古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:福田達夫

 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。アメリカ政治と世界政治について詳しく分析しました。是非手に取ってお読みください。このブログを継続するため、本をご購読いただければ大変助かります。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 昨年からの自民党各派閥のパーティー券販売キックバック問題(裏金作り)は、複数の政治家と安倍派、二階派、岸田派の会計責任者の立件でひと段落となった。安倍派、二階派、岸田派、森山派、石破グループ(政策集団・勉強会として存続していた)は派閥解散、麻生派と茂木派は存続ということになった。菅義偉前首相を中心とする、無派閥という議員グループが大きな勢力となっている。現状は、旧派閥と新派閥の対立構造という形で捉えることができる。

 また、茂木派からは、小渕優子衆議院議員と青木一男参議院議員が退会を表明し、その後も参議院議員数名が退会した。田中角栄から竹下登、小渕恵三、橋本龍太郎と続く派閥において、「茂木敏充ではなく、小渕優子を首相にする」という意図を持った動きである。麻生派は今のところ大きな動きはないが、80歳を超えて失言も続く麻生太郎に引退してもらい、河野太郎を領袖とするという動きと、それに反対する動きが派内にはあるだろう。河野は菅義偉とも同じ神奈川県を地盤としている点で関係が良好であり、同じ神奈川県を地盤としている小泉進次郎も、以前の総裁選挙で河野太郎を支持したこともあり、河野太郎は、麻生派を継承もしくは分裂して、河野派となり、菅・小泉の神奈川グループの支援を受けるということも考えられる。

 安倍派に関しては、幹部の責任論がくすぶり続け、座長の塩谷立議員や五人衆と言われる幹部たちの離党や議員辞職についても語られている。自民党内部にそのような声がある。これは極めて重要な動きである。この議員たちは、自分たちが離党をしたり、議員を辞めたりする必要があるのかと憤慨しているだろうし、そもそも自分たちは派閥の慣例に従っただけのことで、それを作ったのは森喜朗元首相だと声に出して反論したいだろう。こうした安倍派の凋落の中で、福田達夫議員は新しい集団作りを目指すと発言した。福田派の結成ということになる。

 今回の派閥パーティー券販売をめぐる特捜検察の捜査にはアメリカの意図があっただろうということを推察し、そのことをこのブログでも書いた。そしうて、これまでの動きも合わせて考えると、私は、今回の派閥潰しの最終目標は森喜朗元首相の失脚であっただろうと考える。そして、合わせて、現在の自民党執行部の古い幹部たちの力を失わせ、新しい、若手たちの東洋を進めるということであっただろうと考えている。

 森喜朗という人物については、全くとらえどころがない、理解しがたい、日本の典型的な政治家として、アメリカは捉えていただろう。ロシアとの関係が深く(父親の代から)、清濁併せ呑むということで、アメリカ側としては御しにくいタイプの典型的な日本の政治家であった。今回、二階派も解散ということになり、二階俊博元幹事長も力を失い、引退を迫られることになるだろう。二階議員は中国との太いパイプを持つことで知られているが、アメリカにしてみれば、邪魔な存在ということで、森喜朗と二階俊博はまとめて失脚させられることになった。

 自民党の新しい実力者として、菅義偉がその地位に就くことになった。菅義偉議員は、安倍晋三政権の官房長官時代にアメリカを単独で訪問し、アメリカ側が首実検を済ませている。日本維新の会とも関係が深く、カジノ推進ということでアメリカの利益を推進する政治家である。アメリカとしては、森や二階に代わって、菅を実力者として据えるということにしたようだ。そして、派閥はご破算になって、新たに、河野派、福田派、小渕派、無派閥の小泉進次郎議員という、新しいリーダーたちを育成し、より直接的に、アメリカの意向が伝わり、実行されるような体制を構築しようとしていることになる。

 今回の動きは、アメリカ国内のジャパンハンドラーズの勢力変動の影響もあったと言えるだろう。安倍晋三を支持してきた、マイケル・グリーンがシドニー大学に移籍したことは、彼が左遷され、都落ちさせられたということである。そして、グリーンの後ろ盾を失った安倍晋三は首相の座を追われ、最終的には暗殺された。誰に暗殺されたか、このことは私の先生である副島隆彦先生の『愛子天皇待望論』(弓立社)に詳しいので、そちらを読んでもらいたい。

安倍晋三元首相と彼を取り巻く勢力は、統一教会に影響を受け、日本の歴史守勢主義を推し進め、核武装まで進めようとしていた。アメリカとしては、アメリカ軍にとって役立つ日本の防衛力強化は歓迎であるが、安倍晋三元首相はそれ以上のことをしようとした。彼はアメリカにべったりで、アメリカ従属路線の人物だと日本人である私たちは評価するが、アメリカ側からすれば、「靖国神社に参拝し、太平洋戦争での日本は正しかったと主張するカルト・オブ・ヤスクニであり、核武装まで主張する危なっかしい人物」となる。アメリカにとっては使い捨ての駒であり、どんなに栄耀栄華を誇っていても最後はポイッと捨てられる。

こうした動きを冷静にかつ冷酷に見てきたのが岸田文雄という人物の怖さである。岸田首相に関しては世間の評価は低いが、その粘り強さや下手(したて)に出ながら、いつの間にか相手を逆に締めているような動きには、政治家としての強さを感じる。岸田首相の対米レッドライン(最終防衛線)は、「金で済むことならば金を出す(防衛費の倍増のために増税はする)が、中国とぶつけられることはなんとしても回避する」ということだろう。国民生活の苦しさは日本の政治家であれば分かっているはずだが、「戦争をさせられるよりはずっと良い、何とか耐えてもらいたい」ということだと思う。書き散らしになって申し訳ないが、私の今に日本政治に関する考えを書いた。

(終わり)

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 古村治彦です。

 今回は、ジャパン・ハンドラーズ(日本管理班)古株のナサニエル・セイヤー博士の追悼記事(『ワシントン・ポスト』紙掲載)を紹介する。ナサニエル・セイヤーはほぼ半世紀にわたり、アメリカの日本管理を担った重要人物である。ワシントンDCにあるジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究所(SAIS)教授として多くの人材を教育した。
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ナサニエル・セイヤー

 SAIS出身者の政治家には、長島昭久、山口壯、福田達夫らがいる。山口壯は自身のブログの記事で、「私は外務省時代にSAISに留学させてもらい、ナサニエル・セイヤー教授から博士号をもらいました。博士論文は、外務省の大先輩である吉田茂がどのような発想で日米安保条約の構想に至ったか等について書いたものです」と書いている。
※2014年7月18日世界における日本の役割(Japan will play a greater role in the Coming World) https://mission21.gr.jp/2014/18/6808/

 セイヤーはエドウィン・O・ライシャワー大使時代に東京の米国大使館に勤務していた。彼はこのころ既に後に日本の首相となる中曽根康弘と深い親交を結んでいた。コロンビア大学の後輩のジェラルド・カーティスが博士論文執筆のために日本にやって来た時には面倒を見て、中曽根康弘の秘書だった小林正巳を通じて、中曽根派の代議士だった佐藤文生をカーティスに紹介した。カーティスは佐藤文生の選挙事務所に入り、「日本語を話す外人さんがいる」ということで、人気者になった。彼は後に「この時に『お流れ頂戴します』という言葉を覚えた」と述懐している。カーティスは日本の選挙運動について博士論文を書き、それが後に『代議士の誕生』という著作になった。ここら辺のことは拙著『アメリカ政治の秘密 日本人が知らない世界支配の構造』に詳しく書いている。カーティスは後に著作には入れなかったが、事務所の奥まった部屋で裏金のやり取りを目撃したと述べている。

 セイヤーは東京の米国大使館に在職中、日本の学生運動の指導者たちとも接触している。具体的には一緒にお酒を飲んで交流している。ここからは私の勝手な推測であるが、活動資金を手渡していたのではないかと思う。

 セイヤーはアメリカに戻り、ニューヨークにあるコロンビア大学とニューヨーク市立大学で教鞭を執った後、ワシントンDCにあるジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究所(SAIS)に移った。ジョンズ・ホプキンズ大学自体はワシントンから高速道路で1時間ほどのメリーランド州ボルティモアにある。ジョンズ・ホプキンズ大学は全米で初めて博士課程を設置した名門大学だ。1975年から2005年に教職から引退するまで約40年間、セイヤーはSAISで、日本研究者や日本からの留学生を教育した。SAISのエドウィン・O・ライシャワー記念センター創設にもかかわった。現在は、ライシャワーのハーヴァード大学時代の最後の弟子であるケント・カルダーがSAISの日本研究部門を取り仕切っている。
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マーガレット・ヒサコ・セイヤーさん

 セイヤーは2020年11月に亡くなった。奥様のマーガレット・ヒサコ・セイヤー(旧姓はタカハシ)さんは2021年5月に亡くなった。夫妻は共に90歳を超える長寿だった。マーガレット・ヒサコさんは日系人だったが、戦時中は日本で過ごした。戦後は米軍の通訳を務めた。その後、ニューヨークに移り、国連で働き、夫となるナサニエル・セイヤーと出会った。マーガレット・ヒサコさんは医師助手(Physician's Assistants)第一世代として長らく現役で働いたそうだ。二人の結婚生活は64年に及んだということだ。

 

(貼り付けはじめ)

ナサニエル・バウマン・セイヤー博士(Dr. Nathaniel Bowman Thayer

https://www.legacy.com/us/obituaries/washingtonpost/name/nathaniel-thayer-obituary?id=6140469&__cf_chl_captcha_tk__=V8imlPKAFEgAbp3UIpFLfNSUa21XKRta2rNo8V1Jdu8-1638544469-0-gaNycGzNCH0

ナサニエル・バウマン・セイヤー博士は、日本政治の著名な研究者であり、長年にわたりジョンズ・ホプキンズ大学高等国際関係大学院(the Johns Hopkins University School of Advanced International Studies)の教授を務めた。また、東アジア担当のアメリカ国務省の外交官と国家情報官を務めた。セイヤー博士は2020年11月7日に娘サラのネブラスカ州グレトナの自宅で静かに息を引き取った。

セイヤー博士は1929年11月30日にマサチューセッツ州ウォーセスターのセイヤー家に生まれた。彼はヴァ-モント・アカデミーを卒業し、ブラウン大学とロードアイランド・スクール・オブ・デザインで建築を学んでいる時に、朝鮮戦争が勃発した。朝鮮戦争期間中、東京に合ったアメリカ軍極東司令部の対諜報・情報舞台で調査官として勤務した。停戦後、セイヤー博士は日本政治と東アジアの国際関係論を専門とする学術におけるキャリアをスタートさせた。1956年にコロンビア大学で優等で学士号を取得し、コロンビア五大学で修士号と博士号を取得するために勉強している間に、後に妻となるマーガレット・ヒサコ(旧姓タカハシ)と出会った。

セイヤーは1961年アメリカ合衆国外務局に入り、エドウィン・O・ライシャワー駐日米国大使の下で、東京の米国大使館で広報担当官を務めた。1964年にライシャワー大使に対する暗殺未遂事件が発生し、ライシャワー大使が虎の門病院に運び込まれた際には、大使のそばにいた。彼はその後、ビルマのラングーンの米国大使館に転勤した。その後、博士号取得のためにコロンビア大学に戻り、1967年に優秀な成績と論文で博士号を取得した。1969年に、ニューヨークのジャパン・ソサエティでプログラム担当部長を務めている時に、日本政治の古典的著作『いかにして保守主義者は日本を支配しているか(How the Conservative Rule Japan)』を発表した。この著作は、派閥政治、政治家たちと官僚と実業界との関係を分析した画期なものだった。この著作は、3つの言語で出版され、32版を重ねている。アメリカと日本で日本政治についての標準的な教科書となった。

セイヤー博士はコロンビア大学とニューヨーク市立大学で教鞭を執った。また、ハーヴァード大学でヴィジティング・プロフェッサーを務めた。その後は、1975年にワシントンDCにあるジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院(SAISSchool of Advanced International Studies)に移った。SAISで長年にわたり、多くの日本研究者たちを教育し、学術界、外交、実業の分野で多くの成果を挙げてきた多くの学生たちを指導した。SAISでは、日本研究部長、アジア研究プログラム部長、中曽根康弘記念教授(Yasuhiro Nakasone Professor)、ライシャワー記念センターのアドヴァイザーを務めた。1978年から1980年にかけて、中央情報局(CIA)の東アジア専門国家情報官(national intelligent officer for East Asia)を務めた。2005年に教職から退いた。同年、ワシントンの日本大使館で式典が開かれ、日本政府から、旭日中綬章(Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon)が授与された。

SAIS在職中、セイヤーはヴァージニア州フェアファックス・ステーションに農場を購入し、ほぼ独力で、南北戦争前の農家の建物を復元し、農場を大きくした。農場では、ブービエ・デ・フランダース犬とアンガス牛を育てた。ナサニエル・セイヤーは長年にわたるパーキンソン病との戦いを勇敢に戦い抜き、息を引き取った。64年間連れ添った妻マーガレット(ルイジアナ州シュレヴポート)、娘デボラ(ミネソタ州ミネアポリス)、娘サラ(ルイジアナ州シュレヴポート)、娘レベッカ(ミネソタ州ミネアポリス)が残された。また、弟ウィリアム・セイヤーと彼の家族がマサチューセッツ州に住んでいる。追悼式は今年の秋にライシャワー記念センターで予定されている。式典は東京や世界各地で、インターネットを通じて中継される。詳細はフミコ・ササキ教授まで。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 古村治彦です。

 ここ1カ月半は、11月に出版予定の翻訳本にかかりきりで、ブログを更新することができませんでした。第一稿を提出できましたので、これからブログも更新していきたいと思います。よろしくお願いいたします。翻訳を進めながらも、ニュースは見ていますので、ここ1カ月半で驚いたのは、菅義偉首相の自民党総裁選不出馬と株式市場の値上がりです。

 今回は降ってわいたように行われることになった自民党総裁選挙について書きます。私らしい内容となると、ジャパン・ハンドラーズを中心とした人脈について書きます。これ以降は言葉を改めます。

=====

 自民党総裁選挙は2021年9月17日に告示され、29日に投開票が実施される。現職の菅義偉首相は不出馬を表明し、一気に盛り上がりを見せた。

 今回の自民党総裁選挙についての様々な分析はマスメディアで様々になされている。河野太郎国務大臣(ワクチン担当)、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務大臣、野田聖子幹事長代理の4名が推薦人20名を集めて、立候補となった。今回の総裁選挙では、派閥の締め付けが効かないということで、結果を予想することが難しくなっている。

 自民党総裁選挙は、議員票(党所属の衆議院議員274名と参議院議員108名)が382票、党員・党友(地方)票382票(各都道府県連で集計した投票数を党本部で集計し、各候補者にドント方式で配分)の764票を争うことになる。1回目の開票で過半数を獲得する候補者がいなければ、1位と2位の候補者による決選投票となる。決選投票では、議員票382票、地方票は47票(各都道府県で1位となった候補者が1票を獲得)となる。

今のところ、河野太郎氏が1回目の投票で1位となるが過半数を獲得するが、決選投票では1回目で2位となった岸田文雄氏が逆転で勝利するのではないかと予想される。

 今回の総裁選挙について大きな枠組みで見ると、2A(安倍晋三前首相と麻生太郎元首相)対2F(二階稔博幹事長)・石破茂元幹事長という構図となっている。岸田文雄氏と高市早苗氏が2A陣営、河野太郎氏が2F・石破陣営、野田聖子氏は不明(河野氏にマイナスの家強となるか)ということになるだろう。

 河野太郎氏は「ごまめの歯ぎしり」「変人」「短期(瞬間湯沸かし器)」ということで、河野一郎以来の政治の名門の出ながら、総理総裁候補とは長年にわたって見なされてこなかった。プリンスが長年にわたり、無頼放蕩をしてきたが、初入閣辺りから、麻生派の皇太子、プリンスということになった。

 河野太郎氏立候補にあたり、大きな原動力となったのは若手の動きだ。当選3回までの若手たちは、厳しい選挙、逆風の選挙を体験したことがなく、そのために、「選挙の顔」を重視し、そのためには「改革」のイメージが強い河野氏を総裁に選び、首相として総選挙を戦いということになっているようだ。

 若手たち、更には河野氏を支持している人たちのキーワードが「党風一新」だ。以下に記事を貼り付けるが、自民党の若手議員たちが結成した会の名前は「党風一新の会」であり、河野氏を支持する小泉進次郎環境大臣も「党風一新」という言葉を使った。

(貼り付けはじめ)

●「自民党総裁選告示 「党風一新の会」代表世話人・福田達夫氏に聞く」

9/18() 6:02配信

上毛新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/2887d58df8442d0dc98c22d432a8f8b6930ce66a

 党改革を掲げる自民党の中堅・若手国会議員による「党風一新の会」が10日発足し、代表世話人に福田達夫衆院議員(54)=群馬4区=が就いた。826日に派閥横断の17人でスタートした会合は、同党総裁選や衆院選を前にした政局下で一気に膨れ上がり、約90人が名を連ねる大きなうねりとなった。総裁選が告示された17日、福田氏に活動の意義や展望を聞いた。(関口健太郎)

―党改革を掲げる会の狙いは。

 われわれの本丸の目的は党改革だ。群馬でも「自民党はだめだ」という声をいただく。そこには長老支配と密室政治、そしてわれわれの活動が国民に見えにくいという問題がある。3期生にもなると政策作りに中心となって取り組んでいる自負があるが、世の中にはなかなか伝わらない。党の若手や中堅が認知され、自身の考えを発言し反映される場をつくりたかった。

―これほど大きなうねりになると考えていたか。

 正直驚いている。多くても40人集まればいいなと思っていた。数と勢いは政治においてとても重要だ。今回はメディアに注目されたことで、若手の仕事や存在を多くの人に認知してもらえたと感じている。

―この3週間で示した存在感は大きく、会の活動は多くの派閥が事実上の自主投票となった現状にも影響を与えたのではないか。

 注目されたかどうかの違いで、自分がやってきたことは変わらない。われわれの目的は、群馬を含む全国の党員が自分たちで見て、考え、自分たちの気持ちで投票することだ。開かれた総裁選を目指したことを考えれば、良い方向に向かっていると思う。

―会は21日に立候補者との意見交換会を開く。

 各候補者に35分ずつ時間をいただく。会所属の議員は56人参加し、意見交換する。政策については党の討論会などもあるので、われわれは各候補者の政治姿勢、現在の国民と政治の関係についての認識と、それをどうしていくのかを中心に聞きたい。

―党風一新の会の立ち上げは、祖父の故・赳夫元首相が、後の福田派につながる「党風刷新懇話会」を立ち上げた姿と重なる。

 当初はあまり意識していなかった。派閥の拘束を否定するという動きは、歴史の中で繰り返されるということなのではないか。多くの先輩方からも個別に応援していただいている。

―今後の活動について。

 総裁選は党改革というわれわれが目指す道の中で、その過程にあっただけだ。総裁選が終わり、総選挙も終わって生き残ることができたら、党改革を目指してしっかり取り組んでいきたい。

=====

●「小泉氏、河野氏を支持 「党風一新できる」―自民総裁選」

202109142121

時事通信

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021091400999&g=pol

 小泉進次郎環境相は14日、地元の神奈川県横須賀市で記者会見し、自民党総裁選で河野太郎規制改革担当相を支持すると表明した。「コロナ禍で日本も世界も変わる時に、自民党も変わらなければいけない。誰が党風を一新できるか、答えは明らかだ」と強調した。

 国民的に人気のある小泉氏の態度表明は、党員・党友票(地方票)を中心に一定の影響を与えそうだ。

(貼り付け終わり)

 河野太郎、福田達夫、小泉進次郎各氏の共通点は、ワシントンDCで生活をした経験もつということだ。河野太郎師は慶應義塾高校から慶應義塾大学に進学しながら中退し、ワシントンDCにあるジョージタウン大学に入学し直し、卒業、学士号を取得した。在学中には、マデリーン・オルブライト元国務長官の授業でA(日本で言えば優、もしくは秀)の評価を受けたのが自慢だ。

 福田達夫氏は慶應義塾高校から慶應義塾大学進学、卒業後にワシントンDCにある、ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院(Paul H. Nitze School of Advanced International StudiesSAIS)の研究員となった。SAISは、全米屈指の大学院・シンクタンクである。日本関係で言えば、元駐日大使エドウィン・O・ライシャワーの最後の弟子ケント・カルダーがSAISライシャワー東アジア研究所の所長を務めている。拙著『アメリカ政治の秘密 日本人が知らない世界支配の構造』で、カルダーの弟子にあたる(プリンストン大学時代にカルダーに師事。卒業論文は在日米軍基地について)マーク・ナッパ―(当時は国務省日本部長、現在は日韓担当国務次官補代理)と福田達夫氏との関係に言及している。

 福田氏は現在、総裁選挙での支持候補を明らかにしておらず、党風一新の会に参加した若手でも河野氏ではない候補者を支持している人たちも出ているが、福田氏を中心としたこの若手の動きは河野氏出馬に大きな力となった。

 小泉進次郎氏は、関東学院六浦高校から関東学院大学に進学し、卒業後には、コロンビア大学大学院で、日本政治研究の大家ジェラルド・カーティスの指導の下で、政治学修士号を取得した。その後はワシントンDCにある戦略国家問題研究所(Center for Strategic and International StudiesCSIS)で非常勤研究員を務めた。CSISはジョージタウン大学内の研究所として設立され、その後は学外に発展した。ざっくばらんな言い方をすると、ジョージタウン大学教授で、CSIS副理事長を務める、マイケル・グリーンの「カバン持ち」をしていたということだ。小泉氏のコロンビア大学大学院進学には次のような記事がある。簡単に言えば、下駄をはかせてもらって、箔をつけるためにコロンビア大学に行ったということだ。

(貼り付けはじめ)

●「小泉進次郎、名門「コロンビア大学院」留学の裏側 関係者が証言」

国内 政治 週刊新潮 202181219日号掲載

https://www.dailyshincho.jp/article/2021/08041544/?all=1

米政府大物に相談

 2019年に男性では戦後最年少で入閣を果たすも、その後は「46という数字が浮かんできた」など珍妙なポエムを連発し、国民から失笑を浴び続ける小泉進次郎環境相。世間との感覚の乖離が目立つ彼だが、その原点は04年のコロンビア大学大学院留学にあった。なんと、自身の所属大学教授や米大物教授まで巻き込んで、希望大学への入学を果たしていたのだ。

 ***

 進次郎氏は関東学院大学を卒業した04年に渡米。当地の難関校・コロンビア大学大学院で政治学を学んでいた。

「進次郎さんが大学を卒業する前、関東学院大学文学部の教授から“うちの学生に総理の息子がいて……”と相談を受けたのです」

 と明かすのは、国際関係学研究所所長の天川由記子氏。

「話を聞くと“総理の次男である進次郎君がコロンビア大学大学院に行きたいと言い出した。ジェラルド・カーティス教授の下で政治学を学び、父の跡を継ぎたいと言っている”。ところが、天下のコロンビア大学に行くには圧倒的に成績が足りていなかったそうで、“推薦状を頼まれたんだけど、どうしたらいいか”という相談でした」

 コロンビア大学といえばアメリカを代表する難関校であり、かたや彼が卒業した関東学院大学経済学部経営学科の当時の偏差値は49だった。さらに、当時の関東学院大学関係者によると、進次郎氏の成績は「学生の中でも平均的」だったという。天川氏が続ける。

「進次郎さんと面識はありませんでしたが、私は当時、日本で官房長官のアメリカ外交担当非常勤アシスタントを務めており、毎日ホワイトハウスと連絡をとっていました。そこで、まずはマイケル・グリーン氏に電話をしたのです」

 グリーン氏は当時、ブッシュ政権下で国家安全保障会議(NSC)の上級アジア部長兼大統領特別補佐官という要職にあった。すると、後にNSCアジア部長となるビクター・チャ氏を紹介されたという。

「“彼がコロンビア大で博士号を取得しているので詳しい。カーティス教授とも親しいから聞いてみて”と言われました。早速連絡すると、“それは大変だ!”と大学院の選抜システムを細かく説明してくれました」(同)

 チャ氏は「小論文や推薦状で彼が政治家になることを強調するように」と助言し、天川氏はそれを関東学院大の教授に伝えたという。

例外的な好待遇

「アメリカの大学院の審査基準は日本と異なり、点数よりも将来性が評価されます。卒業生の活躍が大学の評価を高めるという考えがあります」(留学事情に詳しいジャーナリスト)

 結果、アドバイスが功を奏したのか、進次郎氏は条件付き合格となったという。その条件とは、TOEFLのスコアが600点に達するまでコロンビア大学内の語学講座で英語の授業を受けるというものだった。進次郎氏はそこで1年ほど英語を学び、059月に修士課程をスタートしたという。しかし、コロンビア大のようなトップ校で英語力の向上を待ってもらえるケースはそれほど多くはなく、進次郎氏の場合は例外的な好待遇だという。

 85日発売の週刊新潮および有料会員制情報サイト「フォーサイト」では、コロンビア大学大学院卒業後に就職した米シンクタンク・CSISの採用の経緯についても、関係者の証言を交えて詳報する。

(貼り付け終わり)

 ジャパン・ハンドラーズに育てられた人材たちが今回ワシントンDC閥(Washington DC faction)を形成して、2A(安倍・麻生:それぞれ南カリフォルニア大学とスタンフォード大学に「遊学」したカリフォルニア・コネクション)に対抗することになった(党風一新という言葉は2Aに対して、「お前らさっさといなくなれ」という意味だろう)。安倍晋三前首相は、アメリカの覚えがめでたかったではないか、ドナルド・トランプ大統領当選直後に、各国の指導者の中で最も早い段階でトランプに会えたし、それ以降も緊密な関係を築いていたはずだ。

 しかし、トランプ大統領はワシントンDCでは最初から最後までよそ者だった。そして、トランプが去り、民主党政権となった。オバマ時代には安倍首相としっくりいかなかったことは知られている。バイデン政権になり、安倍路線は「覆される」対象、「逆コース(reverse course)」ということになったと考えられる。「上層部が変わったからこの話はなかったことに」というのは世間ではよくある話だ。

 更には、アメリカのバイデン政権内で対中衝突回避の雰囲気もあり、過度に単純な「アメリカと協力して中国を征伐してやるぞ!」というひねくれまくった日本の「愛国者」は邪魔な存在ということになる。「できるもんならやってみろ、ただしお前らだけでな(できもしないのに大言壮語を吐くな、アメリカがバックにいないと何もできないチンピラ以下が)」ということだ。安倍・麻生は当然のことながら、日本国内政治はアメリカの担当者などよりも分かっている。だから、手駒を2枚用意した。岸田氏と高市氏だ。そして、2位、3位連合で、決選投票で逆転してやる、岸田だったらアメリカも文句ないだろうということだ。今回総裁選に4名出馬し、女性が2名というには大きく言えば、河野氏を勝たせないという国内勢力(アメリカに捨てられた人たち)の戦略ということになるだろう。その結果がどうなるか分からない。決選投票で河野氏対岸田氏となったら、アメリカ側もまぁまぁ満足するし、岸田氏が勝てば、「大変動が起きなくて済む」ということで安心感ということになるだろう。岸田氏で総選挙が勝てるかどうかだが、菅首相で突っ込むよりも被害は少ないということになるだろう。

(終わり)

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