことだ。ハーヴァード大学で学んだ日本人たちも当然のことながら、この合理性を身につけている。



 私が前著『アメリカ政治の秘密』でも指摘したことでもあるが、最近のアメリカの日本管理には鷹揚さがなくなっている。ジャパン・ハンドラーズたちはより露骨に、かつ、より性急にアメリカの利益追求の姿勢を示すようになっている。アメリカと、そして自分たちの利益追求に一直線に進んでいる。それは、ジャパン・ハンドラーズたちの中で世代交代が起こり、若い世代は合理的選択論を学んだことで、合理性をより重視する姿勢を取るようになっているからだ。管理する側と管理される側を分けるものが「合理性」なのである。



 日本管理のジャパン・ハンドラーズが合理性を武器にしているならば、それに対抗するために、私たちも彼らが使っている武器を手に入れて使えるようにするべきだ。そうすることで、ジャパン・ハンドラーズの意図を見抜き、自分たち、そして日本が損をしないように賢く行動できるようにしなくてはならない。本書が読者の皆様にとって、合理性について、そして合理的選択論について学ぶ契機になれば幸いである。



 本書刊行にあたり、多くの方々にお世話になりました。

 私の師である副島隆彦先生には、本書に推薦文を寄せていただきました。ハーヴァード大学をテーマとして取り上げたのは、先生からの示唆を受けてのことでした。本として出版できてホッとしています。心からお礼を申し上げます。

 私の同僚である中田安彦氏には今回もお世話になりました。中田氏とのやり取りを通じて、多くの刺激を受け、様々なアイデアを生み出すことができました。中田氏のような同僚がいてくれることは私にとって大きな力となっています。感謝しています。

 更に、ここで名前を記すことはできませんが、アメリカの大学教員事情について話してくれた先輩、スポーツビジネスの世界、そして早稲田大学大学院スポーツ科学研究科について多くの有益な情報を提供してくれた友人、そして、東北楽天ゴールデンイーグルスと本拠地である仙台という街に私の関心を向けさせてくれた友人にもお世話になりました。加えて、家族や友人の支えも励みになりました。記して感謝します。

 最後に、本書の刊行にあたって、PHP研究所の大久保龍也氏には、前作同様、お世話になりました。なかなか筆が進まない筆者を、寛容をもって見守り、伴走をしていただきました。心から感謝を申し上げます。



 二〇一三年十二月

古村治彦



(終わり)






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