古村治彦です。
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2025年7月20日の参院議員選挙後、参院で与党過半数を割り込んだことを受けて、自民党内から、石破茂総裁の退陣を求める声が出ている。石破降ろしの震源地は麻生太郎元首相、高市早苗代議士、萩生田光一代議士をはじめとする旧安倍派裏金四人衆だ。そこに茂木敏光代議士も加わっている。
この人物たちに共通しているのは、故安倍晋三政権下に我が世の春を謳歌しながら、その悪事や危険な思想、無能力がばれてしまい、すっかり見限られてしまったということだ。この人々が安倍政権下で行ったことが原因で引き起こされた事件や国民生活の苦難について、恬として恥じ入ることもなく、議員の職を辞することもなく、居座り、税金を原資と売る歳費を貪り食っている。自分たちが引き起こした苦難が原因での、自民党の選挙の敗北を「最高指揮官が責任を取るのが筋」と主張して、自分たちの責任を免れ、なかったことにしようとしている。
(貼り付けはじめ)
石破首相の進退巡り自民内に亀裂 旧安倍、茂木派が辞任圧力強める
7/24(木) 18:52配信 共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a75afd4a588aee9ad31ac7735407c854199a81c
参院選で大敗した石破茂首相の進退を巡り、自民党内で亀裂が生じている。退陣が不可避な情勢となりながら続投を重ねて表明した首相は24日、日米関税交渉合意への対応に意欲を示した。一方、旧安倍派と旧茂木派、麻生派の有志議員らが首相の責任を問うため、両院議員総会の開催へ署名活動を展開し、辞任圧力を一層強めた。麻生太郎最高顧問や岸田文雄前首相が23日の石破首相との会談で続投に難色を示したことも判明した。関係者が明らかにした。
首相は24日、官邸で開いた都道府県議会議長との懇談会で、関税合意を踏まえ「影響を見定めつつ、地方の声を聞きながら一つ一つ課題に必要な対応を行う」と述べた。自民内では、合意により続投する理由が薄まったとの見方がある。だが首相は、影響を受ける事業者への追加支援に今後も全力を挙げるとしている。
同懇談会の終了後、官邸に首相を訪ねた鈴木宗男氏によると、首相は退陣論に関し「いろいろな意見があっていい」と語った。関税合意に基づき「日米関係をまた発展させたい」とも強調した。
(貼り付け終わり)
麻生、高市、旧安倍派の復活は衰退亡国への一里塚である。統一教会をはじめとするカルトと親和性の高い自民党保守傍流の安倍派の復活は東アジアの安定を大きく損なう。また、今回の参議院議員選挙で躍進した参政党や国民民主党は安倍派と親和性が高い。現在少数与党の自公政権であるが、これらが協力することで、高市早苗議員を首班指名することができる。この2つの「極右(狂右)」勢力の発言力が高まることで、排外主義、対中今日姿勢が高まることは間違ない。そうなれば、国民生活は圧迫され、経済的にも苦しい状態に追い込まれる。このようなシナリオを避けることが極めて重要だ。
自民党は結党以来、70年の間で、何度も政局を起こし、党内の激しい闘争を経験してきた。私が思い起こすのは1979年の「四十日抗争」だ。1979年の衆議院銀選挙(総選挙)で、自民党を率いる大平正芳総裁が一般消費税導入を訴えたが、自民党内でも反発が大きく、自民党が過半数割れを起こす事態となった。この結果に対して、三木武夫元首相、福田赳夫元首相が反発し、大平正芳の退陣を求める。田中角栄はロッキード事件で自民党を離党していたが、田中派は健在で、田中角栄は大平正芳を支援した。ここに、自民党保守本流(吉田茂を源流とする、自由党系の池田勇人と佐藤栄作の流れ)と自民党保守傍流(鳩山一郎や岸信介、三木武夫の日本民主党系の流れ)の争いが勃発した。大平・田中対福田・三木・中曽根という構図になった。中曽根はやや中間的な立場だった。大平・田中は自民党本部で両院議員総会を開催しようとし、反対派がホールをバリケード封鎖し、そこに浜田幸一が乗り込んで、大暴れして、「いいか断っとくけどな、かわいい子供達の時代のために自民党があるっちゅう事を忘れるな!?お前らの為にだけ自民党があるんじゃないぞ!?」と凄むシーンはこれまでに何度もテレビで流されてきたので、見たことがある人も多いだろう。
選挙後の国会での首班指名で、自民党の候補を決めることができずに、本会議となってしまう。結局、大平正芳と福田赳夫の2名が候補となる事態となった。
衆議院の1回目の投票では大平135票、福田125票、他は各野党の党首などとなり、過半数を得る候補者が現れず(議席数は511)、決選投票では大平138票、福田121票、無効票252票となり、大平が首班指名された。参議院でも同様となり、1回目の投票で大平78票、社会党の飛鳥田一雄委員長51票、福田赳夫38票となり(議席数は235)、決選投票で大平97,飛鳥田52票、白票87票となり、大平が指名された。ここから党内にしこりが残ることになった。1980年の予算審議で、自民党側が野党の予算修正の申し入れを拒否したことで、社会党、公明党、民主党が態度を硬化させた。そして、5月に内閣不信任案が提出された(社会党単独提出、公明、民社が参政を確認、共産党も同調)。自民党内の反州流派の動きによっては内閣不信任案が可決されてしまうという状況となった。
本会議での採決では、中曽根派が反対に回り、福田派や三木派からも一部反対が出た。しかし、大半は本会議を欠席した。結果として、賛成243票、反対187票で不信任案が可決された。大平内閣に残された道は内閣総辞職か、衆議院の解散総選挙で、大平首相は解散総選挙を選んだ。これは「ハプニング解散」と呼ばれる。衆参同日選挙が決まったが、選挙期間中に大平正芳首相が急死し、弔い合戦ムードとなって、争いは収まり、選挙は大勝となった。
長くなったが、これは1979年の四十日抗争と1980年のハプニング解散の概略である。今回の石破降ろし政局もまた、保守本流と保守傍流の争いである。「茂木派は旧田中派、旧竹下派の流れをくむから保守本流なのに、石破降ろしをしているではないか」という指摘もあるだろう。その通りではあるが、茂木氏はかりそめの、一時的な派閥の領袖に過ぎなかった。田中・竹下の流れは小渕優子に行くべきもので、それまでのつなぎだった。小渕優子と青木一彦は派閥を退会している。茂木は持ち慣れない派閥を持ち、安倍晋三元首相に忠誠を誓い、浮かれに浮かれて、人望を集めるということができず、次の首相候補にも名前が出ないほどだった。茂木派という名称は一時的、かつ、不規則なものだ。
保守本流は吉田茂を源流としているが、吉田の孫である麻生太郎は宏池会から、河野洋平と共に脱退している。河野洋平は父である河野一郎の河野派に所属していたが、河野派は中曽根派となった。中曽根は河野に派閥を譲る思惑などなく(そもそも子分を作って大事にするというタイプでもなく)、河野洋平が新自由クラブを作って自民党を離党するようにある意味では仕向けることに成功した。河野洋平は自民党に戻る時に、保守本流の宏池会に入ったが、宏池会の跡目争いで加藤紘一に敗れて、宏池会を出て河野グループを結成した。反加藤ということで、麻生も一緒に出て、後に麻生派となった。加藤のハト派色が受け入れられなかったという、単純粗雑な、「ゴルゴ13」でしか国際関係を学べなかった麻生は(「ゴルゴ13」自体は素晴らしい作品であることは言うまでもない)、祖父や父親の名前を汚す、駄目な三代目であり、川柳で言う「売り家と唐様で書く三代目」である。色々と入り組んでいるが、現在、石破降ろしをしているのは保守本流に反旗を翻す保守傍流と認定していいと考える。
石破降ろしは、おごり高ぶった、安倍晋三政権下の我が世の春を謳歌したい者たちが責任を取らないで済ませるために、最高指揮官に責任を代わりに取ってもらおう、それで自分たちは免罪してもらおうというふざけ切った態度でしかない。自民党の中身を変えずに、党の顔を変えてイメージを変えて人気を回復しようなどという姑息な弥縫策を進めても自民党に未来はない。自民党を正気に戻し、これまでの負の遺産を清算することが何よりも重要だ。石破茂首相の粘り腰と周囲の支えを強く願うものである。
(終わり)

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』


