古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:朝鮮戦争

 古村治彦です。
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※2024年10月29日に佐藤優先生との対談『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』(←この部分をクリックするとアマゾンのページに飛びます)が発売になります。予約受付中です。よろしくお願いいたします。

 北朝鮮が朝鮮半島、東アジアの情勢を不安定化させる動きに出ている。2024年10月には韓国とつながる道路を爆破し、憲法を改正して、韓国を「主敵(principal enemy)」に規定した。これまで北朝鮮にとって韓国は「自国の領土(朝鮮半島)の南部に盤踞するアメリカの傀儡政権が違法に支配する地域」であり、韓国民は「アメリカと韓国からの支配を受けており解放しなければならない同胞」ということになっていた。しかし、韓国を「主敵」と定義することで、北朝鮮が韓国を攻撃するのではないかということで朝鮮半島の状況は危機感が増した。朝鮮戦争が再び起きる(現在は休戦中なので休戦が終わって戦闘が始まる)可能性が取り沙汰されている。北朝鮮が繰り返しているミサイル実験もこのような可能性に拍車をかけている。

 北朝鮮の金正恩総書記とアメリカのドナルド・トランプ前大統領は朝鮮半島の非核化に向けて合意を取り付けた。しかし、その後、ジョー・バイデン政権が発足し、この合意は無効化されている状況だ。北朝鮮はバイデン政権との交渉を行わなかった。バイデン政権もまた積極的に北朝鮮との交渉を行わなかった。結果として、北朝鮮の核開発とミサイル開発が進められることになった。そして、現在、状況が不安定化している。この北朝鮮の強気の裏には、ロシアとの関係深化がある。北朝鮮はウクライナに派兵さえも行った。こうした動きは中国を刺激し、敏感にさせている。中国としては朝鮮半島の状況の不安定化は望ましいものではない。

 北朝鮮のこのような動きは北朝鮮が破滅に向かうためにやっているのではない。合理的に考えれば、北朝鮮は状況を不安定化して、交渉材料にしようとしている。誰に対しての交渉材料か。それはアメリカだ。アメリカは来週には新大統領が決まる。交渉相手はドナルド・トランプか、カマラ・ハリスかということになる。トランプとは交渉を行った実績がある。トランプは早期に北朝鮮との交渉を行おうとするだろう。カマラ・ハリスが大統領になれば、ジョー・バイデン政権の路線を引き継いで、北朝鮮との交渉を行わないと打ち出すだろうが、状況が切迫してくれば、交渉のテーブルに着かざるを得ないことになるだろう。北朝鮮としては、ロシアの支援を受けており、アメリカに対しては強気に出られる状況にある。そして、何かしらのリターン、見返りを受け取ることを目指すことになるだろう。

 北朝鮮が派手に動いている時は逆にそこまで危険ではないと考えられる。本当に韓国を攻撃し、戦争を引き起こそうとするならば、静かに奇襲作戦を準備するだろう。従って、現状は朝鮮半島の状況は不安定化しているが、戦争の危険はそこまで高まっていない。問題は突発的な事件で戦争が起きてしまうことだ。北朝鮮と韓国の当局者はこの点を注意してもらいたい。

(貼り付けはじめ)

●「北朝鮮、憲法改正で韓国を「敵対国」と定義」

20241017日 BBCニューズ日本語版

https://www.bbc.com/japanese/articles/cq643vdnm5vo

北朝鮮の国営メディアは17日、同国が韓国を「敵対国」と定義する憲法改正を行ったと伝えた。北朝鮮が憲法改正を公にしたのはこれが初めて。

国営紙「労働新聞」は、北朝鮮と韓国の緊張がここ数年で最高潮に達しているなか、この変更は「避けられない正当な措置」だと報じた。

北朝鮮は15日、韓国とつながる2本の道路の一部を爆破した。国営メディアはこの動きを、両国を「完全に分離するための段階的措置の一部」だと説明している。

専門家らは、今回の憲法改正は主に象徴的な動きだとみている。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)総書記は今年202312月の段階で、南北統一を放棄していた。

国営メディアは当時、金総書記が南北関係を「敵対する二つの国、戦争状態にある二つの交戦国」と表現したと報じた。

そして今年1月には、韓国との統一は不可能であると宣言し、憲法を改正して韓国を「第1の敵国」と指定する可能性を示唆した。

それ以来、特にここ数か月の間、南北間で批判の応酬となり、緊張は着実に高まっている。

 米シンクタンクのランド研究所の防衛アナリスト、ブルース・ベネット氏は、「敵対国」という表現は、ほぼ1年前から北朝鮮の発信の特徴となっていると述べた。

2023年末にこの発言が出た時は、対立のリスクとエスカレーションの可能性を高め、重要な進展となった」と、ベネット氏はBBCに語った。

「それ以来、金総書記とその妹(与正氏)は、韓国とアメリカに対して何度も核兵器による脅迫を行い、多くの行動で緊張を高めてきた。そのため、リスクは高まっている」

専門家の多くは、先週の最高人民会議で北朝鮮が統一政策と国境政策に関する憲法改正を行うとみていたが、そのような変更は現在まで公表されていない。

それでも、アナリストらは本格的な戦争の可能性については懐疑的だ。

「状況が戦争レベルにまでエスカレートするとは思わない」と、韓国・釜山の東亜大学で政治学と外交を教えるカン・ドンワン教授は言う。「北朝鮮は軍事対立を悪用し、国内の結束を強めている」。

一方、ソウルの北韓大学院大学校のキム・ドンヨプ教授は、北朝鮮が全面戦争を開始する能力があるのか疑問視している。

「政権は、そのような紛争がもたらす深刻な結果を十分に認識している」と、キム教授は述べた。

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再び朝鮮戦争が起こるリスクはかつてないほど高まっている(The Risk of Another Korean War Is Higher Than Ever

-北朝鮮はロシアと中国それぞれを利用しており、アメリカには見切りをつけている。

ロバート・A・マニング筆

2024年10月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/10/07/northkorea-war-nuclear-russia-china/?tpcc=recirc_trending062921

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「北朝鮮とロシアの無敗の友情と団結万歳!」「ロシア連邦大統領ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン同志を温かく歓迎する」と書かれた横断幕が平壌の平壌屋内競技場外掲げられている。そして、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領と北朝鮮の指導者金正恩の肖像画も掲示されている(2024年6月20日)。

今年1月、経験豊かな韓国専門家であるロバート・カーリンとジークフリード・ヘッカーが、北朝鮮の指導者金正恩が戦争の準備をしていると書き、多くの人々を驚かせた。それは誇張かもしれないが、その懸念は的外れではない。私は過去30年にわたり、政府内外で朝鮮の核問題に取り組んできたが、朝鮮半島は1950年以降のどの時期よりも危険で不安定になっているように見える。

2019年以来、北朝鮮の核問題をめぐって3つの相互に関連した戦略的転換があり、1992年以来のアメリカと韓国の外交を導いてきた中核的な前提を無効にしている。まず、2019年にハノイで金正恩とドナルド・トランプ前米大統領との首脳会談が失敗に終わったことを受けて、金正恩は2021年に固体燃料大陸間弾道ミサイル、小型弾頭、戦術核兵器、極超音速ミサイルを含む核・ミサイルの大規模増強の5カ年計画を明らかにした。北朝鮮の核産業複合体への投資と、核を手放さないという金正恩委員長の強調した声明(これは北朝鮮の憲法と先制核理論に具体化されている)は、姿勢の戦略的変化を強調している。

これらの新たな能力と表明された意図は、北東アジアの戦略的バランスを変化させ、アメリカの拡大抑止力(United States’ extended deterrence)に対する新たな信頼性の問題を引き起こし、韓国が独自の核兵器を手に入れたいという願望を増大させた。

そして、北朝鮮の地政学的な再配置もある。それは、金正恩が諸大国の均衡(balancing major powers)を図る、アメリカとの国交正常化という北朝鮮の長期目標を放棄したことから始まった。これは30年にわたる核外交の論理を支えていた。

同時に、北朝鮮は2016年と2017年の北朝鮮核実験後に中国が国連の厳しい経済制裁を支持したことで緊張が高まっていた中国との関係を強化した。金正恩は2019年1月に北京を訪問し、中国の習近平国家主席も2019年6月に平壌に続いて交流訪問を行った。それ以来、中国はロシアとともに、北朝鮮の大陸間弾道ミサイル実験に対して新たな制裁を課そうとするアメリカの取り組みを阻止してきた。

ウクライナ侵攻後、ロシアが北朝鮮と新たな安全保障パートナーシップを結び、経済的・軍事的援助を弾薬やミサイルと交換する中で、地政学的変化は激化した。中国当局者やシンクタンクの専門家との非公式な協議で伝えられたように、この動きは中国を不快にさせた。彼らは、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領が中国政府の影響力を奪い、金正恩の祖父である金日成が2つの共産主義大国を敵対させた1950年代と1960年代によく似た状況を作り出しているのではないかと懸念している。

3つ目の変化も同様に深刻だ。今年1月、金正恩は歴史によって分断された1つの同族国家として北朝鮮と韓国が定義していた70年間の統一政策を放棄し、韓国を「主敵(principal enemy)」と宣言した。彼は、統一への誓約を消去する北朝鮮憲法の変更を要求し、南北和解を扱う機関を解体し、父親が平壌に建てた統一記念碑を取り壊した。

最近の出来事はこれらの変化を強めている。金正恩にとって、アメリカの選挙サイクルはしばしば楽しいメッセージの機会となる。9月、北朝鮮は短距離弾道ミサイルの集中発射実験を開始し、金正恩は核戦力をアメリカとの戦闘に備えさせると誓約し、その後、念のため、極秘施設内を散歩する自身の珍しい写真を公開した。ウラン濃縮工場を建設し、より多くの核兵器を製造すると約束した。しかし、これは私たちが期待できることのほんの一部を示しているに過ぎない。

なぜこれが重要なのだろうか? 少なくとも今のところ、それがそれぞれアメリカと韓国の政策目標であり続けているという事実にもかかわらず、金正恩は非核化と南北統一(denuclearization and North-South reunification)の両方を議題から外した。

韓国問題は今やゼロサムの大国間競争(great-power competition)の中に組み込まれている。北東アジアには、中国、ロシア、北朝鮮という対立する2つのブロックが存在し、別に、アメリカ、韓国、日本が存在する傾向にある。中国とロシアが(アメリカ、中国、ロシア、日本、韓国、北朝鮮が参加する)「六者協議(Six Party Talks)」で協力することを可能にした核拡散(nuclear proliferation)に対する共通の懸念はもはや存在しない。金正恩は現在、進化する核・ミサイル兵器、プーティン大統領の支援、そして最悪の場合は中国の無関心によって、これまでにないほど勇気づけられている。

しかし、私の言葉を鵜呑みにしないで欲しい。北朝鮮に関する国家情報会議(National Intelligence Council)の2023年の報告書では、新たなリスク環境の概要が述べられている。その判断は次のようになる。

北朝鮮は今後も、核兵器使用という立場を利用して強圧的な外交を続けるだろうし、核兵器や弾道ミサイルの質と量が増えれば増えるほど、よりリスクの高い強圧的行動を検討するのはほぼ間違いない。

報告書は、金正恩が「体制が危機に瀕していると確信(believes the regime is in peril)」しない限り、核兵器を使用することはないと評価する一方で、「核兵器がアメリカや韓国の容認できないほど強力な反応を抑止できると考え、より大きな通常軍事的リスクを取ることを厭わないかもしれない(He may be willing to take greater conventional military risks, believing that nuclear weapons will deter an unacceptably strong US or South Korean response)」と述べ、誤算(miscalculation)の可能性を示唆している。

報告書は、武力による「領土を奪取し、半島の政治的支配を達成しようとする攻撃戦略(an offensive strategy that seeks to seize territory and achieve political dominance over the Peninsula)」は「強制戦略よりも可能性が低い(less likely than the strategy of coercion)」としているが、後から考えると評議会が修正する可能性があるのではないかと私が疑う重要な警告を発している。

金正恩がアメリカの介入を阻止し、中国の支援を維持しながら韓国軍を圧倒できると信じている場合、あるいは国内または国際危機が修正主義的な目標を達成する最後のチャンスであると判断した場合、攻撃戦略(offensive strategy)の可能性はさらに高まるだろう。

このような戦略の結果、どのようなシナリオが考えられるだろうか? エスカレートする可能性のある火種は、南北朝鮮の海洋境界線である北方限界線(Northern Limit LineNLL)である。NLLは1953年の休戦前後に国連軍司令部によって画定されたが、北朝鮮はこれを争っており、長年の不満と度重なる軍事衝突の原因となっている。2010年、平壌は、NLLが韓国領と定義する5つの島の1つである延坪島を砲撃した。この攻撃で韓国海兵隊員2人が死亡し、韓国船1隻も沈没した。北朝鮮は今年初めにもこの島の近くで砲弾を発射している。

金正恩が憲法改正を要求し、韓国を「主敵(principal enemy)」と宣言したのと同じ1月の演説で、彼は将来の最高人民会議(Supreme People’s AssemblySPA)会議で北方限界線の国境主張を修正することにも言及した。「我が国の南側国境線は明確に引かれているため、違法な『北方限界線』やその他の境界線は決して容認できない。韓国が我が国の領土である陸地、空域、水域を0.001ミリでも侵犯すれば、戦争挑発(war provocation)と見なすだろう」。金正恩は10月7日に最高人民会議の会議を予定している。

朝鮮半島のこうした現実と北東アジアの地政学的苦境から生じるリスクは、いくつかの危険だがもっともらしいシナリオを示唆している。まず、国家情報会議報告書や韓国のアナリストたちが予見している核の影のシナリオがある。それは次のようなものだ。

米韓軍事演習を非難した後、北朝鮮はそのうちの2つの島の近くで実弾射撃訓練と思われる演習を開始し、その後砲弾を集中砲火し、続いて軍隊が延坪島に上陸した。韓国を牽制するアメリカの努力は失敗し、韓国政府は空軍と海軍をその地域に派遣し、北朝鮮の船舶に砲撃し、海兵隊を島に上陸させた。戦闘が続く中、北朝鮮は近くの無人島に戦術核兵器を発射した。

アメリカや韓国は軍事的に対応し、エスカレーションの危険を冒すだろうか? 広島以来初の核使用に直面して、中国は国連安全保障理事会決議に拒否権を発動するだろうか、それとも状況を封じ込めるために米国と協力するだろうか? アメリカと韓国の両国が北朝鮮との信頼できる外交的または軍事的コミュニケーション手段を欠いている現在、北朝鮮は簡単に制御不能になる可能性がある。

更に憂慮すべきシナリオは、朝鮮半島危機と台湾危機が同時に発生するアジアでの二正面戦争(two-front war)である。ウォーゲーム(wargaming)、政府関係者へのインタヴュー、ワークショップに基づく2023年の詳細な報告書の中で、北朝鮮担当の元国家情報担当官であるマーカス・ガラウスカスは、抑止力(deterrence)がどのように失敗する可能性があるか、また、例えば中国が台湾に侵攻し、アメリカが軍事介入(military intervention)して焦点と資源を逸らした場合、金正恩が韓国を攻撃する論理と力学について詳述している。あるいは逆に、中国と北朝鮮の両方が台湾と韓国を攻撃するような、協調しての同時攻撃(simultaneous offensives)の可能性もある。

3つの核保有国が対立する(そしてプーティンがどのように行動するかを推測するかもしれない)というのは、空想的に聞こえるかもしれないし、ハルマゲドンに向けて夢遊病になるのではないかと危惧する人もいるかもしれない。そのような最悪のシナリオがすぐに起こる可能性は低いが、北朝鮮の地政学的な再配置によって、今後6~18カ月以内に平壌が劇的な動きを見せる可能性は高まっている。

アメリカも中国も、朝鮮半島をめぐる危機感に欠けている。中国当局者によれば、北京は平壌の行動をアメリカの制裁のせいであり、自分たちの問題ではないと見ている。ウクライナや中東地域での紛争が激化し、中国とのゼロサム競争が高い議題となっている今、北朝鮮は後回しにされているし、今後もされ続けるだろう。しかし、金正恩はそれについて何か言うかもしれない。

※ロバート・A・マニング:スティムソン・センターの戦略的先見ハブ上級研究員を務めており、世界的な先見性と中国プログラムに取り組んでいる。ツイッターアカウント:@Rmanning4

(貼り付け終わり)

(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 日本は「戦前」と「戦後」の区別ははっきりとしている。太平洋戦争における敗北がその分岐点だ。日本は敗戦を受け入れ、アメリカ軍を中心とした連合諸国の占領(ほぼアメリカ軍だが)を経験した。1945年の敗戦からは日本にとっては「戦後」だ。一方、アメリカではそのような区別はない、なぜならばそれ以降も幾度も戦争を繰り返しているからだ、という話を聞いた。

確かに冷戦期においては朝鮮戦争とヴェトナム戦争で大きな犠牲を払っている。また、湾岸戦争も2回実施された(1991年と2003年)。日本の「戦後」である75年の間に10年以上は戦争をしているということになる。

 今回ご紹介する論考は、この75年間にアメリカが戦った戦争は、日本との戦争とは大きく異なり、完全勝利もその後の敗戦国の体制転換ももたらさなかった、ということから、マッカーサーが使った「偉大な勝利」はなかった、ということを論じている。アメリカ国民には受け入れがたいほどのコストがのしかかりながら、完全勝利を得ることはできなかった、その子で国民は苦しみ、不満を持ってきたということだ。
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 1945年9月2日に東京湾のアメリカ戦艦「ミズーリ号」(現在はパールハーバーに展示されている)の艦上での降伏文書調印式が実施された。この時の写真や映像は残っており、今でもテレビで放映されたり、雑誌に掲載されていたりする。しかし、これ以降、このような完全な勝利による、敗戦国側がおずおずと儀式に出てきて降伏文書に調印するというような戦争をアメリカは経験していない。言われてみれば、アメリカ側が得意の絶頂になって、勝利を見せつけるということができたのは、太平洋戦争が最後だ。

 このような完全勝利(日本の無条件降伏)ならば、アメリカ国民もある程度の犠牲やコストを甘受しただろう。しかし、その後はこのような完全勝利を得られるどころか、コストに結果が伴わないということが続いている。しかし、無敵アメリカ軍、という印象や日本の降伏と民主化という「幻影」に縛られている。イラク戦争が一応の終結を見た後に、ポール・ブレマー連合国暫定当局(CPA)代表をダグラス・マッカーサーと比べる記事や日本の民主化についての記事がアメリカでも多く出たが、とても成功したとは言えない。

 大成功を収めた後ほど怖い、という処世訓がある。アメリカの場合はこの庶民の私たちが持つ処世訓通りの75年間を過ごしてきたことになる。

(貼り付けはじめ)

日本の無条件降伏がもたらした危険な幻想(The Dangerous Illusion of Japan’s Unconditional Surrender

-これまでの数十年間、アメリカの外交政策は第二次世界大戦を終わらせた方法によって、かえってよくない方向に捻じ曲げられてきた

マーク・ガリッキオ筆

2020年8月13日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/08/13/vj-day-the-dangerous-illusion-of-japans-unconditional-surrender/

1945年8月15日の夜明けを迎える少し前、国営放送は日本国民に対してその日のうちに天皇からのメッセージがあるので注意するように求める放送を行った。日本全国で、人々は不安の中で、初めて耳にする「玉音(the jeweled voice)」を待った。ほとんどの国民は、天皇が最後まで戦い抜くことを求めるメッセージを発するものと考えていた。国民が耳にしたのは、甲高い、早口の古い日本語で書かれたメッセージであって、国民の多くには理解できなかった。玉音放送の後に解説者が出てきて、天皇は降伏に同意したと説明し、そこでやっと国民は戦争が確かに終わったことを知った。

このニュースがワシントンに達した時、すぐにお祝いが始まった。しかし、戦争を終結させるための正式な儀式は9月2日の日曜日まで待たねばならなかった。日本の正式な敗北はアメリカ海軍戦艦ミズーリ号の艦上で発効した。降伏文書は連合国と日本の代表者によって署名された。この文書は大日本帝国大本営と日本の管理下にある全ての武装勢力が無条件降伏(unconditional surrender)することを宣言した。降伏文書には、天皇と日本政府の権威はアメリカのダグラス・マッカーサー大将の指揮下に入り、全ての文官と軍人はマッカーサーに従うように命じた。調印式の最後に、マッカーサーはマイクの前に立ち、世界中の聴衆に向かって来示を通じ得ての演説を始めた。現在では有名になっている演説は次のように始まった。「本日、銃は静まった。大規模な悲劇は終わった。大きな勝利が勝ち取られた(A great victory has been won)」。

日本の降伏後、日本の非武装化、経済、政治、社会のそれぞれの機構の改革、新憲法の制定、中国と東南アジアに展開していた戦闘では敗れていなかった日本軍の降伏と言ったことが続いた。これらすべては天皇に対するアメリカの影響力によって実行されたものだ。天皇は日本軍に無条件降伏を命令した。飛行機が上空を飛び交い、米第三艦隊所属の200以上の艦船が東京湾を埋め尽くす中で、アメリカの力が全ての場所で誇示された。アメリカ人が戦争における完全な勝利の中にいて、征服した敵に対して自分たちの意思を押し付けることができるということがこの時をもって最後になるなど、この時に参加していた人々は誰も知らなかった。東京湾における軍事力の誇示は日本国民を畏怖させる意図で実施された。しかし、それだけではなく、軍事力によって達成できるものについての誤った印象を増進させることにもなった。

19世紀以降、社会的な発達と技術的な発達によって、戦争は高いコストがつくものとなった。軍事力を通じて国家目的を達成することは政治的に受け入れがたいほどのコストが発生するリスクが大きくなった。近代戦争において国民が総動員されることは、交戦諸国に対して大きなプレッシャーとなり、勝利国であっても極限での犠牲が大きくなってしまうことになった。アメリカが日本と戦争状態に入った時、アメリカの戦略家たちは、日本本土を孤立させ、幸福を促すために、主に海軍力を使うことでそうした運命に陥らないようにすることを望んだ。この目的のために最初に必要なことは日本帝国海軍の艦隊を壊滅することだった。1945年春までに、アメリカ空軍による日本の諸都市への繰り返しの爆撃によって日本の絶望状態が進んだ。それにもかかわらず、日本政府はアメリカ側が受け入れられる条件を出すことを拒絶した。戦争は継続した。

1945年8月までに、アメリカ陸軍は、太平洋戦争において最も厳しい戦いを経験の少ない新兵が補充された、疲れ切った師団で戦うための準備を行っていた。苛立ちを募らせた国民と批判的な政治指導者たちは、日本の無条件降伏と同義とされた勝利が受け入れ可能なコストで達成されるのかどうか疑問を持った。2発の原子爆弾とソヴィエトの対日参戦はそのような議論を終わらせ、誰も想像しなかった素早い決定がなされた。運命の突然の逆転は、後の世代が、日本の抵抗とアメリカ国内の分裂のためにアメリカの戦略がどれほど混乱したかが分からなくなってしまった。また東京湾上での降伏文書調印儀式は、後の世代に、「戦争の終わりはこうであらねばならない」、そして「これは再現できることなのだ」という考えを植え付けた。

アメリカの次なる戦争は、時期と場所だけが太平洋戦争のパターンにそっくりなものとして出てきた。朝鮮戦争は奇襲攻撃から始まった。この奇襲攻撃によって、アメリカと同盟軍は後退を余儀なくされ、国連による攻勢によって体勢を立て直すに至った。仁川(インチョン)の二正面による上陸作戦の成功は、マッカーサーが第二次世界大戦において行ったニューギニア北部で行った飛び石作戦を思い出させるものとなった。この成功によって、北朝鮮への侵攻と完全勝利への期待が高まった。中国人民解放軍の介入によってこれらの希望は打ち砕かれた。そして、国連は長期にわたる、徐々に人々からの支持を失っていった戦争を戦うことになった。そして、戦争目的は限定的なものとなった。朝鮮戦争においては、アメリカの戦艦の艦上で敵の降伏を受け入れるということもできないものとなった。戦争は板門店のテントの中で、厳しい停戦交渉の末に実現した。

アメリカがヴェトナムに直接介入する時までに、戦闘における核兵器の使用は不可能だという戦略的分析が既になされていた。特にアジアにおいてはそうだとされていた。広島で核兵器が使用されてからの10年間、アメリカの戦略家たちは、アジア地域における核兵器の使用について、使用してしまうと、地域に住む人々に対して「地域の人々の声明についてアメリカ人は無関心なのだ」という認識を与えてしまうという結論を出した。核抑止力の短所を埋めるために、アメリカの軍事思想家たちは、許容できるコストで勝利を生み出すための最善の方法として、機動性と戦術的な空軍力使用を強調する制限戦争という戦略を主張した。アメリカは限定的な目的を設定した。それは非共産主義のヴェトナムの防衛であった。朝鮮半島における中国の介入がまた繰り返されることを恐れて、政府高官たちは、北ヴェトナムに対する地上戦を排除したが、敵の戦争継続能力を破壊することを究極の戦争目的とする軍事戦略を採用した。アメリカは個々の戦闘では常に勝利したが、戦争の勝利は朝鮮戦争の時よりも曖昧なものとなった。

結果は異なっているが、日本との戦争、朝鮮戦争、そしてヴェトナム戦争の間には共通点も見られる。その一つは、アメリカ軍に対して多大な死傷者を強いる一方で、敵は想像を絶する損失に苦しむことを自ら進んで行ったというものだ。もう一つは、アメリカ国民、特にビジネス界と政界の指導者たちが長期戦に伴う犠牲を受け入れ難く考えていたことだ。

歴史的に見て戦争は優柔不断の方向に引きずられてしまうということの証拠としてこれらの共通点を見ることができる。その代わりに、軍事専門家たちは、朝鮮戦争とヴェトナム戦争は、アメリカ人が限定戦争には向いていないことだけを証明したと結論付けた。その救済策はパウエル・ドクトリン(Powell Doctrine)だった。これは1990年代初めのアメリカ軍統合参謀本部議長の名前にちなんでつけられた。この新しい考え方は、二度とヴェトナム戦争のようなことが起きないためとするものだった。その内容は、アメリカはこれから勝てる戦争しか戦わないというものだった。コリン・パウエルはこの考えを1991年に実行に移した。1991年、アメリカと同盟諸国はイラク軍からクウェートを解放した。「砂漠の嵐」作戦は、サダム・フセインをイラクに押し戻すことに成功した。しかし、その目的が達成された後、パウエルはそのままイラクに侵攻すれば、ヴェトナム戦争の時同じ泥沼にはまるのではないかという恐怖感を持った。そこで、攻撃を停止した。軍事上の成功に対する祝意は、失望に変わった。それはサダム・フセインが権力の地位にとどまったことで、アメリカ人には不完全な勝利ということになり、不満が残った。

それから10年後、デジタル革命とそれに付随する武器の進歩によって、新しい世代のアメリカの政治指導者たちは、軍事面での革命を実現したのだと考えるようになった。戦争の新方式の主導者たちは、いわゆる「戦場の全方位における優越(full-spectrum dominance of the battlefield)」を確信しており、これによってアメリカはより低いコストで大きな勝利を得ることができると考えた。軍事に関する革命についての最初のテストは、パールハーバー奇襲攻撃を思い出させることになる911事件のテロリスト攻撃の後に実行された。

911事件の首謀者たちを標的とする限定的な攻撃によって対応する代わりに、アメリカは拡大されたテロリズムに対する世界規模の戦争に乗り出した。第一段階は2001年10月に「不朽の自由」作戦として、アフガニスタンへの侵攻で始まった。第二段階は、「イラクの自由」作戦として2003年3月に始まった。両作戦は共に、中東地域への民主政治体制の拡散のためのより大規模な戦役の計画が実現されたものだった。

2002年10月、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク侵攻を真剣に検討した。軍事面の計画立案者たちは日本占領をイラク侵攻についてのガイドと考えていた。ドイツとは逆に、日本は最も望ましいモデルであった。それは、日本は占領期間中に分裂することなく、統一を保ち、アメリカが非西洋国に民主政治体制を植え付け育てることができることを証明したということが理由であった。しかし、イラクは日本のようにはいかなかった。少なくともブッシュ政権が想像したようにはいかなかった。

2003年4月1日、アメリカのイラク侵攻が始まって2週間後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官はイラクの政権の無条件降伏を求めると宣言した。2007年8月、アメリカ軍はイラクでまだ戦闘を続けていた。戦闘が長引くようになり、ブッシュ大統領は、自分の父親たちの世代が獲得した勝利と同様の勝利で「テロとの戦争」は勝利するだろうと語りかけた。対外戦争従軍復員軍人会の会合に出席し、ブッシュはたとえ話から演説を始めた。ブッシュは演説を次のように始めた。「ある良く晴れた日の朝、数千のアメリカ人が奇襲攻撃で殺害され、私たちを世界中に進出させることになる、戦争に私たちの国は入ることになりました」。

ブッシュは続けて次のように述べた。「私が述べている敵とはアルカイーダのことではありません。奇襲攻撃は911事件のことではありません。帝国はオサマ・ビン・ラディンが夢想する急進的なカリフが統治する帝国のことではありません。私が述べているのは、1940年代の日本帝国による戦争マシーン、日本帝国によるパールハーバーへの奇襲、日本帝国による東アジア地域への帝国の拡大、ということです。」中東地域での民主政治体制の拡散という試みと努力を無駄だとする批判者たちを非難するために、ブッシュは、聴衆たちに対して、日本の民主化については当時の専門家たちも疑念を持っていたことに注意するようにと述べた。

ブッシュ大統領が演説をした時までに、アメリカ国民は既に中東での十字軍遠征に対する熱意を失っていた。1945年夏のアメリカ国民と同様、アメリカ国民は怒りに任せて始めた戦争についてすでに過去のこととして関心を失い、国内問題に関心を集めるようになっていた。ほとんどのアメリカ国民にとって、中東での完全勝利の代償はその価値を超えるものとなっていた。

アメリカ人が日本との戦争終結75周年を記念する際、2発の原子爆弾とソヴィエトの参戦によって日本の無条件降伏は促されたということを思い起こすことになるだろう。偉大な勝利が勝ち取られた。短い間、ほんの短い間、アメリカは歴史の法則から自由になった。そして、国民が受け入れられるコストで勝利を得ようと苦闘する他の国々の運命からも免れた。そのような瞬間は二度と戻ってこない。また、そのようなことが実現できると期待すべきではないのである。

※マーク・ガリッキオ:ヴィラノヴァ大学歴史学教授。『無条件:第二次世界大戦における日本の降伏(Unconditional: The Japanese Surrender in World War II)』著者

(貼り付け終わり)

(終わり)

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