古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:退位

 古村治彦です。

 

 今回はちょっとまとまりのない、分かりにくい日本関連の記事をご紹介します。

 

 今回の記事では、日本が初めて軍事衛星を打ち上げたことで、「日本の積極的平和主義」は進められているということを述べています。記事には、ワシントンにあるCSIS(戦略国際問題研究所)の日本部長ザック・クーパーが登場しています。クーパーは、スタンフォード大学卒、修士号と博士号はプリンストン大学というエリートです。日本部長をしていますが、博士論文(“Tides of Fortune: The Rise and Decline of Great Militaries”)の指導教授はアーロン・フリードバーグです。CSISの日本部長ということで、マイケル・グリーンCSIS副理事長の部下ということになります。クーパーは、「日本が積極的な平和主義を追求しているのは、平和主義的な姿勢を維持するためである。また、日本は“普通の国”になろうとしているのだ」と説明しています。

 

 日本では大きすぎる問題のためにかえって論じられることがはばかられてしまう天皇の退位と譲位についてですが、今上天皇の姿勢を「積極的平和主義」と対比させて描いているところは、外側からの目の方が重要な点を掴みやすいものなのだと感じました。

 

(貼りつけはじめ)

 

日本にとって、新しい軍事衛星が後になって新しい天皇になるかもしれない(For Japan, a New Military Satellite and, Maybe Later, a New Emperor

 

エミリー・タムキン筆

2017年1月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2017/01/24/for-japan-a-new-military-satellite-and-maybe-later-a-new-emperor/

 

日本の戦後の平和主義のゆっくりとしたしかし確固とした変化が火曜日に促進された。この日、日本政府は初めての軍事通信衛星を打ち上げた。

 

現在、日本の自衛隊が使用している非軍事用の衛星に代わる3つの軍事衛星の最初の衛星であるきらめき2号が打ち上げられた。新しい衛星は、高速の高性能の通信能力を持ち、自然災害に対してより効果的にかつ効率的に監視を行えるようになるが、それは同時に増大しつつある安全保障上の挑戦に対する対応もできるようになる。

 

アジア地域のアメリカの同盟諸国はアメリカの後退について懸念を持っている。一方、日本の政治家たちは、南シナ海と東シナ海における中国の攻撃的な姿勢と核兵器10発を製作できるだけのプルトニウムを持つと考えられている北朝鮮に備えようとしている。より良い通信能力を獲得することで、日本の軍事力は増強されることになるだろう。日本の自衛隊は現在海外での活動を認められているが、軍事衛星によって海外における平和維持活動に貢献することになる。

 

CSISの日本部長であるザック・クーパーは、新しい衛星群は再軍備を意味するものではないと本誌の取材に対して述べている。クーパーは、「日本は、憲法が認めた、積極的な平和主義を追求しているのであって、攻撃的な軍事増強を行っているのではない。日本はより“普通の国”に戻ろうとしているのだ」と語っている。

 

日本の安倍晋三首相が行っている積極的平和主義に向けた動きはこれだけに留まらない。2016年12月、日本政府は海上保安庁の予算を2100億円(18億ドル)に増額し、新たに5隻の巡視船と200名以上の要員の増加を決めた。また同時期、日本は5年連続で防衛予算を増加させ、総額は440億ドルに達している。

 

クーパーは、「アジア各国、特に中国が防衛予算を増額させることで、日本の防衛力の増大も阻害されている」と語った。火曜日、高分3号SAR衛星が実働を始めた。この衛星によって、領土紛争が起きている地域での様々な活動を監視することができる。クーパーは、「数隻の巡視船の投入と予算の微増は、周辺地域の安定が危機に直面している中で、平和主義的な姿勢を維持し続けるための方策に過ぎない」と述べた。

 

実際のところ、東シナ海で日本と領有権を争っている岩礁である尖閣諸島(中国では魚釣島)を包囲している。中国政府は南シナ海の大部分の領有を主張している。 ドナルド・トランプ米大統領とレックス・ティラーソン国務長官は、もし必要となれば武力を使ってでもこれらの地域のアメリカの国益を守るという強迫的な言辞を使って、中国に対して強硬姿勢を取っている。トランプ政権の強硬な姿勢について、日本では紛争に巻き込まれるのではないかという懸念を持つ人々が出ている。

 

トランプ政権は日本と協力することに特に関心を持っていないのではないかという懸念を持っている人々がいる。大統領になっての最初の行動として、トランプはアメリカのTPPからの脱退に署名した。TPPは多国間の貿易協定で、日本の安倍首相とアメリカのバラク・オバマ前大統領が主導してきた。

 

日本では政治の面で大きな変化が起きる可能性がある。月曜日、政府の審議会は、日本の国会に対して、今上天皇の退位を認める答申を出した。現在83歳になる今上天皇が息子である56歳の皇太子徳仁親王に天皇の地位を譲ることになる。現在までの2世紀の中で、日本の天皇が上位を行うのは初めてとなる。

 

付言すると、クェーカー教徒によって教育された今上天皇の天皇在位期間は、1989年に始まったのだが、この期間の多くの期間で、激戦地や戦争の爪痕を残す場所を訪問することで特徴づけられている。今上天皇はアジアにおける戦禍を目撃し続けてきた。日本の軍事力を整備した平和主義が追求されているが、皇太子がこの立場を取らねばならないということではない。

 

(貼りつけ終わり)

 

(終わり)








アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22


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 古村治彦です。

 

 今回は、ネオコンの牙城であるシンクタンクCSISの上級副所長にして、先日共和党の外交政策専門家50名による反トランプ書簡にも名前を連ねた、マイケル・グリーン先生による「天皇のお言葉」についての解説です。

 

 天皇は直接的に退位に関することは述べることが出来なかったが、これは政治に関与することが出来ない天皇の立場から当然のことだが、年齢や健康、義務の負担について言及することで、間接的に「退位をしたい」ということが分かるようになっていたという解説は、なかなか良く分かっているなという印象です。

 

 今回の天皇退位の間接的な意思表明について、「これは安倍内閣に対する失望の表明だ」という解釈についても言及しており、これは日本の主要なマスコミでは流されていない話なので、細かくインターネットでも情報を取っていることを示唆しています。この解釈について言及しておいて、これは主要な解釈ではないと書いてあるところは、これは妄説だと切り捨てたいという意思の現れでしょう。

 

 最後の「明確になっているのは、明仁天皇は日本の皇室の伝統を改革するための時期が来たという間接的なシグナルを送ったということである」という部分は、今上天皇が最も言いたかったことを捉えているのだろうと思います。

 

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日本の天皇による珍しいテレビを通した声明(A Rare Television Address by Japan’s Emperor

2016年8月8日

August 8, 2016

https://www.csis.org/analysis/rare-television-address-japan-emperor

 

2016年8月8日、日本の明仁天皇はテレビに出て声明を発表した。これはきわめて珍しい機会であった。天皇は衰えていく健康と日本の高齢化社会に言及し、「天皇もまた恒例となった場合に望ましい天皇の役割」についての個人的な考えを伝えたいと述べた。明仁天皇は現在82歳だ。日本の皇室典範によると亡くなるまで終身天皇の地位にとどまらねばならない。しかし、天皇の声明は、天皇が天皇の位から退きたいと考えているかもしれないという推測を人々に起こさせた。安倍晋三首相は、天皇の発言には真剣に対応すべきだが、天皇退位の可能性についての詳細なコメントはしなかった。

 

問1:天皇が退位問題について直接声明を発表しなかったのはどうしてか?

 

答1:日本の戦後憲法は、天皇を国家の象徴とし、統治に関わる権力を持っていないと規定している。天皇は政治的だと思われる可能性を持ついかなるコメントも行うことは禁止されている。従って、天皇は直接退位について言及しなかった。現在の法律では天皇退位に関する条項は存在しない。しかしながら、天皇は、たとえ高齢になっても国の象徴としての天皇の義務を減らすことはできないこと、そしてもし天皇が義務を果たせなくなったら摂政(恐らく彼の息子)が摂政に任命されるにしても天皇は終身在位し続けるという事実に変更はないことに言及することで、間接的に、退位問題について示唆を与えた。安倍首相は、天皇が直接人々に向かって直接、年齢と天皇の義務に伴う負担について語ったという事実を真剣に受け止め、何ができるのかを考える必要があると述べた。

 

問2:声明はどのように解釈されるか?

 

答2:天皇の衰えいく健康(天皇は前立腺と心臓の手術を受けた)が主要な要素であり、10分間の声明の中で、一度ならず肉体的な状態について言及した。日本国内、国外のマスコミの中には、天皇が安倍内閣の安全保障政策に対して失望を表明しているという憶測が流れている。昨年、安倍内閣は一連の国防政策改革を国会で通過させた。その内容は、集団的自衛権の行使や攻撃されている同盟国の防衛にかけることといったことであった。この改革の意図は、安全保障問題における日本の役割を増やすことであった。しかし、この解釈は、明仁天皇の先の大戦に関する不明帳な発言を基にしている。そして、マスコミ、政治家、官僚の大部分はそのような解釈を行っていない。

 

問3:日本政府はこの問題をどのように対処するだろうか?

 

答3:国会は天皇退位を許可するために皇室典範を見直す必要があるだろう。そしてこの可能性の調査をこの9月から始まる国会の会期で始めるだろう。マスコミの中には、安倍内閣が天皇退位問題研究のために専門家による委員会を創設するだろうという報道をしている社もある。世論は変更について賛成している。週末に行われた朝日新聞の世論調査では、84%が天皇退位を支持している。しかし、この議論が展開されるペースがどれくらいのものになるか、はっきりしていない。明確になっているのは、明仁天皇は日本の皇室の伝統を改革するための時期が来たという間接的なシグナルを送ったということである。

 

※マイケル・J・グリーン:ワシントンにある戦略国際研究センター(CSIS)のアジア担当上級副所長兼日本チェア、ニコラス・セーチェーニ:上級研究員兼日本チェア副部長。

 

(終わり)





 
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 古村治彦です。

 

 2016年8月8日午後3時に、今上天皇による「お言葉」の発表がありました。内容はこれまで報道されてきたことの内容から大きく外れるものではありませんでした。「●●したい」ということは個人的に持つことは自由ですが、天皇の地位に関することは国政上の問題になるために、具体的には述べられることはありませんでしたが、今上天皇が「個人」として、「天皇の位から退位したい」という気持ちを持っていることが明らかになりました。これを受けて、安倍晋三首相は、「何ができるかを検討したい」を述べました。

 

 現在の日本国憲法、皇室典範では、天皇の退位についての規定はありません。ですから、昭和天皇は、崩御するまで天皇の位にありました。今上天皇は、日本国憲法下で初めて即位した、最初から「国民統合の象徴としての天皇」としての天皇です。そして、即位式で日本国憲法の遵守と述べた天皇であり、今回の意見表明は、日本国憲法との兼ね合いについて考えた末でのギリギリの行為であったということが言えます。

 

 普通に考えてみれば、80歳という年齢を超えて激務をこなすということは大変なことです。人間の肉体と精神の面から見て過酷なことです。ですから、仕事を退く定年が定められていたり、年金支給年齢は65歳からであったりする訳です。

 

 即位した最初から日本国憲法下の「国民統合の象徴としての天皇」である今上天皇は、言ってみれば、象徴天皇初代と言ってよい天皇です。昭和天皇は戦後しばらく政治、特に外交に影響を及ぼしていました。また、内閣閣員による「内奏」を残すように働きかけました。明治憲法下の天皇大権を持つ天皇としての面を残していたと言えます。

 

 この日本国憲法下、個人としての幸福追求権は何人にも保障されたものです。皇族には参政権などは認められていませんが、幸福追求権は認められているはずです。ですが、問題は天皇の位と個人の幸福追求権との関係です。自分の健康に不安を持つ、年齢を考えることなどから、地位を退くことや仕事から退くことは誰にでも許されていることです。公務員であっても、民間の会社員であっても、また総理大臣だろうが国会議員だろうがそうです。しかし、天皇の場合にはその規定がないために今のところ、それが許されていません。ですから、自分の「意思」で天皇退位について決められるという、ある意味では、近現代に入って最大の「改革」を行おうという意図があるのだろうと思います。こうした意向がリベラルに映り、今上天皇と皇后に対して批判的な右翼や保守派の人々がいますが、彼らが今上天皇と皇后の発言や行為にピリピリと来ていることは分かります。

 

 問題は、天皇自らが退位を決められるとなると、天皇の存命中の退位が頻発する、しかも若年での退位が頻発するのではないかということです。国事行為や宮中祭祀、公務はスケジュールがぎっしりで大変な緊張を強いられると言います。それを毎年毎年やるのですから、嫌になる人が出てくることもあるでしょう。そうなった場合に、「存命中の退位」ということになるでしょう。だから官庁や企業などでは定年が設けられているのですが、天皇に定年がふさわしいのかどうかは微妙です。そうなると、存命中の退位については、「摂政を置くほどではないが肉体的、精神的に天皇の公務に耐えられなくなった」という理由づけとそれに関連する条件付けが必要となりますが、その条件決定も大変なことです。ですから、自民党からは今回限りの立法という形で、今上天皇の存命中の退位ができるようにするという話も出てきています。しかし、そうなると、この問題は根本的に解決しないことになります。

 

 ですから、定年という厳格なものでなくても、例えば75歳を過ぎたら、自らの意思で退位を行うことが出来るというような条件が適当ではないかと思います。75歳というのは私の勝手な考えですので、日本人の平均寿命などを参考にして、よりふさわしい数字が出てくるものと思います。そして、退位後の前天皇の処遇についても決めなくてはなりません。

 

 日本国憲法の三本柱は国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重ですから、皇族にはある程度の制限はありつつ、やはり人権は尊重されるべきですし、そうなると、「心身ともに疲れ果てた」と訴える天皇が退位をすることは制度的に保証する(しかし、かなり制限つきで)ということが必要だと思います。

 

 近現代において、天皇の退位が問題になったのは終戦前後のことでした。終戦直前、近衛文麿は、昭和天皇の退位について、京都の仁和寺で出家するということを考えていました。また、皇族や政治家たちの中にも天皇退位を考えている人たちがいました。例えば、日本国憲法起草に関わった芦田均は、昭和天皇の退位を支持する考えを持っていました。昭和天皇自身も一度ならず退位を考えたことがあったようですが、結局退位をすることはありませんでした。

 

 退位となると、こうしたネガティヴなイメージが付きまとってしまう、もしくは、退位を政治的な意思の表明(たとえば内閣の間接的な不信任など)に使ってしまうということが考えられます。ですから、天皇の存命中の退位は歴史上何回も行われてきましたが、明治維新以降は行われていません。

 

 しかし、日本国憲法下の象徴天皇という歴史的には極めて新しい役割を持つ天皇においては、日本国憲法の精神と合致させるためにも、存命中の退位を制度化しておくことは必要だろうと考えます。

 

 

(貼り付けはじめ)

 

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成2888日)

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

 

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

 

私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。

 

本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 

即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 

そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

 

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間かん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

 

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 

天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

 

始めにも述べましたように,憲法の下もと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 

国民の理解を得られることを,切に願っています。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)





 
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 古村治彦です。

 

 昨日、今上天皇が生前退位の意向を持っている、とNHKが報じました。このニュースは驚きを持って迎えられました。

 

 今回の報道をアメリカとイギリスの新聞はどのように報じているかを皆様にご紹介します。まぁフィナンシャル・タイムズの親会社は日本の日本経済新聞ではあるのですが。

 

 ニューヨーク・タイムズはかなり踏み込んだ内容になっています。参院選3日後であること、皇太子も含めて安倍首相に批判的であるといった内容が書かれています。

 

 ワシントン・タイムズはAP通信の記事を掲載していますが、皇后と一緒に皇室の伝統を変えてきたということを書いています。

 

 フィナンシャル・タイムズは病気はあっても、歴史の傷を癒そうとしていると書いています。

 

 それではお読みください。

 

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●『ニューヨーク・タイムズ』紙

 

Emperor Akihito of Japan Plans to Abdicate Throne, Broadcaster Says

By MOTOKO RICH JULY 13, 2016

http://www.nytimes.com/2016/07/14/world/asia/emperor-akihito-abdicate.html?ref=asia&_r=0

 

「テレビ放送によると、日本の明仁天皇が譲位の計画を持っている」

 

・日本の公共放送NHKによると、82歳になる明仁天皇(1989年即位、父は太平洋戦争も天皇であった昭和天皇)が側近たちに対して、息子の皇太子徳仁(56歳)に天皇の地位を譲る意向であることが明らかになった。生前の譲位は1817年以来のことだ。

 

・天皇の役割は現在は全体として儀式に限られている。第二次世界大戦終了まで、日本の人々は天皇を半神だと考えていた。また日本軍の最高司令官でもあった。日本降伏後、日本を占領したアメリカは、昭和天皇から全ての政治的権威を取り去った。現在でも多くの日本人が天皇に敬意を抱いている。

 

NHKによると、明仁天皇は2003年に前立腺がんの治療を受け、2012年には心臓の手術を受けた。正式な退位の意向の発表は近いうちに行われる予定だ。

 

・明仁天皇は自身の天皇の地位の継承に関して、ドラマが起きないようにしようとしている可能性がある。父昭和天皇は亡くなるまでの数年間、健康を害していた。ワシントンにある外交評議会日本研究担当状況研究員のシーラ・A・スミスは「天皇は継承をより簡素に、より事務的にしたいと望んでいるように見える」と述べた。

 

NHKの報道の後、日本の左派傾向にある新聞の朝日新聞は宮内庁次長が、譲位の報道について、「天皇はそのような意図を持っていない」と否定した。

 

・安倍晋三首相率いる自由民主党とパートナーが議会選挙で勝利を収めた3日後に、今回の報道がなされた。選挙の結果、彼らは参議院で3分の2を占めた。これは憲法の見直しに必要な数である。安倍首相は長年にわたり、戦争を放棄するとする日本国憲法の条項を覆したいという野心を持っている。

 

・天皇は公式的には一切政治的権威を持っていない。しかし、皇太子は安倍首相の目標に対抗するかのような行動を取っている。皇太子は1947年にアメリカの占領軍が起草した平和憲法について繰り返し発言を行っている。2015年の55回目の誕生日を前に、皇太子は、日本国憲法を賞賛し、「平和の大切さを心に留めておきたい」と述べた。

 

天皇が譲位するについては、国会が皇室典範の改正をする必要が出てくるであろう。現在の皇室典範では、天皇の崩御の後に次の天皇の即位が行われると規定されている。

 

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●『ワシントン・ポスト』紙

 

Japan’s Emperor Akihito, 82, reportedly considering retiring

By Associated Press July 13 at 11:40 AM

https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/report-japans-emperor-akihito-82-considering-retiring/2016/07/13/bd97d23e-48e6-11e6-8dac-0c6e4accc5b1_story.html

 

「日本の明仁天皇(82歳)が退位を考えているという報道」

 

・日本の明仁天皇が、年齢を重ねることで公務を減らすよりも、数年のうちに退位して、天皇の地位を譲る意向を示した、と日本の公共放送が伝えた。

 

・82歳になる明仁天皇はここ数年、自身の好例について言及し、儀式で些細な間違いをしてしまうことを認めている。宮内庁は公務の削減し、皇太子に任せるように提案してきていた。

 

NHKは匿名の宮内庁の取材源からの話として、明仁天皇は宮中の職員たちに対して、天皇としての責任を大きく減らしたり、摂政を置いたりしてまで地位に留まりたくないと述べたと報じている。共同通信も政府関係者の話として、同様の報道を行っている。

 

・水曜日の深夜、宮内庁次長は報道を否定し、日本国憲法では天皇の政治関与は禁止されているので、天皇はコメントしないと述べた。

 

NHKは、明仁天皇は退位の可能性についてここ数年考えており、彼の2人の息子も父の考えを受け入れていると報じた。

 

・明仁天皇は1989年1月に亡くなった父昭和天皇から天皇の地位を受け継いだ。2003年には前立腺がん手術、2012年には心臓手術を受け、いずれも回復した。

 

・近現代の日本の歴史において生前の譲位は行われなかったことであり、明仁天皇はまた皇室の伝統を破ることになった。

 

・明仁天皇は、天皇として初めて、一般人出身の皇后と結婚した。また、皇后は皇室の歴史で初めて、皇后は3人の子供を、乳母を使わずに育てた。

 

・明仁天皇は2013年には、死後は火葬にして遺骨を歴代の天皇よりも小さい霊廟に収めること、そして皇后の遺骨も傍らに安置することを選択し、国全体を驚かせた。この計画は過去400年間の皇室の埋葬の習慣を破るものとなる。

 

・明仁天皇は高齢にもかかわらず、忙しいスケジュールを付けている。儀式に出席し、外国からの訪問者に挨拶をし、海外や日本国内を訪問している。巨大な地震の後は住民たちを慰撫するために被災地を訪問する。

 

・明仁天皇はこれまで、第二次世界大戦の傷を癒そうとしてきた。即位からすぐに中国を訪問し、またその後も主要な戦地を訪問している。昨年には、西太平洋の国パラオを訪問し、今年初めには、日本の戦時中の侵略の被害国フィリピンを訪問した。

 

・56歳になる皇太子徳仁は皇位継承第一位に位置している。皇太子妃雅子は元外交官で、現在は、ストレスが原因となる精神の不調からの回復途上にある。

 

・皇室典範は存命中の皇位継承についてのルールを定めていない。退位後の天皇の地位についても書かれていない。共同通信は匿名の政府関係者の話として、生前の皇位継承には皇室典範の改正が必要になると伝えている。

 

・最後に存命中の天皇の譲位が行われたのは200年前のことだ。

 

・伝統的な数え方では、明仁天皇は125代目の天皇となる。紀元前660年に神武天皇が初代の天皇となってから125代目と言われている。歴史学的な記録では、天皇の始まりは少なくとも紀元後5世紀まで遡れる。最も古い継承されてきた王家ということになる。

 

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●「フィナンシャル・タイムズ」紙

 

July 13, 2016 2:00 pm

Japan’s public broadcaster says Emperor Akihito ready to abdicate

Robin Harding in Tokyo

http://www.ft.com/cms/s/0/0ac18e98-48e6-11e6-b387-64ab0a67014c.html#axzz4EKBs9swl

 

「日本の公共放送、明仁天皇が退位の準備と報道」

 

・水曜日、明仁天皇は天皇の地位から退きたいと考えている、と日本の公共放送NHKが報じた。生前譲位は近現代の日本で前例のないことだ。

 

・生前譲位は「ここ数年」のことであるが、実現すれば200年ぶりとなる。これは、天皇の長男である56歳の皇太子が菊の玉座を引き継ぐことを意味する。

 

・ここ数年、82歳になる明仁天皇は病気がちであった。彼の退位は日本にショックを与えることになるだろう。日本では、天皇は日本国家の安定と継続性のシンボルだ。

 

・宮内庁はコメントを出していない。しかし、NHKはよく宮中からの準公式の情報を報じ、このような国にとって重大な問題について一か八かの報道はしない。

 

NHKの報道によると、天皇は高齢を理由にして公務を減らすことや代理を立てることに消極的だということだ。天皇は国家の象徴のような憲法上の義務を完全に履行できる人間が天皇の役割を果たすべきだと考えているとのことだ。

 

・日本では天皇の退位に対しての準備はできていない。法律を改正する必要がある。

 

・平均寿命が延びていることは、元首たちも高齢になっていくことを意味する。これが退位の理由となる。2013年、オランダのベアトリクス女王は息子に王位を譲った。同じ年、法皇ベネディクト一六世も退位した。

 

・明仁天皇は一九八九年に皇位を継承した。宮内庁が発表している系譜によると、明仁天皇は125代目で、初代は紀元前660年まで遡る。

 

・歴史上、天皇は退位を迫られることも多かったが、最後に生前退位が行われたのは1817年だ。この当時、日本の実権を握っていたのは徳川将軍であった。

 

・明仁天皇は健康問題を抱えている。2002年には前立腺がんと診断された。昨年には心臓病も見つかった。今年2月にはインフルエンザに罹患した。

 

・しかし、今年になって天皇は皇后を伴って、フィリピンを公式訪問し、全ての戦争で亡くなった人々を慰霊した。

 

・憲法で厳しい制約下に置かれているが、明仁天皇は日本の歴史に存在する傷を癒そうとしてきた。昨年は第二次世界終結70周年にあたり、「深い悲しみ」を表明した。

 

・昨年の誕生日の記者会見で、天皇は公務が負担になっていることをほのめかした。「私は誕生日を迎えて82歳となります。年齢を感じるようになりました。儀式ではいくつか間違いをするようになりました」と述べた。昨年のいくつかの機会で、天皇は間違いをしたことを認め、スケジュールの調整をしなければならないとほのめかした。「私は全ての機会において最善を尽くしてそのようなことがないように努めるつもりです」と述べた。

 

・天皇は歴史を正しく記憶することの大切さを発言した。この話題に関しては、皇室と日本の右翼歴史修正主義者とでは考えが対立している。理論上では彼らは天皇を崇め奉るのだが、この点では意見が異なる。

 

・「年を経るごとに、戦争を経験したことがない日本人がどんどん増えていきますが、前の大戦の知識を持ち、戦争についての考えを深めることが日本の将来にとって大変重要であると考えます」と天皇は述べた。

 

・皇太子には一人娘がいるが、現在の男性のみが皇位継承できるとする法律の下では、天皇の地位を継承できない。従って、現在では、皇位継承権第2位は、明仁天皇の次男の息子である悠仁皇子となる。

 

(終わり)





 
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