古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:West

 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 ウクライナ戦争が始まり、2年以上経過している。アメリカ連邦議会が最近、ウクライナ支援のための9兆円の予算を承認可決し、ジョー・バイデン大統領が署名して法律となった。ここまで、ウクライナは西側諸国の支援を受けながら戦争を継続しているが、苦戦を続けている。ロシアは最近になって、ウクライナ東部での攻勢を強めている。ウクライナへの支援が強化される前に、要衝を押さえておくという考えであろう。

ukrainewarsituation20240514001
ウクライナ戦争の戦況

 国際社会の動きで言えば、西側諸国(the West、ザ・ウエスト)がウクライナを支援する一方で、西側以外の国々(the Rest、ザ・レスト)はウクライナへの支援に消極的である。国連の場でも、国連総会におけるロシアに対する非難決議でも、西側以外の国々から反対、棄権が多く出た。西側諸国としては、西側以外の国々にウクライナ支援に賛成、積極的に参加してもらいたいところだ。しかし、グローバル・サウス諸国は、「自分たちには自分たちの問題があって、そちらの方の優先順位が高いのは当然だ」ということになる。インドを例に取ると、インドは経済成長著しい状態にあるが、そこで問題になるのは、資源高、特に石油価格の高騰である。インドは、アメリカとも同盟関係にあるが、ロシアからの安い石油を輸入している。インドにしてみれば、「他人の不幸を喜ぶ」ということになるが、これは、国際関係においては当然のことだ。

 西側諸国が西側以外の国々からの支援を受けようと思えば、手厚く支援をしなければならない。日本のODA外交はその一環である。西側以外の国々は、自分たちの有利な立場を利用して、より多くの支援を引き出そうとする。そのような動きをする。「狡猾、ズルい」という感覚を持つかもしれないが、繰り返すが、これは国際関係の実態である。そのような中を私たちは生きていかねばならないが、何よりも重要なのは、最悪の事態、戦争にならないようにすることだ。

(貼り付けはじめ)

グローバル・サウスにとってウクライナが優先課題ではない理由(Why Ukraine Is Not a Priority for the Global South

-貧困諸国は徐々に、「私たちの優先事項があなた方にとってより大きな意味を持つようになるまで、あなた方の優先事項が私たちにとってより大きな意味を持つことはないだろう」と言い続けている。

ハワード・W・フレンチ筆

2023年9月19日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/09/19/unga-ukraine-zelensky-speech-russia-global-south-support/

 

ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領がニューヨークでの国連総会で演説を行うために国連ビルに到着(2023年9月19日)

今週、世界の指導者たちが年次国連総会のためにニューヨークに集まる中、彼らの演説のテーマの多くは非常に予測可能なものであるため、儀式化された国際的な議論の一部として理解される可能性がある。

気候変動と地球温暖化を防止する必要性についての議論が交わされ、その中には、海面上昇によって近い将来消滅する危険性のある小規模な島嶼諸国の指導者たちの感情的な訴えも含まれる。前時代のグローバリゼーションが後退しているように見える今、国際貿易に対する開放性を維持することが求められるだろう。権威主義的国家は、不干渉と強者による弱者の主権の尊重を求める常套句を繰り返すだろう。そしてもちろん、特定の地域であれ世界規模のものであれ、平和の促進を求める、真剣な声も上がるだろう。

一方、豊かな西側諸国からすれば、ロシアのウクライナ戦争ほど重要で大きな話題はないだろう。今年、ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領は、ウクライナの領土を吸収しようとする2年来のロシアの動きを食い止めようとする自国の努力に対する、アメリカや国際的な支援を強化する目的で、アメリカを訪問した

ウクライナの指導者ゼレンスキーの、国連への出席、そして今週後半にはワシントンでジョー・バイデン米大統領と会談する予定であることは、キエフとロシアの対立の国際的側面をまれなほど明確に浮き彫りにしている。それは、しばしばグローバル・サウスと呼ばれる地域の指導者多数が国連に到着した時期と一致するからである。

これまでの数カ月間、アメリカとヨーロッパの政治家や外交官たちは、グローバル・サウス諸国の政治家や外交官たちに対し、ロシアの侵略を非難する上で、原則として西側に肩を並べるよう懇請してきた。そしてほぼ同じ期間、西側諸国の当局者たちは、彼らの訴えに対する反応が弱かったことに困惑、落胆、悔しさを表明してきた。

このため、世界の貧困国や中所得国がなぜ明らかな大国の侵略事件にこれほど無関心なのかという問題は、魅力的かつ重要な問題であるにもかかわらず、これまで貴重なほとんど明確な思考の対象になってこなかった問題となっている。

一般的な見方では、グローバル・サウスの国々がロシアを批判することに消極的であるのは、弱者が長年採用してきた古くて論理的な戦略によるものだと思われている。つまり、いくつかの国々、例えば西側諸国に支配されているのであれば、より自由に動ける場所を手に入れるため、支配されている国々のライヴァル諸国を応援するというものだ。これは典型的なバランシング(balancing)であり、貧しい国々はロシアに対してだけでなく、過去数十年間の目覚ましい台頭の中で、中国に対しても同様のことを行ってきた。自分が弱ければ、パートナーを望むものだ。一般的に言えば、パートナーは多ければ多いほど喜ばしい。彼らがあなたの好意と支持を求めて競い合えば、猶更のことだ。彼らがいなかったら、何十年にもわたって国際システム、つまり、アメリカと西ヨーロッパを支配してきた勢力と手を組むことになるだろう。

この説明には真実が存在しているが、十分とは言えない。問題の核心に近づくためには、国際関係をめぐる標準的な言葉のいくつかを探らなければならない。グローバル・サウス(global south)はその1つであり、少しの精査にも耐えられない。他の人々が指摘しているように、このレッテルの下に日常的にまとめられている国々の多くは、特に南というわけではなく、イデオロギー的、経済的、民族的、言語的、あるいは人種的なものであれ、他の一貫した特質をほとんど共有していない。私は毎年春に大学でグローバル・サウスをテーマにした授業を担当しているが、毎年この命名法の問題に悩まされている。

ところで、西側諸国(the West)も、それ自体、あいまいで不正確な造語であり、注意深い思考にはあまり耐えられない。報道では、西側とはアメリカと東に拡大しつつある西ヨーロッパだけでなく、オーストラリア、ニュージーランド、そしてしばしば日本、イスラエル、韓国、アパルトヘイトの時代には白人支配の南アフリカも含むと日常的に理解されてきた。

しかし、西側として知られるこの便宜的な用語の下にひとまとめにされている国々の苦境と同様に、広く使われているもう一つの用語がある。それは「発展途上世界(developing world)」です。ここでの問題は、不正確さ(imprecision)と言うよりも、婉曲表現(euphemism)だ。私たちが発展途上国に属する国について話すとき、それは実際に発展していることを前提としているが、多くの人にとっては実際にはまったくそうではない。西側諸国はロシアのウクライナ侵攻に反対する支持を集めようとする一方で、発展途上諸国の無理解や西側諸国に対する信頼の欠如を嘆くこともある。

しかし、その理由の1つ、そしておそらく最も重要な理由は、チラチラと見えている。この軽率な言葉の使用は、「発展途上(developing)」諸国の多くが経済的静止状態、もっとひどい場合は停滞と経済後退に陥っているという現実を見えなくしている。ここで、作為的な国の集まりとは対照的な、ある真の地理的地域が明らかに際立っている。それはアフリカである。

世界の多くの国が、一人当たり GDP だけでなく、人間開発、長寿、環境福祉、社会福祉などの指標を含む他の多くの点でも、「先進(developed)」諸国にますます後れをとっているのは事実だ。しかし、アフリカは明らかに人間の緊急事態(human emergency)であるにもかかわらず、それ以外のものとして扱われてきた。ブルームバーグ・ニューズによる最近の報道では、アフリカ大陸の相対的な窮状が印象的に記録されており、この報道ではアフリカが過去10年間にどのように地位を失ったかが数多く記録されている。

西側諸国は、主に短期的な、利己的な目的のために、アフリカに対して選択的ではあるが弱めの注意を払っている。その中で最も明白なのは、人口の点で、世界で最も急速に成長している大陸からの大規模な移民のスピードの減速と、イスラム過激派との戦いである。これらの目的はどちらも、西アフリカにおけるフランスの崩壊しつつある立場の中心となっている。西アフリカではつい最近まで、フランスはサヘル地域の旧植民地に対して並外れた影響力を保っていたが、元植民地で属国であった国々が、怒りをもって、古い形のパートナーシップを放棄するのを目にするだけのこととなった。

これは長い間、フランスが「協力(cooperation)」と呼んでいたもので、実際にはアフリカ諸国政府への財政、外交、安全保障上の支援を意味し、移民を食い止め、宗教的反乱勢力と戦うことを優先していた。もちろん、世界基準で極端に貧しい人々の生活水準も含め、これらの国々の経済を向上させるための持続的で公的な説明責任を果たす努力は、ほとんど道端に置き去りにされてきた。

これは本末転倒の措置ではなかったか、と問われる時期が来ている。移民と原理主義者のテロと反乱を引き起こし続けているのは、貧困(poverty)と持続的な低開発(persistent underdevelopment)が原因ではないか? これがフランスとアフリカの旧植民地だけに関係する状況だと考えるのは怠慢ということになるだろう。以前にも書いたように、ガーナは西アフリカ「協力」の成功例として何度も取り上げられてきたが、同様に繰り返し壊滅的な債務危機(crushing debt)に見舞われてきた。ガーナが、安定の防波堤(bulwark of stability)であり、しばしば西洋型の民主政治体制(Western-style democracy)として想像されているものの模範とされてきた、この地域において、現在、状況が再び悪化しているのだ。

ガーナの問題(低・低中所得国の他の経済不振諸国の問題と同様)の責任の一部は、間違いなく自国の政府と、公務員の汚職や肥大化した国家(bloated state)に関連した問題にある。しかし、同様に、私たちの国際システムには、貧しい人々や弱い人々の足を引っ張り、軽視し、彼らの発展の努力を妨げる長年の構造的な問題が存在するのは間違いない。しかし、世界の富裕層はむしろ他のことについて話したがるだけだ。

この現実に正面から向き合う代わりに、ヨーロッパ諸国とアメリカ(西側諸国)は最近、世界の貧しい人々の同情と協力を求める外交政策の優先事項をもう1つ付け加えた。それは、ロシアに奪われた領土を取り戻すためのウクライナの戦いである。ウクライナがロシアに奪われた領土の支配権を取り戻す戦いである。しかし今、アフリカだけでなく、グローバル・サウス(成長していない国々を意味する)でも、私たちは曲がり角に来ているようだ。貧困層が富裕層に対して、「私たちの優先事項があなた方にとってより大きな意味を持つまで、あなた方の優先事項が私たちにとってより大きな意味を持つことはない」と言うケースが増えているのだ。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授。長年にわたり海外特派員を務めた。最新作に黒人として生まれて:アフリカ、アフリカの人々、そして近代世界の形成、1471年から第二次世界大戦まで(Born in Blackness: Africa, Africans and the Making of the Modern World, 1471 to the Second World War.)』がある。ツイッターアカウント:@hofrench

(貼り付け終わり)

(終わり)
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 世界の構造は大きく変化しつつある。ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカのBRICSの枠組みが拡大し、非西側諸国、西側ではない国々(the Rest)の力が増している。戦後世界では、冷戦下の東西対決(アメリカ主導の西側・第一世界対ソヴィエト連邦主導の東側・第二世界)に与しない第三世界の団結といった動きや、南北問題の緩和に向けた動きというものがあった。しかし、非同盟運動などは、あまり効果を発揮することはなかった。これらの問題提起は重要であったが、何よりも、世界の舞台での発言権があまりにも小さかった。また、第二次世界大戦後の世界で、多くの植民地が西洋諸国の植民地から独立を果たしたが、経済的な搾取構造は変わらなかった。

モノカルチャー経済(monoculture economy)と呼ばれる、主要な農産物1種類の輸出に頼る経済で、西側諸国の搾取から逃れることはできなかった。アメリカでは、「近代化論(modernization theory)」と呼ばれる学説が主流となり、「西洋諸国の発展段階を踏んでいけば、新たに独立した国々も豊かになれる」ということになった。その最高の例が日本とされた。この近代化論は、マルクス主義に対抗するために生み出された面もある。しかし、それは欺瞞に過ぎなかった。マルクス主義経済学でも給食道の国々は豊かになれなかった。世界の経済格差は拡大するばかりだった。

 しかし、最近になって、BRICSを核とし、重層的な非西洋諸国のネットワークにおいて、大きな経済発展が各国で起きている。その中心は日本を除く、東アジア・東南アジア地域であり、アフリカ地域、南米地域でも同様のことが起きている。相対的に、西側諸国の力を低下し、格差は縮小しつつある。現在、そうした状況は、グローバル・サウスの台頭という言葉として表現されている。グローバル・サウスの台頭の影響を、グローバル・ノースは対立ではなく、協調・協力で良い方向に進めていくべきだ。そのためには、現在の対立構造を乗り越える必要があるのかもしれない。

 私は、これまで「西側諸国対西側以外の国々」という二項対立で世界情勢を見てきた。短期的にはこの見方で間違っていないと思う。しかし、中期的(20年から30年)、長期的(30年以上)でどうなるかということも考えるようになった。「覇権(hegemony)」という考え方、世界を支配する、管理する超大国が力を持つと考え方がどうなるのか、について考えていきたい。結論は出ていないし、私に結論が出せるのだろうかということも考えるが、「次の覇権国は中国である」ということまでは間違わないだろうが、それから先の世界はどうなるのだろうか、ということを考える。一極、二極、多極、無極という主張がこれまで出ているが、そもそも「覇権」という考え方自体が西洋中心的であり、それを乗り越えるものが出てくるのではないかと考えている。

(貼り付けはじめ)

グローバル・サウスを恐れているのは誰か?(Who’s Afraid of the Global South?

-50年前の2つの国連決議(50-year-old U.N. resolutions)を見直すことは、経済的な世界秩序の変化に対する懸念を払拭するのに役立つはずだ。

マイケル・ギャラン、アウデ・ダーナル筆

2024年4月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/04/14/global-south-united-nations-new-international-economic-order/

foreignpolicyglobalsouth001
1974年5月1日、第6回国連特別総会の臨時委員会で、新しい国際経済秩序の確立に関する宣言案が採択された

グローバル・サウス(global south)は台頭している。中国が、世界最大の経済大国、120カ国以上の句にとっての最大の貿易相手国、そして単一国家として最大の開発金融国として台頭している。 BRICS+ブロック(BRICS+ bloc)の形成とその後の拡大。そして、この地域におけるアメリカの影響力に対抗しようとするラテンアメリカの「ピンク潮流(pink tide、訳者註:ラテンアメリカ各国の左翼的な政治動向)」の復活だ。数十年にわたるアメリカの支配を経て、たとえその正確な輪郭がまだ定義されていないとしても、新たな多極世界秩序(multipolar world order)が出現しつつある。

ワシントンでは、西側の優越的なパワーに対するこの挑戦は、困惑と対立をもって受け止められてきた。グローバル・サウスを理解しようとするよりも、その存在そのものを疑問視する人々もいる。確かに、グローバル・サウスは一枚岩ではない。南の団結を支持する人々は、自分たちの運動が文化的、政治的、経済的に大きな多様性を持ち、矛盾さえ含んでいることを長い間認識してきた。しかし、明確な一致点もあり、首尾一貫した一連の不満や要求もあるが、それが聞き入れられないことがあまりにも多い。

50年前、当時第三世界と呼ばれていた国々は、世界経済を変革するための急進的な計画、すなわち新国際経済秩序(new international economic orderNIEO)を打ち出した。この提案を理解することは、今日の地政学的な潮流を解明し、そこにチャンスを見出すことにつながる。

foreignpolicyglobalsouth002
左の写真。1955年4月にインドネシアで開催されたバンドン会議に出席するインドのジャワハルラール・ネルー首相

右の写真。1955年4月のバンドン会議での休憩中に会談するエジプトのガマル・アブデル・ナセル首相(右)とイエメンのハッサン・イブン・ヤヒヤ首相

第二次世界大戦後の数十年間、植民地支配から、何十もの新しい国々が誕生した。しかし、独立後に期待された繁栄は訪れなかった。政治的主権が自動的に経済的主権につながるのではないと、新たに独立した国々の指導者たちは考えるようになった。「世界経済の構造そのものが歪んでおり、公式的な植民地主義(colonialism)が終わった後も、富める者の利益のために貧しい国々の労働力と資源がより搾取されるように設計されている」と新たに独利した国々の指導者たちは声高に主張した。

1955年にインドネシアのバンドンで開催された会議に、植民地支配を受けて後に独立した数十カ国が集まり、集団としてのアイデンティティを確立し、自分たちにとって不利な状況になる、傾いたフィールドの上で共通の利益を主張するプロセスを開始した。アメリカと同盟を結ぶ西側諸国「the U.S.-aligned West」(第一世界、the First World)やソ連と同盟を結ぶ東ヨーロッパ諸国[the Soviet-aligned Eastern Bloc](第二世界)とは対照的な、誇り高き第三世界運動(The Third World movement)が誕生したのである。その後数十年間、アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、カリブ海諸国からなる、この異質なグループは、非同盟運動(the Non-Aligned Movement)や77カ国グループ(the Group of 77)といった旗印のもとに組織され、残存する植民地体制と、それを引き継いだ「新植民地」体制(the “neocolonial” system)の両方に対して、集団的な闘争を展開した。バンドン会議から約20年後、この運動はおそらく最大の戦いに勝利した。

1974年5月1日、第三世界の国々は、第二世界の同盟諸国や石油輸出諸国の新たなパワーに支えられ、裕福な第一世界の抗議を押し切って、2つの画期的な文書を可決した。それらは、国連総会を通じて可決されたもので、それが「国際経済新秩序確立宣言及び行動プログラム(the Declaration and the Programme of Action on the Establishment of a New International Economic Order)」である。

この構想の背景にある理論は次のように簡潔なものだった。「世界経済システムの根幹をなすルールは不公平であり、それを変えるために貧しい国々が団結することが発展の鍵である」。第三世界全体の支持者にとっては直感的なものであったが、この視点はワシントンにおける一般的な正統性とは相容れないものであった。この視点を理解することが、今日の世界を理解する鍵である。

この宣言では、既存の経済秩序は、「外国人による植民地支配、外国による占領、人種差別、アパルトヘイト、新植民地主義(alien and colonial domination, foreign occupation, racial discrimination, apartheid and neo-colonialism)」によって定義されていると主張している。既存の経済秩序は「開発途上国の完全な解放と進歩に対する最大の障害(the greatest obstacles to the full emancipation and progress of the developing countries)」である。よって、発展(development)には、主権、公平性、国際協力に基づく新しい秩序の構築(the construction of a new order, founded on sovereignty, equity, and international cooperation)が必要である。

これを達成するために、国際経済新秩序決議(the NIEO resolutions)は、世界経済のルールを包括的に書き換えることを要約的に網羅している。具体的には、国家が自国の天然資源を管理する権利を明記すること、主要テクノロジーへのアクセスの集中を終わらせること、多国籍企業の規制を強化すること、適切な世界的流動性を確保すること、増大する公的債務(sovereign debt)の負担を軽減すること、国際通貨基金(International Monetary FundIMF)などの諸機関の民主化、貿易と金融に関して貧しい国に優遇措置を与えることである。これらは、グローバルガバナンス(global governance)の最高民主機関である国連総会で可決された、国際経済新秩序決議で承認された要求のほんの一部にすぎない。

このような野心的な改革が政治的な文書で実現されるなどとは誰も思っていなかった。実際、当時のアルゼンチン国連代表は次のように述べている。「国際経済新秩序は、宣言だけで構築されるものではなく、行動によって実現されるべきである。しかし、国際経済新秩序(NIEO)決議は、より平等な世界経済に対する第三世界の共同ヴィジョンと、それを達成するための計画を宣言するという、青写真を提示したものである」。

しかし、明るい未来への道筋を示すはずだったものは、落下の前の最後の最高頂点だったことが明らかになった。

国際経済新秩序決議から数年後、第三世界運動の力は弱まった。冷戦の波にのまれ、運動の最強の擁護者たちは没落していった。インドネシアからチリ、グレナダに至るまで、彼らはしばしば暴力的に、そしてアメリカの後ろ盾によって、政権から排除された。ヴォルカー・ショックによって火薬庫に点火され、国際経済新秩序が救済を求めた債務の増大は、危機的状況に達した。絶望的な債務諸国は、「構造調整(structural adjustment)」を条件とするIMF融資を受け入れざるを得なくなった。やがてソヴィエト連邦が崩壊し、第三世界運動の盟友であり、アメリカに対する世界的な対抗軸であったソヴィエト連邦が失われた。

前例のない一極支配(unparalleled unipolar dominance)のこの瞬間、世界経済に確かに変革が起きたが、それは 国際経済新秩序(NIEO)のヴィジョンに似た形ではなかった。多国籍企業がますます強力になる一方で、多国籍企業を保護するために貿易協定や新たな企業裁判所が設立された。持続不可能な債務負担は世界経済の恒常的な特徴となり、それが、多国間金融機関とそれを支配する西側諸国が債務諸国の主権政策を支配するための手段となった。テクノロジーの独占が法律に明文化された。富裕国とその企業の狭い利益が、これまで以上に世界経済のルールに深く組み込まれるようになった。

こうした変化は、繁栄を共有する新たな時代というよりも、「失われた数十年(lost decades)」の複数回の深化、世界的な不平等の拡大、そして(ワシントン・コンセンサス改革を回避した中国を特筆すべき例外として)世界的な貧困問題解決の進展の相対的な停滞をもたらした。

国際経済新秩序は、多くの人々にとってはより希望に満ちた時代の遺物であったが、他の人々にとっては完全に忘れ去られた過去のものとなった。

foreignpolicyglobalsouth003

2024年1月19日、ウガンダのカンパラで開催中の非同盟運動サミットで、本会議場への立ち入りを監視するウガンダ軍メンバー

西側諸国(the West)では、この具体的な提案の歴史が記憶から消し去られているだけでなく、その動機となった課題、視点、政治に対するより広い理解も消し去られている。発展を技術主義的な政策決定の問題と見なしたり、国際関係を民主政治体制と権威主義政治体制のゼロサムの戦いと見なしたりすることに慣れている人々には、1974年当時と同様、今日でも世界の多くの国々にとって、地政学の中心的な要点(fulcrum)が、現在一般的にグローバル・ノース(global north)とグローバル・サウス(global south)と呼ばれる国々の間の力の不均衡(the disparity of power)と、制度的不公平(systemic inequities)を是正するための闘いであることを想像するのは難しいかもしれない。

国際経済新秩序が発展に対する構造的障害を指摘して以来半世紀、世界の強国はこれらの障害を取り除くことに失敗しただけでなく、その強大な力を利用して障害を根付かせてきた。南半球の多くの人々にとって、アメリカを頂点とする北半球は、自分たちの期待を裏切った政治・経済秩序の守護者である。取り残された人々が、代替案を求めて、そして私たち全員が望んでいること、つまり「よりよく生きる(to live well)」ことを実現するために、共に戦おうとするのは当然のことである。

世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)では、インドと南アフリカが先陣を切って知的財産権(intellectual property)の制限を緩和し、新型コロナウイルスワクチンのような必要不可欠な医薬品への世界的なアクセスを促進する努力を行った。国連では、アフリカ諸国が世界の租税政策を富裕国クラブ(rich countries club)から引き離し、自国経済から何十億ドルも流出している組織的な租税回避行為を止めさせるキャンペーンの先頭に立っている。世界銀行(World Bank)とIMFでは、南半球諸国が債務帳消し(debt cancellation)、譲許的融資(concessional financing)、ガバナンスの民主化、逆進的な融資条件の廃止を求めて闘っている。非同盟運動とG-77は定期的に会合を開き、より公平な世界経済を構築するための公約を更新し続けている。

グローバル・サウスの再興は、実際、アメリカ主導の既存の国際秩序にとっては脅威かもしれない。しかし、それは我々全員にとって良いこととなるだろう。

国際経済新秩序(NIEO)の主な関心事は、当然のことながら、世界の何十億もの貧しい人々の幸福だったが、その擁護者たちは、第三世界の発展を第一世界の人々にとっての損失とは位置づけなかった。実際、国際経済新秩序宣言自体は、「先進国の繁栄と途上国の成長と発展の間には密接な相互関係があり、国際社会全体の繁栄はその構成要素の繁栄に依存している」と宣言している。

国際経済新秩序が敗北した後の時代に、賃金の停滞(stagnating wages)、格差の拡大(widening inequality)、社会的保護の溶解(the erosion of social protections)、そしてその結果としての反民主的反発(resulting anti-democratic backlash)がグローバル・ノースで見られたのは偶然ではない。新たな経済秩序は、安価で搾取可能な資源と労働力の安定的な流入に依存するグローバル・サウスの利益を犠牲にする一方で、労働者であるアメリカ人は、世界的な底辺への競争に終止符を打つことによってのみ利益を得ることができる。繁栄の共有(shared prosperity)、気候変動などのグローバルな課題に立ち向かうための多国間協力(multilateral cooperation to confront global challenges such as climate change)、その名にふさわしいルールに基づく秩序の確立(the establishment of a rules-based order worthy of the name)、これらは全ての人が恩恵を受けることができるグローバルな公共財(public goods)なのである。

グローバル・サウスの要求の正当性と、その力の増大がもたらす機会を認めることは、南半球の全ての主体の行動を盲目的に支持することではない。確かに、グローバル・サウスにも、グローバル・ノースと同様に、発展、平和、民主政治体制、人権とは相反する国内政策や外交政策を追求する政府もある。しかし、これらの本質的な目標は、発展への真のチャンスを提供する国際秩序のもとでは、より繁栄する可能性が高いのであって、決して低いものではない。一部の濫用を恐れて、より公平な国際経済システムへの正当な要求を退けるのは間違いである。

南半球諸国の力が新たに台頭する時代には、独自の課題が伴うかもしれないが、それらを恐れる必要はない。それは、まったくもって逆のことであり、あまりにも長い間先延ばしにされてきた夢、つまり半世紀後に新しい国際経済秩序を構築し、全ての人にとってより公正で豊かで平和な世界を構築するチャンスを実現する機会を提供するものとなる。

※マイケル・ギャラン:経済政策研究センターの上級研究員・アウトリーチ担当アソシエイト、「プログレッシブ・インターナショナル」のNIEOプログラムの調整に貢献している。

※アウデ・ダーネル:スティムソン・センター米大戦略再構築プログラム研究員。「世界秩序におけるグローバル・サウス・プロジェクト」の責任者を務め、グローバル・サウス諸国に関する一般的な先入観を検証し、彼らの視点から国際関係に取り組み、彼らと西側諸大国とのパートナーシップを促進している。ツイッターアカウント:@AudeDarnal
(貼り付け終わり)
(終わり)
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 アメリカには、プリンストン大学公共・国際問題大学院、ハーヴァード大学ケネディ・スクール、タフツ大学フレッチャー法律・外交大学院といった、将来、政府に入って仕事をすることを目指す学生向けの政策大学院(Policy Schools)と呼ばれる大学院がある。これらのアイヴィー・リーグなどの一流有名大学の政策大学院を出た人々が米国務省や米国防総省に入って仕事をすることになる。こうした政策大学院の教育の特徴は、学術研究に重点を置くのではなく、学術研究で得られた成果を実際に応用する、現実的、実践的なプログラムである。

 実践的なプログラムにはもちろん、日本でも流行っているインターンシップも入っているが、多くの場合に行われるのは、ケーススタディ(Case Study、事例研究)である。国内政治や国際政治で起きた出来事について、その当時の政府関係者たちがどのように対処したか、どのようにうまく対処したか、どのように失敗したか、ということを分析的に、かつ批判的に学んでいく。どうしてそのような方策を選んだのか、ということも学び、それに理論を応用するということも行う。理論と実践の2つの方面から学んでいくことになる。

 下記の記事で、スティーヴン・ウォルト教授は、自分たちが教えていることは時代遅れになっておいて、学生たちが卒業後に政府機関などで働く際に役に立たないことが多いのではないか、という疑問を持っていると書いている。これは正直な書き方である。自分のやっていることに対する懐疑を持つということはなかなかできることではない。

 2020年代、世界は大きく変動している。新型コロナウイルス感染拡大騒動とウクライナ戦争は大変動の兆候である。更に、ウクライナ戦争で明らかになった、「西側諸国(the West)」対「それ以外の国々(the Rest)」の分断ということも起きている。小さな事件であれば、これまでの学術成果で分析も可能だろうが、問題は、もっと大きな、より俯瞰的な視点が必要な大変化、大変動が起きているということだ。それに、これまでの国際関係論や政治学の学術研究の成果が追い付いていないというのが、それらに携わる専門家たちの偽らざる考えなのだろう。ウォルトがそれをはっきりと書いたところに意味がある。考えてみると、学問の世界は西洋中心主義(Ethnocentrism)で進んできており、学術研究の対象は西洋諸国であり続けた。そこで見られたパターンや循環などとは違うことが起きつつある。

学術界から飛び出して、より一般的なところから考えてみたい。人々の間には、世界的な大変動の兆候を感じ、不安感が広がっている。自分たちがこれまで生活してきた世界の秩序や構造が変化すると、自分たちの生活はどうなるのかという不安を持つようになる。はっきりと書けば、西洋諸国の人々は自分たちに有利だった世界の終焉が近づいていることに怯えている。一方で、それ以外の国々の人々は、元気で、これからもっと生活を良くするぞ、世界は自分たちのものになるぞ、という気合が入っている。世界は大きな転換点を迎えている。

(貼り付けはじめ)

核政策大学院はまだ意味を持っているのか?(Do Policy Schools Still Have a Point?

-世界規模の激動の時代に公共政策学の教授として長いキャリアを積んだある学者の回想。スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年9月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/09/08/do-policy-schools-still-have-a-point/

数週間前に授業が始まったが、年度が始まるにあたり、私は奇妙なことを考えた。私はキャリアのほとんどをいくつかの公共政策大学院(schools of public policy)で教えてきた(最初はプリンストン大学でキャリアをスタートさせ、その後、現在はここハーヴァード大学で教えている)。これらの大学は、学生を公共部門(public sector)に就職させるために存在するが、卒業生の多くはキャリアのある時点で他の仕事に就くことになる。私は、同僚や私が、加速度的に変化する時代の中で、関連性が急速に薄れていくような知識やスキルを教えている可能性はないのだろうか、と考えた。明日の分からない新世界で価値が高まるかもしれない別の能力を、学生たちが身につけるのを助ける機会を、私たちは見逃していないだろうか? 従来の公共政策教育学へのアプローチを見直すべきか、少なくとも深刻な調整を加えるべきか? 過去に何度か「カリキュラム改革(curriculum reforms)」を経験してきた私は、私たちの取り組みが十分に進んでいるのか疑問に思った。

少し背景を見てみよう。公共政策大学院は、数十年前から高等教育の成長産業(growth industry)となっている。こうしたプログラムの起源は第二次世界大戦前にまで遡ることができるが、元々の数は少なかった。近年は人気が高まり、多くの大学にプログラムが設置されるようになっている。プリンストン大学公共・国際問題大学院、ハーヴァード大学ケネディ・スクール、タフツ大学フレッチャー法律・外交大学院、シラキュース大学マックスウェル市民・公共問題大学院、フランス国立行政学院、その他数校は何十年も前から存在するが、シカゴ大学ハリス公共政策大学院、オックスフォード大学ブラヴァトニク行政大学院、ベルリンのヘルティー・スクール、テキサスA&M大学ブッシュ政府・公共サービス大学院、その他多くの大学院は最近創設されたものだ。

これらの学校にはそれぞれ独自の特徴を持つが、同時にいくつかの類似点も存在する。それらのほとんどは、公共政策の効果的な実施に必要と思われる特定の基本的な分析スキル、通常の経済学、統計、政治分析、倫理、リーダーシップトレーニング、管理の組み合わせを伝えようとしている。また、特定の政策分野(国家安全保障政策、地方自治体、人権、財政、環境など)に関する実質的な専門知識を学生に習得する機会も与え、同時にチームビルディング、ライティング、スピーキングのスキルを鍛え、どのように政策を推進するかを研究する。また自身の専攻分野が様々な政治制度で作られていることも学ぶ。

地域によって違いはあるものの、これらのプログラムはすべて、公的部門や政治の世界で指導者になるべき人々が、自分たちが活動している世界を理解し、現在および将来の公共問題に対する効果的な解決策を考案するのに役立つ学術的知識があることを前提としている。そしてその前提には、過去の人類の経験から導き出された知識は、今後も正確であり続け、これから起こるであろう新たな問題に対しても適切であり続けるという、更なる確信が暗黙のうちに含まれている。言い換えるならば、このようなプログラムを構築する教授陣は、通常、人間の行動に関する永続的な法則「enduring laws of human behavior」(「需要と供給(supply and demand)」、「力の均衡(the balance of power)」、「集合財理論(collective goods theory)」など)を発見したと考えている。また、指導者が複雑な問題に取り組まなければならなかった過去の事例を学生たちに示すことで、生徒の将来のキャリアに役立つ教訓になると考えている。これらのツールを学び、これらのケースを吸収すれば、どんなことにも対応できるようになる、ということである。

そう思いがちだが、どうだろうかと疑問を持っている。もし私たちが、今日の知識が役に立たなくなったり、適切でなくなったりするような形で変容しつつある世界に足を踏み入れているとしたらどうだろうか?

正直なところ、このようなことを考えている(疑問を持っている)自分に私自身が驚いた。私は一般的に、最新の新展開(原子爆弾、多国籍企業、ビッグテック、イスラム過激派、グローバリゼーション、人権革命など)が政治や社会の本質を変容させ、過去の経験を陳腐化させるという主張には懐疑的だ。結局のところ、政治的リアリズム(political realism)は、人間の本質の不変の特徴(unchanging features of human nature)と歴史的経験の連続性(continuities of historical experience)を強調する。リアリストにとって、政治生活の最も重要な特徴(権力闘争、戦争、同盟、国家の興亡、誤った認識など)は、それを最小化しようとする私たちの努力にもかかわらず、時空を超えて繰り返され続けるのである。言っておくが、私はこれらの不朽の名言のほとんどは、少なくともしばらくの間は有用であり続けると考えている。

しかし、私たちの目の前で起きていることについて考えてみよう。

第一に、気候変動が急速に加速していることを示す証拠は、私たちの周囲に溢れている。化石燃料(fossil fuels)やその他の温室効果ガス(greenhouse gases)の燃焼を遅らせ、最終的には元に戻そうとする努力は、期待外れに終わっている。地球の平均気温が上昇するという最悪のケースを予測すると、その可能性はますます高くなり、この事態は政治、移住、食糧生産、水不足、生物多様性、洪水や干ばつなどの自然災害の頻度や強度に深刻な影響を及ぼしそうだ。人類はこれまでも地球の気候変動に適応してきたが、ごく近い将来、これほど急速かつ広範囲に適応を迫られることはなかった。

第二に、更に強力になっていく人工知能の発達は、人間の様々な活動を混乱させ、既存の政治制度に多くの不愉快な問題を提起している。このような能力がどこまで拡大するのか、私には見当もつかないが、現段階では誰にも分からない。しかし、全てではないにせよ、人間の生き方を良くも悪くも変えてしまう可能性は非常に大きく、その変化のスピードは、産業革命(Industrial Revolution)がそれに比べればむしろ退屈なものに思えるかもしれない。

第三に、過去数十年にわたって見てきたように、スマートフォンの出現とソーシャルメディアの普及は政治の世界を一変させ、既存の政治制度に新たな予期せぬ負担を強いている。この有害な新テクノロジーのミックスに、人工知能(AI)の登場とディープフェイクの可能性などが加わると、民主的説明責任(democratic accountability)と国民間のコンセンサス(public consensus)という慣れ親しんだ概念が足場を失い始める。私は、既存の政治システムはいずれこれらのテクノロジーを抑制し、真実と虚偽を区別する私たちの集団的能力を維持する方法を見つけるだろうと考える傾向があるが、私はそれに私の年金資金を賭けない。

最後に、現在進行中の生物学、健康、長寿研究における目覚ましい革命を忘れてはならない。この傾向は、新しいAIツールによって加速される可能性が高い。老化や病気のメカニズムが解明され、それを遅らせたり、逆行させたり、あるいは対抗したりする方法が考案され始めると、現在よりもはるかに長生きする人類が何人か、もしかしたら何百万人も出てくるかもしれない。遺伝子編集やその他の技術は、将来の世代をカスタマイズする可能性を生み出し、あらゆる種類の不快な道徳的・政治的問題を引き起こすだろう。人類は過去にも様々な方法で惑星の生物学を改変してきたが、意図的にそれを行う能力は急速に高まっている。

このような傾向(およびその他の傾向)を全て合わせると、非線形的な変化(nonlinear changes)の可能性が出てくる。そして、その最終的な影響を、確信を持って予測することは不可能だ。そして、これらの重大な進展は全て、急速に、同時に起こっている。それは、現実の世界における「同時に至るところで全て(Everything Everywhere All at Once)」のように見え始めている。もしそうだとすれば、今日の公共政策を学ぶ学生たちは、数年後に彼らが直面するであろう問題には不向きなツールキットを身に付けていることになるかもしれない。

私が言っていることをまとめよう。AIやその他の技術開発が、多かれ少なかれ絶え間なく、しかしこれまでに見たことのない規模で、遠大な市場破壊を引き起こす世界に向かっているとしたらどうだろう? いくつかの新しいダイエット薬(例えば、オゼンピック)がダイエット業界全体に何をもたらしているかを見てみたら分かる。気候の変化によって、ジェット機での移動が法外に高価になったり、環境的に持続不可能になったり、あるいは大気の乱気流の増大によって危険すぎるものになったりしたらどうだろう? 現在何千万人もの人々が住んでいる地球の広大な地域が、居住不可能になったらどうだろう? 宇宙ゴミの連鎖的な衝突、悪意あるハッカー、敵対国の意図的な行動によって、世界的な通信を担う衛星が破壊される日への備えはできているだろうか? デジタル化以前の時代にどのように物事を進めていたか、覚えているだろうか? そして、これら全ての進展がもたらす政治的影響が、慣れ親しんだ統治様式、長年にわたる同盟関係、経済依存のパターン、そして過去75年以上にわたって世界政治をほぼ決定してきた制度的特徴を破壊するとしたらどうだろうか?

私が言いたいのは、急速に相互接続が進む世界では、私たちが当たり前だと思ってきた(そして自信を持って学生たちに教えてきた)慣れ親しんだ真実、原則、慣行のいくつかは、それほど役に立たないかもしれないということだ。このような状況下で重要になるのは、適応する能力、古い考えを捨てる能力、健全な科学と蛇の油を見分ける能力、そして公共のニーズを満たす新しい方法を考案する能力である。過去にどのように物事が動いたかを生徒に教え、それ以前の時代に由来する時代を超えた真理を植え付けることは、それほど役に立たないかもしれない。

私は、現在のカリキュラムを投げ捨て、ミクロ経済学、民主政治体制理論、公会計、計量経済学、外交政策、応用倫理学、歴史学など、今日の公共政策カリキュラムの構成要素を教えるのを止めようと提案しているのだろうか? そうではない。しかし、私たちがこれまで知っていた世界とは根本的に異なる世界、しかも彼らが考えているよりも早く訪れるであろう世界に対して、子どもたちが準備できるよう、より多くの時間と労力を割くべきである。

私は小さな提案を3つ提示したい。

第一に、いささか逆説的ではあるが、激変の見通しは基本理論(basic theories)の重要性を浮き上がらせる。過去の経験から導き出された経験的パターン(例えば、「民主政体国家は互いに争わない(democracies don’t fight each other)」など)は、その法則が発見された政治的・社会的条件がもはや存在しないのであれば、ほとんど意味をなさないかもしれない。根本的に新しい状況を理解するためには、何が起こりそうかを予見し、異なる政策選択の結果を予測するのに役立つ因果関係の説明[causal explanations](すなわち理論)に頼らざるを得なくなる。単純化された仮説検証や単純な歴史的類推から導かれる知識は、何が何を引き起こしているのかを伝え、様々な行動の影響を理解するのに役立つ厳密で洗練された理論に比べると、あまり役に立たないだろう。「応用歴史学(applied history)」を教えるためのより洗練された努力も、過去の出来事が適切に解釈されなければ失敗に終わるだろう。過去は決して私たちに直接語りかけることはない。全ての歴史的解釈は、ある意味で、私たちがこれらの出来事に持ち込む理論や枠組みに依存している。私たちは、過去のある瞬間に何が起こったかを知るだけでなく、なぜそのようなことが起こったのか、現在も同様の因果関係が働いているのかどうかを理解する必要がある。因果関係の説明を提示するには理論が必要である(Providing a causal explanation requires theory)。

同時に、既存の理論のいくつかを修正する(あるいは放棄する)必要があるだろうし、新しい理論を発明する必要があるかもしれない。私たちは何らかの理論に依存することから逃れることはできないが、特定の世界観に厳格かつ無批判に固執することは、自分の本能(instincts)だけで行動しようとするのと同じくらい危険なことである。そのため、公共政策大学院では、学生に現在よりも幅広い理論的アプローチに触れさせ、それらについて批判的に考え、長所とともにその限界を見極める方法を教えるべきである。

急速に変化する世界に向けて学生を準備させるためには、一般的な理論が誤った政策選択につながった歴史的事例や、全く新しい状況に対処するために新たな理論を考案しなければならなかった事例を教えるべきである。1930年代におけるケインズ経済学の発展や、冷戦期における抑止理論(deterrence theory)の洗練は、この点で有益な例となるだろう。また、政策立案者がもはや通用しないアイデアや政策に固執したために失敗したケースを探し、他の指導者が即興的に革新し、迅速に成功したケースと対比させるべきだ。

最後に、私たち(というより私自身)は、学生たちが当然と思いがちな基準や労働条件の枠にとらわれず、適応し、即興的に行動することを求めるような演習や課題を考案することで、より創造的になるべきである。例えば、学生をいくつかのティームに分け、全員に共通の課題を与える。ノートパソコン、タブレット、スマートフォン、グーグル検索などはもちろん、大学図書館のオンラインカードカタログさえも使えない。現代のエリート大学の学生が、手動のタイプライターとペンと鉛筆と紙しか頼るものがなかったら、どうやって仕事をするだろうか? そのような訓練は、その場その場に適応して問題を解決する能力の重要性を浮き彫りにするだろう。

あるいは、学生たちに、もっともらしいが根本的に異なる世界を想像し、その主な特徴は何か、その新しい状況にどう対処すべきかを考えさせることもできる。NATOが解体し、国連が崩壊したら、アメリカ、ロシア、ドイツ、エストニア、中国、サウジアラビアなどはどのように対応するだろうか、あるいはどう対応すべきだろうか? 科学界が完全に立場を逆転させ、今日の気候変動は完全に自然なものであり、人間の活動はほとんど影響を与えていないと結論づけたとしたら、彼らはどのような政策選択を勧めるだろうか?(はっきり言っておくが、これが現実的な可能性だと言っているのではない) 学生たちの考えを変えるためではなく、自分の信念に対する健全な懐疑心や、一見説得力があるように見える議論を評価する能力を高めるために思考力を高めることが必要だ。

読者の皆さんにはお分かりだと思うが、私はまだこれらの問題について考え中であり、私の提案は暫定的なものである。しかし、私はこれらの問題について考え続けるつもりだ。私の同僚たち(そして私の学生たち)がそれらについてどのような意見を述べるのかに興味を抱いている。公共政策大学院が人気を博しているのにはいくつかの理由がある。しかし、だからと言って、私たちが学生たちに提供しているものを改善できないということではない。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ